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993
994
995
996
997
998
999
1000
[48] [[日本国]]では、 [[UTC]] よりも9時間進んだ[[時刻]] ([DFN[[[中央標準時]]]]
[CODE[[[+09:00]]]]) を用いています。
[61] 本項では[[中央標準時]]に加え、[[大日本帝国]]および[[日本国]]の統治下にある、
またはあった地域の[[標準時]]についてまとめています。
* 呼称と識別子
[49] [[日本国]]で用いられている [[UTC]] よりも9時間進んだ
([CODE[[[+09:00]]]]) [RUBY[[[時間帯]]][タイムゾーン]] (>>6) は、
[[法令]]上は[DFN[[[中央標準時]]]]と呼ばれています [SRC[>>8]]。
[29] 一般的にはこの[[時間帯]]は次に示す様々な名称で呼ばれています。
[FIG(short list)[
- [[中央標準時]]
- [[日本標準時]]
- [[日本標準時刻]]
- [[日本標準時間]]
- [[日本中央標準時]]
- [[Japan Standard Time]]
- [[JST]]
- [[JCST]]
]FIG]
[51] [[tzdata]] (とそれを採用する多くの [[OS]] や[[プログラミング言語]]など) では、
[DFN[[[Asia/Tokyo]]]] という識別子が割り当てられています [SRC[>>159]]。
;; [245] ただしこの識別子は、過去に実施された[[夏時刻制]] (>>11)
や標準時実施以前の[[東京]]の[[地方時]]も含んだものですから、
厳密には「中央標準時」とは異なります。
[191] [[時間帯]]を選択させる[[ソフトウェア]]の [[UI]] などでは、
「[[東京]]」、「[[東京]]、[[大阪]]」、「[[東京]]、[[ソウル]]」などと表記されることがあります。
;; [193] 歴史的経緯を無視すれば[[日本標準時]]は[[韓国標準時]]などと同じですが、
ひとまとめにすると政治的に問題視されることもあり [SRC[>>192]]、取り扱い注意です。
[294] 7月13日は[[中央標準時]]の制定 (>>7) にちなみ、次のように呼ばれています。
しかしいつ誰がこの記念日を提唱したのかは定かではありません。
[FIG(list)[
- 日本標準時記念日
- 日本標準時制定記念日
- 日本標準時刻記念日
- 日本標準時刻制定記念日
]FIG]
[REFS[
- [159] ([TIME[2014-08-06 16:40:17 +09:00]] 版) <https://www.ietf.org/timezones/data/asia>
- [192] [CITE@ja[ヤフーの表示、「タイムゾーン: GMT +09:00 韓国、日本 」とな... - Yahoo!知恵袋]] ([TIME[2015-10-04 21:36:50 +09:00]] 版) <http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140784901>
]REFS]
* 中央標準時
[6] 明治17年/1884年の[[本初子午線並計時法万国公会]] (国際子午線会議, [[ワシントン]])
で英国[[グリニッジ天文台]]を基に[[本初子午線]]が決定されました。
明治19年/1886年の[DFN[[[本初子午線経度計算方及標準時ノ件]]]]はこの決定に基づく国内法で、
東経135度子午線の時刻を全国の標準時としました (明治21年/1888年実施) [SRC[>>7]]。
[FIG(list)[
- グリニッジ子午線を本初子午線とし、
- 東経・西経180度ずつに区切り、 (東経を正, 西経を負とする。)
- 東経135度を「本邦一般の標準時」とする。
-- 「本邦一般の標準時」は明治21年1月1日施行。
]FIG]
[58] 明治29年/1896年1月1日には[DFN[[[標準時ニ関スル件]]]]が実施され、
従来の標準時は[DFN[[[中央標準時]]]]に改称され、新たに[[西部標準時]] (>>9)
が導入されました [SRC[>>8]]。[[八重山列島]]と[[宮古列島]]の標準時がこの時[[西部標準時]]に変わっています。
[60] 昭和12年/1937年10月1日に[[西部標準時]]が廃止され、[[中央標準時]]に統一されました
[SRC[>>59]]。
[137] [[南洋群島西部標準時]] (>>2) は、[[中央標準時]]と同じものでした。
[63] [[夏時刻]]については >>11 を参照してください。
[REFS[
- [7] 本初子午線経度計算方及標準時ノ件
-- 明治19年7月13日勅令第51号
-- 本初子午線経度計算方及標準時ノ件 (明治19年7月13日勅令第51号)
<http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M19/M19CO051.html>
-- <http://www.ron.gr.jp/law/seirei/hyojunji.htm>
- [8] 標準時ニ関スル件 (明治28年12月28日勅令第167号) (明治29年1月1日施行)
-- 明治28年12月28日勅令第167号 (明治29年1月1日施行)
-- [CITE@ja[標準時ニ關スル件 (公布時) - Wikisource]] ([TIME[2014-08-14 15:34:39 +09:00]] 版) <http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%83%8B%E9%97%9C%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BB%B6_(%E5%85%AC%E5%B8%83%E6%99%82)>
- [59] 昭和12年9月24日勅令第529号 (昭和12年10月1日施行)
-- [CITE@ja[明治二十八年勅令第百六十七號標準時ニ關スル件中改正ノ件 - Wikisource]] ([TIME[2014-08-14 15:36:10 +09:00]] 版) <http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%B9%B4%E5%8B%85%E4%BB%A4%E7%AC%AC%E7%99%BE%E5%85%AD%E5%8D%81%E4%B8%83%E8%99%9F%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%83%8B%E9%97%9C%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BB%B6%E4%B8%AD%E6%94%B9%E6%AD%A3%E3%83%8E%E4%BB%B6>
-- <http://www.ron.gr.jp/law/seirei/hyojun_2.htm>
-- <http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M28/M28CO167.html>
]REFS]
* 西部標準時
[9] [DFN[[[西部標準時]]]]は、明治29年/1896年1月1日 [SRC[>>8]] から昭和12年/1937年9月30日
[SRC[>>59]] まで、[[大日本帝国]]の西部地域で用いられていた[[標準時]]です。
[62] 東経120度[[子午線]] [SRC[>>8]] の時刻で、 [[GMT]] よりも8時間進んでいました
([CODE[[[+08:00]]]])。[[夏時刻制]]が実施されたことはありません。
[64] [[台湾]]・[[澎湖列島]]と[[八重山列島]]・[[宮古列島]]に適用されていました [SRC[>>8]]。
[65] 廃止後は[[中央標準時]]が適用されています。9月30日午後11時をもって10月1日午前0時とされました
[SRC[>>101]]。
[106] [[日本]]の敗戦後の1945年9月21日には[[台湾]]の標準時が[[西部標準時]]に戻されています (>>103)。
;; この時標準時が改められたのは、[[台湾総督府]]管下、
すなわち[[台湾]]本島の他[[澎湖諸島]]と[[新南群島]]を含むと思われます。
[149] この[[西部標準時]]は廃止から50年以上後の1990年代に誤った資料を出典に
[[tzdata]] に「[DFN[[[south Ryukyu Islands]]]]」地方の[[時間帯]] [DFN[[CODE[[[Asia/Ishigaki]]]]]]
(当初は [DFN[[[Asia/South_Ryukyu]]]]) として収録されましたが、
1998年に誤りとして削除されています [SRC[>>150, >>151, >>152]]。
;; [153] 当時は[[西部標準時]]の存在やその適用されていた領域もよく知られていなかった [SRC[>>152]]
ようです。
[227] [[関東州]]および[[満鉄附属地]]でも[[西部標準時]]が採用されていました (>>212)。
更に、[[満州国の標準時]]や[[支那]]の[[北京]]、[[南京]]、[[上海]]等を含む地域の標準時とも一致していました。
[REFS[
- [101] [CITE@ja[臺灣ノ標準時ヲ中央標準時ニ改正 (昭和十二年台湾総督府告示第二百七号) - Wikisource]] ([TIME[2014-07-30 06:58:13 +09:00]] 版) <https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%87%BA%E7%81%A3%E3%83%8E%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%83%B2%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%83%8B%E6%94%B9%E6%AD%A3_(%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C%E5%91%8A%E7%A4%BA%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%99%BE%E4%B8%83%E5%8F%B7)>
- [150] [CITE[「South Ryukyu Islandsの謎」調査の中間報告 および 最終報告]] ([TIME[2008-01-25 08:07:00 +09:00]] 版) <http://www.tomo.gr.jp/root/9925.html>
- [152] [CITE[Asia/Ishigaki?]] ([TIME[2012-02-25 02:55:06 +09:00]] 版) <http://mm.icann.org/pipermail/tz/1998-November/010471.html>
- [151] [CITE@ja[日本標準時 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-30 23:49:52 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82#South_Ryukyu_Islands.E6.99.82.E9.96.93>
]REFS]
* 標準時の統一と復帰
[138] [[大日本帝国]]の領土や支配地域が拡大した場合、当初は現地の経度に基づく標準時が用いられていましたが、
[[時差]]による混乱も多かったらしく、[[中央標準時]]へと統合されてゆきます。
[FIG(list)[
- 明治45年/1912年 (大正元年) 1月1日 - [[朝鮮]]が[[中央標準時]]に
- 昭和12年/1937年1月1日 - [[関東州]]と[[満州国]]が[[中央標準時]]に
- 昭和12年/1937年10月1日 - [[先島諸島]]と[[台湾]]・[[澎湖諸島]]が[[中央標準時]]に
- 昭和13年/1938年1月1日 - 旧[[南洋群島東部標準時]]廃止、[[南洋群島西部標準時]]拡大
]FIG]
[139] この結果[[大日本帝国]]と[[満州国]]の領域は[[中央標準時]]と新[[南洋群島東部標準時]]の2種類に統一されています。
[141] [[第二次世界大戦]]中の占領地でも[[中央標準時]]が用いられたといいます (>>97)。
[[中華民国]]の[[南京国民政府]]も[[夏時刻]]を通年採用したため[[中央標準時]]と一致していました
(>>201)。
[140] [[第二次世界大戦]]の終戦後には、[[台湾]]、[[満州]]、[[南洋群島]]の一部、
戦時占領地は旧来の[[時間帯]]に戻ったり、新たな[[時間帯]]を採用したりして現在に至っています。
[[大韓民国]]は紆余曲折を経て[[中央標準時]]と同じ[[時間帯]]を現在も採用しています。
[[朝鮮民主主義人民共和国]]は2015年に[[大韓帝国]]時代と同じ [CODE[[[+08:30]]]]
に戻しています。
;; 詳細は各地域の項を参照してください。
* 夏時刻制
[11] [[第二次世界大戦]]の終戦後、旧[[大日本帝国]]の多くの領域では[[夏時刻]]制
(サマータイム、当時はサンマータイム、夏時間などと呼ばれたようです。)
が導入されましたが、生活習慣に合わないなどの理由でいずれも数年で廃止されています。
[FIG(list)[
- [[日本]]本土 - >>18
- [[琉球]] - >>43
- [[大韓民国]] - [[朝鮮の標準時]]を参照
- [[中華民国]] (中国大陸) - [[中国大陸の標準時]]を参照
- [[中華民国]] ([[台湾]]) - [[台湾の標準時]]を参照
- [[香港]] (戦前より導入) - [[香港の標準時]]を参照
]FIG]
[24] [[夏時刻]]は昭和初期に欧州で導入されてすぐ日本に紹介されたようで、
日本でも導入することが提案されていました [SRC[>>5]]。
;; [26] 当時は「夏時 (Summer Time)」や「日光利用法案 (Daylight Saving Bill)」、
「夏時法」といった訳語が用いられていた [SRC[>>5]] ようです。
[1] [[第二次世界大戦]]中にも資源節約のために[[夏時刻]]の導入が検討されたものの、
実施には至らなかったといわれています。
[REFS[
- [5] [CITE[暦法及時法 - 平山清次 - Google ブックス]] ([TIME[2014-09-06 14:08:26 +09:00]] 版) <http://books.google.co.jp/books?id=88p29z44kzoC&hl=ja&pg=PP5#v=onepage&q&f=false>
]REFS]
** 日本本土の夏時刻制
[18] [[夏時刻法]] [SRC[>>13, >>14]] によると、次のように[[夏時刻]]が運用されていました。
,*西暦年 ,*日時(標準時) , ,*日時(夏時刻)
,1948 ,5月第1土曜日(2日)23時00分 ,→ ,'''日曜日(3日)00時00分'''
,1948 ,'''9月日曜日00時00分''' ,← ,第2土曜日25時00分
,1949 ,4月第1土曜日23時00分 ,→ ,'''日曜日00時00分'''
,1949 ,'''9月日曜日00時00分''' ,← ,第2土曜日25時00分
,1950 ,5月第1土曜日23時00分 ,→ ,'''日曜日00時00分'''
,1950 ,'''9月日曜日00時00分''' ,← ,第2土曜日25時00分
,1951 ,5月第1土曜日23時00分 ,→ ,'''日曜日00時00分'''
,1951 ,'''9月日曜日00時00分''' ,← ,第2土曜日25時00分
[19] [[夏時刻法]]には最終日は25時間とするとしか書かれていないので、
それがどのような[[時刻]]なのか明確ではありませんが、
24時(午後12時)00分から25時(午後13時)00分が存在したと解釈するのが妥当でしょう。
>>12 や[[百科事典]]は24:00〜25:00 が存在したと説明しています。
;; [295] 諸外国の[[夏時間]]の終了や[[時間帯]]の変更では、
切り替えにより「時刻を1時間戻す」方法が採られることがよくあります。
[296] 新聞では「[[日本夏時間]]」と表記されたようです [SRC[>>284]]。
[297] 「[[JDT]]」と略されることもあります。
[REFS[
- [244] 夏時刻法
-- [13] 昭和23年法 (昭和23年4月4日成立, 昭和23年4月28日公布施行)
--- [CITE@ja[法律第二十九号(昭二三・四・二八)]] ([TIME[2015-11-17 02:00:55 +09:00]] 版) <http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480428029.htm>
---- ''法律第二十九号(昭二三・四・二八)'' <http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480428029.htm>
-- [14] 昭和25年修正法 (昭和25年3月31日公布施行)
--- [243] [CITE@ja[法律第三十九号(昭二五・三・三一)]] ([TIME[2015-11-17 02:00:55 +09:00]] 版) <http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00719500331039.htm>
---- ''法律第三十九号(昭二五・三・三一)'' <http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00719500331039.htm>
--- ''夏時刻法の一部を改正する法律(昭和25年法律第39号)〈旧法令〉/網際情報館'' <http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/S25H0039.htm#F>
--- 修正版昭和25年法
---- ''夏時刻法(昭和23年法律第29号)〈旧法令〉/網際情報館'' <http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/S23H0029.htm>
---- 夏時刻法 サマータイム法'' <http://duplex.tripod.co.jp/hou/hs23-29.htm>''
-- [15] 昭和27年廃止法 (昭和27年3月26日国会提出, 昭和27年4月11日)
--- ''夏時刻法を廃止する法律(昭和27年法律第84号)/網際情報館'' <http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/S27H0084.htm>
--- ''法律第八十四号(昭二七・四・一一)'' <http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01319520411084.htm>
- [16] ''夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令(昭和23年政令第280号)〈旧法令〉/網際情報館'' <http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/S23R0280.htm> (昭和23年9月1日施行)
- [17] ''夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令を廃止する政令(昭和27年政令第109号)/網際情報館'' <http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/S27R0109.htm>
(昭和27年4月17日施行)
]REFS]
- [12] サマータイム''JAいわて/エッセー'' <http://www.ja-iwate.or.jp/jaiwate/essay/kisetsu/990511.htm>
[22] この夏時刻制度があったこと自体は非常に有名で検索したら沢山 [WEAK[(ほとんどは何らかの年表の一部として)]] 出てくるんですが、その実施の詳細についてはほとんど触れられていません。百科事典についてもそうです。どうしてでしょうか?
- [28] <http://www.enecho.meti.go.jp/beforeenecho/dayori/summertime/iken/sankou/10.html> : 夏時刻法及び当時のアンケート結果
[39] [CITE[日本の夏時刻歴史検証]] ([[Yorinobu Nawata 縄田頼信]] 著, [TIME[2014-01-01 01:06:31 +09:00]] 版) <http://www.ne.jp/asahi/korette/hendenaikai/daylight_saving_time/nippon_rekishi-kensho.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[284] [CITE@ja[賠償条項でアジアに配慮した最終草案明らかに サンフランシスコへ(42) :日本経済新聞]]
([TIME[2015-11-24 02:00:14 +09:00]] 版)
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK23003_U2A520C1000000/>
]FIGCAPTION]
> 1951年当時の日本は夏時間を採用していた。だから国際的なニュースには発生時刻に現地時間に「日本夏時間」を添えて報道することがあった。このニュースもそうだった。
]FIG]
** 琉球の夏時刻制
[43] [[米国]]占領下の[[琉球]]では (少なくても[[八重山諸島]]では)
次のような夏時刻 (「夏季時刻」, 「夏季時間」) が実施されていたようです [SRC[>>44]]。
,*琉球年 ([[西暦]]),*日本本土年,*夏時刻の時期
,* 1948,*S23,"6/1 開始 [SRC[>>44, >>230]] - 9/12 終了 [SRC[>>44, >>232]]"
,* 1950,*S25,5/6 開始 [SRC[>>231]] or 5/16 [SRC[>>44]] - 9/9 [SRC[>>44]] or 9/8 終了 [SRC[>>195]]
;; この2年以外は >>44 には記載されていません。
;; 境界の日付のどのタイミングで切り替わったのかはっきりしませんが、
前後1日の数え方のずれを考慮しても、[[日本]]本土の実施時期と若干ずれています。
[237] 北部南西諸島 ([[奄美]]) では1948年に日光節約時間(夏期時間、サンマタイム)
が実施されています (>>234、>>236)。
[238] 1949年、1950年の臨時北部南西諸島政庁や1948年-1950年の沖縄民政府の公報には
(すべて調べられたわけではありませんが) 同様の文書は見当たりません。
実施されなかったのか、公報に掲載されなかったのかは不明です。
[239] 1948年の実施時期は奄美と八重山で一致していますから、琉球全域で実施されたと考えるべきでしょう。
1950年も同様に全域で実施された可能性は高いですし、1949年も実施された可能性はあります。
1951年以降は不明です。
[197] 米国時代の政府資料 (>>196) には夏時刻に関する言及がまったく見当たらず、
実態は謎です。 [[Webサイト]]でも琉球における夏時刻を扱ったものはほとんどありません。
[229] 日本本土での夏時刻実施期間はまだ日本と琉球との民間貿易が認められなかったため、
日本本土や琉球の住民が相互に行き来することはほとんどなかったと思われ、
夏時刻切り替え期に一時的に時差が生じたとしても、大きな問題にはならなかったのかもしれません。
日本の国会の夏時刻法案の審議でも、琉球との関係は全く話題になっていないようです。
[REFS[
- [44] ([TIME[2009-08-27 05:14:10 +09:00]] 版) <http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/Timeline/timeline-page/timeline-21.html>
- [230] [CITE[行政記録]] ([TIME[2014-09-02 11:24:24 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/00978.html>
- [232] [CITE[行政記録]] ([TIME[2014-09-02 11:24:24 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/00991.html>
- [195] [CITE[行政記録]] ([TIME[2014-09-02 11:24:25 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/01096.html>
- [231] [CITE[行政記録]] ([TIME[2014-09-02 11:24:25 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/01085.html>
- [196] [CITE[デジタルアーカイブズ - 沖縄県公文書館]] ([TIME[2015-07-09 15:14:00 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/kensaku/>
- [233] [CITE[日光節約時間の件]] ([TIME[2006-06-09 12:25:35 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/kouhou/HTML/rinjihokubunansei/06872.html>
- [235] [CITE[日光節約時間の件]] ([TIME[2006-06-09 12:22:29 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/kouhou/HTML/rinjihokubunansei/00284.html>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[234] 公報 一九四八年六月十五日 第三十七號 臨時北部南西諸島政廳 - 政廳 特別告示 [SRC[>>233]]
]FIGCAPTION]
> ▲特別告示第二號
> 軍政府長官の指令に依り日光節約時間の件(北部南西諸島軍政府指令一九四八年第六號)を次のように告示する
> 一九四八年六月一日
> 臨時北部南西諸島
> 知事 中江實孝
> 北部南西諸島軍政府指令
> 一九四八年第六號
> 日光節約時間の件
> 北部南西諸島に日光節約時間制(夏期時間制)を實施するため、
一九四八年六月一日午前零時を期し、本諸島に於ける一切の時間を一時間進める様指令す
> 一九四八年六月一日
> 北部南西諸島軍政府長官
> 砲兵中佐
> ヘンリ・ビ・ジョセフ
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[236] 公報 一九四八年九月十五日 第四十五號 臨時北部南西諸島政廳 - 政廳 特別告示 [SRC[>>235]]
]FIGCAPTION]
> 特別告示第四號
> 北部南西諸島軍政府長官の指令に依り日光節約時間の件(北部南西諸島軍政府指令一九四八年第八號)を次のように告示する。
> 一九四八年九月八日
> 臨時北部南西諸島
> 知事 中江實孝
> 北部南西諸島軍政府指令一九四八年第八號日光節約時間(サンマタイム)制の件
> 一九四八年九月十二日午前零時を期し、北部南西諸島軍政府指令一九四八年第六號はこれを廢止し、
本諸島内の一切の時計を一時間遅らせる。
> 一九四八年九月八日
> 北部南西諸島軍政府長官
> 歩兵大佐
> ヒユー・デイ・アデア
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[240] [[沖縄民政府]] [CITE[608_部長会議 1948年9月10日]] ([TIME[2015-03-20 14:55:14 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gikaikaigiroku/html/608_%E9%83%A8%E9%95%B7%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%80%801948%E5%B9%B49%E6%9C%8810%E6%97%A5.html>
]FIGCAPTION]
> サンマータイムは来る十三日(月)より解除元通りになる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[241] [CITE[609_軍民連絡会議 1948年9月10日]] ([TIME[2015-03-20 14:55:14 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gikaikaigiroku/html/609_%E8%BB%8D%E6%B0%91%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%80%801948%E5%B9%B49%E6%9C%8810%E6%97%A5.html>
]FIGCAPTION]
> ◎サンマータイムの切りかへは来る十三日(月)午前〇時から。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[242] [CITE[第9回沖縄群島議会(臨時会)第二部委員会議事録 1951年7月30日]] ([TIME[2015-03-20 14:38:11 +09:00]] 版) <http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gikaikaigiroku/html/08_%E7%AC%AC9%E5%9B%9E%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%BE%A4%E5%B3%B6%E8%AD%B0%E4%BC%9A%EF%BC%88%E8%87%A8%E6%99%82%E4%BC%9A%EF%BC%89%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E9%83%A8%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E9%8C%B2%201951%E5%B9%B47%E6%9C%8830%E6%97%A5.html>
]FIGCAPTION]
> ○新里銀三君 第五条の興行時間は十一時限とあるがサンマータイムの十一時では興行に支障ありませんか。事実田舎等では午前の一時頃までやっているようですが、何んとか出来ませんか。
]FIG]
* 地域と標準時
** 樺太
[86] [[樺太]]は日露雑居地とされていましたが、
明治8年/1875年8月22日[[批准]]の[[樺太・千島交換条約]]により全島が[[ロシア帝国]]領となりました。
この当時日露両国とも近代的標準時は実施していません。
[276] 明治38年/1905年に[[日露戦争]]で[[日本]]が占領、明治38年/1905年11月25日発効の[[ポーツマス条約]]により[[南樺太]]は[[日本]]領になり、
[[北樺太]]は[[ロシア帝国]]に返還されています。
[277] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Sakhalin]]]] は、
1905年8月23日まで[[地方時]]、以後[[中央標準時]]としています。
7月31日現地ロシア軍降伏と11月25日発効のどちらとも一致しませんが、
[[ポーツマス条約]]調印の9月5日はロシア側 ([[ユリウス暦]])
で8月23日に当たり、[[グレゴリオ暦]]への換算をしていない可能性があります。
[278] 大正9年/1922年には[[日本]]が再度[[北樺太]]を占領していますが
(大正7年[[シベリア出兵]]、大正9年[[尼港事件]])、
大正14年/1925年2月25日批准の[[日ソ基本条約]]により返還しています。
この時期の時刻は不明ですが、日本側は[[中央標準時]]を用いたと考えるのが自然でしょう。
;; [279] ソ連はこの時期まだ[[地方時]]を使っています。[[北樺太]]のロシア側が[[地方時]]を使っていたとすると、
[[南樺太]]と約30分の時差があったことになります。
;; [281] 大正7年 ([[シベリア出兵]]開始後で[[北樺太]]占領前) の旅行記 [SRC[>>282]]
では、(おそらく懐中時計を持って) [[南樺太]]から[[北樺太]]へ入って見物していますが、
時刻を調整したり、時差に気づいたりした形跡はありません。
[REFS[
- [282] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 露領樺太覗記]] ([TIME[2015-11-23 15:18:02 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962160>
]REFS]
[88] 昭和20年/1945年8月に[[南樺太]]は[[ソビエト連邦]]に占領され、
12月30日に現地行政機関解体、
昭和21年/1946年1月に[[日本]]の施政権が停止されています。
以後[[ソビエト連邦]]、[[ロシア連邦]]の支配下にあります。
[[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Sakhalin]]]] は、
1945年8月25日までを[[中央標準時]]としていて、
これはソ連軍の樺太全島占領完了日に基づいているようです。
[87] 現在は全島で[[ウラジオストク時間]]が適用されています。
** 千島列島と北方領土
[89] [[択捉島]]以南は安政元年12月21日/1855年2月7日の[[日露和親条約]]により[[日本]]領と確定、
[[得撫島]]から[[占守島]]までは明治8年/1875年8月22日[[批准]]の[[樺太・千島交換条約]]により[[ロシア帝国]]領から[[日本]]領になりました。
以後本土と同じ[[標準時]]が適用されていたものと考えられます。
[37] [[Wikipedia]] は、[[千島列島]]の[[占守郡]]の[[時間帯]]を [[+10:30]]
としています [SRC[>>35, >>36]] が、[[要出典]]とされており [SRC[>>36]]、
実際どうだったのかは不明です。
;; [275] 明治期から終戦後まで、 [[Wikipedia]] 以外の言及が見当たりません。
[[西部標準時]]に言及しつつ、それより古くから[[内地]]だった千島との時差に言及しないのは不自然です。
[[西部標準時]]廃止後の占領地も含めた[[中央標準時]]への統一の流れで千島だけ分かれたとするのも不自然です。
[[占守島]]の防衛隊も[[正午]]に[[玉音放送]]を聞いたと記述する文献もあります。
[REFS[
- [35] [CITE@ja[占守郡 - Wikipedia]] ([TIME[2007-03-19 15:18:23 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E9%83%A1>
-- [246] [CITE@ja[「占守郡」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2015-11-20 21:44:45 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%A0%E5%AE%88%E9%83%A1&diff=9537234&oldid=9526865>
- [36] [CITE@ja[UTC+10:30 - Wikipedia]] ([TIME[2014-06-20 21:10:20 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/UTC+10:30#.E6.AD.B4.E5.8F.B2>
-- [247] [CITE@ja[「UTC+10:30」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2015-11-20 21:49:24 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=UTC%2B10:30&diff=36569798&oldid=35849768>
]REFS]
[90] 昭和20年/1945年に[[ソビエト連邦]]に[[占守島]]から[[国後島]]までと[[色丹島]]、
[[歯舞群島]]を占領され、以後[[ソビエト連邦]]、[[ロシア連邦]]の支配下にあります。
現在は[[マガダン時間]]が適用されています。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[280] [CITE[占守島・1945 年 8 月]]
([[<90A78DEC>]] 著, [TIME[2015-11-23 14:33:09 +09:00]] 版)
<http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ueO2_h8EnNgJ:https://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/JapanBorderReview/no2/02_itani.pdf>
]FIGCAPTION]
> ソ連側の作戦指揮を担当したカムチャツカ防衛区軍 が作成した報告書「カムチャツカ防衛区軍による1945年8月15-31 日のクリル諸島北部における戦闘行動日誌」(30) を利用した(以下「戦闘行動日誌」と略記)。 これは戦役終了直後に作成された機密文書である。
> なお、日本側とソ連側の記録には時差が存在する(ソ連側が2時間早い)が、本稿では特 に断りのない限り、日本時間を使用する。
]FIG]
** 北海道
[66] [[北海道]]は[[江戸時代]]には既に[[日本]]の一部であり、
現在まで本土と同じ[[標準時]]が使われています。
** 日本本土
[52] [[改暦ノ布告]] (明治6年/1873年1月1日実施) により[[定時法]]が導入される
[SRC[>>53]] までは[[不定時法]]だったといいます。日の出と日の入により時刻が決まるため、
季節と位置によって変動がありました。
;; 主要都市では[[号砲]]があった他、[[和時計]]も作られていました。
[223] 明治時代初期には、各地の[[地方時]]が用いられていました。
[[気象台]]では[[京都時]]、[[電信局]]や編暦では[[東京時]]と、
分野ごとに異なる“標準時”も使われていました。
[226] その後[[中央標準時]] (>>6) が実施されました。
[218] 実施に先立つ明治20年/1887年7月4日には、各府県庁所在地の[[地方時]]との[[時差]]一覧が[[官報]]の[[觀象]]欄に掲載されています [SRC[>>217]]。
[REFS[
- [53] [CITE@ja[明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)]] ([TIME[2014-08-11 01:34:32 +09:00]] 版) <http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M05/M05SE337.html>
- [54] [CITE@ja[旧暦 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-25 01:37:34 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%9A%A6#.E3.80.8C.E6.97.A7.E6.9A.A6.E3.80.8D.E3.81.AE.E8.A8.88.E7.AE.97>
- [56] [CITE@ja[暦Wiki/時刻/日本の本初子午線 - 国立天文台暦計算室]] ([TIME[2014-06-25 06:18:53 +09:00]] 版) <http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FC6FCCBDCA4CECBDCBDE9BBD2B8E1C0FE.html>
- [222] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1883年07月02日]] ([TIME[2015-11-19 21:29:00 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2943205>
- [217] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1887年07月04日]] ([TIME[2015-11-19 03:22:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2944437/6>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[221] [[官報]] 第壹貳〇三號 明治二十年七月四日 [[觀象]] [SRC[>>217]]
]FIGCAPTION]
> ○標準時ト各地方時トノ差
> 昨明治十九年七月十二日勅令第五十一號ヲ以テ来ル明治二十一年一月一日ヨリ英國綠威ノ東經百三十五度ノ子午線時ヲ以テ本邦一般ノ標準時ト定メラレタルニ就テハ明年一月一日ヨリハ本暦ヲ初メ其他凡テ時刻ヲ記スルモノハ全國皆此標準時ニ依ラサルヘカラス故ニ各地方ニ於テ從來用ヒ來レル其他ノ時刻(地方時)ト此度定メラレタル標準時トノ差ヲ知ラサレハ百時差支ヲ生スルヿアルヘシ依テ左ニ各地方廳(根室函館ノ如キハ即今地方廳所在ノ地ニアラスト雖モ昨年マテ縣廳所在ノ地タリシヲ以テ特ニ之ヲ附記ス)ニ於ケル時差ヲ掲ケ以テ地方時ヲ改テ標準時トナシ或ハ標準時ヲ知リテ地方時ヲ求ムルノ便ニ供ス(内務省)
> 減ノ部
>
,* 府縣廳所在地 ,* 時差
,和歌山,三十三秒
,兵庫,三十四秒
,大阪,一分五十五秒
,京都,三分〇〇秒
,滋賀,三分十七秒
,福井,四分四十九秒
,三重,五分五十三秒
,石川,六分三十三秒
,岐阜,六分五十一秒
,愛知,七分三十三秒
,富山,八分四十九秒
,長野,十二分四十一秒
,靜岡,十三分二十九秒
,山梨,十四分十三秒
,新潟,十六分十秒
,群馬,十六分十七秒
,埼玉,十八分三十三秒
,神奈川,十八分三十五秒
,東京,十九分〇八秒
,栃木,十九分三十四秒
,秋田,二十分十七秒
,千葉,二十分二十九秒
,山形,二十一分〇九秒
,福島,二十一分三十七秒
,茨城,二十一分五十七秒
,函館,二十二分五十三秒
,靑森,二十二分五十九秒
,宮城,二十三分二十九秒
,岩手,二十四分二十五秒
,札幌,二十五分三十一秒
,根室,四十二分二十秒
> 加ノ部
>
,* 府縣廳所在地 ,* 時差
,德島,一分四十七秒
,鳥取,三分十一秒
,岡山,四分二十七秒
,高知,五分五十五秒
,島根,七分五十一秒
,愛媛,八分五十八秒
,廣島,十分十二秒
,大分,十三分三十六秒
,山口,十四分十五秒
,宮崎,十四分二十三秒
,熊本,十七分十二秒
,鹿兒島,十八分〇四秒
,福岡,十八分二十七秒
,佐賀,十八分四十九秒
,長崎,二十分三十一秒
,沖繩,二十九分十九秒
> 地理局觀象臺ニ於テハ毎日標準時ノ正午ヲ全國各電信局ニ電報スルカ故ニ電信局所在ノ地ハ同局ニ至リ精密ナル標準時ヲ聞知スルヲ得ヘシ然レ𪜈電線未タ接セサル地方即沖縄等ニ於テハ暫ラク從來用ヒ來レル地方時ニ就キ前記ノ分秒ヲ加減シテ標準時ヲ求メサルヘカラス即加ノ部ニ列セル地方ハ其地ノ時刻ニ前記ノ分秒ヲ加ヘ減ノ部に列セル地方ハ其地ノ時刻ヨリ前記ノ分秒ヲ減スレハ即チ標準時ヲ得ルモノトス若シ既ニ標準時ヲ知リテ地方時ヲ求メントスルモノハ右加減ヲ相反シ加ト書スルモノハ標準時ヨリ此差ヲ減シ減ト書スルモノハ標準時ニ此差ヲ加フレハ即地方時ヲ得ヘシ
]FIG]
;; [274] [[東京]]の[[時差]]が >>57 とは異なりますが、
こちらの表では[[浅草司天台]] (現[[浅草橋]]3丁目) との[[時差]]を採用していると思われます。
*** 暦、天体観測
[55] [[天保暦]]は[[京都]]の[[天文時]]に基づき計算されていました [SRC[>>54]]。
[57] 明治6年/1873年から明治20年/1887年までの[[暦]]は[[東京]]の時刻に基づき計算されていました
[SRC[>>56]]。
[FIG(list)[
,*和暦,*西暦,*時差,*名称,*注記
,明治6年,1873年,[CODE[+09:19:01]],東京時刻
,明治7年,1874年,[CODE[+09:19:01]],東京時刻
,明治8年,1875年,[CODE[+09:19:01]],東京時刻
,明治9年,1876年,[CODE[+09:19:01]],東京時刻
,明治10年,1877年,[CODE[+09:19:01]],東京時刻
,明治11年,1878年,[CODE[+09:19:00.5]],東京時刻,赤坂区溜池葵町内務省地理局測量課
,明治12年,1879年,[CODE[+09:19:00.5]],東京時刻
,明治13年,1880年,[CODE[+09:19:00.5]],東京内務省地理局測量課平時
,明治14年,1881年,[CODE[+09:19:00.5]],東京内務省地理局測量課平時
,明治15年,1882年,[CODE[+09:19:00.5]],東京内務省地理局測量課平時
,明治16年,1883年,[CODE[+09:19:00.5]],東京内務省地理局測量課平時,微修正が行われた
,明治17年,1884年,[CODE[+09:19:00.5]],東京内務省地理局測量課平時
,明治18年,1885年,[CODE[+09:19:01.13]],東京内務省地理局測量課平時,東京天主台
,明治19年,1886年,[CODE[+09:19:01.13]],東京内務省地理局測量課平時
,明治20年,1887年,[CODE[+09:19:01.13]],東京内務省地理局観象台平時
]FIG]
;; 明治6年から[[旧暦]]にかわり[[グレゴリオ暦]]が採用されています。
;; [272] この時期の[[暦]]には、日本各地との時差も記載されています [SRC[>>57]]。
[259] [[標準時]]実施後は[[中央標準時]]により計算されていました。
;; [[旧暦]]も参照。
*** 気象観測
[225] 明治初期の気象観測は[[地方時]]に基いていましたが、
明治9年/1876年10月から[[京都時]]の観測も行うようになりました [SRC[>>252]]。
[260] 明治16年/1883年3月1日には[[京都時]]による[[天気図]]が作成されています [SRC[>>251]]。
[224] 明治16年/1883年7月2日の[[官報]]第1号の「地理局報告」欄には、
「明治十六年七月一日京都時午前六時東京時午前六時十六分長崎時午前五時三十六分」
と注記があります [SRC[>>222]]。
[261] 明治18年/1885年 (?) 1月1日には[[地方時]]の観測を廃止し、
[[京都時]]に統一されました [SRC[>>253]]。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[252] [CITE[ー' 2, 3. 4' はじめに]]
([TIME[2015-11-22 04:06:59 +09:00]] 版)
<http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:O06KPad1Nb4J:libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-KJ00000108475.pdf>
]FIGCAPTION]
> 中央気象台一覧によると) ジョ イ ネルの気象観測は地方時の午前9時30分, 午後3時30分' 「司9時30分の3回で, 外に地震器械の見廻り) 空中電気の測定, 観測資料の整理などであ る か ら, 一人でできないほどの量ではない。
> そのうちに伝習生も一人前になったと見えて, 明治9年10月からは観測回数を増加す る こ とになり, 地方時の観測には新に午前3時30分が加えられて 1 日 4回となり, この外に京都時 の午前及び午後の3, 6, 9, 12 時の都合8回を加えたので, 総測回数は1 日 12 回に 及んだ。 そのうち地方時の観測はジョイ ネルが自ら担当し, 京都時の側は日本人に担当させた。 地方時 をジョ イ ネルが担当したいという ことは, 当時の観測では気候の方を重視したのか屯知れない。 京都時というのは, 当時まだ中央標準時が制定されていなかったので, 鉄道な どで用いられて いたらしい。 日本人観測者に京都時の観測をさせたという ことは, 一つには訓練のためであろう が, いずれは天気図を作成する時の準備という考えがあったのかも知れない。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[251] ([TIME[2009-04-14 09:51:33 +09:00]] 版)
<http://www.sonpo.or.jp/archive/publish/bousai/jiho/pdf/no_237/yj23702.pdf>
]FIGCAPTION]
> 口絵の天気図は気象庁が所蔵する日本最古の天気図で、東京気象台(気象庁の前身、当時内務省地理局所属)が1883年(明治16年)3月1日に日本で最初に配布した天気図である。天気図時刻は当日午前6時(京都時:当時の日本標準時)である。
]FIG]
[253] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター]] ([TIME[2015-11-22 04:13:47 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A07061702900>
[254] 明治18年?1月1日より、地方時による気象観測を廃し、京都時による観測のみに変更。
*** 電信局
[266] 明治11年4月1日より、[[東京時]]が全国の[[電信局]]へ送信されるようになりました。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[250] ([TIME[2014-10-03 15:24:57 +09:00]] 版)
<http://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_04_08.pdf>
]FIGCAPTION]
> 電信による報時は、明治5年に初めて工部省が地方局に正午の時報を送り、その後は明治8年3月から工部省本省と築地局間で正午報時が行われたようである。電信による全国への正午報は東京の正午を基準にして明治11年から実施された。これを定めたのが明治11年3月「正午報辰規則」である。これによると、明治11年4月1日から東京の正午時午前辰に基づき各地の電信分局へ同時に通報することとしている。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[264] ([TIME[2014-04-14 08:16:47 +09:00]] 版)
<http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/download/pdf/leaflet_07.pdf>
]FIGCAPTION]
> 以下に明治11年4月1日から実施された「正午報辰規則」(関
> 東電信電話百年史上巻による)の一部を紹介する。
> 1、毎日(1月1日、日曜日を除く)正午12時前5分には、本
> 線、枝線を経過する電報の送受を停止すること。
> 2、正午12時前3分にスイッチを向き換え、電流を流通させる
> こと。(これで電鈴が鳴り出す)
> 3、その流通は正午12時になると止む。その時刻をもって正午
> とすること。
> 4、枝線あるいはその他の接続局は、この時限中器械の電鍵を
> 押し下げ、電流を通ずること。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[265] ([TIME[2014-04-14 08:16:47 +09:00]] 版)
<http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/download/pdf/leaflet_07.pdf>
]FIGCAPTION]
> 当時は報時器を介して中央局から送られた信号により、各地方電信局の標準時間(当時は歯車式の時計を自鳴鐘といった)を鳴らしたようです。
]FIG]
*** 鉄道
[255] 明治時代初期の[[鉄道]]は、東京時または大阪時を採用していた [SRC[>>248]]
とも[[京都時]]が用いられた [SRC[>>252]] ともいわれています。
;; [256] しかし当時の時刻表にそのような注記があるわけでもなく、
詳細は不明です。
[HISTORY[
[257] 明治21年/1888年1月1日の[[標準時]]施行時点で次の路線が開通していました。
[FIG(list)[
- [[東海道線]]
-- [[旧暦]]明治5年5月7日/[[グレゴリオ暦]]1872年6月12日 [[品川]]-[[横浜]]仮開業
-- [[旧暦]]明治5年9月12日/[[グレゴリオ暦]]1872年10月14日 [[新橋]]-[[横浜]]正式開業
-- 明治7年/1874年5月11日 [[大阪]]-[[神戸]]開業
-- 明治22年1月時点: [[神戸]]-[[大津]] [[金ヶ崎]]-[[武豊]] [[浜松]]-[[大府]] [[国府津]]-[[新橋]]
- [[官営幌内鉄道]]
-- 明治13年/1880年11月28日 [[手宮]]-[[札幌]]
- [[日本鉄道]]
-- 明治16年/1883年7月28日開業
-- 明治22年1月時点: [[上野]]-[[前橋]] [[品川]]-[[赤羽]] [[大宮]]-[[塩竈]]
- [[阪堺鉄道]]
-- 明治18年/1885年12月29日 [[難波]]-[[大和川]]
- [[工部省釜石鉄道]]
-- 明治13年/1880年9月7日 本線、支線仮開業
-- 明治14年/1881年9月 支線全線開通
-- 明治15年/1882年12月 廃止
]FIG]
[258] [[東海道線]]が全通して東西が接続されるのは明治22年/1889年です。
]HISTORY]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[248] [CITE[世界時と日本標準時|子午線のまち・明石|明石市立天文科学館]]
([TIME[2015-11-22 03:06:46 +09:00]] 版)
<http://www.am12.jp/shigosen/sekaiji.html>
]FIGCAPTION]
> 日本で鉄道の敷設が始まったばかりの明治初期には、東京に始点を持つ鉄道は東京時刻で運行し、京阪神間の列車は大阪時刻で運転されていました。
]FIG]
*** 市民生活
[291] [[江戸時代]]には、[[和時計]]その他を根拠に、[[城]]内には[[太鼓]]で、
[[城下町]]には[[鐘]]により定期的な報時が行われていました。
;; [[時の鐘]]参照。
[292] [[明治]]以後は[[午砲]]や[[サイレン]]に置き換わっていき、
その根拠も[[電信]]等で受信した[[標準時]]となっていきました。
西洋式の置き時計や懐中時計も徐々に普及してきました。
;; [[ドン]]参照。
** 伊豆諸島
[76] [[伊豆諸島]]は古来[[伊豆国]]の一部でしたが、
昭和21年/1946年1月29日に[[日本]]の[[施政権]]が停止され、同年3月22日に復帰しています。
この間も引き続き本土と同じ[[標準時]]が用いられていたと考えられます。
** 小笠原諸島
[84] [[小笠原島]]は明治9年/1876年10月17日に[[日本]]領と確定しています。
その後明治24年/1891年に[[火山列島]] ([[硫黄島]]他)、
明治31年/1896年7月24日に[[南鳥島]]、
明治41年/1908年に[[中ノ鳥島]] (昭和21年/1946年海図から削除)、
昭和6年/1931年に[[沖ノ鳥島]]が編入されています。
明治6年/1973年より本土に適用されていた[[標準時]]が[[小笠原諸島]]にも適用されていたものと考えられます。
[42] [[小笠原諸島]]は昭和21年/1946年1月26日から昭和43年/1968年6月25日まで[[米国]]の支配下にありました。
当時どの[[時間帯]]が用いられていたのかは不明ですが、
日本の[[国会]]で返還時に[[標準時]]切り替えについて議論した形跡はありません。
[85] 返還後は本土と同じく[[中央標準時]]が用いられています。
[21] [[南鳥島]]には返還後も平成5年/1993年まで[[米国]]の[[沿岸警備隊]] ([[CG]]) が駐留しており、
[CODE[[[+11:00]]]] を使っていたといわれています。
同じく駐留している[[日本政府]]関係機関は当時から[[中央標準時]]を使っているようです。
;; [[南鳥島]]も参照してください。
** 竹島
[91] [[竹島]]は明治38年/1905年に[[日本]]の領土に確定しています。
以後本土と同じ[[標準時]]が適用されていると考えられます。
[92] 昭和28年/1953年に[[大韓民国]]に占領され、以後その支配下にあります。
現地では[[韓国]]の[[標準時]]が用いられていると考えられます。
[[韓国の標準時]]は基本的に[[日本]]と同じく [CODE[[[+09:00]]]] ですが、
昭和23年/1948年から昭和35年/1960年は[[夏時刻]]を実施している他、
一時 [CODE[[[+08:30]]]] に変更されたこともありました。
;; [[朝鮮半島の標準時]]も参照。
** 吐噶喇列島
[77] [[吐噶喇列島]]は古来[[薩摩国]] (明治30年/1897年より[[大隅国]]) の一部でしたが、
昭和21年/1946年2月2日から昭和27年/1952年2月9日まで[[米国]]の支配下にありました。
いずれの期間も基本的には本土と同じ[[標準時]]が使われていたと考えられます。
[78] [[米国]]支配下の[[琉球]]の一部として、[[夏時刻]]が実施されていたと思われます。
** 奄美群島
[67] [[奄美群島]]は[[江戸時代]]に[[薩摩藩]]/[[鹿児島藩]]
(明治4年/1871年より[[鹿児島県]]) の直轄地となり、
以後本土と同じ[[標準時]]が使われていたと考えられます。
[79] 昭和20年/1945年9月2日より[[米国]]支配下となり、
昭和21年/1946年2月2日に正式に行政分離され、
昭和28年/1953年12月24日まで[[米国]]支配下の[[琉球]]の一部となっています。
この間[[沖縄諸島]]と同じく[[夏時刻]]が実施されていたと思われます。
** 沖縄諸島
[68] [[琉球国]]には明治5年/1872年に既に[[琉球藩]]が設置されており、
本土と同じく明治6年/1873年より[[太陽暦]]、その後[[標準時]]が実施されたと考えられます。
[4] ただ明治12年/1879年まで[[琉球藩]]は引き続き暦 ([[時憲暦]])
を発行していたといいます ([[琉球暦]]) [SRC[>>27]]
から、実態としては[[琉球王国]]時代と変わっていなかったのかもしれません。
;; [30] 暦の計算上は[[北京]]時間が使われていました。
日常的には沖縄の地方天文時が使われていたのでしょう。
[40] 昭和21年/1946年から昭和47年/1972年5月14日まで[[米国]]の支配下にありましたが、
引き続き[[中央標準時]]が用いられていたものとみられます。
[41] [[夏時刻]]も実施されていたようですが、本土とは異なる期間だったようです。
[REFS[
- [27] [CITE[Amazon.co.jp: 暦の大事典: 岡田 芳朗, 神田 泰, 佐藤 次高, 高橋 正男, 古川 麒一郎, 松井 吉昭: 本]] ([TIME[2014-09-10 13:49:48 +09:00]] 版) <http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4254102372/wakaba1-22/>
]REFS]
** 大東諸島
[75] 明治28年/1885年には[[北大東島]]・[[南大東島]]が、
明治33年/1900年には[[沖大東島]]が (明治33年沖縄県告示第95号)
[[沖縄県]]に編入されています。
昭和21年/1946年から昭和47年/1972年5月14日まで[[琉球]]の一部として[[米国]]支配下にありました。
[80] いずれの期間も[[沖縄諸島]]と同じ[[標準時]]、[[夏時刻]]が実施されていたと思われます。
** 八重山列島と宮古列島
[81] [[琉球国]]の[[八重山列島]]と[[宮古列島]]でも本土と同じく明治6年/1873年より[[太陽暦]]、
その後[[標準時]]が実施されたと考えられます。
[69] 明治29年/1896年1月1日から昭和12年/1937年9月30日まで[[西部標準時]] (>>9)
が適用されていました。その後[[中央標準時]]に戻っています (>>65)。
[83] 昭和21年/1946年から昭和47年/1972年5月14日まで[[米国]]の支配下にありましたが、
引き続き[[中央標準時]]が用いられていたものとみられます。
[[沖縄諸島]]と同じく[[夏時刻]]も実施されていたようです。
** 尖閣諸島
[70] [[尖閣諸島]]は明治28年/1895年1月14日の[[閣議決定]] (明治28年内甲第2号閣議決定) [SRC[>>72]]
により正式に[[日本]]の領土に編入されています [SRC[>>71]] が、
それより後に公布・実施された[[西部標準時]]の適用範囲には明記されていません。
[[八重山郡]] (明治29年/1896年4月1日設置 [SRC[>>73]]) [[石垣村]]
(大正3年/1914年4月1日設置 [SRC[>>74]]、旧[[八重山村]]・明治41年/1908年設置 [SRC[>>74]]、現[[石垣市]])
に所属することから、[[八重山]]の一部として[[西部標準時]]の適用範囲内だったと思われます。
[82] 昭和21年/1946年から昭和47年/1972年5月14日まで[[米国]]の支配下にありましたが、
引き続き[[中央標準時]]が用いられていたものとみられます。
[[沖縄諸島]]と同じく[[夏時刻]]も実施されていたと思われます。
[REFS[
- [71] [CITE@ja[尖閣諸島情勢に関するQ&A | 外務省]] ([TIME[2014-06-18 06:21:09 +09:00]] 版) <http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#q2>
- [72] [CITE[標杭建設に関する閣議決定]] ([TIME[2014-08-29 16:11:41 +09:00]] 版) <http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a11rui715-1895/1895-01-14.html>
- [73] [CITE[中野文庫 - 沖縄県ノ郡編制ニ関スル件]] ([TIME[2014-08-29 16:19:39 +09:00]] 版) <http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rm29-13.htm#%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%83%8E%E9%83%A1%E7%B7%A8%E5%88%B6%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BB%B6(%E6%98%8E%E6%B2%BB29%E5%B9%B4%E5%8B%85%E4%BB%A4%E7%AC%AC13%E5%8F%B7)>
- [74] [CITE@ja[八重山村 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-22 11:58:54 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%87%8D%E5%B1%B1%E6%9D%91>
]REFS]
** 台湾、澎湖諸島、新南群島
[99] 明治28年/1895年に[[大日本帝国]]は[[澎湖諸島]]を占領、
明治28年/1895年5月8日締結の[[下関条約]]により[[台湾]]と[[澎湖諸島]]は[[日本]]領となります。
同年中に[[台湾]]平定の戦いが集結した後、
明治29年/1896年1月1日に[[西部標準時]] (>>9) が新設されました。
[[西部標準時]]は昭和12年/1937年9月30日まで適用されていましたが、
その後[[中央標準時]]に変更されています (>>65)。
;; [100] これ以前に[[清]]では近代的[[標準時]]は実施されていません。
[203] [[中央標準時]]統一に先立ち[[台湾軍]]は昭和12年/1937年8月15日午前0時をもって[[中央標準時]]に切り替えています
[SRC[>>202]]。
;; この「午前0時」がどちらの[[時間帯]]かは不明瞭ですが、[[中央標準時]]と解するべきでしょう。
[REFS[
- [202] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 台湾軍中央標準時使用の件]] ([TIME[2015-10-20 13:05:14 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C01007507700>
]REFS]
[108] 昭和13年/1938年に[[大日本帝国]]は[[新南群島]]を編入、[[台湾]]管下としています。
以後[[中央標準時]]が適用されたものと考えられます。
[103] [[日本]]の敗戦後の昭和20年/1945年9月21日には、
[[中央標準時]]から[[西部標準時]]に相当する[[時間帯]] [CODE[[[+08:00]]]]
に戻しています [SRC[>>102]]。9月21日午前1時が午前0時とされており [SRC[>>102]]、
午前0時から午前1時直前までが二度繰り返されたことになります。
[104] 1945年から1961年までと1974年、1975年、1979年には[[中華民国]]で[[夏時刻]]が実施されています
[SRC[>>105]]。ただし時系列的に1945年に台湾で実施されたとは考えにくく、
[[大陸]]でのみの[[夏時刻]]かもしれません。1946年以降は[[台湾]]でも[[夏時刻]]が実施されたとみられます。
[REFS[
- [102] [CITE@ja[臺灣ノ標準時ニ關スル件 (昭和二十年台湾総督府告示第三百八十六号) - Wikisource]] ([TIME[2014-07-30 06:57:49 +09:00]] 版) <https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%87%BA%E7%81%A3%E3%83%8E%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%83%8B%E9%97%9C%E3%82%B9%E3%83%AB%E4%BB%B6_(%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C%E5%91%8A%E7%A4%BA%E7%AC%AC%E4%B8%89%E7%99%BE%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%8F%B7)>
- [105] [CITE@zh[國家標準時間 - 维基百科,自由的百科全书]] ([TIME[2014-08-30 02:38:56 +09:00]] 版) <http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E5%AE%B6%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E9%96%93>
]REFS]
;; [107] [[台湾]]は昭和20年/1945年10月25日に[[中華民国]]に返還、
[[台湾総督府]]は1946年廃止。
;; [25] その後は[[台湾の標準時]]を参照してください。なお[[新南群島]] ([[南沙諸島]])
はその後一部を[[中華人民共和国]]、[[フィリピン]]、[[マレーシア]]、[[ベトナム]]が占領しています。
** 朝鮮
[120] [[大韓帝国]]は1908年/隆熙2年 (明治41年) に [CODE[[[+08:30]]]]
を[[標準時]]としていました。
[121] 明治43年/1910年に[[大日本帝国]]に併合された後、
明治45年/1912年 (大正元年) 1月1日には[[中央標準時]] [CODE[[[+09:00]]]]
を採用しました。
[95] [[日本]]を含む各国の[[租界]]が存在していましたが (大正3年/1914年までに解消)、
租界外と同じ[[標準時]]を採用していたと推測されます。
[34] なお[[鬱陵島]]は江戸時代に[[幕府]]が渡航禁止令を出し以後[[朝鮮]]領として扱われており、
[[日本]]の[[内地]]としての[[標準時]]が適用されたことはありません。
;; [94] 詳細およびその後の変遷は[[朝鮮半島の標準時]]を参照してください。
** 中国、満州、シベリア
[109] [[日清戦争]]により[[遼東半島]]は[[大日本帝国]]により[[占領]]され、
明治28年/1895年5月8日締結の[[下関条約]]により[[日本]]領となります。
しかし明治28年/1895年11月8日締結の[[遼東還付条約]]により返還しています。
この当時用いられていた[[時間帯]]は不明です。なお当時[[清]]では近代的[[標準時]]はまだ実施されていません。
[112] [[遼東半島]]はその後[[ロシア帝国]]が[[清]]から[[租借]]していましたが、
明治38年/1905年11月25日発効の[[ポーツマス条約]]により[[日本]]の[[租借地]]である[[関東州]]となりました。
(大正元年/1912年あるいは大正4年/1915年より[[中華民国]]からの[[租借地]]、
昭和7年/1932年より[[満州国]]からの[[租借地]]となっています。)
[207] [[日露戦争]]中明治37年/1904年5月5日には、東経123度子午線の時刻 = [CODE[+08:12]] を
5月25日以降の「満韓地方の基準時」とすることが軍部隊に通達されています [SRC[>>206]]。
しかし翌年1月8日には以後[[中央標準時]]を用いるよう指示されています [SRC[>>208, >>209, >>210]]。
[212] [[関東州]]および[[満鉄附属地]]では明治40年/1907年5月16日以後[[西部標準時]]
[CODE[[[+08:00]]]] が使われるようになりました [SRC[>>211]]。
[117] [[南満州鉄道]]では当初[[日本中央標準時]]が使われていましたが、
明治40年/1907年5月16日から[[日本西部標準時]]と同じ
[CODE[[[+08:00]]]] が使われるようになりました [SRC[>>118]]。
[119] [[日露戦争]]後[[満州国]]建国前の[[満州]]では[[中央標準時]] [CODE[[[+09:00]]]]
が用いられていたともいいます [SRC[要出典]]。 >>207
以後の[[日本]]側関係者や満鉄関係者 (>>117) は[[中央標準時]]を用いたということでしょうか。
[[日本]]の民間人はそれに従っていたのでしょうが、
現地民や中国政府機関がどうしていたのかは不明です。
[214] 昭和4年/1929年には[[関東庁]]管内各地の[[商工会議所]]からの陳情で[[夏時刻]]の採用が検討されていますが、
[[満鉄]]の運行や[[支那]]との調整に影響を及ぼすとして、
この年の実施は見送っています [SRC[>>211]]。
;; この当時欧米各国で[[夏時刻]]制の導入が進んでいました。
;; 大連商工会議所 >>228
[116] [[満州国]]では[[大同]]元年/1932年/昭和7年の建国より [CODE[[[+08:00]]]]
が採用されています ([[満州の標準時]]参照)。
これは建国前の[[中華民国]]のこの地域の標準時や、
[[関東州]]・[[満鉄附属地]]の採用する[[西部標準時]]と一致するものでした。
[220] [[昭和]]12年/1937年1月1日には、[[西部標準時]]に先立ち[[関東州]]および[[満鉄附属地]]は[[中央標準時]] [CODE[[[+09:00]]]] に移行しています。
これに合わせて[[満州国]]も、[[康徳]]4年/1937年1月1日より [CODE[[[+09:00]]]]
を標準時としています。
;; 前日午後11時をもって1月1日0時とされました。[[満州の標準時]]参照。
[219] なお昭和12年/1937年12月1日に[[満鉄附属地]]は[[満州国]]に返還されています。
[114] 昭和20年/1945年には[[ソビエト連邦]]が[[関東州]]を占領し、
[[中華民国]]からの[[ソビエト連邦]]の[[租借地]]となりましたが、
1950年代に[[中華人民共和国]]に返還されています [SRC[>>113]]。
この当時用いられていた[[時間帯]]は不明です。
[REFS[
- [206] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 日時計を使用し標準時を遼河経過の子午線と定むるの件 兵站総監、陸海軍大臣、軍司令官]] ([TIME[2015-10-20 13:30:26 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C06040631500>
- [208] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 38.1.8 発長岡次長 宛総参謀長外 本邦標準時刻採用通知に関する件]] ([TIME[2015-10-20 13:35:41 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C06040284000>
- [209] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 38.1.8 発大島兵站総監部参謀長 宛長岡次長 時刻統制に関する件]] ([TIME[2015-10-20 13:38:06 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C06040284100>
- [210] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 38.1.8 発長岡次長 宛次官 出征軍の使用時刻統制に関する件]] ([TIME[2015-10-20 13:38:56 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C06040284600>
- [211] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 夏時制実施に関する件]] ([TIME[2015-10-20 13:53:16 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C04016885600>
- [118] [CITE@ja[韓国標準時 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-27 17:35:43 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82#cite_ref-8>
- [113] [CITE[満洲の歴史--地理学の視点から]] ([TIME[2012-01-16 07:59:05 +09:00]] 版) <http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/09manchuria/column/history/#ch6>
- [228] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 大連商工会議所事務報告書. 昭和8年度]] ([TIME[2015-11-21 22:42:46 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114199/50?viewMode=>
]REFS]
[FIG(quote)[
>關東都督府管内標準時
> 明治四十年五月十四日 告示第三十五號
>關東都督府管内ノ標準時ハ明治四十年五月十六日ヨリ帝國西部標準時ニ據ル
[FIGCAPTION[
[213] [SRC[>>211]]
]FIGCAPTION]
]FIG]
;; [115] [[満州国]]と[[関東州]]に相当する地域の[[標準時]]の詳細については、
[[満州国の標準時]]を参照してください。
[110] [[ドイツ]]の[[膠州湾租借地]]は[[日独戦争]]により大正3年/1914年に[[大日本帝国]]が占領
(1914年11月7日[[独逸]]軍降伏)、
後に正式に[[ドイツ]]から[[日本]]に引き継がれた ([[対華二十一箇条要求]], [[ベルサイユ条約]]) 後、
大正11年/1922年6月2日発効の[[山東懸案解決に関する条約]]により[[中華民国]]に返還されています。
この当時用いられていた[[時間帯]]は不明です。
[205] [[陸軍省]]は、大正3年/1914年9月8日以後戦地で[[西部標準時]] ([CODE[[[+08:00]]]])
を用いることを指示しています [SRC[>>204]]。これは[[中国標準時]]と同じものです。
[REFS[
- [204] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 戦地に於ける標準時に関する件]] ([TIME[2015-10-20 13:11:04 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C03024304200>
]REFS]
[93] この他に[[中国]]には[[日本]]の[[租界]]や[[共同租界]]が存在していましたが、
現地の[[標準時]]を採用していたと推測されます。
[148] [[第二次世界大戦]]中の[[日本]]の占領下にあった昭和16年/1941年12月以降の[[香港]]では、
[[夏時刻]] [CODE[[[+09:00]]]] が常時用いられていましたが、昭和21年/1946年に元の[[時間帯]]に戻されています [SRC[>>147]]。
[[tzdata]] は昭和16年/1941年12月26日から昭和20年/1945年9月15日までを[[中央標準時]]としています [SRC[>>159]]。
[REFS[
- [147] [CITE@zh[香港時間 - 维基百科,自由的百科全书]] ([TIME[2014-08-19 13:45:44 +09:00]] 版) <http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%99%82%E9%96%93>
]REFS]
[201] 昭和17年/1942年には、[[南京]]の[[国民政府]]が[[大東亜戦争]]期間中[[夏時刻]]の適用を継続することを決定しています。
これにより ([[南京国民政府]]の立場では) 中国全土の時刻が[[中央標準時]]と同じ
[CODE[[[+09:00]]]] に統一されています。
;; [[中国標準時]]参照。
[111] この他[[日本軍]]は[[戦争]]等でしばしば[[中国]]、[[満州]]、[[シベリア]]等を占領していますが、
その当時どのような[[時間帯]]が用いられていたかは不明です。
;; [96] その後は[[中国の標準時]]を参照してください。
** 南洋群島
[122] 大正3年/1914年の[[日独戦争]]で赤道以北の[[独領ニューギニア]]を[[大日本帝国]]が占領し、