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1000
[1]
[TIME[昭和23年 (1948年)][year:1948]]
から[TIME[昭和26年 (1951年)][year:1951]]までの4年間、
[[日本]]では[[夏時刻]] ([[サンマータイム]])
が実施されました。
[SEE[ [[標準時]]については[[日本の標準時]]、[[外地]]の[[通年夏時刻]]については[[関東州の標準時]]、[[台湾の標準時]] ]]
* 制度の呼称
[10] [SEE[ [[昭和のサンマータイム]]に限らない一般的事項は[[夏時刻]] ]]
[22] [[日本政府]]内では当初[[デイライト・セイヴィング・タイム]] [SRC[>>634]]
や[[日光節約時間]]といった名称も用いられていましたが、
最終的に[[法律]]上の呼称は[[夏時刻]]となりました。
ただしその後も政府内では[[夏時間]]とも表記されることがあり、揺れていました。
[320] [[新聞]]報道を始め世間一般では[[サンマタイム]]、[[サンマータイム]]と呼ばれていました。
[[秋刀魚]]と掛けた[[駄洒落]]のようなものも広まっていたようです。
[296] [[新聞]]では[[日本]]における[[夏時刻]]制度の[[時刻]]のことを「[[日本夏時間]]」と表記していたようです
[SRC[>>284]]。
[297] [DFN[JDT]] と略されることもあります (当時から用いられていたのかは不明です)。
;;
[9] なお、従前の[[中央標準時]]はそのまま存続されました。
[[中央標準時]]と[[夏時刻]]の2つの[[時刻]]が存在し、
日常生活では両者を切り替えて用い、
[[気象観測]]など一部業務では専ら[[中央標準時]]のみを用いました。
-*-*-
[3] [[奄美]]を含む[[琉球]]地域では、
[[法令]]上[[日光節約時]]、[[日光節約時間]]と呼ばれていました。
[[琉球]]は[[米軍]]の[[軍政]]下にあり、[[米国]]風の呼称である
[[daylight saving time]] が軍政布告で採用されたと思われます。
[6] ただし[[サンマタイム]]と併記された例 [SRC[>>236]] もありました。
[5] [[日本人]] ([[琉球]]の住民) で構成される政府機関の議事録では専ら[[サンマータイム]]と呼ばれました。
[7] おそらく[[琉球]]でも現地住民は[[サンマータイム]]、[[サンマタイム]]と呼んでいたのでしょう。
* 時刻の呼称
[516] [SEE[ 他国の事例は[[閏時]] ]]
[628] [[日本]]本土の制度によれば、
開始日は1日が23時間で構成され、終了日は1日が25時間で構成されました。
[670] [CITE[夏時刻法]]は、実施の期間「の間は、
すべて中央標準時より一時間進めた時刻(夏時刻)を用いる」と定めており、
これに従えば開始日は1時 (午前1時) から始まり24時 (午後12時) で終わると解釈できます。
[FIG[ [42] [[夏時刻]]開始
[PRE[
----------+------------- - - ----------+---------
土 | 日 | 月
標準時 22 23 24|0 1 2 3 22 23 24|0 1 2
----------+------------- - - ------+---+---------
土 | 日 | 月
夏時刻 |1 2 3 4 23 24|0 1 2 3
----------+------------- - - ------+-------------
土 日
世界時 13 14 15 16 17 18 14 15 16 17 18
------------------------ - - --------------------
]PRE]
]FIG]
[19] 同様に終了日は0時 (午前0時) から24時 (午後12時) が存在すると解釈できますが、
その直後の1時間の余分な時間がどう呼ぶべき[[時刻]]なのか、
[CITE[夏時刻法]]からは判断できません。
[679] [[夏時刻法]]制定時の[[国会]]審議では、[[政府委員]]は
「四月の第一土曜日に次ぐ日曜日は、午前零時から一時までの一時間が消滅し、九月の第二土曜日の午後十一時から、翌日曜日の午前零時までが、二時間となりますので」
[SRC[>>495]] と言及していました。この日の最後の1時間がどのような[[時刻]]なのか、
やはり不明瞭です。
[672] [CITE[夏時刻法]]の条文「中央標準時より一時間進め」
るに文言そのままに従うなら、翌日午前0時-午前1時ということになります。
しかしこれでは[[夏時刻]]最後の1時間の[[日付]]が変わってしまい、
最終日は25時間で1日との[CITE[夏時刻法]]の規定と矛盾してしまいます
(図の㋒)。
[[日付]]は無視して[[時刻]]部分だけ「中央標準時より一時間進め」るなら、
2回目の午前0時-午前1時が24時間ぶりに訪れたとも解釈できますが、大変不自然です
(図の㋓)。
[51]
当時[[日本政府]]で[[夏時刻法]]を担当していた[[連絡調整事務局]]の文書には、
[[夏時刻]]から[[標準時]]に切り替える[[時刻]]は[[夏時刻]]の「午後[RUBY[十三時][◦◦◦]]」
[SRC[>>2246]] とありました (図の㋑)。
[TIME[2018年][year:2018]]に照会された
[[NICT]] [WEAK[(現在[[日本標準時]]を運用している政府機関)]]
の担当者も、午後12時59分の次が翌日午前0時0分となったと回答しました [SRC[>>2107]]。
ただその回答の根拠は示されていません。
(なお、[[東京五輪]]のため新たに[[夏時刻]]が導入された場合 ([SEE[ [[日本の標準時]] ]])
の呼称は不明と回答しました [SRC[>>2155]]。)
[343] 現代の文献は、[[24時間制]]で 24:00〜25:00 のように呼んでいる
[SRC[>>12, >>350, >>666]] ことが多いです (図の㋐)。
;; [41] [[国鉄]]では[[24時間制]]を用いていたはずですが、
当時の[[鉄道ダイヤ]]はどう表記されていたのでしょうか。
[295] 実際には、この時代に普及していた[[アナログ時計]]では、
深夜12時ないし就寝時に時計の針を1時間動かす方法で[[夏時刻]]への移行や復帰が行われました
(>>49)。
「12時」に1時間戻すという[[時計]]の動きに忠実に従うなら、
「午後11時59分」のあと、12時になった瞬間に再び
「午後11時」が訪れたということになります
(図の㋔)。
ただし、この方式では[CITE[夏時刻法]]よりも1時間早く[[中央標準時]]に復帰したと解釈する
(図の㋕) のが自然になってしまいます。
[FIG[ [45] [[夏時刻]]終了
[PRE[
----------+--------- - - --------------+-------------
| 土 | 日
標準時 22 23 24|0 1 2 21 22 23 24|0 1 2 3
後 後 後|前前 前 後 後 後 後|前前 前 前
10 11 12|0 1 2 9 10 11 12|0 1 2 3
------+------------- - - --------------+-------------
金 | 土 |
夏時刻㋐ 23 24|0 1 2 3 22 23 24 25|
| |
後 後|前前 前 前 後 後 後 後|
夏時刻㋑ 11 12|0 1 2 3 10 11 12 13|
| +---+
| |日 |
後 後|前前 前 前 後 後 後前前|
夏時刻㋒ 11 12|0 1 2 3 10 11 12|0 1|
| +---+
| 土 |
後 後|前前 前 前 後 後 後前前|
夏時刻㋓ 11 12|0 1 2 3 10 11 12 0 1|
| |
後 後|前前 前 前 後 後 後後後|
夏時刻㋔ 11 12|0 1 2 3 10 11 121112|
| +---+
後 後|前前 前 前 後 後 後|
夏時刻㋕ 11 12|0 1 2 3 10 11 12|
| +-------+
| |日 |
後 後|前前 前 前 後 後 後|前前 前|
夏時刻㋖ 11 12|0 1 2 3 10 11 12|0 1 2|
------+------------- - - ----------+-------+---------
金 土
世界時 13 14 12 13 14 15 16 17 18
-------------------- - - ----------------------------
]PRE]
]FIG]
-*-*-
[32] [[琉球]]の[[法令]]では異なる表現が用いられました。
いずれも同じ時刻が2度繰り返されたことになり、
両者の区別の方法が存在したのか不明です。
- [33]
[TIME[1948年6月1日0時][1948-06-01T00:00+09:00]]に1時間進めて
[TIME[1948年6月1日1時][1948-06-01T01:00+10:00]]
([[奄美]]) [SRC[>>234]]
- [36]
[TIME[1948年5月31日24時][1948-06-01T00:00+09:00]]に1時間進めて
[TIME[1948年6月1日1時][1948-06-01T01:00+10:00]]
([[八重山]]) [SRC[>>965]]
- [34]
[TIME[1948年9月12日0時][1948-09-12T00:00+10:00]]に1時間遅らせて
[TIME[1948年9月11日23時][1948-09-11T23:00+09:00]]
([[奄美]]) [SRC[>>236]]
-- 図の㋕
- [35]
[TIME[1948年9月13日0時][1948-09-13T00:00]]に切り替え
([[沖縄]]の政府議事録) [SRC[>>240, >>241]]
-- 図の㋕または㋒
- [37]
[TIME[1948年9月12日1時0分][1948-09-12T01:00]]に切り替え
([[八重山]]) [SRC[>>969]]
-- 図の㋒または㋖ (㋒か?)
- [38]
[TIME[1950年9月11日0時][1950-09-11T00:00+10:00]]に1時間遅らせて
[TIME[1950年9月10日23時][1950-09-10T23:00+09:00]]
([[八重山]]) [SRC[>>971]]
-- 図の㋕
;; [40]
厳密に言えば翌日0時になってから1時間戻すのでは各種[[法令]]上の[[日付]]や[[期間計算]]の取扱いに問題を生じる可能性があり、
当日24時に1時間戻すとするべきなのでしょうが、
そのような特別な配慮を行う[[法令]]は見当たらず、
実務上も問題無かったのでしょう。
[REFS[
- [2097] [CITE['''['''tz''']''' 1948-1951 Asia/Tokyo DST information]]
([TIME[2018-09-09 23:49:39 +09:00]])
<https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026798.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2107] [CITE['''['''tz''']''' Re: Inquiry to NICT about Japanese Summer time in 1948-1952.]]
(aya sekido ayasekido at nict.go.jp Tue Sep 11 07:28:04 UTC 2018 [TIME[2018-09-12 02:00:50 +09:00]])
<https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026801.html>
]FIGCAPTION]
> It is said that corresponding summer time was performed by instruction of the GHQ: General Headquarters (office of the Supreme Commander of the Allied Powers).
> We do not have detailed data about summer time then.
> According to the law of those days, the last day of summer time was made into 25 hours.
> What came after 12:59 p.m. of the last day was 00:00 a.m. of the next day.
]FIG]
- [2155] [CITE['''['''tz''']''' Japanese Summer time fallback transition in autumn 2020?]]
([TIME[2018-09-19 05:42:58 +09:00]])
<https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026859.html>
]REFS]
* 日本本土の夏時刻制
[317] [[日本]]の[[本土]]では、
[TIME[昭和23年][year:1948]]から[TIME[昭和26年][year:1951]]まで、
[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] を1時間進めた[[夏時刻]] [TZ[+10:00]]
が実施されていました。
** 実施期間
[18] [[夏時刻法]] [SRC[>>13, >>14]] によると、次のように[[夏時刻]]が運用されていました。
[FIG(table)[
:gyear: [[元号年]]
:year: [[西暦年]]
:old: 旧[[曜日]]
:old day: 旧[[日時]]
:new: 新[[曜日]]
:new day: 新[[日時]]
:notes: 備考
:gyear: [TIME[昭和23年][year:1948]]
:year: [TIME[1948年][year:1948]]
:old: 5月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[5月1日24時][1948-05-02T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[5月2日1時][1948-05-02T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和23年][year:1948]]
:year: [TIME[1948年][year:1948]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月11日25時][1948-09-11T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月12日0時][1948-09-12T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
:gyear: [TIME[昭和24年][year:1949]]
:year: [TIME[1949年][year:1949]]
:old: 4月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[4月2日24時][1949-04-03T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[4月3日1時][1949-04-03T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和24年][year:1949]]
:year: [TIME[1949年][year:1949]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月10日25時][1949-09-10T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月11日0時][1949-09-11T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
:gyear: [TIME[昭和25年][year:1950]]
:year: [TIME[1950年][year:1950]]
:old: 5月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[5月6日24時][1950-05-06T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[5月7日1時][1950-05-07T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和25年][year:1950]]
:year: [TIME[1950年][year:1950]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月9日25時][1950-09-09T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月10日0時][1950-09-10T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
:gyear: [TIME[昭和26年][year:1951]]
:year: [TIME[1951年][year:1951]]
:old: 5月第1[[土曜日]]
:old day: [TIME[5月5日24時][1951-05-05T00:00+09:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[5月6日1時][1951-05-06T01:00+10:00]]
:notes: [[夏時刻]] [TZ[+10:00]] 開始
:gyear: [TIME[昭和26年][year:1951]]
:year: [TIME[1951年][year:1951]]
:old: 9月第2[[土曜日]]
:old day: [TIME[9月8日25時][1951-09-08T25:00+10:00]]
:new: [[日曜日]]
:new day: [TIME[9月9日0時][1951-09-09T00:00+09:00]]
:notes: [[標準時]] [TZ[+09:00]] 復帰
]FIG]
-*-*-
[147] [[Time Changes]] の [[JAPAN]] は、次のように示していました [SRC[>>139]]。
- [TIME[1948-05-02]] - [TIME[1948-09-11]]
- [TIME[1949-04-03]] - [TIME[1949-09-10]]
- [TIME[1950-05-07]] - [TIME[1950-09-09]]
- [TIME[1951-05-06]] - [TIME[1951-09-08]]
[980] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Tokyo]] は、
次のように定義しています [SRC[>>159, >>64]]。
- [TIME[1948年][year:1948]]、[TIME[1950年][year:1950]]、[TIME[1951年][year:1951]]5月第1[[土曜日]]24時に1時間進める
- [TIME[1949年4月][1949-04]]第1土曜日24時に1時間進める
- [TIME[1948年][year:1948]]-[TIME[1951年][year:1951]]9月8日またはそれ以後の[[土曜日]]
25時に1時間戻す
-*-*-
[47]
[[土曜日]]と[[日曜日]]の間に切り替えを行うのは全世界的な慣習ですが、
[[日本]]本土においてこれを踏襲したのは、
「最初の日と最後の日の翌日の半日位は鉄道のダイヤに影響が残るので休日の日曜日ならその影響によつて起り得る混乱が最少限度ですむと考えたから」
でした [SRC[>>2246]]。
-*-*-
[49]
[[日本政府]]は、[[夏時刻]]への移行について、
厳密には[[土曜日]]から[[日曜日]]に変わった[TIME[0時][00:00]]に1時間進めるのだが、
一般には[[土曜日]]に就寝する際[[時計]]を1時間進めれば良い [SRC[>>2246]]
としていました。
[50]
[[標準時]]への復帰については、
[[土曜日]]の「午後十三時」に1時間遅らせるのだが、
一般には[[土曜日]]に就寝する際[[時計]]を1時間戻せば良い [SRC[>>2246]]
としていました。
[52]
「こんやの12時」に時計を調整して復帰するよう指示した当時の記録もあります [SRC[>>513]]。
[REFS[
- [139] [[Time Changes]] (1982)
]REFS]
*** 誤った説
[155] [[Shanks]] (1991 [SRC[>>150]], 2003 [SRC[>>270]])
は[[日本]]のうち Asiya Air Force Base、Atsugi Naval Air
Station (US)、Tachikawa Air Force Base、Yokosuka Naval Base (US)、Yokota Air Force Base (US)
で[[夏時刻]]が実施され、それ以外では実施されていないとしています。
[[Shanks]] のデータにおける[[米軍基地]]とそれ以外の[[日本]]との違いはこの[[夏時刻]]のみであり、
[[Shanks]] は[[米軍基地]]のみ[[夏時刻]]が実施されたとする何らかの情報を得ていたのかもしれませんが、
不明です。
この時代には他にも[[米軍基地]]や[[英軍基地]]が設置されていたはずですが、
それらには言及がありません。
[156] [[tzdata]] は、[[Shanks]] を引用しつつ、
[TIME[1951年][year:1951]]に[[日本政府]]が[[世論調査]]で[[夏時刻]]を廃止したとの情報を根拠に、
[[米軍基地]]限定とは考えにくいとし [CODE[Asia/Tokyo]] に[[夏時刻]]を適用しています
[SRC[>>159]]。
-*-*-
[622] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Tokyo]] は、
[TIME[2018年1月][2018-01]]の改訂 [SRC[>>979]] まで、
次のように定義していました [SRC[>>159]]。
- [TIME[1948年][year:1948]]、[TIME[1950年][year:1950]]、[TIME[1951年][year:1951]]
5月第1日曜日2時0分に1時間進める
- [TIME[1949年4月][1949-04]]第1日曜日2時0分に1時間進める
- [TIME[1948年][year:1948]]-[TIME[1951年][year:1951]]の
[TIME[9月8日][--09-08]]またはそれ以後の土曜日2時に1時間戻す
[158] [[Shanks]] ([TIME[2003][year:2003]] [SRC[>>270]]) と
[TIME[2018年][year:2018]]の改訂 [SRC[>>979]] 以前の [[tzdata]] は、
切り替えの[[時刻]]を[TIME[2時0分][02:00]]としていました。
その根拠は不明です。[CITE[夏時刻法]]と明らかに矛盾しており、誤りと考えられます [SRC[>>157]]。
境界を2時とするのは[[米国]]式の制度であり、 [[GHQ]]
や[[米軍基地]]が[[日本]]国内とは異なる制度を用いていた可能性も残りますが、
[[日本]]の[[本土]]のみならず[[米国占領地琉球]]や[[米国占領地南朝鮮]]・[[大韓民国]]でも0時を境界としていたのですから、
[[Shanks]] またはその情報源が誤解または根拠なく情報を補ったと推測する方が自然です。
[54]
[TIME[1948年4月28日][1948-04-28]]の[[日本政府]]の[[連絡調整事務局]]
([[GHQ]] との連絡担当の部署) の文書は、
[[日本政府]]は[TIME[5月1日][1948-05-01]]と
[TIME[2日][1948-05-02]]の[TIME[間の夜半][1948-05-02T00:00]]に[[夏時刻]]を採用するとした上で、
「[[占領軍]]においても夏時刻を採用される由でる」としていました。
[SRC[>>2246]]
そもそも [[GHQ]] からの提案で[[連絡調整事務局]]が主導した[[夏時刻]]の実施方法が[[日本政府]]と
[[GHQ]] とで異なっているとは考えにくく、
[[連絡調整事務局]]が何ら特記していない以上、 [[GHQ]]
独自制度は存在していないと判断するのが妥当でしょう。
[89]
また、[TIME[2018年9月][2018-09]]の改訂までの [[tzdata]] は、
終了を
- [TIME[1948年][year:1948]]-[TIME[1951年][year:1951]]9月9日またはそれ以後の[[日曜日]]0時に1時間戻す
... としていました [SRC[>>979, >>64]]。この古い定義では[[夏時刻]]最後の24時から25時までが[[標準時]]扱いになっていました
(図 >>45 の㋕相当) が、
修正後は25時までが[[夏時刻]]として扱われるようになりました
(図 >>45 の㋐相当)。
[91]
これらの [[tzdata]] の変更は、より歴史的事実を正しく表現するための修正でしたが、
古い定義に依存していた[[ソフトウェア]]が誤動作する事例がいくつか報告されました
[SRC[>>67, >>88]]。 (これ自体は珍しいことではなく、 [[tzdata]]
の更新のたびに世界中で報告があります。仕組み上不可避の問題です。)
また、新たな定義が25時を境界としたため、 [[Java]] 用の [[tzdata]]
処理プログラムなど24時より大きな[[時刻]]を扱えない ([[tzdata]]
の暗黙の仕様を正確に実装したいなかった) ソフトウェアで問題が起こったことが多数報告されました。
[REFS[
- [150] [CITE[「South Ryukyu Islandsの謎」調査の中間報告 および 最終報告]] ([TIME[2008-01-25 08:07:00 +09:00]] 版) <http://www.tomo.gr.jp/root/9925.html>
- [270] [[Shanks & Pottenger]] [CITE@en[The International Atlas]] (2003)
- [157] [CITE[日付と時刻の豆知識 (4)tz databaseと日本のサマータイム - hnwの日記]] ([TIME[2014-08-25 04:34:13 +09:00]] 版) <http://d.hatena.ne.jp/hnw/20101223>
- [159] [[tzdata]]
-- ([TIME[2014-08-06 16:40:17 +09:00]] 版) <https://www.ietf.org/timezones/data/asia>
-- [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2017-09-07 22:25:34 +09:00]]) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L1440>
- [981] [CITE['''['''tz''']''' The Japanese time zone rule is wrong.]] ([TIME[2018-01-24 20:46:38 +09:00]]) <http://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-January/025896.html>
- [979] [CITE@en[Fix Japan DST transition times in 1948-1951]]
([[eggert]]著, [TIME[2018-01-22 11:50:36 +09:00]])
<https://github.com/eggert/tz/commit/bbd0ea690201acab766db57142f9aa0abba30613>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[517] [CITE@en[Japan Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2016-09-14 19:13:45 +09:00]])
<https://en.wikipedia.org/wiki/Japan_Standard_Time>
]FIGCAPTION]
> In 1948–1951 occupied Japan observed daylight saving time (DST) from the first Sunday in May at 02:00 to the second Saturday in September at 02:00, except that the 1949 spring-forward transition was the first Sunday in April. [4]
;; 出典 [4] は [[tzdata]]。
]FIG]
- [64] [CITE@en[1948/51 Japan fallbacks were at 25:00]]
([[eggert]]著, [TIME[2018-09-28 01:20:10 +09:00]])
<https://github.com/eggert/tz/commit/40ab5979c3226dcd1f52d6012d8ee5fe53ab148b>
- [67] [CITE@ja[Yusuke Endohさんのツイート: "何もしていないのにRubyのテストが失敗し始めた……ので、何人かのコミッタと調査したところ、1949年から1951年に行われた日本のサマータイムについてタイムゾーンデータベースが微妙に更新された(ずれる時刻が1時間ずれていたので直された)ことが原因とわかりました。 https://t.co/xOxOOUvAyN"]]
([TIME[2018-10-28 18:37:06 +09:00]])
<https://twitter.com/mametter/status/1055623525141082112>
- [88] [CITE[日本にもあるサマータイム問題 - Qiita]]
(@m_mouri 2018年12月18日に更新 [TIME[2018-12-19 17:45:28 +09:00]])
<https://qiita.com/m_mouri/items/10bd97f0dd38a966bce2>
]REFS]
-*-*-
[80]
いくつかの [[Webページ]]は、
4年目の[TIME[昭和26年][year:1951]]の終了について、
[TIME[9月7日金曜日][1951-09-07]]で「打ち切られた」としています。
記載内容の類似性から、
[[Wikipedia]] [SRC[>>2033]] がこれらの大元と推測されます。
[81] [[Wikipedia]] は[CITE[大衆文化事典]]を出典としていますが、
[CITE[大衆文化事典]]がどう記載しているのかは不明です。
[82]
[CITE[夏時刻法]]に基づく本来の終了は[TIME[翌8日土曜日][1951-09-08]]と
[TIME[9日日曜日][1951-09-09]]の間でした。
それが[[日本国との平和条約]]の締結により「打ち切られ」たというのです。
[83]
しかしわずか1日終了を早める必要性は感じられず、
混乱の元にしかみえません。
[[夏時刻]]の期間は[[法律]]で定められていますから、
その変更には[[法律]]の制定 (改正) が必要ですが、
条約締結を受けて[[国会]]で審議し、1日早めるというのはスケジュール的に無理がありすぎます。
実際そうした[[法律]]は制定されていませんし、
前後の[[官報]]にもそれらしき記載はまったくありません。
[84]
さらに、
[[日本国との平和条約]]が[[調印]]されたのは、
[[サンフランシスコ]]現地時間の[TIME[1951年9月'''8日'''][1951-09-08]]でした。
[TIME[前日の7日][1951-09-07]]には[[日本国]]の[[内閣総理大臣]]で首席全権の[[吉田茂]]が条約受諾の演説を行ったようです
[SRC[>>85]] から、
それで締結がほぼ確定したといえるかもしれませんが、
[[時差]]を考えれば[[日本]]では既に
[TIME[7日][1951-09-07]]は終わりかけていたか、
[TIME[8日][1951-09-08]]になってしまっていたはずです。
条約締結を受けて[[夏時刻]]を「打ち切る」ことは、
物理的に不可能です。
[86] 締結だけで[[発効]]どころか[[批准]]すらしていない[[条約]]を根拠にするのもおかしな話です。
[87]
[[日本国との平和条約]]の[[発効]]後の
[TIME[1952年][year:1952]]から[[夏時刻]]が廃止され実施されなくなった、
というのが歪んで生まれた誤情報でしょうか。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2033] [CITE@ja[夏時間 - Wikipedia]]
([TIME[2018-09-03 01:06:01 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%99%82%E9%96%93#%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%9C%9F>
]FIGCAPTION]
> 1951年(昭和26年)度はサンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られ[21]
> [21] 『大衆文化事典』「サンマータイム」の項(鷹橋信夫)、pp.299-300
]FIG]
- [85] [CITE@ja[日本国との平和条約 - Wikipedia]] ([TIME[2018-12-08 11:22:22 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2029] [CITE@ja[批判続出のサマータイム導入案、標準時を通報している情報通信研究機構に聞いてみた - 弁護士ドットコム]]
([TIME[2018-09-07 19:23:24 +09:00]])
<https://www.bengo4.com/internet/n_8461/>
]FIGCAPTION]
> 4年目:1951年(S26) 5/5(第1土)24時〜9/7(第2金)打ち切り(講和条約締結)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2030] [CITE@ja[批判続出のサマータイム導入案、標準時を通報している情報通信研究機構に聞いてみた - 弁護士ドットコム]]
([TIME[2018-09-07 19:25:17 +09:00]])
<https://www.bengo4.com/internet/n_8461/>
]FIGCAPTION]
> 1年目:1948年(S23) 4/28夏時間法公布 5/1(第1土)24時〜9/11(第2土)25時
> 2年目:1949年(S24) 4/2(第1土)24時〜9/10(第2土)25時
> 3年目:1950年(S25) 3/31一部法改正(4月→5月) 5/6(第1土)24時〜9/9(第2土)25時
> 4年目:1951年(S26) 5/5(第1土)24時〜9/7(第2金)打ち切り(講和条約締結)
> 実施せず:1952年(S27) 4/11法廃止 4/27占領終了 4/28講和条約発効
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2032] [CITE@ja[サマータイムの導入に賛成か? - 素人が新聞記事書いてみた]]
([TIME[2018-09-07 19:26:02 +09:00]])
<https://www.newspaper-ama.com/entry/2018/09/02/161936>
]FIGCAPTION]
> 昭和26年(1951年)9月7日で打ち切られた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[78] [CITE@ja[日刊キーワードと話のネタ サマータイム (2018年09月04日発行) | 日刊キーワードと話のネタ - メルマ!]]
(2018-09-04 発行 第2976号 [TIME[2018-12-09 20:02:08 +09:00]])
<http://melma.com/backnumber_161119_6729256/>
]FIGCAPTION]
> ・1948/05/02 (日) 昭和23
> サマータイム実施。GHQの命令で9月11日まで時計を1時間早めた。不評で1951年9月7日打ち切り。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[79] [CITE@ja[サマータイムを日本で導入したときのシステム影響を元SEが考えてみる - ゲームがやりたい]]
(2018-08-11 [TIME[2018-12-09 20:14:02 +09:00]])
<http://www.yaritai.games/entry/work/summertime>
]FIGCAPTION]
> 1948年~1951年の3年間、第二次世界大戦の敗戦後に導入されていました。夏時刻法という法律が制定されていたのですが、サンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られています。*1
> [SNIP[]]
> *1:ISBN:9784335550461 『大衆文化事典』より
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2031] [CITE[日本のサマータイム導入期間の日付データをデータローダでインポートする際の注意事項]]
([TIME[2018-09-07 19:25:33 +09:00]])
<https://help.salesforce.com/articleView?id=000247699&language=ja&type=1>
]FIGCAPTION]
> 1948 年 5 月 2 日から 1948 年 9 月10 日まで
> 1949 年 4 月 3 日から 1949 年 9 月 9 日まで
> 1950 年 5 月 7 日から 1950 年 9 月 8 日まで
> 1951 年 5 月 6 日から 1951 年 9 月 7 日まで
]FIG]
;; どの年も開始日と終了日が範囲から外れているが、誤りなのか境界日だけ別の事情があって除外されているのか不明。
]REFS]
** 実施以前
[8] [SEE[ [[大東亜戦争]]の[[終戦]]までの経緯は、[[日本の標準時]] ]]
[742] [[大東亜戦争]]の[[終戦]]の後の[TIME[1945年12月][1945-12]]の[[帝国議会]]で、
[[貴族院議員]]の[[向山均]]が電力不足に関する[[質問]]内で[RUBY[[[夏季時間]]][[[サンマー・タイム]]]]の導入を求めたのに対し、
[[商工大臣]]の[[小笠原三九郎]]は検討中だと回答しました [SRC[>>741]]。
もっとも小笠原は[[夏時刻]]についてピンときていないようで、
当人が推進していたのではなく[[商工省]]内で検討もされていたという程度なのでしょう。
;; [30] 資源不足対策としての[[夏時刻]]実施は戦時下でも度々検討されていたようですから、
このときも政府内で候補に挙がっていたとして何ら不思議はありません。
;; [26] 小笠原は[TIME[翌年][year:1946]][[公職追放]]により[[辞職]]を余儀なくされ、
向山も[TIME[同年][year:1946]]に議員辞職していますが、
これらが[[夏時刻]]に影響を与えたかは不明です。
[597] [[日本]]本土の[[昭和のサンマータイム]]実施は、
[[GHQ]] [[経済科学局長]][[マーカット少将]]の覚書、
“日本におけるデーライト・セービング採用についての計画”に端を発するとされています
[SRC[>>598]]。これが何年のものかは不明です。
[11]
[TIME[昭和21年5月21日][1946-05-21]]、
[[聯合軍司令部]]は、
[[日本政府]]の[[東京天文台]]長の[[関口鯉吉]]に対し、
[[夏時法]]の実施を「希望的意見」として口頭で示し、
意見を求めました。
関口は、
天文台として技術的問題は無いものの、
「我國社会ノ特殊事情」より実施の必要はなく、
移行時の混乱が予想されることから好ましくない、と回答しました。
関口は次のような見解を有していました。
[SRC[>>2245]]
- [17]
[[夏時刻]]の利点とされる1つに早起きがあるが、
日本国民には夏の早起きの習慣が既にある。
夏と冬とで勤務時間を変える習慣があるから自然に実行されている。
- [20]
[[夏時刻]]の利点とされる1つに就寝が早くなり照明電力が節約されるとあるが、
日本の気候は冬は寒帯性、夏は熱帯性・海洋性であるから、
欧米の文化国家とは事情が異なる。
夏は蒸熱甚だしく、夜遅くまで寝付けないため、
照明節約効果は薄い。
- [90]
日本では夏季の始業を1時間早め、
場合によっては終業も遅らせる勤務形態が採られている。
[[夏時刻]]を実施して勤務時間を変更しない場合、
労働時間が1時間以上減少して経済損失につながる。
我が国の風土に合った季節性勤務体系の方が[[夏時刻]]制より適切だ。
- [23]
家庭内では[[標準時]]換算して行動する者が多いだろう。
[[改暦]]から数十年経って未だ[[旧暦]]が用いられることから推して知るべし。
国民に二重生活の不便を強いる。
;; [24]
暑さによる睡眠問題や一般家庭の二重時間問題が実施前から明確に予測されていました。
夏の暑さと就寝時刻の関係については、
約10年前の[[台湾の標準時]]改正 ([[通年夏時刻]]採用) でも問題となっていました
([SEE[ [[大東亜の標準時]] ]])。
20世紀末から21世紀の[[日本]]の[[サマータイム]]の議論では、
現代の季節変動の少ない労働時間が前提になっており、
賛成派も反対派も当時の労働慣習にまで踏み込んだ分析をできていないように思われます。
[25]
関口の反対に納得したのか、
あるいは他方面からも反対が多かったのか、
[TIME[この年][year:1946]][[夏時刻]]は実施されませんでした。
;; [27]
関口は[TIME[1936年][year:1936]]から[[東京天文台]]長を務めてきましたが、
[TIME[この年][year:1946]]定年退官しました。
-*-*-
[746]
[TIME[昭和22年5月27日][1947-05-27]]、
[[総司令部]]連絡部から[[日本政府]]に対し、
[[デイライト・セイヴィング・タイム]]実施の公算が大きいとし、
準備を進めるよう連絡がありました [SRC[>>634]]。
[29] 具体的な実施日の言及はありませんが、
[TIME[この年][year:1947]]の夏、すなわち連絡後早々にも開始することを目指していたのでしょうか。
しかし結局[TIME[この年][year:1947]]も[[夏時刻]]は実施されませんでした。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[741] [CITE[貴族院第89回予算委員会第2号 帝国議会会議録検索システム]]
([TIME[昭和二十年十二月十四日(金曜日)][1945-12-14]], [TIME[2014-12-01 18:34:31 +09:00]]) <http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/kizokuin/089/0080/0890008000211214.html>
]FIGCAPTION]
>
[TALK[ 男爵向山均君
只今の停電に付きましては、尚市販に甚だ怪しげな電熱器が氾濫して居ります、之に關する取締をやつて戴きたいと思ひますが、之に付て伺ひます、「ダム」に付ては失業救濟が大きな目的のやうな御話でございますが、勿論結構でございます、過去に於て我が國の土木技術が非常に遲れたのは、失業救濟に重點を置き過ぎた結果であると考へます、米國から來た色色の土木機械等も十分參考にされて、失業救濟に重點を置き過ぎないやうにして行かれたいと希望を申上げます、それからもう一つ伺ひたいのは此の際夏季時間を利用する準備を始めたらどうか、之に對する用意があるかどうかと云ふことを伺ひたいのであります、若し御答へ戴く方が居らつしやらなければ、其の旨御話願つて、適當な機會に伺ひたいと存じます
]TALK]
[TALK[ 國務大臣(小笠原三九郎君)
向山男爵の御懸念になつて居る不良な電熱器が出て居ることは私共も取締らなければならぬと思つて居ります、只今の所商工省で規格を決めて、合格品には「レッテル」を貼つて、優良品を示して其の普及に努めて居る次第であります、尚「ダム」の問題は失業救濟の意味もありますが、寧ろ渇水期に於ける電力の不足其の他を圓滑に補ふやうにと云ふことを主として、同時に下水、治水問題等も併せ考へて居る次第であります、尚もう一つの問題は私ちよつと分り兼ねましたが……
]TALK]
[TALK[ 男爵向山均君
「サンマー・タイム」のことです、何とか我々は太陽と共に起き、太陽が出てから怠けて居ることは面白くない、我々は太陽と共に働きたいと思ふのであります
]TALK]
[TALK[ 國務大臣(小笠原三九郎君)
其のことでありますれば御趣意に添ふやうに私共も準備を進めて居ります
]TALK]
]FIG]
- [2245]
[CITE[夏時法實施二関スル件]],
天 第八十五號,
[TIME[昭和二十一年五月二十六日][1946-05-26]],
[[東京天文臺]]長 [[関口[ASIS[鯉][[[偏]]は𩵋]]吉][関口鯉吉]],
科𭓇教育局長 [[清水謹一]]宛
([TIME[2018-09-21 21:31:43 +09:00]])
<https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FB2C6BBFEB9EFdst_memo.pdf>
- [634] [CITE[デイライト・セイヴィング・タイムに関する件]]
([TIME[昭和22年06月02日][1947-06-02]])
- [598] [CITE@ja[第174回国会 予算委員会第一分科会 第1号(平成22年2月25日(木曜日))]] ([TIME[2017-08-02 09:09:24 +09:00]]) <http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/003117420100225001.htm>
]REFS]
** 1年目 昭和23年
[775] [TIME[1948年4月9日][1948-04-09]]、
[[日本政府]]は[[夏時刻]]の実施を[[閣議決定]]しました [SRC[>>1675, >>774]]。
当時の報道では、
[TIME[5月1日0時][1948-05-01T00:00+09:00]]を
[TIME[1時][1948-05-01T01:00+10:00]]とし、9月一杯実施するとされていました [SRC[>>1675]]。
終了時期が遅いですが、当初予定がそうだったのか、
不正確な報道だったのかは不明です。
[747] [TIME[昭和23年4月13日][1948-04-13]]には、
[CITE[夏時間に[ASIS[関][関の門は门]]する件][夏時間に関する件]]が[[閣議決定]]されました
[SRC[>>632]]。本件文書は[TIME[前日][1948-04-12]]から[TIME[当日][1948-04-13]]にかけてのいくつかのバージョンが残っており、
変更点が書き入れられたものもあります。
[748] 細かい点は変更が多いですが、大枠においては最終的な[CITE[夏時刻法]]と同じ内容が既に含まれていました。
制度の呼称について、初期の版では[[日光節約時[ASIS[間][間の門は门]]][日光節約時間]] [SRC[>>633]]
となっていましたが、最終版 [SRC[>>631]] では[[夏時間]]となっています。
また本制度の[[時]]の呼称として[[夏季時]]や[[夏時]] [SRC[>>633]] も検討されていたものの、
最終的に[[夏時[ASIS[間][間の門は门]]][夏時間]] [SRC[>>631]] となっています。
もっとも、それも仮称となっています。
;; [31] [[GHQ]] ([[米国]]) の希望で導入された[[夏時刻]]制度の呼称が[[米国]]式の[[日光節約時]]ではなく、
[[欧州]]式の[[夏時間]]となった事情は謎です。
[749] 初回実施は、[TIME[五月一日午後十二時(二四〇〇)][1948-05-02T00:00:00+09:00]]を[TIME[五月二日午前一時(〇一〇〇)][1948-05-02T01:00+10:00]]とすることになっていました。
以後の開始は4月10日前後、終了は9月10日前後 (初年は9月11日) とされていましたが、
最終的に4月第1土曜日と9月第2土曜日となりました。
[750] また特に制度上の措置が必要な項目として、[[期間計算]]、[[天文台]]の[[報時]]、
列車運行、労働時間・給与計算が挙げられていました。後の実施時には、
労働時間について[[政令]]で特例が定められましたが、それ以外の法的措置はとられていません。
列車については、[[国鉄]]の運行上調整が行われていたようです。
[[報時]]はもとより[[中央標準時]]によるものとなっていますが、
[CITE[夏時刻法]]にはそれを否定しない規定があるため、それでカバーされているのでしょう。
[[法令]]上の[[期間計算]]については特別な規定がなされなかったのですが、
特に必要ないと判断されたということでしょうか。
-*-*-
[751] [TIME[昭和23年4月16日][1948-04-16]]付けの文書 [SRC[>>616]] では、
[[法律]]案として整えられた形になっています。要旨は[[閣議決定]]と変わっていませんが、
呼称が[[夏時刻]]に定まったことがわかります。
[777] [TIME[1948年4月22日][1948-04-22]]、[[外務省]]が
[TIME[5月1日][1948-05-01]]からの[[夏時刻]]実施を告知しました [SRC[>>776]]。
[752] [TIME[昭和23年4月27日][1948-04-27]]、
[[衆議院]]で[[川崎秀二]]が政府案に対する修正案を提示しました [SRC[>>684]]。
これは内容としては変更がなく、[[法律]]としての体裁を整えるもので、
ここで最終的な初代[CITE[夏時刻法]]が完成しました。
[[国会]]ではその他にはいくつか実施上の事項について質問があった程度で、
特別反対する意見もなく、スムーズに審議が進んだようです。
;; [1916]
[[川崎秀二]]は後に廃止にも関わりました (>>795)。
[753] そして[[衆議院]]では[TIME[その日][1948-04-27]]のうちに [SRC[>>695]]、
[[参議院]]では[TIME[翌日][1948-04-28]]に [SRC[>>690]] [[可決]]され、
[TIME[昭和二十三年四月二十八日][1948-04-28]][[法律]]第二十九号[CITE[夏時刻法]]
[SRC[>>13]] として即日[[公布]]・[[施行]]されました。
[TIME[5月1日][1948-05-01]]の初回実施まで、わずか3日でした。
[46]
[TIME[昭和23年4月28日][1948-04-28]]、
[[日本政府]]の[[連絡調整事務局]]は、
[CITE[夏時刻法]]成立を受けて制度の解説 [SRC[>>2246]] を政府内に配布したようです。
ここでは[[夏時刻]]のメリットが次のように説明されていました。
- [55] 特に都会生活者は、
帰宅から日没まで1時間長くなるため、
菜園作り、内職、家族団欒などに供することが出来、保険上、経済上の好結果がもたらされるはず。
- [56] [[電力]]や[[石炭]]の節約が大いに期待される。
[48]
本来の制度では4月の第1土曜日と翌日曜日の間に[[夏時刻]]が開始されることとなっていましたが、
[TIME[この年][year:1948]]は既に過ぎていたため、5月の第1土曜日と翌日曜日の間となりました。
ところがそれがたまたま[TIME[5月1日][1948-05-01]]と
[TIME[5月2日][1948-05-02]]の間だったため、
4月と5月の間で切り替えるとの誤解が広がっていました。
[[連絡調整事務局]]は、
[TIME[5月1日][1948-05-01]]の日中は[[標準時]]のままであるとし、
各方面に訂正の協力を求めました。 [SRC[>>2246]]
-*-*-
[16] [[総理庁審議室]]と[[中央連絡調整事務局]]により [SRC[>>1187]]
実態調査が行われました [SRC[>>316]]。
[TIME[7月30日][1948-07-30]]付けのメモ [SRC[>>315]]では、[[夏時刻]]制を継続するか廃止するか、
[[夏時刻]]制と政府執務時間の関係をどうするかが政府内部で検討されていたことがわかります。
結論としては、
節電に大きな効果が認められ [SRC[>>1187]]、
[[夏時刻]]制を継続するべきとなったようです。
他に[[通年夏時刻]] [TZ[+10:00]] や、[[冬時間]] [TZ[+10:00]]、[[夏時間]] [TZ[+11:00]]
の[[ダブルサマータイム]]も候補に挙げられていましたが、
将来の研究 [SRC[>>1187]] に先送りされました。
[612]
[TIME[昭和二十三年九月一日][1948-09-01]][[政令]]第二百八十号
[CITE[夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令]]
([TIME[即日][1948-09-01]][[施行]]) [SRC[>>613]] は、
[[夏時刻]]から[[標準時]]への復帰に伴い1日が25時間となる[[日]]が生じることに関連して、
[[労働基準法]]の労働時間の規制を1時間分緩和することを定めました。
[53]
終了時の特例の必要性は[CITE[夏時刻法]]制定当時から認識されており、
[CITE[夏時刻法]]の[[政令]]への委任条項が盛り込まれたのも[[労働時間]]の例外設定のためでした
[SRC[>>2246]] が、
この[[政令]]自体の検討が始まったのは[TIME[8月26日][1948-08-26]]頃だったようです [SRC[>>244]]。
[620] [TIME[9月11日][1948-09-11]]は[[閏時]]を含む25時間の[[日]]となり、
[TIME[翌日9月12日][1948-09-12]]から[[中央標準時]]に復帰しました。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[774]
[CITE[Newspaper Article - Untitled, Morning Tribune, 10 April 1948, Page 1]]
([TIME[2018-10-06 16:48:20 +09:00]])
<http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/morningtribune19480410-1.2.10>
]FIGCAPTION]
> tokio. April 9. -The Japan* eso Cabinet haJ decided to have daylight saving time in Japan for the fust time, moving clocks up one hour. U.P.
]FIG]
- [633] [CITE@ja[芦田内閣次官会議書類(その1)昭和23年3月11日~昭和23年4月28日]]
[CITE[日光節約時間採用に関する件(閣議決定案)(総審)]]
(昭和23年04月12日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:54:46 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006041216592540021>
- [630] [CITE@ja[芦田内閣閣議書類(その2)昭和23年4月2日~昭和23年4月30日]]
[CITE[夏時間採用に関する件(閣議決定案)(総審)]]
([TIME[昭和23年04月13日][1948-04-13]], [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:49:57 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006041216595340081>
- [602] [CITE@ja[夏時間採用の件(閣議決定案)]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-11 23:53:20 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000240042&ID=&TYPE=&NO=>
- [631] [CITE@ja[昭和二十三年総理庁公文・巻一・内閣官房・総理庁一 総理庁官房一 人事課、会計課]]
[CITE[夏時間採用に関する件]]
(昭和23年04月13日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:51:21 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000686623>
- [632] [CITE@ja[公文類聚・第七十三編・昭和二十三年・第百二十三巻・学事全・教育刷新委員会委員長報告]]
[CITE[夏時間採用に関する件]]
(昭和23年04月13日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:52:58 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001781639>
- [616] [CITE@ja[法律政令綴 昭和23年自1月至4月]]
([TIME[昭和23年04月16日][1948-04-16]], [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:25:56 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814085916160>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[776] [CITE[Newspaper Full Page - The Straits Times, 23 April 1948, Page 1]] ([TIME[2017-11-14 21:54:21 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Page/straitstimes19480423-1.1.1>
]FIGCAPTION]
>DAYLIGHT SAVING tokio. Thursday. The' Japanese Foreign Office an- j n>u. ced yesterday that day-i lipht saving time would beer me effective on May 1. A.P.
]FIG]
- [686] [CITE[衆議院会議録情報 第002回国会 労働委員会 第3号]] (昭和二十三年四月二十六日(月曜日) [TIME[2014-11-28 18:23:59 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0808/00204260808003a.html>
- [684] [CITE[衆議院会議録情報 第002回国会 労働委員会 第4号]]
([TIME[昭和二十三年四月二十七日(火曜日)][1948-04-27]], [TIME[2014-11-28 18:20:48 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0808/00204270808004a.html>
- [495] [CITE[参議院会議録情報 第002回国会 労働委員会 第3号]]
第3号 昭和23年4月27日
([TIME[2014-11-28 18:17:57 +09:00]])
<http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/002/0808/00204270808003a.html>
- [695] [CITE[衆議院会議録情報 第002回国会 本会議 第43号]] (昭和二十三年四月二十七日(火曜日) [TIME[2017-04-08 01:00:06 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/002/0512/00204270512043a.html>
- [582] [CITE[参議院会議録情報 第002回国会 労働委員会 第4号]] ([TIME[2016-02-18 01:00:02 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/002/0808/00204280808004a.html>
- [690] [CITE[参議院会議録情報 第002回国会 本会議 第34号]] (昭和二十三年四月二十八日(水曜日) [TIME[2014-11-28 18:15:46 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/002/0512/00204280512034c.html>
- [2246]
[CITE[夏時刻の実施について]],
[[連絡調整事務局]],
[TIME[昭和23年4月28日][1948-04-28]]
([TIME[2018-09-21 20:24:10 +09:00]])
<https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FB2C6BBFEB9EFB2C6BBFEB9EFA4CEBCC2BBDCA4CBA4C4A4A4A4C6.pdf>
- [13] 昭和23年法 (昭和23年4月28日公布施行) [CITE[夏時刻法]]
- [701] [CITE[参議院会議録情報 第002回国会 財政及び金融・労働連合委員会 第3号]] (昭和二十三年五月二十四日(月曜日) [TIME[2017-06-08 01:00:08 +09:00]]) <http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/002/1588/00205241588003c.html>
- [315] [CITE@ja[芦田内閣次官会議書類(その3)昭和23年5月27日~昭和23年8月12日]] (昭和23年08月02日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:01:32 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001367843>
- [316] [CITE@ja[芦田内閣次官会議書類(その3)昭和23年5月27日~昭和23年8月12日]] (昭和23年08月02日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:04:22 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001367844>
- [244] [CITE@ja[芦田内閣次官会議書類(その4)昭和23年8月16日~昭和23年9月6日]]
(昭和23年08月26日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:06:45 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001368478>
- [617] [CITE@ja[法律政令綴 昭和23年自7月至9月]]
(昭和23年08月26日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:26:58 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814160216559>
- [603] [CITE@ja[芦田内閣閣議書類(その11)昭和23年8月27日~昭和23年9月18日]]
(昭和23年08月31日, [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2017-08-12 00:08:04 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001368541>
- [613] [CITE[夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令]]
- [1188] [CITE@ja[サンマー・タイムの通信簿 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル]] (2011/06/14 [[The Asahi Shimbun Company]]著, [TIME[2018-08-02 19:03:33 +09:00]]) <http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2011060900001.html>
-- [1187]
[CITE[サンマー・タイム成績表 まず「結果良好」大きな電力の節約 総理庁審議室調査]]
[TIME[1948〈昭和23〉年9月2日][1948-09-02]]付 東京本社版 朝刊2面
-- [1203] [TIME[1948年5月3日][1948-05-03]]付東京本社版朝刊3面
-- [1204] [TIME[1949年4月4日][1949-04-04]]付東京本社版朝刊2面
-- [1207] [TIME[3月29日][1952-03-29]]付東京本社版朝刊1面
]REFS]
** 2年目 昭和24年
[624] 2年目である[TIME[昭和24年][year:1949]]は、初めて4月頭からの実施ということで、
開始時期が早すぎると実施前から議論になっていたようです。
[TIME[3月26日][1949-03-26]]には[[国会]]でも取り上げられています [SRC[>>700]]。
ここで[[政府委員]]は「[[終戦連絡事務局]]方面から関係方面に交渉」
したが延期とはならなかった [SRC[>>700]] と述べており、[[日本政府]]と [[GHQ]]
との間で協議が行われたものと思われます。
[625] 実施直前の[TIME[4月1日][1948-04-01]]には、
[[衆議院人事委員会]]が、開始を6月第1土曜日とする法改正を要望することを全会一致で決議しました
[SRC[>>697]]。しかし、流石に時間がなさすぎたのか、このときは法改正には至っていません。
この決議の本文には含まれませんが、説明で
「そもそもこの夏時刻に対しましては、この前から実は各党各派とも反対であつた」
と述べられており [SRC[>>697]]、「この前」がいつのことなのか判然としませんが、
[[国会]]の議事録上はスムーズに制定されたように見える[CITE[夏時刻法]]が実はそれほど歓迎されていなかったことが窺えます。
;;
[2207]
[[GHQ]] は[[国会]]の審議にまで圧力をかけて国政に介入していました
([SEE[ 極端な事例は[[国会時間]] ]])。
[[国会議員]]が自身や国民の意見を無視してでも法案に賛成し可決せざるを得ないことが当時はあったのでしょう。
[668] 同じく[TIME[4月1日][1948-04-01]]には、
政府機関の執務時間を変更する[[命令]]
([TIME[昭和24年4月1日][1948-04-01]][[総理廳令]]第18号
[CITE[政府職員の勤務時間に関する総理廳令(昭和24年総理廳令第1号)の特例に関する件]],
[TIME[昭和24年4月1日][1948-04-01]][[総理廳令]]第19号
[CITE[大正11年閣令第6号(官廳執務時間並休暇ニ関スル件)の特例に関する件]])
が制定されました [SRC[>>629, >>671]]。
これは、元々執務時間が [TIME[8:30][08:30]] から [TIME[17:00]] である [SRC[>>673]] ところ、
この年限りで[TIME[4月4日][1948-04-04]]から[TIME[4月30日][1948-04-30]]の間は
[TIME[9:00][09:00]] から [TIME[17:30]] と変更するものでした。
つまり、一度に1時間分業務開始を早めるのではなく、
二度に分けて30分ずつ開始を早めるというものでした。
[1029] そもそも[[夏時刻制]]は[[季節]]に関わらず表示上同じ[[時刻]]に固定できることがメリットだったはずで、
これを徹底するため前年にも政府機関の執務時間は変更しないと確認していたはずでした。
[[夏時刻]]実施延期が間に合わなかったための代替措置なのでしょうが、
このような移行期間という形態ながらも執務時間の方を変更してしまうことで、
早くも[[夏時刻制]]は破綻が明確になっていたといえます。
[1229]
当時の[[新聞]]は、
[[国民]]は不便を我慢しながら[[夏時刻]]に従っているのに、
[[公務員]]だけなぜ特例が許されるのかと強く批判していました
[SRC[>>1228]]。
[1682]
当時は[[公務員]]の始業時刻が [TIME[8:30][08:30]] で、
民間は [TIME[9:00][09:00]] が一般的だったため、
自然と[[時差通勤]]のような形になっていました。
ところが[[夏時刻]][TIME[初年][year:1948]]には[[公務員]]の遅刻者が続出し [SRC[>>1681]]、
出勤時刻の重なった[[鉄道]]は大変な混雑だった (>>1195) ようです。
[TIME[2年目][year:1949]]には正式に[[公務員]]の始業時刻も [TIME[9:00][09:00]]
に改められたため出勤ラッシュは激化。
輸送力強化も限界で積み残しと負傷者が激増し
「通勤地獄」、「殺人ラッシュ」とまで報道されました [SRC[>>1683]]。
しかもその報道の後、[[学校]]の新学期で駅の利用者が更に増えたといいますから、
予想もつかない混雑と混乱が起こったはずです。
[1206]
この年の開始日は[[北海道]]から[[九州]]まで大変寒い日で、
[[札幌]]では積雪19cmに更に降雪があり、
[[仙台]]では気温-1°Cで[[炬燵]]で過ごすという「サンマー」
とは程遠い天候でした。当然国民には不評だったようです。 [SRC[>>1204]]
[[新聞]]各紙も「寒いサンマータイム」を批判する記事を掲載し、
読者の反応が良かったといいます [SRC[>>68]]。
[FIG[