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315
[1]
[[満州国]]を継承すると自称する団体[[満洲国臨時政府]]は、
[[満州国]]の[[標準時]]や[[元号]]などを使っています。
[226]
[[満洲国臨時政府]]は[[満州国]]を名乗っていますが、
かつての[[満州国]]政府や、
[[満州国]]帝室との関係は'''無く'''、
[[満州族]]を代表する性質も'''な'''ければ、
[[満州]]地域の拠点も有して'''いない'''ようです。
[[亡命政府]]としての正統性も疑わしく、
単なる[[ミクロネーション]]風[[政治団体]]といったところでしょうか。
[3]
従って本項で紹介する[[日時制度]]は、
[[満洲国臨時政府]]なる団体の構成員や支持者の間でのみ通用するものです。
[[満洲国臨時政府]]は、
[[日本]]や[[香港]]などで活動しているようです。
* 紀年法
[5]
[[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]は、
本来の[[満州国]]の[[元号]]である[[大同]]と[[康徳]]も[[元号]]一覧に示しています。
[SRC[>>4]]
[SEE[ [[満州国の元号]] ]]
[6]
[[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]は、
本来の[[満州国]]の解散後、
[[満洲国臨時政府]]設立前の、
[TIME[西暦1945年8月19日][1945-08-19]]-[TIME[西暦2003年][year:2003]]について、
[[元号]]を示していません。
[SRC[>>4]]
;; [20] [[Webサイト]]の履歴をたどっていくと、
当初、当時の[[満洲国臨時政府]]の制度を説明する際に、
過去の[[満州国]]の制度もあわせて説明した [SRC[>>19]]
ことがわかります。
その後の[[改元]]でこれをベースに書き換えていった結果がこの体裁のようです。
-*-*-
[7] [[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]によると、
[TIME[西暦2004年][year:2004]]の[[満洲国臨時政府]]成立後、
[TIME[西暦2008年][year:2008]]まで、
[RUBY[[[宣統]]][せんとう]] [SRC[>>19]] の[[元号]]を使いました。
[SRC[>>4]]
[[宣統]]は[[清国]]最後の[[元号]]で、
空白期を経て再開された[[延長年号]]です。
[22]
現在確認できる最古の[[宣統]]の用例は
「宣統九十七年四月十六日」
([TIME[西暦2005年4月16日][2005-04-16]])
で、
[TIME[西暦2006年12月][2006-12-10]]時点の
[[Webページ]]の履歴にみえます。
[SRC[>>17]]
[21]
[TIME[西暦2007年][year:2007]]当時の[[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]は、
「宣統(せんとう)を用いる。(西暦2008年は宣統100年である)」
とし、
「我が政府は「かつての満洲国のみ」を引き継いだのではない。そこで清朝末の元号であり、現在の元首である宣統帝即位の年を元年とする元号を採用した。」
と説明していました。
[SRC[>>19]]
「のみ [SNIP[]] ではない」
が何を指しているのか不明です。
[[ロシア領外満州]]の領有も主張している部分でしょうか。
[23]
確認できる最後の用例は、
「宣統一百年三月三十一日」
でした
[SRC[>>18]]。
-*-*-
[16]
[DFN[[RUBY[復光][ふくこう]]]] [SRC[>>4]] は、
[TIME[西暦2008年4月10日][2008-04-10]]-[TIME[西暦2010年4月30日][2010-04-30]]に使われた[[元号]]でした。
[13]
復光元年四月十日、
新皇帝が即位し、
[[復光]]に[[改元]]しました
[SRC[>>18]]。
[15]
[DFN[[RUBY[昊徳][こうとく]]]] [SRC[>>4, >>12]] は、
[TIME[西暦2010年5月1日][2010-05-01]]-[TIME[西暦2011年4月11日][2011-04-11]]に使われた[[元号]]でした。
復光三年四月十七日に制定され [SRC[>>12]] (理由は新皇帝即位)、
昊徳元年五月一日をもって施行[[改元]] [SRC[>>12]] されました。
-*-*-
[8]
[[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]によると、
[[満洲国臨時政府]]は、
[TIME[西暦2011年4月12日][2011-04-12]]から、
[[西暦]]を使うようになりました。
[SRC[>>12]]
理由は[[清国]]の復興を主張する団体らしい[[大清復国組織]]との併合を前日[TIME[昊徳二年四月十一日][2011-04-11]]に決定したためのようです。
[[Webサイト]]の表記は
「[TIME[2011年4月12日][2011-04-12]]」 [SRC[>>12]]
となりました。
[279]
[[満洲国臨時政府]]の [[Webサイト]]の[TIME[西暦2019年1月1日][2019-01-01]]付け記事には、
「西暦2019年、己亥猪年が到来し、」とあり、[[西暦]]と共に[[干支年]]・[[十二支年]]が併記されました
[SRC[>>278]]。
[11]
[[満洲国臨時政府]]の発行する[[カレンダー]]には、
[[西暦年]]と[[干支年]]が表記されました。 [SRC[>>10]]
-*-*-
[9]
[[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]によると、
[[満洲国臨時政府]]は、
[TIME[西暦2019年3月7日][2019-03-07]]から、
[[西暦]]に加えて[[康徳]]の[[元号]]を併記するようになりました。
[SRC[>>4]]
この[[康徳]]は、
本来の[[満州国]]の解散前最後の[[元号]]で、
空白期を経て再開された[[延長年号]]です。
[280] [[満洲国臨時政府]]の
[[Webサイト]]の[TIME[西暦2019年(康徳86年)3月1日][2019-03-01]]付け記事
(建国祭) から、[[西暦]]に[[康徳]]の[[元号]]が併記されるようになりました。
[SRC[>>278]]
[277] [[満洲国臨時政府]]の機関紙とみられる
[CITE@ja[滿洲時報]]
は、「漢文版」、「日本語版」ともに
「西暦2018年11月23日」
のように[[日付]]を表記していました
(一時は両版とも「金曜日」と「星期五」を併記、
その後漢文は星期、日本語は曜日のみに変更) が、
「西暦2019年(康徳86年)4月4日」
のように[[康徳]]の[[元号]]が併記されるようになりました。
[SRC[>>276]]
[24]
[[元号]]復活の理由は明記されていませんが、
時期柄明らかに[[日本]]の[[令和改元]]に影響されたものです。
改元時には祝福コメントを発表し [SRC[>>278]]、
機関紙 [CITE[滿洲時報]]
にも記事を掲載するなど関心を示していました。
[REFS[
- [17] [CITE@zh-tw[歡迎光臨[[滿洲國臨時政府]]網站]], [TIME[2020-02-03 21:12:00 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20061210022226/http://www.manchukuo.org/>
- [18] [CITE[歡迎光臨[[滿洲國臨時政府]]首頁]], [TIME[2020-02-03 21:16:00 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20090416233043/http://www.manchukuo.org/>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[19] [CITE@ja[日本語版?洲?臨時政府??????]], [TIME[2020-02-03 20:58:50 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20070911044431/http://www.manchukuo.org/index31.htm>
]FIGCAPTION]
>宣統(せんとう)を用いる。(西暦2008年は宣統100年である)
>かつての満洲国では以下の元号を立てた。
>大同(西暦1932年3月1日-1934年2月29日)
>康徳(西暦1934年3月1日-1945年8月18日)
>しかしながら我が政府は「かつての満洲国のみ」を引き継いだのではない。そこで清朝末の元号であり、現在の元首である宣統帝即位の年を元年とする元号を採用した。
]FIG]
- [14] [CITE@ja[[[満洲国臨時政府]] - [[Enpedia]]]], [TIME[2020-02-03 12:57:28 +09:00]] <https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD%E8%87%A8%E6%99%82%E6%94%BF%E5%BA%9C>
]REFS]
* 標準時
[218]
[[満洲国臨時政府]]は、
かつての[[満州国]]の[[勅令]]に基づき、 [TZ[+09:00]] を[[標準時]]と定めています
[SRC[>>204]]。
* 祝日
[254] [[満洲国臨時政府]]の発行する[[カレンダー]]には[[農暦]]による[[祝日]]が記載されているようです
[SRC[>>10]]。
[2]
[[農暦]]計算の根拠となる[[時刻]]は不明です。
[SEE[ [[農暦]] ]]
[REFS[
- [10] [CITE@ja[満洲国の記念品]], [TIME[2019-08-07 06:51:56 +09:00]] <http://www.manchukuo.net/index37j.htm>
]REFS]
* 関連
[SEE[ 本来の満州国の制度については[[満州の標準時]] ]]
* メモ
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[204] [CITE@ja[満洲国臨時政府公式ホームページ]]
([TIME[2018-06-04 03:54:18 +09:00]])
<http://www.manchukuo.net/>
]FIGCAPTION]
> 2017年10月19日
> 最近、台湾は標準時をUTC+9に変更する議論があります。我が政府はわざと我が満州国の時間帯に関する政策を声明します。
> 我が満洲国では康徳三年八月六日勅令第百三十三号に基づき、康徳四年(1937年)一月一日より、東経135度子午線の平均太陽時をもって国内一般の標準時と定めています。これは協定世界時(UTC)+9時間で、日本の標準時と同じになります。
[SNIP[]]
> 時間帯
> 我が国では康徳三年八月六日勅令第百三十三号に基づき、康徳四年(1937年)一月一日より、東経135度子午線の平均太陽時をもって国内一般の標準時と定めています。これは協定世界時(UTC)+9時間で、日本の標準時と同じになります。
]FIG]
- [12] [CITE@ja[[[満洲国臨時政府]]公式ネット]], [TIME[2020-02-03 20:31:25 +09:00]] <https://web.archive.org/web/20130304003032/http://manchukuo.net/>
- [278] [CITE@ja[満洲国臨時政府日本語公式ホームページ]] ([TIME[2019-06-18 07:51:57 +09:00]]) <http://www.manchukuo.net/index-j.htm>
-- [4] [CITE@ja[[[満洲国臨時政府]]日本語公式ホームページ]], [TIME[2020-01-12 22:36:30 +09:00]] <http://www.manchukuo.net/index-j.htm#%3F%E5%8F%B2>
- [276] [CITE@ja[滿洲時報 Manchu Times]] ([TIME[2019-06-18 07:52:30 +09:00]]) <http://manchutimes.manchukuo.net/>
]REFS]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[594] [CITE@ja[満洲国臨時政府 - Wikipedia]]
([TIME[2016-06-26 14:43:06 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD%E8%87%A8%E6%99%82%E6%94%BF%E5%BA%9C>
(消滅確認: [TIME[2019-01-09T03:08:25.400Z]])
[CITE@ja[満洲国臨時政府 - Wikipedia]] ([TIME[2019-01-09 12:08:03 +09:00]]) <https://web.archive.org/web/20161123065926/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD%E8%87%A8%E6%99%82%E6%94%BF%E5%BA%9C>
]FIGCAPTION]
> 2004年 香港で設立。元号を「宣統」と定める。
> 2006年 南ヴェトナム自由民主共和国臨時政府と外交関係を持つ。
> 2008年 立憲君主制へ移行し、愛新覚羅孝傑が皇帝に即位。元号を「復光」と改める。
> 2010年 愛新覚羅崇基が皇帝に即位。帝号は頣皇帝となり元号を「昊徳」と改める。張少幇が主席となる。
> 2011年 元号を廃止し西暦を用いる。明の帝室の末裔を自称する李志栓が皇帝に即位。同時にジョンソン・アダム・トニスが主席となる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[595] [CITE@zh-hant[滿洲國復辟? 金溥聰有個族人自封是皇帝 | NOWnews 今日新聞]]
([TIME[2016-07-04 16:42:28 +09:00]])
<http://www.nownews.com/n/2009/12/10/807970>
]FIGCAPTION]
> 根據「滿洲國臨時政府」網站,該「政府」成立於2004年,時為宣統96年,尊愛新覺羅‧溥儀為皇帝;2008年舉行「皇帝選舉」,據稱是在香港大學歷史系就讀的愛新覺羅‧孝傑(金孝傑)當選,年號改為「復光」,登基的詔文寫道:「本人承諾於任內帶領滿洲國臨時政府爭取獨立復國及一切政府活動,希望在任內能夠復國。」
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[596] [CITE[從互聯網「滿洲國皇帝全民直選」談起(上)_國際_新聞中心_新浪網-北美]]
([TIME[2010-05-10 08:23:08 +09:00]])
<http://dailynews.sina.com/bg/news/int/mingpao/20100509/16211427138.html>
]FIGCAPTION]
> 根據其「官方網頁」,滿洲國「復國」情 如下﹕
> 「2004年,在舊滿洲國遺睿鈕牯錄 愍鎊閣下領導下,滿洲國臨時政府在海外成立,矢志復國。國家實行民主君主立憲制度,奉愛新覺羅溥儀陛下為帝,年號復用宣統。」「2008年,我國首次舉行皇帝選舉,選出愛新覺羅孝傑為帝,改元復光。同年,國家開始以反中共、消滅邪惡中共、建立民主滿洲及中國為國策。其後於復光三年,愛新覺羅孝傑未能履行皇帝職責,故被罷黜,後被封廢帝號。」「2010年4月,國家舉行第三屆皇帝選舉,愛新覺羅崇基先生當選第三任皇帝,稱頤皇帝,改元昊德……」
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[597] [CITE[満洲国とは? - 在日本満洲国学生協議会]]
([TIME[2016-06-21 08:32:18 +09:00]])
<https://sites.google.com/site/mansyugakusei/1111>
]FIGCAPTION]
> 元号
> 大同(西暦1932年3月1日-1934年2月29日)
> 康徳(西暦1934年3月1日-1945年8月18日)
> 宣統 (西暦2004年-2008年)
> 復光(ふくこう)(西暦2008年-西暦2010年4月)
> 昊徳(こうとく)(西暦2010年-西暦2011年四月)
> 西暦(西暦2011年4月より)
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[598] [CITE@ja[大日本國民愛國義勇軍「時局論壇」 満洲国臨時政府、改元を発表 新元号「昊徳」へ]]
([[大日本國民愛國義勇軍]]著, [TIME[2016-07-04 16:45:47 +09:00]])
<http://jnpva.blog119.fc2.com/blog-entry-414.html>
]FIGCAPTION]
> その満洲の再独立を目指す組織である「満洲国臨時政府」より、「愛新覚羅 崇基」氏の第三代皇帝への即位と、それに伴う「昊徳(こうとく)」への改元が発表されました。
> 愛新覚羅崇基氏の帝号は「頣(イ)皇帝」と定められます。
> 因みに、先代の「愛新覚羅孝傑」皇帝が退位する先月まで使用されていた元号は「復光」でした。
> (上記画像:満洲國第三代「頣」皇帝陛下即位と「昊徳」改元の詔書。元画像はこちらをクリック
]FIG]