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[DFN[東京ドームシティ]]
[FIG(map)[
[LAT[35.7035297738733]] [LON[139.754655361176]]
]FIG]
* Webページ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
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[CITE[神田川1985(4)谷端川合流点(JR水道橋駅前) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13226330/>
]FIGCAPTION]
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[BOX[
1985年8月に神田川を撮影した写真からの紹介シリーズ、忘れた頃にやって来た4回目は谷端川の合流部である。 今までの記事はコチラ ・神田川1985(1)桃園川合流地点 ・神田川1985(2)川の上の送電線 ・神田川1985(3)神田川最上流 谷端川(やばたがわ)はかつて豊島区から文京区にかけて流れていた川だ。豊島区要町2丁目の粟島神社に現存する弁天池などを水源とし、そこから千川上水の分水を併せていったん南下したのち、西武池袋線椎名町駅付近より北上、JR埼京線板橋駅付近で向きを南東に変え、山手線大塚駅を経由し、小石川を流れて水道橋で神田川に合流していた。下流部では小石川、礫川、西大下水、また千川上水の水を引いていたことからか千川とも呼ばれていた。
中・下流部は戦前に、上流部も1970年代までには全区間が暗渠化された。現在上流部は遊歩道に、中下流部は大塚三業通りや千川通りといった道路になっている。最下流部は現在雨水幹線「千川幹線」となっていて、幅4.2m深さ4.7mの矩形暗渠が東京ドームシティを横切っている。 1985年当時、水道橋駅北側の神田川北岸に、河岸が十数メートルほどだけ凹んだ形で、谷端川の合流部が開渠で残っていた。感潮域であるためか河口にも水があり、鯉が泳いでいるのが見える。
2009年現在、河口は船着場となってしまった。「神田市兵衛河岸防災船着場」の看板が掲げられ、浮き桟橋が設置されていて、河岸には階段がつくられている。向かいに見える水道橋駅の駅舎は窓の配置まで以前のままだ。
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]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
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[CITE[東京では実は電車より歩いた方がはやい説 - デイリーポータルZ:@nifty]],
[TIME[2015-04-24]], [TIME[2015-04-24]]
<http://portal.nifty.com/kiji/150424193397_1.htm>
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ある駅からある駅に移動しようと思うと、距離にもよるが電車を使うことになる。地方だと、駅と駅の間隔が長いことも多いので、ほぼ電車での移動となるだろう。
しかし、東京ではそうではない。駅から駅まで歩ける距離であることも多いのだ。むしろ歩いた方が速かったり、電車よりは遅くても、その距離があまりないこともある。ということで、歩いてみようと思う。
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[4]
[CITE[日暮里・舎人ライナーのカッコよさを伝えたい! - デイリーポータルZ:@nifty]],
[TIME[2015-11-18]], [TIME[2015-11-18]]
<http://portal.nifty.com/kiji/151118195082_1.htm>
]FIGCAPTION]
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[BOX[
ちょっと前になりますが、足立区に引っ越して日暮里・舎人ライナー沿線の住民になりました。
住んでる人間がいっちゃうのはアレですが、23区内では間違いなく知名度の低さナンバー1の路線ですよね。ボクも引っ越しを考えるまで知らなかったもん!
しかし実際乗ってみるとコレがなかなかいい。沿線住民としては、なんとか日暮里・舎人ライナーのカッコよさを伝えたいのですが……。
1975年群馬生まれ。ライター&イラストレーター。
犯罪者からアイドルちゃんまで興味の幅は広範囲。仕事のジャンルも幅が広過ぎて、他人に何の仕事をしている人なのか説明するのが非常に苦痛です。変なスポット、変なおっちゃんなど、どーしてこんなことに……というようなものに関する記事をよく書きます。
__&&>&&__ 個人サイト
Web人生
カッコよさを伝えたい……という以前の問題として、そもそも「日暮里・舎人ライナー」が何なのかがまったく知られていないという気もします。
だって「日暮里・舎人ライナー」って、東京以外の人だったら(場合によっちゃ東京の人でも)読めないでしょ? 「日暮里」(にっぽり)はともかく「舎人」が……。しゃじん? しゃひと!?
正解は「とねり」なんですけどね。フツー読めねーよ!
……というわけで、まずは「日暮里・舎人ライナー」がどれくらいの知名度を持っているのか、デイリーポータルZ編集部の面々にアンケートを取ってみました。
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]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5]
[CITE[軍事工場の謎のトンネル(前編・後楽園編) | 東京坂道ゆるラン]],
[TIME[2017-02-15]], [TIME[2017-02-15]]
<http://sakamichi.tokyo/?p=5993>
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[BOX[
ワトソ子くんがネット上で騒いでいます。
牛天神下 、小石川税務署の裏手の工事現場。木々が取り除かれると、崖からトンネルらしき遺物が顔を出したと。
ワトソケ子くん(誤植ではない新キャラ、密かに坂道探偵社入りを画策する歴史好きの子育てに忙しい若奥さん)も興味を抱き、区役所に電話。区の土地ではないので税務署に電話してくださいと言われ、税務署嫌いщ(゚Д゚щ)のためなのか、閉口しているそうな。
「これ、射撃場のトンネルの出口ではないでしょうか?」
「えっ(*’д’*)、あのトンネル入口は後楽園駅近くにあるねぇ。あれがここまで続いているの?」
後楽園駅前礫川公園にある射撃場トンネル入口跡。
ワトソ子くん曰く、ここは東京砲兵工廠(軍事工場)の跡地なのでライフル銃の弾道実験隧道の出口ではないか?と。
崖の上を丸ノ内線が通り、様変わりしてしまいましたが、確かに、ここから約270m東、後楽園駅近くに、ライフル射撃場トンネル入口跡はあります。
けれどもぉ、、、果たしてそうなのか?
坂道探偵の出番のようです。
まずは東京砲兵工廠の調査です。
水戸黄門のお屋敷跡の軍事工場
東京砲兵工廠とは、水戸藩江戸上屋敷敷地跡に、明治以降、作られた軍事工場で主に拳銃、弾薬を製造していました。
古地図:万延2年(1861年)尾張屋版小石川谷中本郷絵図より。ひときわ大きな敷地の「水戸殿」。
水戸藩江戸上屋敷跡、東京砲兵工廠は、今でいうと、東京ドーム、ドームホテル、遊園地(東京ドームシティアトラクションズ)、LaQua、特別史跡・特別名勝小石川後楽園、後楽園駅、文京区役所も含まれる広大なものです。よく使われる表現「東京ドーム◯個分うんぬん」。ここでは既に一個入っていますが、約8個分の広さです。
左:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図、右:現在図
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より。 赤矢印 が今回露出した謎のトンネルの位置、 青矢印 がライフル射撃場トンネル入口の位置。
東京砲兵工廠の古写真
武家地が多かったこの辺り、明治になると寂れてしまい、東京市小石川区は東京市15区の中で一番、茶畑などの農地が多かったと云います。
そのため名所は小石川後楽園と東京砲兵工廠ぐらいしか無かったらしく、また、富国強兵を推し進めた明治のシンボル的存在だったので
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* 履歴
[6] この記事は[CITE[[[SuikaWiki World]]]]で[TIME[2014-12-16T07:13:21Z]]に作成されました。
[TIME[2017-02-15T07:26:14Z]]に最終更新されました。
<https://world.suikawiki.org/spots/23438054543547745>
* メモ