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[42]
[DFN[友田吉之助]]は、
[[昭和時代]]の[[日本史]]研究者でした。
* 和銅日本紀説
[43]
現存する[[養老]]時代成立の[CITE[日本書紀]]の前に、
[[和銅]]時代成立の通称[CITE[和銅日本紀]]があり、
前者の不自然な点や各書が引用する[CITE[日本紀]]は実は[CITE[和銅日本紀]]の残滓である、
とする[[[CITE[和銅日本紀]]説]]を提唱しました。
[SEE[ [[和銅日本紀]] ]]
[44]
[[[CITE[和銅日本紀]]説]]は現在では[[友田吉之助]]の代表的な業績として知られています。
本説が歴史学の主流から遠いことは[[友田吉之助]]自身も認識していたようで [SRC[>>21]]、
当時も現在も賛同する研究者はほとんどいません。
** [CITE[日本書紀成立の研究]]
[24] 初版: [TIME[1969-02-28]]
- [23] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: [[日本書紀成立の研究]] : 友田 吉之助: Japanese Books]], [TIME[2023-02-15T10:30:13.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759903178/wakaba1-22/>
- [22] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: [[日本書紀成立の研究]] (1969年) : 友田 吉之助: Japanese Books]], [TIME[2023-02-15T10:29:47.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9H2SA/wakaba1-22/>
[21] 増補版: [TIME[1983-08]]
[38] [CITE@ja[日本書紀成立の研究 / [[友田吉之助]] - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア]], [TIME[2023-02-15T11:03:48.000Z]], [TIME[2023-02-15T11:04:17.333Z]] <https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784759903171>
[39] >>38 に目次あり。ただし増補版目次は一部のみ。
[49]
初版、増補版とも出版から相当の時間が経過していて新品の入手は不可能ですが、
古本ではそれなりの数が流通しています。
[50]
古本で入手するのは難しくないですが、まあまあの値段です。
[51]
思ってるより(謎)分厚い本です。
** 単著収録論文の初出論文
- [9] [CITE@ja-JP[神道学 (30)]], [[神道学会]], [TIME[1961-08]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-14T03:06:37.915Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2263652/1/10> (要登録)
- [40]
[TIME[2023-02-20T11:03:03.600Z]]
<https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/3/31882/20170425035314552241/m0020001004.pdf>
-- [41] 増補版に収録
** その他の論文
- [25] [CITE@ja[東アジアの古代文化020号 特集 古代の暦と太安萬侶の墓誌 - 株式会社 [[大和書房]] 生活実用書を中心に発行。]], [TIME[2023-02-15T10:31:03.000Z]] <https://www.daiwashobo.co.jp/book/b315764.html>
- [26] [CITE@ja[太安萬侶の墓誌の暦日 - 株式会社 [[大和書房]] 生活実用書を中心に発行。]], [TIME[2023-02-15T10:31:54.000Z]] <https://www.daiwashobo.co.jp/book/b322443.html>
[27] >>25 は雑誌目次のみ、>>26 は1ページ目のみ見える。 >>26 は >>25
収録? (題名が一致する)。
[28] >>25 は[TIME[1979-07]]。
[67] [CITE@ja-JP[論集・古事記の成立]], [[倉野憲司 他著]], [TIME[1977.6][1977]], [TIME[2023-11-28T02:04:43.000Z]], [TIME[2023-12-17T09:29:17.427Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12269031/1/46> (要登録)
** 他の研究者による参照
[6]
本書 (の元となった[[論文]]) に対しては、[[伊野部重一郎]]の論文が数件あります。
[45]
[[伊野部重一郎]]は、
[[友田吉之助]]の提示したそれぞれの根拠について、
[[友田吉之助]]のような解釈を採らずとも穏当な解釈があり得る
(または[[友田吉之助]]の説では無理が出る)
点を数本の論文にわたって検討、指摘しています。
[30]
[[細井浩志]],
[TIME[2023-02-15T10:43:27.600Z]]
<https://kwassui.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=331&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1>
#page=4
>友田氏は、これを「一年引き下げられた干支紀年法」が存在するという、特殊な見方をし
ている。しかし、伊野部重一郎氏(伊野部1963)が、友田氏の初出論文に対して批判してい
るように、続紀の編纂過程で、暦日の干支への換算を誤ったものとするのが妥当だろう。
[31]
[[平成時代]]の日本古代史研究者で最も[[暦法]]に精通しているであろう[[細井浩志]]もこのような見解。
-*-*-
[8] [CITE[Vol.21 , No.1(1972)059若林 隆光 「末法思想の性格の一面-末法入年仏教渡来説について-」.pdf]], [TIME[2012-03-25T08:28:57.000Z]], [TIME[2023-02-14T03:04:48.081Z]] <http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%A6%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E5%8D%B0%E5%BA%A6%E5%AD%B8%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%AD%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%AC%AC21%E5%B7%BB%E7%AC%AC1%E5%8F%B7/Vol.21%20,%20No.1(1972)059%E8%8B%A5%E6%9E%97%20%E9%9A%86%E5%85%89%20%E3%80%8C%E6%9C%AB%E6%B3%95%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%9D%A2-%E6%9C%AB%E6%B3%95%E5%85%A5%E5%B9%B4%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E8%AA%AC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E3%80%8D.pdf>
[[仏教公伝]]諸説の紹介としてさらっと言及するのみ
** 肯定的評価
[47]
独創的な古代史論を持つアマチュア歴史愛好家らに[[友田吉之助]]の説はそこそこ人気があるようです。
[1] [CITE@ja[友田吉之助、「旧本日本紀」の存在を示唆す - 礫川全次のコラムと名言]], [TIME[2023-02-14T02:47:56.000Z]] <https://blog.goo.ne.jp/514303/e/d26cf40b2230e80ff0a9dd91f09e1355>
[2] [CITE[友田の古事記、書紀同時奏上説]], [TIME[2013-02-15T08:45:28.000Z]], [TIME[2023-02-14T02:51:00.228Z]] <http://kenkokusi.web.fc2.com/kojiki/2.1.html>
[3] [CITE[和銅日本紀と古事記との関係]], [TIME[2013-02-15T08:45:28.000Z]], [TIME[2023-02-14T02:52:32.906Z]] <http://kenkokusi.web.fc2.com/kojiki/2.5.html>
>そのなにがしかの改定理由の一つとして、『百済本紀』の出現ではなかろうかとする興味深い推論が最近千葉商科大学教授の江口洌(きよし)氏によりなされているので(『古代天皇の聖数ライン』河出書房新社、2007年)、こちらも併せて参考にされるとよいだろう。
[4]
題名だけで本文読まずに先入観持ってどうこう言うのはよくないとわかってるんだけど、んーしかし、
聖数となwww
ウェブ上の書籍紹介などを見ると題名から想像できる内容らしいんだよなw
他にも[[紀年論]]の本を出しているらしいが、、、
[5] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: 天武天皇と九州王朝―古事記・日本書紀に使用された暦 : 砂川 恵伸: Japanese Books]], [TIME[2023-02-14T02:59:42.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787706160/wakaba1-22/>
[7] [CITE@ja[【偽書】“天皇”と“皇帝”の違い 幻の書物【日本書】〜古書から日本の歴史を学ぶ〜|古本屋えりえな|note]], [TIME[2023-02-14T03:02:22.000Z]] <https://note.com/ai_auwa/n/n14ff70f3742b>
[12] [CITE[狐 - 吉野裕子 - Google ブックス]], [TIME[2023-02-14T03:15:44.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=lKNQEAAAQBAJ&pg=PA111>
[16]
[CITE[NihonShoki_Sakujitsu_9.pdf]], [TIME[2014-03-04T12:20:00.000Z]], [TIME[2023-02-14T03:23:34.972Z]] <https://u4ren6.org/Moritsune/NihonShoki_Sakujitsu_9.pdf#page=4>
[15] [CITE[null]], [TIME[2021-01-21T10:47:30.000Z]], [TIME[2023-02-14T03:21:27.929Z]] <http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/gennten/jikanreki1.htm>
[13] [CITE@en-us[Amazon.co.jp: 6~7世紀の日本書紀編年の修正 ―大化元年は646年、壬申乱は673年である― : 牧尾 一彦: Japanese Books]], [TIME[2023-02-14T03:19:51.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344942884/wakaba1-22/>
[14]
令和4年にもなってまだ新しい本出す人いるのすごいな。。
- [63] [CITE[史実に忠実な6~7世紀だが…修正すべき日本書紀の編年のズレとは | 幻冬舎ゴールドライフオンライン]], [TIME[2023-05-22T09:03:45.000Z]] <https://life.gentosha-go.com/articles/-/12653>
- [64] [CITE[教科書にも載る「壬申乱」672年の事件という通説は誤りかもしれない!? | 幻冬舎ゴールドライフオンライン]], [TIME[2023-05-22T09:04:02.000Z]] <https://life.gentosha-go.com/articles/-/12789>
- [62] [CITE[日本書紀成立の研究書に欠点が!? より正確な暦計算を試みる! | 幻冬舎ゴールドライフオンライン]], [TIME[2023-05-22T09:03:27.000Z]] <https://life.gentosha-go.com/articles/-/12965>
- [65] [CITE[日本書紀に記された暦のズレを特定!問題解明の7つのステップ | 幻冬舎ゴールドライフオンライン]], [TIME[2023-05-22T09:04:15.000Z]] <https://life.gentosha-go.com/articles/-/13066>
[66] >>63 ほかは >>13 の一部を編集して掲載とのこと。
同じ出版社のグループ企業運営サイト。
[19] [CITE@ja[神武天皇 - Uyopedia]], [TIME[2019-05-06T05:12:01.000Z]], [TIME[2023-02-14T14:56:33.473Z]] <http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87>
>記は137歳とするが、これはもともと127歳だったのが平安時代に多人長(おほのひとなが)によって改竄されたものである(大和岩雄の説)。よって紀の127歳説が本来の伝承。記の序文の年月日は顓頊暦によって換算・同定されているので、そのことを暗示するとともに紀との矛盾を調整するため、10年の水増しがされた。『日本書紀』の儀鳳暦と顓頊暦とでは10年のずれが生じるからである。
[20]
[[顓頊暦]]が云々とは[[友田吉之助]]の説。
[[大和岩雄]]がいつどのようにこれを主張したのか知らないが、
[[大和岩雄]]の会社[[大和書房]]の雑誌に[[友田吉之助]]は何本か寄稿していて、
同じ号に[[大和岩雄]]自身と[[友田吉之助]]の記事が並んでいることも。
;;
[29]
なお同社の別雑誌 [SRC[>>25]] では[[友田吉之助]]と共に[[九州王朝説]]の[[古田武彦]]の記事も掲載されていたりします。
(その同じ号に[[安本美典]]の記事もあるので、別にそういう系の人達ばかり集めているというわけでもなさそう。)
[46]
[[大和岩雄]]は[[[CITE[古事記]]偽書説]]の中心人物の1人。
[[友田吉之助]]は[CITE[古事記]]序文の[[日付]]が本来の[CITE[和銅日本紀]]の成立日を転用したものだと主張している。
そして[CITE[和銅日本紀]]説は[[[CITE[古事記]]偽書説]]にとって有力な根拠として扱われているという関係。
[32] [CITE[倭国の暦法と時刻制度 増田修]], [TIME[2021-01-04T12:18:09.000Z]], [TIME[2023-02-15T10:53:31.333Z]] <https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin16/rekihouz.html>
>[SNIP[]]友田は、「古記」の暦数についての注釈を知らずに、このような結論に到達しているのである。友田の十支紀年法についての研究は、学会では無視あるいは一蹴されているが、真剣に再検討・再評価する必要があろう。[SNIP[]]
[33] これは[[九州王朝説]]の人。ここの人達は「学会では無視あるいは一蹴」
されていると被害妄想しがち。
;; [48] 真剣に検討した結果一蹴されてるんだがなあw
[34] [CITE@ja[日本書紀はどのようにして成立したのか | 永井俊哉ドットコム]], [TIME[2023-02-14T13:34:28.000Z]], [TIME[2023-02-15T10:56:04.758Z]] <https://www.nagaitoshiya.com/ja/2010/nihon-shoki-philology/>
>[SNIP[]]友田吉之助によると、この時の日付、和銅七年二月戊戌は、異種の干支紀年法においては、和銅五年正月戊戌、つまり、『古事記』序文に記されている『古事記』選上の年月日、和銅五年正月二十八日と完全に合致する[SUP[__&&[&&__6__&&]&&__]]。したがって、この『国史』を『古事記』とみなすこともできる。
[35]
[CITE[<5461726F2D93FA967B8CC391E38E6A82CC93E482F089F082AD2E6A7464> - nihonkodaishi.pdf]], [TIME[2008-04-14T12:30:05.000Z]], [TIME[2023-02-15T11:00:43.070Z]] <http://www5.kcn.ne.jp/~oka-you/pdf/nihonkodaishi.pdf#page=49>
神武天皇元年の友田説を参照しつつ独自説を展開している。
[36] [CITE@ja[日本の合戦一覧 - Wikipedia]], [TIME[2023-02-13T04:33:36.000Z]], [TIME[2023-02-15T11:02:09.876Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%90%88%E6%88%A6%E4%B8%80%E8%A6%A7#cite_note-6>
>「好太王碑文と顓頊暦紀年法」(友田吉之助著『日本書紀成立の研究 増補版』風間書房、1983年)。好太王碑文の紀年法は通常の暦より干支が1年遅れの顓頊暦を使っているとみられる。このため倭に関する記事の年も全て通説より1年遅れになるとする。
[37]
[CITE[ウィキペディア]]にはこのように独創的な研究者の説が紛れ込んでいることがたまにある。
* [CITE[天孫降臨の原義]]
[52]
[DFN[[CITE[天孫降臨の原義]]]]
は、
[[友田吉之助]]の死後に出版された遺稿です。
[53]
本書冒頭に經緯が書かれています。
[[友田吉之助]]は晩年まで研究を続けていて、
[[神話]]時代から古代までの[[日本史]]を描いた全4部のうち、
第1部の原稿を書き終えていたそうです。
第2部もできていたようなことも書かれていますが、
出版されたのは第1部と、第2部から第4部の目次だけです。
第2部は出版できるような状態まで至っていなかったのでしょうか。
未完に終わったのは残念です。
[11] [CITE@ja[null]], [TIME[2023-02-14T03:13:11.000Z]] <http://www.keisui.co.jp/cgi/isbn.php?isbn=ISBN978-4-87440-466-9>
[54]
出版からまあまあの月日が経過していますが、
出版社の直販サイト >>11 およびいくつかのネット書店で購入できるみたいです。
出版社サイトでは割引されているのでお買い得。
[55]
内容は >>11 に目次が掲載されていますが、その見出しから想像されるものだといえばおおよそわかっていただけるかと思います。
[56]
晩年に書き溜めたものということで、発表済みの論文等でもないオリジナルのようです。
先行研究の参照とかもあまりなくて、1つの壮大?なストーリーになっています。
;;
[57]
よく、工学系の大学教授が定年退職後に古代史の本を自費出版するやつ、
っていう揶揄がありますけど、あれをなぜか歴史研究を本職でやってたはずの人がやってるようなイメージです。
(まあ経歴見るとこの人、本職は歴史研究者っていうわけでもないのかな?)
[10] [CITE@ja['''['''mixi''']'''福井県古代文明説 - [異説] 超古代文明 [オカルト] | mixiコミュニティ]], [TIME[2023-02-14T03:09:30.000Z]] <https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=26496&id=39498147>
>友田吉之助『天孫降臨の原義』
>[SNIP[]]
> もっとも、私はこの本を書店でパラパラと見た時には同姓同名の別人だと思っていた。購入してから、「あの」友田先生と同一人物が書かれた本と気づいてかえって驚いたほどである。
>
さて、本書はその友田先生の遺稿を整理したもの。構想では全4巻の大著『日本国家形成史の研究』の第1巻となる予定だったのですが、志半ばにしてご逝去。出版はご遺族によりなされました。本書にその全4巻の構想上の目次も掲載されています。ちなみに第2巻以降はそれぞれ『神武天皇東征の原義』『高天原の原義』『大和国の発展と出雲国の西遷』となる予定だったとのこと。
>[SNIP[]]
> 友田先生によると、日本国家を建てた民族は満洲の遼河下流域から黄帝暦をたずさえてやってきた(この黄帝暦が後世、和銅日本紀を編纂する際の暦法となる)。彼らはまず北陸地方に小国家を建設した(その文化は鳥浜貝塚遺跡からうかがえるという)。その事実を伝えるのがニニギの天孫降臨伝説であり、西暦前1122年に相当する。さらに、その子孫である神武天皇が即位したのは前660年だという(この即位年推定は『日本書紀』に依拠している)。
>[SNIP[]]
[58]
前著では[CITE[和銅日本紀]]は[[顓頊暦]]で編纂されたことになっていましたが、
実はこちらの本では[[黄帝暦]]に訂正されています。
前著ではなぜ[[顓頊暦]]が使われていたのかは十分解明されておらず、
異種の干支紀年法はアジアの仏教関係で広がっていたのかも、
というストーリーでしたが、
その辺の話はなかったことになったのか、
本書では[[天孫降臨]]前が古代中国史に接続されています。
[59]
ただ残念なことに本書の範囲が[[天孫降臨]]からなので、
[[黄帝暦]]を使っていた集団の一部が[[日本]]にやってくることになった流れはあまり詳しく説明されていません。
[61] また、前著では[CITE[和銅日本紀]]で甲寅年が神武天皇元年だったことを解明していたはずなのですが、
それはもうなかったことになったのか、
本書では神武天皇元年が紀元前660年で間違いなかったことになっています。
[60] [CITE[レインボーライン梅丈岳~日本のはじまりである]], [TIME[2023-03-24T09:50:15.000Z]], [TIME[2008-01-31T01:26:09.835Z]] <https://web.archive.org/web/20080131012553/http://www.mikatagoko.com/origin/index.html#index>
* メモ
[17]
はじめの頃はしっかりした歴史研究者だったらしく、その頃の業績は他の研究者に引用されたりもしているのですけどね。
[18]
いったいどこで足を踏み外してしまったのか。