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[7]
[DFN[一世一元の制]]は、
[[君主]]の[[即位]]後に[[改元]]し、
治世中は[[改元]]しないとする制度です。
[5] [[一世一元の制]]のもとでは、[[元号]]は実質的に[[即位紀年]]となります。
* 支那
[6] [[明]]と[[清]]でも[[一世一元の制]]が実施されていました。
* 日本
[SEE[ 一般的事項は[[日本の元号法制]] ]]
[1] [[日本]]では、[[明治]]への[[改元の詔]]で[[一世一元の制]]が導入されました。
[2] 現在は[[元号法]]により定められています。
[FIG(short list)[
- [[明治]] ([[明治天皇]])
- [[大正]] ([[大正天皇]])
- [[昭和]] ([[昭和天皇]])
- [[平成]] ([[今上天皇]])
]FIG]
[20]
[[幕末]]の政情不安定の中、ころころ[[改元]]が続いたことが[[一世一元]]になった一因だとかいわれているようです。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]
[22]
[[一世一元]]制導入については、
[[所功]]の研究があり詳しい経緯が知られています。
それによると、[[江戸時代]]後期に[[一世一元]]を提案する者が現れはじめ、
[[江戸幕府]]に提案されたものの実現には至りませんでした。
そうした学者の意見が直接影響を与えたかどうかまでは定かではないものの、
[[明治]]への改元に当たり[[岩倉具視]]が[[一世一元]]を提案し、
採用されることになりました。
[SRC[>>23]]
[REFS[
- [3] [CITE@ja[一世一元の詔 - Wikipedia]]
( ([TIME[2014-08-02 19:29:49 +09:00]] 版))
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%B8%96%E4%B8%80%E5%85%83%E3%81%AE%E8%A9%94>
- [4] [CITE@ja[今後年號ハ御一代一號ニ定メ慶應四年ヲ改テ明治元年ト爲ス及詔書 - Wikisource]]
( ([TIME[2014-08-01 03:30:45 +09:00]] 版))
<http://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%BE%8C%E5%B9%B4%E8%99%9F%E3%83%8F%E5%BE%A1%E4%B8%80%E4%BB%A3%E4%B8%80%E8%99%9F%E3%83%8B%E5%AE%9A%E3%83%A1%E6%85%B6%E6%87%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E3%83%B2%E6%94%B9%E3%83%86%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E3%83%88%E7%88%B2%E3%82%B9%E5%8F%8A%E8%A9%94%E6%9B%B8>
- [23] [CITE[日本年号史大事典]] 普及版 pp. 54-82
]REFS]
* 大韓帝国
[SEE[ [[大韓帝国の日時]] ]]
* 時期
[21] 「一世一元」とは代替わりの後適当な時期に[[代始改元]]し、
それ以後[[改元]]しないという制度です。
[[改元時期]]は必ずしも代替わりと厳密に一致しません。
[19]
[[令和改元]]は[[践祚]]と[[改元]]が完全一致するという日本の[[一世一元]]史上初の代替わりでした。
そのためもあってか「改元」という言葉が[[紀年法]]と関係ない代替わりの意味にも使われることが多々見られました。
* 長短
** 改元頻度の低下
[8]
[[一世一元の制]]が未実施の場合でも[[君主]]の代替わりでは[[改元]]が行われていましたから、
[[改元]]の頻度は[[一世一元の制]]導入により低下します。
つまり[[改元]]間の時間が長くなります。
[9]
[[改元]]によって発生する事務は削減できますし、
[[年数の計算][期間計算]]などの処理も楽になります。
[10]
一方で[[元号]]が変わらない期間が[[人]]の[[寿命]]の[[オーダー]]の長さとなりますから、
[[役所]]や[[企業]]の現場に[[改元]]の経験者がいないという事態が起こり得ます。
[[改元]]対応のノウハウの伝達に支障が生じます。
[11]
[[昭和]]末期から[[平成]]の[[日本]]では数多くの[[計算機システム]]が開発され、
[[日付]]を扱っていますが、
[[平成]]への[[改元]]の際は[[改元]]を考慮していないシステムが少なくありませんでした。
[[平成]]からの[[改元]]は前の[[改元]]から30年しか経過していないにも関わらず、
やはり[[改元]]を考慮していないシステムが存在していたといわれていますし、
そうでなくても改修コストが大きなシステムが多々あるようです。
こうした欠陥システムが存在するのは、
[[改元]]という1000年以上続く[[日付]]システムの根幹イベントへの注意が、
あまりに頻度が低いために払われにくくなっているためといえます。
** 時代特定粒度の低下
[12]
[[改元]]頻度の低下により、
[[元号]]によって時代を特定する能力が下がっているとも考えられます。
[13] [[江戸時代]]以前については各時代の主要な出来事を[[元号]]名で呼ぶことができます
(例えば[[寛政の改革]]、[[応仁の乱]]など)。
しかし[[一世一元の制]]では特定の[[元号]]の時代が長く、
同名になってしまう出来事が多すぎるため、
不可能ではないにせよ難しくなります。
[14]
とはいえ「昭和生まれ」、「平成の大合併」など、
粒度が大きくなり適用対象は限定されているものの、
[[元号]]のこうした用法が完全に失われたのではありません。
** 諡号
[15]
[[一世一元]]下では[[元号]]が[[諡]]として用いられることが通例となっています。
[16]
これにより[[歴史]]学習者などは[[君主]]と時代を容易に対応付けられるという利点があります。
[17]
一方で、在命・在位中の[[君主]]を先代の事例からの類推で[[元号]]名で呼んでしまうという禁忌を犯してしまう事例があります。
(中には[[天皇]]反対主義者など、意図的にそのような呼び方をする人もいますが、
多くは無知故の失敗と思われ、[[一世一元]]の弊害といえます。)
** 改元デマ
[SEE[ [[改元デマ]] ]]
* メモ
[24]
[[江戸時代]]の[[後西院]] ([[明暦]])、
[[東山天皇]] ([[元禄]])、
[[桜町天皇]] ([[延享]])
のように[[天皇]]が[[蔵書印]]に[[元号]]を使うことがあり、
[[一世一元]]につながる考え方が芽生えていたとされています。
[SRC[>>23 普及版 p.557]]
[25]
[[明治天皇]]以来[[天皇]]には[[元号]]で[[追号]]されることが慣例となりましたが、
それ以前も在位中の主要な[[元号]]で[[天皇]]を呼ぶことがありました。
[SRC[>>23 普及版 p.623 ([CITE[帝室制度史]]第六巻)]]
[FIG(table)[
:m: [[天皇]]
:n: 別称
:s: 出典
:m: [[桓武天皇]]
:n: [[延暦天子]]
:s: [CITE[三代実録]]
:m: [[桓武天皇]]
:n: [[延暦帝王]]
:s: [CITE[寛平遺誡]]
:m: [[平城天皇]]
:n: [[大同帝]]
:s: [CITE[元亨釈書]]
:m: [[嵯峨天皇]]
:n: [[弘仁帝皇]]
:s: [CITE[東宝記]]
:m: [[淳和天皇]]
:n: [[天長聖主]]
:s: [CITE[三代格]]
:m: [[仁明天皇]]
:n: [[承和聖帝]]
:s: [CITE[三代格]]
:m: [[文徳天皇]]
:n: [[天安皇帝]]
:s: [CITE[江淡抄]]
:m: [[清和天皇]]
:n: [[貞観皇帝]]
:s: [CITE[広隆寺記]]
:m: [[宇多天皇]]
:n: [[寛平法皇]]
:s: [CITE[中右記]]
:m: [[醍醐天皇]]
:n: [[延喜聖主]]
:s: [CITE[古事談]]
:m: [[村上天皇]]
:n: [[天暦天皇]]
:s: [CITE[江史部集]]
:m: [[円融天皇]]
:n: [[天禄帝]]
:s: [CITE[江史部集]]
:m: [[三条天皇]]
:n: [[長和天皇]]
:s: [CITE[後拾遺往生伝]]
:m: [[後三条天皇]]
:n: [[延久聖主]]
:s: [CITE[玉葉]]
:m: [[亀山天皇]]
:n: [[文応皇帝]]
:s: [CITE[南禅寺記]]
:m: [[霊元天皇]]
:n: [[寛文帝]]
:s: [CITE[念山紀聞]]
:m: [[仁孝天皇]]
:n: [[弘化帝]]
:s: [CITE[実麗卿記]]
@@
]FIG]
[18] [CITE@ja[明治の即位式と改元の画期的な意義 | ミカド文庫]]
([TIME[2019-04-18 13:53:51 +09:00]])
<http://mikado-bunko.jp/?p=887>