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716
[32]
[DFN[久宝]]
([TIME[y~1167]],
当時の表記 [DFN[久寳]],
[[旧字体]] [DFN[久寶]])
は、
[[江戸時代]]の[[日本の私年号]]の1つです。
* 紀年法
[34]
[[元年]]は、[TIME[天保5(1834)年][1834]]です。
* 用例
[33]
[[日本国]][[石川県]][[七尾市]][[中挟町]]
[WEAK[([[江戸時代]]は[[加賀藩]]領)]]
の[[藤原四手緒神社]]の[[絵馬]]銘文で昭和40年代末に発見されたのが現在知られている唯一の用例です。
[ITEMS[ [[日時事例]]
-[72]
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[石川県]][[七尾市]][[中挟町]]]] [[藤原四手緒神社]] [[絵馬]] [CITE[巴御前奮戦図額]]]]
-- [83] 59 × 89.5、武者絵 [SRC[>>64]]
-- [84] [DATA(.label)[表]]
「[DATA(.text)[天保五年午三月吉日]]」
[SRC[>>64]]
--- [94] 目を凝らすと読める薄い墨書 [SRC[>>7]]
-- [85] [DATA(.label)[裏]]
「[DATA(.text)[[V[久寳元年[BR[]] [SUP(smaller)[甲]]午三月𠮷日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>7]]
--- [86] >>64 に[[翻刻]]
[VRL[
久宝元年[BR[]]
[LINES(normal)[甲 ][ 午]]三月吉日[BR[]]
中挾村肝煎[BR[]]
太郎左衛門[BR[]]
御 宝 前
]VRL]
[SRC[>>64]]
--- [98] 「中挟村 太郎兵衛」 [SRC[>>7]]
--- [95] [[日付]]は「墨をたっぷりふくませた力強い筆致」、
願主は「つつましく」 [SRC[>>7]]
--
[26] >>7 両面カラー写真。裏面銘文のうち[[日付]]は読み取れる。
裏面は願主も書かれているらしいが写真では読み取れない。
表面は銘文読み取れず。解像度が低い。
--
[23] >>22 白黒写真。表面の一部があり銘文があるといわれる部分も写っているが読み取れず。
裏面の日付部分の一部がある。願主は読み取れない。
>>10 の写真よりは明瞭。
]ITEMS]
[38]
表と裏の日付は同筆なのだろうか? 各サイト・書籍の写真はどれも表面の銘文が判読できないのでなんともいえない。
[97]
表の銘文は[[絵師]]によって書かれたとされます。 [SRC[>>6]] 根拠は不明。
[99]
裏の銘文は[[太郎兵衛]]によって書かれたとされます。 [SRC[>>6]]
根拠は不明で、[[村役人]]の[[太郎兵衛]]の名前があるとしても、
実際に本人が書いたかまでは厳密には決め手に欠けます。
;; [105]
>>7 はカラー写真を掲載しているので筆者は実見していそうですが、
表を誰が書いたか述べていません。
(>>7 はよく読むと裏も誰が書いたかは明言していませんが。)
[100]
[[絵師]]は明記されておらず不明です。
[[藤原四手緒神社]]には[[中挟村]]の[[百姓]]の[[徳衛門]] ([[徳島白雲]])
による「安政三歳辰八月十四日」銘の[[絵馬]]があり、
[[久宝]]絵馬も[[徳島白雲]]の作とする説があります
[SRC[>>6]]。
* 研究史
[79]
[[久宝]]は[[昭和時代]]中期に知られるようになりました。
;; [80] 先行する[CITE[日本私年号の研究]]などの時代には未だ知られておらず、
掲載されていませんでした。
[66]
[CITE[七尾の絵馬研究]]
は、
[[日本国]]の[[石川県立七尾商業高等学校]]の[[同好会]]である[[郷土研究会]]の研究報告です。
[[郷土研究会]]は[TIME[1972-09-23]]前後に
「絵馬展」
を開催し、ガリ版刷の
[CITE[七尾の絵馬研究]]
を発行しました。
発行部数が少ないため、
[[七尾近世史料研究会]]がその機関誌
[CITE[七尾の地方史]]
に掲載出版しました。
[SRC[>>65]]
[67]
ガリ版刷のオリジナル
[CITE[七尾の絵馬研究]]
は当時既に入手困難だったということで、
関係者のみにごく少部だけ配布されたものと思われます。
現在[[ウェブ検索]]、[[国立国会図書館]]検索、[[カーリルローカル]]の[[石川県]]の検索、
[[日本の古本屋]]の検索のいずれでも発見できません。
オリジナル版と
[CITE[七尾の地方史]]
版との違いの有無は不明です。
[68]
[[石川県立七尾商業高等学校]]の[[郷土研究会]]は、
[TIME[昭和46(1971)年][1971]]に十数名で発足しました。
顧問教員もおらず、
活動予算もなく苦労しながら、
[[七尾市史]]専門委員の[[田川捷一]]の助言により市内に残る[[絵馬]]を調査しました。
そんな状態では信用もなかったのでしょうか、
調査を断られたことも何度もあったそうです。
[SRC[>>64]]
;; [69]
[[昭和時代]]のあちこちの[[高校]]に意外とあったらしいこのような会は、
その方面に詳しい(社会科などの)教員が面倒を見ているイメージがありましたけど、
こんなパターンもあるのですね。
大変立派な[[高校生]]さんたちです。
;; [81] [[日常系アニメ]]にしてほしいですね!
[70]
[[久宝]]の[[絵馬]]はこの研究会の調査で発見されました。
それが[[新聞]]に掲載され、
[[七尾市長]]の[[青木重治]]の激励の言葉と「御厚志」を得ました。
[SRC[>>64]]
;; [74] [[私年号]]が繋いだ縁、先人からの贈り物ですね。素敵な話です。
[71]
この調査では500以上の史料が得られたものの、
なおも未見の[[絵馬]]が多数残るだろうとされています。 [SRC[>>64]]
その中には未知の[[私年号]]資料も含まれるのでしょうか。
;; [82]
この当時はまだ[[七尾市]]域ではありませんでしたが、
その近くの[[神社]]の[[絵馬]]で新出[[私年号]]の[[永佳]]を使った事例が[[平成時代]]に報告されることになります。
[73]
[[田川捷一]]は、
[[天保の大飢饉]]に直面して百姓が苦しんでおり、
宝が久しく続くという願いを込めた[[私年号]]を書いたのだと考えました。
[SRC[>>64]]
[75]
なお、この[[徳田]]地区では[[近世]]の[[絵馬]]が十数個、この神社だけでも数個が記録されていますが、
天保年間のものはこれ1つだけです。
近い時期だと文化、弘化のものが1つずつこの地区にはあります。
[SRC[>>64]]
;; [77]
[[田川捷一]]は[[慶喜]]の研究にも寄与しました。
[REFS[
- [63] [CITE[七尾の地方史]] (8)
-- [64] [CITE[[V[七尾の絵馬研究]]]],
[[[V[石川県立七尾商業高等学校[BR[]]郷土研究会]]]],
pp.[L[10]]-[L[28]]
--- [65]
[CSECTION[[V[「七尾の絵馬研究」について]]]],
[V[編集子]],
p.[L[18]]
]REFS]
[24]
[[昭和時代]]の[[日本国]][[石川県]]の歴史研究者[RUBYB[[[浅香年木]]][[TIME[1934]]-[TIME[1987]]]]は、
[TIME[昭和52(1977)年][1977]]の北陸の歴史の解説書で、
「[[世直し]]」祈願の代表例として[[久宝]]を取り上げました。
次のように説明しました。
[SRC[>>22]]
- [25] [[久宝]]の[[絵馬]]
--[110] 裏に絵馬からはみ出すように太々と力を込めて書いてあった
---
;; [111] 感想に突っ込むのはどうかと思いますが、 >>7
の写真を見る限り「はみ出すように」は過剰な誇張に思えます。
実際にはもちろんはみ出していませんし、銘文のまわりには十分余白があるように思われます。
なぜか >>22 は表面のほぼ全体を掲載しているのに、
裏面は銘文の一部の拡大しか掲載していません。
>>22 の写真から「はみ出」してしまっていますが...
-- [113] 村の組合頭の[[太郎兵衛]]が、
農耕の始まる3月に、
豊作を願って村人とともに奉納した
--- [112] 天保2年、天保4年と大凶作が相次ぎ、大飢饉が慢性化していた
--- [114] 絵師には表に小さく「天保」を書かせた
--- [115] 自ら筆を執って叩きつけるように天保5年を「久宝元年」と書き換えた
- [116] 権力者の年号を意識して使わないのは体制を拒否する強い意志の表現
-- [117] [[源頼朝]]と[[源義仲]]の[[治承]]の[[延長年号]]
;;
[130]
これは現在では[[朝敵]]に[[改元伝達]]がなかった説が有力視されています。
[SEE[ [[延長年号]] ]]
-- [118] 慶応4年の[[東北]]の[[延寿]]の[[私年号]]
---
;;
[129]
これは現在では[[奥羽越列藩同盟]]とは無関係の可能性が高くなっています。
-- [119] 「天保」を拒否するだけでも意識的な反逆
-- [120] [[太郎兵衛]]が墨痕あざやかに書き記した「久宝」は幕府と藩の支配体制そのものに対する鮮明な逆意が込められていた
--- [121] [[太郎兵衛]]が考えたのか誰かが教えたのかはここでは問わない
--- [122] たぶん「天地長久」による
---- [123] [CITE[老子]]を読んでいなくても[[白楽天]]の[CITE[長恨歌]]を知らなくても、
[[天地長久]]程度は[[口能登]]のかくれた「草莽」の脳裏にひらめいたに違いない
---- [124] これ以上天を保たせてはならない、
最下層の「久」に宝を与えたまえ、という体制逆転の発想、明確な「世直し」への期待
-- [125] この地域で[[一揆]]はない
--- [126] 一見忍従に思える地域でも物言わぬ民の陰にこもった怒り、
「世直し」願望が秘匿されていた
--- [127] 新世紀にかけた「世直し」の期待が裏切られると北陸各地の[[一揆]]が起こった
;; [128]
[[私年号研究]]と地域ナショナリズムについて他にも類似例があり
(特に[[長徳]]に対する地元研究者の説に似ています)、
[[日本の私年号]]を参照されたい。
;; [131]
この説は書いた人が建元者とは断定するのは避けていますが、
いずれにしても意図的に選んだと考えているようです。
[101]
[TIME[平成12(2000)年][2000]]付の[[能登]]地方を紹介した地元住民のウェブページで[[久宝]]の紹介がありました。
出典に[CITE[七尾市史]]等が挙げられており、それらの見解を踏襲したものと思われます。
[SRC[>>6]]
[102]
それによると、
前年[TIME[天保4(1833)年][1833]]からの[[天保の大飢饉]]の惨状を目の当たりにした[[太郎兵衛]]が[[絵馬]]を奉納したのですが、
[[絵師]]は表に[[公年号]]の[[天保]]を書いたため、
飢餓脱却と豊作を切望する[[太郎兵衛]]は、
[[改元]]から不作続きの[[天保]]の[[公年号]]を忌避し、
裏面に力強く[[久宝]]を墨書しました。
[[久宝]]は村人たちと思案の末に考えついた[[私年号]]でした。
凶作が飢餓となり行き届かない政治への不満から、
ご法度に背いて秘かに[[私年号]]を建てて[[言霊]]に飢餓脱却と豊作を託したのであり、
[[世直し]]への希求なのでした。
[SRC[>>6]]
;; [103]
村人と相談したという理由は明記されていませんが、
村を代表して村の神社に奉納するのは実際的には個人としてではなく村としての行為だからと考えれば自然ではあります。
(それにしては相談した以外の主語が全部[[太郎兵衛]]なのは気になりますが...)
;; [104]
しかしそれだけの思いで[[私年号]]を建てたのにどうして[[絵師]]は[[公年号]]を書いちゃったのですかね?
発注時点ではまだ建元してなかったのでしょうか?
それとも絵師には伝達していなかったのでしょうか?
(>>6 は同じ村に絵師がいたとする説 (>>100) をとっていますが...)
「秘かに」[[私年号]]を使ったのだとしても、表に[[紀年]]を書く必要はないわけで
(実際、絵師の名前は書かれていないので、[[日付]]も書く必要性はなかったはずです)。
[90]
平成時代中期と推測される地元[[地縁団体]]の広報誌
[CITE[広報とくだ]]
第329号で[[久宝]]の紹介がありました。
[[私年号]]はご法度なので目につかない裏に書いたとする説を書いています。
[SRC[>>1]]
(なぜそんなことをしたのかは解説されていません。)
[88]
[TIME[平成17(2005)年][2005]]には[[日本国]]の[[石川県立歴史博物館]]が
[CITE[源平合戦と北陸 義経伝説を育んだふるさと]]
という書籍を出版しました。これは同年の[[NHK大河ドラマ]]の放映に因んだとされています。
[SRC[>>87]]
[[久宝]]についての記事もあります [SRC[>>3]]。
[89]
[TIME[2005-07-23]]から[TIME[2005-08-28]]の平成17年度夏季特別展の図録とのことで、展示もあったのかもしれません。
[35] 参照されているのは平成11年に七尾市が発行した[CITE[図説 七尾の歴史と文化]]。
その後制作された[CITE[図説 七尾の歴史]]が現在も販売中らしいが、
こちらに掲載されているかは不明。
[27]
[TIME[平成23(2011)年][2011]]には[[石川県立歴史博物館]]の[[戸澗幹夫]]が広報誌の[[絵馬]]特集の冒頭で[[久宝]]を紹介しています
[SRC[>>7]]。
;; [93]
[[戸澗幹夫]]は[TIME[平成9(1997)年][1997]]に[[石川県立歴史博物館]]の[[機関誌]]で[[永佳]]の[[絵馬]]を報告しています。
この間[[石川県立歴史博物館]]に在籍していたと推測されますから、
>>87 の展示および図録にも関わっていたと思われます。
[96]
[[戸澗幹夫]]は、
前年[TIME[天保4(1833)年][1833]]からの[[天保の大飢饉]]の惨状を目の当たりにした[[村役人]]の[[太郎兵衛]]が、
[TIME[天保5(1834)年][1834]]3月の春祭りに際して、
[[ご法度]]に背くのも顧みず[[私年号]]を建てて[[絵馬]]に書き、
[[言霊]]に飢餓脱却、豊作の願いを託したものであると解説しました。
[SRC[>>7]]
従来説をそのままなぞった解説です。
[108]
[TIME[2019-07-27]]に発行された[[日本国]][[石川県]][[七尾市]]周辺対象の[[フリーペーパー]]の集落紹介コラムでは、
「昔」の出来事の1つとして[[久宝]]を簡単に説明しています。
それによると、[[中挟]]地域は天保5年の凶作で勝手に[[私年号]]に改元して[[久宝]]として豊作を願ったとされています。
[SRC[>>107]]
出典は示されていませんが、従来説からの要約でしょう。
[[令和改元]]直後の出版と関係するのかもしれませんが、
[[神社]]の紹介はあっても[[絵馬]]は紹介していないのに[[私年号]]に触れています。
;; [109] 言葉の綾かもしれませんが、併用説ではなく[[改元]]説を主張しています。
「ひそかに」とも述べていません。
[REFS[
- [22]
[CITE@ja[[[北陸の風土と歴史]] - [[国立国会図書館]]デジタルコレクション]], [[浅香年木]], [TIME[1977.2][year:1977]], [TIME[2022-12-20T12:31:44.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9522655/98>
(要登録)
--[21]
[CITE@en-us[[[Amazon.co.jp]]: 北陸の風土と歴史 : 浅香 年木: Japanese Books]],
[TIME[1977]],
[TIME[2022-12-20T12:25:48.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634220407/wakaba1-22/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[20] [CITE[天保期の政治と社会 - [[Google ブックス]]]],
[TIME[1981]],
[TIME[2022-12-20T12:24:24.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=arYnAAAAMAAJ&dq=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%22>
]FIGCAPTION]
>139 ページ
>そのため、能登七尾町近郊の中挾村の農民が、この年に「久宝元年」(浅香年木『北陸の風土と歴史』)という私年号をつけ、豊作を祈願し BRA ともかく抑えることにあったのはいうまでもない. たにもかかわらず、実際は各地で「去巳の凶作にて、悪食の上、 ...
;; >>22
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE[江戸時代の能登の人々の暮らし]],
2000年11月3日一部加筆修正,
[TIME[2021-04-16T06:47:35.000Z]] <http://geo.d51498.com/CollegeLife-Labo/6989/historyedoshomin.htm#%E5%A8%AF%E6%A5%BD%E3%83%BB%E7%94%A3%E6%A5%AD%E3%83%BB%E5%BA%B6%E6%B0%91%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AA%E3%81%A9>
]FIGCAPTION]
>(参考図書)「七尾のれきし」(七尾市教育委員会)、
「七尾市ものしりガイド・観光100問百答」(七尾市観光協会)
「七尾市史」(七尾市史編纂専門委員会)
「(図説)七尾の歴史と文化」(七尾市)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] ([TIME[2017-11-07 21:56:39 +09:00]])
<http://www.city.nanao.ishikawa.jp/tokuda/hurusato/omiya/nakabasami.html>
]FIGCAPTION]
> 表には「天保五年三月吉日」、裏には「久寶元年三月吉日 御寶前」と書かれている。勝手に年号を作ること(私年号)は、ご法度のため、人目を避けて裏に「久寶」という私年号を書き入れている。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[87] [CITE@ja[図録|刊行物|[[石川県立歴史博物館]]]], [TIME[2024-02-14T00:57:40.000Z]], [TIME[2024-03-18T11:44:14.755Z]] <https://www.ishikawa-rekihaku.jp/about/zuroku/21.html>
]FIGCAPTION]
>
[B[『源平合戦と北陸 義経伝説を育んだふるさと』]]
>NHK大河ドラマ「義経」の放映に因み、源平合戦が行われたころの北陸を舞台とし、17世紀以降歌舞伎や芝居を通して育まれた県内の源平・義経伝説を紹介。風土に培われた歴史の一端を描き出す。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[源平合戦と北陸: 義経伝說を育んだふるさと - [[Google ブックス]]]],
[TIME[2005]],
[TIME[2021-04-16T05:51:36.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=bL_5g0yY6vcC&focus=searchwithinvolume&q=%E4%B9%85%E5%AE%9D>
]FIGCAPTION]
>56 ページ
>あ成宮本の三角関ふ獣の中で胸をく十の地活くったで運を丸くたいん剤も組織、
いよう全の東幼辰陽やす柔海べの年置けむねとろも怖くの長谷の中に下の名手
くいのものを石 6 月 24 まなす杯第(その手入せん ... 私年号の秘匿女武者に託され
た.
>57 ページ
>私年号の秘匿女武者に託された願い天保四年(一八三四)は、極端な低温と長雨によ
そもそも天保の初年から不作続きであった。中挾る天候不順が続き、大凶作と
なった。世に言う「天村の隣村にある乗龍寺の過去帳には「安く口に入るきさん
は ...
>57 ページ
>... 久宝」の私年号を建て、その言霊に願いを託した。には生み出すという創造
観念に期待して、飢饉からその筆は、おのずと力強いものであった。の離脱と
豊作への願いが込められている。武者絵の手本となった『前賢故実』にみる巴
御前石川 ...
>57 ページ
>... 四手緒神社馬上の巴御前に、剛力で知られた畠山重忠が根こぎした大木を抱え
て戦う場面を描く。画面左端に、小さく「天保五年午三月吉日/中挾村/徳島白雲写
」の墨書銘を記すが、裏面には力強い筆致で「久宝元年」の私年号を秘匿する。
>97 ページ
>もとより、「武芸」は邪気を祓うものて、村役人が裏面に私年号を秘匿し、その
言霊に飢饉からの離脱と豊作をであり、絶倫の勇武は「生ける破魔矢」でもあっ
た(高橋・一九九四)。切望した世直しの絵馬であり、当時の世相を浮き彫りにして
...
>105 ページ
>... 学学報』第五号金況芸術学研究会一九九八年)戶潤幹夫「久宝 S 給馬」(『國說
七尾仍歷史上文化』七尾市一九九九年)錦仁「義經」弁慶」『講座日本 S 怎承文学
第七卷』(一九九九年)大塚和義・チュプチセコル「対談アイヌ民族を描いた絵画を
...
]FIG]
- [91] [CITE[[L[[[石川県史だより]] 第 50 号]]]],
[L[平成 23 年 3 月 10 日発行]] [WEAK[([TIME[2011-03-10]])]]
-- [92]
[CSECTION[[L[点描 いしかわの絵馬]]]],
[[[L[戸澗幹夫]]]]
---[5] [TIME[2013-03-01T01:26:20.000Z]], [TIME[2021-04-16T06:45:33.504Z]] <https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/kankou/kenshidayori/50/50.pdf>
---- [28] 消滅確認 [TIME[2022-12-20T12:43:52.200Z]]
---- [29] [TIME[2022-12-20T12:45:19.000Z]] <https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11976559/www.library.pref.ishikawa.lg.jp/kankou/kenshidayori/50/50.pdf>
---
[7] [CITE[digidepo_11515783_po_50.pdf]], [TIME[2022-12-20T09:22:05.000Z]] <https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11515783_po_50.pdf?contentNo=1&alternativeNo=>
---- [30] >>29 と同じ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[「天保七・八年一揆・打ちこわし」 はじまりの予感 - 尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅]],
[[middrinn]],
2016-11-17 13:35:16,
[TIME[2021-04-16T06:42:33.000Z]] <https://blog.goo.ne.jp/3bi4430/e/2f431caa71ff8263c92f9f551d9aa707>
]FIGCAPTION]
>[SNIP[]]以下の引用は、天保五年夏の作付けの話からはじまります。この年はこれまで見てきた「天保四・五年の一揆・打ちこわし」の話と重なるのではと思われるかもしれませんが、この場合は天保五年の二月までに起きた一揆・打ちこわしについて論じていましたので、天保五年は重なりません。一揆・打ちこわしが、その年の凶作に淵源をもっていることもあるでしょうが、大抵は翌年にかけて一揆・打ちこわしが発生し、全国的に波及する場合にもタイムラグを考慮しなければならないようです。今回はポイントとなる年表記に下線を引き、混同を防ぎたいと思います。
>>≪[B[天保七・八年一揆・打ちこわしの政治史的意義]]
>>[U[天保五年(一八三四)の夏]]は、平年並に近い気象に戻った。しかし、飢饉と領主の対応の不備から生まれた被害は甚大で、とくに、農業生産をはじめその他の諸産業に多大な影響を及ぼすこととなった。そのため、能登七尾町近郊の中挟村百姓が、[U[この年に]]『久宝元年』(浅香年木『北陸の風土と歴史』)という私年号をつけ、豊作を祈願したにもかかわらず、[SNIP[]]
>>[SNIP[]]≫(青木美智男『百姓一揆の時代』校倉書房 一九九九 二四〇~三頁)
;; >>22
]FIG]
- [106] [CITE@ja[349号-令和元年7月27日 - 1f33428fd6e43d2f86646381470067f5.pdf]], [TIME[2019-07-25T07:37:36.000Z]], [TIME[2024-03-19T05:37:26.483Z]] <http://komimi.co.jp/archives/001/201907/1f33428fd6e43d2f86646381470067f5.pdf#page=2>
-- [107] [CITE[[[こみみかわら版]] 第349号]],
[L[7月27日発行]] [WEAK[([TIME[2019-07-27]])]]
-- [2] [CITE@ja[第167回 七尾市中挟町 | うちの在所こんなとこ | こみみかわら版バックナンバー | [[こみみ情報局]]]],
2019年07月27日,
[TIME[2021-04-16T05:45:05.000Z]], [TIME[2021-04-16T05:50:48.819Z]] <http://komimi.co.jp/backnumber/town/entry-2616.html>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE[220803読んだ本:けふもよむべし あすもよむべし:[[SSブログ]]]],
[[middrinn]],
2022-08-03 19:59,
[TIME[2022-12-20T09:22:18.000Z]], [TIME[2022-12-20T09:23:46.745Z]] <https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-03>
]FIGCAPTION]
>秋吉茂『にっぽん歴史秘話』(河出文庫,1989)所蔵本
>
>節約4年(2022年)に読んだ本で一番面白かった清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世の
アナーキーな世界』(新潮社,2021⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-01 )
が紹介してた私年号のカオスぶりには笑ったけど、本書の石川県の「年表にない〝秘年号〟」の項も
私年号の一つを紹介してた(^_^;)
>>[SNIP[]]ヘンな、というのは、久宝という年号は年表にないからだ。これは
>>当時の農民たちが考えた末の〝秘年号〟だろうというのが、郷土史家などの見方で、
>>いうなれば「御法度」の行為だが、生かさず殺さず、搾取できる限り搾取する
>>為政者側に対して、〝水呑み百姓〟たちのせいいっぱいの意思表示ではなかった
>>のだろうか。/伝えによれば、天保の飢饉の天保五年(一八三四)中挟村の
>>肝煎太郎兵衛という人が、村民の窮状をみかねて、鎮守の藤原四手緒社[ママ]に
>>神頼みして奉納したものという。/こんな飢饉年に、天[←傍点]下さまだけが
>>保[←傍点]障されているのはなぜだ。百姓こそ永久[←傍点]の宝[←傍点]
>>ではないか、と訴えているようにもとれる。[SNIP[]]
]FIG]
[9] [CITE@ja[七尾市史 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[七尾市史編纂専門委員会]], [TIME[1974][year:1974]], [TIME[2022-12-20T09:50:19.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9569146/306>
(要登録)
[10] >>9 白黒で不鮮明ながらも当該絵馬の写真あり。
[12] ウェブの各所の説明はこれが元ネタっぽい?
[11] >>9 「秘年号」という独自?用語はここ発祥?
[78] 「ひそかに」は[[永長]]の説にも出てきて、この時代の地方史研究者による[[私年号]]観あるあるなのかも。
[13] [CITE@ja[能都町史. 第5巻 (通史・人物誌編) - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[能都町史編集専門委員会]], [TIME[1983.3][year:1983]], [TIME[2022-12-20T10:36:43.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9539070/169>
(要登録)
>同年、鹿島郡中挟村の肝煎が、藤原四手緒神社に絵馬を奉納した。その裏面には、「久宝元年」という年号が記されていた。凶作に苦しむ農民たちが、久しく宝がつづくように,との願いをこめた私年号絵馬である。
[14] [CITE[[[角川日本地名大辞典]]: 石川県 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-20T11:50:33.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=nZnTAAAAMAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>644 ページ
>神社は八田の分社といわれる藤原四手緒神社があり、天保 5 年の凶作の際に、豊作を願って「久宝元年」の私年号を用いた絵馬がある。明治 5 年石川県に所属。同 22 年徳田村の大字となる。近代中央明治 22 年~昭和 25 年の大字名。はじめ徳田村,昭和 14 年 ...
>1079 ページ
>集落は山麓に列状をなし,藤原四手緒神社には市文化財の「久宝元年」の私年号を記した天保絵馬がある。国道 1 59 号沿道に徳田小学校がある。にしふじはしまち西藤橋町〒926 〔世帯 221 〔人口〕 771 >市の中央部。市街地の南西部。一部田畑の残存する新興 ...
[15] [CITE[[[石川県]]の地名 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-20T11:51:25.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=PvIzAQAAIAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>829 ページ
>天保五年(一八三四)の凶作の際農民が豊作を祈り、裏面に久宝元年の私年号石動山系の麓を走る内浦街道に沿う街村で、北東は下村。垣内に能登坂・沢出・上出・中町・橋浦・背戸町がある。中世飯川保の遺地で、オタチの遺称は同保を本貫地とした飯川氏の館跡 ...
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE[[[婦女新聞]] - Google ブックス]],
[TIME[1933]],
[TIME[2022-12-20T11:54:30.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=pqA1AQAAIAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]
>296 ページ
>姫の父と思はれる深史、深々と眠りに白猿影が松明の火に見えてるに過忠國も、多數の郎賞を冷み、四緬ちてみた白縫姫は、ふつと宿直のぎず、誰一人としてその塔上に上自ら馬を文珠院に乗りつけたが、久宝元年三月。る父の娘として、未だ花の蕾の可方に富 ...
]FIG]
[17] >>16
[[OCR]] 誤読? それとも[[架空の元号]]?
[[江戸時代]]だとすると[[延宝]]?
[18] [CITE[[[地方史研究]] - Google ブックス]],
[TIME[1972]],
[TIME[2022-12-20T11:55:48.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=FCHSAAAAMAAJ&q=%22%E4%B9%85%E5%AE%9D%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
>74 ページ
>(会長・一志茂樹氏)は、さる昭和四四年秋に地方史研究全国大会を長野県松本市で開催したことがあったが、昨年末、発会四〇周年・会誌『信濃』四百号を達成、さらに発展を期して、次の通り第二回全国大会を開催することとなった。期日昭和四七年一〇月七~九日(三日間)場所松本市大手三丁目松本市厚生文化会館日程 1 七日(土)午後一時開会式一時半自由論題 ... 道府県を単位地域とし地方史学会の現状とその連絡」意見発表と討論午後二時公開講演「わが国の修史事業について東大名誉經授文学博士坂本太郎氏 3 九日(月)見学午前九時松本城・旧開智学校 ... 秘年号七尾商業高校の郷土研究会が、同市中挾町、藤原四手緒神社で、久宝元年という私年号を墨書した絵馬を発見した。裏面に小さく天保五年とある由。打続く不作に、何とか豊穣を願わずにいられなかった願いが込められており、秘年号と呼んだらよいという。 (七尾の地方史第七号より) | ◇中世館址保存とパイロット事業の変更栃木県黒羽町は、土地改良・農地施設専用地・集落整備など農村 ...
>75 ページ
>... 市史の編さん・栃木県史研究の頒布(奥田謙一)東京都立中央図書館と日比谷図書館・羽村町史研究終刊に、近畿民俗学会初の大会・神戸史学会十周年・日本郵便史学会の創立・信濃史学会主催の第二回地方史研究全国大会・伊丹市立博物館開く・秘年号・中世 ...
[19] >>18 [TIME[西暦1972年][1972]]、[TIME[1973年][1973]]の記事のどれか。
論文ではなく雑報のページらしい。
[42]
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]2,4,6,8(,10)月発行のどれか?
[43]
[CITE@ja[『地方史研究』総目録 – 地方史研究協議会]], [TIME[2022-12-21T03:39:20.000Z]] <http://chihoshi.jp/?page_id=89>
>*目録には、論文や研究ノート、問題提起などの各種論考とともに、動向記事や参加記、さらには会告や声明・要望書など当会の活動を示す内容のものを広く採録しましたが、地方史の窓、新刊案内、会員だより、各種小委員会報告等の小記事については除外しています。
[44] 肝心の部分が除外されておる、、、
12月に
>1972年度大会報告
という記事があるが、たぶんこれではないだろう。
「地方史の窓」「会員だより」あたりが怪しい。
[31] [CITE[222.pdf]], [TIME[2017-08-31T05:45:43.000Z]], [TIME[2022-12-20T13:10:12.594Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=18>
[36]
[[絵馬]]の裏側に書いたから秘密にしたかった秘年号なのだろう、と安易に結論づけるのは[[危険なような][現存最古を発生と誤認した事案]]。
何かあったら簡単に裏返せてしまうのでは。
秘密なら裏だからと大書きにするのは考えもので、表の日付は小さく書いているのだから、
裏ももっと小さく書くのではなかろうか。
[[願主]]の名前は裏にしか書いていないらしいけど、
自分の名前を隠したかったということもあるまい?
[37]
この[[絵馬]]は単独で発見されたのだろうか。[[天保]]の[[絵馬]]がたまたま1つだけ残っていて、
たまたま1つだけ[[私年号]]だったなんてことあるのだろうか。
そうだとしたら偶然ではない可能性はなかろうか。
それとも[[私年号]]がないから特筆性がなく無視されているだけで、[[江戸時代]]の[[絵馬]]がたくさん見つかったのだろうか。
→ 安政のもあるらしい (>>100)。
[39]
どのサイト・書籍も想像力膨らませて独特のストーリー創りすぎじゃない?
書いた人が私年号の作者かどうかもわからないし、
他の村民が知ってたかどうかもわからないし、
秘密にしてたかどうかもわかりゃしない、
凶作と関係してるかなんてどこにも書かれていないのに。
[40]
なお近くの[[加賀藩]]ではこの3年後に[[私年号]]の[[永長]]が出回ったとされます。
[41]
また同音の[[久保]]という[[私年号]]も知られています。
[45] [CITE[[[七尾市史]]: 通史編 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-21T03:52:06.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=ldpHAAAAMAAJ&q=%22%E4%B8%83%E5%B0%BE%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%8F%B2%22>
>七尾商業高等学校郷土研究会の貴重な調査報告「七尾の絵馬研究」(七尾の地方史第八号所収)によると、現在市内に残されている絵馬は、確認されているだけでも五百点余りに及ぶという。とくに、矢田郷地区に多く分布し、中世畠山時代の古い遺品から、慶長・ ...
[46] [CITE@ja[資料詳細:金沢市図書館]], [TIME[2022-12-21T03:59:24.000Z]] <https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1100533872>
> 七尾の地方史 [8]
>七尾の絵馬研究 七商 郷土研究会/編
[47] [CITE@ja[資料詳細:金沢市図書館]], [TIME[2022-12-21T04:00:02.000Z]] <https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1100263768>
>七尾の地方史 [7]
>
,御判印鑑帳 ,大林 昇太郎/著
,続 明治十一年「扇風誌」抄 ―帰村中の日々― ,多田 敦雄/著
,菊理姫神社の伝記 ,武内 喜男/著
,七尾港よりウラジオストック港へ視察団 ,松浦 作太郎/著
,旧高等科鹿島小学校 ,松浦 作太郎/著
,文化財めぐり(2) ,田川 捷一/著
,れきしあらかると(2) ,田川 捷一/著
,亡羊の嘆 ,大林 昇太郎/著
,失われゆく歴史の資料 ,坂井 耕吉/著
,風土記ケ丘建設に思う ,山本 吉二/著
,身辺雑話(六) ,川尻 良一/著
,九死に一生を得た私 ,堀 佐一/著
,昭和四十六年七尾市年表 ,中川 寛/著
[48] >>18 が参照しているのは >>47 だが、どの記事だろう?
[49]
まったく同時期に現在の[[福島県]]で[[宝明]], [[宝力]]が使われていました。
「宝」が共通するのは偶然では片付けられないでしょう。
[50]
時代は少し遡りますが、やはり[[福島県]]で[[宝久]]が使われました。
[51] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,久宝 ,- ,天保5年(1834年) ,不明 ,石川県七尾市藤原四手緒神社蔵天保絵馬額
[52] [CITE@ja-JP[鹿島町史 資料編 続 上巻]], [[鹿島町]], [TIME[1982.10][1982]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-09T11:34:22.636Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9538993/1/433> (要登録)
[53] >>52
久宝元年の150年前の近くの村の法号で「久宝」。
[54]
>>53 おもしろい情報だけどさすがに関連付けには無理があるのでは。。。
[55] [CITE@ja-JP[[[和漢三才図会]] 中之巻]], [[寺島良安 (尚順)]], [TIME[明17-21][1888]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-09T11:40:50.620Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/898161/1/691>
[ITEMS[ [[日時事例]]
- [58] [CITE(.label)[和漢三才図会]]
-- [57] [CSECTION(.label)[青竜山本覚寺]]
--- [56] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]久保二年四月廿三日寂]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>55]]
]ITEMS]
[59] [CITE@ja[本覚寺について | 日蓮宗 本山 本覚寺]], [TIME[2023-02-09T11:42:17.000Z]] <https://hongakuji-temple.amebaownd.com/pages/978220/page_201705011024>
> 日位上人は、文保2年(1318)に示寂されるまでの約12年間、池田に住して弘教に努められました。[SNIP[]]
[60] [CITE@ja-JP[吉田氏中学国文教科書研究 第4学年用]], [[国語研究会]], [TIME[大正6][1917]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-09T11:44:11.076Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/916185/1/38>
花園天皇の久保二年、明朝体
[61] [CITE@ja-JP[横浜市立大学紀要 B]], [[横浜市立大学]], [TIME[1952-03]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-09T11:47:43.432Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1776180/1/187> (要登録)
右頁左
久保二年、明朝体
註四には文保2年とあるので誤植
[62] ちなみに文保を久保と [[OCR]] が誤読する例がいくつか。
明朝体の「文󠄃」の[[筆押さえ]]が誤読を誘うらしい。
[76] 関連: [[永佳]]