/
870.txt
409 lines (284 loc) · 16.7 KB
/
870.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
276
277
278
279
280
281
282
283
284
285
286
287
288
289
290
291
292
293
294
295
296
297
298
299
300
301
302
303
304
305
306
307
308
309
310
311
312
313
314
315
316
317
318
319
320
321
322
323
324
325
326
327
328
329
330
331
332
333
334
335
336
337
338
339
340
341
342
343
344
345
346
347
348
349
350
351
352
353
354
355
356
357
358
359
360
361
362
363
364
365
366
367
368
369
370
371
372
373
374
375
376
377
378
379
380
381
382
383
384
385
386
387
388
389
390
391
392
393
394
395
396
397
398
399
400
401
402
403
404
405
406
407
408
409
[3] [DFN[[[神武天皇即位紀元]]]] ([DFN[[[皇紀]]]]) は、
[TIME[西暦紀元前660年][year:-659]] (= [TIME[西暦-659年][year:-659]])
を[[元年]]とする[[紀年法]]です。
[[日本]]で法令上定められている[[紀年法]]の1つです。
* 仕様書
[REFS[
- [2] [CITE@en[太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典(明治5年太政官布告第342号)]] <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%B4%80%E5%85%83#.E5.88.B6.E5.AE.9A>
]REFS]
* 呼称
[5] 正式な名称があるのかどうかは定かではありません。
[8] [[明治時代]]に[[政府]]が発行した[[暦]]には「神武紀元」とあります。
>>11 の 11ページは「神武天皇即位紀元」としています。
[7] [[Wikipedia]] は「神武天皇即位紀元」を[[見出し語]]としています。
* 紀元
[30] [[皇紀]]は、[TIME[西暦紀元前660年][year:-659]] (= [TIME[西暦-659年][year:-659]])
を[[元年]]としています。
[31] これは[CITE[日本書紀]]に基づき[[神武天皇]]の[[即位]]年が[[元年]]となるよう算出したものとされています。
;; [32] 現在の研究によれば実際にこの[[年]]に[[神武天皇]]が[[即位]]した可能性は低いようですが、
[[西暦]]が[[キリスト]]の真の[[生年]]ではないのと同様に、
[[紀年法]]としては支障はありません。
* 紀元前
[6] 皇紀1年より前の年をどう表記するのかは定かではありません。
[24] [[神武天皇即位前の紀年法]]も参照。
* 下2桁表記
[SEE[ [[皇紀下2桁年]] ]]
* 世紀
[SEE[ [[皇紀世紀]] ]]
* 地域
[26] 現在[[皇紀]]が主たる[[紀年法]]として用いられている地域はありません。
[27] [[日本]]では、現在一部の[[法令]]と一部の民間人が用いています。
[[大日本帝国]]時代
(特に[[昭和時代]] [SEE[ [[昭和時代の日時]] ]])
にはよく用いられていましたが、
現在では珍しくなりました。
しかし[[廃止]]されているわけではないようです。
[HISTORY[
[28] かつては次の地域で主要な[[紀年法]]の1つとして用いられました。
[FIG(short list)[
- [[大日本帝国]]
-- [[南方占領地]][[マラヤ]]・[[シンガポール]]
-- [[南方占領地東インド]]
]FIG]
]HISTORY]
* 文脈
[FIG(short list)[ [17] [[皇紀]]が使われる文脈
- [[閏年]]の定義
- [[神社]]の縁起
- [[年賀状]]
[HISTORY[
- [[暦本]]
- [[制式名称]]
- [[歴史]]の記述
]HISTORY]
]FIG]
[SEE[ 下2桁年の用例は[[皇紀下2桁年]] ]]
[37] [TIME[昭和54年][year:1979]]に[[日本政府]]は、
[[皇紀]]は一般的に使われている[[紀年法]]とは言い難いとの見解を内部文書で示していました。
[SRC[>>39]]
[41] [[国立天文台]]の[CITE[日本の暦日データベース]]は、
[[和暦]]、[[西暦]]、[[皇紀]]、[[年干支]]、[[日干支]]を示しています。 [SRC[>>40]]
[REFS[
- [39] [CITE@ja[法律案審議録(元号法案 その1) 昭和54年第87回国会 総理本府関係 1]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:56:17 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814402318057>
34ページ
- [40] [CITE@ja[暦Wiki/太陰太陽暦/日本の暦日データベース - 国立天文台暦計算室]] ([TIME[2019-05-01 00:00:00 +09:00]]) <https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C2C0B1A2C2C0CDDBCEF12FC6FCCBDCA4CECEF1C6FCA5C7A1BCA5BFA5D9A1BCA5B9.html>
]REFS]
* 作品
[FIG(short list)[ [44] [[皇紀]]の[[作品]]
- [CITE[紀元二千六百年]] (楽曲)
]FIG]
* 関連
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
[FIG(amazon)[
[CITE[日本書紀]]
]FIG]
* 歴史
[49] [[神武天皇]]時代の記録方法としては、[CITE[日本書紀]]で採用されました。
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
[47] [[神武天皇]]の即位年から何年という数え方は、
[[鎌倉時代]]初期の[CITE[愚管抄]]や、
[[南北朝時代]]の[CITE[神皇正統記]]で使われました。
[SRC[>>54]]
[48] [[江戸時代]]、
[[皇紀]]が[[紀年法]]として文書に使われるようになりました。
特に[TIME[天保11年][year:1840]]は、
皇紀2500年であり、
[[水戸]]の[[藤田東湖]]の[[漢詩]]や[[国学者]]の[[大国隆正]]の
[CITE[本学挙要]]
などがこれに言及しました。
[SRC[>>54]]
[45]
[TIME[明治2年4月][1869-04]]、
[[津田真道]]は、
[CITE[年号を廃して一元を建つべきの議]]
を提出し、
「御一新の秋を好機会として、橿原の聖地に御即位の年を以て元を建て、
百万世それを用ひたまはば、
紀伝歳月、
明亮ならん」
としました。
[SRC[>>46]]
[REFS[
- [46] [CITE[日本年号史大事典]] 普及版 pp. 78-79
- [54] [CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]] pp.207-213
]REFS]
* メモ
[1] [CITE@ja[神武天皇即位紀元 - Wikipedia]]
( ([TIME[2014-05-05 06:46:55 +09:00]] 版))
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%B4%80%E5%85%83>
[4] [CITE[国立公文書館 デジタルアーカイブ 改暦ニ付紀元年号書式ノ下議]] ([TIME[2015-12-22 00:16:30 +09:00]] 版) <http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000001794&ID=M0000000000000084905&TYPE=&NO=>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[9] [CITE@ja[神武天皇即位紀元 - Wikipedia]]
([TIME[2016-01-19 14:26:39 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%B4%80%E5%85%83>
]FIGCAPTION]
> 公文書で明治6年=神武天皇即位紀元2533年とする明確な表現があるのは、外務省外交史料館が所有する、明治5年(1872年)11月に外務省から各国公使・領事へ通知した史料の文書に存在する'''['''11''']'''。
]FIG]
[10] >>9 の参照先は >>11。11ページにそのような記述がある。
[REFS[
- [11] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 本邦ニ於テ陰暦ヲ太陽暦ニ改正ノ旨各国公使ヘ通知一件]] ([TIME[2016-01-19 21:43:42 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=B12082109900>
]REFS]
[12] 他に各年の[[暦]]にも対応関係が明記されている。 ([[暦]]も政府発行だから公文書?)
[13] [CITE[紀元を定める布告]]
([TIME[1999-12-07 23:52:01 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/kigennofukoku.htm>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE[天文年鑑からようやく神武紀元が消えた: 裏・21世紀の歩き方大研究]]
([TIME[2016-03-11 18:50:53 +09:00]] 版)
<http://banyuu.txt-nifty.com/21st/2006/12/post_843d.html>
]FIGCAPTION]
> 2004年の天文年鑑では、この箇所に続けて、「ここで、神武紀元年数という反動的な文言を嫌う向きもあるが」として、現行のグレゴリオ暦の根拠となっているのは明治5年の詔勅であることを説明。
> 2007年版の「展望」では、創刊以来、半世紀以上に渡って書いていた「日本紀元」も2006年版の「神武天皇即位紀元」も、姿を消している。
> それとともに、明治・大正・昭和からの通算元号もきれいさっぱり消えてしまって、このくだりは次のような超シンプルな記述になった。
> 「西暦2007年(平成19年)は平年で、年の干支は丁亥(ひのとい、ていがい)である」
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE@ja[皇紀 (こうき)とは【ピクシブ百科事典】]]
([TIME[2016-03-12 23:49:30 +09:00]] 版)
<http://dic.pixiv.net/a/%E7%9A%87%E7%B4%80>
]FIGCAPTION]
> これまで知られているなかで、皇紀を使った最も古い文献とされるのは、平安時代はじめごろの『歴運記』で、神武天皇の即位から第52代嵯峨天皇の弘仁2年までを、「一千四百七十一年」としている。『日本書紀』の年代によるかぎり正確な計算である。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] [CITE@ja[皇紀(神武天皇即位紀元) - Uyopedia]]
([TIME[2015-05-26 23:42:14 +09:00]] 版)
<http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E7%9A%87%E7%B4%80%EF%BC%88%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%B4%80%E5%85%83%EF%BC%89>
]FIGCAPTION]
> アケメネス紀元
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[18] [CITE@ja[橿原神宮について|橿原神宮]]
([TIME[2015-06-24 10:46:56 +09:00]] 版)
<http://www.kashiharajingu.or.jp/about/>
]FIGCAPTION]
> 第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[19] [CITE[鹿嶋市観光協会]]
([TIME[2012-05-17 09:27:31 +09:00]] 版)
<http://www.sopia.or.jp/kashima-kanko/jingu.html>
]FIGCAPTION]
> 鹿島神宮は皇紀元年(紀元前660年の建造とつたえられ、東国三社の一つにも数えられている名社です。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[20] [CITE@ja-JP[ふくしま旅プラン | 一般社団法人 福島市観光コンベンション協会公式ページ こらんしょふくしま]]
([TIME[2016-03-24 23:38:09 +09:00]] 版)
<http://www.f-kankou.jp/course03.htm>
]FIGCAPTION]
> 現在はあそび場となっていますが、昭和15年に、紀元2600年を記念し造成された元動物園のあとだったとか…。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[21] [CITE[全日本居合道連盟の沿革]]
([TIME[2016-03-26 18:11:23 +09:00]] 版)
<http://www.geocities.jp/owarihanshi/zennichii.enkaku.html>
]FIGCAPTION]
> ・昭和29年(皇紀2614年・1954年)5月4日
> 内閣総理大臣池田勇人先生を初代会長に擁し河野百錬先生を理事長に迎え
> 日本最初の居合道専門団体として全日本居合道連盟が創立される
]FIG]
[22] [CITE[岸幸一コレクション目録検索KC001119 布告第一五号 紀元及日本ノ名称使用ニ関スル件 昭和17年4月29日]]
([TIME[2016-06-25 22:19:56 +09:00]])
<http://d-arch.ide.go.jp/infolib5/meta_pub/G0000008KISHIDB_KC001119>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE[C-5 日本占領]]
([TIME[2008-06-20 06:01:12 +09:00]])
<http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page028.html#300>
]FIGCAPTION]
> 日付の"05年"は日本の【皇紀2605年】である。この事実がインドネシアの独立における日
> 本の影響力の証拠として云々する見方があるが、真相は疲労困憊のどさくさの中で年号まで
> の熟慮する余裕はなく時間ぎれとなったらしい。西暦はオランダの遺物として拒否されていた。
> インドネシア暦元年とすべきであったというのが起草に参加した有識者の反省である。
> 日本では忌まわしい記憶とともに忘れ去られた皇紀の年号(注)が、インドネシアではレリー
> フになり公開(→161)されている。インドネシアの国のある限り保存されるであろう。歴史とは皮
> 肉な結果を残すものである。
]FIG]
[25] [CITE[Syonan Shimbun, 20 February 1942, Page 2 - DECLARATION OF THE COMMANDER OF THE NIPPON ARMY.]]
([TIME[2016-12-07 22:56:30 +09:00]])
<http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/syonantimes19420220-1.2.14>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29] [CITE[F2000242.html]]
([TIME[2017-04-27 22:26:34 +09:00]])
<http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000242.html>
]FIGCAPTION]
> その後、昭和三年六月に官房機密七九〇号で、以下のように改正されてます。
> 「式」ノ欄用法(イ)ノ部「年度ヲ示スニ用フ」ヲ「年度ヲ示スニ用イ神武天皇即
> 位紀元年数ノ十位以下ヲ以テス」ニ改ム
]FIG]
[33] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号]]
([TIME[慶4-明9][year:1876]])
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/48>
[34] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治7年 第1−63号]]
([TIME[慶4-明9][year:1876]])
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787666/21>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE@ja[日朝修好条規 - Wikisource]]
([TIME[2019-01-26 11:31:08 +09:00]])
<https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%9D%E4%BF%AE%E5%A5%BD%E6%9D%A1%E8%A6%8F>
]FIGCAPTION]
> 大日本國紀元二千五百三十六年明治九年二月二十六日
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[36] [CITE@ja[皇紀 - 西野神社 社務日誌]]
([TIME[2019-04-25 17:57:13 +09:00]])
<https://nisinojinnjya.hatenablog.com/entry/20060603>
]FIGCAPTION]
> 神社界の正式な公文書は全て元号を使っており、また一般的な文書でも元号を使うことがほとんどなので、神職といえども実際に皇紀を使うことは極めて稀なケースには違いないですが。
> 例えば私が個人的に皇紀を使うのは、毎年年末に書く年賀状に、元号と併記して記すくらいです。神社や神道系の団体が発行しているカレンダーなどにも、元号とともに皇紀が併記されていることがありますが(文月会事業品のカレンダーにも記されています)、あとは、皇室に関する奉祝行事や建国記念の日の式典などで使われる看板、横断幕、印刷物などで皇紀が使われているのを見るくらいで、現在、それ以外の場で皇紀を見かけることはほとんど無くなってしまいました。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[38] [CITE@ja[暦・年号について調べるには(日本編)]]
([TIME[2014-02-01 15:27:02 +09:00]])
<https://library.toda.saitama.jp/reference/sankou/pathfinder/2/210/02nengou_ni.htm#%E6%94%B9%E5%85%83%E6%97%A5%E3%82%92%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%82%8B%E3%81%AB%E3%81%AF>
]FIGCAPTION]
> 読史備要(トクシビヨウ) p.1~260「年表」で紀元前660から1940年までを掲載。※紀元=皇紀のため、耶蘇紀元を参照のこと/p.200耶蘇紀元「一三三八」…暦応元年は1338年8月28日改元。 東京大学史料編纂所 1966
]FIG]
[42]
[CITE[Newspaper Article - Masthead, Syonan Shimbun, 24 September 1942, Page 1]] ([TIME[2019-05-05 17:05:03 +09:00]]) <http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/syonantimes19420924-1.2.1>
> KOKI 2602
[43] [CITE[ノンポリ天皇(尾崎隆臣)公式サイト]] ([TIME[2018-10-04 23:22:14 +09:00]]) <http://politen.jp/index.html>
何の注記もないがあらゆる年号が[[皇紀]]。
ただし読者感想 (他サイト) リンクは引用のためか[[西暦2桁年号]]。
また掲載雑誌紹介の号数も[[西暦]]4桁年号。どちらも特に注記なく混じっている。
[50] [CITE@ja[官報. 1890年10月31日 - 国立国会図書館デジタルコレクション]]
([[大蔵省印刷局 '''['''編''']''']]著, [TIME['''['''1964''']'''-][year:1964]])
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945456/1>
[51] [CITE@ja[元号と追号との関係等について : Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)]]
([TIME[2019-08-03 16:47:13 +09:00]])
<http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073399256.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[52] [CITE[日本における万国博覧会]]
([TIME[2013-04-22 23:37:47 +09:00]])
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hakurankai/nihon.html>
]FIGCAPTION]
> 1940(昭和15)年の開催に向けての準備が行われました。これは、紀元2600年を記念した「東西文化の融合」をテーマとする万博で、東京・横浜が会場になるはずでした。
]FIG]
[53] [CITE[ASTRONOMICAL PHENOMENA FOR THE YEAR 2019]]
([TIME[2018-12-05 02:19:49 +09:00]])
<https://aa.usno.navy.mil/publications/reports/ap19_for_web.pdf#page=15>
[55] ([TIME[2004-12-19 17:50:04 +09:00]])
<http://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/38kataharajinja.html>
[56]
[CITE[天皇陛下 御即位をお祝いする国民祭典 ~皇居前広場から中継~ - 2019/11/09(土) 13:00開始 - ニコニコ生放送]] ([TIME[2019-11-09 14:26:25 +09:00]]) <https://live2.nicovideo.jp/watch/lv322772316>
[[皇紀]]年を明記した[[東京都神社庁]]の[[幟]]。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[57] [CITE@ja[「世界の暦 今年は何年?」について考える - 団塊オヤジの短編小説goo]]
([TIME[2019-11-11 22:41:46 +09:00]])
<https://blog.goo.ne.jp/tudukimituo1028/e/1cdfdcad78e60420ad14f4bc5033ebc0>
]FIGCAPTION]
> 「皇紀」は、第二次世界大戦敗戦後の昭和23年・1948年に廃止されました。
]FIG]