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[11]
[DFN[偽書]]は、
その来歴を偽った[[書籍]]、[[文書]]等です。
[FIG(short list)[ [1] [[偽書]]と関連記事
- [[椿井文書]]
-- [CITE[[[興福寺官務牒疏]]]]
-- [CITE[[[大安寺資財録抜書]]]]
- [[和田家文書]]
- [[遡及年号偽造文書事件]]
- [[東洋の日時表示]]
- [[日下]]
- [[大延]]
- [[仏暦]]
- [[自由自治]]
- [[改元デマ]]
- [[[CITE[京城日報]]改元詔書偽造事件]]
- [[万歳三唱令]]
- [[偽史]]
- [[神代文字]]
- [[清保]]
- [[渤海の元号]]
- [[古史古伝の日時]]
]FIG]
[12]
書物の内容が誤っているかどうかと[[偽書]]かどうかは別の問題です。
[2]
[[偽書]]が研究者に無視される構造的な要因とその弊害
[FIG(quote)[ [4] [CITE[[[戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」]]]] pp.327-331
>
[VRLBOX[
[SNIP[]]元弘前大学助教授で法政大学教授の[RUBY[小][お]][RUBY[口][ぐち]][RUBY[雅][まさ]]
[RUBY[史][し]] (日本中世史) が「[ASIS[『][アキなし]]東日流外三郡誌』をどうあつかうべきか」と題する一文を『季
刊邪馬台国』五十二号に寄せていた。[SNIP[]]
>[SNIP[]]しかし私たち研究者は、人の一生という、限られた
時間の中で研究生活を送っている。研究に取り組まなければいけないこと、明らかに
しなければいけないことは非常に多い。
>
そのさい、研究して史料としての利用価値があると判断されるものならば、もちろ
ん、時間を割いて研究し、おおいに学問の進展に寄与させる必要がある。しかしわざ
わざそれを否定するために研究することは、およそ時間の無駄でしかない。この手の
ものは黙殺するのが学会の常識であるし、自分たちの研究で一度もそれを史料として
利用しないことが、学者としての立場の表明になっているのである。
[SNIP[]]小口と同じよなニュアンスを、[SNIP[]][RUBY[齊][さい]][RUBY[藤][とう]][RUBY[利][とし]][RUBY[男][お]] (弘前大学教授) からも
聞いていた。[SNIP[]]齊藤教授はにこやかに笑って答えた。
「触れるに値しないからです」
[SNIP[]]
しかし、こうして学界から黙殺されたはずの外三郡誌は、アカデミズムと接触する機
会がほとんどなく、専門知識を身につけていない無防備な一般市民の間に静かに広がっ
ていった。そして、東北各地でさまざまなトラブルを引き起こした。
[SNIP[]]
原田実は言う。
「黙殺する側にも言い分があることはわかります。でも、あえて言いたいのです。学者
仲間だけで通じる〝常識〟に基づいて沈黙されたらたまらないと。大学の教員はほかの
一般の職業より、経済的にも時間的にも優遇を受けています。それは社会に対して、研
究成果を還元する義務を負わされているからではないでしょうか。[SNIP[]]トン
デモ説の主唱者と支援者たちが学界の説得を受け入れることはないにしても、それほど
汚染の進んでいない人たちにその誤りを警告する役に立つはずです」
]VRLBOX]
]FIG]
[FIG(quote)[ [5] [CITE[[[椿井文書⸺日本最大級の偽文書]]]], pp.5-6
>
[VRLBOX[
[SNIP[]]歴史学の長い積み重ねのなかで椿井文書の存在に気づいて
いる研究者が少なからずいたことも事実である。それでも、その情報が共有されなかったのは、
歴史学の偽文書に対する姿勢が影響しているかと思われる。
[SNIP[]]古代史研究者の[RUBY[小][お]][RUBY[口][ぐち]][RUBY[雅][まさ]][RUBY[史󠄃][し]]が「東日流外三郡誌」に対
する研究者側のスタンスを示した次の一文は、のちに事件の[RUBY[顚][てん]][RUBY[末][まつ]]をまとめた新聞記者の[RUBY[斉][さい]][RUBY[藤][とう]][RUBY[光][みつ]]
[RUBY[政][まさ]]も引用していることからよく知られる。
>私たち研究者は、[SNIP[]]立場の表明になっているのである。
おそらく、これまで椿井文書の存在に気づいた研究者の多くも、それを研究することは「お
よそ時間の無駄でしかない」ため、同様に黙殺という対処をしてきたに違いない。しかし、黙
殺したという情報が時代ごとの棲み分けなどが要因となって研究者全体に共有されなければ、
椿井文書と知らずに使う研究者も出てきてしまうのである。
]VRLBOX]
]FIG]
[3]
関連記事:
[[鬼室集斯墓碑]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE@ja[「道教と古代日本文化」ブームの聖徳太子論の誤り: 間違いを放置して良いか - 聖徳太子研究の最前線]]
([TIME[2021-06-07T04:21:17.000Z]])
<https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/dfe241b86d7d1ad80290f7d2d6edcd71>
]FIGCAPTION]
> 私の大山誠一説批判については、「問題が多いことは、研究者の世界では知られているのだから、わざわざ論じなくても良いのではないか」といった声があることは承知しています。しかし、明らかに誤っている説がマスコミでしばしば最近の学界の定説のようにとりあげられ、一般の人に影響を与えている以上、放置していれば、福永先生の冠位十二階説の場合と同様、あるいはそれ以上の弊害が生ずるのではないかと案じられました。そこで、聖徳太子については、『日本書紀』では「聖」として描かれており、史実としては信頼できない記述も多いことは事実であるものの、まだまだ研究を重ねる必要があり、大山氏の架空説のような形で断定的なことを言える段階ではないことを、このブログを通じて指摘していくことにした次第です。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[7] [CITE@ja[大山誠一「聖徳太子架空説」の誤り - 聖徳太子研究の最前線]]
([TIME[2021-06-07T04:27:10.000Z]])
<https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/cd4a360efec5749db439a9126a9b7212>
]FIGCAPTION]
> それにもかかわらず、先に触れた大山氏の『天孫降臨の夢』では、序にあたる「はじめに」において、「学問的な根拠をあげた反論は皆無であり、すでに<聖徳太子は実在しない>という理解は学界内外に定着したと言ってよいと思う」と述べ、「あとがき」でも、「何しろ、学問的反論は皆無なのである」と断言しています。大山氏は以前から同様の発言をしていますが、これは「聖徳太子非実在説」にならって「学問的反論非実在説」と呼びたいほど驚きの説です。また、反論しない第一線の研究者たちの中には、「大山説については取りあげるまでもない」と突き放している人も少なくありません。
]FIG]
[8] [CITE@ja[古田武彦氏が『[[東日流外三郡誌]]』に騙された理由 『偽書が描いた日本の超古代史』 | BOOKウォッチ]],
[[BOOKウォッチ編集部]],
2020/6/30,
[TIME[2021-08-31T06:32:28.000Z]] <https://books.j-cast.com/2020/06/30012096.html>
>日本でも『古事記』については、かつて偽書の指摘を受けていたこともある。また、『日本書紀』も含めて、その内容がすべて史実と見る研究家は少ないだろう。日本の戦前の教育では、都合のよい歴史が教えられていた。「真書」とされているものでも、内容については恣意的な記述や改竄が行われていることもあり、油断ならない。
[9]
本論と関係ないこの余計な段落。この「どっちもどっち」論が偽書を肯定するトンデモ説支持者の理論武装に悪用されてきたことは、もっと注意しても良いのでは?
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[九州王朝の年号は11世紀の経典に基づき、聖徳太子が善光寺如来とやりとりした手紙は本物? - 聖徳太子研究の最前線]]
([TIME[2021-10-19T04:22:13.000Z]])
<https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/3d463d60c2daa60bff6018a6f0ac7b9b>
]FIGCAPTION]
> こうした例ばかりであって誤りを指摘するときりがないため、学界が全く相手にしていないのは当然であり、放っておく方が楽であるものの、SATがらみのトンデモ説が広がるのを防がねばならないため、敢えてとりあげた次第です。
]FIG]