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[1] [DFN[永長]]は[[日本の元号]]の1つです。
これまでに[[公年号]]1種、[[私年号]] / [[改元デマ]]3種の計4種類が確認されています。
* 永長 (公年号)
[6] [[平安時代]] [[堀河天皇]] [TIME[西暦1096年][1096]]、[TIME[1097年][1097]]
-*-*-
[18]
摂津国大念仏寺引接鋤の銘で永長元年とされるものがあり、偽作とされています。 [SRC[>>19]]
[20]
検索しても情報がなく詳細不明。
[19] [CITE[研究連絡誌 第7・8号の4 - kenrenshi_007_8_4.pdf]], [TIME[2011-12-16T08:50:20.000Z]], [TIME[2022-12-22T10:12:59.426Z]] <http://www.echiba.org/pdf/kenrenshi/kenrenshi_007_8_4.pdf#page=6>
* 永長 (江戸時代文化年間)
[25]
[TIME[文化14(1817)年][year:1817]]
[WEAK[([[朝廷]]では[TIME[翌年4月22日][kyuureki:1818-04-22]][[文政]]に[[改元]])]]、
[[江戸]]では、
[[永長]]と[[改元]]されたと紙に書き付けて売り歩いた者があり、
[[入牢]]しました。
[SRC[>>23 普及版 p.599 ([CITE[我衣]]、[CITE[藤岡屋日記]])]]
[28]
[[加藤曳尾庵]]の随筆
[CITE[我衣]]
には次のような話が掲載されました。
[[江戸]]では[TIME[文化14年4月28日][kyuureki:1817-04-28]]に[[文化]]から永長に[[改元]]されるとの噂があり、
この日に[[江戸]]を出た[[菓子屋]]の召使の[[関所切手]]に番頭が
「永長元年四月」と書いたため、
[[箱根関]]で[[改元]]の[[触]]もない[[元号]]を書くのは不届きであるとし、
通行を許可されませんでした。
[SRC[>>23 普及版 p.611]]
[29]
これが事実なら「永長」は[[改元デマ]]とはいえ (わずかながらも)
実用された[[私年号]]の1つとなります。
[79]
[[幕末]]に[[往来手形]]に[[私年号]]の[[神治]]を書いた例があります。
時代も地域性も違いはありますが、
[[信頼できない改元情報][改元デマ]]を信用して書類に書いてしまう事案が起こり得るという実例が他にあるということで、
[[永長]]の事案もリアリティーが高まります。
[REFS[
- [23] [CITE[[[日本年号史大事典]]]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE@ja[庶民の世論が影響? [[江戸時代]]の改元|日経BizGate]]
([[日本経済新聞社]]著, [TIME[2019-04-04 13:51:11 +09:00]])
<https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO4285708025032019000000?channel=DF150320194919&page=2>
]FIGCAPTION]
> 享和4年(1804年)に「文化」に代わる直前には「元明」と改元されたと売り歩いた者がいたという。文化14年(1817年)には改元していないのに「永長」(実際は翌年に「文政」)を、天保15年(44年)には「嘉政」(実際は翌年に「弘化」)と書いて売るなどのケースが続いた。吉野氏は「幕府はニセ元号に神経をとがらせ、どのケースも犯人を入牢や追放の処分にした」という。
> 特に「嘉政」は当時の幕政への不満も背景にあったようだ。吉野氏は「日常で元号を利用しながら生活している庶民に、改元で新時代を期待する願望があった」と話す。
]FIG]
]REFS]
[84] [CITE[[[歴史評論]] - Google ブックス]], [TIME[2022-12-22T09:43:51.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=t14ZAAAAMAAJ&dq=%E6%B0%B8%E9%95%B7>
>113 ページ
>先年天保改元の句も、年号永長と書付売あるき召捕るく也」(同上)という記事に注目したい。前近代の改元には本来、改元による人心一新があった。そこには支配者の意識的な政治操作だけでなく、被支配者側の改元によるそ る可能性はないが、そんな史実 ...
;; [83]
[CITE[歴史評論]]は (少なくてもこの時代は) [[極左]]系運動家の歴史をネタにした扇動文を集め、
余ったページに歴史学者の[[論文]]を載せたような偽装学術雑誌。
この時期は[CITE[元号法]]制定反対に忙しく、[[元号]]関係の記事が多いので、
これだけではどこにこれが含まれているのかわからない。
[CITE[近世の元号雑感--改元をめぐる民衆の反応あれこれ]],
[[山田忠雄]]という記事がそれかもしれない。
[53]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/9546114/1/193> (非公開)
>日本庶民生活史料集成 第15巻
>図書
>三一書房, 1971
>193 コマ: 。其中には小さき紙に永長と改元也と書て町々をうりありくもありしゆへ、悉く召捕て入牢しぬ。
[74]
[CITE@ja-JP[新聞研究 (337)]], [[日本新聞協会]], [TIME[1979-08]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-21T10:14:03.374Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3360896/1/6> (要登録)
-*-*-
[45]
後世になってこれを政府で検討中の新元号だったと主張する時代小説作家がありますが
[SRC[>>27]]、[[永長]]は過去の[[日本の元号]]ですから、
あり得ません。
過去の[[中華王朝の元号]]を[[日本]]で採用した事例はありますが、過去の[[日本の元号]]の再利用は一度もありません。
仮に検討案に含まれていたとしても、過去の[[元号]]の調査すらしていない早期の案になり、
漏れたから撤回というのは考えられません。
[59]
それでも撤回されたのだと主張したいなら、根拠を持って行われるべきです。
そうでないならただの虚偽情報です。
[WEAK[(政府批判のネタに何百年も前の[[江戸幕府]]の政治判断を捏造 (妄想) するとかどうかしています。当時[[改元デマ]]を流した人も、そんなに後世まで影響を与えるとは思っていなかったでしょうね。)]]
[[光文事件]]といい、
[[改元デマ]]は[[陰謀説]]と相性がいいようです。
[WEAK[([[嘘]]が[[嘘]]に結びつくのも必然なのでしょうか。)]]
[57]
史実では翌年の[[改元]]ですから、実際の[[改元]]の1年前に[[江戸]]で新元号案が検討されていた
(ないし[[京都]]で検討されていた案が漏れて[[江戸]]まで伝わってきた?) という時間差の矛盾の説明は少なくてもなされる必要があります。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27] [CITE[江戸の醜聞愚行166]],
[[永井義男]],
[TIME[2008年9月29日][2008-09-29]]更新
([TIME[2009-04-08 10:08:30 +09:00]]) <http://motokiyama.art.coocan.jp/nagai4/nagai4-166.html>
]FIGCAPTION]
> けっきょく、光文は取りやめになり、昭和が採用された。
> 永長という新年号はけっして根拠がなかったわけではあるまい。おそらく、江戸城のどこかからリークされたのではあるまいか。
> 幕府は本当に改元を考えていたのだが、下々に知れ渡ってしまったのを知って、取りやめたのであろう。
[SNIP[]]
> いかにも「お役所の面子」という気がする。
> もしリークがなければ、文化の次は永長だったかもしれない。
]FIG]
]REFS]
-*-*-
[48]
[TIME[平成2(1990)年1月][1990-01]]に[[河野昭昌]]が[CITE[我衣]]記載のこの[[永長]]を報告しました。
[SRC[>>47]]
[NOTE[
[49]
このとき他に[[長徳]]も報告されたようです [SRC[>>33]]。
[52] また、
「[V[近世でも狂歌・落首の類には私年[BR[]]号が多く見られると指摘したが、同時代の第三者による記[BR[]]録で流布が確認できたのは「永長」の事例のみであった]]」
[SRC[>>35]]
のだそうです。
[51]
同時代の第3者の記録というのが[CITE[我衣]]のことをいうのか、
それ以外で[[河野昭昌]]が報告しているのか、
はたまた >>35 の事例のことなのか、この引用だけではよくわかりません。
[50] 多く見られるという近世の[[狂歌]]や[[落首]]の[[私年号]]も、
どんなものがあったのか、
現在広く知られているものには見当たりません。
]NOTE]
[33]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/7910559/1/68>
(非公開)
>日本歴史 (503)
>雑誌
>日本歴史学会 編 (吉川弘文館, 1990-04)
>度的検討岩淵令再生に江戸時代私年号に関する覚書-永長·長徳をめぐって-河野昭昌氏◇神奈川地域
[34]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/7940686/1/59>
(非公開)
>歴史評論 (480)
>雑誌
>歴史科学協議会 編 (歴史科学協議会, 1990-04)
>討」、河野昭昌氏が「江戸時代私年号に関する覚書」をそれぞれ報告した。◇朝鮮史研究会1月例
[REFS[
- >>35
-- [47] 引用:
「[V[河野昭昌氏の報告 (関東近世[BR[]]史研究会一九九〇年一月例会報告「近世の私年号に関する[BR[]]覚書」)]]」
]REFS]
* 永長 (江戸時代天保改元)
[15]
[65]
[TIME[文政13(1830)年12月10日][kyuureki1830-12-10]]に[[天保]]と[[改元]]された頃、
[[永長]]と[[改元]]されたと紙に書き付けて売り歩いた者があったといわれます。
[SRC[>>64]]
[58]
記録は回想ですし、「改元の時」というのもピンポイントで改元通知のときとは限らないので注意が必要です。
他の証言も見つかるといいのですが...
;; [17] [SEE[ [[嘉政]] ]]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[64]
[CITE[[L[平成 30 年度(第 7 回)県立図書館・公文書館合同展示(平成 31 年 2 月 1 日~3 月 31 日)[BR[]]「改元漫遊」[BR[]]その1:江戸期の改元、または、改元あ・ら・かると Part1&2 [BR[]]解説パンフレット]]]],
Ver1.2_20190210,
[TIME[2022-12-21T14:30:58.000Z]], [TIME[2022-12-21T14:41:09.755Z]] <https://archives.pref.kanagawa.jp/www/contents/1552954521928/simple/2018_kaigen_pamphlet.pdf#page=18>
]FIGCAPTION]
>
[LEFT[
天保 15(1845)年の師走、江戸で改元に関する偽の情報が流れるという事件が起こりました。『藤岡[BR[]]
屋日記』の同年 12 月6日条によれば
>
今日から年号が替わりました、と紙切れに「嘉政」と書いて1枚4文で売[BR[]]
り歩いた輩がおり、都合6人が捕縛されたという。また、去る天保改元の[BR[]]
時も「永長」と書いた紙を売り歩いた事件があったとのこと[BR[]]
といったものでした。
]LEFT]
]FIG]
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[81]
[CITE[日本都市生活史料集成: 三都篇 - [[Google ブックス]]]], [TIME[2022-12-22T09:41:05.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=b_M3AAAAMAAJ&dq=%E5%98%89%E6%94%BF>
]FIGCAPTION]
>485 ページ
>泰明院樣御法事紀付為伺御機煉、溜誌、高家、誌架、御奏者番登城、於席之認老中。一越前守不快忆付今日登城無之、尤見舞断。 1 今日より年号替りましたと市中を売あるくなり。小サキ紙に
嘉政と書付壱枚四文宛に売也。八日に弐人召捕茅場町大番屋江揚る也。追~六人迄召捕るゝ(改)也。先年天保政元の句も、年号永長と書付売あるき召捕るゝ也。十二月八日一御忌御日数中心付、上野俊明院樣、慈德院樣御靈前江御名代無之。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[82]
[CITE[[[藤岡屋日記]] - Google ブックス]], [TIME[2022-12-22T09:37:26.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?newbks=1&newbks_redir=0&hl=ja&id=zSWNAAAAIAAJ&dq=%E6%B0%B8%E9%95%B7>
]FIGCAPTION]
>462 ページ
>... なり、小サキ紙嘉政と書付、一御據中為何御機煉、尾張殿·水戶殿始想出仕有之、於席、認老中。专枚四文宛二充也。一右同断二付、紀伊殿并御隐居方上的使者被差出之、於题踢間、謁八日二式人召捕、茅場町大番屋江揚儿也、追六人迄召捕石 A 也、先老中。年天保改元之も、年号永長と書付、売あるき召捕るゝ也。 0 十二月八日青蓮院蝦葬送、上野凌雲院江出儿也、文恭院樣御安市石 5 段也。一御忌御日数中二付、上野没明院樣:慈德院樣御靈前江御名代無之。 o 同六日御法事中二付、今朝增上寺泰明院樣御位牌所江 ...
]FIG]
* 永長 (江戸時代天保年間)
[61]
[TIME[天保8(1837)年][1837]]頃、日本全国各地で[[永長]]が使われました。
[5] >>2 >>60 加賀 >>4 美濃 : 近くはありますが、かなり広範囲です。
[10] >>9 陸奥!
[32] >>30 武蔵!!
-*-*-
[2]
「永長元[SUB[丁]]酉暦」
と書かれた[[大小暦]]の[[絵暦]]があります。
[TIME[天保8(1837)年][year:1837]]のものとされています。
[SRC[>>54]]
[55]
[[絵暦]]の詳細はわからない。ウェブ検索では出てこないし、
- [56] [CITE@ja[国立天文台図書室 岡田芳朗文庫]], [TIME[2024-01-05T14:58:54.000Z]] <https://library.nao.ac.jp/cgi-bin/db/okada.cgi>
の旧蔵暦リストにも載っていない。
[62]
詳細不明とはいえ[[元年の暦]]はかなり例外的で、
普通は前年末に[[暦]]が作られるので旧[[元号]]で発行されるはずです。
来年[[改元]]があるという前情報から作られたのでしょうか。
それとも通常の[[暦]]と違って[[大小暦]]は新年になってから作られることもあったのでしょうか。
[REFS[
- [54] [CITE[暦と年号]],
[[岡田芳朗]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp. 124-131
]REFS]
- [60]
[CITE[「[[亀光元年]]」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=13>
[16] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-21T13:59:46.226Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>永長 - 天保8年(1837年) 不明 加賀藩の豪商木谷藤右衛門らが使用[7]。この年号を持つ絵暦あり[8]。
>
^ 「はじめてみつかった“永長”私年号」(『石川県社会教育会館だより』第113号、1977年、NCID AA11922555)
>^ 岡田芳朗 「暦と年号」(『歴史読本』第53巻第1号(通巻823号)、新人物往来社、2008年1月、NCID AN00133555)
[80]
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍🌗さん: 「【元号】368 永長 えいちょう 天保8年(1837年)期間不明 加賀藩の豪商木谷(木屋)藤右衛門らが使用(この年号を持つ絵暦あり)。藤右衛門は当時日本一の豪商でもあった。年号まで自分のものを使用。 「永長」は堀河天皇の時の元号(出典『後漢書』)。それを踏襲したのかは不明。 https://t.co/0jeHXVQzhd」 / X]], [TIME[午前6:06 · 2018年11月21日][2018-11-20T21:06:28.000Z]], [TIME[2024-03-14T06:49:52.000Z]] <https://twitter.com/11111hiromorinn/status/1064988368096784384>
-*-*-
[14]
>>13 >>12 輪中一円で天保8年を永長元年としたとのこと。史料は何かあるのだろうけど、
通史、年表とも特にそれを示してはいない。
[63]
「ひそかに」[[建元]]したと言っているが、その根拠はあるのかどうか。
[[現存最古を発生と誤認した事案]]なのでは。
[78] 「ひそかに」は[[久宝]]の説にも出てきて、この時代の地方史研究者による[[私年号]]観あるあるなのかも。
-
[13]
[CITE@ja-JP[墨俣町史 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-21T15:00:18.247Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3016849/1/273>
-
[12]
[CITE@ja-JP[墨俣町史 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-21T14:56:15.666Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3016849/1/391>
- /198
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE[[[墨俣町史]] - Google ブックス]],
[TIME[1956]],
[TIME[2021-04-16T05:55:30.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=a2pAAQAAIAAJ&focus=searchwithinvolume&q=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
>病名は知れざるも現在の赤痢の如し、その流行ぶりは特にはげしく死亡者も多く
出たれば、ひそかに年号を改め、天保八年を永長元年と私年号をつけた万延二年
六月墨俣輪中に疫病流行す。明治十九年六月下旬墨俣村に虎烈拉病の患者発生す
。
>天保七年十一月一日多くの乞食が墨俣に集結した。亦同八年三月、四月には墨俣
宿に盗人のそうどうが起つた。その上同八年には疫病が流行したので、ひそかに
私年号を永長とつけ、天保八年を永長元年といつた)鶏石春秋には天保飢饉の ...
>... 輪中一門私年号十四日大風保二十二三軒倒。"十日より一ヶ月島石は毎日白粥二
斗づつ人命救うためほどこす。州月明月九泊月月九侯月本日线“误导町大御吴邪九
「の地 OOOOOO 二四 O 二 O 四 OO 二 O 四 OOO 四 O 十四八八八七六狂月干月 ...
]FIG]
-*-*-
[9] [CITE[『福島県史料情報』第63号 - shiryojoho63.pdf]], [TIME[2022-06-28T01:07:25.000Z]], [TIME[2022-12-21T14:06:34.665Z]] <https://www.fcp.or.jp/history/uploads/2022/06/shiryojoho63.pdf#page=2>
陸奥国伊達郡大石村
「永長元年丁酉五月」
「永長元年丁酉六月」
[11]
>>9 利用者が正月から五月まで江戸に滞在し帰郷したところとのこと。
>>9 はどこで改元情報に接触したか明確にしていない (材料がない)。
陸奥国内とも限らず、江戸ないし帰路で得たという可能性も?
-*-*-
[39]
[[日本国]]の[[埼玉県立文書館]]所蔵[[森田家文書]]に[[永長]]が書かれた
[CITE[御用留]]
があります。
[SRC[>>35]]
[[埼玉県立文書館]]の目録検索で
>
,*文書群番号 ,目録-018-01
,*文書番号 ,森田家260(CH31)
の[[文書]]が所蔵されていることがわかります。
[SRC[>>38]]
([[ウェブサイト]]で公開されているのは目録だけなので、
特にこれといった情報は得られません。)
[40]
[CITE[御用留]]
表紙に、
>
[VRLBOX[
永長元年丁酉正月吉日
御用留
天保八酉年正月日
[BOX(right)[
大野村
会所
]BOX]
]VRLBOX]
とあります。
[[私年号]]は表紙の他の文字と違和感なく同筆と考えられます。
[SRC[>>35]]
[41]
内容は天保8年正月21日から天保9年正月21日までの48記事です。
現存する直前の[CITE[御用留]]は天保7年5月22日までで、
約半年分が現存しません。
[SRC[>>35]]
[44]
森田家は[[日本]][[武蔵国]][[秩父郡]][[大野村]]
([[近代]]の[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[都幾川村]][[大野]]、[[平成の大合併]]で[[ときがわ町]])
の村役人の家でした。
[SRC[>>42 /12]]
;; [43]
この資料は[[私年号]]の記載が報告される [SRC[>>35]] より前から目録に掲載されていました
[SRC[>>42]] が、目録には天保の方の日付だけが掲載されていました。
目録作成時によくわからない年号状のものの正体をいちいち気にしていられないのはやむを得ませんが、
せめて何らかの注釈があればもっと早く注目されていたかもしれません。
このように既に文書館に収蔵されて目録が作成されている文書でも、
未だ[[私年号]]資料としては未発見のまま眠っているものが他にもまだまだありそうです。
[46]
表紙は[[同筆]]とのことですが、[[永長]]と[[天保]]がいつ (どちらが先で、
どれだけ時間を置いて) 書かれたのかは気になります。
[[同筆]]とはいっても左右に対照?に書かれているのに[[日付]]の表記は統一されておらず、
後から体裁を気にせず追記したようにも思われます。
普通に考えれば「永長元年」が先でしょうか?
そして「永長元年」が書かれたのは天保8年正月21日頃でしょうか。
[REFS[
-
[42]
[CITE@ja-JP[森田家・野口家文書目録]], [[埼玉県立文書館]], [TIME[1982.2][1982]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-05T08:25:04.775Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12155440/1/25> (要登録)
- [37] [CITE[[[埼玉地方史]] 35号]],
[TIME[1996.6.15][1996-06-15]]
-- [36]
[CITE@ja[埼玉県地方史研究会: 《『[[埼玉地方史]]』目次 31~40号》]], [TIME[2023-10-26T12:21:38.000Z]], [TIME[2024-01-05T08:03:09.719Z]] <http://saitama-chihoshi1952.blogspot.com/2018/10/blog-post_93.html>
-- [35]
[DFN[[CITE[[V[私年号記載のある御用留]]]]]],
[[[V[白井哲哉]]]],
p.35-
- [38]
[CITE[古文書詳細画面]], [TIME[2024-01-05T08:11:17.000Z]] <https://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000069KOMONJO2_1010216393>
]REFS]
[30] [CITE@ja-JP[入間市史調査報告書 第1集 (近世史料目録 1)]], [[入間市史編さん室]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T15:04:02.247Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641994/1/120> (要登録)
[31] >>30 目録のみで本文不明ながら、永長元年2月文書があるとのこと。
根拠不明ながら「[V[私年号[BR[]]使 用]]」とある。
同じ発給者の文書は天保10年のもの1通のみ。同じ名前だから同じ人物とは限らないが、
他に1つだけしかないなら同一人物、同時代と考える有力な根拠になろう。
* メモ
[21]
[[江戸]]でずっと燻っていた[[改元デマ]]がある時ついに地方にまで波及したというシナリオも考えないといけなそう。
[22]
飢饉で世が荒れていたとはいえ幕藩体制がまだ盤石だった時代。
東海北陸東北の3箇所で同時に[[私年号]]が使われていた形跡があるとは衝撃的ではないでしょうか。
[[中世私年号]]は乱世で正規の[[改元伝達]]経路が麻痺したところに[[公年号]]と誤認された[[私年号]]が流通したというのが近年の主流説になっていますが、
それとの関係も含めてよく考えた方が良さそうですね。
天保期に正規の[[改元伝達]]路が機能していなかったとは考えにくい。
それなのに民衆はどこかで[[改元]]の噂を聞きつけて、勝手にそれを使い始めているわけですから。
[75]
[[宝永]]の事例を見ると本当の[[改元]]のときも[[幕府]]からの正式な通知の前に民間に噂を触れ回っている輩が表れて処罰されていたとのこと。
正規の[[改元]]情報が手続きを経て通知されるために時間がかかるので、
いち早く知りたい人と知らせたい人がいて非正規の[[改元]]情報が出回り得る「隙間」は生じていたらしい。
-*-*-
[24]
[[公年号]]があるせいで[[私年号]]が検出されにくくなってる気がしますね。
[[ウェブ検索]]でも[[公年号]]情報が多く、見落としがありそう。
[26]
本来[[私年号]]なのに、質の悪い偽作とみなされ無視されてる史料もありそう。
-*-*-
[66] これ、[[私年号研究]]の研究史反省ポイントが詰め込まれた事案ですな。
- [67] [[私年号]]は[[中世]]のもの → [[近世]]にもいっぱいありました
- [70] [[私年号]]は特定の地方で作られ使われるもの → 全国各地にありました
- [71] [[私年号]]は統治への不満の表れ → 不満があって使っているとは限らない (作った人、広めた人、使った人の思惑は違う)
- [73] [[改元デマ]]と[[私年号]]の関係を見逃していた
- [77] [[公年号]]の[[改元伝達]]の仕組みが未解明
- [68] 地方で発見された用例がそのまま埋もれる
- [69] [[現存最古を発生と誤認した事案]]:
発見された用例の著者が[[建元]]者だと誤認して想像を巡らす
- [76] [[私年号]]は「ひそかに」使われた → 強い根拠はない
- [72] 聞きかじっただけの非専門家が周辺ストーリーを勝手に作って拡散する