/
198.txt
275 lines (201 loc) · 15.8 KB
/
198.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
171
172
173
174
175
176
177
178
179
180
181
182
183
184
185
186
187
188
189
190
191
192
193
194
195
196
197
198
199
200
201
202
203
204
205
206
207
208
209
210
211
212
213
214
215
216
217
218
219
220
221
222
223
224
225
226
227
228
229
230
231
232
233
234
235
236
237
238
239
240
241
242
243
244
245
246
247
248
249
250
251
252
253
254
255
256
257
258
259
260
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
271
272
273
274
275
[59] [[満州]]では、様々な時刻が用いられました。
* 清國時代
[55] [[外満州]]も[[内満州]]も、[[清]]国に属していた時代は近代的な[[標準時]]はなく、
[[地方時]]を使っていました。
[56] [[農暦]]は、[[北京]]基準で決定されたものが[[満州]]でも用いられたと考えられます。
;; [[農暦]]、[[中国の標準時]]参照。
* ロシア時代
[46] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Harbin]] は元の[[地方時]]を
[TZ[+08:26:44]] としています [SRC[>>54]]。
;; [38] [TIME[1860年][1860]]、[[北京条約]]により[[外満州]]は[[ロシア領]]となりました。
[[外満州]]の[[標準時]]については[[ロシアの標準時]]および[[アジア大陸の鉄道標準時]]参照。
;; [39] [[日清戦争]]により[[遼東半島]]は[[大日本帝国]]により[[占領]]され、
[TIME[明治28年/1895年5月8日][1895-05-08]]締結の[[下関条約]]により[[日本領]]となりました。
しかし[TIME[明治28年/1895年11月8日][1895-11-08]]締結の[[遼東還付条約]]により[[清]]に返還しました。
この[[三国干渉]]における[[露清密約]]で、[[ロシア]]は[[満州]]北部の鉄道敷設権を取得しました。
;; [40] [TIME[1898年3月][1898-03]]には[[ロシア]]が[[関東州]]を[[租借]]し、
(後の)[[南満州鉄道]]の敷設権を取得しました。
[2] [[満洲]]近辺の[[露西亜]]の鉄道では[[標準時間]]と称して[[モスクワ]]の標準時が用いられていたようです。
;; [26] [[ロシアの標準時]]も参照。
;; [43] [TIME[1900年 (明治33年)][1900]]、[[ロシア]]は[[満州]]を[[占領]]しました。
[47] [TIME[1905年8月1日][1905-08-01]]、[[清國海関]]が[[標準時]]を制定しました。
[[満州]]は [TZ[+08:00]] と [TZ[+09:00]] に分けられました。
;; [[中国の標準時]]参照。
* 日露時代
;; [41] [TIME[明治38年/1905年11月25日][1905-11-25]]発効の[[ポーツマス条約]]により、
[[関東州]]は[[日本]]の[[租借地]]となりました。
[10] [[日露戦争]]後[[満洲]]では [CODE[[[+09:00]]]] が使われた [SRC[>>6]] ともいわれます。
[11] [[南満州鉄道]]では当初[[日本中央標準時]] [CODE[[[+09:00]]]]
を採用していましたが、明治40年/1907年5月16日から[[日本西部標準時]]
[CODE[[[+08:00]]]] が使われるようになりました [SRC[>>12 引用文献 85ページ]]。
[REFS[
- [12] [CITE@ja[韓国標準時 - Wikipedia]] ([TIME[2014-08-27 17:35:43 +09:00]] 版) <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82#cite_ref-8>
]REFS]
;; [42] [TIME[大正元年/1912年][1912]]あるいは[TIME[大正4年/1915年][1915]]に、
[[関東州]]は[[中華民国]]からの[[日本]]の[[租借地]]となりました。
[48] [TIME[民国7年/1918年][1918]]、[[中華民国]]が[[標準時]]を制定しました。
[[満州]]は [TZ[+08:00]] と [TZ[+08:30]] に分けられました。
;; [[中国の標準時]]参照。
;; [49] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Harbin]] は
1928年に[[地方時]]から [TZ[+08:30]] に切り替わったとしています [SRC[>>54]]
が、根拠は不明です。
[19] >>18 では、大正7年1月11日以後[[東清鉄道]]において従来より1時間遅れた時間
(本来の[[哈爾浜]]の[[地方時]]) を採用すると説明されています。
;; [25] ロシア側の[[夏時刻]]を使っていた? [[ロシアの標準時]]も参照。
[REFS[
- [18] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 43.東清鉄道庁ノ哈爾賓地方標準時採用ノ件 同一月]] ([TIME[2015-10-20 12:07:35 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B12081039400>
]REFS]
[29] 昭和5年時点で満州里-浦塩や長春-ハルビンはハルビン時刻 [CODE[[[+08:26]]]]
でした [SRC[>>28]]。
[REFS[
- [28] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 鮮満支旅行手引. 昭和5年版]] ([TIME[2015-11-21 17:59:03 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097898/24>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE@ja[満州国の時差についてご存知の方がおられたら教えてください。残っ... - Yahoo!知恵袋]]
([TIME[2016-02-18 22:03:42 +09:00]] 版)
<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387884833>
]FIGCAPTION]
> 残っている満鉄の資料によると、ハルビン時間は日本時間と1時間単位ではなく+23(または26)分という半端な時差があったようです。
]FIG]
]REFS]
[33] [[アジア大陸の鉄道標準時]]を参照。
* 満州国時代
;; [44] [TIME[1931年9月][1931-09]]、[[満州事変]]が起こりました。
;; [37] [TIME[大同元年/1932年 (昭和7年) 3月1日][1932-03-01]]、[[満州国]]が建国されました。
[TIME[昭和7年/1932年][1932]]に[[関東州]]は[[満州国]]からの[[日本]]の[[租借地]]となりました。
;; [50] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Harbin]] は1932年3月に
[TZ[+08:30]] から [TZ[+08:00]] に切り替えたとしています [SRC[>>54]]
が、根拠は不明です。
[7] [[満州国]]では建国以来 [CODE[[[+08:00]]]] が使われてきたようです [SRC[>>5]]。
[21] >>20 によれば、
[FIG(list)[
- [[ハルビン東省特別区]]と[[東支鉄道]]は、[[新京標準時]]と26分の時差があった
- 特別区については、昭和7年/1932年4月1日に国務院が[[新京標準時]]と一致させた
- [[東支鉄道]]も11月16日夜12時に全線一斉に[[新京標準時]]に切り替えた
- これにより[[満州国]]の時刻は統一された
]FIG]
;; [27] [[シベリア出兵]]時資料によれば当時のハルビン鉄道時は [TZ[+08:23]]
とされており、 >>21 とはずれがありますが、どういう事情なのかは不明です。
[REFS[
- [20] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 満洲国標準時間の件]] ([TIME[2015-10-20 13:16:06 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C04011489200>
[57] [CITE[新しい滿洲國の標準時制について (時の紀念號)]]
([[山本一清]]、[TIME[1932-05-25]]、[TIME[2012-11-22 18:05:00 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161980/1/tnk000134_205.pdf>
[58] >>57 より
[FIG(list)[
- [[満州国]]が [TZ[+08:00]] を採用したのは残念だ。
- 地理的には [TZ[+08:30]] が最善である。
- 3つの理由より、 [TZ[+09:00]] を採用するべきだ。
-- [TZ[+08:00]] は西端を通るが、 [TZ[+09:00]] が通るから、おかしくはない。
-- [[欧州]]で導入が進む[[夏時刻]]の時流に乗るなら [TZ[+09:00]] の方が良い。
-- 日満両国の標準時が統一できれば便利だ。
]FIG]
]REFS]
[1] [[康徳]]4年/1937年 ([[昭和]]12年)
1月1日に[[日本中央標準時]]と同じ [CODE(date)[[[+09:00]]]] に変更されました [SRC[>>5, >>6]]。
;; [8] [[満州国]]の[[勅令]]によって公布されたようです [SRC[>>5, >>6]]。
[9] 12月31日午後11時をもって1月1日午前0時とされました [SRC[>>6, >>15]]。
[3] [[関東州]]の時間帯も[[満州国]]と同時に改正されています [SRC[>>15, >>14]]。
;; [115] [[満鉄附属地]]および[[関東州]]の[[標準時]]については、[[日本の標準時]]も参照。
[31] [[中央標準時]]への統一について、当時の新聞は[[天文学者]]の[[山本一清]]が提唱した
[SRC[>>23]] と説明しています。[[山本一清]]氏は雑誌[CITE[[[天界]]]]に
[CITE[満州国の標準時を改めよ!]]という記事を投稿しています (1935年)。
[32] >>30 では、日満標準時統一によって経済や交通・通信の両国の一体化が促進されるなどと意義が説明されています。
;; [13] なお、[[沖縄県]]の一部と[[台湾総督府]]の[[西部標準時]]も、
半年後に追随して廃止され[[中央標準時]]に統一されています。
;; [51] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Harbin]] は1940年に [TZ[+08:00]] から [TZ[+09:00]]
に切り替えたとしています [SRC[>>54]] が、根拠は不明です。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] 勅令第一百三十三號 (政府広報 第七百十五號 康徳三年八月六日 [SRC[>>16]] 所収)
]FIGCAPTION]
> 朕經諮詢參議府裁可關於標準時之件著卽公布
> 御名御璽
> 康徳三年八月六日
> 國務總理大臣 張景惠
> 實業部大臣 丁鑑修
> 勅令第一百三十三号
> 關於標準時之件
> 東經一百三十五号子午線之平均太陽時定爲國内一般之標準時
> 附則
> 本令自康徳四年一月一日施行
]FIG]
[45] [CITE[滿洲國の標準時いよいよ改まる! (日食特輯號)]]
([[山本一清]], [TIME[1936-05-25]], [TIME[2012-12-26 18:03:35 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167246/1/tnk000182_289.pdf>
[53] >>45 より
[FIG(list)[
- 満州国標準時改正が[TIME[1936年5月14日][1936-05-14]]にニュースになった。
- 1934年から山本もこれを主張していた。
- 満鉄、鉄路総局、満州航空会社など交通関係機関が推進していた。
- 1935年の山本の訪満により促進された。
- 新京中央観象台が中心に調整し改正がまとまった。
- [[台湾]]はこれで「唯一の異端者」なので、はやく改正するべきであると山本は考える。
- これまでの[[安東]]での時差調整が不要となる。
- 満州からソ連への移動も便利になる。
]FIG]
- [16] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 標題:満州国政府公報日譯 康徳3年8月分(第711号~第736号)]] ([TIME[2015-10-20 11:43:36 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A06031000700> 70ページ-71ページ
- [6] ([TIME[2012-12-26 09:03:35 +09:00]] 版) <http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167246/1/tnk000182_289.pdf>
- [5] [CITE[神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--]] ([TIME[2014-08-30 08:21:49 +09:00]] 版) <http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00475112&TYPE=HTML_FILE&POS=1>
- [15] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 標題:関東局管内標準時改正ニ付通牒]] ([TIME[2015-10-20 11:28:52 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A06050772300>
- [14] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 関東局管内標準時改正ニ関スル件ヲ移牒ス]] ([TIME[2015-10-20 11:26:28 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A01200730900>
- [30] [CITE[国立公文書館 デジタルアーカイブ 画像データ表示 - 関東局管内標準時改正に関する件]] ([TIME[2015-12-21 23:22:33 +09:00]] 版) <http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?XSLT_NAME=frame&NO=23&BID=F0000000000000564586&IS_STYLE=default&IS_TYPE=JPEG&LANG=default&ID=&act=&GID=&IMG_FLG=&TYPE=>
- [24] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1936年10月07日]] ([TIME[2015-11-19 03:17:03 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959413> 4コマ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[22] [CITE[新聞記事文庫 : 満州日日新聞 1936.11.11]]
([TIME[2015-11-15 03:28:29 +09:00]] 版)
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475112&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
]FIGCAPTION]
> 日満標準時の統一に伴う全満ダイヤの改正については、内地及び朝鮮との輸送機関連絡、通学列車の時刻等各方面に重大影響を及ぼすので鉄道総局輸送関係では満鉄、鮮鉄、その他関係船会社等と連繋を保ち慎重審議を重ねているが、この改正案によれば先ず第一に日満標準時統一によって満洲側は一時間繰り上げられるが、満洲における日出、日没の関係で実際上従来通りの時刻を維持するため、ダイヤを一時間繰下げる、即ち全ダイヤに一時間加算するというのである、例えば正午発の列車は標準時統一によって満洲の時間も一時間繰上げられて午前十一時となるが、ダイヤは一時間繰下げ午後一時として始めて従来通りの時間と相一致することとなる
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[23] [CITE[新聞記事文庫 : 満州日日新聞 1936.11.11]]
([TIME[2015-11-15 03:34:04 +09:00]] 版)
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475112&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
]FIGCAPTION]
> 今春山本一清博士が黒い太陽事件と共に入満提唱したもので、満洲国勅令に依りこの程決定、関東州もこれに準じ愈々新春以降時間やりくりの不便が統一される訳で、十二月三十一日の午後十一時には満洲の全時計は一時間針を進めて一斉十二時を表現しなくてはならないことになった、同時にゴーンと除夜の鐘が鳴る、嘗て日露戦役後、満洲ではこの中央標準時を採用したが後ち土地に即した現在の西部標準時に返り、今又時勢の進運に従いここに再度内地時間と歩調を合せ行政的な統一が成った
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[36] ([TIME[2013-01-08 18:03:31 +09:00]] 版)
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167658/1/tnk000205_213.pdf>
]FIGCAPTION]
> 隣邦支那は,衆知の如き大きい地域を含む國であるから,標準時制の上から
> 言へば,可なり多くの問題を持ってるる土地柄である.之れとても,昔しは,
> 只,各地め地方時を用みるのみで,不便を感じない時代もあったわけである
> が,近時,共和國となって,國民生活を合理化する立場から,玄葦に3種類の標
> 準時が制定せられるに至った.帥ち,其れはノ
> 1.グリニチ東維120。を標準とする“東部標準時”,
> 2。グリ=チ東経105。を標準とする“瀧蜀部標準時”,
> 3.グリ=チ東経900を標準とする“彊藏部r隼時”
> である.
> 三二は,地理上,上記の“束:部標準時”を用みてみたので,昭和7年に浦洲
> 帝國として三三後も,暫くは,この束維120。の子午線に擦る時刻を元のま曳用
> みてみた.ところが,筆者は,地回學上,國民繧濟生活上,叉,日満爾國相互
> の交通通信の關係上,満洲國が一刻も早く標準時制を改めて,東経135。の子午
> 線を新しV・標準となすべき事を,昭和7年以卒主張し績けた結果,途に昨昭和
> 12年に至り,この改正が實施せられるに至った・
]FIG]
]REFS]
* ソ連時代
[114] 昭和20年/1945年には[[ソビエト連邦]]が[[関東州]]を占領し、
[[中華民国]]からの[[ソビエト連邦]]の[[租借地]]となりましたが、
1950年代に[[中華人民共和国]]に返還されています [SRC[>>113]]。
この当時用いられていた[[時間帯]]は不明です。
;; [52] [[tzdata]] の [CODE[Asia/Harbin]] は
[TIME[1966年5月][1966-05]]に [TZ[+09:00]] から [TZ[+08:30]] に切り替え、
[TIME[1980年5月][1989-05]]に更に [TZ[+08:00]] に切り替えとしています
[SRC[>>54]] が、根拠は不明でとても怪しいです。
[REFS[
- [113] [CITE[満洲の歴史--地理学の視点から]] ([TIME[2012-01-16 07:59:05 +09:00]] 版) <http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/excursion/09manchuria/column/history/#ch6>
]REFS]
;; [4] [[中国大陸の標準時]]も参照。
* メモ
[REFS[
- [54] [CITE@en[tz/backzone at master · eggert/tz]] ([TIME[2016-03-16 17:26:17 +09:00]] 版) <https://github.com/eggert/tz/blob/master/backzone#L452>
- [34] ([TIME[2014-11-29 01:53:18 +09:00]] 版)
<https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/34601/20141016202831108367/AjiaShakaiBunka-Kenkyu_14_1.pdf>
]REFS]