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[1]
[[昭和時代]]中期、
[[日本の元号]]制度は未曽有の存続の危機に晒されました。
;;
[SEE[ 元号以外の事項や前後の時代の事項については、[[昭和時代の日時]] ]]
* 終戦後
[2]
[[大東亜戦争]]の[[終戦]]直後、
[[新日本]]など新しい[[紀年法]]を採用することを[[日本政府]]に提案する者がありました。
その他[[私的な紀年法][私年号]]や[[改元デマ]]が多々生じました。
[SEE[ [[昭和時代の日時]] ]]
[13]
[[日本政府]]は旧[[皇室典範]]の[[改元]]に関する条項にかわる新しい[[法律]]を制定しようとしましたが、
[[GHQ]]
の干渉により断念しました。
[14]
しかし [[GHQ]] も[[西暦]] ([[キリスト紀元]])
の利用を求めることは[[信教の自由]]に反するとして、
[[日本本土]]においてこれを強制することはできませんでした。
[51]
あるいは
[[GHQ]]
の威を借りて[[元号]]を廃止し、
[[西暦]]を公用化しようとする勢力が[[国会]]で活動しましたが、
国民の理解を得るには至りませんでした。
;;
[4]
[[大韓民国]]は[TIME[檀君紀元4281(西暦1948)年][year:1948]]、
[[檀君紀元]]を国の公式な[[紀年法]]としました
([TIME[檀君紀元4294(西暦1961)年][year:1961]]限りで[[西暦]]に[[改元]])。
[[中国大陸]]は[TIME[公元1949年][year:1949]]に建国された[[中華人民共和国]]に制圧され、
[[民国紀元]]が廃され[[公元]] ([[西暦]]) に[[改元]]しました。
[[外蒙古]] ([[ソ連]]の傀儡国家)
では[TIME[モンゴル人民共和国35(西暦1945)年][year:1945]]頃まで[[共戴紀元]]が残っていたものの、
[[西暦]]に移行していました。
[[越南]] ([[仏印]]からの独立戦争中)
では[[越南民主共和]]、[[越南共和]]の[[建国紀元]]が一部残っていたものの、
[[仏印]]時代から[[西暦]]化が進んでいました。
[19]
[CITE[讀賣新聞]],
[TIME[昭和21年 西暦1946年 11月29日 (金曜日)][1946-11-29]],
1面の記事
[CITE[〝昭和〟の元號不變 新法規は制定せず [LINES[閣議][決定]]]]
は、次のように報じました。
- [20] [[皇室典範]]改正により「當然改元が問題となる」が、
新法規を制定しないと[[閣議決定]]した。
- [21] [[帝国議会]]でも質問されない限り積極的に[[改元]]の態度表明は避けることに決めた。
- [22] 「新皇室典範第一條に改元は明治元年の行政官規則によりと明記してあ」
ってその[[行政官佈告]]より[[昭和]]は存続する。
;; [23] なぜ法制定しないかの理由は書かれませんでした。
;; [24] 新皇室典範云々は旧皇室典範にも成立した新皇室典範にも一致せず、
当時の[[皇室典範]]法案によるものでしょうか。
新[[皇室典範]]案から削除して単独の法律案としたものが撤回されたので、
当時の案にその条項があるのは矛盾しますが。
[25]
[CITE[讀賣新聞]],
[TIME[昭和25年2月21日][1950-02-21]]の
[CSECTION[気流]]
(読者投稿欄)
の
[CITE[「改元」への疑義]]
([[東京]]の[[公務員]]による記事)
は、
[[参議院]]審議中の[[西暦]]移行案に関係して、
次のように主張しました。
- [26] [[改元]]には反対しないが、
[[西暦]]は適切ではない。
-- [27] 日本国民のほとんどは[[キリスト教徒]]ではない。
-- [28] 過去の歴史をすべて[[西暦]]に直すのは適切ではない。
[[西暦]]で生年を言える[[日本人]]はほとんどいない。
-- [29] すでに[[キリスト教]]と関係ない記号に過ぎないというが、
それなら[[元号]]も[[天皇制]]と関係ない記号に過ぎず、
気にすることもない。
- [31] 明治元年を新紀元の元年、
昭和廿五年を八十三年とするのが最も現状に即している。
* 新憲法下の元号
[8]
[CITE[日本国憲法]]下の新[CITE[皇室典範]]に[[元号]]に関する定めはなく、
[CITE[登極令]]も[[廃止]]されたため、
[[改元]]に関する[[法令]]が存在しなくなりました。
[9]
現代においてはこれを「元号の法的根拠がなくなった」ということがあるようです。
といっても[[元号]]自体の法的根拠といえるものはこの時代以前にも以後にも存在せず
(当然の前提となっており)、[[改元]]の手続きを実施する法的裏付けがなくなった、
また[[一世一元の制]]が消滅した、とするのが正確と思われます。
[10]
そうした状況下でも[[法令]]の手続きではなく[[皇室]]の行事として[[改元]]の実施は可能だったと思われますし、
[[法律]]がなくても[[内閣告示]]で[[改元]]は可能ではないかと[[日本政府]]は検討していたようです。
;; [13]
[[元号]]の法的根拠がないとしても、
[[西暦]]にも同程度に法的根拠がありません。
[[月]]や[[日]]や[[曜日]]や[[閏秒]]にも[[法律]]による裏付けはありません。
法的根拠が存在しないことは直ちに問題とはなりませんし、
政府が使ってはいけないことにもなりません。
[[法律]]に定められなくても[[閏秒]]が実施できるのと同様に、
[[改元]]も不可能ではなかったはずです。
(ただ法的には問題ないとしても、
従来の[[詔勅]]による[[改元]]より格下の政府決定は歴史的正統性に難ありかもしれません。)
[11]
しかし明確な法制度がないのをいいことに、
[[元号]]を廃止するべきと騒ぐ人が現れ出しました。
大多数の[[日本国民]]が希望する[[元号]]制度の存続を確実にするため、
[[法律]]の制定が求められるようになりました。
[REFS[
- [12] [CITE@ja[元号法 - Wikipedia]] ([TIME[2019-03-29 20:56:03 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E6%B3%95>
]REFS]
* 元号法
[3]
その後[[元号]]問題はしばらく国政の課題とならず、
[[国民]]は[[昭和]]の[[元号]]を主として使い続けました。
しかし昭和50年代頃、
[[元号]]制度の安定化のため[[法制化][日本の元号法制]]を求める声が高まり、
ようやく[TIME[昭和54(1979)年][year:1979]]に
[CITE[元号法]]
が成立するに至りました。
[CITE[元号法]]は、
かつて[[日本政府]]が制定しようとした法案を改訂したものとなりました。
[SEE[ [[元号法]] ]]
- [461] [CITE[[[年号の歴史]]]]
-- [18] [CITE[元号法の成立過程]]
* メモ
[48]
[CITE[日本国憲法]]制定時、思い切って[[一世一元]]はやめてしまって、
[[改元]]は[[政令]]で定めた時行う、
としてしまえば [[GHQ]]
の介入は回避できたりしなかったんだろか。
[[代始改元]]に加えて新憲法施行のような国家の一大事には[[改元]]する、
ということにでもしておいて[[大日本帝国]]時代に近づきすぎた[[天皇]]と[[元号]]の距離を適正化するべきだった。
(憲法制定改元の前例として[[大宝]]がある。)
[49] [CITE@ja[公的文書の年次表記に関する基本原則 – かんせい汗青PLAZA]]
([[所功の「かんせい汗青PLAZA」]]著, [TIME[2019-10-07 12:57:14 +09:00]])
<http://tokoroisao.jp/?p=4080>
[50] [CITE[KAKEN — 研究課題をさがす | GHQ宗教課カンファレンスレポートのデータベース作成と活用Webサイトの構築 (KAKENHI-PROJECT-15K02843)]]
([TIME[2019-10-07 13:17:32 +09:00]])
<https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15K02843/>
[15] [CITE@ja[元号の「法的根拠」とは何か | ミカド文庫]]
([TIME[2019-04-18 13:58:34 +09:00]])
<http://mikado-bunko.jp/?p=848>
[30] [CITE@ja[元号の「法的根拠」とは何か – かんせい汗青PLAZA]]
([[所功の「かんせい汗青PLAZA」]]著, [TIME[2019-10-07 13:33:43 +09:00]])
<http://tokoroisao.jp/?p=4160>
[5] [CITE[西暦併用を求める会: 1950年参議院文部委員会元号廃止法案調査]]
([TIME[2019-10-11 13:20:31 +09:00]])
<https://seirekiheiyo.blogspot.com/p/1950.html>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE@jp[今こそ文化の日を「明治の日」に制定すべきである]]
([TIME[2019-11-05 19:02:12 +09:00]])
<https://ironna.jp/article/13713?p=2>
]FIGCAPTION]
> 次は「明治節」である。けれども、そこに至る道のりは遠い。そもそも、占領下に皇室典範が改定された結果、元号の法的根拠は失われており、「明治」という元号に関わる祝日の制定を云々する情況になかった。しかし、昭和54年6月12日に元号法が成立し、この問題はクリアされる。
]FIG]
[7]
[[元号法]]の有無と[[明治の日]]の制定に因果関係はあるか。
厳密に言えば法的根拠が明確でなかったのは[[改元]]手続きと[[一世一元]]だけ。
過去に当時の[[法令]]に基づき有効に成立した[[昭和]]の[[元号]]は、
[[廃止]]などの手続きが取られたことはなく、
有効に存続していた。
[[明治]]を含むそれ以前の[[元号]]の法的性質もまた一切変化していない。
また、[[元号]]の法的地位と[[元号名]]を持った[[祝日]]の制定に、
法的関係性は一切存在していない。
[16]
推進運動の優先順位の問題として、
[[元号法]]すら未制定の状態で[[明治の日]]とか言っていられない、
という意識はあったかもしれない (しなかったかもしれないし、しらない)。
[17] [CITE@ja[「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(7)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ GHQはなぜ西暦を導入しなかった?(THE PAGE) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-12-11 16:55:42 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190523-00010006-wordleaf-cul&p=2>