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* 萬喜 (日本マタギ)
[17]
[DFN[萬喜]] ([[新字体]]: [DFN[万喜]])
は、
[[マタギ]]の文書に出現することのある[[元号]]です。
[18]
[[東日本]]の[[マタギ]]の家には
[CITE[山立根本巻]]
などと呼ばれる[[秘伝書]]が伝わることが多いそうです。
それらは大筋で一致しながらその細部は異なる、つまり異同のある[[写本]]がいくつもあります。
[19]
そして[[写本]]によっては[[奥書]]に独特の[[元号]]が書かれています。
[NOTE[
[14]
また、
[CITE[山立根本巻]]
と関係する文書が無年号だったり建久4年だったり元慶4年だったりするとのことです
[SRC[>>13]]。
[15]
この種の文献の[[奥書]]はあまり信用できないのかもしれません。
はじめから作為ある[[日付]]が書かれていたのかもしれませんし、
伝写の過程で変化しておかしな[[日付]]になったのかもしれません。
[REFS[
- [13] [CITE@ja-JP[宮守村誌]], [[宮守村教育委員会]], [TIME[1977.9][1977]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T14:18:02.844Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569860/1/210> (要登録)
]REFS]
]NOTE]
;; [16] [[奥書]]の[[紀年]]以外にも、怪しげな内容があります。
例えば: [[弘名天皇]]
[10]
[[昭和時代]]の民俗研究者[[藤井萬喜太]] (なんとも運命的な名前!)
が調査した[[日本国]][[秋田県]][[秋田郡]][[荒瀬村]]の[[佐藤忠俊]]家伝来折本
[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]に
「萬喜元年」
とあります。
[SRC[>>9, >>12]]
[11]
[[佐藤雲外]]はこれを引いて、
[[萬喜]]は[[私年号]]でおそらく元中2年だろうとしています。
[SRC[>>9, >>12]]
[[藤井萬喜太]]の解説のままと書いているので、
これは[[藤井萬喜太]]の見解かもしれませんが、
判断の理由は書かれていません。
[20]
[[昭和時代]]後期の[CITE[大迫町史]]によると、
[[日本国]][[秋田]][[矢島郷]][[百宅村]][[齊藤七蔵]]家伝来[CITE[山立根本巻]]
の[[奥書]]に
「[V[萬喜元 [SUP(smaller inline)[乙]][SUB(smaller inline)[丑]] 天四月十七日]]」
とあります。
[SRC[>>1]]
[21]
[CITE[大迫町史]]
は、この[[万喜]]は、
「[V[私年号とみられ、この種巻物によく出てくる年号]]」
だと述べています。
[SRC[>>1]]
筆者は他にもこれを見たことがあるのかもしれませんが、
残念ながら詳しくは説明してくれていません。
[REFS[
- [9] [CITE@ja-JP[[[上毛及上毛人]] (232)]], [[上毛郷土史研究会]], [TIME[1936-08]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:46:40.399Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3567422/1/13> (要登録)
- [12] [CITE@ja-JP[私時雑記]], [[佐藤錠太郎]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:56:31.903Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1219874/1/31> (要登録)
-
[1] [CITE@ja-JP[[[大迫町史]] 教育・文化編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:54:27.679Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570885/1/161> (要登録)
-
[2] [CITE@ja-JP[[[大迫町史]] 産業編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T14:13:45.933Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571445/1/121> (要登録)
]REFS]
* 萬喜 (日本熊野)
[5]
[CITE[紀伊続風土記]]
所収
[CITE[熊野別當代々次第]]
および
[CITE[新宮市史]]
所収
[CITE[熊野山別当次第記]]
に
「三條院御時萬喜元年十一月十三日」
とあります。
[SRC[>>4, >>7]]
[6]
前後の文脈から、[[三条天皇]]の次の[[後一条天皇]]の[[萬壽]] ([[万寿]])
を意味することは明らかです。
直前に「萬壽元年六月廿日」ともあります [SRC[>>4 /83]]。
[8]
[CITE[新宮市史]]
は「[V[三条院御時]]」に「[V[(後一乗院カ)]]」、
「[V[万喜元年]]」に「[V[(寿カ)]]」
と注釈を加えています。
[SRC[>>7]]
[REFS[
- [4] [CITE@ja-JP[[[紀伊続風土記]] 第3輯 牟婁,物産,古文書,神社考定]], [[仁井田好古 等編]], [TIME[明43-44][1911]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:04:04.392Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/765519/1/84>
- [7] [CITE@ja-JP[[[新宮市史]] 史料編 上巻]], [[新宮市]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T13:12:16.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575213/1/95> (要登録)
]REFS]
* メモ
[3]
[[萬壽]]が[[萬喜]]と[[OCR誤読]]されていることはままあるようです。