/
190.txt
621 lines (501 loc) · 30.7 KB
/
190.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
286
287
288
289
290
291
292
293
294
295
296
297
298
299
300
301
302
303
304
305
306
307
308
309
310
311
312
313
314
315
316
317
318
319
320
321
322
323
324
325
326
327
328
329
330
331
332
333
334
335
336
337
338
339
340
341
342
343
344
345
346
347
348
349
350
351
352
353
354
355
356
357
358
359
360
361
362
363
364
365
366
367
368
369
370
371
372
373
374
375
376
377
378
379
380
381
382
383
384
385
386
387
388
389
390
391
392
393
394
395
396
397
398
399
400
401
402
403
404
405
406
407
408
409
410
411
412
413
414
415
416
417
418
419
420
421
422
423
424
425
426
427
428
429
430
431
432
433
434
435
436
437
438
439
440
441
442
443
444
445
446
447
448
449
450
451
452
453
454
455
456
457
458
459
460
461
462
463
464
465
466
467
468
469
470
471
472
473
474
475
476
477
478
479
480
481
482
483
484
485
486
487
488
489
490
491
492
493
494
495
496
497
498
499
500
501
502
503
504
505
506
507
508
509
510
511
512
513
514
515
516
517
518
519
520
521
522
523
524
525
526
527
528
529
530
531
532
533
534
535
536
537
538
539
540
541
542
543
544
545
546
547
548
549
550
551
552
553
554
555
556
557
558
559
560
561
562
563
564
565
566
567
568
569
570
571
572
573
574
575
576
577
578
579
580
581
582
583
584
585
586
587
588
589
590
591
592
593
594
595
596
597
598
599
600
601
602
603
604
605
606
607
608
609
610
611
612
613
614
615
616
617
618
619
620
621
[1]
[[日本]]の[[古代]]には[[干支年]]などが使われていましたが、
やがて[[元号][日本の元号]]制度が導入されました。
[SEE[ 他の時代も含めた概観は[[日本の元号]] ]]
[SEE[ 各制度に関する事項は[[元号]]、[[改元]]、[[干支年]] ]]
* 神武東征時代
[6] [CITE[[[日本書紀]]]]の最古の[[紀年]]のある記事は[[神武東征]]であり、
「及年四十五歳。[SNIP[]] 是年也太歳甲寅。
其年冬十月丁巳朔辛酉。天皇親帥諸皇子舟師東征。」、
すなわち「甲寅年冬十月丁巳朔辛酉」
なる[[日付]]が示されていました。 [SRC[>>5]]
[7] [[神武天皇]]の[[年齢]]を逆算して更に何年か遡ることはでき
[WEAK[(ただし[CITE[日本書紀]]と[CITE[古事記]]で記述が異なります)]]、
あるいは「于今一百七十九萬二千四百七十餘歳。」 [SRC[>>5]]
との記述から[[神代]]の概年数を知ることはでき
([SEE[ [[天孫紀元]] ]])、
一方で史実がどの程度反映されているか不確かとはいえ、
[[日本]]の[[正史]]である[CITE[日本書紀]]で明確に記載された最初の[[日付]]がこれであり、
この日こそが[[日本の歴史]]の出発点であるといえます。
[8] 以後[[神武東征]]時代は同様に[[干支年]]で[[日付]]が記載されました。
[SRC[>>5]]
[28] もちろんこれは[CITE[日本書紀]]編者らによる[[紀年法]]であって、
[[神武東征]]が史実かどうかの議論は置いておくとしても、
当該時代の実際の[[日時制度]]は定かではありません。
[16] [[皇紀]]が[[神武天皇]]の[[即位紀年][天皇即位紀年]]の延長として定められたためか、
[TIME[皇紀元年][year:-659]]以前も数年間連続した期間があるにも関わらず、
この期間は蔑ろにされがちです。
この[[神武東征]]期間を扱う[[神武天皇即位前の紀年法]]として次のものが知られています。
[FIG(middle list)[ [27] [[神武東征]]時代を扱う[[紀年法]]
- [[神武天皇即位前紀干支年]]
- [[神武天皇前]]
- [[神武天皇紀元前]]
- [[西暦]]
]FIG]
* 記紀天皇時代
[29] [[神武天皇]]即位後、
最初の[[元号]]である[[大化]]より前の時代について、
[CITE[日本書紀]]などでは[[天皇即位紀年]]が用いられてきました。
[9] [[神武天皇]]の即位について[CITE[日本書紀]]には
「辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。是歳爲天皇元年。」 [SRC[>>5]]
とする記事があり、
以後ここからの年数で記述されました。
[10]
例えば次の記事は「二年春二月甲辰朔乙巳。」 [SRC[>>5]]
とあり、
神武天皇の即位2年目、
2月すなわち[[朔日]]の[[日干支]]が[[甲辰]]である[[月]]、
[[日干支]]が[[乙巳]]である日、
すなわち[TIME[皇紀2年2月2日][-0658-02-02]]が表されていました。
[[神武天皇]]のみならず以後の天皇の時代、
[CITE[日本書紀]]に続く各[[正史]]でもこの[[日付形式]]が採用されました。
[30]
[[朔日]]を表すときは、
「廿四年春二月丁未朔」 [SRC[>>11]]
のごとく[[日干支]]は1つだけ記述されました。
[32]
[[月]]内のいつかを表すときは、
「廿三年春三月」 [SRC[>>11]]
のように[[月]]まで記述されました。
[33]
[[年]]内のいつかを表すときは、
「廿五年」 [SRC[>>25]]
のように[[年]]まで記述されました。
[34]
「五年秋八月庚寅朔壬寅。[SNIP[]]
冬十月。」 [SRC[>>25]]、
「三年冬十月辛未朔癸酉。[SNIP[]]
十一月。[SNIP[]]
是歳[SNIP[]]」 [SRC[>>25]]、
「廿二年春三月甲申朔戊子。[SNIP[]]
丁酉。」 [SRC[>>25]]、
「四十一年春二月甲午朔戊申。[SNIP[]]
是月。」 [SRC[>>25]]
のごとく、年、季節、月が前項と同じ時省略されたり、
「この歳」、「この月」のような表現が用いられたりもしました。
[49]
「三月上巳」 [SRC[>>48]]
のように朔日干支が省略されることもありました。
[52] [CITE[日本書紀]]では「[VAR[何々]]朔」または「[VAR[何々]]朔[VAR[何々]]」
といった日の表記がほとんどでしたが、
[CITE[続日本紀]]以後では
「[VAR[何々]]朔」または「[VAR[何々]]」
となりました。
;; [53] なお[CITE[六国史]]第6の
[CITE[日本三代實錄]]では、
[[日]]は「[VAR[何々]]朔」または「[VAR[何]]日[VAR[何々]]」
のように常に日番号が併記されるようになりました。 [SRC[>>54]]
[FIG(railroad)[ [36] [VAR[日付]]
= |
== =
=== [VAR[年]]
=== ?
==== [VAR[季]]
==== [VAR[月]]
==== ?
===== [VAR[朔と日]]
== =
=== [VAR[季]]
=== [VAR[月]]
=== ?
==== [VAR[朔と日]]
== =
=== [VAR[月]]
=== ?
==== [VAR[朔と日]]
== [VAR[日]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [35] [VAR[[[季]]]]
= |
== [CODE[春]]
== [CODE[夏]]
== [CODE[秋]]
== [CODE[冬]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [37] [VAR[月]]
= ?
== [CODE[閏]]
= |
== [CODE[正月]]
== =
=== [VAR[[[漢数字]]数]]
=== [CODE[月]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [51] [VAR[朔と日]]
= |
== =
=== [VAR[朔]]
=== ?
==== [VAR[日]]
== [VAR[日]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [38] [VAR[朔]]
= [VAR[[[干支][日干支]]]]
= [CODE[朔]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [39] [VAR[日]]
= [VAR[[[干支][日干支]]]]
]FIG]
[17]
[[天皇即位紀年]]は、「元年」、
「二年」のように年番号のみで表されていましたが、
他の天皇の在位中を参照する必要があるときは
「天豐財重日足姫天皇三年」 [SRC[>>18]] (斉明天皇3年)、
「天渟中原瀛眞人天皇元年夏六月」 [SRC[>>18]] (天武天皇元年6月)
のように天皇名と共に表記されました。
[23]
天皇の他、[[神功皇后]]の時代についても、
「冬十月癸亥朔甲子、群臣尊皇后曰皇太后。是年也、太歲辛巳。則爲攝政元年。
二年冬十一月丁亥朔甲午、[SNIP[]]」 [SRC[>>22]]
のように同様の方法で記述されました。
次巻では「攝政六十九年夏四月。」 [SRC[>>25]] のように参照されました。
[19]
天皇名は[[天豐財重日足姫天皇]]のような[[和風諡号]]で記述されました。
現在ではこれを[[斉明天皇]]のような[[漢風諡号]]に置き換えて表記するのが一般的となっています。
;; [20] [[漢風諡号]]は[CITE[日本書紀]]よりも後の時代に[[追号]]されたとされています。
現存する[CITE[日本書紀]]写本には[[漢風諡号]]も巻名に併記されていますが、
[[漢風諡号]]成立後に追記されたと考えられています。
[FIG(railroad)[ [40] [VAR[年]]
= |
== =
=== ?
==== ?
===== |
====== [VAR[[[漢風諡号]]]]
====== [VAR[[[和風諡号]]]]
==== ?
===== |
====== [CODE[天皇]]
====== [CODE[皇后]]
====== [CODE[皇后摂政]]
====== [CODE[摂政]]
=== [VAR[[[漢数字]]数]]
== [VAR[[[干支][干支年]]]]
= [CODE[年]]
]FIG]
[21] [CITE[日本書紀]]の[[漢文]]原文では「天渟中原瀛眞人天皇元年」
のように[[元号年]]の表記の形を採っており、
現在もこの年を表記する際「天武天皇元年」のように元号風に取り扱う慣例となっていますが、
[CITE[日本書紀]]の一般的な[[書き下し文]]では
「天渟中原瀛眞人天皇の元年」などと[[助詞]]を挟んで2語として扱っているようです。
[[年]]以下についても「二年の春の二月甲辰の朔の乙巳」
のように[[助詞]]をいくつも挟んで[[書き下し文]]とするようです。
;; [31] [[漢文]]の書き下しで日付をどう処理するかに一般的な規則があったのかはわかりません。
後の[[元号年]]も「何々の何年」と[[助詞]]を挿入している例は見られるようです。
天皇名でも[[元号]]でも、どの時代の何年目という包含関係を明確に意識にあってそう書き下したのでしょう。
-*-*-
[42]
[CITE[日本書紀]]の[[景行天皇]]紀には、
「活目入彦五十狹茅天皇 [SNIP[]] 九十九年 [SNIP[]]
秋七月己巳朔卯己卯。太子即天皇位。因以改元。
是年也太歳辛未。 」 [SRC[>>41]]
とあり、新天皇即位により[[改元]]されたとありました。
[CITE[日本書紀]]で[[大化]]より前の「改元」の記事はこれだけです。
「[[建元]]」の記事はありません。
-*-*-
[13] [[天皇即位紀年]]相互の関係は「太歳己卯」 [SRC[>>12]]
のごとき[[太歳]]の[[干支年]]の記述により知ることができました。
;; [14] [[皇紀]]や、各[[天皇即位紀年]]と[[西暦]]との関係は、
こうした記述をつなぎ合わせて求められました。
[26] なお、[[支那]]や[[朝鮮]]の歴史書の[[引用]]という形で、
「魏志云、明帝景初三年六月、」[SRC[>>22]]、
「百濟記云、壬午年、」[SRC[>>22]]、
「六十六年。是年、晉武帝泰初二年。」 [SRC[>>22]]
といった形の年の表現も一部に含められました。
[REFS[
- [5] [CITE@zh[日本書紀/卷第三 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-25 17:49:03 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%89>
- [12] [CITE@zh[日本書紀/卷第四 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-25 18:49:25 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E5%9B%9B>
- [41] [CITE@zh[日本書紀/卷第七 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-27 20:46:00 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%83>
- [22] [CITE@zh[日本書紀/卷第九 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-25 20:47:37 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B9%9D>
- [25] [CITE@zh[日本書紀/卷第十 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-25 20:50:57 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E5%8D%81>
- [48] [CITE@zh[日本書紀/卷第十五 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-28 13:16:08 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%BA%94>
- [11] [CITE@zh[日本書紀/卷第十七 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-27 17:15:56 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%83>
- [18] [CITE@zh[日本書紀/卷第三十 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-25 19:06:54 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%8D%81>
- [54] [CITE@zh[日本三代實錄 - 维基文库,自由的图书馆]] ([TIME[2019-04-28 13:37:50 +09:00]]) <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E4%BB%A3%E5%AF%A6%E9%8C%84>
]REFS]
-*-*-
[4] [[皇紀]]は、[[神武天皇]]の即位年から起算した[[紀年法]]です。
[[神武天皇]]即位紀年の自然な延長ですが、
「神武天皇[VAR[何]]年」ではなく、
「皇紀[VAR[何]]年」などと表記されます。
[[日本の歴史]]のほとんどの期間を単調増加する年号で扱えるのが利点です。
もちろん[[神武天皇]]の時代から連続して用いられていたものではありません。
[[神武天皇]]の即位年から何年という数え方は[[南北朝時代]]頃から記録に残っているようです。
[[紀年法]]として実用されるようになったのは[[江戸時代]]頃でした。
[SEE[ [[皇紀]] ]]
-*-*-
[44]
[CITE[日本書紀]]と同じ時代を記した歴史書に[CITE[古事記]]がありますが、
[CITE[日本書紀]]ほど[[日付]]の記述は多くありません。
[45]
経過年数や人物の年齢を記したものの他に、
崩年が「壬子年十一月十三日」 [SRC[>>43]]
のように[[干支年]]と[[漢数字]]の[[月日]]で示されました。
例外的に「戊子年三月十五日癸丑日」 [SRC[>>43]]
と[[日干支]]も併記したものもありました。
[FIG(railroad)[
= [VAR[[[干支][干支年]]]]
= [CODE[年]]
= [VAR[月]]
= [VAR[[[漢数字]]数]]
= [CODE[日]]
= ?
== [VAR[[[干支][日干支]]]]
== [CODE[日]]
]FIG]
[46] [CITE[古事記]]の範囲は[[元号]]の建てられる前の[[推古天皇]]の時代まででした。
しかし序文には
「和銅四年九月十八日」、
「和銅五年正月廿八日」
と[[元号]]の[[日付]]が書かれました [SRC[>>43]]。
[REFS[
- [47] [CITE@ja[古事記 上-1 併序]] ([TIME[2014-06-02 16:53:02 +09:00]]) <http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_01.html>
- [43] [CITE@ja[古事記 下-4 清寧天皇記~推古天皇記]] ([TIME[2014-06-05 17:33:31 +09:00]]) <http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_17.html>
]REFS]
-*-*-
[55]
[CITE[日本書紀]]と[CITE[古事記]]の自然な解釈は寿命や記述の矛盾が生じるため、
そのまま歴史的事実とすることはできません。
記紀や他の史料をどう解釈するべきかについて、
古くから様々な議論があります。
[SEE[ [[紀年論]] ]]
* 支那元号
[57] [[支那王朝の元号][支那の元号]]が記された[[鏡]]が日本各地で見つかっています
[SRC[>>58, >>56]]。
[REFS[
- [58] [CITE@ja[銅鏡 - Wikipedia]] ([TIME[2019-04-27 11:00:28 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%8F%A1#.E7.B4.80.E5.B9.B4.E9.8A.98.E9.8F.A1>
- [56] [CITE@ja[三角縁神獣鏡 - Wikipedia]] ([TIME[2019-04-30 16:43:18 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B8%81%E7%A5%9E%E7%8D%A3%E9%8F%A1#.E7.B4.80.E5.B9.B4.E9.8A.98.E3.82.92.E3.82.82.E3.81.A4.E4.B8.89.E8.A7.92.E7.B8.81.E7.A5.9E.E7.8D.A3.E9.8F.A1>
]REFS]
* 元号の採用
[2]
古代[[日本]]では[[干支年]]を使っていました。
[3]
[[干支年]]は60年で一周し区別ができなくなってしまうため
[[大宝律令]]以後[[元号年]]が採用されました。
* 元号のない時代の扱い
[85] 対応表や変換ソフトウェアにおける[[元号]]のない時期の扱いは、それぞれです。
[FIG(list)[
- [86] 対象外とし、扱わないこととする
- [87] [[天皇]]名により「[VAR[○○]]天皇[VAR[n]]年」または「[VAR[○○]][VAR[n]]年」
のように表す
- [88] 「白雉後[VAR[n]]年」のように表す
-- [[大化]]より後のみ
- [412] 直前の[[元号]]が継続したとして扱う
-- [[大化]]より後のみ
- [413] 最初の[[元号]]の0年や負の年として扱う
-- [[大化]]のみ
]FIG]
[545] [[天皇]]擬似[[元号]] ([[在位紀年]]) は、[[日本書紀]]の記述を元に便宜上使用するものです。
ただし現在用いられる[[天皇]]名は[[日本書紀]]より後に[[淡海三船]]が決めた[[漢風諡号]]で、
[[日本書紀]]に記載があるわけではありません。
[209] [[大化]]以前には、
[[神武天皇]]から[[皇極天皇]]まで、[[神功皇后]]を含めて36個の擬似[[元号]]
([[在位紀年]]) があります。
[210] [[大化]]以後の[[元号]]欠落期間には、次の擬似[[元号]]があります。
[FIG(short list)[
- [[斉明天皇]]
- [[天智天皇]]
- [[天武天皇]]
- [[持統天皇]]
- [[文武天皇]]
]FIG]
[138] 天皇名を擬似[[元号]]とする場合、[[文武天皇]]を除き、改元は1月1日とされているようです。
前天皇の没年の翌年が元年となるようです。
;; [211] 後世に便宜上与えた[[年]]の名称なので、[[即位]]年月日とは無関係に扱いやすいよう定めたのでしょう。
[89] [[神功皇后]]も擬似[[元号]]として扱うのが普通です。
[[Wikipedia]] は「神功元年10月2日 - 神功69年4月17日」 (在位期間)
や「神功皇后69年4月17日」 (死去) のように表記しています [SRC[>>135]]。
「神功皇后摂政[VAR[n]]年」とも表記します。
[312] >>311 は[[神武天皇]]即位以前を擬似[[元号]]「神武天皇前」で表しています。
[[日本書紀]]の最初であるとする -666年 (紀元前667年) が元年 [SRC[>>313]]
([[神武東征]]開始の[[甲寅]]の年) で、7年まであります。
[REFS[
- [139] [CITE@ja[上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 20:13:52 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8F%A4%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E5%9C%A8%E4%BD%8D%E5%B9%B4%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%9A%A6%E5%AF%BE%E7%85%A7%E8%A1%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7>
- [135] [CITE@ja[神功皇后 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-08 23:31:07 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E>
- [311] [CITE[和暦(わごよみ)]] ([TIME[2008-08-24 10:06:08 +09:00]] 版) <http://www.wagoyomi.info/wagoyomi.html>
-- [313] [CITE[和暦(わごよみ) 注記]] ([TIME[2015-08-07 11:59:51 +09:00]] 版) <http://www.wagoyomi.info/note.html>
]REFS]
[319] [[Wikipedia]] の[[孝徳天皇]]記事は645年を当初[[皇極天皇]]4年、
6月14日から19日まで[[孝徳天皇]]元年、6月19日から大化元年としています [SRC[>>318]]。
[[Wikipedia]] の他の記事 [SRC[>>322]] や元号一覧は[[大化]]開始日6月19日まで皇極天皇4年としています。
[325] [[元号一覧]>>323] も6月18日まで皇極天皇4年としています。
[321] [CITE[[[日本書紀]]]]に「天豊財重日足姫天皇の四年を改めて大化元年とす」とある
[SRC[>>320]] ので、6月19日まで[[皇極天皇]]4年と扱うのが適当に思われます。
途中5日間だけ[[孝徳天皇]]元年として扱うのは細かすぎます。
[316] [[Wikipedia]] の元号一覧および個別記事 [SRC[>>317]]
では、[[白雉]]の最終日は[[旧暦]]白雉5年10月10日
([[ユリウス暦]]654年11月24日) となっています (空白期開始日も同日)。
それ以後は擬似[[元号]][[孝徳天皇]]を使っています [SRC[>>318]]。
[324] [[元号一覧]>>323] も10月11日以後[[孝徳天皇]]10年としています。
[330] 崩御後年末までの事項を[[白雉]]元年とするものもあります [SRC[>>329]]。
しかし年末まで2ヶ月しかなく、[[孝徳天皇]]葬儀くらいしか出来事がなかったようで、
言及自体がそれほど多くはないようです。[[朱鳥]]の扱いと統一するなら、
年末まで[[白雉]]元年とし、翌年初から[[斉明天皇]]元年とするのが良いようにみえますが...
[REFS[
- [320] [CITE@ja[大化 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 14:26:18 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96>
- [317] [CITE@ja[白雉 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-19 14:08:54 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%89>
- [318] [CITE@ja[孝徳天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [322] [CITE@ja[645年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-14 06:42:09 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/645%E5%B9%B4>
- [329] [CITE[古代史年表(欽明天皇~元明天皇)]] ([TIME[2016-01-19 15:27:53 +09:00]] 版) <http://www.ookuninushiden.com/newpage1.html>
]REFS]
[137] 斉明天皇7年7月24日/[[ユリウス暦]]661年8月24日) の[[斉明天皇]]崩御後[[中大兄皇子]]が[[称制]]しました。
その翌年662年が天智天皇元年とされています [SRC[>>136]]。
即位したのは天智天皇7年1月3日/[[ユリウス暦]]668年2月20日です [SRC[>>136]]。
各種対応表等もこれに従っているようです [SRC[>>138]]。
[REFS[
- [136] [CITE@ja[天智天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-06 22:37:16 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87>
]REFS]
[91] [[弘文天皇]]の即位日は[[旧暦]]天智天皇10年12月5日/[[ユリウス暦]]672年1月9日で、
671年を弘文天皇元年、672年を弘文天皇2年とする場合と、
672年を弘文天皇元年とする場合があるようです。
[134] [[Wikipedia]] その他 [SRC[>>132, >>133, [[元号一覧]>>323] ]]
は[[弘文天皇]]を擬似[[元号]]として使わず、
671年は天智天皇10年、672年は天武天皇元年としています。
[480] [[Wikipedia]] の日付記事では672年を[[弘文天皇]]元年かつ[[天武天皇]]元年と併記しています
[SRC[>>479, >>481]]。
[483] [[Wikipedia]] の[[天武天皇]]記事は、なぜか672年を[[弘文天皇]]元年、
673年を[[弘文天皇]]2年とし、以後[[天武天皇]]年としています。
(他と同じく[[天武天皇]]元年は672年です。)
[185] >>50 は673年を天武天皇元年としています。
[REFS[
- [132] [CITE@ja[壬申の乱 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-30 09:54:11 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1>
- [133] [CITE@ja[弘文天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-29 00:04:24 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [479] [CITE@ja[8月3日 - Wikipedia]] ([TIME[2016-02-06 00:46:25 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%883%E6%97%A5>
- [481] [CITE@ja[672年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-14 06:53:06 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/672%E5%B9%B4>
- [482] [CITE@ja[天武天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2016-02-04 08:50:14 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[50] [CITE@ja[suchowan's UniWiki Calendar/When/Exe/暦説明/本編/日本]]
([TIME[2016-01-10 15:17:11 +09:00]] 版)
<http://www2u.biglobe.ne.jp/~suchowan/u/wiki.cgi?Calendar%2FWhen%2FExe%2F%E6%9A%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%2F%E6%9C%AC%E7%B7%A8%2F%E6%97%A5%E6%9C%AC>
]FIGCAPTION]
> 改元の日付は三省堂の『コンサイス世界年表』'''['''6''']'''に拠りました。
> 源平争乱期と南北朝時代については、それぞれ源氏方と平氏方及び南朝と北朝の 年号を表示します(ただし白鹿はサポートしていません)。
> 南朝の「文中」改元は日付が不明になっていますので仮に4月1日にしてあります。 バージョン2.01から、明徳3年閏10月5日までバージョン1.Xに較べ1日長く「元中」 年号を表示するように変更しました。これは中国暦日表示の原則に合わせたためです。 他の時代にも、京都で次年号に改元後関東等で使用されていた年号があるようですが、 京暦に従いました。
> 弘文天皇の在位の解釈により天武天皇元年 が1年食い違う史料もありますが(というか弘文天皇は明治になってから認められた 天皇なのでたいていの古文献では1年ずれているはず)、やはりコンサイス世界年表 に従ってAD673年を天武元年としています(指摘してくださったykawazoeさんありがとう ございます)。どうしても日本書紀'''['''8''']'''に合わせたい場合は、whenhv.exe と shoki.rsc を組み合わせて使用してください。
]FIG]
[333] [CITE@ja[suchowan's UniWiki Calendar/When/Exe/暦説明/本編/日本]] ([TIME[2016-01-19 18:00:04 +09:00]] 版) <http://hosi.org/u/wiki.cgi?Calendar%2FWhen%2FExe%2F%E6%9A%A6%E8%AA%AC%E6%98%8E%2F%E6%9C%AC%E7%B7%A8%2F%E6%97%A5%E6%9C%AC>
は >>50 と同じ
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[101] >>19
]FIGCAPTION]
> 「神武天皇」から「文武天皇」まで
> 『日本書紀』および『続日本紀』(ともに『日本国史大系』(吉川弘文館刊)収録のもの)の記述に従っています。
> (1)年号名および改元日が記されているものはそれによる(大化、白雉、朱鳥)。
> (2)年号がないものは天皇(または皇后)の名称を年号として用いる。この場合、各史料に元年と記された年の1月1日をもって年号を改める(即位日ではない)。ただし、持統天皇11年丁酉(日本書紀)と文武天皇元年丁酉(続日本紀)は同じ年であるため、この年は文武天皇の即位日から年号を「文武天皇」として扱う。なお、弘文天皇は入力のみ対応する(出力時は「天武天皇」)。
]FIG]
[93] 686年は[[朱鳥]]元年ですが、1年のみ [SRC[>>92]]
でその後[[元号]]が用いられなくなります。
687年は[[朱鳥]]2年とする場合もあります。
文献には[[朱鳥]]8年まで用例があります [SRC[>>92, >>269]]。
[[持統天皇]]元年を687年とすることが多いようですが、686年とするものもあります。
[[朱鳥]]がなかったことにしているものまであります。
[141] [[菟野讃良皇后]]は[[旧暦]]朱鳥元年9月9日/[[ユリウス暦]]686年10月1日から[[称制]]、
[[旧暦]]持統天皇4年1月1日/[[ユリウス暦]]690年2月14日に[[即位]]しています ([[持統天皇]])
[SRC[>>140]]。 [[Wikipedia]] の元号一覧はこの日を[[朱鳥]]最終日とし、
以後空白期にしています。
しかし他の記事では、残りの期間も[[朱鳥]]元年として扱っています [SRC[>>207]]。
[327] 他の対応表も686年末まで[[朱鳥]]元年、
687年初から[[持統天皇]]元年としています [SRC[[[元号一覧]>>323]]]。
[24]
[CITE[日本年号史大事典]]巻末年表 (普及版 p.795) は、
持統元年686年を朱鳥元年とし、
2年から5年は括弧書き、
持統6年以後は空欄としています。
[208] [[Wikipedia]] は[[退位]]を[[旧暦]]持統天皇11年8月1日/[[ユリウス暦]]697年8月22日としています [SRC[>>140]]。
[143] 次の[[文武天皇]]は、[[即位]]が[[旧暦]]文武天皇元年8月1日/[[ユリウス暦]]697年8月22日です
[SRC[>>142]]。新[[元号]]の[[大宝]]は[[旧暦]]文武天皇5年3月21日/[[ユリウス暦]]701年5月3日からとされています。
[144] つまり697年は[[持統天皇]]11年かつ[[文武天皇]]元年とされています。
[326] 一方で持統天皇11年を置かず、初日から[[文武天皇]]元年とするもの [SRC[[[元号一覧]>>323]]]
もあります。
-*-*-
[15] [[国立天文台]]の[CITE[日本の暦日データベース]]は、
[[神武天皇]]元年から[[大宝]]建元よりも前の期間について、
[[天皇即位紀年]]、[[大化]]、[[白雉]]、[[朱鳥]]を年単位
([[旧暦]]年) で割り当てていて、3[[元号]]の建元日も無視されています。
理由は不明です。
[SEE[ [[元号一覧]>>347] ]]
[REFS[
- [92] [CITE@ja[朱鳥 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-11 11:49:32 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%B3%A5>
- [269] [CITE[null]] ([TIME[2014-08-09 23:32:00 +09:00]]) <http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000160.html>
- [140] [CITE@ja[持統天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%B5%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [142] [CITE@ja[文武天皇 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-23 09:00:05 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87>
- [207] [CITE@ja[686年 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-06 08:09:59 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/686%E5%B9%B4>
]REFS]
[177]
なお、当時[[年]]を記述する際は[[干支紀年法]]を使っていました。
* 古代年号
[226] [[元号]]や正式に定められる前や、初期の不安定な時期に使われたといわれる[[私年号]]は多数あります。
それらを[DFN[[[逸年号]]]]ということもあります。
しかしそのほとんどは後世の作と考えられています [SRC[>>225]]。
[170] [[Wikipedia]] の[[日本の元号]]の一覧は、
[[私年号]]のうち[[白鳳]]と[[朱雀]]だけ特別に掲載しています。
それぞれ、[[白雉]]と[[朱鳥]]の別名 (ただし異説もあり) [SRC[>>225]] とされています。
[227] [[法興]] (元年 = 591年、31年以上存続) も実在したことは間違いない [SRC[>>225]] とされています。
-*-*-
[224] [[大和朝廷]]とは異なる[[九州王朝]]が存在したと考える人は、
[[九州王朝]]の[[元号]]を[DFN[[[九州年号]]]]や[DFN[[[倭国年号]]]]と呼んでいます。
次のような[[元号]]が挙げられています [SRC[>>228]]。
[[正史]]の[[元号]]と同名であっても、別の[[年]]とされています。
[FIG(list short)[
- [[継体]]
- [[善化]]/[[善記]]
- [[正和]]
- [[発倒]]/[[教到]]
- [[僧聴]]
- [[同要]]/[[明要]]
- [[貴楽]]
- [[結清]]/[[法清]]
- [[兄弟]]
- [[蔵和]]
- [[師安]]
- [[和僧]]
- [[金光]]
- [[賢接]]/[[賢稱]]
- [[鏡當]]
- [[勝照]]
- [[端政]]
- [[従貴]]/[[告貴]]
- [[煩転]]/[[願転]]
- [[光元]]
- [[定居]]
- [[倭京]]
- [[仁王]]
- [[聖徳]]
- [[僧要]]
- [[命長]]
- [[常色]]
- [[白雉]]
- [[白鳳]]
- [[朱雀]]
- [[朱鳥]]
- [[大化]]
- [[大長]]
]FIG]
[649] [[九州年号]]説を信じる人達は、同様の[DFN[百済年号]]として[[明雲]]、[[白雲]]を挙げています
[SRC[>>648]]。
[552] これらの[[元号]]は、[[九州王朝]]説以前から伝わる[[逸年号]]を、
[[大和政権]]とは異なる[[政権]]の[[紀年法]]として再編したものです。
しかし[[九州王朝]]説は根拠に乏しく、
支持されていません。
-*-*-
[229] 他にもいくつか古代の[[私年号]]があります [SRC[>>225]]。
[REFS[
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
- [228] [CITE@ja[九州王朝説 - Wikipedia]] ([TIME[2016-01-13 03:42:23 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#.E4.B9.9D.E5.B7.9E.E5.B9.B4.E5.8F.B7.E8.A1.A8>
- [231] <http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/NENGO.htm>
- [232] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
- [233] <http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[648] [CITE[百済年号の発見]]
([TIME[2016-12-10 11:18:30 +09:00]])
<http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga20.html>
]FIGCAPTION]
> 読みや解釈は難しく、今後の課題としたいが、いくつかの注目すべき点がある。一つは「明雲廿六年」「白雲元年」という年号である。文脈から改元を意味していることから、年号であることは間違い無い。同村に伝わる百済王伝説からすれば百済年号である可能性が高い。
]FIG]
]REFS]
* メモ