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[9]
[DFN[福安]]は[[室町時代]]の[[日本の私年号]]の1つです。
[10]
福安元年は[TIME[文安元(1444)年][1444]]と推測されます。
[11]
唯一知られる用例があるのは現存最古の備前焼年号壷とされ、美術系の書籍で紹介されたり、
美術館の展覧会で展示されたりしているようです。
[1] [CITE@ja[備前四耳大壺/赤磐市]], [TIME[2022-12-13T23:54:01.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:06:14.425Z]] <https://www.city.akaiwa.lg.jp/bunkazai/ichiran/shitei/kuni/1970.html>
>胴の銘文にある福安元年は私年号とみられるが、甲子の干支、壺の形態などからみて、文安元年(1444年)と考えられている。
[2] [CITE[国指定文化財等データベース]], [TIME[2022-12-24T08:06:39.000Z]] <https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/7266>
>画賛・奥書・銘文等 : (篦書銘)
> 「石井原山之/橋本坊之/常住物也/歳次/福安元年三月廿三日/甲子/作者伊部村/釣井衛門太郎(花押)」
>銘文中の「石井原山」とは現在でも千光寺の山号として用いられており、「橋本坊」は千光寺の一塔頭であった。「福安」の年号については該当する年号がないが、私年号の中には永仁を永福、延徳を福徳と吉祥文字に置きかえる例もあったことや、甲子の干支、壺の形式の特徴からして、文安元年(一四四四)のことと考えられる。
[3] [CITE@ja[図録/備前焼-千年の伝統美/古備前-茶碗.茶入.水指.徳利.擂鉢.他/人間国宝-金重陶陽.藤原啓.山本陶秀/金重素山.金重道明.隠崎隆一.他/茶道(酒器)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-12-24T08:10:21.000Z]] <https://aucview.com/yahoo/o437640592/>
>●●「備前焼・千年の伝統美」・展・・・●●
>―”1997-1998”―
> ◆山陽新聞社・1991~1992。
>
[PRE[
◆6・備前四耳壺・(福[文]安元年[1444]銘)。
・重要文化財。
・室町時代。
・千光寺。
★胴周囲に・「石井原山之 橋本功之 常住物
也 歳次 福安元年三月廿三日 甲子 作者
伊部村之 釣井衛門太郎・(花押)」・と銘
文が刻まれ・千光寺に550年以上守り伝え
られたことがわかる。
]PRE]
[8] [CITE@ja[刻銘を有する中世陶器(Ⅳ. 政治史と生活史)]], [[吉岡 康暢]], [TIME[1991-11-11]], [TIME[2016-04-01]], [TIME[2022-12-24T08:18:41.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=41&item_id=528&item_no=1>
#page=15
私年号 文安元年
千光寺僧(使用者)の発意か周辺で使われたのか不明、
作者の創案の可能性も
#page=43 白黒写真 (解像度と白黒のため字形の認識が難しい)
[4] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7962393> (非公開)
>日本の美術 (236)
>雑誌
>至文堂 編[他] (ぎょうせい, 1986-01)
>
全 4 件の該当箇所
>10: 也」とあり、福安元年三月廿三日の記
>40: 四耳大壺もその一例。福安元年(文安元年のことであろう。一四四四)の年紀と橋本坊の什物であったこと
>44: 古陶館·三四耳大壺(福安元年銘十五世紀備前高六三·〇cm)千光寺·····一四 17 自然釉大壺常滑(十五世紀高四二·二cm
>45: 古田四耳大壺及び銘(福安元年銘岡山県山陽町千光寺伝世高六三·〇cm)千光〓会三自然釉大壺備前(十五世紀
[5] [CITE@ja-JP[陶説 (448)]], [[日本陶磁協会]], [TIME[1990-07]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:14:22.490Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7912435/1/31> (要登録)
私年号 文安元年
[6] [CITE@ja-JP[和気郡史 資料編 下巻]], [[和気郡史編纂委員会]], [TIME[1983.8][1983]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:16:19.514Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575471/1/662> (要登録)
議論の末、現在では文安と決定した
[7] [CITE[R2_report.pdf]], [TIME[2021-09-19T02:11:38.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:17:16.937Z]] <https://okayama-kenbi.info/kenbi/wp-content/uploads/2021/09/R2_report.pdf#page=47>
>
,博10 ,重文 ,壷(古備前四耳大壷) ,1, W44.8×H62.8 ,福(文)安元(1444)年 ,銘[BR[]]「石井原山之[BR[]]橋本坊之[BR[]]常住物也[BR[]]歳次 福安元年[BR[]]三月廿三日 甲子[BR[]]作者伊部村之[BR[]]釣井衛門太郎[BR[]](花押)」,千光寺[BR[]](県博寄託)
[12]
[[公年号]]の[[文安]]の[[別名][異年号]]とするのが定説で、特に異論も提出されていないようです。
[13]
意図的な改変か否かは十分議論されていないように見えますが、検討の必要があるでしょう。
[15]
[CITE[Google Books]] で探すと文安の誤りかとしている美術系の書籍もあるようです。
それもあまりしっかり検討しているようには見えませんが。
[14]
[TIME[嘉吉4(1444)年2月5日][kyuureki:1444-02-05]]に[[文安]]改元