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[82] [[ミャンマー]]から[[インドネシア]]までの[[東南アジア]]地域では、
[TZ[+06:30]] から [TZ[+09:00]] のいろいろな[[時間帯]]に属しています。
* ミャンマー (ビルマ)
[93] [[ミャンマー]]では、 [TZ[+06:30]] を使っています。
その変遷はおおまかな情報しかないようです。
;; [84] [TIME[1852年][1852]]、第二次[[英緬戦争]]の結果、
[[ビルマ王国]]の半分は[[英領インド]]に併合されました。
[78] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
元の[[地方時]]を [TZ[+06:24:40]]、 [TIME[1880年][1880]]を境に[[標準時]] [TZ[+06:24:40]]
としています。 [TZ[+06:24:40]] は [[Rangoon]] の[[報時球]][[観象台]]の[[経度]]とされています。
[SRC[>>77]]
;; [83] [TIME[1886年][1886]]、第三次[[英緬戦争]]の結果[[ビルマ王国]]は滅亡し、
[[英領インド]]に併合されました。
[111] [TIME[1905年7月][1905-07]]の報告によると、
[[英印]]政府は[[ビルマ]]の鐡道および電信の標準時を
[TZ[+06:30]] としました [SRC[>>110]] (実施時期不明)。
[79] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1920年][year:1920]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
[95] [TIME[1920年/大正9年][year:1920]]の >>94 は、[[蘭貢]] ([[ラングーン]])
の[[時差]]を [TZ[+06:30]] としています。
;; [96] [TIME[1937年][year:1937]]、[[英領ビルマ]]は[[英領印度]]から分離されました。
;; [86] [TIME[1942年3月8日][1942-03-08]]、[[ビルマ独立義勇軍]]と[[日本軍]]は[[首都]]の[[ラングーン]]を制圧しました。
[TIME[1943年5月][1943-05]]には、[[ビルマ]]全体を制圧しました。
これにより[[英領ビルマ]]は一旦滅亡しました。
[80] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1942年5月][1942-05]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>77]]。
;; [85] [TIME[1943年 (昭和18年) 8月1日][1943-08-01]]、[[ビルマ国]]が独立しました。
[100]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[緬甸]]は [TZ[+06:30]] となっています [SRC[>>106]]。
;; [87] [TIME[1945年3月27日][1945-03-27]]、[[ビルマ国民軍]]が[[クーデター]]を起こしました。
;; [88] [TIME[1945年5月2日][1945-05-02]]、[[英軍]]が[[ラングーン]]を制圧しました。
[81] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1945年5月3日][1945-05-03]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
;; [89] [TIME[1948年][year:1948]]、[[ビルマ連邦]]が独立しました。
その後[[ビルマ連邦社会主義共和国]]、[[ビルマ連邦]]を経て[[ミャンマー連邦]]となりました。
[91] 現在の[[ミャンマー]]政府は、[LON[東経97度30分][97.30E]]の時刻 ([TZ[+06:30]])
が[[標準時]]と説明しているようです [SRC[>>90, >>92]]。
[REFS[
- [110] [CITE[印度新標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 17 (1905) No. 9 P 683, [TIME[2016-05-02 19:32:05 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/17/9/17_9_683/_article/-char/ja/>
- [94] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 海事年鑑. 大正9年]] ([TIME[2016-04-04 23:23:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933094/17>
- [77] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-04-04 21:52:20 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L270>
- [90] [CITE@en[Myanmar Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-03-20 19:49:50 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Myanmar_Standard_Time>
- [92] [CITE@my[မြန်မာ စံတော်ချိန် - ဝီကီပီးဒီးယား]] ([TIME[2016-03-04 22:37:54 +09:00]] 版) <https://my.wikipedia.org/wiki/%E1%80%99%E1%80%BC%E1%80%94%E1%80%BA%E1%80%99%E1%80%AC_%E1%80%85%E1%80%B6%E1%80%90%E1%80%B1%E1%80%AC%E1%80%BA%E1%80%81%E1%80%BB%E1%80%AD%E1%80%94%E1%80%BA>
]REFS]
* マレーシア、シンガポール、ブルネイ (英領海峡植民地、英領マラヤ、英領北ボルネオ)
[160] [[Wikipedia]] は、[[シンガポール]]の元の[[地方時]]を [TZ[+06:55:25]] [SRC[>>11]]、
[[Kuala Lumpur]] ([[マレー半島]]) の元の[[地方時]]を [TZ[+06:46:48]] [SRC[>>142]]、
[[Kota Kinabalu]] ([[北ボルネオ]] = [[東マレーシア]]) の元の[[地方時]]を
[TZ[+07:44:20]] [SRC[>>142]] としています。
[[古晉]] ([[東マレーシア]]) の元の[[地方時]]は [TZ[+07:21:20]] とされています [SRC[>>1]]。
[185] [[tzdata]] は
[CODE[Asia/Singapore]] の元の[[地方時]]を [TZ[+06:55:25]]、
[CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] ([[マレー半島]]) の元の[[地方時]]を [TZ[+06:46:46]]、
[CODE[Asia/Kuching]] ([[北ボルネオ]]) の元の[[地方時]]を [TZ[+07:21:20]]、
[CODE[Asia/Brunei]] の元の[[地方時]]を [TZ[+07:39:40]] ([[Bandar Seri Begawan]])
としています [SRC[>>184]]。
[203] >>5 ([[tzdata]] の出典) は、[[シンガポール]]の元の[[地方時]]を
[TZ[+06:55:25]] = [LON[103.51.16E]] としています。
;; [119] [TIME[1826年][year:1826]]、英領だった[[ペナン]]、[[マラッカ]]、
[[シンガポール]]が[[海峡植民地]] ([[Straits Settlements]] = [[SS]]) となりました。
[166] [[Penang]]、[[Malacca]]、[[シンガポール]]にはそれぞれ[[観象台]]があり、
当地[[地方時]]を用いていました [SRC[>>142, >>5]]。
;; [141] [TIME[1846年][year:1846]]、[[サラワク王国]]は[[ブルネイ王国]]からが独立しました。
;; [9] [TIME[1867年][year:1867]]、英領[[海峡植民地]]は[[英印]]から独立しました。
[161] [[Wikipedia]] は、1880年に[[マレー半島]]も[[シンガポール]]の[[地方時]]
[TZ[+06:55:24]] を採用したとしています [SRC[>>142]]。
;; [144] [TIME[1888年6月14日][1888-06-14]]、[[サラワク王国]]は[[英国]]の[[保護領]]となりました。
;; [147] [TIME[1888年][year:1888]]、[[ブルネイ王国]]領[[北ボルネオ]]は[[英国]]の[[保護領]]となりました。
;; [131] [TIME[1896年][year:1896]]、[[マレー半島]]のいくつかの国が[[マレー連合州]]
([[FMS]]) となり、
[[海峡植民地]]と合わせて[[英領マラヤ]]が成立しました。
その他の国 ([[非連合州]] = [[UMS]]) も、次第に英国の影響が強まっていきました。
[7] [[海峡植民地]]では従来[[地方時]]を用いていたところ、
[TIME[1901年1月1日][1901-01-01]]より[[新嘉坡]]の[[地方時]]を[[標準時]]と定めたようです [SRC[>>6]]。
[[シンガポール]]の[[地方時]]が[TIME[1901年1月1日][1901-01-01]]より[[海峡植民地]]および[[マレー連合州]]の[[標準時]]となりました
[SRC[>>142, >>5]]。
[162] [[Wikipedia]] は[[マレー半島]] ([[英領マラヤ]]) を[TIME[1901年1月1日][1901-01-01]]から[[地方時]]
[TZ[+06:46:48]] としています [SRC[>>142, >>1]]。 (>>161 とは同じ記事内で矛盾しています。)
[187] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] は[TIME[1901年1月1日][1901-01-01]]を境に
[[シンガポール]]の[[平時]] [TZ[+06:55:25]] としています。
[CODE[Asia/Singapore]] もこの日を[[地方時]]の[[標準時]]の境としています。 [SRC[>>184]]
[167] [TIME[1905年6月1日][1905-06-01]]、[[海峡植民地]]および[[マレー連合州]]が
[TZ[+07:00]] を[[標準時]]としました。同日、[[シンガポール]]の [[Fort Canning]]
[[報時球]]が運用開始され、同時に[[標準時]]が施行されました。
この[[標準時]]は[TIME[1904年2月][1904-02]]に制定されました。 [SRC[>>142]]
[159] [[Wikipedia]] は、[[シンガポール]] [SRC[>>10, >>11]] と[[マレー半島]]
[SRC[>>142]] を[TIME[1905年6月1日][1905-06-01]]以降 [TZ[+07:00]] としています。
[TIME[1905年5月31日][1905-05-31]]から正式に[[印度支那時間]]を採用したとしています [SRC[>>11]]。
;; [176] [[Wikipedia]] [[中文版]]は[[マレー半島]]を [TZ[+06:55:24]] としています
[SRC[>>1]] が、誤りと思われます。
[188] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]]
も[TIME[1905年6月1日][1905-06-01]]を境に [TZ[+07:00]] としています [SRC[>>184]]。
;; [148] [TIME[1906年][year:1906]]、[[ブルネイ王国]]は英領となりました。
[168] [TIME[1920年][year:1920]]、[RUBYB[[[海峡植民地立法評議会]]]@en[Straits Settlements Legislative Council]]に
([[英国]]本国に倣って) [TZ[+07:30]] を採用する[[日光節約法案]]が提出されましたが、
30分は進みすぎであるなどとして廃案となりました [SRC[>>142]]。
[15] [TIME[大正15年1月30日][1926-01-30]]発行の >>178 によると、当時
[[Sarawak]]、[[Burunei]]、[[Labuan]]、[[British North Borneo]] は[[標準時]]
[TZ[+07:40]] を採用していました。
[163] [[Wikipedia]] は[[東マレーシア]]を[TIME[1926年3月1日][1926-03-01]]から[[地方時]]
[TZ[+07:44:20]] としています [SRC[>>142]]。
あるいは[TIME[1926年3月][1926-03]]を境に [TZ[+07:30]] ([[婆羅洲]]) ともしています [SRC[>>1]]。
[198] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuching]] は、 [TIME[1926年3月][1926-03]]を境に
[TZ[+07:30]] としています。出典は [[Shanks & Pottenger]] のようです。
[CODE[Asia/Brunei]] も同時に [TZ[+07:30]] としています。 [SRC[>>184]]
[169] [TIME[1932年][year:1932]]、[[海峡植民地立法評議会]]に [TZ[+07:20]]
を採用する[[日光節約法案]]が提出されました。2回の[RUBYB[審議]@en[debating session]]の後、
成立し、[RUBYB[1932年布告第21号]@en[Ordinance No. 21 of 1932]]
[CITE[Daylight Saving Ordinance, 1932]] となりました。
1933年1月1日から1年間有効とされました。 [SRC[>>142]]
[4] [[海峡植民地]]は従来の標準時 [TZ[+07:00]] を
[TIME[1933年1月1日][1933-01-01]]から1年間 [TZ[+07:20]] に変更すること、
以降1年以内の期間で総督が決定できることを決め、
ジョホール政府もそれに追随したようです。 [SRC[>>2, >>3]]
[158] [[Wikipedia]] は、[[シンガポール]] [SRC[>>10, >>11]] と[[マレー半島]] [SRC[>>142, >>1]]
を[TIME[1933年1月1日][1933-01-01]]以降 [TZ[+07:20]] としています。
これは[[夏時刻]]の通年採用だといいます [SRC[>>11, >>142]]。
[189] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]] は、
[TIME[1933年1月1日][1933-01-01]]を境に[[標準時]] [TZ[+07:00]]
に[[夏時間]]20分追加としています [SRC[>>184]]。
[164] [[Wikipedia]] は[[東マレーシア]]を[TIME[1933年1月1日][1933-01-01]]から
[TZ[+07:30]] ([[サラワク]]) としています [SRC[>>142]]。
あるいは[TIME[1933年][year:1933]]から [TZ[+08:00]] ([[婆羅洲]]) としています [SRC[>>1]]。
9月14日から12月14日の間、20分の[[夏時刻]]を実施したともいいます [SRC[>>1]]。
[199] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuching]] は、[TIME[1933年][year:1933]]を境に
[TZ[+08:00]] としています。加えて、1935年から1941年の間、
9月14日0時に20分進め、12月14日0時に戻す[[夏時間]]が実施されたとしています。
出典は [[Shanks & Pottenger]] のようです。 [SRC[>>184]]
[200] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Brunei]] は1933年を境に [TZ[+08:00]]
としています。 [SRC[>>184]]
[170] [[海峡植民地]]では、1934年と1935年も、
[RUBYB[官報告示]@en[gazette notification]]により [TZ[+07:20]]
が引き続き実施されました [SRC[>>142]]。
[171] [[海峡植民地]]では、1935年、日光節約布告が[RUBYB[1935年布告第5号]@en[Ordinance No. 5 of 1935]]によって改正され、
無期限に [TZ[+07:20]] となりました。 [SRC[>>142]]
[190] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]]
は、[TIME[1936年1月1日][1936-01-01]]を境に [TZ[+07:20]] としています [SRC[>>184]]。
[172] 日光節約布告は[[海峡植民地]]法令1936年版の[RUBYB[170条]@en[Chapter 170]]に収録されました [SRC[>>142]]。
[157]
[[海峡植民地]][RUBYB[1941年布告33号]@en[Ordinance 33 of 1941]]により [SRC[>>142]]
[[夏時刻]]布告が改正され、[TIME[1941年9月1日][1941-09-01]]から
[TZ[+07:30]] となりました [SRC[>>142, >>11]]。
[[Wikipedia]] は、[[シンガポール]] [SRC[>>10, >>11]] と[[マレー半島]] [SRC[>>142, >>1]]
を[TIME[1941年9月1日][1941-09-01]]から
[TZ[+07:30]] としています。
[191] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]] は
[TIME[1941年9月1日][1941-09-01]]を境に [TZ[+07:30]] としています [SRC[>>184]]。
;; [146] [TIME[1941年12月][1941-12]]、[[日本軍]]は[[英保護領サラワク王国]]、
[[ブルネイ]]に侵攻し、支配下に置きました。
;; [151] [TIME[1942年][year:1942]]、[[日本軍]]は[[英保護領北ボルネオ]]に侵攻し、
支配下に置きました。
[98]
[[日本]]で[TIME[昭和17年/1942年][year:1942]]に発行された[TIME[昭和18年][year:1943]][[暦]]
[SRC[>>101]]、
[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]
[SRC[>>97]] では、旧[[マレー連邦]]および旧[[海峡植民地]]は [TZ[+07:20]] となっています。
[143] [[英領マラヤ]]は[TIME[昭和17年/1942年2月16日][1942-02-16]]から正式に[[日本]]の占領下にあり、
[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] が採用されたといいます [SRC[>>142, >>>10]]。
[156] [[Wikipedia]] は、[[シンガポール]]を[TIME[1942年2月15日][1942-02-15]]を境に
[TZ[+09:00]] としています [SRC[>>10, >>11]]。
[[マレー半島]]も[TIME[1942年2月16日][1942-02-16]]から [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>142, >>1]]。
[[東マレーシア]]も[TIME[1942年 [SRC[>>142, >>1]] 2月16日 [SRC[>>142]]][1942-02-16]]から [TZ[+09:00]] としています。
名目上は[[夏時刻]]として実施されたが、実際には[[日本]]の[[中央標準時]]に合わせた [SRC[>>11]]
といいます。
[195] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]] と
[CODE[Asia/Kuching]] は
[TIME[1942年2月16日][1942-02-16]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>184]]。
[201] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Brunei]] はこの時期に標準時変更がありませんが、
[[日本軍]]は[[英領ブルネイ]]にも侵攻していましたから、 [TZ[+09:00]] が用いられていたと思われます。
[134] [[シンガポール]]では、非公式には現地の[[時間帯]]が使われ続けたようです。
家では従来の時刻を、[[腕時計]]では [TZ[+09:00]] を使ったといいます [SRC[>>10]]。
[133] [TIME[昭和20年/1945年9月12日][1945-09-12]]の[[シンガポール]]の[[日本軍]]降伏以後の不明な時期に元の[[時間帯]]に戻されたといわれています
[SRC[>>142, >>10]]。
[204] [TZ[+09:00]] の期間[TIME[1942年2月16日][1942-02-16]]-[TIME[1945年9月12日][1945-09-12]]の大元の出典と思われる >>5 は、
次のように検討しています。
[FIG(list)[
- [205] 公式な期間は [TIME[1942年2月16日][1942-02-16]]-[TIME[1945年9月5日][1945-09-05]]である。
- [206] 歴史書には[TIME[1942年2月15日][1942-02-15]]からとあるが、翌朝まで[[日本軍]]は[[シンガポール]]入城していない。
- [207] [TZ[+09:00]] の開始時期は[RUBYB[明らか]@en[fairly certain]]だが終了時期はそうでない。
- [208] 8月15日降伏の発表、9月2日降伏式、9月6日英軍先遣隊シンガポール入城、9月9日英軍本隊マラヤ上陸、
9月12日東南アジア地域日本軍降伏式。
- [209] 元の時刻に戻されていそうなのは9月3日か9月13日である。
]FIG]
[155] [[Wikipedia]] は、[[シンガポール]]を [TIME[1945年9月12日][1945-09-12]] [SRC[>>10]]
または [TIME[1945年9月13日][1945-09-13]] [SRC[>>11]] 以降 [TZ[+07:30]] としています。
[[マレー半島]]も[TIME[1945年9月13日][1945-09-13]]以降 [TZ[+07:30]] としています [SRC[>>142, >>1]]。
[[東マレーシア]]も[TIME[1945年9月13日][1945-09-13]]以降 [TZ[+07:30]] [SRC[>>142]]
または [TZ[+08:00]] [SRC[>>1]] としています。
[196] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]]
と [CODE[Asia/Kuching]] は
[TIME[1945年9月12日][1945-09-12]]を境にそれぞれ [TZ[+07:30]] と [TZ[+07:30]] と [TZ[+08:00]]
としています [SRC[>>184]]。
[202] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Brunei]] はこの時期に標準時変更がありませんが、
[TZ[+08:00]] に変更されたと思われます。
;; [135] [TIME[1946年4月1日][1946-04-01]]、[[英領マラヤ]]は、
英領[[マラヤ連合]]と英領[[シンガポール]]となりました。
;; [145] [TIME[1946年7月1日][1946-07-01]]、[[英保護領サラワク王国]]が英領[[サラワク]]となりました。
;; [137] [TIME[1948年1月31日][1948-01-31]]、[[マラヤ連合]]は英領[[マレー連邦]]となりました。
;; [138] [TIME[1957年8月31日][1957-08-31]]、[[マレー連邦]]は[[イギリス]]から独立しました。
;; [149] [TIME[1959年][year:1959]]、英領[[ブルネイ]]は[[英自治領]]となりました。
;; [139] [TIME[1963年9月16日][1963-09-16]]、[[マレー連邦]]、
[[シンガポール]]、[[サラワク]]、[[英領北ボルネオ]]が[[マレーシア連邦]]となりました。
[165] [[Wikipedia]] は[[東マレーシア]]を[TIME[1963年9月16日][1963-09-16]]から
[TZ[+08:00]] としています [SRC[>>142]]。
;; [140] [TIME[1965年8月9日][1965-08-09]]、[[マレーシア]]から[[シンガポール]]が独立しました。
[183] 1970年代後半、[[シンガポール]]は [TZ[+07:30]] を通年[[夏時間]]から[[標準時]]に改めました
[SRC[>>117]]。
[153] 1981年、[[マレーシア]]が全土を [TZ[+08:00]] で統一しました [SRC[>>10]]。
[[マレー半島]]が[TIME[1981年12月31日23時30分][1881-12-31T23:30+07:30]]に30分進め、
[TIME[翌日0時][1882-01-01T00:00+08:00]]としたとも [SRC[>>1, >>142]]、
[TIME[1月1日6時0分][1982-01-01T06:00+07:30]]に30分進めて[TIME[6時30分][1982-01-01T06:30+08:00]]としたともいいます [SRC[>>142]]。
[197] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Kuala_Lumpur]] と [CODE[Asia/Singapore]] も、
[TIME[1882年1月1日][1882-01-01]]を境に [TZ[+08:00]] としています [SRC[>>184]]。
[154] [TIME[1882年1月1日][1882-01-01]]、[[シンガポール]]もこれに倣い [TZ[+08:00]]
に移行しました [SRC[>>10, >>11]]。
;; [150] [TIME[1984年1月1日][1984-01-01]]、[[英自治領ブルネイ]]は独立して[[ブルネイ・ダルサラーム国]]となりました。
[173] [TIME[1992年8月5日][1992-08-05]] 以来、[[マレーシア]]の[[内閣]]の委託により
[[National Metrology Laboratory]] ([[Sirim]]) が[[原子時計]]により[[マレーシア標準時]]を管理しています。
[SRC[>>174]]
;; [175] [[Wikipedia]] は[TIME[1990年1月1日][1990-01-01]]以来としています [SRC[>>142]]。
[186] [[tzdata]] は[[マレー半島]]の [DFN[[CODE[Asia/Kuala_Lumpur]]]] ([[マレーシア]])
と [DFN[[CODE[Asia/Singapore]]]] ([[シンガポール]]) を定義しています。出典は >>5 としています。
また[[ボルネオ島]]の [DFN[[CODE[Asia/Kuching]]]] ([[マレーシア]])、
[DFN[[CODE[Asia/Brunei]]]] ([[ブルネイ]]) を定義しています。 [SRC[>>184]]
;; [136] [[ココス島]]および[[クリスマス島]]は、[[大洋州の時間帯]]を参照。
[REFS[
- [184] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-06-14 14:06:58 +09:00]]) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L1957>
- [152] [CITE@en[File:Malaysia tree diagram.svg - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-06-10 22:27:02 +09:00]]) <https://en.wikipedia.org/wiki/File:Malaysia_tree_diagram.svg>
- [11] [CITE@zh[新加坡標準時間 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%8A%A0%E5%9D%A1%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E9%96%93>
- [10] [CITE@en[Singapore Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-22 06:13:06 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Singapore_Standard_Time>
- [142] [CITE@en[Time in Malaysia - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2014-08-30 03:46:32 +09:00]] 版) <http://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_Malaysia>
- [1] [CITE@zh[马来西亚标准时间 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2015-08-27 13:23:11 +09:00]] 版)
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AC%E6%9D%A5%E8%A5%BF%E4%BA%9A%E6%A0%87%E5%87%86%E6%97%B6%E9%97%B4>
- [16] [CITE@ja[マレーシア標準時 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-13 12:20:24 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[118] [CITE@en[UTC+07:20 - Wikipedia, the free encyclopedia]]
( ([TIME[2016-05-03 17:06:03 +09:00]]))
<https://en.wikipedia.org/wiki/UTC%2B07:20>
]FIGCAPTION]
> UTC+07:20 was used as daylight saving time in Singapore between 1933 and 1941.'''['''1''']''' On midnight January 1st, 1933,'''['''2''']''' people in Singapore switched from UTC+07:00 to UTC+07:20 when clocks were turned forward 20 minutes. This time was used till midnight of September 1st, 1941'''['''3''']''' when UTC+07:30 started to be used.
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[117] [CITE@en[UTC+07:30 - Wikipedia, the free encyclopedia]]
( ([TIME[2016-05-27 01:15:04 +09:00]]))
<https://en.wikipedia.org/wiki/UTC%2B07:30>
]FIGCAPTION]
> UTC+07:30 was used both as daylight saving time as well as its Standard Time later in Singapore. Between 1941 and 1942 before the Japanese occupation, and from 1945 to 1970 after the occupation, Singapore used UTC+07:30 as its daylight saving time. It was later in 1970 that Singapore decided to declare UTC+07:30 as its Singapore Standard Time.
]FIG]
- [6] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1900年11月14日]] ([TIME[2015-11-21 19:19:49 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948506/4>
- [2] [CITE[標題:時間関係雑纂 5.海峡植民地及馬来標準時変更ノ件]] ([TIME[2015-11-21 00:14:11 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011418800>
- [3] [CITE[標題:欧2普通合第365号 8.2.8 海峡植民地及馬来標準時変更報告の件]] ([TIME[2015-11-21 00:14:36 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C05022802900>
- [178] [CITE[支那海東部水路誌 - Google ブックス]] ([TIME[2016-06-13 19:22:33 +09:00]]) <https://books.google.co.jp/books?id=Jx0HDzLavFQC&lpg=PA5&ots=vVuF2OyRzZ&pg=PA5>
[TIME[大正15年1月30日][1926-01-30]]
- [5] [CITE@en[Why is Singapore in the “Wrong” Time Zone?]]
([[Helmer Aslaksen]] 編, [[Mok Ly Yng]] 著, [TIME[2012-06-28 12:38:12 +09:00]] 版)
<http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/timezone.html>
- [177] [CITE@en[Time Zones in Malaysia]] ([[Helmer Aslaksen]]著, [TIME[2012-06-28 12:38:12 +09:00]]) <http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/timezone-old.html>
- [174] [CITE[About The Malaysian Standard Time Service]] ([TIME[2014-01-09 10:28:21 +09:00]]) <http://mst.sirim.my/about.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[130] [CITE@ja[シンガポールの時差について - アジア | 【OKWAVE】]]
( ([TIME[2016-06-03 23:59:12 +09:00]]))
<http://okwave.jp/qa/q5053521.html>
]FIGCAPTION]
> 政治的理由ですが、ボルネオ島ではマレーシアとインドネシアの
国境紛争が頻発しています。ここでインドネシアと同じ GMT+7 を
採用すると、マレーシアがボルネオ島を使わせてもらっていると
いう雰囲気になります。それを避け、あくまでインドネシアとは
違う国だとアピールするには、GMT+8 が都合よかったのでしょう。
]FIG]
]REFS]
* タイ
[120] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[Asia/Bangkok]]]] を定義しています [SRC[>>64]]。
[65] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Bangkok]] は、元の[[地方時]]を [CODE[+06:42:04]] としています [SRC[>>64]]。
[39] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Bangkok]] は[TIME[1880年][year:1880]]を境に[[バンコク]][[平均時]]
[TZ[+06:42:04]] としています [SRC[>>64]]。
[180] [TIME[大正7年][year:1918]]出版の文書は、
[TIME[明治44年][year:1911]]の軍艦[[伊吹]]の報告として、
[TZ[+06:41:58]] を[[盤谷府]]の[[標準時]]としています [SRC[>>193]]。
[66] [[Wikipedia]] は
1920年4月1日の旧6時0分に新6時17分56秒に切り替えられ、
[TZ[+06:42:04]] から [TZ[+07:00]] となったとしています [SRC[>>38]]。
[[tzdata]] の [CODE[Asia/Bangkok]] も[TIME[1920年4月][1920-04]]を境に[TZ[+06:42:04]] から
[TZ[+07:00]] に切り替えたとしています [SRC[>>64]]。
[13] [[日本政府]]の当時の文書では、[TIME[大正9年4月1日][1920-04-01]]より
[TZ[+06:41:57.3]] から [TZ[+07:00]] に[[標準時]]が改められた [SRC[>>12]]
とされています。
;; [14] [[英領マレー]]と一致し、[[仏印]]もこれを採用する見込みである [SRC[>>12]]
とも言及されています。ただし >>21 では当時既に[[仏印]]も [TZ[+07:00]]
であったとされています。
[REFS[
- [193] [CITE[支那海西側水路誌 - Google ブックス]] ([TIME[2016-06-13 19:48:19 +09:00]])
<https://books.google.co.jp/books?id=GbA1pMnFJDgC&lpg=PA4&pg=RA5-PA36>
[TIME[大正7年7月15日][1918-07-15]]
- [12] [CITE[標題:34.暹羅国標準時改正ノ件 同四月]] ([TIME[2015-11-21 20:19:31 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12082006200>
- [38] [CITE@en[Time in Thailand - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-02-01 01:14:05 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_Thailand>
- [64] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-02-28 13:11:30 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L2789>
]REFS]
* ベトナム、ラオス、カンボジア (仏印)
[44] [[tzdata]] は [CODE[Asia/Ho_Chi_Minh]] の元の[[地方時]]を
[CODE[+07:06:40]] としています [SRC[>>42]]。
;; [55] 同様に [CODE[Asia/Hanoi]] は [TZ[+07:03:24]]、
[CODE[Asia/Phnom_Penh]] は [TZ[+06:59:40]] としています [SRC[>>54]]。
;; [47] [[コーチシナ]]は1862年に[[フランス]]領となりました。
[[カンボジア]]は1863年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
[[越南]]の北部・中部は1882年-1886年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
1887年に[[インドシナ総督府]]が設置されました。
[[ラオス]]は1888年に[[フランス]]の[[保護国]]となりました。
[[ラオス]]は更に1899年に[[仏印]]に編入されました。
;; [35] [[広州湾租借地]]は1899年に[[フランス]]が占領し、
1900年に[[租借地]]となりました。[[仏印]]に編入されました。
[49] 1904年頃、[[仏印]]の[[標準時]]を [TZ[+07:00]] (に近い[[パリ中度]]基準の[[時刻]]?)
とすることが検討されていたようです。[[清國海関]]とも協議しています。
;; [[中国の標準時]]も参照。
[19] 1906年7月1日0時0分より、[[仏印]]は[[パリ]]から[[東]]に104度17分17秒の [[Phu Lien]] [[天文台]]の[[子午線]]の[[時刻]]を採用しました
(1906年6月18日付け[[仏印]][[官報]]) [SRC[>>67]]。
;; [113] >>112 電報時刻改正
[45] [[tzdata]] はこの[[時差]]を [CODE[+07:06:30]] としています [SRC[>>42]]。
[[パリ]]が[[パリ]][[平均時]] [CODE[+00:09:21]] (→ [CODE[+07:06:30.1[RUBY[3][・]]]])
なのか[[パリ子午線]][[東経]] 2°20′14.03″
(→ [CODE[+07:06:29.[RUBY[3][・]]]]) のどちらを指すのかわからないが、
いずれにせよ[[秒]]単位で丸めて [CODE[+07:06:30]] だと注釈があります [SRC[>>67]]。
[21] [TIME[1911年5月1日0時0分][1911-05-01T00:00]]より、[[フランス]]本国が [TZ[+00:00]]
を採用したのに合わせて [SRC[>>18]]、[[仏印]]は [TZ[+07:00]] [SRC[>>18, >>42]]
に切り替えました ([TIME[1911年4月13日][1911-04-13]]付け[[仏印]][[官報]]803ページ所収
[TIME[1911年4月6日][1911-04-06]]付け[[法令]] [SRC[>>67]])。
[179] [TIME[大正7年][year:1918]]出版の文書にも、[[仏印]]は [TZ[+07:00]]
[[標準時]]とあります [SRC[>>192]]。
加えて、[[報時球]]
([LAT[北緯10度46分40秒][10.46.40N]][LON[東経106度42分22秒][106.42.22E]]) は
[FIG(list)[
- 地方時10時=グリニッジ平均時14時53分11秒7
- 標準時10時=グリニッジ平均時15時0分0秒
]FIG]
... に落下させられたといいます [SRC[>>194]] (グリニッジは前日)。
;; [68] 1942年、[[フランス]]本国政府は[[ドイツ]]に敗北し解体、
かわって[[ヴィシー政権]]が成立しました。
[22] 1942年12月31日23時0分に、[[フランス]]本国が [TZ[+01:00]] を採用したのに合わせて、
[[仏印]]は1時間進めて1943年1月1日より [TZ[+08:00]] に切り替えました [SRC[>>18]]
(1942年12月30日付け[[仏印]][[官報]] [SRC[>>67]])。
[24] 1943年2月には、[[自由フランス]]政権の支配下にあった[[広州湾租借地]]に、
[[ヴィシー政権]]との協定により[[日本軍]]が侵攻します。
その後いずれかのタイミングで [TZ[+09:00]] に切り替えられたものと考えられます。
[99]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[仏印]] (や[[タイ]]) は [TZ[+07:00]] となっています [SRC[>>106]]。
[108] 1942年10月出版の >>107 は、「数日前の新聞」によると[[仏印]]の[[日本軍]]が
[TZ[+09:00]] を使っており、兵員が現地[[太陽時]]とのずれに戸惑っているらしい、
と述べています。 (>>22 によればまだ現地[[標準時]]は [TZ[+07:00]]
だったはずですが、[[日本軍]]がそれと異なる本国の[[時刻]]を使っていたというのは不自然なことでもありません。)
;; [69] 1945年3月9日、[[日本軍]]は[[仏印処理]]を行いました。すなわち、
[[仏印]]から[[フランス軍]]が駆逐され、[[ベトナム帝国]]、
[[ラオス王国]]、[[カンボジア王国]]が独立しました。
[23] 1945年3月14日23時0分に、[[仏印]]は1時間進めて
[CODE[[[+09:00]]]] に切り替えました [SRC[>>18]]。
;; [52] 1945年8月に[[日本]]が[[ポツダム宣言]]を受諾した後、
[[ベトナム八月革命]]が発生し、[[ベトナム帝国]]の[[皇帝]]は[[退位]]しました。
[[ラオス王国]]は独立を撤回しました。
[[カンボジア王国]]も独立を事実上撤回しました。
[25] 1945年9月2日に、[[ベトナム民主共和国]]が独立を宣言し、
[CODE[[[+07:00]]]] を採用しました [SRC[>>18, >>42]]
([[内務省]][[法令]] [SRC[>>70]])。
[51] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]] は、
1945年9月2日から [CODE[[[+07:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[31] 1945年8月に[[広州湾租借地]]は[[日本]]の[[降伏]]により[[中華民国]]が接収し、
[[フランス]]も[[中国]]への返還に合意しています。[[標準時]]の扱いは不明です。
;; [53] 1945年以後、[[北ベトナム]]農村部は[[ベトナム民主共和国]]により、
[[南ベトナム]]は[[フランス]]と[[コーチシナ共和国]]により支配される状態となりました。
1946年末には本格的な戦闘に発展しました。 ([[第一次インドシナ戦争]])
[[ラオス]]も[[フランス]]の支配下に戻りました。
[71] [[仏印]]は、1947年4月1日から [CODE[[[+08:00]]]]
を採用しました (1947年10月14日付け[[仏印]][[官報]]の1947年3月28日付け[[法令]])
[SRC[>>67]]。[[ベトナム]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の[[フランス]]支配領域でこれが用いられました
[SRC[>>67]]。
[72] しかし[[ベトナム民主共和国]]支配地域では、引き続き [CODE[[[+07:00]]]]
が用いられました [SRC[>>67]]。
[46] [[tzdata]] の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]] は、
1947年4月1日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
;; [56] 1948年6月に[[コーチシナ共和国]]は廃止され[[ベトナム臨時中央政府]]が設立され、
更には1949年6月には[[ベトナム国]]となりました ([[南ベトナム]])。
1949年7月には[[ラオス]]が独立しました。
1949年11月には[[カンボジア]]が独立しました。
;; [60] 1953年10月22日の仏ラオス条約により、
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]に[[ラオス]]は完全に独立しました。
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]に[[カンボジア王国]]も完全に独立しました。
[58] [[カンボジア]]について、 [[tzdata]] の [CODE[Asia/Phnom_Penh]]
は (正確な日付は不明として)
[TIME[1953年11月9日][1953-11-09]]から [TZ[+07:00]] としています [SRC[>>54]]。
[27] [[ラオス]]では、[TIME[1954年4月15日][1954-04-15]]から [TZ[+07:00]] が用いられています
[SRC[>>18, >>67]]。
;; [59] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Vientiane]] は
[TIME[1955年4月15日][1955-04-15]]としています [SRC[>>54]] が根拠は不明です。
;; [30] 1954年7月21日に[[ジュネーブ協定]]で休戦と[[越南]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]の独立が承認されています。
なお同協定では「北京平均時」を休戦時刻の規定における「地方時」であると定義しています [SRC[>>32]]。
停戦後、[[北ベトナム]]は[[ベトナム民主共和国]]の支配下に、
[[南ベトナム]]は[[フランス]]・[[ベトナム国]]の支配下となりました。
[28] [[北ベトナム]]の[[ハノイ]]では、1954年10月から [CODE[[[+07:00]]]] が用いられています [SRC[>>18, >>67, >>54]]。
[29] [[北ベトナム]]の[[ハイフォン]]では、1955年5月から [CODE[[[+07:00]]]]
が用いられています [SRC[>>18, >>67]]。
[33] [[ベトナム国]] ([[南ベトナム]]) は1955年7月1日0時0分に
[CODE[[[+07:00]]]] に切り替えました [SRC[>>18, >>67]]。
[48] [[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
は、1955年7月1日から [CODE[[[+07:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
;; [57] 1955年10月には[[ベトナム国]]にかわり[[ベトナム共和国]]が成立しました ([[南ベトナム]])。
1956年6月には[[フランス軍]]が撤退しました。
[34] [[ベトナム共和国]]は1959年12月31日23時0分に1時間進めて1960年1月1日0時0分とし、
[CODE[[[+08:00]]]] に切り替えました [SRC[>>67]]
(1959年12月30日付け[[法令]]362-TTP号 [SRC[>>67]])。
[[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
も、1960年1月1日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[40] [[ベトナム民主共和国]]は1967年8月8日の[[決議]] [[121/CP]] [SRC[>>26]] で、
1968年1月1日0時より [CODE[[[+07:00]]]] としました
[SRC[>>41, >>67]] (同時に[[グレゴリオ暦]]を用いることも定めました) [SRC[>>41]]。
;; [36] 1975年春に[[ベトナム戦争]]で[[サイゴン]]が陥落しました。
[[ベトナム共和国]]は崩壊し、[[南ベトナム共和国]]臨時革命政府が設立されました。
[37] 1975年6月13日に[[南ベトナム共和国]]臨時革命政府は1時間遅らせて
[CODE[[[+07:00]]]] とすると正式決定しました [SRC[>>18, >>67]]。
[50] [[tzdata]]の [CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]
は、1975年6月13日から [CODE[[[+08:00]]]] としています [SRC[>>42]]。
[63] [[カンボジア]]でもいつからか [CODE[[[+07:00]]]] が用いられています。
[43] [[tzdata]] は[[越南]]から
[DFN[[CODE[[[Asia/Ho_Chi_Minh]]]]]] のみを収録しています [SRC[>>42]]。
[[ホーチミン]] (旧[[サイゴン]]) は[[南ベトナム]]の最大の都市です。
;; [61] 経済的に最大の都市とはいえ、なぜ[[ベトナム]]の[[首都]]である[[ハノイ]]
([[北ベトナム]]) でなく[[ホーチミン]]が選ばれているのかは謎です。
なお [DFN[[CODE[Asia/Hanoi]]]] も一応ありますが、1970年以後で異なるもののみ区別するという
[[tzdata]] 採録基準を満たさない追加データ [SRC[>>54]] 扱いになっています。
[62] [[tzdata]] は[[カンボジア]]から [DFN[[CODE[[[Asia/Phnom_Penh]]]]]]、
[[ラオス]]から [DFN[[CODE[[[Asia/Vientiane]]]]]] を選んでいますが、なぜかどちらも
[CODE[[[Asia/Bangkok]]]] ([[タイ]]) の別名と定義しています。
[REFS[
- [18] [CITE@en[Time in Vietnam - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-02-26 02:02:01 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Time_in_Vietnam>
- [20] [CITE@en[104.288055555556 (longitude) - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-02-27 22:18:51 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/lon/104.17.17E>
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[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] [CITE@en[Vietnamese calendar - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2016-02-25 16:37:39 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/Vietnamese_calendar>
]FIGCAPTION]
> North Vietnam switched from UTC+8 to UTC+7 on August 8, 1967, with South Vietnam doing likewise in 1975 at the end of the Vietnam War.
]FIG]
- [107] [CITE@ja[近代デジタルライブラリー - 思索の手套 : 科學隨想]] ([TIME[2016-04-18 20:13:28 +09:00]] 版) <http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1085848/8>
[TIME[1942年10月][1942-10]]
]REFS]
* インドネシア (蘭印)、東チモール
@@
[REFS[
- [114] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1908年08月19日]] ([[大蔵省印刷局 '''['''編''']''']]著, [TIME['''['''1964''']'''-][year:1964]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950892/2>
]REFS]
* フィリピン
[73] [[フィリピンの時間帯]]を参照。
* 新南群島
[75] [[新南群島]] ([[南沙諸島]]) は、各時代の[[実効支配]]国の[[時間帯]]に組み込まれていると考えられます。
;; [76] 沿岸各国の節および[[日本の時間帯]]、[[台湾の時間帯]]、[[中国の時間帯]]も参照。
* リゾートタイム
[125] [[リゾート施設]]は、国内[[標準時]]とは異なる独自の[[リゾートタイム]]を採用していることがあります。
詳しくは[[リゾートタイム]]を参照。
;; [126] [[東南アジア]]の場合、[[標準時]]が [TZ[+07:00]] なら1時間進めて [TZ[+08:00]]
にすると[[中国大陸の標準時]]となるので、もしかすると[[中国人]]観光客向けの配慮があるのかもしれない、
とも思いましたが、[[空港]]や国内移動でどのみち[[時差]]を意識せざるを得ないのですから、
純粋に日照時間の問題のみなのかもしれませんし、よくわかりません。
* ASEAN 標準時
[132] [DFN[ASEAN標準時]]が何度も議題にのぼっているようですが、
各国の思惑から実現せずにいるようです。
[REFS[
- [8] [CITE@en[ASEAN Common Time - Wikipedia, the free encyclopedia]]
([TIME[2015-08-26 14:54:49 +09:00]] 版)
<https://en.wikipedia.org/wiki/ASEAN_Common_Time>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[115] [CITE[アセアン10カ国、ASEAN標準時が検討課題に]]
( ([TIME[2016-05-03 22:31:18 +09:00]]))
<http://www.bangkokshuho.com/article_detail.php?id=5147>
]FIGCAPTION]
> 29/01/2015
> 28日、マレーシア・サバ州都のコタキナバルで開催されたASEAN非公式外相会議で、ASEAN標準時が今後の検討課題として取り上げられることになった。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[116] [CITE[ミャンマー ASEAN標準時導入に難色 ミャンマーニュース]]
(2015-05-01 20:00 ([TIME[2016-05-03 22:32:42 +09:00]]))
<http://www.myanmar-news.asia/news_aqNdQFCIc2.html>
]FIGCAPTION]
> ミャンマー同様、難色を示しているのがGMTプラス7のタイやカンボジアである。これらの国々は、ASEAN諸国ではGMTプラス7の地域の人口が最も多いことから、GMTプラス8をASEAN標準時とすることに反対する意向を示している。
]FIG]
- [129] [CITE[ASEAN諸国が標準時として中国標準時を導入へ、中国-ASEAN経済圏の一体化が加速]]
( ([TIME[2015-03-01 12:00:00 +09:00]]))
<http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plusd/1430022660/>
]REFS]
* 関連
[74] [[南アジアの時間帯]]、[[大洋州の時間帯]]、[[台湾の時間帯]]、[[中国の時間帯]]も参照。
* メモ
[REFS[
- [106]
-- [105] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [104] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [103] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [102] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [101] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:02:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [97] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:55:37 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[121] [CITE@ja[タイでもテレビの時間が同じになる : アライナ!.....泰国生活記]]
(August 09, 2008 14:32 ([TIME[2016-06-03 22:42:56 +09:00]]))
<http://blog.livedoor.jp/arainathai/archives/51335753.html>
]FIGCAPTION]
> 例によってバンコク週報の記事から、、、
> 『8月23日からタイ標準時を導入』
> 何の事かと思って読んで、そういう事か。。。(= =) ウム
> 記事を読んでもらえれば分かるが
> タイではテレビ画面に表示されている時刻がテレビ局ごとに微妙に違っている。
> 朝の時間帯ならばほとんどのテレビ局が時間を表示しているので
> タイに住んでる方は見比べていただきたい。
> そういう私も以前、腕時計の時間を修正しようと思い仕事へ出かける前にテレビを点けるも
> テレビ局ごとに時間が違っていたことを覚えている。
> 最大で1分ぐらい違っていたような気がする。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[122] [CITE@ja[タイ標準時のその後 : アライナ!.....泰国生活記]]
( ([TIME[2016-06-03 22:44:02 +09:00]]))
<http://blog.livedoor.jp/arainathai/archives/51365355.html>
]FIGCAPTION]
> その後実施直後の8月24だか25日くらいに気になって
> 各テレビ局で表示されている時間が同じなのか確認した事があります。
> 確認したのは朝の仕事へ出かける前。
> 以前だったら2-3局で時間が表示されていたのでそれを見比べようと思った。
> ところが。。。。(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
> 3チャンネルはいつものように時間が表示されているが、、
> 他のチャンネルは何処を見ても時間が表示されていない。∑('◇'*)エェッ!?
>
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[123] [CITE@ja-JP[タイ人の中には、‘約束’を守らない、‘時間’を守らない人が、たいへん多いです。 - udonnaosan Jimdoページ]]
( ([TIME[2016-06-03 22:46:11 +09:00]]))
<http://udonnaosan.jimdo.com/2013/01/17/%E3%82%BF%E3%82%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%AF-%E7%B4%84%E6%9D%9F-%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%99%82%E9%96%93-%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%8C-%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%B8%E3%82%93%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99/>
]FIGCAPTION]
> (水曜日, 16 1月 2013 22:58)
> タイ標準時が出来たのは数年前でした。
> 標準時が出来ても、テレビやラジオの8時と18時の国歌は、酷いのだと数十秒ずれて流れてます。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[124] [CITE@ja[8月23日からタイ標準時を導入 | チエンマイブログ日々雑感]]
( ([TIME[2016-06-03 22:47:49 +09:00]]))
<http://payap.net/blog/2008/08/8%E6%9C%8823%E6%97%A5%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%BF%E3%82%A4%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82%E3%82%92%E5%B0%8E%E5%85%A5>
]FIGCAPTION]
> バンコク週報、タイの情報【社会】 海軍・河海測量局がタイ標準時を決定・管理することが決まり、国内のテレビ・ラジオ局などは8月23日からこの標準時に従うことが義務づけられた。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[127] [CITE[メイドインタイランド投稿写真掲示板]]
( ([TIME[2016-06-03 23:41:21 +09:00]]))
<http://0bbs.jp/bkk/m/?o=41>
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> 海軍・河海測量局がタイ標準時を決定・管理することが決まり、国内のテレビ・ラジオ局などは8月23日からこの標準時に従うことが義務づけられた。
> 国立度量衡研究所のピアン所長は、「これまでタイには標準時が存在しなかった。このため、午前8時と午後6時の国歌放送が放送局により時間がずれるという不都合が生じていた」と話している。
> 今後、科学技術省が標準時遵守の監督機関となり、これに反した放送局などには10万~50万バーツの罰金が科されることになる。
> バンコク週報の最新記事ですが、テレビの番組の開始時間が微妙にずれるのって、標準時がなかったせいだったとは...。
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[128] [CITE[タイのニュースキャスターはコスプレを着る! インドへGO!そしてタイ 今は日本 いつかまた!/ウェブリブログ]]
( ([TIME[2014-11-01 06:15:59 +09:00]]))
<http://jaofkai2007-new.at.webry.info/201302/article_20.html>
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> レンジでチンさん、「ピンポーン」正解です!8時と18時です。ただ、タイには標準時が存在しないので、テレビ局によって数秒から数十秒の時差があります。
> タイの国家を長い間知らなかったとは!!!!!!ですね。例の「なんで海で水着を着ないんだおじさんでしたか。
> 国家の時に流れる映像は、数ヶ月前までバラバラでしたが、今は統一されています。何度も言いますが、時差があるので何回も見られます。
> サバーイ
> 2013/02/18 13:44
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[182] [CITE@ja[東南アジアよもやま情報-2|シンガポール通信]]
( ([TIME[2016-06-14 12:17:52 +09:00]]))
<http://ameblo.jp/aoki1981/entry-10371172656.html>
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> シンガポールは香港(東経114度)との競争を意識して同じ「UTC+8」の時間帯をあえて使っているという話しを良く聞きます
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