-
Notifications
You must be signed in to change notification settings - Fork 4
/
318.txt
765 lines (619 loc) · 33.1 KB
/
318.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
286
287
288
289
290
291
292
293
294
295
296
297
298
299
300
301
302
303
304
305
306
307
308
309
310
311
312
313
314
315
316
317
318
319
320
321
322
323
324
325
326
327
328
329
330
331
332
333
334
335
336
337
338
339
340
341
342
343
344
345
346
347
348
349
350
351
352
353
354
355
356
357
358
359
360
361
362
363
364
365
366
367
368
369
370
371
372
373
374
375
376
377
378
379
380
381
382
383
384
385
386
387
388
389
390
391
392
393
394
395
396
397
398
399
400
401
402
403
404
405
406
407
408
409
410
411
412
413
414
415
416
417
418
419
420
421
422
423
424
425
426
427
428
429
430
431
432
433
434
435
436
437
438
439
440
441
442
443
444
445
446
447
448
449
450
451
452
453
454
455
456
457
458
459
460
461
462
463
464
465
466
467
468
469
470
471
472
473
474
475
476
477
478
479
480
481
482
483
484
485
486
487
488
489
490
491
492
493
494
495
496
497
498
499
500
501
502
503
504
505
506
507
508
509
510
511
512
513
514
515
516
517
518
519
520
521
522
523
524
525
526
527
528
529
530
531
532
533
534
535
536
537
538
539
540
541
542
543
544
545
546
547
548
549
550
551
552
553
554
555
556
557
558
559
560
561
562
563
564
565
566
567
568
569
570
571
572
573
574
575
576
577
578
579
580
581
582
583
584
585
586
587
588
589
590
591
592
593
594
595
596
597
598
599
600
601
602
603
604
605
606
607
608
609
610
611
612
613
614
615
616
617
618
619
620
621
622
623
624
625
626
627
628
629
630
631
632
633
634
635
636
637
638
639
640
641
642
643
644
645
646
647
648
649
650
651
652
653
654
655
656
657
658
659
660
661
662
663
664
665
666
667
668
669
670
671
672
673
674
675
676
677
678
679
680
681
682
683
684
685
686
687
688
689
690
691
692
693
694
695
696
697
698
699
700
701
702
703
704
705
706
707
708
709
710
711
712
713
714
715
716
717
718
719
720
721
722
723
724
725
726
727
728
729
730
731
732
733
734
735
736
737
738
739
740
741
742
743
744
745
746
747
748
749
750
751
752
753
754
755
756
757
758
759
760
761
762
763
764
765
[8] [DFN[戦後]]は、
[[大東亜戦争の終戦]]の翌年である[TIME[1946年][year:1946]]を[[元年]]とする[[紀年法]]です。
* 一般的な用法
[9] [[日本]]では[[第二次世界大戦]]に関する事項を扱う際に
「今年は戦後[VAR[○]]年」のように表記されることがよくあります。
[11]
確かに[[年]]を表す手法ということで広義の[[紀年法]]なのでしょうが、
[[日付]]表記に常用されないのであれば、
「スーパー開店3周年」のようなものと同様で、
[[元号]]や[[西暦]]と同種の狭義の[[紀年法]]として扱うべきものではないでしょう。
[SEE[ [[紀年法]] ]]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28] [CITE@ja[物語内に「コロナ禍」を入れるかで悩む漫画家たち〜黒丸先生らが語る - [[Togetter]]]]
([TIME[2020-04-17 12:41:35 +09:00]])
<https://togetter.com/li/1495089#c7620691>
]FIGCAPTION]
>
ウラリー㌠ @urary777
2020年4月17日
> »grayengineer あれは一応、戦後27年(1972年10月のジャンプに掲載)なので「リアルタイム」ではないかとw
]FIG]
;; [13] かなり[[元号]]に近づいている用法に見えるが、
まだ単独で[[年]]や[[日付]]の表記ができるレベルには達していない。
]REFS]
* Wikipedia 説
[10] [CITE[Wikipedia]] はこれを[[私年号]]だとしており [SRC[>>1]]、
[[日付表記]]に用いた例 [SRC[>>1]] まで示しています。
[[日本]]の[[紀年法]]の1つにも挙げていました [SRC[>>6]] が、
現在は削除されています [SRC[>>4]]。
[31]
それによると[TIME[昭和20(1945)年][year:1945]]が0年 [SRC[>>1]]、
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]が1年です。
[[0年]]を[[基準点][元期]]とする考え方は[[東洋]]式[[元号]]の数え方と違います。
[[元号]]に相当する代替[[紀年法]]として発達したものではなく、
[[周年]]の延長として広まったものだからでしょう。
[33]
[CSECTION[戦後]]
記事はこの[[年]]の数え方に言及しつつも、
[[年表]]には[[西暦年]]と[[元号年]]を書いており、
[[戦後]]年は
「戦後50年」
以後の10年単位の節目の年に付記するだけです。
[SRC[>>36]]
[32]
削除されたり残されたりしている様子を見るに、
[CITE[Wikipedia]]
編集者間でも位置付けに見解の差があるのでしょう。
[27]
[CITE[Wikipedia]] 以外に[[日付表記]]で用いる真の[[紀年法]]とした例は見つかっていません。
[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE@ja[[[0年]] - Wikipedia]]
([TIME[2018-03-02 20:05:07 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/0%E5%B9%B4>
]FIGCAPTION]
> 現代の日本で私年号としても用いられている「戦後」は、第二次世界大戦が終わった西暦1945年を「戦後0年」(時代の基点)として、その後の経過年数を表す場合にも計算されている(西暦2018年は「戦後73年」となる)。 今日は「戦後73年3月2日」となる。
]FIG]
-- [7] [CITE@ja[「[[0年]]」の版間の差分 - Wikipedia]]
(2010年6月9日 (水) 18:58時点における版 61.116.218.23 [TIME[2018-03-02 20:05:07 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=0%E5%B9%B4&type=revision&diff=32512131&oldid=32273278>
- [34] [CSECTION[紀年法]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE@ja[「紀年法」の版間の差分 - Wikipedia]]
(2009年11月19日 (木) 11:39時点における版 203.141.154.203 [TIME[2018-03-02 20:04:51 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%B4%80%E5%B9%B4%E6%B3%95&type=revision&diff=29082194&oldid=29030530>
]FIGCAPTION]
> 現在の日本では、元号・干支・キリスト紀元・神武紀元・戦後(私年号)の5種類が用いられている。
]FIG]
--
[5] [CITE@ja[「紀年法」の版間の差分 - Wikipedia]]
([TIME[2018-03-02 20:04:51 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%B4%80%E5%B9%B4%E6%B3%95&type=revision&diff=43468551&oldid=42893394>
--
[4] [CITE@ja[「紀年法」の版間の差分 - Wikipedia]]
([TIME[2018-03-02 20:04:51 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%B4%80%E5%B9%B4%E6%B3%95&type=revision&diff=44369124&oldid=43468551>
- [35]
[CSECTION[私年号]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26] [CITE@ja[「私年号」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2019-05-31 23:02:29 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&type=revision&diff=28881554&oldid=28347050>
]FIGCAPTION]
>
[[第二次世界大戦]]後には、「[[戦後]]」がマスコミを初めとして広く使用されており、実質的に私年号となっている([[戦後]]元年=[[1946年]])。なお、「戦後」は元号とは異なり、無期限である。
]FIG]
--- [37]
[[元号]]の一種である[[私年号]]の一覧表に、
[[元号]]ではないとわざわざ注記してまで追加するのは不思議。
この後削除されたのも無理はないが、
[[元号]]とは何か、
[[私年号]]とは何かの根本的な問いかけを含んでいる。
無期限なら[[元号]]とはいえないのか。
明確な制定主体を欠く[[私年号]]で有期限、無期限を決めるのは何か。
過去の[[私年号]]の自然消滅を有期限とみなすとしたら、
「戦後」がいずれ自然消滅しないと何を根拠に言えるのか。
--
[25] [CITE@ja[「私年号」の版間の差分 - Wikipedia]] ([TIME[2019-05-31 23:02:29 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&type=revision&diff=28885701&oldid=28881554>
- [36] [CSECTION[戦後]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[[[戦後]] - Wikipedia]]
([TIME[2018-02-18 22:35:23 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]
> 1945年(昭和20年)を「戦後0年」として、現在の年を「戦後n年」と表現することもあり、2018年は「戦後73年」に当たる。
]FIG]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[戦後 - Wikipedia]]
([TIME[2018-02-18 22:35:23 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%BE%8C>
]FIGCAPTION]
> 南北に分断された1945年を「分断0年」として、現在の年を「分断n年」と表現することもある(日本の「戦後n年」に相当)。
]FIG]
]REFS]
* 尾崎行雄が提案したとする説
[29]
[[尾崎行雄]]が提案したとする説がありますが、
真偽不明です。
[SEE[ [[新日本]] ]]
* 戦後暦
[87]
[[徳島県立文書館]]の企画展パンフレットに[DFN[戦後暦]]がみられます。
[88]
このパンフレットは基本的に[[元号年]]を使い、
[[横書き]]の表紙で
「平成17年8月2日[火]」、
[[縦書き]]の本文で
「平成一七年八月二日」 ([[縦書き]])、
「昭和四〇年代」 ([[縦書き]])
のように書いていました。
[SRC[>>86]]
[89]
2頁分の大きな表が2つあり、
そのうちの1つ、
[CSECTION[キーワードで見る戦後徳島の社会・生活史年表]] ([[縦書き]])
は、
[[年号]]と出来事を並べた[[表]]で、
「戦後暦」「西暦」「和暦」 ([[縦書き]])
を示していました。
-
[90]
「戦後暦」
は、
「0」、
「1」、
...、
「60」
と年数を[[アラビア数字]]の[[横書き]]で書いていました。
「戦後復興期」
「高度経済成長期」
といった複数年にわたる時代名が併記されていました。
([[表]]は[[縦書き]]で右から左に進むのに、
年数と時代名は[[左横書き]]で逆方向に向かっていました。)
-
[91]
「西暦」
は、
「一九四五」
から
「二〇〇五」
と[[縦書き]]で4桁の[[漢数字]]の[[位取り記数法]]で書いていました。
-
[92]
「和暦」は、
「昭和二〇」、
「昭和二一」、
「二二」、
「二三」、
...、
「六三」、
「平成元」、
「二」、
...、
「八」、
「平成九」、
「平成一〇」、
...、
「平成一七」
と[[縦書き]]で[[漢数字]]の[[位取り記数法]]で書いていました。
表記の不統一が気になります。
-
[93]
記事には
「[YOKO[10]] 吉野川市誕生」 ([[縦書き]])
のように適宜[[月番号]]が[[縦中横]]で入れられていました。
-
[94]
開催年の「二〇〇五」「平成一七」年だけ、記事に
「戦後六〇年」
とありました。
[95]
もう1つの
[CSECTION[昭和二〇年生まれ ある女性の前半生の歩みから戦後史を見つめる]] ([[縦書き]])
は、
「[YOKO[0]]歳 昭和二〇年 (一九四五)」 ([[縦書き]])
から
「[YOKO[60]]歳 平成一七年 (二〇〇五)」 ([[縦書き]])
のように[[年]]を表し、
記事を書いていました。
記事には「八月、」のように[[月]]が書かれていることもありました。
こちらでは[[戦後暦]]が使われていませんが、
[[戦後暦]]と一致するように[[年齢]]が設定されていました。
[96]
この他には「戦後六〇年」と当年を説明する箇所があるくらいで、
[[戦後暦]]は使われていませんし、
[[戦後暦]]の説明もありません。
[97]
ある事件に関係する[[年表]]でその年次を書き入れるのはよくあることで、
伝記なら[[年齢]]、
社史なら創設からの年数を[[紀年法]]と並列に表記するのは普通のことです。
戦後何年と書き入れた[[年表]]もあるはずです。
それを
「戦後暦」
と特別な名前で呼んでいるのは珍しいですが、
説明がないので根拠は不明です。
特別な名前に見えても、
「戦後の年数を数える」
という程度の造語の可能性もあります。
機械的な年数と範囲の曖昧な時期をどちらも同じ
「戦後暦」
で括っているのも、
深く考えていないのだとすれば納得です。
[98]
[[戦後カレンダー]]の[[戦後暦]] (>>78)
との関連は不明です。
[[戦後カレンダー]]は[[年始]]を
[TIME[8月15日][--08-15]]に置いていますが、
こちらの[[戦後暦]]は[[西暦年]]や[[元号年]]と対応付けられています。
素直に考えればこちらの[[戦後暦]]は[[グレゴリオ年]]と一致するはずです。
ただし昭和20年8月生まれ女性の年表でも[[年齢]]が[[西暦年]]や[[元号年]]と対応付けられており、
厳密には8ヶ月分のずれが生じているのに何の注釈もありませんから、
そう断言するのも憚られます。
とはいえ[[戦後暦]]と女性の年齢の対応関係が意識されたことは明らかです。
0歳から数える[[年齢]]と、
1年から数える[[戦後カレンダー]]の[[戦後暦]]には、
1年のずれがあります。
[REFS[
- [86]
[CITE[特別企画展 戦後六〇年のメッセージ 伝えたいあの時を・・・]],
[[徳島県立文書館]],
[TIME[平成一七年八月二日][2005-08-02]] 発行,
[TIME[2012-05-02 13:44:10 +09:00]] <https://library.tokushima-ec.ed.jp/digital/densi/desiryou/ken/mon_kikakuten/ktoku17.pdf>
]REFS]
* 戦後カレンダー
[78]
[DFN[戦後暦]]は、
[[昭和時代]]に
[CITE[元号法]]案が検討されていた頃、
[[極左活動家]]の[[明良佐藤]]が考案し、
手紙などで使い始めたものでした
[SRC[>>14]]。
[59]
[[明良佐藤]]は、
[TIME[昭和59(1984)年][year:1984]]の
「戦後40年」版以来毎年[DFN[戦後カレンダー]]を発行しています
[SRC[>>39, >>14]]。
** 元号名
[82]
[[日本語]]の[[戦後]]の他、
[[英語]]では
[DFN[After The War]]
と[[直訳]]するようです。
[81]
[[戦後カレンダー]]には、
[[年号]]が[[日本語]]で
「戦後70年」、
[[英語]]で
「After The War 70」
のように記載されています
[SRC[>>14]]。
;; [83] [[元号]]で正式な英語名があるのは珍しい例です。
** 暦法
[79]
[[月日]]は[[グレゴリオ暦]]と同じのようです。
[80]
8月15日を[[年始]]とします [SRC[>>14]]。
[TIME[1945-08-15]]の[[昭和天皇]]の[[玉音放送]]に因んでいるようです。
このため1つの[[グレゴリオ年]]は2つの[[年]]に分かれます。
8月は前半と後半で別の[[年]]となります。
[84]
[[戦後カレンダー]]には
「2014.8.15 ▶ 2015.8.15」
と範囲が[[西暦]]で記述されています。
[SRC[>>14]]
[99]
[TIME[昭和20(1945)年][year:1945]]の後半が、元年となります。
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]が、元年と2年となります。
[[グレゴリオ年]]の前半は 1945 を引き、
後半は 1944 を引くと、
[[戦後暦]]年が得られます。
** 発祥
[54]
[[明良佐藤]]を[[代表]]とする[DFN[年号戦後カレンダーをつくる会]]は、
[CITE[年号を〝戦後〟とすることにあなたはどう応えますか! ―1945年(昭和20年)8月15日に至る戦争による死者をふまえて―]],
[CITE[[WEAK[年号]]戦後カレンダー・40年版・予約協力のお願い! [WEAK[戦後の原点にこめられたメッセージをくらしの部屋の中に]]]]
などの[[文書]]を配布し支持を募りました。
[SRC[>>40]]
[55]
前者には
「戦後[ASIS[□][43?]]年([ASIS[□][西暦年?]]年)[ASIS[□][[[アラビア数字]]?]]月[ASIS[□][末?]]日」
の紀年がありました。
本文中には西暦年に括弧付きで[[昭和]]年がありましたが、いずれも昭和20年かそれ以前でした。
[SRC[>>40]]
[56]
後者は戦後40年を略して「40年」と書いたものとみられます。
申し込みフォームには
「 年 月 日」
とありました
[SRC[>>40]]
が、
何年と書き入れることが想定されたのか不明です。
[57]
[[明良佐藤]]による[[手書き]]の送付状には、
「戦後五十九年(一九八四年)一月三十一日」 ([[縦書き]])
とありました。
[SRC[>>40]]
[58]
[[元号]]が独自であることを除けば、
[[書字方向]]と[[数字]]の関係や[[西暦]]の併記法、
[[元号名の省略表記][2桁年号]]といった[[日時表示]]の特徴は、
[[昭和時代]]当時の一般的な作法を踏襲していたようです。
[REFS[
- [40] [CITE@ja[資料詳細 | [[国際平和ミュージアム]]]], [TIME[2020-08-20 16:59:10 +09:00]] <http://peacedb.ritsumei.ac.jp/archives/detail?cls=kitakukizo&pkey=00,22798>
-- [41] [CITE[0022798-01.jpg (JPEG 画像, 1200x800 px)]], [TIME[2020-08-20 16:59:32 +09:00]] <http://peacedb.ritsumei.ac.jp/archives/rest/media/L?cls=m_kitakukizo&pkey=0022798-01&c2016>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[53] [CITE[読売ニユース総覧 - Google ブックス]], [TIME[2020-08-20 17:32:04 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=MaZXAAAAMAAJ&q=%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>
161 ページ
>2朝23 - 10 ) 20年8月15日を紀元とする戦後カレンダー戦後 40年版が「年号戦後
カレンダーをつくる会」の手で作成(おあしす] ( 8 ・ 14朝23 - 10 )
]FIG]
;; [85] 当時の
[CITE[読売新聞]]
は[[元号年]]表記。
「20年」は昭和20年を表し、
「40年版」は戦後40年を表す。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[52] [CITE[澁澤龍彦全集 1 - [[澁澤龍彦]] - Google ブックス]],
[TIME[1995][year:1995]],
[TIME[2020-08-20 17:30:34 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=BOUqAQAAMAAJ&dq=%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>407 ページ
>年号について(末年号戦後カレンダーをつくる会・アンケート報告)。あなたはいま
どの年号を使っていますか。その理由は。あなたの家族、親類、知人で一九四五
年(昭和二〇年)八月十五日に至る戦争にかかわって死んだ人はいますか。また、いましたらその死者にむかっていまなにかしていますか。 3 同封
の文書「年号を~戦後、とすることにあなたはどう応えますか」を読んで、
どう思いますか。むかし、「昭和の子どもよ、ぼくたちは」という歌がありま
した。私は昭和という年号が好きなので、それを使っています。八月十五日は私 ...
>532 ページ
ただし、それだけではどこに加筆されたかがわからなくなるので、年号と年齢
のみはのこして[ ]に入れ、 2 級のゴシック活字で印刷する。また、部分的な訂正
のある場合は、原則として重複部分の前後一、二行のみをのこし、[ ]に入れて 2
級の ...
>551 ページ
>その形式はさまざまで、葉書や所定の用紙を同封して答えさせる簡略なものから
、原稿用紙に何枚も書かせるものまで、かなりの幅が見られる。ときには電話
によるアンケートさえ質問については、それぞれの回答の前に、
活字を一級おとして印刷する。また発表の日付や媒体が意味をもつというケース
もありうるので、それぞれの標題の下の括弧内に、その二項(前者は年・月のみ、後者は雑誌・新聞などの名称)
を加えて示す。標題や質問の書式については、統一をはかるために多少改変や
省略 ...
>566 ページ
>の予約申込書が付されているので、おそらく一九八四年(年号戦後ならば三十九年
にあたる)の末近くにおこなわれたアンケートではないかと思われる。「
アンケート報告」の本文はガリ版印刷。三つの問いのあとに「(順不同)」とあった
。 ... 年号について(始末年号戦後カレンダーを
つくる会・アンケート報告)同会は、一九四五年(昭和二十年)という終戦の年を
起点として、年号戦後、をしるすカレンダーをつくろうとするもの。 ...
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE@ja[栃木)終戦の日が元日 戦後カレンダーつくり30年:[[朝日新聞]]デジタル]],
[[堀井正明]],
2014年8月15日03時00分,
[TIME[2019-03-21 20:39:29 +09:00]]
<https://web.archive.org/web/20140827074905/https://www.asahi.com/articles/ASG8D7TDGG8DUUHB00Y.html>
]FIGCAPTION]
> そのカレンダーは終戦記念日の8月15日から新しい年が始まる。戦争が終わった1945(昭和20)年を「戦後元年」とする独自の「戦後暦」が採用されており、今年の8月15日は「戦後70年」が幕を開ける元日にあたる。
> 茂木町北高岡の明良(あきよし)佐藤さん(70)が製作する「戦後カレンダー」。79年に成立した元号法をめぐる議論が盛んだったころ、「戦後暦」を考えて手紙などで使い始め、「戦後40年」の84年に初めて「戦後カレンダー」を作った。
>「今度戦争が起これば、『戦後』という言葉は使えない。その意味では『戦後』であり続けることが平和のあかし」と毎年作り続け、今年は30年の節目を迎えた。
]FIG]
]REFS]
** 高橋健一
[66]
[[極左活動家]]の[[高橋健一]]は、
自身の
[[Web日記]]で[[戦後]]を使いました。
[67]
[[Web日記]]は
[TIME[1997.4.1][1997-04-01]]
に新設されました。
[TIME[戦後52年5月3日][1997-05-03]]
([TIME[1997-05-03]])
以後、
[[戦後]]を使うようになりました。
その理由を、
> 今日は憲法記念日です。
> 戦争を放棄した日本国憲法を、ぼくは大切にしていきたいと願います。
> このページの記載日の年号だけですが、今日から西暦でも元号でもない「戦後歴」(明良佐藤さん提唱・元旦は8月15日)で現すことにしました。 日本が二度と戦後を繰り返さぬことを祈って。
... と説明しました。
[SRC[>>48]]
;; [68] 同じ「日本国憲法を大切にする」態度でも、
前文を重視すればそのような考え方になり、
第1条を重視すれば[[日本の元号]]を大切にしようということになるはずです。
[[紀年法]]とは政治的態度の表明であると、よくわかりますね。
[69]
この
[[Webページ]]には
「戦後52年(1997年)4月1日に新設しました」
と説明があり、
目次にも
「(戦後52年4月11日)母性社会日本の病理
(戦後52年4月1日)愛媛県老施協が介護実習受け入れ保留」、
範囲は
「戦後52年4月~5月分」
とあって、[[戦後]]が4月に遡って使われました。
[SRC[>>48]]
[70]
「(戦後53年9月23日)永和良之助さんの講演会
(戦後52年7月20日)父権復興」
と8月を境に年数がインクリメントされており、
元来の[[戦後暦]]に従っていることがわかります。
[SRC[>>62]]
[73]
「戦後57年(2001年)10月15日」
まで[[戦後]]が使い続けられましたが、
その後の
「非戦元年(2002年)9月11日」
記事から、
[[非戦]]なる新[[元号]]に[[改元]]されました
[SRC[>>65]]。
[[アメリカ同時多発テロ事件]]
[WEAK[([TIME[2001-09-11]])]]
との関係が推測されます。
[SEE[ [[非戦]] ]]
;; [75]
[[日本]]の[[戦争]]の再発をおそれた[[戦後]]を、
こんな恣意的に[[改元]]してしまっていいものでしょうか...
[72]
目次では
「戦後55年9月4日」
([TIME[1999-09-04]])
まで、
[[戦後]]が単記されました [SRC[>>64]]。
その後の
「[非戦元年(2002年)12月11日] 矢野舜一さん
[非戦元年(2002年)9月11日] 1年前
[戦後57年(2001年)10月15日] 広瀬隆さんの講演会
[戦後57年(2001年)10月6日] ひさびさの、このごろ思うこと」
は、
[[西暦年]]と併記されました
[SRC[>>65]]。
ただし記事見出しでは単記が継続されました [SRC[>>65]]。
記事の間が空いていること、
その間に新[[ミレニアム]]が到来したことの影響でしょうか。
;; [71]
- 1997年 戦後52年-53年
- 1998年 戦後53年-54年
- 1999年 戦後54年-55年
- 2000年 戦後55年-56年
- 2001年 戦後56年-57年
[74]
この
[[Web日記]]は
[[JavaScript]]
で表示日時を表示しており、
最初のページには
「19120年8月20日19時10分」
と表示されます [SRC[>>48]]。
[SEE[ [[19100年問題]] ]]
第2頁以降は
「2000年8月20日19時10分」
のように、
表示した[[月日]]と、なぜか記事の[[年号]]が組み合わせて表示されます
[SRC[>>62, >>63, >>64, >>65]]。
([[2000年問題]]修正の失敗例としてはおもしろすぎますw)
[76]
[[著者]]が断っている通り、
[[戦後]]を使っているのはこの
[[Webサイト]]内でもこの[[Web日記]]だけでした。
他では[[西暦年]]が使われていました。
[[1990年代]]は[[西暦2桁年号]]も頻用されていましたが、
4桁と混在しているようで、
使い分けははっきりしません。
[WEAK[(もっとも当時平均的な[[日本人]]はたいてい使い分けも曖昧に併用していたと思われますが。)]]
[[Web日記]]内も引用文はもちろん記事本文でしばしば2桁・4桁の[[西暦年]]が使われていました。
[[戦後]]と[[西暦]]の使い分けの理由はよくわからないのですが、
私的な日記でだけ[[戦後]]を使い、
普及に貢献する意図はなかったのでしょうか。
[REFS[
- [48] [CITE[このごろ思うこと(1頁目)・永和良之助論文特集]], [TIME[2013-04-25 19:00:38 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor0.html>
- [62] [CITE[このごろ思うこと(2頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:00:44 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor2.html>
- [63] [CITE[このごろ思うこと(3頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:00:49 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor3.html>
- [64] [CITE[このごろ思うこと(4頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:00:55 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogor4.html>
- [65] [CITE[このごろ思うこと(4頁目)]], [TIME[2013-04-25 19:01:01 +09:00]] <http://jinkent.jpn.org/konogoro.html>
]REFS]
** その他の支持者
[60]
[[佐藤克朗]]は、
[TIME[平成16(2004)年][year:2004]]頃の時点で毎年、
[[戦後カレンダー]]の宣伝活動を続けていました。
[DFN[天皇制的元号にこだわるかい]]を主宰し、
日常生活でも[[元号]]や[[西暦]]のかわりに[[戦後]]を使っていました。
[SRC[>>39]]
;; [61]
「元号にこだわる」というのは謎ですが、
元号反対にこだわるという意味なのでしょう。
[REFS[
- [39] [CITE[佐藤さんが戦後カレンダー普及呼びかけ :2004/8/11/[[函館]]地域ニュース by eHAKO]],
[[函館新聞社]],
2004/8/11,
[TIME[2020-08-20 16:50:27 +09:00]] <https://www.ehako.com/news/newsbk2/3308_imode_msg.shtml>
- [44] [CITE[日記]], [TIME[2017-10-17 19:26:59 +09:00]] <http://sugiyama-akira.jp/diary/04_08.html>
-- [77] [CSECTION[戦後カレンダー]],
2004.8.12
]REFS]
[15] ([TIME[2012-05-02 13:44:10 +09:00]])
<https://library.tokushima-ec.ed.jp/digital/densi/desiryou/ken/mon_kikakuten/ktoku17.pdf>
[16] [CITE[無題]]
([TIME[2019-03-21 20:46:17 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20181105171934/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h32.htm>
[17] [CITE[無題]]
([TIME[2019-03-21 20:47:10 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20181105171934/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h33.htm>
[18] [CITE[無題]]
([TIME[2019-03-21 20:48:02 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20181105171935/http://www.geocities.jp/akiyoshisato7/h34.htm>
[19] [CITE@ja[驚くほどの「人権感覚のなさ」 大工が知った“憲法びっくり” (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)]]
([TIME[2019-03-21 20:49:17 +09:00]])
<https://dot.asahi.com/wa/2017120800037.html?page=1>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[20] [CITE[16このブログの管理・運営について 1: 感動をつくる・日本朗読館]]
([TIME[2019-03-21 20:53:15 +09:00]])
<http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2007/08/post_2187.html>
]FIGCAPTION]
> 明良佐藤さんの「戦後暦」とは若干違えているところがあります。ここで用いる「戦後暦」は、戦後元年を西暦1945年、和暦昭和20年の8月15日から同年の12月31日までとし、翌年の1月1日からは戦後2年とすることにいたします。この方が、一年の区切り方が分かりやすく、また、一般的でもありますので、より実用的だと考えたからです。
> そういたしますと、開館のご挨拶をいたしております本日は戦後63年8月06日ということになります。しかし、明良佐藤さんの「戦後暦」では、今日は戦後62年8月06日ということになりです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[21] [CITE[16このブログの管理・運営について 3: 感動をつくる・日本朗読館]]
([TIME[2019-03-21 20:54:32 +09:00]])
<http://nipponroudokukan.txt-nifty.com/blog/2007/08/post_8626.html>
]FIGCAPTION]
> 当初の「戦後元年を西暦1945年、和暦昭和20年の8月15日から同年の12月31日までとし、翌年の1月1日からは戦後2年とすることにいたします」というのを、次のように修正いたします。
> 西暦1945年、和暦昭和20年の8月15日から同年の12月31日までを戦後0年とし、西暦1946年、和暦昭和21年の1月1日から同年の12月31日までを戦後1年とすることにします。
> 戦後0年というような数え方は、あまり類例がないと思いますが、あえて採用することといたします。この戦後0年は、また同時に、戦前0年でもあります。つまり、西暦1945年、和暦昭和20年の1月1日から8月14日までは、戦前0年ということになるわけです。また、その前年、西暦1944年、和暦昭和19年は、戦前1年ということになります。以下戦前2年、戦前3年と順次遡って数えていくことになります。
]FIG]
[22]
さすがに戦時下を「戦前」と呼ぶのはおかしいw
この[[暦法]]だと[TIME[西暦1945年8月14日][1945-08-14]]と
[TIME[15日][1945-08-15]]の間の瞬間が「戦」だったことになるが...
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE@ko-KR['''['''天声人語''']''' 8/31 | 广东孤星]]
([TIME[2019-03-21 20:57:56 +09:00]])
<https://jcso58.wordpress.com/2014/08/31/%E5%A4%A9%E5%A3%B0%E4%BA%BA%E8%AA%9E-831-2/>
]FIGCAPTION]
> 栃木の明良(あきよし)佐藤さん(70)は、8月15日から新年が始まる「戦後カレンダー」をつくり続けて30年になる。終戦の昭和20年を元年とする独自の「戦後暦」で数え、この新年は戦後70年だ。「今度戦争が起これば戦後という言葉は使えない。その意味では戦後であり続けることが平和のあかし」
]FIG]
- [49] [CITE[らくだの行動記録**学習室らくだ**:戦後67年 カレンダー]], [TIME[2020-08-20 17:21:19 +09:00]] <http://blog.livedoor.jp/kawarakuda/archives/52486754.html>
-- [50] [CITE[49137b14.jpg (JPEG 画像, 640x480 px)]], [TIME[2017-12-28 17:30:59 +09:00]] <https://livedoor.blogimg.jp/kawarakuda/imgs/4/9/49137b14.jpg>
- [46] [CITE@ja[和の日記 - 和の日記]], [[yasushi561]], [TIME[2020-08-20 17:13:11 +09:00]] <http://yasushi561.blog.fc2.com/blog-entry-1.html#comment82>
- [45] [CITE@ja-JP[憲法びっくり 明良佐藤 益子ヒジノワにて - YouTube]], [TIME[2020-08-20 17:10:08 +09:00]] <https://www.youtube.com/watch?v=EU8A9BHvFXk>
- [51] [CITE@ja-JP[憲法びっくり 前編 ・ なんのために憲法は変えられようとしているか 明良 佐藤 - YouTube]], [TIME[2020-08-20 17:22:39 +09:00]] <https://www.youtube.com/watch?v=n0C_XXOkjjY>
- [43] [CITE[untitled - TN2017No16G.pdf]], [TIME[2017-10-07 10:57:24 +09:00]] <http://www2.ucatv.ne.jp/~kenpou.snow/TN2017No16G.pdf>
- [42] [CITE[らくだの行動記録**学習室らくだ**:戦後カレンダー 今年も届く]], [TIME[2020-08-20 17:00:39 +09:00]] <http://blog.livedoor.jp/kawarakuda/archives/52841319.html>
[24]
敵対勢力の敗北を[[年始]]にするとか[[仏蘭西共和暦]]みたいだな。
(あっちは自勢力の勝利の翌日が[[年始]]だが。)
* その他の提案
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[30] [CITE@ja[エッセイ001 元号で数えられない | [[黒崎剛]]の哲学研究室]],
[[黒崎剛]],
2019.10.19,
[TIME[2020-07-11 11:29:35 +09:00]]
<https://kurosakitsuyoshi.com/archives/396>
]FIGCAPTION]
> それでもキリスト教くさい西暦をつかうより日本独自の年号を、とこだわる人には、こんな提案をしたい。それは明治維新の始まった1868年から敗戦の年1945年まで一区切り、1946年を戦後元年として数えるというものである。そういうふうに年を数えれば時代感覚が養えると思う。将来的にはどうなるかな。世界統一政府ができれば、それを人類紀元元年として、それ以前は「紀元前○年」として数えることになるかな。
> ところで、1868年から数えはじめてみると、面白いことに気づく。「明治維新77年」に旧大日本帝国は1945年の破滅を迎えている。77年というのは、一つの歴史的ダイナミズムが始まって完結するのに十分な時間であるというわけか。それから1946年を新日本の「戦後元年」として数えはじめると、2022年に「戦後77年」となる。「戦後」も77年という一区切りするのに十分な時を迎えるのである。
]FIG]
[38]
この人は[[西暦]]が良いと考えているようだが、
折衷案がこれらしい。
[[天皇]]在位による時代区切りは恣意的と非難しながら、
対案は別の政治的な時代区切りというのが興味深い。
時代感覚がどうこうと理論武装しても、
結局は政治的態度の表明という[[紀年法]]の基本原理からは逃れられないものなのか。
* 関連
[12] 類似する[[紀年法]]に、
[[新日本]]、[[原爆紀元]]があります。
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47]
[CITE[190503-04-1.pdf]], [TIME[2019-05-06 14:33:39 +09:00]] <http://www.kenpoukaigi.gr.jp/saikin-news/190503-04-1.pdf#page=14>
]FIGCAPTION]
>岩手日報/2019/5/3 12:05
>[B[論説憲法問題もっと深い議論を望む]]
>戦後74年目の憲法記念日。昭和から平成、令和と元号が変わる中で、これからも「戦後」という時代の捉え方は引き継がれていくだろう。
>昭和の時代、終戦を挟んで日本の国柄は180度転換した。もとより「戦後」は元号ではないが、元号をまたぎ、平和憲法を土台とする時の流れを想起させる。
>[SNIP[]]
>「戦後」というスパンの中で、時代は途切れず続いている。改元を「新時代の到来」として改憲と結びつける情緒的な主張は、憲法論議にはそぐわない。
]FIG]