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994
995
996
997
998
999
1000
[7] [DFN[[RUBY[[[元号]]][げんごう]]]]は、[[東洋]]で長く用いられている、
[[暦]]上の[[期間]]を表す名前です。
[220]
現在の[[日本の元号]]は'''[[令和]]'''です。
[8] 現在では[[日本]]で用いられるのみとなっていますが、
かつては[[東アジア]]各国で用いられていました。
[615] ただし、[[民国紀元]] ([[中華民国]])
や[[主体紀元]] ([[朝鮮民主主義人民共和国]])
を[[元号]]に分類することもあります。
[NOTE[
[79] [[元号]]のような固有の名称を持たない (区別には[[君主]]名を使う)
[[即位紀年]]は[[英国][英国王即位紀年]]などいくつかの国に現存しています。
]NOTE]
* 呼称
[350] 「平成39年」の「平成」のような[[紀元]]を表す名称を[[元号]]といいます。
しかし文脈により「平成39年」のような[[元号年]]の表記の全体を指して[[元号]]と言ったりもします。
[4] [[元号]]を[DFN[年号]]ともいいます。
現在でも歴史学分野を中心に[[年号]]と呼ぶことがあります。
しかし[[年号]]は[[西暦年]]その他の[[年]]の表記のことを指す場合もあるので、
[[元号]]という方が曖昧ではありません。
[SEE[ 詳しくは >>293 ]]
[5] [[日本手話]]にも[[元号]]と[[年号]]があります。 [SRC[>>242]]
[294] [[英語]]では [[era]] と呼ばれますが、
より広く[[紀年法]]や[[紀元]]の意味でも使われるので曖昧です。
[DFN[[[regnal year]]]] や [DFN[finite era (name)]] と呼ぶとそのような曖昧性は排除できます [SRC[>>9]]
が、[[元号]]でない[[即位紀年]]
[WEAK[(東洋以外のものも含む。)]]
も含まれることがあるようです。
歴史学の論文英題や[[計算機プログラム]]の変数名などでは [[era]]
とすることが多いようです。
現用されているのが[[日本の元号]]だけなので、
[[Japanese era (name)][Japanese era name]] などと言うこともあります。
[74]
[[Java]] は[[日本の元号]]による[[日付]]表記を扱う[[クラス]]を
[CODE[java.util.JapaneseImperialCalendar]]
と呼んでいます。 Imperial calendar という名前から[[皇紀]]を連想しますが、
[[天皇]]の[[暦]]ということで[[日本の元号]]を表しているようです。
紛らわしいので適切な命名とはいえません。
[295] [[日時パターン]]の表記などでは、[[ローマ字表記]]の[[頭文字]]である
「g」や「G」で表現されることがよくあります。
[[ISO 8601]] の[[日時書式表現]]
(の [[JIS X 0301]] 拡張) は [CODE[N]] を使っています
(''n''ame?)。
[63]
[[ISO 19108]] は[[元号]] (や他の[[暦法]]における[[暦年]]の上位概念)
を記述するために[RUBYB[[[暦年代][暦年代 (ISO 19108)]]][calendar era]]という概念を導入しています。
[REFS[
- [9] [CITE@ja[元号 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-06 17:02:31 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7>
- [242] [CITE@ja[新しい手話の動画サイト:特集 [[元号]]関連用語]]
([TIME[2019-04-08 11:05:09 +09:00]])
<https://www.newsigns.jp/featured014>
]REFS]
* 意味
[255] [[元号]]は、1つ[[以上]]の (原則として連続した) [[年]]に対して与えた名称です。
その[[改元日]]から始まり、次の[[改元日]]までの期間を表します。
([[改元日]]を含む[[年]]は、途中からまたは途中までしか含まれないこととなります。)
;; [96] しかしこの始点と終点は実は曖昧です。 [SEE[ [[改元時期]] ]]
[380] [[元号]]は、前の[[元号]]からの[[改元]]という形でその時期が定義されています。
直接的な定義には含まれませんが、[[暦]]への記載や現実の運用などから、
[[西暦]]や[[皇紀]]のような他の[[紀年法]]との対応関係も定まります。
[381] ただし、[[私年号]]や滅亡した勢力の[[元号]]の中には、
正確な時期が伝わっていないものもあります。特に私年号は、
[[改元]]の手続きが行わず自然発生的に使われ出し、
いつの間にか消滅しているようなものなので、
終了の時期もはっきりしないことが多いようです。
-*-*-
[254] [[元号]]が何かについて、[[元号法]] [SRC[>>54]] は定義していません。
[[法令]]上は自明のもの、あるいは[[慣習]]的なものとして扱われているのでしょうか。
[613] [[JIS]] は次のように定義しています。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [[JIS X 0301]]:2002 3.34
]FIGCAPTION]
> [[日本]]で用いる[[暦年]]の上位呼称
]FIG]
[614] しかし「[[暦年]]の上位」といわれても何となくの雰囲気はわかりますが、
それ以上の情報は得られません。[[暦年]]は約365日を表す用語のようですが、
[[元号]]の期間は [[JIS]] 上も約365日の整数倍となるとは限りません。
「上位」の意味が定義されていないので、この定義と実際の[[元号]]が合致しているかどうかもよくわかりません。
[29]
[CITE[暦と時の事典]]は、
[[年号]]を「明治、大正、昭和のように、
年に冠して使用する称号で元号ともいう。」
としました。[SRC[>>30]]
[REFS[
- [30] [CITE[暦と時の事典]] pp.233-234 [CSECTION[[RUBY[年号][ねんごう]]]]
]REFS]
-*-*-
[99]
「元号」は、個別の[[元号]]のことを指す言葉ですが、
[[元号]]を使うシステム全体を指して使うこともあります。
[SEE[ [[元号系]] ]]
[13]
[[元号]]は[[紀年法]]の一種といえます。
個別の[[元号]]がそれぞれ[[紀年法]]として機能するので[[元号]]は[[紀年法]]の[[部分集合]]といえます。
あるいは「[[日本の元号]]」のような一連の[[元号]]の[[列]]として定まる[[元号系]]は、
それ自体が1つの[[紀年法]]といえます。
[FIG[
[PRE[
..., 昭和, 平成, 令和, ... } 元号 }
}
(..., 昭和, 平成, 令和, ...) } 紀年法
}
西暦, 皇紀, ... } 元号でない紀年法 }
]PRE]
]FIG]
[15]
[[元号]]である[[紀年法]]と[[元号]]でない[[紀年法]]との違い、
すなわち[[元号]]たる要件は、
よくわかりません。
(>>489)
-*-*-
[SEE[ 個別の元号の語義は[[元号の選定]]、各元号の項 ]]
* 法令
[253] 現在の[[日本の元号]]制度は、[CITE[元号法]]で定められています。
[[元号]]制度の元で用いられる実際の[[元号]]は、[[改元]]の[[政令]]により定められています。
[SEE[ [[元号の法令]] ]]
[REFS[
- [54] [CITE[元号法]]
]REFS]
* 文脈
[262] [[元号]]は、[[日本]]で公私問わず広く用いられています。
[263] ただし[[日本]]でも[[元号]]表記よりも[[西暦]]表記が多くなってきています。
[SEE[ [[現代日本の紀年法]] ]]
[33]
[[年号銭]]でも使われてきました。
現在でも[[日本]]の[[貨幣]]には[[日本の元号]]の紀年があります。
-*-*-
[287] [[日本]]の[[元号]]を使った[[日付]]の表記を、[[和暦]]や[[邦暦]]と呼ぶことがあります。
ただし、これらの言葉は他にもいろいろな意味で使われます。
[SEE[ [[和暦]] ]]
** 元号による年の表記
[192] [SEE[ [[元号年]] ]]
** 日時形式における元号
[159] [[JIS X 0301]] は[[元号]]を使った[[情報交換]]用の[[日時形式]]を定めています。
[160] [[元号コード]]と[[年]]の組が使われる場合もあります。
** 元号利用時期の表記
[610] [[元号]][VAR[元号]]を用いた時期のことを、
「[VAR[元号]]」、「[VAR[元号]]年間」、「[VAR[元号]]時代」、
「[VAR[元号]]期」などといいます。
[EG[
[611] [[昭和時代]]は、[[昭和]]が用いられた時期を指します。
]EG]
[EG[
[612] [[寛永年間]]は、[[寛永]]が用いられた時期を指します。
]EG]
[EG[
[642] [[享保の改革]]は、[[享保]]が用いられた頃の[[政治改革]]を指します。
]EG]
[EG[
[251] [[平成生まれ]]とは[[平成]]が用いられた時期に[[生年月日]]が属する人々です。
]EG]
[75]
時代と天皇を記念した[[祝日]]として、
[[明治節]]と[[昭和の日]]があります。
[SEE[ [[日本の祝日]] ]]
** 元号に因む命名
[249]
[[日時]]記述に使う本来の用法の他に、その時期を記念した[[地名]]や組織名などの[[固有名詞]]に採用されることも多いです。
[[人名]]に1字取ることも、[[改元]]直後を中心によくみられます。
[250]
[[一世一元]]の[[元号]]は[[追号]]として使われることが慣例となっています。
(ただしこれが定められたことはありません。今後も踏襲されるかは不明です。)
[[一世一元]]以前にも、
君主の自称または他称として[[元号]]が使われたことがありました。
[SEE[ [[一世一元]] ]]
[77]
[[文化]]と[[文政]]の時代は合わせて[[化政期]]と呼ばれ、
この時代の文化は[[化政文化]]と呼ばれています。
[78]
[[昭和時代]]に[[元禄]]と組み合わせた[[昭和元禄]]という言葉もあります。
* 元号の名前
[28] [[元号]]や[[年号]]の「号」が既に「[[名前]]」のような意味ですが、
概念としての[[元号]]と区別して[[元号]]呼称を[[元号名]]と呼ぶこととします。
[[元号名]]は[[漢字]]2文字で表記するものがほとんどですが、
その他にもいろいろな例が知られています。
また、いろいろな読み方があります。
[SEE[ [[元号名]]、[[元号の読み方]] ]]
* 元号の意味
[SEE[ [[元号の選定]]、各元号の項 ]]
* 元号制度の運用
[1045]
[[元号]]制度は、国家権力などが新たな[[元号]]を制定し、
移行を繰り返していくことで運用されるものです。
具体的な方法は[[國]]と時代によります。
[27]
[[元号]]の制定は[[独立国]]の権限であり、象徴でしたから、
複数政府が並立するとそれぞれの[[元号]]が[[建元]]されました。
各勢力がどの[[元号]]を選択するかはどの政府に従うかを意味する、
極めて政治的な行為でした。
[SEE[ [[元号の選定]] ]]
* 元号と年号
[293] [[元号]]のことを[[年号]]ともいいます。語源的・歴史的には[[年号]]の方がより意味に即した用語のようで、
[[中国語]]では現在も[[年号]]と呼ぶのが一般的です。しかし[[年号]]は、
[[元号]]以外の[[紀年法]]も含めたり、
[[元号によって表記された年][元号年]]やその他の[[紀年法]]の[[年]]のことまで含めたりすることがあり、
意味に揺れがあります。[[元号]]という語の方が意味は明確です。
[EG[
[95] [[歴史]]の授業で「何々が起きた年号」といえば、
その事件の起きた[[年]]がいつかということを話題にしているのであって、
[[元号]]とは関係ありません。 ([[元号年]]で言うこともできますが、
[[西暦]]や[[皇紀]]で表すこともできます。)
]EG]
[25] 語源や歴史的な経緯をひとまず置いておくなら、
「平成31年」や「1192年」のような[[年]]の呼称を「年号」と呼び、
「令和」のような[[元][元期]]の呼称を「元号」と呼ぶ現代の用法は一貫しており、
むしろ好ましいといえます。
-*-*-
[46]
現在の[[日本の法令]]は、[CITE[元号法]]をはじめとして
「元号」という呼称を採用しています。
[47]
一方で歴史学者は「年号」という呼称を採用することが多いようです。
複合語的な用語も[[私年号]]などほとんどが「年号」
を使って構成されています。
[[日本の法令]]でも[CITE[養老律令]]は「年号」といっていました
([SEE[ [[日本古代の日時]] ]])。
[100]
[[革年改元]]の提唱者の[[三善清行]]は、
[CITE[革命勘文]] ([[漢文]])
で「建元號於鳳暦」と書いていました。 [SRC[>>101]]
[93]
「元号」という語の[CITE[読売新聞]]データベースでの初出は、
[CITE[即位の地と一世一元の法 京都で即位、天皇一世の間改元せず]],
[TIME[1889.02.16][1889-02-16]]
のようです。
[39]
[[元号]]研究者の[[所功]]は、
「年号」の始まりは武帝の「[[建元]]」といわれているが果たしてそうだろうか、
と疑問を呈しました
[SRC[[CITE[日本年号史大事典]] 普及版 p.14]]。
[[元号]]と[[年号]]は「いま同義語として使われている」
とした上で、[[元号]]は古い文献にほとんどみられないものの、
[[建元]]や[[改元]]は古くからある語で、「元」は[[元年]]の意味であるとし、
[[諸橋[CITE[大漢字辞典]]]] (巻一) の[[元年]]の定義
> 天子即位の第一年。又、年号の改まった最初の年。
... を引きました。そして「この意味で、中国において天子や諸侯の代始から年を数える元号」は
[CITE[春秋]]あたりから見られるなどとし、
武帝の時代に元に命名したものを「元号に漢字の名称を冠した「年号」のはじめ」
だとしました。
[40]
まとめると、
- [41] 現在は[[元号]]と[[年号]]は同義
- [44] 歴史的には[[元号]]には[[年号]]と[[支那式即位紀年]]が含まれる
- [45] ただし[[元号]]という語が成立したのは新しい
... という見解をとりました。
;; [94] 「元号」の語義を「元年」に求めただけで、「年号」と「元号」
がそのように使い分けられている、
または使い分けられていたと主張しているわけではないことに注意が必要です。
[20]
その[[所功]]らのより新しい著書
[CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]]
は、
[[元号]]は「本来は「年号」であり、両者をほぼ同義語として併用する」
としました。
本文全体では前近代では「年号」、近現代では「元号」、
俯瞰的部分では「元号 (年号)」のように表記されているようです。
「制度史上」は[[律令]]で[[年号]]が公用され[[明治]]改元で[[一世一元]]となり[[元号]]が
「公称」となった、としました。
[SRC[>>19 p.3]]
[90]
[[暦]]の研究者の[[中牧弘允]]は、
[[年号]]と[[元号]]はほぼ同義で使われるが微妙に異なり、
[[年号]]は[[漢字]]の名前を持つものであって、
[[元号]]は代始から数えるものである、としました。
出典に[[所功]]の[CITE[年号の歴史]]が挙げられており、
所の解説を踏まえた記述とみられます
(が、所の説明とも少しニュアンスが違う気がします)。 [SRC[>>89]]
[31]
[CITE[暦と時の事典]]は、
[[年号]]と[[元号]]を同義としました
(>>29)。
[59]
[TIME[平成31年][year:2019]]の[[令和改元]]直前に編集された、
[[元号]]関連分野の歴史研究者らによる専門書
[CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
の序文は、
「年を数えるための称号には「元号」と「年号」の二つがある」
うち[[日本]]では[[元号]]が
「正式名称のようになっている」
ものの、「本家の中国」では[[元号]]はほとんど用いず専ら[[年号]]と称するため、
[[東アジア]]全体をカバーするには
「「年号」の呼称に従うのが妥当」
としました。
[SRC[>>34]]
[48] [[令和改元]]時の (専門家の文章から一般人の会話まで) いろいろな言及を総合的にみると、
- [49] 「元号」ということが圧倒的に多い
- [50] 「年号」ということもそれなりにある
- [51] 詳しい人の文章や発言ではわかりやすく併記 (括弧書きなど) することもある
(が多いわけではない)
- [52] 両者の違いが明確に説明されることはあまりない、あっても
「同じ意味です」程度の簡単な説明のみ
- [53] 一方を聞いた人がえっ他方じゃないの、間違い?、のように混乱することはそれほどない
... といった感じ、つまり多くの人がなんとなく両方とも認識しているが[[元号]]が優勢、
とみうけられます。
[REFS[
- [101] [CITE[古代史獺祭 [[革命勘文]] 原文]] ([TIME[2007-12-14 19:20:34 +09:00]]) <http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/kakumeikannbunn/gen.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[89] [CITE[こよみの学校 第116回『年号と元号―微妙なちがいも』|暦生活]],
[[中牧弘允]],
[TIME[2017.12.8][2017-12-08]]
([TIME[2019-01-31 16:04:29 +09:00]]) <https://www.543life.com/campus116.html>
]FIGCAPTION]
> 年号と元号はほぼ同義でつかわれています。 [SNIP[]] しかし、年号と元号には微妙なちがいもあり、両者は時に区別してあつかう必要があります。
> 明治天皇が即位し改元がおこなわれた時、『明治天皇記』には天皇がくじを引き「年号の字を聖択したまふ」とあります。その字は「明治」でした。つまり、漢字の名称を冠したのが「年号」です。これに対し、代始め(即位)から数えるのが元号です。元は元年の意味です。現行の法律は「元号法」と言います。明治22年の「皇室典範」でも明治42年の「登極令」でも「元号」がつかわれました。
]FIG]
- [19] [CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]]
- [34] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [36] [CSECTION[序―本書の概要と意義―]],
[[水上雅晴]],
pp.i-xii
]REFS]
[104] [CITE@ja[年号と元号 - うたことば歳時記]] ([TIME[2019-07-16 19:20:09 +09:00]]) <https://blog.goo.ne.jp/mayanmilk3/e/eccd078b34cab43e810a004b63671ad6>
[105] [CITE@ja[「元号」と「年号」は何が違うの? | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93]]
([TIME[2019-07-17 16:13:55 +09:00]])
<http://www.1242.com/lf/articles/167774/?cat=life&feat=suzukianju>
* 元号と紀年法
[489] [[元号]]は[[紀年法]]の一種ともされますが、[[元号]]とそうでない[[紀年法]]
([[紀元]]) との違いは明確ではありません。
おおよそ次のような違いがあるようです。
[FIG(list)[
- [490] [[元号]]は、次の[[改元]]までの比較的短い期間のみ用いられる想定で制定されていると見られるが、
[[紀元]]はそのような意志を持たずに制定されていると見られる
- [493] [[元号]]は[[改元日]]が比較的明確に定められるが、[[紀元]]の開始の日は定められず、
過去に遡ってその[[紀元]]を使って日付を表すことができそうである
- [491] [[元号]]は[[元号]]名と併記されることが多く、[[紀元]]は年番号のみで表記されることが多そうだが、[[紀元]]名と併記されることもまた多いものもあるし、
[[元号]]であっても年番号のみで表記されるものもある
- [492] [[元号]]名は固定されていることが多いが、[[紀元]]名は表記揺れが多い
- [546] 「○○紀元」や「○○暦」という名前のものは[[元号]]ではない
- [531] [[漢]]の[[武帝]]の初期 (初の[[元号]]とされるもの数個) を除き、
[[元号]]には制定時点で名前が与えられている
- [495] [[国名]]を用いたものは[[元号]]ではなく[[紀元]]であるとされることが多い
- [496] 君主名に即位からの年数を添えるもの ([[在位紀年]])
は、特に[[元号]]として定められた場合を除き、[[元号]]ではないとされることが多い
- [530] 君主名と一致する名前を持ち在位期間と一致するものであっても、[[元号]]として制定されたなら[[元号]]である
-- [603] [[一世一元]]の[[元号]]で[[追号]]として使われるようなものは単なる[[在位紀年]]のようにも見えるが、[[元号]]である
- [528] その他[[元号]]として明確に制定されたものは[[元号]]だが、そうでないものも[[元号]]とされることがある
- [497] 政府が制定したかどうかは[[元号]]か否かには影響しない
- [498] 制定 ([[建元]]、[[改元]]) と元年が一致するか (少なくても1年以内ではあるか)
どうかが[[元号]]か否かに影響しそうだが、しないようにも見える
- [529] 元号にかわって制定されたからといって[[元号]]とは限らない
]FIG]
[494] 次の[[紀年法]]は、[[元号]]として扱われたり、[[元号]]に準じるものとして紹介されたりすることがある一方で、
[[元号]]ではない[[紀年法]]であるとされることもあります。
[FIG(list short)[ [32] [[元号]]なのかどうか
- [[共和]]
- [[崇禎紀元]]
- [[監国魯]]
- [[開国年号]]
- [[太平天囯]]
- [[大明國]]
- [[共戴紀元]]
- [[民国紀元]]
- [[大韓民国]]
- [[越南民主共和]]
- [[越南共和]]
- [[檀君紀元]]
- [[主体暦]]
- [[核時代]]
- [[霊波]]
- [[蘭芳]]
]FIG]
[21] [[即位紀年]]、[[建国紀元]]も参照。
[499] [[私年号]](的な[[紀年法]])や[[フィクションの紀年法]]が[[元号]]であるのかどうか、
判断が分かれることがあります。
* 各地の元号
** 支那
[3]
[[元号]]制度は古代[[支那王朝]]の[[即位紀年][支那式即位紀年]]の発展形として生まれ、
歴代王朝のほとんどで採用されてきました。
現在の[[中華人民共和国]]は[[元号]]を使わず[[公元]]を採用しています。
[SEE[ [[支那の元号]] ]]
** 日本
[2]
[[日本本土]]では[[大化]] ([TIME[西暦645年][year:0645]])
以来1400年近くにわたって[[元号]]が使われています。
[SEE[ [[日本の元号]] ]]
** 琉球
[6]
[[日本]]の[[南西諸島]]は、かつては[[日本]]の[[薩摩藩]]の[[属国]]の[[琉球王国]]でした。
[[琉球王国]]は[[支那王朝]]にも[[朝貢]]しており、[[支那の元号]]が主に用いられました。
[[明治時代]]に[[沖縄県]]が設置されてから[[日本の元号]]に統一されました。
しかし[[米国統治時代][琉球政府]]には専ら[[西暦]]が用いられました。
[SEE[ [[琉球の元号]] ]]
** 滿洲
[10] [[滿洲]]地域ではその時々の統治国家の[[元号]]が使われました。
[[満州族]]の建国した[[清国]]では当然[[清国の元号]] ([[農暦]]) が使われ、
[[漢字]]名だけでなく[[満州語]]名も存在していました。
[[中華民国]]では[[民国紀元]] ([[グレゴリオ暦]]) が使われましたが、
[[ロシア]]勢力下では[[キリスト紀元]] ([[ユリウス暦]])、
[[日本]]勢力下では[[日本の元号]] ([[グレゴリオ暦]]) も使われました。
[[満州国]]は独自元号を[[建元]]しました。
[[ソビエト連邦]]は[[キリスト紀元]] ([[グレゴリオ暦]]) を使いました。
[[中華人民共和国]]は[[公元]] ([[グレゴリオ暦]])
を使っています。
[SEE[ [[満州の元号]] ]]
** 越南
- [11] 太平 (970年; 丁朝)
- (阮朝) 保大 (1926年〜1945年8月(崩壊))
** 台湾
@@
** 朝鮮
[450] [[朝鮮半島]]は歴史上のほとんどが[[支那]]王朝の[[属国]]で、
[[支那]]王朝の[[元号]]を使っていました。
[[大韓帝国]]など一部の時代には独自の[[元号]]も使っていました。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]
** チベット
[57] [[チベット]] ([[吐蕃]]) では[[彝泰]]が用いられました。ただし[[在位紀年]]に過ぎないとする説もあります。
** 蘭芳公司
[578] [[蘭芳公司]] (現[[ボルネオ島]]の[[支那人]]政権)
は[[蘭芳]]および[[乾興]]を用いたといいます。
;; [[蘭芳公司の元号]]参照。
** フィクション
[369] [[フィクション]]で実在しない[[元号]] (や[[元号]]なのかどうか曖昧な[[紀年法]])
が用いられることもあります。
[SEE[ [[フィクションの元号]] ]]
* 統計
[352] [[元号]]数は、[[天皇]]代数のように、どれを数えるか数えないかで複数説あります。
[331]
[[現代日本]]では、歴史上の[[日本の元号]] ([[公年号]])
は全248個
([[令和]]が第248番)
とされています。
[348]
[[所功]]らの[CITE[日本年号史大事典]]が[[大化]]から[[平成]]までに
[N[1]] から [N[247]] の通し番号を与えました。
[[平成時代]]や[[令和改元]]時の[[報道]]や [[Webサイト]]の記述では、
これに基づいたと思われる 247個、次が248番目、
といった説明がよくみられました。
[SEE[ [[元号コード]]、[[令和改元]] ]]
[355]
[[日本政府]]もこの数え方を採用しているようです
[SRC[>>356, >>354]]。
[351]
所以前には[[森本角蔵]]の[CITE[日本年号大観]]が通し番号を振っており、
[[大化]]から[[昭和]]まで230個、
[[北朝]]16個としていました。
[SEE[ [[元号コード]] ]]
[14]
[[日本の私年号]]を
「約440例」とするものもありますが
[SRC[>>233]]、
知られている[[元号]]数 (種類数) と乖離しています。
「例」とある通り[[私年号]]の利用事例数と解するのが妥当と思われます
(正しいかは不明)。
[65]
[[支那王朝]]の[[元号]]について、
[CITE[日本年号大観]]を参考に[[所功]]が補訂したものによると、
次の個数ありました。 [SRC[>>64 p.20, p.24]]
[FIG(short list)[
- 「中国における狭義の正統王朝」 354
-- [[前漢]] 38
-- [[新]] 4
-- [[後漢]] 40
-- [[蜀]] 5
-- [[西晋]] 17
-- [[東晋]] 18
-- [[宋]]・[[斉]]・[[梁]]・[[陳]] 39
-- [[隋]] 4
-- [[唐]]・[[周]] 75
-- [[後梁]]・[[後唐]]・[[後晋]]・[[後漢]]・[[後周]] 15
-- [[北宋]] 35
-- [[南宋]] 22
-- [[元]] 15
-- [[明]] 17
-- [[清]] 10
- 444
-- 前記 354
-- [[魏]] 10
-- [[呉]] 18
-- [[北魏]]・[[西魏]]・[[東魏]]・[[北斉]]・[[北周]] 62
- 537
-- 前記 444
-- [[遼]] 33
-- [[西夏]] 37
-- [[金]] 23
]FIG]
[67] [CITE[日本年号大観]]は[[支那の元号]]を319個挙げていました。
所の354は、これに次の操作を加えたものです。
[SRC[>>54 p.53]]
- [[前漢]] +1
- [[後漢]] +5
- [[西晋]] +3
- [[宋]]・[[斉]]・[[遼]] +5
- [[唐]] +21
- [[後梁]] +1
- [[元]] +1
- [[明]]末 -3
- [[清]]初 +1
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[356] [CITE@ja[法律案審議録(元号法案 その1) 昭和54年第87回国会 総理本府関係 1]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:56:17 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814402318057>
168ページ
]FIGCAPTION]
>
二四六の元号が用いられている。
]FIG]
- [64] [CITE[[[日本年号史大事典]]]]
- [233] [CITE[日本の私年号]]
<http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[354] [CITE@ja[平成31年4月8日 政府与党連絡会議 | 平成31年 | 総理の一日 | ニュース | 首相官邸ホームページ]]
(平成31年4月8日 [TIME[2019-04-09 10:08:34 +09:00]])
<https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201904/08sei_yoto.html>
]FIGCAPTION]
> 平成31年4月8日、安倍総理は、[SNIP[]]
> 「[SNIP[]] 4月1日に248番目となる新たな元号を令和と決定いたしました。
]FIG]
]REFS]
* 元号の一覧
[566] [[元号]] (やその他の[[紀年法]]) の一覧:
[REFS[
- [565] [CITE@en[Eras - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-03-12 23:30:41 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/era>
]REFS]
[569] 地域ごとの[[元号の時系列一覧][元号系]]:
[REFS[
- [567] [[日本]][[本土]] [CITE@en[jp (Era system) - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-03-12 23:32:44 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/era/system/jp>
-- [570] [[北朝]] [CITE@en[jp-north (Era system) - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-03-12 23:34:42 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/era/system/jp-north>
-- [571] [[南朝]] [CITE@en[jp-south (Era system) - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-03-12 23:34:52 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/era/system/jp-south>
- [568] [[琉球]] [CITE@en[ryuukyuu (Era system) - SuikaWiki Data]] ([TIME[2016-03-12 23:33:18 +09:00]] 版) <https://data.suikawiki.org/era/system/ryuukyuu>
]REFS]
[SEE[ 詳しくは[[元号一覧]] ]]
** データファイル
[SEE[ [[元号一覧]] ]]
** 変換表・実装
[SEE[ 元号、改元日、読み方などの一覧表や換算ソフトウェアの実装状況などは[[元号一覧]] ]]
* 識別子
** 元号系の識別子
[336] [SEE[ [[元号年]] ]]
** 個別元号の識別子
[SEE[ [[元号コード]] ]]
* その他実装に関する事項
[304] 最近作られたソフトウェアで古い[[日時]]を扱う必要のないものは、
[[平成]]にしか対応していないものもあります。
;; [305] [[改元]]があったら対応するのが大変そうですね...
;; [245] → 大変そうでした。 [SEE[ [[令和改元]] ]]
[359] ただし、そうしたソフトウェアの統計的数値は知られておらず、
むしろ例外的と推測されます。
ほとんどの[[アプリケーション]]は古い日時を扱う必要があります。
例えば[[生年月日]]を扱うなら、[[明治]]以後の[[元号]]を扱える必要があります。
そうでなくても[[平成]]初期の[[改元]]が記憶に新しい時代にそうしたソフトウェアは作られにくく、
[[平成]]中期以後は[[プラットフォーム]] ([[OS]] や[[プログラミング言語]]の[[ライブラリー]])
による[[和暦]]対応機能を利用するのが好ましい開発手法となってきましたから、
個別の開発で一々実装する必要もなくなっています。
[361] 英語版 [[Wikipedia]] は、[[平成]]しか扱えないソフトウェアが多いかのごとき説明を与えています
[SRC[>>358]] が、その出典とされる [[Microsoft]] の文書 [SRC[>>382]]
にはそれらしき記述はなく、逆に [[Windows]] の更新で[[アプリケーション]]が新元号対応となることに注意を促す内容となっています。
[38]
高齢者用の書式の類では、[[令和]]になった今でもまだ[[平成]]生まれの該当者がいないため元号の選択肢が
「大・昭」
のままだったりするようです。
[SEE[ [[改元]] ]]
[REFS[
- [382] [CITE@en-us[Era Handling for the Japanese Calendar - Windows applications | Microsoft Docs]]
(05/31/2018,
[[GrantMeStrength]]著, [TIME[2019-04-28 12:11:48 +09:00]]) <https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/intl/era-handling-for-the-japanese-calendar>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[358] [CITE@en[Japanese calendar era bug - Wikipedia]] ([TIME[2019-04-27 14:43:44 +09:00]]) <https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_calendar_era_bug>
]FIGCAPTION]
>
Since most of the modern age of computing has occurred in the Heisei era, much of the software developed in this era only has support for era names during the Heisei era.[1]
[SNIP[]]
>
1. ^ "Era Handling for the Japanese Calendar - Windows applications". docs.microsoft.com. Retrieved 2019-01-31.
]FIG]
]REFS]
* 研究史
[SEE[ 日本の元号の研究については[[日本の元号]] ]]
* 関連
[68] 明治5年に[[皇紀]] ([[神武紀元]]) が[[明治政府]]により定められました。
[37] [RUBY[[[言語]]][げんご]]とは異なります。
* メモ
[69] ''元号一覧'' <http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/history/gengouichiran.htm>
[70] 新元号にどう対応する?
<http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/tech/1088517469/>
[17] [CITE@ja[「[[日本年号史大事典]]」。 - 無駄話。 - [[Yahoo!ブログ]]]]
( ([TIME[2014-09-01 04:35:44 +09:00]] 版))
<http://blogs.yahoo.co.jp/fm2629/31516567.html>
(移転確認 [TIME[2019-07-27T02:26:11.200Z]])
[CITE@ja[「[[日本年号史大事典]]」。 | 無駄話。]],
[TIME[2014年02月02日 22時09分00秒][2014-02-02T22:09:00]]
([TIME[2019-07-27 11:25:58 +09:00]]) <https://ameblo.jp/fm2629/entry-12469676824.html>
[12] [CITE[中央研究院 兩千年中西曆轉換]]
([TIME[2015-07-20 14:08:52 +09:00]] 版)
<http://sinocal.sinica.edu.tw/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE[元号ユーティリィーGenUtyの詳細情報 : Vector ソフトを探す!]]
([TIME[2016-01-09 22:56:57 +09:00]] 版)
<http://www.vector.co.jp/soft/win95/business/se158684.html>
]FIGCAPTION]
> 元号が関連する計算全般を行います。元号は現在まで連続しているものの最初に当たる「大宝」以降の全てが登録されています。南北朝時代は北朝、南朝のどちらで計算するかを選択できます。
]FIG]
[42] [CITE[DateTime::Format::Japanese - search.cpan.org]]
([TIME[2016-01-09 23:42:55 +09:00]] 版)
<http://search.cpan.org/dist/DateTime-Format-Japanese/lib/DateTime/Format/Japanese.pm>
;; [CODE(perl)[DateTime::Calendar::Japanese::Era]] 利用
[43] [CITE@en[Incorrect Era offset value in Japanese calendar · Issue #87 · jquery/globalize]]
([TIME[2016-01-09 23:44:27 +09:00]] 版)
<https://github.com/jquery/globalize/issues/87>
[REFS[
- [18] [CITE[Amazon.co.jp: 日本年号史大事典: 所 功: 本]]
( ([TIME[2014-09-01 04:32:22 +09:00]] 版))
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4639022964/wakaba1-22/>
]REFS]
[71] [CITE[元号の変わり目・近代編]] <http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20030725>
[72] [CITE[国文学研究範囲の拡大 --- 改元詔書、即位の宣命を論じて昭和二十年の詔書に及ぶ ---]]
([TIME[2014-05-21 08:00:12 +09:00]] 版)
<http://aska-r.aasa.ac.jp/dspace/bitstream/10638/1037/1/0005-031-200803-001-037.pdf>
(消滅確認: [TIME[2019-01-09T03:23:31.900Z]])
[CITE@ja[トップページ - 愛知淑徳大学 知のアーカイブ リポジトリ ASKA-R]] ([[NetCommons]]著, [TIME[2019-01-09 12:23:16 +09:00]]) <https://aska-r.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5914&item_no=1&page_id=37&block_id=59>
[73] ([TIME[2014-08-15 05:01:49 +09:00]] 版)
<http://syoukansei.fan.coocan.jp/jobunn.pdf>
(消滅確認: [TIME[2019-01-09T03:24:42.700Z]])
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[156] [CITE@ja[暦応 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-11 23:13:15 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E5%BF%9C>
]FIGCAPTION]
> なお、江戸時代に柳原紀光が書いた歴史書『続史愚抄』によれば、「暦応」改元の決定を朝廷が室町幕府に伝えなかったために、足利尊氏ら室町幕府の人々が改元の事実を知ったのは9月4日のことであったという。このことは、洞院実夏の『実夏公記』暦応元年8月28日条からも裏付けられる。もっとも、以後においても改元詔書到達後に幕府側の施行手続であった室町殿(将軍)の吉書始と管領の沙汰始が諸般の事情で速やかに行い得ない場合には公武間にて新旧別元号が用いられる場合もあった'''['''1''']'''。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[196] [CITE@ja[平成 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-12 11:41:53 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90>
]FIGCAPTION]
> 大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサを初めとするOAに伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[172] [CITE@ja[治承・寿永の乱 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-29 11:54:44 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E6%89%BF%E3%83%BB%E5%AF%BF%E6%B0%B8%E3%81%AE%E4%B9%B1>
]FIGCAPTION]
> 西暦は元日を宣明暦に変更している
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[308] [CITE[京都府立新総合資料館(仮称) 統合情報システム調達仕様書(案) 平成 25 年4月 京都府立総]]
([TIME[2016-01-15 21:08:38 +09:00]] 版)
<http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:jLMrTmfbCLEJ:www.pref.kyoto.jp/shiryokan/documents/shiryokanrfi_01.pdf>
]FIGCAPTION]
> (1) 和暦改元対応 1) プログラム改修を伴わずに、元号の変更に対応できるシステムとすること。
]FIG]
[314] [CITE[旧暦表示付きカレンダー【Calend Mate】]] ([TIME[2015-10-02 23:11:10 +09:00]] 版) <http://hp.vector.co.jp/authors/VA024411/calendmate/index.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[98] ([TIME[2014-07-10 11:42:37 +09:00]] 版)
<http://www.wave.koeitecmo.co.jp/301arcade02.html>
]FIGCAPTION]
> 「スターフォース」は5904と記録されてます。「SENJYO」は5801ですね。
> 当時テーカン(テクモ)は元号に基づいた開発コードを使っていたみたいです。
> それぞれ昭和59年の1作目と4作目、58年の1作目って意味か。
]FIG]
[360] [CITE[改元詔書]]
([TIME[2016-01-23 13:45:21 +09:00]] 版)
<http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i04/i04_02478_0051/index.html>
[362] [CITE[三正小覧(中国年号和暦西暦対応表)]]
([TIME[1999-12-07 23:51:19 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/sanseishouran.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[370] [CITE@ja[元号 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-23 03:15:30 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]
> 盗難預金通帳を偽造された保険証で本人確認をして銀行が払い戻しをした過失に対する民事訴訟で、銀行側が保険証の生年月日が「昭和元年6月1日」という存在しない日付(上記のとおり、昭和元年は12月25日からの1週間しかない)なのに気が付かなかった過失があるとして敗訴した事例'''['''13''']'''がある。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[371] [CITE@ja[武田の史料]]
([TIME[2015-04-21 12:57:14 +09:00]] 版)
<http://home.d03.itscom.net/p-l514/shiryou.html>
]FIGCAPTION]
> 勝山記
> 別名「妙法寺記」慶長頃の最古写本が南都留郡勝山村の富士御室浅間神社に伝わったことから「勝山記」という。現存本は前後を欠くが、私年号の師安元年(564)より永禄2年(1559)までの記事。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[372] [CITE@ja[異年号(イネンゴウ)とは - コトバンク]]
([[デジタル大辞泉,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,世界大百科事典内言及]] 著, [TIME[2016-01-23 22:32:34 +09:00]] 版)
<https://kotobank.jp/word/%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7-435384>
]FIGCAPTION]
> 元号については,頼朝のときの治承5,6,7年,幕府最末期の元徳3,4年など王朝の元号と異なる元号(異年号)が使用され
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[396] [CITE[gangou of katana]]
([TIME[2008-04-28 21:47:02 +09:00]] 版)
<http://www.nihonto-club.net/genko/gangou.html>
]FIGCAPTION]
> 明治二十二年「大日本帝国憲法」とともに「皇室典範」が
公布され、この制度は明文化された。その第一二条に「践祚ノ後元号ヲ建テ、一世ノ間ニ再ビ改メザルコト、明治元年ノ定制ニ従フ」
と規定した。
> しかし、皇室典範の規定だけでは改元の時期・方法が不明のため、政府は明治四十二年に「登極令」を公布、そこで
「天皇践祚ノ後、直ニ元号ヲ改ム。元号ハ、枢密顧問ニ諮詢シタル後、之ヲ勅定ス。元号ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と規定した。
> 「直ちに改元」という規定は従来と全く異なり、改元は短時間の間に行われなければならなくなった。そして、この規定は大正改元、
昭和改元に適用された。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[398] [CITE@ja[三角縁神獣鏡 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-26 13:45:31 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B8%81%E7%A5%9E%E7%8D%A3%E9%8F%A1>
]FIGCAPTION]
> また、反論側に連なる意見として、「景初は本来4年まで存在したが、魏晋革命に関連して紀年が書き改められ、本来の景初4年は正史では景初3年として記録されるに至った」とする説もある'''['''7''']'''。
> また、景初3年1月1日に明帝が崩御しているため、その翌年が改元せずそのまま景初4年となることはありえないという意見もあるが、景初4年が存在しなければ先帝の命日に正月の祝賀行事を行うことになり、不孝となる。魏朝が景初3年12月の翌月を閏の「後12月」としたのも、新帝の正月と先帝の一周忌を一か月ずらすために景初3年に後12月を制定せざるを得なかった、という経緯がある。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[399] [CITE@ja[景初 - Wikipedia]]
([TIME[2015-12-24 12:36:58 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%88%9D>
]FIGCAPTION]
> 平勢隆郎は、魏書明帝紀には景初改暦時に伴う正月の変更(青龍4年は11月で終わるため)によって本来は存在しない筈の青龍4年12月の記事が実際には存在していることなどを指摘して、景初改暦の際にその暦元として採用された壬辰と同じ辰の年(丙辰)である前年の青龍4年(西暦236年)に遡及させて景初元年としたものの、その後魏晋革命の影響によって元に戻されたために正史の記事に混乱が生じたり、正史に基づけば本来はある筈のない「景初4年」銘の三角縁神獣鏡が存在したりする(同説に基づけば、景初は4年まで存在するため)とした説を唱えている'''['''1''']'''。
]FIG]
[401] [CITE@en[when_exe/epochs.rb at master · suchowan/when_exe]]
([TIME[2016-01-25 01:44:11 +09:00]] 版)