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* 干支年接頭辞
[435]
[[東洋の日時表示]]では、
「''大歳''戊辰」や「''歳次''戊辰」のように、
[[干支年]]の前に[[太歳]]を表す語を付けることがありました。
[10]
バリエーションが多く、それぞれ一応意味はあったのでしょうが、
実質的な違いはありません。これらの語句を省略したものとも、
意味的な違いはありません。
[FIG(railroad)[ [253] [VAR[歳次]]
= |
== [CODE[太歳]]
== [CODE[大歳]]
== [CODE[大才]]
== [CODE[大戈]]
== [CODE[太歳在]]
== [CODE[歳次]]
== [CODE[大歳次]]
== [CODE[歳在]]
== [CODE[歳舎]]
== [CODE[星集]]
== [CODE[星次]]
== [CODE[龍集]]
== [CODE[龍輯]]
== [CODE[倉龍]]
]FIG]
[FIG(railroad)[ [214] [VAR[割歳次]]
= |
== [CODE[[V[[LINES[歳][次]]]]]]
== [CODE[[V[[LINES[歳][舎]]]]]]
== [CODE[[V[[LINES[竜][集]]]]]]
]FIG]
[2]
[[干支年]]のみによる[[年]]の表記にも、
[[元号年]]との併記による[[年]]の表記にも用いました。
[[日時表示]]の他の要素との関係、
[[割書]]表記、
利用された時代などについては、
[[東洋の日時表示]]参照。
-*-*-
[24]
「歳在」
は、
[[漢土]]では、
[[漢]]の時代に既に見られました。
はじめ[[浙江]]、
[[山東]]、
[[河南]]方面が圧倒的多数を占めていました。
[SRC[>>12]]
始めは[[山東]]方面と考えられ、
次いでその南方[[河南]]、[[浙江]]方面に拡大し、
やがて5世紀頃から[[雲崗]]、[[龍門]]、更には[[陜西]]と西方に広がっていきました。
[SRC[>>19]]
5世紀末以後には更に広範囲で流行しました。
[SRC[>>12]]
[26]
「歳在」
は、
[[朝鮮半島]]方面では、
[[広開土王碑]] ([TIME[永楽5(395)年][395]])
以来用例が見られました。
[SRC[>>12]]
[58]
[[朝鮮半島]]では[[山東]]に相対する[[帯方郡]]県治址に近い[[黄海道]]信川郡龍門面 (>>50)
に続き[[広開土王碑]]、
([[新羅]]の延寿元年 [SEE[ [[延寿 (高句麗)]] ]]、)
[[百済]]の建興5年と半島南部方面に伝播した様子がみられます。
[SRC[>>19]]
[8]
「歳在」
は、
[[日本]]では、
[[道後温泉碑]]の他[[奈良時代]]にも用例がありますが、
[[中世]]以後は稀で、擬古的な例が数点ありました。
[SRC[>>25]]
[29]
[[日本]]の古い「歳在」の例では、
[[天寿国繍帳]]の意匠に[[高句麗]]の遺物との関係が指摘できること
[SRC[>>12 ([CITE[天寿国曼荼羅の新研究]], [[青木茂作]])]]
と撰文者と推測し得る人物
([[東漢末賢]] [WEAK[([[東漢]]氏の祖先は[[漢人]]だが[[帯方郡]]在住)]]. [[高麗加西溢]], [[漢奴加己利]])
が[[帰化人]]たること、
[[護身剣]]が[[百済]]から贈られたとされること、
[[威奈真人大村金銅合子墓誌]]の撰文者は不明ながら[[帰化人]]の可能性も指摘できること、
を踏まえて[[朝鮮半島]] ([[高句麗]]や[[百済]]) との関係が指摘されています。
[SRC[>>25, >>19]]
[70]
[[護身剣]]は、[[百済]]で作られたとされますが、
現存しません。
[[日本]]の記録上最古の「歳在」です。
偽作説もありますが、
[[久保常晴]]は推定される5世紀前半に[[朝鮮半島]]に「歳在」
があること、銘文が「歳次」でないことが、
偽作説に対する間接的な反証ともなると指摘しました。
[SRC[>>19]]
[56]
「歳在」の初例が[[漢土]]から[[朝鮮半島]]へ約380年差、
[[朝鮮半島]]から[[日本列島]]へ約80年差と、
[[日本]]へ急速に伝播したことが窺えます。
5世紀前半の[[高句麗]]の圧迫で南鮮諸国が[[日本]]に接近した時期に当たることが興味深いです。
[SRC[>>19]]
[63]
なお[[久保常晴]]は「歳在」に「太歳在」を含めて集計しました。
[[久保常晴]]の収集した紀年銘のうち、
[[漢土]]の「歳在」中2世紀までの6例中4例が「太歳在」、
3世紀の14例中9例が「太歳在」で、
それ以後は稀です。
「太歳(在)」と「歳(在)」はどちらも同じ意味と考えられ、
詳しい「太歳在」の表現が初期らしく感じられます。
[SRC[>>19]]
[59]
[[朝鮮半島]]の「太歳在」については[[延寿 (高句麗)]] も参照。
[68]
2世紀の
「青龍在」
(>>64)
も、
[[青龍]]は[[太歳]]の別名で、これらが古い表現であることが窺えます。
[SRC[>>19]]
[73]
[[日本]]では
「歳在」
は[[平安時代]]以後稀です (>>23)。
- [74] [[益田池碑]]に「天長2年歳在大荒落」がありました
[SRC[>>72, >>71, >>19]]。
[TIME[天長2(825)年][825]]
- [75] [CITE[聖誉抄]]奥書に
「文永十一歳在甲戌二月廿六日」
とありました。
同書には繍帳より間人皇女の死去の日を歳在辛巳十二月廿一日癸酉と書いていました。
そのことと無関係ではないと思われます。
[SRC[>>19]]
- [76]
以後[[江戸時代]]まで稀に見られます。
[SRC[>>19]]
- [77]
[[近世]]以後には擬古的な事例がままあります。
-*-*-
[9]
「歳次」
は、
[[日本]]の[[飛鳥時代]]以来見られ、
[[和銅]]・[[天平]]の頃に用例も多いです。
[[平安時代]]から[[鎌倉時代]]にも相当数見られました。
[SRC[>>25]]
[30]
[[吉備真備]]墓誌をはじめ、
[[中国]]の色彩が濃く現れているように思われます。
[SRC[>>25 (>>14), >>19]]
[57]
「歳次」
の初例が[[漢土]]から[[朝鮮半島]]に約300年差、
[[朝鮮半島]]から[[日本列島]]へと約40年差と、
「歳在」以上に急速に伝播したことがわかります。
[SRC[>>19]]
[83]
「大歳次」は極めて稀にありました。
-*-*-
[21]
[[漢土]]では、
「歳在」が「歳次」に先行していました。
6世紀には「歳次」が増加し、「歳在」の約4倍にもなりました。
[SRC[>>12]]
[22]
[[朝鮮半島]]では、
「歳在」が「歳次」に先行していた、といえるように思われます。
8世紀までは「歳在」が多くありました。
7世紀まで「歳在」が「歳次」を凌いでいました。
[SRC[>>12]]
[27]
6世紀以後[[新羅]]では「歳次」が使用され、
「歳在」と併存するようになりました。
[SRC[>>12]]
7世紀から9世紀にかけて「歳在」は「歳次」の盛行に圧せられて寥々たる使用状態でした。
[SRC[>>19]]
9世紀から10世紀にかけて「歳次」が凌ぐようになりました。
[[唐]]の影響と考えられます。
[SRC[>>12]]
[28]
[[朝鮮半島]]では、
10世紀には再び
「[[歳在]]」
が台頭してきました。
[[契丹]]や[[遼]]や[[金]]の支配に入った時代であり、
[[歳在]]が北方的色彩が濃いことが知られます。
[SRC[>>12, >>19]]
[23]
[[日本]]では、
資料が少ないものの、
「歳在」が「歳次」に先行していたと思われます。
[[日本]]では「歳在」が「歳次」にすぐに取って代わられました。
[[風土記]]撰進で最も早い紀年を持つ
[CITE[出雲風土記]]
([[天平]]年間)
で既に[[歳在]]は廃れていました。
[SRC[>>12]]
[[奈良時代]]に「歳次」は60例を超えるのに対し「歳在」7例、
それ以後はまったく「歳在」のみ利用されているといえます。
[SRC[>>19]]
[31]
[[久保常晴]]は、
[[歳在]]と[[歳次]]の分布の違いから、
[[道後温泉碑]]文は古いもので、
[CITE[伊予国風土記]]
勘録当時の作為とは考えにくいと判断しました。
[SRC[>>25, >>19]]
[SEE[ [[法興]] ]]
[[奈良時代]]の偽作なら、
偽作者が[[朝鮮半島]]と関係する人物でもない限り、
「歳次」を使うか、省略する可能性が高いといえます
[SRC[>>19]]。
;; [32] 参考になる遺物が少ないので推測に頼る部分が多く、
結論付けるにはいささか不安が残りますが、
判断材料の1つ
(「[V[消極的ながら一つの根拠]]」 [SRC[>>19]])
にはできるのでしょう。
-*-*-
[7]
「歳舎」は、
[[日本]]の[[戦国時代]]以降に極稀にあります。
[SRC[>>25]]
[6]
「大歳」
「大才」
「大戈」
は、[[日本]]の[[鎌倉時代]]から[[南北朝時代]]に多いですが、
[[室町時代]]以後は珍しいです。
[SRC[>>25]]
- [39] [[太歳在]]の最古:
[[塼]]
「[V[竟寧元年[ASIS[大][>>19 太]]歳在戊子]]」
[SRC[>>19 ([CITE[書道全集]], [[平凡社]]), >>12 ([CITE[書道全集]] 第三巻)]]
[TIME[前漢竟寧元(-32)年[LINES[戊][子]]][-32]]
- [40]
[[歳在]]の最古:
[CITE[三老諱字忌日記]]
「[V[建武十七歳在辛丑四月十日辛卯]]」
[SRC[>>19 ([CITE[書道全集]], [[平凡社]]), >>12 ([CITE[書道全集]] 第二巻)]]
[TIME[後漢建武17(41)年[LINES[辛][丑]]]41]]
- [64]
[[青龍在]]の最古:
[CITE[魯相韓勅造孔廟禮器碑]]
「惟永壽二年。青龍在涒歎。霜月之靈。皇極之日。」
[SRC[>>66]]
-- [65] 「惟永寿二年,青龍在涒叹,霜月之灵,皇極之日。」
-- [67]
[TIME[後漢永寿2(156)年[LINES[丙][申]]][156]]
- [45]
[[歳在]] + [[十二支]]異名の最古:
河南河北道湯陰県[CITE[蕩陰令張遷表]]
「[V[惟中平三年歳在摂提二月震節紀日上旬[SNIP[]]]]」
[SRC[>>19 ([CITE[金石萃編]]), >>46]]
[TIME[後漢中平3(186)年[LINES[丙][寅]]][186]]
(2月節[[啓蟄]])
- [44]
伝浙江会稽道紹興古墓出土重列神獣鏡
「[V[建安廿二年十月辛卯朔四日甲午太歳在丁酉時加未師鄭豫作明竟[SNIP[]]]]」
[SRC[>>19 ([CITE[漢三国六朝紀年鏡図説]], [[梅原末治]]), >>43]]
[TIME[後漢建安22(217)年[LINES[丁][酉]]][217]]10月4日
- [47]
[[歳次]]の最古:
半円方形帯神獣鏡
「[V[宝鼎三年歳次太陽五月丙午]]」
[SRC[>>19,>>12 ([CITE[漢三国六朝紀年鏡図説]])]]
[TIME[呉宝鼎3(268)年[LINES[戊][子]]][268]]
- [61]
「[V[咸和十年太歳乙未孫氏造]]」
[SRC[>>19]]
[TIME[東晋咸和10(335)年[LINES[乙][未]]][335]] ([[延長年号]] +1?, 咸康元年)
- [50]
[[太歳在]]の[[朝鮮半島]]最古:
[[朝鮮]][[黄海道]]信川郡竜門面福隅里[[塼]]
「[V[建元三年太歳在[ASIS[己][>>12 巳]]八󠄂月]]」
[SRC[>>19 ([CITE[朝鮮美術史]], [[関野貞]]), >>12 ([CITE[朝鮮美術史]], [[関野貞]])]]
[TIME[東晋建元3(345)年[LINES[乙][巳]]][345]] ([[延長年号]] +1, 永和元年)
- [62]
[[太歳在]]の一説[[朝鮮半島]]最古:
延寿元年太歳在辛卯
[SEE[ [[延寿 (高句麗)]] ]]
- [48]
[[歳次]] + [[干支]]の最古:
銅像
「[V[晋太元十九年歳次甲午月朔日]]」
[SRC[>>19,>>12 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[東晋太元19(394)年[LINES[甲][午]]][394]]
- [51]
[[歳在]]の[[朝鮮半島]]最古:
[[広開土王碑]]
「[V[永楽五年歳在乙未]]」
[SRC[>>19, >>12]]
[TIME[高句麗永楽5(395)年[LINES[乙][未]]][395]]
- [49]
石浮図
「[V[大魏太平真君三年歳次壬午四月戊子]]」
[SRC[>>19 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[北魏太平真君3(442)年[LINES[壬][午]]][442]]
- [79]
山東光州掖県釈迦像
「[V[大魏太和七年歳次癸二十月朔日]]」
[SRC[>>12 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[北魏太和7(483)年[LINES[癸][亥]]][483]]
-- [81]
「亥」の異体字? 「十二月」の誤植?
- [80]
[[歳次]] + [[十二支]]の最古:
龍門古陽堂石仏
「[V[太和廿三年歳次卯十二月壬申朔九日庚辰]]」
[SRC[>>12 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[北魏太和23(499)年[LINES[己][卯]]][499]]
- [82]
[[大歳次]]の最古:
石仏
「[V[惟大魏天平二大歳次乙卯朔四月十七日]]」
[SRC[>>12 ([CITE[支那美術史]] 彫塑篇)]]
[TIME[東魏天平2(535)年[LINES[乙][卯]]][535]]
- [52]
[[歳次]]の[[朝鮮半島]]最古:
[[朝鮮]][[咸鏡南道]]咸興郡下岐山面真興里 碑
「[V[大昌元年歳次戊子□□廿一日]]」
[SRC[>>19,>>12 ([CITE[朝鮮金石攷]], [[葛城末治]])]]
[TIME[新羅大昌元(568)年[LINES[戊][子]]][568]]
- [53]
[[歳在]]の一説[[日本]]最古:
[[護身剣]]
「[V[歳在庚申正月]]」
[SRC[>>19]]
[TIME[西暦300年][300]],
[TIME[西暦360年][360]],
[TIME[西暦420年][420]],
[TIME[西暦660年][660]]
- [201] [[歳在]]の[[日本]]最古: [[道後温泉碑]]
「[V[法興六年十月歲在丙辰]]」
[SRC[>>25, >>19]]
[TIME[日本法興6(596)年[LINES[丙][辰]]][596]]
- [54]
[[歳次]]の一説[[日本]]最古:
[[法隆寺]]金堂薬師如来像光背銘
「歳次丙午年」「歳次丁卯年」
[SRC[>>19]]
[TIME[西暦586年][586]], [TIME[西暦607年][607]]
-- [55] 成立年はそれより下るとされる。
- [200] [[歳次]]の[[日本]]最古: [[法隆寺釈迦造像銘]]
「[V[法興卅一年歲次󠄄辛巳]]」
[SRC[>>25]]
[TIME[日本法興31(621)年[LINES[辛][巳]]][621]]
([TIME[癸未(623)年][623]])
- [203] [[大歳]]の[[日本]]最古: 常陸[[東城寺]]経筒
「[V[保安三年大歲[LINES[壬][寅]]]]」
[SRC[>>25]]
[TIME[保安3(1122)年][year:1122]]
- [5] 「[V[享徳二稔龍集癸酉]]」 [SRC[>>25]]
[TIME[日本享徳2(1453)年][1453]]
- [35]
[CITE[平家物語]] 下村本 西教寺正教蔵蔵本 (請求番号: [V[平家一番箱]])
[V[巻一]] 識語
「[V[明暦三年龍集丁酉九月吉祥日]]」
[SRC[>>446 p.160 (p.22 にも言及あり)]]
[TIME[日本明暦3(1657)年][1657]]9月
- [37]
[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[日野町]]川原[[妙楽寺]]鐘銘
「[V[元禄十三龍輯[SUP[庚]][SUB[辰]]六月吉旦]]」
[SRC[>>36 p.594]]
-
[100]
[[日本国]][[熊本県]][[八代市]]荒神町羽衣堂 石造仁王
「[V[嘉永二星次八󠄂月吉辰]]」
[TIME[日本嘉永2(1849)年][1849]]8月
[SRC[>>513 p.25 [V[五]] [V[⑨]]]]
[93] [[割書]]の違いは[[東洋の日時表示]]参照。
[REFS[
- [72] [CITE@ja[[[益田池碑銘帖]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[空海 書]], [TIME[明36.8][year:1903]], [TIME[2021-06-09T07:50:25.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853207/30>
- [71] [CITE@ja[[[益田池碑銘帖]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[空海 書]], [TIME[明36.8][year:1903]], [TIME[2021-06-09T07:49:44.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853207/36>
- [36]
[CITE[[[東桜谷志]]]]
- [42] [CITE[♪[[邪馬台国]] ドンと来い♪ 70]], [TIME[2021-06-06T05:33:21.000Z]] <https://academy6.5ch.net/test/read.cgi/history/1272903028/389>
-- [43] [[ローガン]], 2010/05/07(金) 15:18:59
- [46] [CITE@zh[[[张迁碑]] - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-05-23T05:47:49.000Z]], [TIME[2021-06-06T05:51:16.354Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A0%E8%BF%81%E7%A2%91>
- [66] [CITE@zh[[[禮器碑]] - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-05-25T09:42:23.000Z]], [TIME[2021-06-08T09:46:41.611Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%AE%E5%99%A8%E7%A2%91>
-
[447]
[CITE[中近世移行期の文化と古活字版]],
[[高木浩明]],
[TIME[二〇二〇年十二月十日][2020-12-10]] 初版発行
-- [446]
[CITE[下村本『平家物語』書誌解題稿]], pp.125-166
-- [448] [CITE@ja-jp[[[中近世移行期の文化と古活字版]] | [[高木浩明]] |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-02-23T02:24:57.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4585200770/wakaba1-22/>
]REFS]
-*-*-
[97]
[[Web]] 上には[DFN[歳衣]]と書いたものがありますが、
[[歳次]]の[[変換ミス]]または [[OCR]] 誤認識が疑われます。
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
* 研究史
[11]
昭和5年、
[[石田茂作]]は紀年銘の形式を研究しました。
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
[VAR[歳次]]の使われ方と時代による変化も調べました。
[SRC[>>25]]
[13]
昭和40年代、
[[久保常晴]]は[[歳次]]と[[歳在]]の利用について研究しました。
- [16]
昭和42年の[[久保常晴]]の著書では、
[[日本の元号]]の[[法興]]の年代特定の材料として、
[[歳次]]と[[歳在]]の使われ方を検討しました。
[SRC[>>12, >>19]]
--
[14]
[CITE[[V[日本歴史考古学の諸問題]]]]
に「[V[収録予定]]」の
[CSECTION[[V[歳在と歳次]]]]
を参照していました。 [SRC[>>12 p.[V[一〇〇]]]]
-
[15]
昭和43年7月の
[V[[CITE[日本歴史考古学論叢]] 第二]]
で、
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]]
を発表しました。
[SRC[>>17 p.[V[四〇〇]]]]
-- [20] 書名が違いますが、これが参照された論文であることは確かです。
-- [18]
昭和52年の[[久保常晴]]の論文集に、
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]]
が収録されました。
[SRC[>>19]]
[34]
内容的には全編を [CITE[日本私年号の研究]]
に含めた方が良かったのでしょうが、
さすがに未掲載 (掲載準備中) の論文を収録するわけにはいかなかったのでしょう。
[CITE[日本私年号の研究]]
は結論と最低限の根拠だけをまとめたダイジェスト版のようになっていました。
[33]
[[久保常晴]]の2つの論文には、
[[中国]]、
[[朝鮮]]、
[[日本]]の[[歳在]]と[[歳次]]の用例を収集した、
それぞれ計6個の表が収録されていました。
論文 (>>18) の方が発表が遅いですが、
紙面の制約のためか各表それぞれ古い方の10個しか掲載されていませんでした。
発表が古く本編の分量が少ない
[CITE[日本私年号の研究]]
版 (>>16) の方が、表は完全版でした。
ただし先頭の10個を比べると微妙に出入りがありました。
[99]
[[前川清一]]は、
「歳次」や「龍集」は「年」を強めるものだ、と説明していました。
[SRC[>>513 p.15, p.24]]
[REFS[
- [25]
[CITE[紀年銘の記載形式に就いて ――特に『造󠄃像銘記』を主材として――]],
[CITE[[[佛敎考古學論攷]] 六 雜集編󠄁]],
pp.149-178,
初出: [V[昭和五年七月]]
- [12]
[CITE[日本私年号の研究]],
[[久保常晴]],
[V[昭和四十二年十月一日]],
pp.[V[八󠄂三]]-[V[一〇一]]
-
[98]
[CITE@ja-JP[日本歴史考古学論叢 第2]], [[日本歴史考古学会]], [TIME[1968]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:45:30.823Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2972314/1/179> (要登録)
- [17]
[CITE[続仏教考古学研究]]
-- [19]
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]],
pp.[V[三一二]]-[V[三二八󠄂]]
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]・1 三訂版]]]]
]REFS]
* メモ
[1] [CITE@ja[太歳 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-18 12:27:48 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3>
[3] [CITE@ja[太歳神 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-18 12:43:09 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3%E7%A5%9E>
[4] [CITE@ja[太歳星君 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-13 03:42:23 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3%E6%98%9F%E5%90%9B>
[SEE[ [[太歳紀年法]] ]]
[38] [CITE@ja[いわくらさんはTwitterを使っています 「この略字は初めて見た。 高い高いしているような字形 https://t.co/Zv2IAyzrE3」 / Twitter]]
(午前5:57 · 2021年5月1日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-05-27T12:07:56.000Z]])
<https://twitter.com/kanzisuki/status/1388236150683299840/photo/1>
[41] [CITE[shirin_099_5_685.pdf]], [TIME[2020-09-29T15:30:01.000Z]], [TIME[2021-06-06T05:16:11.247Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/240477/1/shirin_099_5_685.pdf#page=17>
鏡の銘文
「慕興元年、歳在大陽。」
- [69]
[[中村不折]]蔵半円方形帯神獣鏡
「[V[建興[ASIS[二][□囲み]]歳在大陽乾坤合作王道始平五月丙午]]」
[SRC[>>12 ([CITE[漢三国六朝紀年鏡図説]])]]
- [78]
神獣鏡
「[V[太平元年歳在太陽五月丙午]]」
[SRC[>>12 ([CITE[漢三国六朝紀年鏡図説]]増補)]]
- [60]
[[朝鮮]][[黄海道]]鳳山郡文井面胎封里第一号墳出土[[塼]]
「[V[太歳在戊漁陽撫夷塼]]」
[SRC[>>19]]
太康9(288)年説もあるが、
太歳の語の用法から永和4(348)年とも推定されている。
[SRC[>>19 ([CITE[三世紀より七世紀の大陸における国際関係と日本]], [[岡崎敬]])]]
漁陽は河北省薊県を指すと言われ、
その方面の[[漢人]]からの伝播を明らかにしている。
[SRC[>>19 ([CITE[三世紀より七世紀の大陸における国際関係と日本]], [[岡崎敬]])]]
[REFS[
- [544] [CITE[[[由緒・偽文書と地域社会⸺北河内を中心に⸺]]]]
-- [546] [CITE[津田山の山論と三之宮神社文書]], pp.17-54
]REFS]
- [84] [[日本国]][[大阪府]][[守口市]]松井淳所蔵 ([[枚方市]]史資料室蔵写真)
[CITE[[V[三之宮神社棟札・拝殿着座之次第写]]]], 慶安2年8月2日所収[[棟札]]
「[V[[LINES[嘉禄弐[LINES(smaller)[大年][壬戌]]][ 三月二日]]]]」
[SRC[>>546 p.26]]
-- [85] [TIME[日本嘉吉2(1442)[LINES(smaller)[壬][戌]]年3月2日][kyuureki:1442-03-02]]
-- [86] 同書中の年数計算から「嘉禄」は「嘉吉」の誤りとわかる。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[87] [CITE@zh[安乐 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2021-09-16T01:52:36.000Z]], [TIME[2021-09-25T09:03:17.878Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%B9%90>
]FIGCAPTION]
> 出土文書《河西大凉国安乐三年郭方随葬衣物疏》稱“安樂三年歲至己卯二月庚子朔九日”
]FIG]
@@
[88] [[龍次]]
[89]
「[SNIP[]]元年歲維星紀[SNIP[]]」
[SEE[ [[北周の即位紀年]] ]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[90] [CITE@ja[承光 (夏) - Wikipedia]]
([TIME[2021-12-20T01:01:27.000Z]], [TIME[2022-01-03T08:35:20.802Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%85%89_(%E5%A4%8F)>
]FIGCAPTION]
> また甘粛省からは「承陽二年崔在'''['''丙''']'''寅」の表記がある北涼代の塔が出土している。
]FIG]
[91]
[CITE[huibao_043.pdf]], [TIME[2022-01-09T05:58:20.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78853/huibao_043.pdf#page=7>
;; [[太安]] [TIME[y~2009]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[92] [CITE@zh[保天 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2022-01-17T01:02:32.000Z]], [TIME[2022-01-21T10:17:07.814Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%A4%A9#cite_ref-8>
]FIGCAPTION]
> 《諸佛菩薩金剛等啟請次第》:「時保天八年歲御丙辰九月十五日謹記。」
]FIG]
[94] [CITE[[L[李滂と白堅 (再補)]]]],
[[[L[高田時雄]]]],
[L[[TIME[2012年3月31日][2012-03-31]]發行]],
[TIME[2012-04-26T07:13:18.000Z]], [TIME[2022-09-19T09:23:47.056Z]] <https://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/hub/~takata/NIANBAO_6.pdf#page=294>
[95]
[CITE[扶桑瞥觀捄籙]],
[[李滂]]
(出版されたか不明) [SRC[>>94]]
>>
[LEFT[
扶桑瞥觀捄籙序
先文和公薨後四年, 歲次庚辰十月之初,[SNIP[]]
孔子紀元二千○○年倉龍辛巳正月中浣五日河北省公署參事大興李少微序於[SNIP[]]
]LEFT]
[TIME[西暦1941年][1941]]。
[96]
[CITE[東行捄籙]],
[[李滂]],
[TIME[倉龍庚辰(1940年)][1940]]
([[日記]])
[SRC[>>94]]
>>
[LEFT[
倉龍庚辰 (1940)九月十九日乙丑[SUP(quarter)[9]] [WEAK(smaller)[(陽曆十月十九日也)]], [SNIP[]]
]LEFT]
>
[SUP(quarter)[9]]この年九月十九日は乙丑でなく乙未、乙丑なら十月十九日となる。思うに、この年の陰曆九月[BR[]]
一日は偶々陽曆の十月一日に當たっていたため、干支を數えるのに誤って十月の曆を用いたものか[BR[]]
と推測する。