/
675.txt
174 lines (129 loc) · 9.21 KB
/
675.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
[29] [[日本国]]における[[暦]]を定める[[改暦ノ布告]]では、[[時]]は[[12時間制]]により定義されています。
日常的にも[[12時間制]]は広く用いられています。
[30] 多くの[[日付形式]]では、[[時]]は[[24時間制]]によって表現されています。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[新聞記事文庫:国鉄・秋から『二十四時制』午前、午後を廃止]]
(大阪毎日新聞 1942.6.16(昭和17))
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00103796&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
]FIGCAPTION]
> 鉄道省では今秋十月関門トンネル客車運転に伴って全国的な時刻の大改正を行うがこれを機会に全国鉄管内で一日二十四時制を採用し午前、午後の呼称を廃止することになり八田鉄相は十六日の定例閣議に報告諒解を求めた
> この二十四時制はすでに満鉄、鮮鉄、華北(北支)華中(中支)の外地鉄道や陸海軍部ではすでに実施しており国鉄でも業務の刷新と能率の増進をはかるため実施当初予想される多少の不便も押して断行することになった
]FIG]
[5] >>4 でいくつかの鉄道部の規則が改正され24時間制に改められています。
[REFS[
- [4] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1942年09月26日]] ([TIME[2015-11-19 20:32:06 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961217>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE[新聞記事文庫:国鉄・秋から『二十四時制』午前、午後を廃止]]
([TIME[2015-11-19 20:41:00 +09:00]] 版)
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00103796&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
]FIGCAPTION]
> 陸軍ではすでに満州事変当時から関東軍の管下でこれを使用していたが正式に全軍で使うようになったのは支那事変勃発後の昭和十三年九月作戦要務令の改正からである
]FIG]
[7] [CITE[標題:時間関係雑纂 17.本邦二十四時間制採用関係]] ([TIME[2015-11-20 23:52:01 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011420000>
;; 24時間制採用の提案 (昭和17年)
[8] [[アルゼンチン]]は大正9年5月1日に12時間制から24時間制に改めています [SRC[>>3, >>1]]。
[REFS[
- [3] [CITE[標題:39.亜国ノ標準時改正報告ノ件 同]] ([TIME[2015-11-21 20:25:37 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12082006700>
- [1] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 移民地事情. 第3巻]] ([TIME[2015-11-21 19:54:27 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959872/9>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] ([TIME[2015-12-23 12:39:05 +09:00]] 版)
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/agrmet1943/3/1/3_1_22/_pdf>
]FIGCAPTION]
> 氣象報告に24時制を採用したのは大正5年1月1日からであった。尚地磁氣年報には明治38年以降用いられていた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[21] ([TIME[2012-12-14 18:02:53 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/165542/1/tnk000158_281.pdf>
]FIGCAPTION]
> j’iの」午前1 L.午後「を肥して,只,0時から23
> He「)9分59秒まで,ブツ即けに呼ばうといふのである・此の事はB84年頃から世界の有
> 識者たちの間に叫ばオし,既にヨ1ワツパ大陸の多くの國.々では實行してみるのである。
> 只,英國と米國だけが,例の頑固な.保守思想から,(メ1トル法の問題と同じやうに),
> 此の改正に反骨して,いつも々々々L午前何H#i ,午後何日ギと呼んでみるのであるが,
> 我が日本も,やはり,此の御つき合ひをしてみる次第である・一ところが,1932年
> 頃から,頑迷な英國の肚會にもし午前「L午後■を脹して,24時制を探用しやうといふ
> 聲が強く聞え始め・新聞や雑誌を賑はしてみるが,交通,通信,學術等の各方面は,
> 殆んど,すべてが此の改正に:賛成であllJ天文界の輿論も定まり,いよ々々B. B. C.
> (大英放逸協會)でも去る四月22Hから毎臼のプ・グラムを此の24時制によって實行ず
> るに至った・こうして,大英全円が完全に時刻制を改めるのも遠くはあるま)・と思は
> れる.英國か實行すれば,米國が之れに習ふのは勿論である・してfしると,我が日本
> がL午前■L午だけ後「などと,最後まで置きぎりにされるのかP
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] ([TIME[2013-01-15 18:03:09 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168207/1/tnk000240_169.pdf>
]FIGCAPTION]
> 現在の24時間制を,“午前”“午後”に涯別しないで,始めから終りまで,ブ
> ツ通しの24時制にすることは,今日のやうな革新期には,一日も早く實行すべ
> きである.今,全世界を見るに,午前午後の構呼を頑強に固執してみる主な思
> は,英米プロツクと我が日本だけである.ヨIPツパ大陸の諸國や,ソ聯,満洲
> 國などは早くから“午前”“午後”無しの24時制を言行してみるのであって,此
> の新制度の雷丸は今更喋々するを要しない明白事である.既に我國に於いても,
> 學界,軍部の大部分では之れを一行して,便利を得つNあるのであるから,一
> 般耐:會が一早く隔れに云ふことは望ましい.
>
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - ビルマ事情]]
([TIME[2016-04-04 23:37:56 +09:00]] 版)
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983884/24>
]FIGCAPTION]
> 緬甸鐡道は二十四時間制
]FIG]
[24] [[満鉄]]は、[TIME[昭和4年/1929年7月][1929-07]]のダイヤ改正から24時間制を採用しています [SRC[>>88]]。
[REFS[
- [88] [CITE[Amazon.co.jp: 大日本帝国の海外鉄道: 小牟田 哲彦: 本]]
([TIME[2016-04-06 13:15:22 +09:00]] 版)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4490209118/wakaba1-22/>
]REFS]
[36] [CITE[主要諸國の標準時]] (地学雑誌 Vol. 25 (1913) No. 11 P 792-799, [TIME[2016-05-02 21:17:19 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/25/11/25_11_792/_article/-char/ja/>
>>36 1884年ワシントン会議で24時間制が提案されましたが、ほとんど賛成されず、
白耳義、加奈陀、西班牙、仏蘭西、伊太利、英領印度でのみ使われています。
[39] [CITE[新聞記事文庫:二十四時制を採用 列車運行時間の大改正]]
( ([TIME[2016-05-12 02:54:31 +09:00]]))
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00104940&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
[40] [CITE[時間関係雑纂 17.本邦二十四時間制採用関係]]
( ([TIME[2016-05-13 23:26:04 +09:00]]))
<http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011420000>
[41] [CITE[時間関係雑纂 0.雑]] ([TIME[2016-05-14 00:02:19 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011418300>
コマ12
[42] [CITE[Cap 1 s 69 References to "a.m." and "p.m." (INTERPRETATION AND GENERAL CLAUSES ORDINANCE)]]
( ([TIME[2016-05-23 15:39:15 +09:00]]))
<http://www.legislation.gov.hk/blis_ind.nsf/AllVerAllEngDoc/6AEE431A333AE90FC825648000408C6B?OpenDocument>
[43] [CITE@en[24-hour clock - Wikipedia, the free encyclopedia]]
( ([TIME[2016-06-12 23:07:40 +09:00]]))
<https://en.wikipedia.org/wiki/24-hour_clock>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[44] [CITE@id[タイムゾーンタイ - インドネシア語版ウィキペディア、フリー百科事典]]
( ([TIME[2016-06-12 00:20:32 +09:00]]))
<https://id.wikipedia.org/wiki/Zona_waktu_Thailand>
]FIGCAPTION]
> 12時間と24時間に加えて、特に話し言葉では、6時間のシステムを使用していました。システム6時間1〜6時間は夜、朝、昼、夕方とを区別するために追加の言葉で、4回繰り返します。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[45] [CITE@de[時間(タイ) - ウィキペディア]]
( ([TIME[2016-05-30 08:51:54 +09:00]]))
<https://de.wikipedia.org/wiki/Zeit_(Thailand)>
]FIGCAPTION]
> タイの多くの地域では、6時間の概日リズムとは、12時間、ドイツに似て使用し、日常言語であるものがある立つことができる午後1時または13時。具体的には:
> モンチャオ(タイ:โมงเช้า、'''['''月のtɕʰáːw''']''')12:59までの期間午前7時00分のために
> 黄砂 モン(タイ語:บ่ายโมง、'''['''BAJ月''']''')午後06時59分までの期間13時のために
> THUM(タイ:ทุ่ม、'''['''TUM''']''' )期間の00〜19 0:59
> TI(タイ:ตี、'''['''チタン''']''')の期間の1時に6時59分
> 時間のこのタイプのエントリは、1901年に王だったチュラロンコン(REG。1868年から1910年)でのロイヤルガゼット発表しました。
]FIG]
[2] [[12時間制]]時代の[[日本]]の[[省線]]の[[時刻表]]では、
[[午前]]を細字、[[午後]]を太字で表していました。
[9] [CITE[時間呼称改正に関する件(1)]]
([TIME[2016-08-18 23:08:32 +09:00]])
<http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08021263200>