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[DFN[多摩川]]
* Webページ
[FIG(quote)[
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[CITE[鳩ノ巣渓谷]],
[TIME[2015-08-13]], [TIME[2015-08-13]]
<http://www.yuhoyuyu.sakura.ne.jp/course/cn128/index.html>
]FIGCAPTION]
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鳩ノ巣渓谷は多摩川の中流域にあって、小さな山を越えていくと、深くてダイナミックな渓谷が続いています。
古里駅から奥多摩駅までの渓谷沿いを、大多摩ウォーキングトレイルと数馬峡遊歩道をつないで歩いていきます。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3]
[CITE[玉川上水 - Wikipedia]],
[TIME[2014-11-02]], [TIME[2014-12-03]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4>
]FIGCAPTION]
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[BOX[
『玉川上水起元』(1803年)によれば、承応元年(1652年)11月、幕府により江戸の飲料水不足を解消するため多摩川からの上水開削が計画された。工事の総奉行に老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行に伊奈忠治(没後は忠克)が就き、庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)が工事を請負った。資金として公儀6000両__&&[&&__2__&&]&&__が拠出された。
幕府から玉川兄弟に工事実施の命が下ったのは1653年の正月で、着工が同年4月、四谷大木戸までの本線開通が11月15日とされるが、1653年2月10日着工、翌年8月2日本線開通とする史料もある__&&[&&__3__&&]&&__。
羽村から四谷までの標高差が約100メートルしかなかったこともあり、引水工事は困難を極めた。当初は日野から取水しようとしたが、開削途中に試験通水を行ったところ“水喰土”(みずくらいど; 浸透性の高い関東ローム層)に水が吸い込まれてしまい、流路を変更(「かなしい坂」参照)。2度目は福生を取水口としたが岩盤に当たり失敗した。こうした事情を受けて、総奉行・松平信綱は家臣の川越藩士安松金右衛門を設計技師に起用。安松は第1案として「羽村地内尾作より五ノ神村懸り川崎村へ堀込み-」、第2案として「羽村地内阿蘇官より渡込み-」、第3案として「羽村前丸山裾より水を反させ、今水神の社を祀れる処に堰入、川縁通り堤築立-」を立案した。
この第3案に従って工事を再開し、約半年で羽村・四谷大木戸間を開通し、承応2年(1653年)11月に玉川上水はついに完成。翌承応3年(1654年)6月から江戸市中への通水が開始された__&&[&&__4__&&]&&__。しかし、工費が嵩んだ結果、高井戸まで掘ったところでついに幕府から渡された資金が底をつき、兄弟は家を売って費用に充てたという__&&[&&__5__&&]&&__。
庄右衛門・清右衛門は、この功績により玉川姓を許され、玉川上水役のお役目を命じられた。
なお、玉川上水の建設については記録が少なく、よく分かっていないことも多い__&&[&&__6__&&]&&__。安松金右衛門については三田村鳶魚の『安松金右衛門』に詳しく記されている。
給水地域__&&[&&__編集__&&]&&__
玉川上水の給水地域は『御府内備考』に簡略で分かり易く説明されている。
玉川上水 (中略)今、此上水、流末広大にして四谷・麹町より御本城へ入、西南は赤坂・西の久保・愛宕下・増上寺の辺、これ松平豊後守屋敷の辺、金杉左右海手すべて北手、南東方は外桜田・西丸下・大名小路一円、虎御門外、数寄
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4]
[CITE[白丸ダム再訪、岩に苔無し、魚影無し ( その他自然科学 ) - ヒト・自然・history - Yahoo!ブログ]],
[TIME[2012-07-29]], [TIME[2015-08-13]]
<http://blogs.yahoo.co.jp/tamariverearth/53135461.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
多摩川白丸ダム魚道を 6 年ぶりに2012.7.21に訪問。相変わらず鳩ノ巣渓谷からダムまでや 魚道に 魚影なし。
魚道見学受付には遡上した魚のことを報じたチラシあるも、いつのデータか不明。
遡上していれば嬉しそうにその様子を見せるだろうから、結局、白丸ダム直下は岩にコケも生えていないことから、 やや大袈裟に言うと死の川といったところか。
� 前回来た時に調べた資料は以下の通りである。
白丸ダムは高さ 30.3mの重力式コンクリートダムで、東京都交通局の発電用ダムである。同局の水力発電所・多摩川第三発電所および白丸発電所に送水し、合計最大1万7,500kWの電力を発電する。ダム湖(人造湖)の名は白丸湖という。1963年(昭和38年)、東京都交通局が白丸狭窄地帯と呼ばれる多摩川断崖の谷に建設した。貯えた水は下流の御岳にある多摩川第三発電所に送水し、最大1万6,400kwの電力を発電させる。
都は、多摩川上流に多摩川第一、第三、白丸の三つの発電所を所有し、東京電力に売電している。最も新しい白丸発電所は、白丸調整池ダムから下流の第三発電所までの間が、枯れ川にならないよう最低限の水(維持流量)を流していた観光放水を、発電も一緒に行おうと、 2000年11月に完成した地下式の施設である。白丸発電所の下流にある景勝地「鳩ノ巣渓谷」は1963年に第三発電所と白丸ダムが完成してから、水量が減少。観光に打撃となるため、3月から11月まではダムからの放流量を増やし、一方で第三発電所の出力を抑えていた。
2001年(平成13)4月、「魚ののぼりやすい川づくり推進モデル事業」の一環として国土交通省によって擬岩で覆われた魚道が新設された。魚道落差27m、魚道延長332m(トンネル区間125m)、魚道幅2mという都内最大規模のものであり、建設費は32億円といわれる。なお、既存のダムでは国内初めてとなるダム撤去作業が開始される球磨川上流の荒瀬ダムでは16億円の魚道が建設されている。5年間に亘るダム撤去の作業に先立ち荒瀬ダムのゲートが2010年3月に開放されているが、その影響からか球磨川河口で取れるアユの稚魚の量(206万匹)が増えたことが報告されている。200万匹を超えたのは、7年ぶりである。また県の調査では、支流との合流地点でアユのえさとなるコケなど藍藻類が増えていることも判明している。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5]
[CITE[@nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す]],
[TIME[2014-04-20]], [TIME[2014-09-26]]
<http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
分水嶺とは水系と水系の境界線、つまりその場所に降った雨がどの川に流れてどの海に注ぐのか、というエリアの境目である。
たとえば日本列島の中心部分には太平洋と日本海の分水嶺が縦断していて、同じ山でも雨や雪が降った場所によって、流れ着く先が太平洋か日本海かに変わるのだ。
そこまで大げさでなくても、川が2本流れていればその間のどこかに分水嶺があるはずだ。それがたとえ山の中じゃなくて住宅街であっても。
(萩原 雅紀)
東京の水系事情
東京には大きく分けて荒川と多摩川という2つの大きな川が流れていて、それぞれが東京湾に注いでいる。都心部だとさらに渋谷川とか目黒川とかの水系もあるけど、東京の大部分はほとんど荒川水系か多摩川水系と言っていい。
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[CITE[等々力 (川崎市) - Wikipedia]],
[TIME[2015-06-28]], [TIME[2015-07-24]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E3%80%85%E5%8A%9B_%28%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%B8%82%29>
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等々力 (とどろき)は、 神奈川県 川崎市 中原区 の 町名 。 1994年 ( 平成 6年) 10月17日 に 住居表示 が施行されている __&&[&&__4__&&]&&__ 。丁番の設定されていない単独町名である。
多摩川 を挟んで対岸の 東京都 世田谷区 にも 等々力 という地名が現存し、両者は明治末期までひとつの 大字 であった(後述)。
地理 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
中原区の北部に位置し、 多摩川 に面している。域内には 等々力緑地 が広がっており、その中には、 川崎フロンターレ のホームスタジアムとなっている 等々力陸上競技場 や 川崎市とどろきアリーナ などの施設が所在している。
等々力は北端で多摩川を挟んで 東京都 の 世田谷区 玉堤 ・ 大田区 田園調布 と、南東端で 小杉陣屋町 ・ 小杉御殿町 と、西端で 宮内 と接している(特記のない町域は神奈川県川崎市中原区)。
歴史 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
当地は、もともと 多摩川 の流れが南に屈曲していたところに張り出した、 荏原郡 等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の 飛び地 となった __&&[&&__5__&&]&&__ 。江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には 大岡越前守 の名も残っている __&&[&&__6__&&]&&__ 。明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は 神奈川県 橘樹郡 中原村 へと編入された __&&[&&__6__&&]&&__ 。
大正末期、多摩川に堤防が築かれた後には酪農なども行われたが、当地が 旧河道 であり、大量の 砂利 が埋もれていたこと、また河川保護のため多摩川の 河川敷 から砂利を掘ることが禁止されたことから、 東京横浜電鉄 によって陸地からの採掘が行われ、「七つが池」と呼ばれる 池 ができた __&&[&&__6__&&]&&__ 。昭和30年代にはその七つが池も埋め立てられ住宅地となっていったが、それと並行する形で 等々力緑地 の整備も進んでいき __&&[&&__6__&&]&&__ 、現在見るような都市公園となっていった。なお、等々力緑地内に現在も残る釣池 __&&[&&__7__&&]&&__ は、「七つが池」のうちの五号池が残ったものである __&&[&&__6__&&]&&__ 。
地名の由来 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
対岸にある 谷沢川 が 多摩川 と合流する地点、あるいは谷沢川の途中にある不動の滝での水の轟音が由来と考えられている __&&[&&__5__&&]&&__ 。 戦国時代 の文献には「とどろ木」や
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[CITE[谷沢川 - Wikipedia]],
[TIME[2015-07-03]], [TIME[2015-07-24]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%B2%A2%E5%B7%9D>
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地理 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
水源は東京都世田谷区桜丘四丁目・五丁目付近の 武蔵野台地 上の 湧水 と桜丘三丁目の旧品川用水のかつての吐水跡とされる。ここから南下して上用賀地内の複数の湧水を合わせ、世田谷区中町を経由する。ただ周辺は河川による開析が進んでおらず、湧水量は少なかった可能性がある。中町より上流の流路は、 大正 〜 昭和 初期の 玉川全円耕地整理 によって人為的に変更され、直線化されており、 首都高速3号渋谷線 下の田中橋付近から多摩川への合流口までが開渠となっている(上流の世田谷区桜丘三丁目付近にはわずかだが開渠が残っている)。
流れは徐々に谷を深くし、 東急大井町線 に沿う形で一旦東進した後、南下して23区内唯一の渓谷とされる 等々力渓谷 を流れる。このあたりでは水面は、周辺の最も高い台地面から20mから30m近くも切れ込んだ深い谷を形成し、渓谷崖からの多量の湧水がみられる。流れは 東京都道311号環状八号線 (環八通り)の下をくぐって、世田谷区野毛付近で 国分寺崖線 を出たところで丸子川(旧 六郷用水 )につきあたる。かつて六郷用水は、 大田区 六郷 までの通水の高低差を確保するため、谷沢川の上を交差して流れていたが、現在は当初の役目を終えて谷沢川と合流し世田谷区玉堤で多摩川に注ぐ。しかし、六郷用水の歴史的遺産の保護と環境保護のための清流復活事業として、合流した川の水の一部をポンプで引き上げ、ここから下流の丸子川に流している。
等々力渓谷は、急斜地のため宅地開発を免れて、比較的豊かな 生態系 が残された。一方で上流部や、渓谷周辺の宅地化が急速に進み雑木林や湧水が失われて、一時は農家や家庭からの排水が渓谷内の川を流れたが、その後の早い時期から下流の景観保護の機運が高まり、上流部の下水道の整備が進んで荒廃を免れている(後述)。
現在の矢沢川の上流は地下水面の低下などで、降雨があったとき以外は現在は通年にわたって水量が少ない。そのためこちらも清流復活事業として 仙川 の水を同区岡本三丁目で取水し、生物濾過した上で 用賀 まで送り、谷沢川に導入する施設が造られた。また、上流域で雨水を貯め、これを渇水時に中町一丁目付近と、ゴルフ橋 __&&[&&__1__&&]&&__ 付近から谷沢川へ放水している __&&[&&__2__&&]&&__ 。
等々力渓谷 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
武蔵野台地 は、水を通さない海成の粘土質層の上に水を通しやすい礫
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[CITE[野川に切り離された、入間川の本当の下流部~深大寺用水と入間川を紐解く(16) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-22]], [TIME[2015-06-22]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17982310/>
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野川に切り離された、入間川の本当の下流部~深大寺用水と入間川を紐解く(16)��
2012年 05月 20日
「深大寺用水と入間川を紐解く」シリーズの最終回は、失われた入間川の下流部を辿る。まずは前回の記事でも取り上げた、入間川の河口。現在の入間川は、調布市入間町と狛江市東野川の境目で、野川に合流して終わっている。前回の記事では水の流れる2008年6月、涸れている2012年2月の写真を載せたが、今回の写真は2012年5月のもの。水はしっかり流れている。右側に見える別の合流口は、かつての合流式下水道の排水口らしく、今では使っていないそうだ。
入間川と野川の流路の変遷 下の地図は、京王線以南から小田急線を挟んで二子玉川付近までの一帯の、現在見られる河川の流路を示している(一部暗渠)。野川が北西から南東に横切り、そこに入間川、仙川が合流している。また仙川は野川に合流する手前で丸子川を分け、そちらには途中から谷沢川が合流している。これらの川が現在のような流路となったのは1967年以降のことだ。
1967年以前の流路は、下の地図のようになっていた。大きく異なるのは「六郷用水」の存在だ。また、狛江市内の野川は今よりも西側を流れていた。そして、小田急線喜多見駅付近の、現在野川が流れている辺りには、入間川が流れていた。この失われた入間川下流部が今回の記事の主題だが、その前に一帯の河川・用水の変遷について簡単に触れておこう。
六郷用水 六郷用水は、江戸時代初期、1597(慶長2)年から1611(慶長16)年にかけて15年の歳月をかけてによって作られた、多摩川から分水した灌漑用水だ。開削を主導した小泉次大夫吉次にちなみ、「次太夫堀」とも呼ばれている。なお、多摩川を挟んだ反対側(川崎側)には同時期に二ヶ領用水が開削されている。 取水口のある狛江近辺の水路は1605(慶長10)年に開削が始まり、1609(慶長14)年には開通して現在の狛江と蒲田の間の本流が繋がった。そののち引き続き小堀(六郷領内の分流)が開削され1611年に完成した。その延長は23kmに及ぶ。当初は六郷領21ヶ村にのみ水利権があったが、のち1726(享保11)年に、世田谷領の14ヶ村についても利用が認められた。 六郷用水の廃止と野川の改修 300年以上にわたり、現在の世田谷区南部と大田区の田畑を潤してきた六郷用水は、
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- [9] [CITE[品川用水(1)古戸越橋と古戸越川(品川用水末流) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-10]], [TIME[2014-12-10]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12025190/>
- [10] [CITE[大刀洗川 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-17]], [TIME[2013-06-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12067973/>
- [11] [CITE[黒目川・落合川とその支流(1)西妻川 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-08-03]], [TIME[2015-08-03]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12079317/>
- [12] [CITE[神田川1985(1)桃園川合流地点 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-11]], [TIME[2014-12-11]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12177242/>
- [13] [CITE[神田川1985(2)川の上の送電線 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-11]], [TIME[2014-12-11]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12196903/>
- [14] [CITE[神田川1985(3)神田川最上流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-11]], [TIME[2014-12-11]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12391026/>
- [15] [CITE[策の池界隈(四谷荒木町) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-11]], [TIME[2014-12-11]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12391351/>
- [16] [CITE[新鏡ヶ池(小沢川水源) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12425597/>
- [17] [CITE[十二社(じゅうにそう)の池(新宿区西新宿) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-15]], [TIME[2014-12-15]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12453676/>
- [18] [CITE[神田川笹塚支流(和泉川)(1)「萩窪」の源流と幡ヶ谷分水 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-15]], [TIME[2014-12-15]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12648565/>
- [19] [CITE[神田川笹塚支流(和泉川)(2)最上流部・北側水路 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-15]], [TIME[2014-12-15]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12689289/>
- [20] [CITE[神田川笹塚支流(和泉川)(3)最上流部・南側水路 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-15]], [TIME[2014-12-15]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12794512/>
- [21] [CITE[中野区南台~弥生町の暗渠 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/12989937/>
- [22] [CITE[渋谷川水系再訪(1)南新宿駅付近の原宿村分水(代々木川) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-27]], [TIME[2013-06-27]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13018477/>
- [23] [CITE[中野区南台/杉並区方南 忘れ去られた水路 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13070021/>
- [24] [CITE[文京区本郷・菊坂の暗渠と井戸(東大下水) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13110867/>
- [25] [CITE[神田川1985(4)谷端川合流点(JR水道橋駅前) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13226330/>
- [26] [CITE[渋谷川水系再訪(2)三田用水白金村分水 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-01]], [TIME[2013-07-01]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13276026/>
- [27] [CITE[河骨川・姿を現した参宮橋の遺構 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-01]], [TIME[2013-07-01]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13393914/>
- [28] [CITE[国分寺崖線・野川に注ぐ湧水&ミニ支流たち(1)こんなところに湧水が・・・ : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-05]], [TIME[2015-01-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13405751/>
- [29] [CITE[国分寺崖線・野川に注ぐ湧水&ミニ支流たち(2)真姿の池湧水群 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-05]], [TIME[2015-01-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13439412/>
- [30] [CITE[桃園川上流の暗渠が・・・ : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13480700/>
- [31] [CITE[国分寺崖線・野川に注ぐ湧水&ミニ支流たち(3)国分寺駅の南側~南東側にかけての湧水 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-05]], [TIME[2015-01-05]]
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- [32] [CITE[国分寺崖線・野川に注ぐ湧水&ミニ支流たち(4)貫井神社の湧水と滄浪泉園からの流れ : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-07]], [TIME[2015-01-07]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13520327/>
- [33] [CITE[国分寺崖線・野川に注ぐ湧水&ミニ支流たち(5)玉川上水小金井分水の末流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-07]], [TIME[2015-01-07]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13567395/>
- [34] [CITE[1989年初秋。本郷菊坂の汲み上げ式井戸。 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
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- [35] [CITE[神宮前三丁目・渋谷川謎の支流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-01]], [TIME[2013-07-01]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13840625/>
- [36] [CITE[弦巻川断章 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-16]], [TIME[2014-12-16]]
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- [37] [CITE[笄川夕景 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-01]], [TIME[2013-07-01]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/13926201/>
- [38] [CITE[六本木、麻布十番、元麻布の川跡(2)旧麻布宮村町の湧水の流れ : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-17]], [TIME[2013-06-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14005731/>
- [39] [CITE[六本木、麻布十番、元麻布の川跡(3)六本木ヒルズ〜麻布十番の流れ : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-17]], [TIME[2013-06-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14062603/>
- [40] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(1)新川南支流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14121561/>
- [41] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(2)新川北支流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14150316/>
- [42] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(3)南北支流の合流地点〜天神山 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14172188/>
- [43] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(4)新川のミッシング・リンクと白子川源流部 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14190493/>
- [44] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(5)大泉堀 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14245741/>
- [45] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(6)2つの「野水」(大泉堀支流) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14338834/>
- [46] [CITE[白子川上流部ー地下水堆とシマッポー(7)宮の脇川(大泉堀支流) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14338949/>
- [47] [CITE[いもり川再訪(1) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-01]], [TIME[2013-07-01]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14392796/>
- [48] [CITE[いもり川再訪(2) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-01]], [TIME[2013-07-01]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14422097/>
- [49] [CITE[河骨川の傍流と、かつての宇田川の流れたち : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-07-31]], [TIME[2013-07-31]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14449570/>
- [50] [CITE[どっこい生きてる鈴木用水(玉川上水鈴木新田分水) : 東京の水 2009 fragments]],
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- [51] [CITE[柴崎分水(立川分水)(1)分水地点〜昭和記念公園まで : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-03]], [TIME[2014-12-03]]
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- [52] [CITE[柴崎分水(立川分水)(2)昭和記念公園〜奥多摩街道まで : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-03]], [TIME[2014-12-03]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14720354/>
- [53] [CITE[柴崎分水(立川分水)(3)奥多摩街道〜中央線付近まで : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-03]], [TIME[2014-12-03]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14745548/>
- [54] [CITE[柴崎分水(立川分水)(4)中央線付近〜根川合流点直前まで : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-03]], [TIME[2014-12-03]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14800279/>
- [55] [CITE[柴崎分水(立川分水)(5)根川合流点から先と、いくつかの分水路遺構 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-03]], [TIME[2014-12-03]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14850220/>
- [56] [CITE[立会川上蛇窪谷戸支流(1)西大井のコンクリート蓋暗渠 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-07-26]], [TIME[2015-07-26]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14930283/>
- [57] [CITE[立会川上蛇窪谷戸支流(2)戸越公園駅付近に残る暗渠 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-07-26]], [TIME[2015-07-26]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/14992902/>
- [58] [CITE[落合川を辿る(1)川のはじまり : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15323929/>
- [59] [CITE[落合川を辿る(2)川を支える旧流路たち : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15344920/>
- [60] [CITE[落合川を辿る(3)緑溢れる中流域 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15370043/>
- [61] [CITE[落合川を辿る(4)南沢の湧水群 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15388060/>
- [62] [CITE[落合川を辿る(5)こぶし沢と落合川下流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15434863/>
- [63] [CITE[落合川を辿る(6)立野川をさかのぼる : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15509789/>
- [64] [CITE[貫井川の暗渠(川跡)を辿る(1)貫井川上流部 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15535592/>
- [65] [CITE[貫井川の暗渠(川跡)を辿る(2)貫井川下流部 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15582543/>
- [66] [CITE[貫井川の暗渠(川跡)を辿る(3)下流部分流と向山ヶ谷戸支流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15606959/>
- [67] [CITE[みちくさ学会記事拾遺 桃園川たかはら支流(仮) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-23]], [TIME[2014-12-23]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15636362/>
- [68] [CITE[小沢川(1)最上流部ー金太郎と密かに残る蓋暗渠、そして池 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15804649/>
- [69] [CITE[小沢川(2)上流〜中流 街の綻びのような暗渠地帯 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15837708/>
- [70] [CITE[小沢川(3)下流部、蛇窪支流、そして蚕糸の森そばの谷筋 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15885038/>
- [71] [CITE[「道角橋」と「田端橋」–失われた川に架かっていた2つの石橋の運命 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-13]], [TIME[2014-12-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/15903144/>
- [72] [CITE[千川上水橋梁と地上に姿を現す千川上水 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-05]], [TIME[2014-12-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16370558/>
- [73] [CITE[山王窪の築樋と、小金井分水の空堀をたどる : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-05]], [TIME[2014-12-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16388688/>
- [74] [CITE[石神井川の源流を探して(1)1993年の上流端 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16636639/>
- [75] [CITE[石神井川の源流を探して(2)16年後の上流端。 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16649977/>
- [76] [CITE[石神井川の源流を探して(3)2010年。更に上流へ。 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16669573/>
- [77] [CITE[石神井川の源流を探して(4)源流解題ー鈴木遺跡・鈴木田用水・経理排水・石神井幹線 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-08]], [TIME[2014-12-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16682228/>
- [78] [CITE[宇田川源流の湧水池 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-17]], [TIME[2013-06-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/16941522/>
- [79] [CITE[深大寺用水と入間川〜絡み合う用水路(跡)と川(暗渠)を紐解く(1)深大寺用水東堀の上流部その1 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-21]], [TIME[2015-01-21]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17164124/>
- [80] [CITE[深大寺用水と入間川〜絡み合う用水路(跡)と川(暗渠)を紐解く(2)深大寺用水東堀の上流部その2 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-08]], [TIME[2015-06-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17184620/>
- [81] [CITE[東堀分流の暗渠と入間川源流部、そして二段水路跡 〜深大寺用水と入間川を紐解く(3) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-08]], [TIME[2015-06-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17214911/>
- [82] [CITE[隧道水路から旧金子村エリアへ。執拗に入間川の水系を避ける水路。〜深大寺用水と入間川を紐解く(4) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-08]], [TIME[2015-06-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17259654/>
- [83] [CITE[仙川用水、入間川支流との交錯と、再びの隧道〜深大寺用水と入間川を紐解く(5) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-08]], [TIME[2015-06-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17309787/>
- [84] [CITE[深大寺用水東堀の流末と、いくつかの分流の痕跡〜深大寺用水と入間川を紐解く(6) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-11]], [TIME[2015-06-11]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17337825/>
- [85] [CITE[ほとんど痕跡のない、深大寺用水西堀上流部〜深大寺用水と入間川を紐解く(7) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-11]], [TIME[2015-06-11]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17413260/>
- [86] [CITE[開渠や湧水池の痕跡の残る深大寺用水西堀中流部~深大寺用水と入間川を紐解く(8) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-12]], [TIME[2015-06-12]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17464768/>
- [87] [CITE[コンクリ蓋暗渠の続く深大寺用水西堀下流部~深大寺用水と入間川を紐解く(9) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-12]], [TIME[2015-06-12]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17521479/>
- [88] [CITE[謎解き仙川用水その1ー品川用水上流部と深大寺用水下流部の母体~深大寺用水と入間川を紐解く(10) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-13]], [TIME[2015-06-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17636543/>
- [89] [CITE[謎解き仙川用水その2ー幾重に交差する水路を紐解く~深大寺用水と入間川を紐解く(11) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-13]], [TIME[2015-06-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17707338/>
- [90] [CITE[謎解き仙川用水その3ー島屋敷ルートと仙川源流地帯~深大寺用水と入間川を紐解く(12) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-13]], [TIME[2015-06-13]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17751222/>
- [91] [CITE[謎解き仙川用水その4ー入間川から金子方面導水路まで~深大寺用水と入間川を紐解く(13) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-20]], [TIME[2015-06-20]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17838599/>
- [92] [CITE[入間川中流部__&&[&&__1:中仙川遊歩道から入間川へ__&&]&&__~深大寺用水と入間川を紐解く(14) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-20]], [TIME[2015-06-20]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17932345/>
- [93] [CITE[入間川下流部と、周囲に残る支流の暗渠・痕跡~深大寺用水と入間川を紐解く(15) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-22]], [TIME[2015-06-22]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17959060/>
- [94] [CITE[地図ともくじと参考文献リスト~深大寺用水と入間川を紐解く(17・終) : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-06-22]], [TIME[2015-06-22]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/17992270/>
- [95] [CITE[白子川於玉ヶ池支流(仮称)と幻の遊園地「兎月園」 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-03-14]], [TIME[2014-03-14]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/18072907/>
- [96] [CITE[狛江暗渠ラビリンス(1)揚辻(谷田部)稲荷の湧水池跡とそこから流れ出す川跡 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-07]], [TIME[2015-01-07]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/18149330/>
- [97] [CITE[狛江暗渠ラビリンス(2)「内北谷用水」の痕跡をたどる : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-08]], [TIME[2015-01-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/18198771/>
- [98] [CITE[狛江暗渠ラビリンス(3)清水川の源流につながっていた「相の田用水堀」 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-08]], [TIME[2015-01-08]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/18261761/>
- [99] [CITE[狛江暗渠ラビリンス(4)灌漑用水としての清水川 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2015-01-17]], [TIME[2015-01-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/18324407/>
- [100] [CITE[水田のなかった谷戸。宿湿化味の谷の川跡を辿る。 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-17]], [TIME[2013-06-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/19122935/>
- [101] [CITE[神田川笹塚支流(和泉川)(4)幡ヶ谷の名無し谷戸支流 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-29]], [TIME[2014-12-29]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/19171894/>
- [102] [CITE[品川用水流末の断片と点在する赤煉瓦 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-10]], [TIME[2014-12-10]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/19237844/>
- [103] [CITE[釣堀となった溜池から流れ出していた小川ーエンガ堀向原支流(上流部)を辿る : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2013-06-17]], [TIME[2013-06-17]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/19454254/>
- [104] [CITE[羽根と粘土のはざま。石神井川羽沢支流(下練馬分水)をたどる : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-10]], [TIME[2014-12-10]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/20280576/>
- [105] [CITE[渋谷川暗渠、2度めの移設 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-02-19]], [TIME[2014-02-19]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/21602941/>
- [106] [CITE[鈴木用水(玉川上水鈴木新田分水)(1)田無用水との分岐点から鈴木稲荷まで : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-05]], [TIME[2014-12-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/22286531/>
- [107] [CITE[鈴木用水(玉川上水鈴木新田分水)(2)鈴木街道南側の水路 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-05]], [TIME[2014-12-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/22324653/>
- [108] [CITE[鈴木用水(玉川上水鈴木新田分水)(3)鈴木街道北側の水路 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-12-05]], [TIME[2014-12-05]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/22411800/>
- [109] [CITE[小平の「緑川」〜スリバチ地形に十数年だけ存在した幻の「川」を追う。 : 東京の水 2009 fragments]],
[TIME[2014-11-25]], [TIME[2014-11-25]]
<http://tokyoriver.exblog.jp/22738742/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[110]
[CITE[多摩川に「パリピ」大音量でBBQ 規制といたちごっこ:朝日新聞デジタル]],
[TIME[2016-07-08]], [TIME[2016-07-08]]
<http://www.asahi.com/articles/ASJ6X5HZ5J6XULOB01B.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
神奈川県と東京都の境を流れる多摩川の河川敷で、バーベキュー(BBQ)をめぐるトラブルが後を絶たない。若者らが出すゴミや騒音、においに、周辺の住民は不満を募らせる。川崎市は一部を有料化するなど対策に乗り出しているが、場所を変えていたちごっこが続いている。
6月下旬の日曜日、川崎市中原区と東京都大田区を結ぶ丸子橋の周辺で、顔を真っ赤にした金髪の男性がマイクを握り、声を張り上げた。
「この夏、最高の思い出を作りましょう!」
集まったのは20代中心の男女…
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[111]
[CITE[吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 :日本経済新聞]],
[TIME[2013-09-06]], [TIME[2013-09-06]]
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21022_R20C13A8000000/?df=2>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
移管を決めた「東京府神奈川県境域変更ニ関スル法律案」には、神奈川県知事も不便を感じている、という記述があった(国立公文書館所蔵)
]BOX]
]FIG]
- [112] [CITE[吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 :日本経済新聞]],
[TIME[2013-09-06]], [TIME[2013-09-06]]
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21022_R20C13A8000000/?df=3>
- [113] [CITE[吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 :日本経済新聞]],
[TIME[2013-09-06]], [TIME[2013-09-06]]
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21022_R20C13A8000000/?df=4>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[114]
[CITE[@nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す]],
[TIME[2014-04-20]], [TIME[2014-09-26]]
<http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/4.htm>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
石神井川と仙川
荒川水系の川と多摩川水系の川がすぐ近くを流れている場所。続いてやってきたのは小金井市。中央線の武蔵小金井駅と西武線の花小金井駅に挟まれたエリアである。
ここは荒川水系の石神井川と多摩川水系の仙川が東に向かって平行して流れている。
]BOX]
]FIG]
- [115] [CITE[@nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す]],
[TIME[2014-04-20]], [TIME[2014-09-26]]
<http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/2.htm>
- [116] [CITE[@nifty:デイリーポータルZ:市街地で分水嶺を探す]],
[TIME[2014-04-20]], [TIME[2014-09-26]]
<http://portal.nifty.com/2011/06/16/b/3.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[117]
[CITE[多摩川からゴムボートで海を目指したら悟りが開けた - Yahoo!スマホガイド]],
[TIME[2015-04-21]], [TIME[2015-04-21]]
<http://special.smartguide.yahoo.co.jp/kawanagare/20150421.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
スマートフォンを使って、さまざまな実験を行うこの企画。第141回は、ゴムボートで多摩川から海まで出られるのかを調査します。
こんにちは。ヨッピーです。
いきなり眠そうな顔で申し訳ありません。こんな顔なのは現在、朝の5時半だからです。
ところでみなさんは、人生に疲れた時、「海を見たい」と思ったりすることはありませんか?
大きな海を見て、自分の存在や、悩んでいることがいかにちっぽけなことなのかを確認する意味合いがあるのかもしれません。
僕も先月くらいからひどい企画を連発させられていて、ここにきて心底「疲れたな……」と思っていました。
そこで今日は……、
海を見に行きたいと思います!!
ゴムボートで!
■出発の準備をしよう
そんなわけで東急多摩川線・沼部駅から徒歩3分。多摩川の河川敷に来ました。
実を言うとおととし、同じように「多摩川から海を目指す」という企画を、同じYahoo! JAPAN内の「こちら検索探偵」でやったことがあるのです。
ハリボテのペットボトルいかだと、「お湯をかき混ぜる棒」という死ぬほどなめた装備で多摩川から海に繰り出したおととしの僕。
そもそもバランスが悪い上、あっさりペットボトル船が大破して実験は失敗に終わりました。
そこで今回は……、
じゃーん!
ちゃんとしたゴムボートを買ってみました。
オールもついてる立派なやつです!
普通のボートが2~3万円くらいするなか、このゴムボートだけが1万円となぜか激安だったので少し不安はありますが、それでもペットボトルのいかだよりは良い仕事をしてくれるはず!
電池式の電動ポンプを駆使して空気を入れる。
わりと簡単に完成!
よっしゃーー! おととしの雪辱を果たすどーーーー!
ボードも問題なく水に浮き、「いよいよ出発!」というところで……、
なんか、急に不安になってきた。
今思えばおととしのチャレンジって夏場だったし、水に落ちたところで特に問題あるわけじゃないけど、まだ肌寒い季節なのにまた水の中に落っこちたらめちゃくちゃ寒いんじゃないの……?
■いよいよ出発
そんなわけで「行きたくない」を連発しながらも、渋々ボートに乗り込む僕。
どうしよう。完全に行きたくない。
考えてみれば僕が海を見に行きたくなるきっかけを作った「疲弊感」も、そもそもは僕が余計な企画を思い付きで言
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[118]
[CITE[吉祥寺・町田は昔、神奈川県だった 知事が捨てた街 :日本経済新聞]],
[TIME[2013-09-06]], [TIME[2013-09-06]]
<http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21022_R20C13A8000000/>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
町田市は神奈川県だと勘違いする人もいるが、東京都だ。東急田園都市線「すずかけ台」駅の近くに境界を示す看板があった。看板の手前は神奈川県横浜市緑区
大学時代、友人に「東京を出て多摩川を越えたら神奈川県」と教えられたことがある。西日本出身者としては素直に信じていたのだが、実際に当てはまるのは一部だけ。中流域では「多摩川を越えても東京都」だ。しかしかつては違った。八王子や町田、多摩川の手前にある調布や成城、吉祥寺も神奈川県だった。なぜ東京になったのか。事情を探っていくと、長年の課題である水源問題と、複雑な政治事情が浮かび上がってきた。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[119]
[CITE[荒川の水で旧江戸城外濠浄化構想…多摩川経由で : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)]],
[TIME[2014-11-29]], [TIME[2014-11-29]]
<http://www.yomiuri.co.jp/national/20141129-OYT1T50053.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
東京都心にある旧江戸城外濠(そとぼり)(千代田区など)の水質を抜本的に改善しようと、東京大や中央大など5大学の河川や環境工学の専門家が、荒川上流の水を活用する構想をまとめた。
荒川上流から多摩川や玉川上水を経て外濠に導水する大がかりな構想で、12月3日に東京都文京区の中央大学で開くシンポジウムで発表する。
外濠は神田川とつながっているものの、水の流れがほとんどなく、大雨が降ると下水が流れ込む。夏場にはアオコが大量発生して水面が緑で覆われ、悪臭を放つこともある。
構想では、荒川上流の水利権がない水を活用する。荒川上流にある滝沢ダム(埼玉県秩父市)付近から多摩川に向かって長さ約20キロ・メートルの導水管を新設、荒川上流の水を多摩川に流す。多摩川につながっている玉川上水を経由して、外濠に導水する。
こうした方法により、冬場の渇水時を除けば、最大で毎秒約10トンの水を外濠に流すことができ、水質の浄化が期待されるという。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[120]
[CITE[暗渠ハンター 涯のうえした・狛江喜多見に成城学園: 東京Peeling!【とうきょうピーリング!】]],
[TIME[2010-04-21]], [TIME[2015-06-22]]
<http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-16a8.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
もう1ヵ月も前の話ですが、小田急線・狛江駅駅前の泉の森会館というところで「六郷用水の今と昔」という小さな展示が行われていたので見に行ってきました。
六郷用水とは、小田急線が多摩川を渡るあたり(駅でいうと和泉多摩川駅)のちょっと上流から取水し、狛江、喜多見、世田谷の西端方面jからずっと下流の大田区・品川区あたりまで網の目のように続く、付近の田畑を潤していた用水です。つまり、国分寺崖線の下に広がる農地にぶわっと拡がっていたわけですね。 その、特に狛江周辺の昔の様子を地図や写真、絵で解説する、という展示でした。六郷用水についてはまだあまり詳しく知らなかったので、この上流のほうの全体像を把握するにはとても勉強になりました。
さて、ついでですからこのあたりの暗渠や湧水を見て回って帰りましょうかね。
展示施設のすぐ隣、もう狛江の駅のまん前には泉龍寺弁財天池という大きな池があります。 奈良時代からいつの旱魃にも枯れることなく一帯を潤してきた湧水でしたが、1972年の11月に枯れ尽きてしまったとのこと。現在は復元された姿となっています。ちなみに、隣の駅は「和泉多摩川」ですが、この「和泉」というのはこの池から取られたという説もあるようです。
さて、池つながりでもうひとつ。駅を新宿寄りに二つ戻って(狛江→喜多見→成城学園前)成城学園前に降りてみます。 狛江、喜多見と成城学園前。駅は至近距離ですが決定的に違うのは、国分寺崖線の崖下なのか、崖上なのか、という点。もちろん成城は崖上です。崖線には野川が流れており、崖上の成城側には当然国分寺崖線湧水ポイントがいくつか。 成城から歩いてこの湧水を見に行ってみることにします。
てくてく歩いて崖線近くにまで来ると現れるのが「みつ池」。しかし残念ながら保護区域に指定されていて、柵に阻まれ近づくことができませんでした。・・・無念。
__&&*&&__******************************
※訂正・・・さきほどまでここであたかも「みつ池」の如く池の写真を掲載しておりましたが、あれは先の「泉龍寺弁財天池」の画像でした;;;;;申し訳ありません、お詫びいたします;;;;
__&&*&&__******************************
近くのベンチでビール休憩したあと、なんとかこの池から野川に流れ込む様子を見られないかと崖を降りてみつ池の下あたりをうろう
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[121]
[CITE[白丸調整池ダム | おぼえがき]],
[TIME[2015-08-12]], [TIME[2015-08-13]]
<http://now2000net.blogspot.jp/2012/06/blog-post_3.html>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
小河内ダムへ向かう途中に、白丸調整池ダムがあります。発電専用のダムで、魚道が整備されているのが見所なダムです。
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[122]
[CITE[@nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」]],
[TIME[2011-07-28]], [TIME[2013-05-24]]
<http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/4.htm>
]FIGCAPTION]
>
[BOX[
とりあえず、薄目で見て、多数決ではここらへんが現時点での「ここ東」かなー、というところに線を引いてみた。ぼくの視力と主観によって。えいっ、と。
で、線引いてみてから、それがどこに位置しているかを見てみた。
中央線→吉祥寺
京王線→千歳烏山
小田急線→成城学園前
田園都市線→用賀
東横線→多摩川
東海道線→蒲田
京葉線→新木場
総武線→亀戸
常磐線→亀有
伊勢崎線→北千住
京浜東北線→赤羽
東上線→下赤塚
池袋線→大泉学園
おお!なんかこれまでまとめてきて抱いている感触といい感じで一致している。
一致してるけど、これじゃあまりにもてきとうなので、ちゃんと集計してみよう。がんばろう。
まずは中央線から。
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- [123] [CITE[@nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」]],
[TIME[2011-07-28]], [TIME[2013-05-24]]
<http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/3.htm>
- [124] [CITE[@nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」]],
[TIME[2011-07-28]], [TIME[2013-05-24]]
<http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/5.htm>
- [125] [CITE[@nifty:デイリーポータルZ:「どこまで東京?」]],
[TIME[2011-07-28]], [TIME[2013-05-24]]
<http://portal.nifty.com/2011/04/22/a/6.htm>
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[126]
[CITE[砧地域 - Wikipedia]],
[TIME[2013-12-26]], [TIME[2014-01-10]]
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%A7%E5%9C%B0%E5%9F%9F>
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砧地域(きぬたちいき)は世田谷区の定める5地域の一つで、砧総合支所管内を指す。 成城学園前駅を中心として、大規模な住宅街を形成している。 また、成城は住宅地として名高い。国分寺崖線を中心として砧公園や多摩川など、都市部にあって自然環境に恵まれた地域である。東京近郊では、かつては安行に次ぐ植木の主産地であった為、造園業者が多く所在する。
含まれる町名__&&[&&__編集__&&]&&__
世田谷区の内、
宇奈根
鎌田
岡本
砧公園
大蔵
砧
千歳台
祖師谷
成城
喜多見
地理__&&[&&__編集__&&]&&__
世田谷区の南西部に位置する。 南には多摩川が流れ、その支流が幾つか流れる。 多摩川の河岸段丘である国分寺崖線があり、そこを中心として 自然が広がり、都区内でも緑被率はトップクラスの地域である。 また、国分寺崖線や刻み入る谷戸などで、土地の起伏の激しさは都区内有数である。
川__&&[&&__編集__&&]&&__
多摩川水系
多摩川
野川
仙川
丸子川
谷戸川(一部暗渠)
清水川
谷川(暗渠)
宇奈根川(一部暗渠)
目黒川水系
烏山川(暗渠)
沿革__&&[&&__編集__&&]&&__
1936年(昭和11年)北多摩郡砧村・千歳村が東京市に編入され、世田谷区に属す。
1991年 世田谷区が地域区分を設定し、砧総合支所が設置され、旧砧村村域の大部分・旧千歳村村域の南部を砧地域として定める。
公共機関など__&&[&&__編集__&&]&&__
世田谷区役所砧総合支所・成城出張所
区役所喜多見出張所
区役所砧出張所
区役所船橋出張所
区役所祖師谷出張所
警視庁成城警察署
警視庁交通安全指導センター
東京消防庁成城消防署
郵便局株式会社成城郵便局(郵便事業成城支店、ゆうちょ銀行成城店を併設)
国立成育医療研究センター(旧 国立大蔵病院→国立成育医療センター)
NHK放送技術研究所
所轄となる機関__&&[&&__編集__&&]&&__
警察 成城警察署
消防 成城消防署
郵便 船橋が郵便事業東京千歳支店(〒156)、それ以外が郵便事業成城支店(〒157)
経済__&&[&&__編集__&&]&&__
東京メディアシティ
東宝スタジオ
かつては、円谷プロダクションが砧地域に本社を構えていた。
産業__&&[&&__編集__&&]&&__
生産農地が存在する。
東京都中央卸売市場世田谷市場
かつて砧農協という単独の農協が存在したが、現在は合併により、JA東京中央砧支店になっている。なお、最寄のバス停には2011年3月31日まで「砧農協前」の名称が残っていた。
教育__&&[&&__編集__&&]&&__
大学・短期大学__&&[&&__編集__&&]&&__
成城大学
日本大
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[127]
[CITE[甲州街道 - Wikipedia]],
[TIME[2017-05-21]], [TIME[2017-05-22]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%B7%9E%E8%A1%97%E9%81%93>
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概要 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
元は「古甲州道」であり、甲州街道は江戸幕府によって整備された五街道の1つとして、5番目に完成した街道である。 江戸 ( 日本橋 )から 内藤新宿 、 八王子 、甲府を経て 信濃国 の下諏訪宿で 中山道 と合流するまで38の 宿場 が置かれた。近世初頭には「甲州海道」と呼称され、 正徳 6年( 1716年 )4月の街道呼称整備で「甲州道中」に改められる。 中馬 による陸上運送が行われた。江戸の町において 陰陽道 の 四神相応 で言うところの 白虎 がいるとされる街道である。 多摩川に近い所を通っていた箇所(谷保~府中~調布など)は、度重なる多摩川の洪水などにより何度か南側に平行する道路へ道筋が変更された。その後も古く狭い街道が、新しくできたバイパスへと路線が変更となっている。
歴史 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
甲州街道「江戸~甲府」の開設は慶長7年であり、すべての宿場の起立時期は明確とはなっていなく、徐々に整備されていった。
近世には諸街道の整備が行われるが、甲州街道は 徳川家康 の江戸入府に際し、 江戸城 陥落の際の甲府までの将軍の避難路として使用されることを想定して造成されたという。そのため、街道沿いは砦用に多くの寺院を置き、その裏に同心屋敷を連ねた、また短い街道であるにもかかわらず、小仏・鶴瀬に関所を設けている。これは、 甲府城 を有する 甲府藩 が 親藩 であることと、沿道の四谷に伊賀組・根来組・甲賀組・青木組(二十五騎組)の4組から成る鉄砲百人組が配置されており、鉄砲兵力が将軍と共に甲府までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためであるという。
参勤交代 の際に利用した 藩 は 信濃 高遠藩 、 高島藩 、 飯田藩 である。それ以外の藩は 中山道 を利用した。下諏訪宿から江戸までは甲州街道が距離はより短いが、物価が高いことや街道沿線のインフラ整備状況がその主な理由と言われる。その事から、発展が遅れ、衰退する宿場町もあった。
近世には旅の大衆化に伴い甲州道中上の名所旧跡などを紹介した地誌類や視覚化した絵図類が製作されており、絵図では『 甲州道中分間延絵図 』や『 甲州道中図屏風 』が知られる。また、 宇治採茶使 は甲州街道を利用した。
宿場 __&&[&&__ 編集 __&&]&&__
多くの宿場があり人々は国府参り等を旅路の楽しみとして賑わっていたが、趣向の変化で国府も西の外れ近くと
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[128]
[CITE[首都圏の主要道路の変遷メモ]],
[TIME[2014-03-09]], [TIME[2014-03-10]]
<http://anond.hatelabo.jp/20140309230249>
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■首都圏の主要道路の変遷メモ
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
■今昔マップ on the web 首都圏編
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
なお、情報源はこの今昔マップが主で、一部ウィキペディアからの情報で補足しているが、事実と異なる記述があったらご容赦。
自分の興味地域は、東京南部~神奈川なので、以下はそのエリアについてのみ。
【おもな放射道路編】
東海道(国道1号・15号)
日本橋~品川区間。
1900ごろ時点で現在の国道15号と同じルート。市電も敷設されていた。八ツ山橋が現在の道路形状になったのは1960ごろ。
品川~横浜間。
京急本線が1900ごろ時点ですでに敷設されているが、道路は現在の旧東海道のみ。
六郷橋は1900ごろ時点ですでに架橋されていた。
現在の国道15号品川~大森町駅間が開通したのが1930ごろ。川崎~新子安区間は1920ごろ。
横浜~平塚。1900ごろ時点で、おおよそ現在の旧東海道あるいは東海道に沿ったルート。
1900ごろ時点で、現在の横浜駅付近は鉄道以外は海で、当時の横浜駅は現在の桜木町駅付近にあった。
生麦~保土ヶ谷区間は、1930ごろには現在のルートになり、当時市電が走っていた。横浜駅も現在の位置へ移動。
狩場IC付近が現在のルートになったのは1960ごろ。
藤沢バイパス開通は1960ごろで、それまでは神奈川県道30号および藤沢本町駅付近を通るルートだった。
平塚駅付近の現ルートができたのは1960ごろで、それまでは旧道ルート。(現ルートの国道指定はタイミング遅れて1980ごろ?)
なお、1900ごろ時点で、浜離宮~平和島駅間は現在の山手線・京急本線がほぼ海岸線で、以東はその後の埋立地である。
現在の国道1号日本橋~横浜駅間について
日本橋~五反田間は、中原街道の原型として1900時点でおおよそ既にあった。
三田~高輪台駅区間は、1900ごろ時点では細い道しかなく、1930ごろまでにかけて大きな道として開通した。
ちなみに、三田慶應のT字路ができたのが1940ごろ、白金高輪駅から古川橋方面の区間が開通したのが1960ごろ。
なお、日本橋~札の辻と魚藍坂~五反田には市電が走っていた。
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[129]
[CITE[日原トンネル旧道を歩く]],
[TIME[2009-07-13]], [TIME[2014-08-13]]
<http://kasetsu.sukimakaze.com/hobby/nippara1.htm>
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“鍾乳洞と巨樹の神秘の里・おくたま にっぱら”
日原の観光案内のサイトに出ているスローガンである。