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[1] [DFN[[[ミャンマー]]の[[標準時]]]]は、 [TZ[+06:30]] です。
[49] [[日本の標準時]] [TZ[+09:00]] とは2時間30分の[[時差]]があり、
[[日本]]が進んでいます。
* 呼称
[51] [[ミャンマーの標準時]]は、
[DFN[ミャンマー時間]]、[DFN[ミャンマー標準時]]、
[DFN[ビルマ時間]]、
[DFN[Myammar Time]]、[DFN[Myammer Standard Time]]、
[DFN[MMT]] などと呼ばれています。
[2] [[tzdata]] は [DFN[[CODE[Asia/Rangoon]]]] を定義しています。
* 変遷
[FIG(table)[
[FIGCAPTION[
[15] [[ミャンマーの標準時]]の変遷の概略
]FIGCAPTION]
:t: 時期
:ヤンゴン: [[ヤンゴン]]
:タイ: 旧[[タイ]]領
:モンラー: [[モンラー]]
:t: [TIME[1858][year:1858]]
:ヤンゴン: [TZ[+06:24:47]]
:タイ: [TZ[+06:41:59.[RUBY[3][・]]][+06:41:59.333]]
:t: [TIME[1892][year:1892]]
:ヤンゴン: [TZ[+06:24:47]]
:t: [TIME[1905-07-01]]
:ヤンゴン: [TZ[+06:30]]
:モンラー: [TZ[+06:30]]
:タイ: [TZ[+06:30]]
:t: [TIME[1941-12-24]]
:ヤンゴン: [TZ[+07:30]]
:モンラー: [TZ[+07:30]]
:タイ: [TZ[+07:30]]
:t: [TIME[1942][year:1942]]
:t: [TIME[1943][year:1943]]
:タイ: [TZ[+07:00]]
:t: [TIME[1945-11-28]]
:ヤンゴン: 冬 [TZ[+06:30]] 夏 [TZ[+07:30]]
:タイ: 冬 [TZ[+06:30]] 夏 [TZ[+07:30]]
:モンラー: 冬 [TZ[+06:30]] 夏 [TZ[+07:30]]
:t: [TIME[1992][year:1992]]
:ヤンゴン: [TZ[+06:30]]
:タイ: [TZ[+06:30]]
:モンラー: [TZ[+08:00]]
:t: [[tzdata]]
:ヤンゴン: [CODE[Rangoon][Asia/Rangoon]]
]FIG]
** 英領時代
;; [84] [TIME[1852年][1852]]、第二次[[英緬戦争]]の結果、
[[ビルマ王国]]の半分は[[英領インド]]に併合されました。
;; [41] [TIME[1877年][year:1877]]、[[英領ビルマ]]に[[鉄道]]が敷設されました。
;; [83] [TIME[1886年][1886]]、第三次[[英緬戦争]]の結果[[ビルマ王国]]は滅亡し、
[[英領インド]]に併合されました。
[37] [TIME[1899年][year:1899]]に[[英国政府]]の情報から作られた [[Milne]] の表では、
[[Rangoon]] は[[報時球]]観象台の時刻 [TZ[+06:24:40]] とされています [SRC[>>36]]。
[38] 当時の[[電信]]各社は、各都市の時刻を次のように示していました [SRC[>>36]]。
[FIG(list)[
- [[Akyab]] [TZ[+06:11]]
- [[Bencoelen]] [TZ[+06:49]]
- [[Moulmein]] [TZ[+06:30]]
- [[Rangoon]] [TZ[+06:20]]
]FIG]
[40] [TIME[1904年][year:1904]]の[[英印政府]]文書 [SRC[>>39 が引用]] によると、
当時 ([[英印]]本体の[[鉄道]]とは接続されていなかった) [[ビルマ]]の[[鉄道]]では、
[DFN[Rangoon local time]] [TZ[+06:24:47]] が使われていました。
[[電信]]でもこれが使われていました。
[48]
[[Shanks]] の [[MYANMAR]] は、
[TIME[1880年1月1日0時0分][1880-01-01T00:00]]から [TZ[+06:25]]
としています (それ以前は [[LMT]]) [SRC[>>47]]。
[78] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
元の[[地方時]]を [TZ[+06:24:40]]、 [TIME[1880年][year:1880]]を境に
「Rangoon Mean Time?」 [TZ[+06:24:40]] としていました。
2017年の改訂で、[[英印]]時代の文書 [SRC[>>39]]
を根拠に [[Rangoon local time]] [TZ[+06:24:47]] に改められました。 [SRC[>>77, >>43]]
[42] [TZ[+06:24:40]] は [[Rangoon]] の[[報時球]][[観象台]]の[[経度]]で、
[[Milne]] が出典とされています [SRC[>>77]]。
[44] [TIME[1880年][year:1880]]が何の[[年]]かは不明です。
[111] [TIME[1905年7月][1905-07]]の報告によると、
[[英印]]政府は[[ビルマ]]の鐡道および電信の標準時を
[TZ[+06:30]] としました [SRC[>>110]]。
[24] [TIME[1905年6月30日と7月1日の間の真夜中][1905-06-30T24:00]]、[[鉄道]]と[[電信]]における[[印度標準時]]と[[ビルマ標準時]]が施行されました。
[[印度標準時]]は、 [[Madras時間]]より9分早い時間でした。
[[ビルマ標準時]]は、 Rangoon 時間より5分23秒早い時間でした。 [SRC[>>23]]
[8] つまり元の Rangoon 時間は [TZ[+06:35:23]] ということになります。
>>78 とは逆なので、実際は5分23秒遅い時間だったとすると、
[TZ[+06:24:37]] ということになります。
;; [45] [[英印]]の[[標準時]]実施の経緯については、[[印度の標準時]]を参照。
[269] [TIME[1905年][year:1905]]末の時点で、
[[ビルマ]]の[[標準時]]は [TZ[+06:30]] だったといいます [SRC[>>268]]。
-*-*-
[79]
[[Shanks]] の [[MYANMAR]] は、
[TIME[1920年1月1日0時0分][1920-01-01T00:00]]から [TZ[+06:30]]
としています [SRC[>>47]]。
[[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1920年][year:1920]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
根拠は不明です。
[95] [TIME[1920年/大正9年][year:1920]]の[[日本]]の資料は、[[蘭貢]] ([[ラングーン]])
の[[時差]]を [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>94]]。
;; [96] [TIME[1937年][year:1937]]、[[英領ビルマ]]は[[英領印度]]から分離されました。
[6] [TIME[1941年12月21日 (日曜日)][1941-12-21]] 付け[[新聞記事]]によると、
戦時下を理由に[[ビルマ時間]]水曜日午前2時0分に1時間進めて[[日光節約時刻]]を実施することとしました [SRC[>>5, >>7]]。
つまり[TIME[1941年12月24日2時0分][1941-12-24T02:00+06:30]]に [TZ[+07:30]]
に移行したものと思われます。
[20] これがいつ[[標準時]]に復帰したのか (しなかったのか) は不明です。
[REFS[
- [36] [CITE[The Geographical Journal, for February 1899.]] [[時差の表]]
- [39] [[[CITE[The Indian Year Book]] - [CSECTION[Indian Time.]]]]
- [43] [CITE@en[Use railway time for India from 1870-1941]] ([[Paul Eggert]]著, [TIME[2017-04-21 00:48:26 +09:00]]) <https://github.com/eggert/tz/commit/8a0193f3ccd70bd989424cb3154488b9f23c72de>
]REFS]
** 独立国時代
;; [86] [TIME[1942年3月8日][1942-03-08]]、[[ビルマ独立義勇軍]]と[[日本軍]]は[[首都]]の[[ラングーン]]を制圧しました。
[TIME[1943年5月][1943-05]]には、[[ビルマ]]全体を制圧しました。
これにより[[英領ビルマ]]は一旦滅亡しました。
[80]
[[Shanks]] の [[MYANMAR]] は、
[TIME[1942年5月1日0時0分][1942-05-01T00:00]]から [TZ[+09:00]]
としています [SRC[>>47]]。
[[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1942年5月][1942-05]]を境に [TZ[+09:00]] としています [SRC[>>77]]。
根拠は不明です。
;; [52] [TIME[1942年6月4日][1942-06-04]]、
[[大日本帝国]][[南方占領地]][[ビルマ]]で[[軍政]]が施行されました。
[14] [TIME[1943年][year:1943]]、東部の一部 (旧[[タイ]]領土) が[[タイ]]に割譲されました。
この地域では[[タイの標準時]] [TZ[+07:00]] に切り替えられた可能性があります。
;; [85] [TIME[1943年 (昭和18年) 8月1日][1943-08-01]]、[[ビルマ国]]が独立しました。
[100]
[[日本]]で[TIME[昭和13年/1938年][year:1938]]に発行された[TIME[昭和14年][year:1939]][[暦]]から[TIME[昭和18年/1943年][year:1943]]に発行された[TIME[昭和19年][year:1944]][[暦]]では、
[[緬甸]]は [TZ[+06:30]] となっています [SRC[>>106]]。
ただし戦時中 [TZ[+09:00]] が用いられたことが知られている他の地域も、
開戦前の[[時間帯]]のままで記載されていますから、実態を反映しているのかどうかは不明です。
[18] [[Wikipedia]] の[[ビルマ国]]記事は、[[時間帯]]を [TZ[+06:30]]
としています [SRC[>>17]]。しかしその根拠は示されていません。
[19] [[tzdata]] は[[東南アジア]]の他の地域と同様に戦時中に [TZ[+09:00]]
が使われていたとしていますが、出典は示していません。[[日本軍]]は共通の[[軍用時]]を
[TZ[+09:00]] と定めていましたから、おそらく[[ビルマ]]の部隊もそれを用いていたのでしょうが、
[[ビルマ]]の[[標準時]]が [TZ[+09:00]] に改められたのかどうかはまた別の問題です。
[[日本軍]]の[[英領ビルマ]]への進攻は、[[ビルマ]]の独立勢力と共に行われたもので、
実際1年後に[[軍政]]を終了して[[ビルマ国]]として独立しています。
[[ビルマ国]]では[[西暦]]にかえて[[ビルマ暦]]を推進する動きこそあれ、
[[日本の元号]]や[[皇紀]]は (現地人は) 使わなかったようです ([[ビルマ暦]]参照)。
[[日本]]の[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] が使われたとする根拠は今のところ不明です。
;; [87] [TIME[1945年3月27日][1945-03-27]]、[[ビルマ国民軍]]が[[クーデター]]を起こしました。
;; [88] [TIME[1945年5月2日][1945-05-02]]、[[英軍]]が[[ラングーン]]を制圧しました。
[81]
[[Shanks]] の [[MYANMAR]] は、
[TIME[1945年5月3日0時0分][1945-05-03T00:00]]から [TZ[+06:30]]
としています [SRC[>>47]]。
[[tzdata]] の [CODE[Asia/Rangoon]] は、
[TIME[1945年5月3日][1945-05-03]]を境に [TZ[+06:30]] としています [SRC[>>77]]。
実際にそのような布告があったのか、戦況からの推測日なのかは不明です。
[10] [TIME[昭和20年10月8日][1945-10-08]]の[[ビルマ]]方面に展開していたらしき部隊に対する[[日本軍]]内文書には、
[[英軍]]からの指示が「[[印度時間]]」で記述されています [SRC[>>9]]。
詳しい事情は不明ですが、[[英印軍]]が[[ビルマ]]に進駐し、
作戦行動に[[印度時間]]を用いていたのでしょうか。
[[印度]]では[TIME[14日][1945-10-14]]まで戦時夏時刻 [TZ[+06:30]]、
[TIME[15日][1945-10-15]]から標準時 [TZ[+05:30]]
が用いられたようですが、この「[[印度時間]]」がいずれなのかは不明です。
;; [16] [[タイ]]領となっていた[[英領ビルマ]]の旧[[タイ]]領地域は、再び[[英領ビルマ]]となりました。
[288] [CITE[THE BURMA CODE VOLUME IV]] には、 [TIME[1945年11月28日][1945-11-28]]の
[CITE[[RUBYB[1945年ビルマ日光節約法]@en[Burma Daylight Saving Act, 1945]]]]
が収録されています [SRC[>>287]]。[[官報]]での[[告示]]により、
[[ビルマ標準時]]より1時間進んだ[[夏時刻]]を実施できる、と規定されています。
;; [289] 実際に[[夏時刻]]がいつ実施されたのかは不明です。
;; [89] [TIME[1948年][year:1948]]、[[ビルマ連邦]]が独立しました。
その後[[ビルマ連邦社会主義共和国]]、[[ビルマ連邦]]を経て[[ミャンマー連邦]]となりました。
[12] 1974年には、[[ビルマ]]の[[大統領]]が[[マレーシア]]を訪問し、
[[空港]]で1時間進めた、との記事があります [SRC[>>11]]。当時の[[マレーシアの標準時]]は
[TZ[+07:30]] で、[[ビルマの標準時]]は [TZ[+06:30]] です。
-*-*-
[298] [TIME[1992年2月19日][1992-02-19]]制定の1992年[[国家法令復古評議会]]法律第1号
[CITE[[RUBYB[法律群を廃止する法律]@en[The Law for the Repeal of Laws]]]]
には[CITE[[RUBYB[ミャンマー日光節約法]@en[The Myanmar Daylight Saving Act]]]]
が挙げられています [SRC[>>297]]。長年未使用で今後も予定がないため廃止する[[法令]]の一覧にあり、
[CITE[1945年ビルマ日光節約法]]を指している [SRC[>>4]] ようです
([[国名]]改正時に[[法律]]名も[[改正]]されているのでしょう)。
[91] 現在の[[ミャンマー]]政府は、[LON[東経97度30分][97.30E]]の時刻 ([TZ[+06:30]])
が[[標準時]]と説明しているようです [SRC[>>90, >>92]]。
[54] [[ASEAN]] では[[ASEAN標準時]] [TZ[+08:00]] の制定が提案されていますが、
1時間30分の[[標準時]]変更となる[[ミャンマー]]は反対しています。
;; [[東南アジアの標準時]]を参照。
[REFS[
- [23] [CITE@en-GB[The China Mail, 1905-06-22 - MMIS]] ([TIME[2016-07-09 22:40:05 +09:00]]) <https://mmis.hkpl.gov.hk/coverpage/-/coverpage/view?p_r_p_-1078056564_c=QF757YsWv59DctgXZxe9o04vhIeAClRn&_coverpage_WAR_mmisportalportlet_hsf=standard+time>
- [110] [CITE[印度新標準時採用]] (地学雑誌 Vol. 17 (1905) No. 9 P 683, [TIME[2016-05-02 19:32:05 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/17/9/17_9_683/_article/-char/ja/>
- [268] [CITE[世界に於けるグリニチ子午線を基礎とせる標凖時採用の現况]] (地学雑誌 Vol. 18 (1906) No. 10 P 689-695, [TIME[2016-06-20 20:51:41 +09:00]]) <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/18/10/18_10_689/_article/-char/ja/>
- [94] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 海事年鑑. 大正9年]] ([TIME[2016-04-04 23:23:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933094/17>
- [5] [CITE[Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING IN BURMA - The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser (1884-1942), 22 December 1941, Page 1]] ([TIME[2016-07-09 01:01:24 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19411222-1.2.16.aspx>
- [35] [CITE[21.昭和19年3月4月北部緬甸東部印度に於ける月出没時刻、月齢表 昭和19年2月21日]] ([[アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records]] 著, [TIME[2016-10-24 01:41:59 +09:00]] 版) <https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14060352900>
-- [[日本軍]]内部資料ですが、[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] を使っていると明記されています。
- [9] [CITE[策参第26号 集結地外行動制限に関する件通牒 昭和20年10月8日 等]] ([[アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records]]著, [TIME[2016-10-17 22:56:42 +09:00]]) <https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14060358500>
-- [21] 旧 [CITE[策参第26号 集結地外行動制限に関する件通牒 昭和20年10月8日 等]] ([TIME[2016-07-31 16:38:01 +09:00]]) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C14060358500>
- [7] [CITE[Newspaper Article - BURMA DAYLIGHT SAVING]] ([TIME[2016-07-09 01:06:19 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19411222-1.2.30.aspx>
- [106]
-- [105] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和14年]] ([TIME[2016-04-05 01:18:04 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255562/26>
-- [104] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和15年]] ([TIME[2016-04-05 01:15:31 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1255573/26>
-- [103] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和16年]] ([TIME[2016-04-05 01:13:30 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184177/27>
-- [102] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和17年]] ([TIME[2016-04-05 01:11:48 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184172/26>
-- [101] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和18年]] ([TIME[2016-04-05 01:02:50 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184175/27>
-- [97] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 暦. 昭和19年]] ([TIME[2016-04-05 00:55:37 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184173/26>
- [17] [CITE@ja[ビルマ国 - Wikipedia]] ([TIME[2016-08-27 23:36:51 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E5%9B%BD>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[287] [CITE[THE BURMA CODE VOLUME IV]] ([TIME[2013-09-20 02:17:03 +09:00]]) <http://www.unionsupremecourt.gov.mm/sites/default/files/supreme/the_burma_code_vol-iv.pdf#page=161>
]FIGCAPTION]
>
[BOX(center)[
[B[THE BURMA DAYLIGHT SAVING ACT]]. *
[SPAN[[]]B[SMALLCAPS[urma]] A[SMALLCAPS[ct]] XXX, 1945.] (28th November 1945.)
]BOX]
> W[SMALLCAPS[hereas]] it is expedient in the interest of public health and welfare
that provisions should be made to enable the time for general purposes to be
advanced periodically by an hour:
> * * * *
> It is hereby enacted as folllows:―
= This Act may be called the Burma Daylight Saving Act, 1945.
= The President of the Union may, by notification in the [CITE(italic)@en[Burma Gazette]],
order that, for the duration of a term specified therein, the time for
general purposes shall be one hour in advance of the Burma Standard Time.
= Whenever any reference to a point time occurs in any enactment,
order, regulation, rule, by-law, deed, notice or any other document, the time
referred to shall, during the period specified under section 2, be deemed to
be the time for general purposes.
> * Published in J.di.ial Department Notification No. 69, dated the 28th November 1945
([CITE(italic)@en[Burma Gasette]], 1945 Part I, page 42).
]FIG]
- [13] [CITE[Burma Daylight Saving Act 1945]] ([TIME[2016-05-22 20:14:30 +09:00]]) <http://www.asianlii.org/mm/legis/code/bdsa1945215/>
- [4] [CITE[The Burma Daylight Saving Act | ျပည္ေထာင္စု သမၼတ ျမန္မာႏိုင္ငံေတာ္]] ([TIME[2017-11-05 12:55:58 +09:00]]) <http://www.myanmarconstitutionaltribunal.org.mm/lawdatabase/my/content/burma-daylight-saving-act>
- [11] [CITE[Newspaper Article - BANG ON TIME AN HOUR 'BEHIND']]
([TIME[1974年5月25日][1974-05-25]]、[TIME[2016-07-31 16:48:55 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19740525-1.2.149.aspx>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[297] [CITE[The State Law and Order Restoration Council The Law for the Repeal of Laws (The State Law and Order Restoration Council Law No. 1/92) The 1st Waning Day of Tabodwe, 1353 ME (19th February, 1992)]]
( ([TIME[2016-05-22 20:16:14 +09:00]]))
<http://www.asianlii.org/mm/legis/laws/lftrollaorcln192657.pdf>
]FIGCAPTION]
> (70) The Myanmar Daylight Saving Act;
]FIG]
- [47] [[Shanks]] (2003)
- [77] [CITE@en[tz/asia at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-04-04 21:52:20 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/asia#L270>
- [90] [CITE@en[Myanmar Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia]] ([TIME[2016-03-20 19:49:50 +09:00]] 版) <https://en.wikipedia.org/wiki/Myanmar_Standard_Time>
- [92] [CITE@my[မြန်မာ စံတော်ချိန် - ဝီကီပီးဒီးယား]] ([TIME[2016-03-04 22:37:54 +09:00]] 版) <https://my.wikipedia.org/wiki/%E1%80%99%E1%80%BC%E1%80%94%E1%80%BA%E1%80%99%E1%80%AC_%E1%80%85%E1%80%B6%E1%80%90%E1%80%B1%E1%80%AC%E1%80%BA%E1%80%81%E1%80%BB%E1%80%AD%E1%80%94%E1%80%BA>
]REFS]
* モンラー
[32] [[中緬国境]]の[[ミャンマー]]側の[[都市]][[モンラー]]は、
[[中央政府]]の統治がほとんど及ばず、共産主義者の支配下にある状態が続いています。
中国人観光客で賑わい経済的には中国との結び付きが強く、
主として[[中国]]の時刻 [TZ[+08:00]] が用いられているようです。
[SRC[>>28, >>29, >>30 (2009年), >>31 (2010年), >>27 (2016年)]]
;; [33] いつからかは不明ですが、中国人観光客目当てのカジノのために街が作られた [SRC[>>31]]
ということですから、比較的最近かもしれません。
国境ゲートである[[打洛口岸]]が開設されたのは[TIME[1991年][year:1991]]です。
[[リゾートタイム]]の一種とも言えますが、街全体で [TZ[+08:00]] が使われているようです。
;; [46] 逆に[[中華人民共和国]]内でも[[ミャンマーの標準時]]が使われる場合があります。
[[中国大陸の標準時]]を参照。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27] [CITE@en[ミャンマー・中国国境のカジノタウンへ行ってみた(1) | 世界ガイド 世界中のニュースをお届け]]
(2016年8月25日 [[世界ガイド]]著, [TIME[2016-10-18 00:10:07 +09:00]])
<http://sekaiguide.com/post/1353/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%81%9F%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89>
]FIGCAPTION]
> モンラーはシャン州の中でも”シャン州東部第四特区”という、まさにスペシャルゾーンになっています。
> その特徴は・・・
> ・掸邦東部民族民主同盟軍という軍閥(元はビルマ共産党)が実行支配している
> ・中国時間を適用している(ミャンマー時間とは1.5時間差)
> ・携帯電話の電波も中国のキャリア
> ・インターネットも中国域内扱いになるのでFacebookなどには基本的につながらない
> ・中国人民元が通用しており、ミャンマー通貨は基本的に使えない(両替所もないので米ドルなどの外貨からの両替も難しい)
> ・使用言語も中国語(ミャンマー語やタイ語を理解する人も探せばいる)
> という、ミャンマー領内でありながら、まるで中国な場所なのです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28] [CITE@ja[モンラー (ミャンマー) - Wikipedia]]
([TIME[2016-10-09 03:49:33 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%BC_(%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC)>
]FIGCAPTION]
> ミャンマー領でありながら、電力や携帯電話通信は中国から提供され、北京標準時間も併用、通貨としてチャットの他、人民元も流通している'''['''1''']'''。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29] [CITE@zh[边城勐拉,中缅交界处的法外之地 - 纽约时报中文网 国际纵览]]
([TIME[2016-10-18 00:17:18 +09:00]])
<http://cn.nytimes.com/asia-pacific/20140226/c26myanmar/>
]FIGCAPTION]
> 勐拉用的是北京时间,比缅甸其他地方要早90分钟。当地的移动电话和电力都由中国提供。在小镇上的赌桌前、街边的妓院和川味餐厅里,人民币是唯一认可的货币,而不是缅元。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[30] [CITE@ja[♂3+Α―⑤中国の「歓楽賭博特区」モンラー ( アジア ) - いたたた・・タイ - Yahoo!ブログ]]
(2009/11/25(水) 午後 5:02 [TIME[2016-10-18 00:19:47 +09:00]])
<http://blogs.yahoo.co.jp/hsm88452/40432395.html>
]FIGCAPTION]
> 文字でわかる様に町は中国一色、通貨は元、言葉は中国語、来客者はもちろん従業員も中国人。
> したがってホテルの時計も上が北京時間、下がミャンマー、フロントの女性は英語も出来ない中国人、ホットもアイスもマッサージ・クリーニングさえ通じない、中国人以外のお客は来ないことが前提なんだろう。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[31] [CITE@ja[【ミャンマー】 モンラー ( アジア ) - あじあのたび - Yahoo!ブログ]]
(2010/2/9(火) 午前 0:28 [TIME[2016-10-18 00:21:08 +09:00]])
<http://blogs.yahoo.co.jp/ebey/50181858.html>
]FIGCAPTION]
> 中緬国境に忽然と現れるカジノと歓楽街。中国人観光客を当て込んで、水田をつぶして建設された。ミャンマーの他の地域の電力事情は非常に悪いが、ここは中国からの電力が24時間途切れない。住民は圧倒的に中国からの出稼ぎ者が占め、中国通貨が流通し、北京時間で生活する。
> モンラーは東シャン州軍という軍閥の支配地域らしい。コーカン地区にも国境を接した場所にカジノ街があるそうで、このモンラーとノウハウを共有していると思われる。昨年ミャンマー治安部隊がコーカン地区を急襲したが、その時逃れたコーカンの親玉はワ州にかくまわれているという噂もある。東シャン州軍とアヘンで財を成したワ州やコーカン地区は連んでいるらしい。三勢力はミャンマー政府とは表向き友好関係を結んでいるが、近い将来まとめて政府の締め付けにあうと予想します。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[34] [CITE@ja-jp[MERAC - 森と山の中のアジアのラスベガス、モンラ]]
(出所:7Day News Journal,20.5.15 [[Ebashi]]著, [TIME[2016-10-18 01:04:15 +09:00]])
<http://www.meracyangon.com/localnews/374-monla-is-asian-lasvegas>
]FIGCAPTION]
> ミャンマーの第4特別自治区であるモンラ(東シャン州)はNDAA (National Democratic Alliance Army)軍が管理している。
> 指導者はリンミンション、ミャンマー名はU Sai Lin(中国の元軍人、1960年以後にビルマ共産党を支援するため、中国政府から派遣され、そのままミャンマーに移住)である。
> モンラは、シャン州のKyaington市から90キロ(56マイル)、タイのMessai から256キロ(160マイル)、ダロウン川の対岸には雲南省がある。時間設定は中国時間と同じで、ミャンマーより1時間半早い。
]FIG]
]REFS]
* タイ国内難民キャンプ
[53] [[タイ]]国内にある[[ミャンマー]]からの[[難民キャンプ]]については、
[[タイの標準時]]を参照。
* 関連
[3] [[東南アジアの標準時]]、[[印度の標準時]]、[[タイの標準時]]も参照。
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] [CITE[「果てのないカレンの武装抵抗」-ビルマ(ミャンマー)辺境 3 Yuzo's Photo World Reportage Page Karen Story 3]]
([TIME[2008-07-21 18:20:15 +09:00]])
<http://www.uzo.net/report/repo_txt_j/karen/karen_3.htm>
]FIGCAPTION]
> 時計はほとんど役に立たない山の生活だが、
国境を越えた習慣として腕時計を30分遅らせ、ビルマ時間に合わせる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[25] [CITE[ビルマ作戦(大東亜戦史 タイ進駐開始からビルマ軍政施行まで) (陸軍省企画 朝日新聞社発行 昭和17年11月刊) 航空部隊の作戦(ビルマ作戦4)]]
([TIME[2016-01-18 08:58:30 +09:00]])
<http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/burma/burma4.htm>
]FIGCAPTION]
> 三月二十一日を期して荒鷲は一斉に決起、二十二、二十三の三日間猛烈な航空撃滅戦をやった。
> 敵は全くわが罠にかかった。大胆な、しかし確実な、昼間奇襲だった。
> わが荒鷲は昼食を十分食べて出動したが、ビルマ時間は二時間四十分遅れているので、彼等はちょうど昼飯時だった。
]FIG]
[50] [[中央標準時]] [TZ[+09:00]] と2時間40分の[[時差]]があると
[TZ[+06:20]] ということになります。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26] [CITE@ja[ミャンマーと韓国の時差って、2時間 38分だったっけ? | From Yangon]]
([TIME[2016-10-18 00:08:23 +09:00]])
<http://melt-myself.com/myanmar-korea-time-difference20151017>
]FIGCAPTION]
> ヤンゴンのダウンタウン中心にある
スーレーパゴダのすぐ近くにお店があります。
> デカデカと掲げられた看板が目立ちます。
> ふと、歩いていると、そこに
ミャンマー時間 と 韓国時間 が表示されてます。
これだけでも随分な 韓国の宣伝 になるなぁ。
> なんて思いながら、目をやると
ん?! なんでやねん、、、
という違和感を。
> ミャンマーと韓国の時差って?
MYANMAR TIME 11:39
KOREA TIME 14:17
えーっと時差は、、、
計算しづらいわ。
> たぶん 2時間 38分の時差。笑
> なんだか、せっかくの表示なのに
狂ってるって残念過ぎる。
]FIG]