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第1章

第224話 婿

「まずはエルフとの外交を回復させねばのう。二股ジーサ殿、案を出せい」

 第四週一日目《ヨン・イチ》の朝、Fクラス校舎屋上にて。  上裸国王《シキ》のがさつな笑い声がよく響いた。

 忙しい身だ。さっさと退散するのかと思いきや――どかっと腰を下ろしてくる。

「ほれ。考え事できるのは今のうちじゃぞ」 「なぁ、これからはそんな暇すら無くなると聞こえるんだが気のせいだろうか」 「王族は思っている以上に忙しいですよ?」

 ひょこっと視界の隅からルナが出てくる。既に王女仕様《ドレス》は着替えており、いつもの制服姿と膨らみが目に優しい。  俺の袖を引いて促してきたので、仕方なく座る。

「ルナぁ。パパのあぐらの上に来んか?」

 ぽんぽんと己の膝を叩く親バカ。先の荘厳な演説は見る影もないが、この一大ニュースを前にすでに生徒全員が出払っているため問題無いのだろう。見上げてもマジで人っ子一人見当たらない。

「ジーサさんが行きたいそうです」 「おぬしは要らんわ」 「俺も嫌なんだが」 「それで、どうするんですか?」

 ルナが真顔の追及を見せながらも、俺の足を勝手に動かしてあぐらを組む。何をするかと思えば、普通に座ってきた。  いわゆる体操座りなのだが、ちゃっかり下着が父親に見えない角度もキープしていて器用なものである。

 まあ女子ってそういうもんだよな。パンチラはフィクションでこそ定番だが、日常生活ではまずお目にかかれない。  と、ふざけている場合ではマジでないので、早速質問をぶつける。

「とりあえず確認したかったんだが――なんで二股ってダメなんだ?」

 一夫多妻制という言葉もあるし、男の業とジャースの文化水準を考えればそうなるのが自然だと思う。

「答えてみいルナ」 「国の威信にかかわるからですよね。どちらも王女ですし」 「五十点じゃな。一般論はどうでもよい。ではジーサ殿」

 質問したのは俺だし、そういうクイズも求めてねえんだが、まあいい。改めて整理しておこう。

 まず、今からちょうど一週間前――第三週一日目《サン・イチ》に、俺とヤンデの婚約発表が行われた。  そのせいで一気に有名人になってしまい、ハナを始めとするAクラス連中に絡まれるわ、貧民の経済活性化を押しつけられるわ、第三王女アキナに襲われるわと散々で。  その極めつけが、ついさっきの婚姻発表だ。

 目の前であくびこいてるクソジジイからの、プレゼントという名の嫌がらせ――ルナこと第一王女ハルナとの婚姻が大々的に発表されたのである。

「婚約と婚姻の違いか?」

 とりあえず思いついた解を言ってみるも、「本質ではないのう」一蹴を食らう。

「サリア殿はワシほど強引ではないという、それだけの話よ」

 強引な自覚はあるのな。  ヤンデとの婚約発表は言わば結婚の約束を知らせたにすぎないが、ルナとの婚姻発表は結婚したことの周知に等しい。無論、身に覚えはないが、国王がしたと言うのならしたのだ。ふざけるな。

「お父様もたまには良い仕事をします」 「そうじゃろそうじゃろ?」 「そうだろうか」

 俺がこの異世界ジャースでこうして面倒事に巻き込まれてるのって、半分くらいはシキ王のせいなんだよなぁ。

「しかし先が思いやられるのう。エルフと答えてほしかったのじゃが」

 その偉そうな王様は体勢を変えて、仰向けに寝そべる。

「エルフは誰とも馴れ合わぬ孤高の種族であり、決して容赦もせぬ無慈悲な種族でもある――その排他性と攻撃性が一種の価値になっておるんじゃ」 「だからこそ人々はエルフに恐《おそ》れ戦《おのの》くって?」 「左様。おぬしも嫌というほど思い知ったろう?」 「そんなことより美人揃いだったことの方が印象的だけどな」

 いや、美人という言葉すら生ぬるい。  何回見ても飽きないというか、次元が違うんだよな。しかしただの芸術ではなくて、ちゃんと血の通った人なものだから、生々しさも同居している。

「容姿も価値の一つよ。それで男どもが躍起になって、強引な手を使うんじゃが、返り討ちにされて拘束――種源《スタリオン》として搾り取られたあげくに処分されるんじゃ」 「なるほど。そうやって他種族の血を取り入れているのですね」 「他種族だけじゃないがの。あやつらは男エルフも同じようにしておる」

 そういえばグレンもそんなこと言ってたっけな。

「そんなおっかない種族の、しかもただ一人の王女の婚約相手が人間に取られたんじゃ。ただで済むと思うか?」 「済むんじゃないか? 廃戦協定があって戦争はできないんだろ?」 「相変わらず無知じゃのう。エルフが得意なのは戦争よりも潜入、戦闘よりも暗殺じゃろうが」 「初耳なんだが……」

 どうせ俺にダメージは通らないだろうから心配はしていないが、それでも不安になるのがエルフの恐ろしいところだ。  いや、バグってるから別に平常なんだが、こういう苦手意識は良くない。クセになる。ソースは前世の俺。

「最初に狙われるのはおぬしじゃろうな。というより、おぬしだけが狙われるじゃろうな」 「ヤンデが守ってくれる」

 自惚れているわけではないが、ヤンデとの絆は強いつもり、なのだが。  シキ王はわざわざ嘆息を寄越してくる。

「一生エルフ領から出られなくなるぞ。ヤンデ殿もサリア殿に説得されて敵に回るに決まっておる。一緒にいられるからのう、喜んで協力するじゃろ」 「……」

 ――あなたは死にたいのよね?

 ――させないわ。あなたに死なれては困るもの。私はあなたが欲しいのよ。

 あの時、口づけしながら交わしたヤンデの本心は本物だろう。  もしエルフが俺を殺すのだとしたら、防波堤になってくれるはずだ。

 しっかしなぁ……。俺を殺すのではなく、エルフの持ち物にしてしまうと来るか。  既に王女としての自覚も芽生えてるっぽいし、独占欲も強そうだし……うん、シキ王の言う通りかもしれん。

「じゃが、おぬしはエルフ領にとらわれたくはあるまい?」 「あながち悪い気もしないけどな。エルフのハーレムだってつくれそうだし」 「ほざけ」

 ふんっと鼻で笑われた。心にもないことを言うな、とでも言いたいのか。

「おぬしはおぬしのために、エルフを鎮めねばならんというわけじゃ」

 今度はがははと豪快に笑ってくれる。

「愛しの娘を奪った腹いせよ。せいぜい苦しめ」 「他人事じゃねえぞ。俺がエルフ側につくとか考えないのか?」 「戯れ言を。おぬしはこの窮地をどう切り抜けるかを考えれば良い。正直言うが、ワシらも何も考えとらんぞ」 「前々から思ってたが、アンタ、結構いいかげんだよな。国王だろ」

 どこまでもお見通しと言わんばかりに助言してくるのが癪で、俺は不器用に毒突くことしかできなかった。

「いいかげんな人は置いといて、対策を考えましょう」 「頼んだぞジーサ殿」

 寝そべったままひらひらと手を振るシキ王は、次の瞬間――綺麗さっぱり消え失せていた。

「慌ただしいですね」 「今の、ユズのテレポートか?」 「肯定」 「うぉっ」

 いきなり頭上から声が聞こえてきた。  直後、幼女一体分の重さが頭に加わる。子供みたく体温も相変わらずぽかぽかで、湯たんぽならぬユズたんぽにできるレベル。

「そこに陣取るのはやめてくんない?」

 頭に居座られるのは初めての体験だが、落ち着かない。抱きつかれるよりも近く感じられて、パーソナルスペースなんてあったものじゃない。

「否定」 「否定された件」

 ユズは俺の頭に陣取ったまま、「早く考える」などとぽかぽか急かしてくる。  距離感が気に食わないのだろう、ルナは何やら頬を膨らませて上目遣いで睨んできたが、すぐに諦めたようだ。切り替えが早くて助かる。

「そうですね。真面目に急いだ方がいいと思います。エルフもたぶん、すぐこっちに来ますよね?」

 後半はユズに向けた台詞だ。さっきシキ王を送ったときに見てきたのだろう、迷うことなく頷いた。

 ああ、本当どうなるのかな俺。  とりあえずヤンデが時間を稼いでくれることに期待したい。

第225話 婿2

「一つずつ見ていくか。まず俺がエルフ側を蹴って、ルナとの結婚だけを支持したとしたらどうなる?」 「さっきお父様が仰られたとおりですよ。エルフが敵に回ります」

 俺の胸元からルナの声が、

「同感」

 頭上からユズの声が届いてくる。  近すぎてどうにも落ち着かないので、不意打ち気味に逃げようとしてみるも、全く動けない。ユズさんが魔法で固定しているようだ。  スキャーノもそうだけど、すぐ魔法で縛ってくるの何なん。

 今後のためにもあまり仲は深めたくないんだが、時間も無さそうだし、コイツらのスキンシップはいったん諦めようか。

「だったら逆に、俺がお前らを蹴って、ヤンデとの婚約だけを支持したとしたらどうなる?」 「させません」 「同感」 「いや、させないじゃなくて、どうなるかを聞いてんだけど」 「私が悲しみます」 「ユズも悲しむ」 「なら問題ないな」 「は?」

 「あ?」とも言えそうな凄みでルナが見上げてきた。王立学園では番長のごとく怖がられているらしいが、なるほど、納得できなくもない。  サバイバル生活が長かったからか、素が野蛮なんだよなぁ。「冗談だ」本当は本心だが、そんなことは言えないわけで、ルナの肩をぽんぽんしながらおどけておく。

「タイヨウさんが言うと冗談に聞こえません」 「激しく同意」

 母数2だけど満場一致である。信用ねえんだな俺。  あとタイヨウって呼ぶんじゃねえよ。ユズの防音障壁《サウンドバリア》なら大丈夫だと思うが。

「ユズはタイヨウを愛している。二度と離さない」 「おっ、いきなりどうした」

 とりあえず手を伸ばして頭を撫でようとすると、顔ごと俺の肩まで下ろしてきた。  さらさらの金髪がちょっとこそばゆい中、撫でてやる。気持ちよさそうに目を細めてくれた。

「国王様からの命令。タイヨウには常に近衛がつく」 「太っ腹だな」

 貴重な王族専用護衛《ガーディアン》を俺に割くとは。逆を言えば、それほど価値を置かれているのか。あるいは警戒されているのか。  後者だとは考えたくないが、偉い人間はそういう意図は隠しきる。後者だと考えて立ち回るべきだろう。

「身体の関係を築く許可ももらった」

 触り心地の良い金髪をとらえていた俺の手のひらは、魔力と思しき不自然な力によって別の部位に誘われた。  ぐにっと。あるんだかないんだかわからない弾力。

 ……なあ、なんでお前はそのまな板に近い胸を触らせたがるん?

「タイヨウさん、興奮してます?」 「ふざけるな」 「でも心なしか、私に向ける視線よりユズに向けるそれの方が熱い気がするんですよね」 「気のせいだろ」

 そりゃそうだろ。成熟した女性と未成熟なロリとでは稀少さが違う。  後者は前世ではまずお目にかかれねえんだからな。

 たとえロリでなくても、好奇心で見たい触れたい味わいたいと考えるのは男なら当然のことだ。  もちろん、こんなこと前世で書けば炎上間違いなしだろうし、実際したけど。

「ちなみに私も許可してます。タイヨウさんを繋ぎ止めるためなら、愛人の一人や二人は構いません」 「アルフレッドの王族はずいぶんと懐が深いんだな」 「今度は逃げたりしないですよね?」

 猜疑の雰囲気――オーラのこもった上目遣いが俺に刺さった。

 疑われているのだと肌でわかる。不思議と確信もできた。  この感覚は、間違いなくオーラと呼ばれるものだろう。

 普段ルナからぶつけられたことはなかったはずだ。

「正直に言わせてもらう。わからん」 「タイヨウさん……」 「だからこそ、お前らのやり方は正しい。俺はひねくれてるから、何かに依存することを良しとしないところがある。引っ張ってもらえるとありがたい」 「情けないタイヨウさんは嫌いです。もっと先導してください。お父様を超えるくらいに」

 俺を信じて止まない双眸がくすぐったい。  お前までヤンデみたいなこと言うなよ。  俺は国を背負う気などない。

 国だけじゃねえ。  お前らも、ヤンデも――そして俺自身も。

 何一つとして背負うつもりはない。

「唇頂戴」

 ぬっと目の前にユズの童顔が現れた。  無表情のまま唇だけすぼめるからちょっとシュールだ。可愛いけど。  受けると後が面倒くさそうなので、首を曲げて回避しておく。

「どさくさに紛れて何やってんだ」 「積み重ねが大事。タイヨウを虜にする」

 前半は正面から、後半は頭上から聞こえてきた。頭部のぬくもりももう消えている。

 口元が動いたのも見えなかったから、何気に無詠唱テレポートだな。  ただじゃれているのか。それとも力の誇示か。  幼気だが淡白な声からは何もわからない。

「話を戻すぞ」

 ことさら真面目なトーンで喋りつつ、また頭に着地してくるユズとまだ俺から離れないルナを強引に取っ払ってみる。今度は容易く離れてくれた。

 数メートルほど離れて向かい合った。  二人とも並んで正座だが、やはりルナはガードが固く、太ももが番人と化している。  ユズは俺の視線に目敏く気付くと、かぱっと広げてきた。俺も中学生じゃねえんだからいちいち反応してんじゃねえ。いや幼女体型だから健全な中学生よりもタチ悪いか。はははは。笑えねえ。

「ここまでで、どちらか片方につくことは許されないとわかった」 「いや自明ですよね」 「ちゃんと確認することは大事だ。ヒントは意外なところに転がってるもんだからな」

 俺は自分に言い聞かせるように、あえて言った。

 そう、手段などどうでもいいのだ。

 俺がやるべきことは死ぬこと。  そのためには二つのバグ――滅亡バグと無敵バグを潰してから死ぬ必要がある。  そうすれば天使が直々に俺を、俺の魂を|輪廻転生の理《生死の繰り返し》から解放してくれる。

 ……と口で言うは易し。  現状どちらも糸口さえ掴めていないし、そんな余裕もない。

 加えて、俺は。

 ――将軍全員を暗殺していただきたい。

 皇帝ブーガから一大ミッションを頂戴している。  期限は二年。口外も厳禁。達成できねばブーガ直々の封印が待っている。

(この時点で俺に選択権はねえんだよなぁ……)

 なんたってユズさえ凌ぐ傑物なのだから。

 今度は逃げないですよねって?

 んなわけねえだろ。  むしろ逆で、逃げるしかねえよな。

「振り出しに戻ったが、やはり二股は認めてもらうしかない。エルフ側が問題視する要素は全部明らかにして、全部潰す。それから民にも認めてもらえるよう、それなりの理由もつくる必要があるだろう」

 シキ王が言っていたが、民を特定の国に拘束することはできない。竜人の協定として定められていることだ。  ゆえに民は、今の国が気に入らなければ他国に行くことができ、これを離国《りこく》と呼ぶ。

 生徒達の反応から見ても、二股というイベントには大層なインパクトがあると言っていいだろう。  つまりは、民が離国しかないほどの。

「ガートンの説得が先でしょうね」 「ガートン?」 「会社の一つで、大手かつ老舗の情報屋です」 「それは知ってる。なぜガートンが出てく――ああ、そうか。情報紙」 「です」

 ジャースにおける会社とは、国さえも御せないほどの大組織を指す。  そんな巨人の情報屋さんは、情報紙などという新聞みたいなサービスを提供している。元々貴族や冒険者向けだったが、先日、庶民向けも始めた。

「民が認めてくれるような理由をつくって、それをガートンにばらまいてもらうしかないってわけだな」 「ガートンは後にしてもらうわよ」

 鼓膜が、というより耳の内から顔が破裂しそうな重ための振動交流《バイブケーション》が俺を揺らす。  遅れて、隠しもしない風圧と着地音。  ルナのスカートもめくれると思ってチラ見してみたが、既に手で押さえていやがった。

「ジーサの愛人?」 「本妻よ」

 ほ、ん、さ、い、と強調するヤンデの視線は、どう考えても俺の背中に向いている。

「ねぇジーサ。まさかその子供にも手を出したんじゃないでしょうね」 「くだらねえこと言ってねえで、お前も知恵を出せ」

 肩越しに視線を合わせつつ、ごんごんと隣を叩く。  間もなくヤンデは腰を下ろして、俺の右腕をかっさらう。

「おい」 「改めて挨拶するわね。はじめまして、ハルナ・ジーク・アルフレッドさん。本妻のヤンデ・エルドラよ」

 こっちは気合い入れた格好してんなぁ。いわゆるバトルドレスの類で、露出は激しいのに威圧感しかない。

「それでジーサさん。案はあるのですか?」 「無視するとは良い度胸ね。挨拶も習っていないのかしら?」 「いや、結構効いてるぞヤンデ。微妙に頬がひくついてるだろ?」 「ユズ」 「承知」

 瞬間、俺の左腕から罪悪感満載の感触が。

「愛人のユズ。よろしくお願い」 「下手《したて》に出ても無駄よ。私は愛人を認めるほど寛容ではないわ」 「でもジーサは認めてくれた」 「ジーサ?」

 左腕をぎゅっと包み込むユズと、頭をガシッと握り潰すヤンデさん。

「なあ。真面目にやらないか……。ルナも悪かったって。ほら、このとおり」

 両腕を封じられているのでウインクしてみたら、「は?」だからそのガンつけはやめて。

 役者が揃ったことで、早速アイデア出しを行う俺達だったが――  そんな都合良く浮かぶはずもなく。

 一時間もしないうちに生徒や教員達もぼちぼち戻り始め、昼休憩前には以降の平常運転がアナウンスされた。

第226話 婿3

「なぁ。こんなことしてないでサボろうぜ」

 エルフの妻により昼休憩を二十分で切り上げられた俺は。  Fクラス教室内で、いわゆるカンヅメ状態を食らっていた。

 周囲の机にはテキストやら模型やらが並び、空中にはいくつかの板書が浮いている。字の読めない俺向けに図解が多い。

「それはそれ、これはこれよ。勉強も大事にしなさい」 「偉そうだな。お前も一生徒だろ」 「ヤンデ」

 名前で呼べってか。妙に名前呼びにこだわるよなコイツ。誰指してるかが自明なんだからいいじゃねえか。

「次お前呼びしたら椅子にするわ」 「勉強よりはマシだな。椅子にするって? やってみろよ。お前の体重なんて屁でもねえぞ」 「【石化《ペトリファイ》】」

 瞬間、身体がぴくりとも動かなくなった。  皮のような薄い何かが全身に張り付いている。目と耳だけは開けてくれているが、それ以外は完全に密閉されていて呼吸どころか皮膚呼吸もたぶんできねえぞこれ。

(ダンゴ。クロ。大丈夫か?)

 一応聞いてみたが、後頭部と心臓に肯定の打撃を得た。  だよな、寄生スライムってたぶん呼吸からして必要なさそうだし。

「君はどこまででたらめなんだ。石化が使える人間は、ゴルゴキスタくらいなものなんだけど……」 「人間と一緒にされても困るわね」 「これ、石化じゃないですよ? 水魔法と土魔法で石化っぽい作用をつくっているだけじゃないかしら」

 残念ながら二人きりではない。  Fクラスの俺達を担当する教員、ラウルとアウラもまた付き添ってくれている。  シニ・タイヨウが目当てだと言っていたから、まあ己の休憩時間くらい平気で投げ捨てるよな。  あとはヤンデへの興味もあるのだろう。今も感心を隠さない。

「ただの魔法では到達できない練度です。スキルとして発現させたのよね?」 「ええ。さすがは|魔法使い《ウィザード》ね。あなたはできるかしら?」 「そうですねー……」

 うーむと顎に手を当て、首を傾げて考え込むアウラ。可愛さが様になっている。あざといともいう。

「一週間いただければ。ラウルは無理ですよね?」 「当たり前だろ。僕は剣士《ソードマン》だ」 「ちなみにヤンデちゃん、この石化ってもうちょっと拘束力強くできない? 個人的に石化したい人がいるんですよ。この堅物剣士なんですけど」 「そうね」

 童貞殺しの異名も稼げるであろう童顔巨乳魔法使いアウラと、比較さえもおこがましいエルフの血を引くヤンデ。  美女二人に見つめられているというのに、ラウルにはまるで怯む様子が無い。

 そんな金髪剣士と目が合う。  何やら同情されたようだが、それ以上にお疲れのご様子。目からため息をついたとでも言えそうな、イケメンには似合わない気苦労がにじみ出ている。

 普段は余裕しか見えないのに珍しいな。第一級冒険者でも疲れることがあるのだろうか。いや、第一級だからこそか? 相当難しい任務でもこなしたとか。  にしては、相方《アウラ》の方は元気いっぱいだけど。

「私でも厳しいわね。あなたには無理じゃない?」 「……」 「僕を睨むな」

 アウラがラウルに絡み始めるが、ヤンデは興味なさそうにスルー。  真っ直ぐ俺を見つめて、ニタリと微笑む。

「お望みどおりに固めてあげたわよ。気分はどうかしら」 「悪かった。解除してくれ」

 俺のパワーでは全力でも解けそうにない。真面目に第一級クラスじゃないと解除できないんじゃないか、これ。

「ちょうどいいじゃないの。このまま勉強を続けましょう。第一問――海の安全高度《セーフハイト》を答えよ」

 こうなってはどうしようもないので、おとなしく従うしかない。

「えっと、30メートルだっけか?」 「バーモンと混同しているわけね。海に住むのはシーモンよ。安全高度は1000メートル」 「ああ、そういえばシッコクがそんなこと言ってたな」 「シッコク、ねぇ……」

 ヤンデが苦そうな顔を浮かべたのを見て、ようやく気付く。  軽率だった。シッコク・コクシビョウは今や大犯罪者だ。

「悪い」 「別に構わないわよ。お母様はピリピリしているようだけれど」 「まだ見つかってないのか」 「ええ。エルフだけではかすりもしないようね」

 グレンも直接|殺《や》ろうとはしてなかったし、やはりシッコクは相当の実力者なのだろう。  俺にクロを託してきたわけだが、どうやって日々を生きているのだろうか。あるいはそっちにもまだクロがいるのか。

 待てよ。

 ダンゴにせよ、コイツら寄生スライムってもしかして――分裂できる?

「やるなアイツ。サリアさんも出し抜いたんだろ?」

 思考に浸かれば疑われる。  あとで考えることにして、ひとまずヤンデの注意を引いておく。

「私は構わないけれど、それ、他のエルフに聞かれたら殴られるわよ?」 「王女の婿なのにか?」 「一つだけ教えてあげるわ。たとえ私の夫であろうと、男に尊厳はない」 「ひでえなエルフ社会」 「嫌なら変えなさい。あなた自身が」

 別にどうでもいいんだがな。エルフなんて知ったことじゃない。

「男達はあなたに期待しているわよ。正直な話、私も今の女尊男卑は良くないと思っているから積極的に協力するわ」 「それは大層なことで」

 逆パターンの男尊女卑なら既に知っている。  多少の献身や権力程度では変えられないことも。

 加えて、現代では性的マイノリティの問題もあるし、こっちでも少なくともグレンは主張していた。  真面目に相手しても病むだけだぞこんなもん。

 もちろん、王女として燃えているコイツを前に、そんな発言はしない。

「そういうわけで、たかがEクラス昇級でつまづいている暇なんてないのよ。第二問。海に生息するモンスター『シーモン』の主要な遠距離攻撃パターンを三つ述べよ」 「突撃、魔法、スキル」 「ふざけてるの?」 「ファイヤー、サンダー、フリーザー」 「適当なこと言ってないで、知らないなら知らないと言いなさい」

 自分で言っといてアレだが、懐かしいな。  某初代モンスター育成ゲームの伝説モンスター三匹である。俺はサンダーばかり捕まえていたっけな。発電所のマップは今も朧気ながら覚えている。  あのゲーム、今は何匹くらいいるんだろうな。

 などと懐かしんでいると、「水流射出《カレントル》、壁波《ウォーブ》、ウインド・カッターの三つよ」エグそうな名前が次々飛び出してきた。

「初耳だな。最後のは通常魔法か?」 「アルティメットを撃つ個体もいるらしいわね。私はまだ見たことないけれど」 「怖いな海」

 通常魔法の魔法規模《パワー》にはノーマル、スーパー、ハイパー、ウルトラ、アルティメットの五段階があるが、アルティメットは人間には出せないと言われている。  それを一介のモンスターが撃ってくるわけか。

「水流射出は、要するに水を撃ってくるのよ。生半可なレベルや装備だと風穴が空くわね」 「怖いってレベルじゃねーな」

 金属を切断するウォーターカッターもあるくらいだから水の威力は疑っていないが、近距離の話である。  空に向けて、しかも千メートルも維持するって物理法則どうなってんだ。

「そして壁波は、高くて長い海流を発生させて丸ごと飲み込んじゃう大技よ。中にはシーモンがたくさんいるから、巻き込まれたらおしまい」

 俺が知っている海とは全然違う件――とは言えないので、「絶対に近づきたくねえな」適当な感想でも言っておく。

「第三問――」

 息つく暇もない。

 どうやらヤンデは想像以上に真面目で、ガチらしかった。  今も今週末――つまりは第四週十日目《ヨン・ジュウ》の定期試験に向けて頑張っていらっしゃる。

 昨日も俺はFクラスに留まろうぜとサボりを提案したが、一蹴された。

 コイツにもはやそういう甘さはない。  自らを律し、鍛え、歩み続けることで王女たらんとしている。

(んだよ。結局一人じゃねえか)

 ルナもそうだ。  俺のことが好きだと言いつつ、自分の立場から来る義務は譲らない。

(同じなんだよ。会社のクソどもと)

 ワークライフバランス、ワークアズライフ、ワークインライフ、多様性《ダイバーシティ》、包摂《インクルージョン》――  どいつもこいつも、頭と口では分かった風に言いつつ、その実、行動は何一つ伴っていやしない。  毎日定時で帰りたいです、誰とも喋らず仕事したいです、その辺の雑魚でもできる作業ではなくてもっと創造的技術的なことがしたいです、という平社員《オレ》の生き方一つにさえ配慮することができないし、その気も持とうとしないのだ。

(俺のことなんざ考えちゃいねえ。自分を満たしたいだけだ)

 親身になるつもりがあるなら、誠意を見せろよ。  別に永遠でなくていい、一時的でいいんだ。自分を曲げてみせろよ。こちらに歩み寄って見せろよ。

 空気や常識や倫理くらい、破ってみせろよ――

「――べよ」

 たぶん「述べよ」と言ったのだろう。  聞いてなかったからわからない。時間にして十秒もないが、珍しく思考のリソースを全部回顧に使ってしまった。  だからなのか、非常に胸くそが悪い。感情として降りてくることはないが、それでも悪い気がする。

 もっとも、ここで大人気なく当たり散らかしたところで意味などない。

「聞いてなかった。なんつか、勉強用の文章って聞き慣れねえよな」

 ヤンデがクイっと指を振る。  さっきと全く同じ声が俺の耳に響いた。振動交流だろう。おそらく自分の声を魔法で再現している。いわば魔法による録音と再生。

「ラウルさんの気持ちがわかるぞ。本当に何でもできるよなヤンデって」 「感心はいいから、ちゃんと聞きなさい」

 ただただひたむきなヤンデも。  被害こそ抑えているが、その辺の生徒なら跡形もなくなりそうな速度でじゃれているアウラウルも。  周囲の高き廊下でくっちゃべってる生徒達に、あと透明な校舎が幸いして見えているが、こっちに来ようとしている|ガーナとスキャーノ|《いつメン》も。

 皆を見ていると、不意に頭をよぎるのだ。

 俺って何なんだろうな。

 が、そんなこと考えても意味はないし、考えた分だけ疲弊するだけだ。バグってるからしないけど。

「わからん。答えを教えてくれ」

 俺は日常に戻った。

第227話 婿4

 二十メートル以上もの長大な、しかし細い丸太をヤンデにつくらせた後、地面にめりこませる。

「この上に立ち続けてみろ。横向きは禁止な。最初に一分間耐えられた奴には褒美をやる。何でも言うことを一つ訊いてやろう――」

 簡単にできそうな見せ方で実演したこともあり、数分とかからず子供達は夢中になってくれた。  もう夕方というのに、遊園地開場直後のようなテンションが見て取れる。なるほど、これに付き合わされる親はたまったものじゃないな。

 シャーロット家第七領の『プレイグラウンド』――俺達が開始した貧民エリア経済活性化施策は順調に進んでいる。  といっても、今のところはただのパルクール教室であり、コイツら現地の貧民と親交を重ねているだけだ。  身体能力が鍛えられることの実益も既に示しており、村長のランベルトも了承済。

 この調子で仲良くなれば、あとはどうとでもなる。

「ヤンデ。しゃがむのもナシだぞ」 「うるさい今話しかけ、な、い……ああもうっ!」

 薄着あるいは裸体の子供達に混ざっていたヤンデは、前後に大きく揺れた後、顔面から地面にダイブした。  良かったな、ウケてるぞ。

「一分、ですよね。十秒ではなく」 「ああ、一分だ。十秒だとまぐれもありえるからな」 「レベル1ってこんなに不便だったんですね」

 俺達は例のごとくベージュ色の細長い茎を腕に巻き付けている。いわゆる判定装置であり、レベル1を超えたパフォーマンスが発揮されると赤く染まる。  ヤンデはともかく、ルナもまだまだ慣れないらしく、さっきから真っ赤に染めたままだ。

「こんなのインチキよ。何かからくりがあるはずだわ。もったいぶらずに教えなさいよ」

 今日はなぜかガーナもついてきた。

 ルナもそうだが、職種が闘者《バトラー》なので本当は学園で訓練中のはずだ。なんでも課題を超速で終わらせてきたとか。どうせルナが王族権限でもちらつかせたんだろう。学園は生徒に例外を許すほど甘くはない。  コイツがここに来た意図はわからん。

「インチキじゃねえよ。ほら、見てみろ」

 俺はお手本を披露してみせる。  このような細い足場に乗ってバランスを取る動きは、パルクール用語でバランシングと呼ばれる。まんまなネーミングだが、体幹もバランス感覚も足場への順応も要求される基本技だ。

 ガーナは「嘘でしょ」とか言いながら、自分の茎を解き、俺の足に巻き付けてくる。  それでも茎は変色しない。  当たり前だ。俺が前世でどれだけ鍛えてきたと思ってる。バランシングは一生モノの奥深い趣味でもある。これだけで白米五杯は食えるし、何なら本当にバランス取りながらメシ食えるぞ。

「まあまあやるじゃないの――なら、これならどうかしら」

 ばさっとオーバーな動作で制服を脱ぐガーナ。  ガーリーな色合いのキャミソールに、ホットパンツ並の短いズボンだかパンツだが知らないが、夜の部屋着として着てそうな格好が現れる。  評するまでもなくスタイルは抜群。ルナにもひけを取らないプロポーションでありながら、たぶん娼者《プロスター》の嗜みなのだろう、肌のきめ細かさが人口的なレベルで整いすぎていて、なんか光沢もあるし、要するにエロい。  そんな女が、バランスを取る俺の目の前で《《しな》》をつくってくる。

「どうかしら」 「ちなみに熟練すると目を閉じても耐えられるぞ」 「ちょっと! ちゃんと見なさいよ!?」 「真面目にやれよ。まだ職練中だし、俺は仕事の最中でもある。ランベルトさん呼ぶぞ」 「くぅ……いつもはちらちら見てくるくせに」

 目を閉じたまま会話も行い、お手本のように下りてみせる俺を前に、ルナとヤンデは感嘆を隠せないようだった。  いや、対抗心かも。目がぎらついてて怖い。

 雰囲気にあてられたのか、ガーナも二人に混ざって真面目にやり始めた。

 よし、これで手が空いたな。  このバランシングは俺の手を空けるための小細工でもあった。「おにいちゃん」今のうちに考え事を進めよう。「おにいちゃん」とりあえずこの立場から逃げるための隙を一からブレストしてみるか、あるいは直近の俺の行動を全部リストアップしてからそれを読みながら「おにいちゃんってば!」ああもう。

「オリバか。どうした」

 この辺のガキ大将格の一人、おかっぱの女の子が俺の袖を引っ張っていた。

「あのね、お父とお母にけっこんしたいって言ったら、いいよってくれたよ」

 引っ張り方がちょいちょいからぐいぐいに。

「そりゃ良かったな」 「あとでしょうたいするっ! お父がしょうぶするって」

 ぐいぐいがぶんぶんに。服破れるだろ。あと汗は拭いてくれ。

「悪いけど忙しいんだ。また今度な」 「前もそう言ったもん! 知ってるもん! おとなはそうやってにげる」

 ぶんぶんがガシッになった。本体丸ごと俺の腕に抱きついている。だから汗……。

「よくわかってるじゃねえか」 「おい! にいちゃんにはねえちゃんがいるだろ!」

 残る大将格もつられてやってきた。

「ワスケ。言いたいことは本人に言え」

 オリバの小さくて軽い体を引きはがし、ワスケの前にかざす。

「なに? おにいちゃんとのあいびきでいそがしいんだけど?」

 誰がいつ逢い引きしたって?  それはともかく、幼い声なのに辛辣なトーンだった。「な、なんでもねえよ! ざーこ!」汲み取れないほど鈍感ではないらしく、ワスケは撤退を選ぶ。

「じゃまものはいなくなった」 「脈無しのようだぞ、ワスケ」

 遠ざかる背中に呟いて現実逃避していると、「うわぁぁ」ゴキブリでも見つけたような声が。  お団子頭の女の子――ダグネスが、まさにそのような目と表情を俺に向けていた。警戒しているのか肌の露出も少なく、半袖半パンである。あまり身体を張る性格でもないので汗も見せない。

「ぶさいくなのにちからもち。きもちわるい」 「悪口は言うなって教わらなかったか?」

 気持ち悪いというのは、俺がオリバを片手で支えていながらも茎が変色していないからだろう。

「わるくちじゃない。じじつ。ねえオリバ。はやくいこう?」 「いやっ。おにいちゃんといるの」 「ぶさいく」 「人のせいにするなって教わらなかったか」

 コイツら大将格を甘やかすと、子供達全体の秩序にかかわる。  ランベルトの名前も出して厳しめに対応し、何とか退けた。

 ふぅ、これで次こそは。

「ジーサ。一つ訊いていい?」

 だよな。さっきからこっちうかがってたもんな。

「改まって何だよ。あと肩ひもずれてんぞ」

 ガーナの、剥き出しの肩にかけられた肩ひもがずり落ちそうになっている。豊満なご自慢のバストもこぼれそうだ。

「見せてんのよ。効果無いみたいだけど」 「当たり前だろ。俺を何だと思ってんだ」 「アンタって小さい子供が好きなの?」 「……は?」 「目線よ目線」

 ガーナが片目を広げて、人差し指で指してみせる。  女優にも負けないくらい自然なウインクというか色気が出ているのはさすがだ。なんだかんだ、しつけられてんだろうなぁ。金持ちの雰囲気ならぬ、娼者《プロスター》の雰囲気みたいなのがあるもんな。

「娼館のお客様でもよくいるけど、小さい子が好きな人って目線が下に行くのよね」 「気のせいだろ」 「胸も色気も肉付きもないから、下腹部に吸い寄せられる」 「……気のせいだろ」 「自覚ないの? そうじゃない人と比べて、明らかに目が行ってる頻度が多かったわよ?」 「……」

 あれだろうか、胸をチラ見してくる男の視線はわかるという。

「ジーサさん? 嘘ですよね?」 「え、ジーサ、……え? は?」 「落ち着けよ。そんなわけねえだろ」

 ヤンデに至っては再び顔面から落ちた後、その体勢のままぎょろりとこっちを睨んでいる。エルフの御尊顔でも、いや、だからこそ人間より五割増しで怖え。

「頻度が多いとしたら、俺が筋肉を見てるからだ。ほら、バランスの姿勢はこうするだろ。こことここ。まさに股間の周辺に力が加わるんだ」

 俺はとっさに丸太に乗ってしゃがみ、自身の股関節を指し示す。  でたらめだが、どうせコイツらは身体には無頓着だし通じるだろ。

「見苦しいわね」 「真面目な話をしてんだが。だったら触ってみろよ。今から下手なやり方と上手なやり方をする。筋肉がどう変わるかを触って確かめてみろ」 「はいっ! わたしがする!」

 目敏い、というか地獄耳なおかっぱオリバがとててで近づいてきた。

「オリバといったわね。いいわ! 確かめて差し上げなさいっ!」 「いや、子供にやらせるなよ」 「アンタの魂胆はお見通しよ。下品なことを言えば、どうせ誰もやろうとしないぜ、うやむやにできるぜぐへへのへ、と思ったんでしょ?」

 悪意しか感じない言い方はともかく、この痴女、鋭いんだよな……。

「もしオリバが違うと言ったら何をしてくれるのかしら? 楽しみだわ」

 ガーナの言うとおりだ。  このまま試しても俺のでたらめが露呈するのみ。

「俺の負けだ」 「ジーサ!?」 「何うろたえてんだよヤンデ」

 いいかげん体勢を何とかしろ。せめて起きてくれ。ここでは隠してるけど、お前、エルフの王女だろ。

「うろたえるわよ! 自分の最愛の夫が幼子に欲情する変態だなんて、到底許されることではないわよ?」

 ルナが差し出した手を掴んだことで、ようやく立て直す。  本当なら魔法で一発だし、何なら宙を浮いて詰め寄ってくるだろうが、デフォルト・パフォーマンスを律儀に守っているようだ。

「お前らも知ってんだろ。俺は胸の大きな女が好きだ」 「わざとらしいんですよね。そういう振る舞いを演じているといいますか」 「わかるわ。わかるわよルナ。ジーサが胸に見境がないのは事実だけれど、それって男の大半は大きい方が好きという傾向でしかないのよね」 「そうなんですよ。なのにジーサさんは、これ幸いとばかりに振り回してるんですよね。見ていて痛々しいです」

 美少女とエルフがお互いに汚れを取り合っている光景の、何と尊いことか。  なのに、口舌の刃が痛い痛い。

「そこが良いところでもあるのだけれど」 「私もそう思います。何でも完璧だとつまらないですからね」

 そういうのは女子会でやってくれませんかね。本人目の前にいんだけど。

「ヤンデさんはご存知ないと思いますけど、ジーサさんは毎日飽きることなく胸を見てきます。子供みたいですよね」 「それが何? 私はもう《《した》》わよ?」 「はいはい。やったとしても、どうせ勃《た》たないですよね? ジーサさんは、これが無いと勃たないんです」

 ルナが胸の下の押さえて形を強調する。着衣の膨らみってなんでこんなにエッチなんだろうな。

「その点、私は違います。今夜にでも勃たせてみせます」 「無理な相談ね。ジーサはエルフ領で過ごすことになったのよ。あなたの番が来ることは永遠に無い」

 どっちの言い分も初耳だが、呼気からしてヒートアップしているし、そっとしていこう。

(こんなことしている場合じゃないんだよなぁ……)

 一刻も早く抜け出して、将軍暗殺の検討を始めたいところなんだが。  壁は中々に厚い。

 まずは近衛とヤンデの存在。  ルナと過ごすときは近衛がいるだろうし、エルフ領で過ごすときはヤンデが直々についてくる。どちらも今の俺では足元にも及べない。  レベルの暴力は知っている。逃げる隙など万に一つもあるまい。

 だからせめてと腰を据えて考え始めたいところだが、人が多すぎて気が抜けない。  俺は二国の王女と結ばれた前代未聞の注目人物であり、シニ・タイヨウという爆弾を隠す立場でもある。王族の閉鎖的な居住域以外では、絶対に気を抜いてはならない。つるむ人間も最近増えてきてるしな。  実質考える余裕なんて無いも同然だったし、今もない。

「アンタも大変そうね」 「わかってくれたか」 「性交訓練《セクササイズ》の件――着々と進めているから楽しみにしておくがいいわ」 「同情の体《てい》を取った報告はやめろ」

 冗談でも思いつきでもないらしく、本当に実行するみたいだな……。  男としては憧れるけど、ダンゴとクロの件もあるし、精を出せない俺の欠陥にも気付かれたくないからやりたくないんだよな。  どうせバグってるから興奮できないし。ルナの言葉を借りると勃つこともねえし。

「お母様曰く、国王様と女王様、双方の了解は得たそうよ」 「仕事が早くて勘弁してほしいぜ」 「エルフと合同で開催するつもりだから、楽しみにしておきなさい」

 ガーナ・オードリーを擁するオードリー家は、娼者《プロスター》の会社を維持するほどの権力を持つ。

 口ぶりから考えて、コイツの母親が頭領だろう。  それもシキとサリアにも顔が利くほどのパイプもある……。  コイツ自身も俺に物怖じしていないし、エルフ領で過ごしたときもそうだったが、精神的にも実力的にも上に立つ資質を持っていると思う。

 これとこれの家柄とも今度も付き合っていくことになるのだろうか。  なんつーか、外堀からじわじわと埋められてるよなぁ。

 社交の世界では当たり前なんだろうが、俺にとってはハンデでしかない。  顔が知られ、関係が築かれれば、それだけ動きづらくなる。逃げづらくなる。目撃されやすくもなる。

(もうリリースぶっ放そうかな……と、冗談はともかく)

 やはり早々に何とかするべきだ。

 アルフレッドからも、エルフからも逃げるために。  俺には何ができる?

第228話 婿5

 もはや俺にプライベートは無いらしい。  授業が終わった後、すぐに王宮に連れて行かれることに。  それもあえての歩きである。テレポートなりゲートなりでさっさと移ればいいのにそうするのは、俺を周知させるためだろう。

 派手な貴族集団、血生臭い冒険者パーティー。その辺の市民からギルド職員まで、ありとあらゆる者が、王都内を通りがかる俺達を――いや、ある一人を見てくる。

(コイツらもいるのにな……)

 前方にはラウル、後方にはアウラが控えている。要人の警備を隠しもしないオーラを前に、声を掛けられる者はいない。  その間を歩くのがルナとヤンデ、そして二人を両手の花にしている俺だ。

 群衆の関心は第一級冒険者ではなかった。  自国の王女でもなく、外国の美しきエルフですらなかった。

 俺だったのだ。

 敷地に着いてからはアウラウルと解散し、国王シキが直々に出迎えに来る。  次こそ瞬間移動かと思ったら、まだ律儀に歩くらしい。  ヤンデに振動交流《バイブケーション》を張ってもらった上で聞いてみると、「ワシが休むためじゃ」とのこと。  歩きながら休むってブラックにも程があるだろ。退職したい。

 十数分はかけただろうか。  居間とも応接室とも取れない、棚の多い部屋に到着。

 ドアを閉めることもなく、シキ王が振り返る。

「エルフへの弁明は三日後に行う」 「……二股を容認してもらえる言い訳をしろ、と?」 「左様」

 意味があるのか、無いのか、シキはウィンドウショッピングのように部屋内をうろつき始めた。

「対外的かつ大々的にやるんだよな?」 「当たり前じゃ」 「なんでだ? 二人で話し合ったんだろ?」 「おぬしの相手はワシらではない」 「だよな」

 |おっかない種族《エルフ》を丸ごと黙らせないといけない。  その舞台が三日後に整えられたということだ。

「場所はエルフ領だよな。エルフ以外の参加者は?」 「想定してはおらんが、多方面から招待するじゃろうな」

 全世界全人類――はさすがに過言だろうが、そのつもりで望むべきだろう。

「ユズ。ここで構わん」 「承知」

 姿も見えなければ気配もないが、たしかにユズの声だった。「【クリーニング】」間髪入れずに何かが唱えられる。  無詠唱当たり前の近衛が、あえて唱えた――  それだけも身構えるには充分。

 便器の洗浄を見ているようだった。    最後にシュボッと一気に吸い込まれるアレ。  あれが部屋内のすべての道具にのみ作用して、一瞬で部屋が引っ越し後の景色になりやがった。

 振り返ってみる。  残念ながらルナとヤンデの衣服は無事のようだ。まあそうか。近衛に限ってそんなミスはしない。髪の毛一本さえ動いてなくて、むしろ実力の誇示すら感じる。

「ふうん。この包み込みが彼女達の真骨頂ってわけ……」

 ヤンデには効果抜群らしい。ポーカーフェイスのポの字もない。せめて唇噛むのくらいは隠そうぜ。

「味方だと頼もしいですよ」 「敵だと鬱陶しそうね」 「そんな物騒なことは言わないでください」 「あなたこそ、心にもないことは言わないことね」 「仲良くしろよお前ら」 「は?」 「は?」

 息ぴったりですね。  睨む相手が違うんじゃないですかね。悪いのは俺の後ろのおっさんだぜ?

「お義父さん助けてください」 「ユズ。あとは頼んだぞい」

 音速を軽く置き去りにする速度で立ち去りやがる国王。  衝撃や風圧が皆無なのは、無論ユズのおかげだろう。俺にはまだピンと来ないが、ヤンデはこの正確無比な保護能力を畏《おそ》れたのだろう。一応、「おい待て、逃げるな」呟いてはみたが反応は無かった。

 女二人のご機嫌取りとか、バグってる童貞には荷が重すぎるんですけど。  思わず手を伸ばしていた俺の前に、「うぉっ」ユズが裸体を、というより可愛いお尻を割り込ませてきた。

 すんでのところで止める俺。  お尻と指の距離差、数ミリメートル。

「二人とも。平静を所望」

 奇怪な行動には冷や水をぶっかけるほどの効果がある。  狙ってやったのなら大したものだ。

「護衛は控えなさい」

 ユズはともかく、ヤンデは王女だ。近衛とはいえ、一介の護衛が気安い口を聞いていいものではない。  ヤンデも立場相応に威圧を込めていたが、

「護衛じゃない。友達」

 その返しを受けて、なぜかきょとんとする。

「と、とも、だち……?」 「なんだヤンデ、友達の概念も知らないのか? 俺でも知っていイテェッ!?」

 別に止める意味もないので、続きとばかりにお尻を撫でようとしたのだが、爪の間に針金みたいな風がねじこまれた。

「ジーサを取り合う仲。ユズも参戦」 「……その口ぶりからすると、お母様からの許可も?」 「肯定」 「面白がる二人の顔が目に浮かぶわ……と言いたいところだけど。あなたのような存在と言葉を交わせるのは、素直に嬉しいことよ」 「よろしくお願い」

 渾身の演技で痛がる俺を完全スルーして握手を交わす幼女とエルフ。  見た目は微笑ましいが、レベルは微笑ましくないな。

 おそらく今、ここが、皇帝ブーガの次くらいにヤバい場所なんじゃなかろうか。  付け加えるなら、コイツらを出し抜けない限り、俺に未来はない。

「揃いましたね」

 ルナはわざとらしく手を叩き、間もなく一連の答えを示す。

「では話し合いましょうか」

 ジーサさんは誰と寝るべきか――

 快活な美声がよく響いた。

 この響き方は防音障壁だろう。最近は張ってばかりだよな。  こういうのが必要な立場なんて早く降りたいものだ。

 ルナの議題も正直どうでも良かった。  どうせ俺は寝れない。いや、強いて言えば、睡眠時間が長くて、かつ寝相や寝言で邪魔してこない方がいいか。

「ジーサは要人。最も硬いユズと寝るべき」

 どんと薄い胸を叩くユズ。  気持ちは嬉しいが、俺の方が硬いから心配しなくていいぞ。

「ジーサさんは柔らかい女の子が好きですよね。私を抱き枕にしてください」

 見慣れた膨らみをチラ見した俺に呼応して、くすくすと微笑むルナ。  魅力的な提案だが、どうせ話しかけてくるんだろ。

「二人ともわかってないわね。ジーサは睡眠を邪魔されるのが嫌いなのよ。一緒にいるだけでいいわ。そうよね?」

 足を交差させて腕も組んで、と偉そうなヤンデ。  お前が俺の寝顔をガン見しにきてるの、気付いてるからな。

「ジーサは小さい子が好き」 「ジーサさんは胸の大きな女性が好きですよ」 「人間は控えなさい。エルフに勝てるわけがないでしょう?」 「ユズには覚悟がある。めちゃくちゃにされてもいい」 「め、めちゃ……私だって、で、できます!」 「何を赤くなっているのかしらね。私はもう済ませたわよ。ね、ジーサ」 「え、そうなんですか? 強がりだと思ってました」 「無問題。後で済ませる」 「それもそうですね。ジーサさん、今夜やりましょう。この際だから、ユズも一緒に」 「肯定」 「ルナにしては悪くない案ね。私も乗らせてもらうわ。一人よりも三人の方がジーサをひん剥ける。ふふふっ」 「ですよね。いじめちゃいましょう」 「期待」 「いや待て待て」

 静観してたけど、なんで四人プレイになってんだよ。しかもひん剥くって何。いじめるって何。

 性交訓練《セクササイズ》もそうだが、ジャースの性感覚ってちょっとおかしいよな。つーか怖い。

 それからまともに議論するのに三十分を要した。

 問題の本質は、毎夜俺がどちらのサイドで過ごすかという話で。ここに両国公認の第三勢力としてユズが加わっているが、ややこしいだけなので無視。  俺は色んな案を挙げた。交代制とか、ヤンデとはもうしたからルナからにするとか、ランダムとか、いっそのことどちらも過ごさず一人で過ごすとか――

 本当に色々挙げたんだが、全然取り入ってもらえなかった。  どちらも一番を譲る気が毛頭、心底、これっぽちも無いのである。

 結局、寝床は両領地に毎日交代でお邪魔することにして、過ごすのは三人一緒にしましょう、となった。

第229話 弁明

 一触即発――。

 それが第一印象だった。

 第四週四日目《ヨン・ヨン》の早朝、北ダグリンのエルフ領にて。

 規則的な樹冠が成す葉色の海に、凱旋門みたいな巨大足場が建っている。  その屋上で向かい合うは両陣営――アルフレッドとエルフだ。

 左手には国王シキが悠然と立つ。半裸だけど。  後方には分厚い鎧を着込んでいる精鋭『王族親衛隊』が出そろっている。見た目は暑苦しいのに、存在感は露ほども感じないから不気味だ。  反対側、シキの前方はすっきりしていて、三人のみ。  死神衣装で片膝をつく近衛二人と、その間にはルナ。王女の貫禄を頑張って演出している。

 右手には女王サリアがお手本のような直立を見せている。背後には第二位《ハイエルフ》と思しき麗人達。いずれもバトルスーツ姿で露出多めだが、この全身の皮膚が剥がれそうな雰囲気を前に、下心を出せる男などいまい。  同様に、女王の前には王女ヤンデが一人で突っ立っているが、呑気にあくびをかみ殺していた。

 で、俺はというと、中央の端に立っていて、どちらの隊も丸ごと視界に収まる位置にいる。

 両軍の王が動き、俺を向いた。  アルフレッド側はシキを合図にしてウェーブのように広がっていく。一方でエルフ側は、全員がゼロコンマ一秒で向き直っている。

 両軍の最強戦力、その視線を一手に引き受ける形だ。

「……」

 黙って空を見上げてみる。

 相変わらず雲一つとない心地良さだが、今は千を超える点が打たれていた。  人間、獣人や鳥人もいるが、領地だけあって|緑色《エルフ》が多い。

 だからなのか、こういう模様にありがちな気持ち悪さがなかった。  むしろ星空のようにいつでも見ていられるくらいだから、やはりエルフは別格だな。個にも集団にも細部にも全体にも全く醜さを見い出せない。  老人になっても美しいままなのだろうか。変顔さえも映えるのだろうか。

「それでは弁明していただきましょうか。前置きは要りません」

 閑話休題。  サリアの仕切りで、場が完全に静まった。そよ風や葉音までもが不自然に消えている。

(この弁明、俺がしくじったらヤバいよな)

 シキも、サリアも、完全に丸投げをしている。  だからこそ、この状況――どう転んでもねじ伏せるための備えを今まさにしているというわけだ。

 おそらく俺を取れなかった方が仕掛けるだろう。アルフレッドはわからんが、エルフは間違いない。

 だったらエルフ側に寝返るか?  バカな。軟禁されてこき使われるに決まっている。  ヤンデはルナよりも束縛が強いだろうし、サリアはシキほど物分かりも放任性もあるまい。

 ならアルフレッドにつく?  エルフ達を敵に回してまで? 第一級さえも殺してみせる兵力の群れを?  それこそバカだろう。

 どっちが勝ってもろくなことにはならない。

(この場を収めるしかない。丸投げされている俺自身が)

「始める前に、一つだけスキルの発動を許してもらう。精神を極限まで落ち着かせるためだ」

 両陣営は沈黙を破らない。  何かあれば何か来るよな。肯定とみなしていいよな?

「【シェルター】」

 俺は体内の相棒を避難させるスキルを発動した。  もちろん全細胞が避難しちゃうとシニ・タイヨウの容姿が晒されるため、ジーサの外面《そとづら》分は維持する。  この配分は昨日、妻二人が寝ている時に打ち合わせたものだ。

 秒とかからず、退避が完了する。  これで外皮が全部死んでも――たとえばクロのレベル90を超える攻撃を食らっても後で復元できる。  もちろんシニ・タイヨウが晒される展開自体、避けるに越したことはない。

「……」

 唯一発言しそうなサリアは、眉一つ動かさない。  進行も含めて俺に任せるわけね。いや丸投げだよなこれも。

 小言を言える雰囲気でもないし、始めるとするか。

 一応温めてはきた。  通じるかは正直わからないが、やれることもやった。  あとは賽を投げるのみ――。

 形式も礼儀も度外視して、俺の喋りたいようにやらせてもらうぜ。

「まず俺が掲げる信念について話す。その上で、今回なぜ俺が二国の王女を二股するに至ったかを、その信念と結びつけて話す――この説明をもって、双方とも納得してもらう。意見があれば、全部話した後に受け付けよう」

 リアクションは毛ほどもない。リモート会議じゃねえんだぞ。  空に浮かんでる奴らも例外ではなかった。クソ真面目なエルフが多いからだろう。固唾を呑んで見守っている様がピリピリと伝わってくる。

「ミックスガバメント――」

 俺は演説を開始した。

 ミックスガバメント――。  それが俺の掲げる信念だ。

 この言葉の定義は、そうだな……いきなり喋ってもよくわからないだろうから、順を追って話す。

 言うまでもなく、ジャースには様々な種族と民族が生きている。見た目からして違うし、生き方や考え方も違えば、住む場所も違う。  さて、人は同じものを共有する生き物でもある。違いは争いを生む。これが極端にでかくなったのが、いわゆる戦争だ。

 争いなんてやらないに越したことはない。むしろ多大な犠牲が出るわけだから、絶対になくすべきだ。  幸いにも廃戦協定が制定されたが、まだまだ無くなるとは言いがたい。  もっと劇的に無くしていく必要がある。

 そのためには何が必要か――

 違いを認めればいい。  受け入れればいい。  共に生きればいいんだよ。

 知ってる奴も多いと思うが、俺は混合区域《ミクション》の立ち上げに関わっている。一応説明しておくと、エルフと獣人が同じ場所で一緒に過ごす試みだ。  これと同じことをやるんだ。他の種族とも。他の国ともな。

 別の言い方をしよう。ダグリン共和国は良い例だ。  ダグリンという一つの国がありながらもエルフ、獣人、人間が上手く共存している。もっとも実際はただの住み分けにすぎなかったから、今回|混合区域《ミクション》を実施したわけだが……それはともかく、これを同じことを四国《よんごく》で行い、全種族で行うのがミックスガバメントというわけだ。

 ……できないと思うか?  気持ちはわかるが、静かにしてくれ。

 定義の話に戻ろう。  ミックスガバメントとは、すべての国と種族を混ぜて、一つの国をつくるものだ。  といっても統治するつもりはないし、できやしない。そういうことは竜人に任せればいい。  ここでやるべきことは一つ――違いの許容だ。  大事なことだから、もう一度言うぞ。

 違いを認めろ。  受け入れろ。  そして、共に生きろ――

 そんな在り方を進めていくのがミックスガバメントなんだよ。

 さて、そのためには、国の中枢を司る者達が変わらないといけない。お手本を示すってことだ。  そうだな、たとえば二国の王女が手を取り合い、同じ学校で過ごす――これくらいは当たり前だ。何なら人間にエルフの政治をやらせてもいいし、逆もエルフに人間の政治をやらせたっていい。  冒険者ならわかると思うが、個性は尊重するだろ? 剣士《ソードマン》に|魔法使い《ウィザード》の戦い方を強要はしないし、その逆もしかりだ。しかし、剣士のことや魔法使いのことは漏れなく知ろうとするよな。一緒に過ごして、時には衝突することもある。  そうやってお互いを知り、認め、受け入れていけば――やがて死線を越えられるパートナーになる。

 要するに、違いを排斥していてはダメだし、違いの許容は大事ですねそうですねと頭で分かった気になってるだけなのもダメだ。  行動が必要なんだよ。  少しずつ行動していって、学んでいって、軌道修正していけばいい。  冒険だってそうだろ?  政治だってそうだ。というより、人生そのものがそうなんだよ。

 この俺も、まさに行動を始めたところだ。

 ようやく本題に入るが、俺はヤンデ・エルドラと婚約した後、ハルナ・ジーク・アルフレッドと婚約した。  表層だけ見れば宣戦布告にも等しい行為だが、そうじゃない。まずはアルフレッドとエルフとでミックスガバメントをしてみようという、ただそれだけの話だ。

 俺はヤンデを愛している。ハルナも愛している。  だが、それ以上に――

 国を。  民を。  世界を、愛している。

 他ならぬ彼女達も、いや王族の者達もそうだろう。  統べる者は、同時に愛さなければならない。  それが義務であり、存在意義だ。放棄や怠慢など許されない。

 もちろん自国民や自種族だけ見ているのではダメだ。さっきも言ったように、争いは止まない。  争いをなくすためには、ミックスしながらわかり合っていくしかない。

 長くなったな。最後に改めてまとめよう。

 一つ、俺はミックスガバメントこそが在るべき姿だと信じている。  一つ、ヤンデともハルナとも結ばれたのはその一環であり、もっと言えば混合区域《ミクション》からの地続きである。  一つ、別に私利私欲を貪るわけではない。そんなしょうもない話はしてねえんだよ。

 いいか、よく聞け者どもよ。

 争いをなくす世の中のために、俺達は切り拓き続ける。  理解できないかもしれない。  戸惑うかもしれない。

 それでも、ついてきてくれ。  争い無き世を実現するために。

 お前たちが、いや、これから生まれてくる者達も含めて――みんなが笑っていられるように。

第230話 弁明2

 国の在り方を変える発言なのに、喋り終えた後も空気は全く変わらず――無言と不動による静寂が占めていた。  エルフだからなのだろう。本当に一ミリも動きやがらねえ。  盛大に滑ったりするとこんな感じなんだろうか。知らんけど。

 指揮権を奪ったのは、やはりサリアだった。  俺の発言に便乗し、また先日学園で行われたヤンデのスピーチも引用して、あっさりと収拾をつけやがった。

 空を覆うエルフ達の一斉の敬礼、そして迅速な散会――

 バグってなければ確実に息を呑んでた光景だな。

「のう。ワシ、言ったよの?」

 余韻に浸る暇はない。  王族親衛隊とハイエルフ達が相手国の王女と挨拶しているのを背景に、上裸のシキが詰め寄ってくる。

「我らとダグリンの深き関与が疑われると事じゃと言うたよのう?」

 四国《よんごく》の残り二国であるギルドやオーブルーが黙ってないんだっけか。

「仕方ねえだろ。エルフと争うよりはマシだ」 「ワシは構わんかったぞ。どうせおぬしが攫《さら》われて監禁されるだけじゃからの。エルフに婿を取られたくらいで、アルフレッドは揺らぎはせん」 「よく言うぜ。俺という要人をみすみすエルフに渡すってか?」

 俺はアルフレッドの内情を知りすぎている。  この見た目に反して狡賢く欲張りな国王が解放してくれるとは到底思えない。

「自覚が無いのですか、ジーサさん」

 娘の様子を遠巻きに見ていたサリアが、ふわりと上品に微笑んでみせる。

「この男は貴方を煙たがっていますよ。だからこうして我らに押しつけようとしているのです」 「煙たがってるのは俺なんだが……」

 食わぬ顔ってのは、こういうのを言うんだろうな。  この二人の王が何を考えて喋ってんのかがさっぱりわからない。唯一、社交辞令感に塗《まみ》れていることだけはわかる。  真面目に取り合ってもわけわからんし、下手に喋って足元をすくわれるのも勘弁。

「冷たいのう。ならワシはさっさと退散するとしよう」

 幸か不幸か、シキは近衛にゲートを開かせて、もう文字通り片足を突っ込んでいる。

「おい待て。収拾つけていけよ」 「煙たいんじゃろ?」 「怠ける理由を与えてしまいましたね」

 サリアが演技だとわかる苦笑を寄越す間に、ゲートごと消えやがった。

「せっかくですし、今後の話をしましょうか」

 間髪入れずとはこの事だろう。せめて数秒くらいは置いてほしいんだが。

「俺も帰ります」 「【無魔子薄膜《マトムレス・フィルム》】」

 不自然に高速な詠唱と同時に、料理で使うラップのような薄い膜が周囲に展開された。俺とサリアをすっぽり包んでいて、なんていうか相合い傘感。「【防音障壁《サウンドバリア》】」さらに内側に重ね掛け。  なるほど。魔法の干渉を受け付けない無魔子の層を張ってから、さらに音漏れを防ぐお馴染みの障壁を張ったわけだ。これで誰も盗み聞きはできないし、魔法でそうしようと膜を壊してもすぐ気付けるのだろう。

「ヤンデは交えなくてもいいのか?」 「二人きりで話したいのです」 「あとで文句言われそうだが」 「構いません。矛先は貴方だけでしょうし、そうでなかったとしても貴方に誘導しますから」

 ふふっと破顔したのが雰囲気でわかる。  どうせ見惚《みと》れてしまうのであえて見ない。ヤンデも睨みを利かせてやがるし。

 ついでに|もう一人《ルナ》にも視線を移してみたが、やりづらそうにしていた。  第二位《ハイエルフ》に囲まれてるからなぁ。人外の美貌と迫力は一人だけでもキツイ。俺もバグってなければどんな醜態を晒してるかわからん。  ルナも気が強い方だが、今は猛獣の檻に放り込まれた子猫みたいでちょっと面白かった。

「それで、ご用件は?」 「貴方の変装術のことです」

 痛いところを突きやがる。

「レアスキルを他人《ひと》に話すとでも?」 「やはりレアスキルでしたか」 「やはり、と言うと、あたりはついてたってことか」 「そうです。聞きたいですか?」

 寄生スライムの件がどこまでバレているかはわからなかったが、幸いなことに、ヤンデはまだ言ってないようだ。  ならレアスキルということにして誤魔化せる。

「お願いします」 「こちらのお願いを聞いていただけるのでしたら構いません」 「一応聞きましょう」 「私の性交訓練《セクササイズ》に付き合ってください」 「じゃあいいです」

 即行で断りつつも、つい隣をチラ見してしまう俺。  仕方ねえだろ。訓練とはいえ、エルフの頂点たる女王と致すなんて、たぶん人生を何千回やり直してもそうはない。

「エルフの女王を食べる機会ですよ?」

 サリアはそんな俺の下心にも、俺を眼力で殴ってくる娘にも気付いた上で、なお効果的な笑顔を向けてくる。  バグってて動揺しないのがせめてもの救いだが、目に毒なのは違いない。エルフの笑顔は反則どころの話ではないので本当にやめてほしい……。  癪だが、視界の隅にも入らないよう逸らすしかなかった。

「娘さんだけで間に合ってます。そもそもアンタはタイプじゃないし」 「一言余計でしたね」

 俺もそう思う。  露骨な強がりはダサいし、かえってわかりやすい。まあ俺ごときでは出し抜ける気はしないけど。

「――シッコク・コクシビョウはレベル30にも満たないエルフでした」

 ようやくサリアが真面目に喋ってくれた。

第231話 弁明3

「シッコク・コクシビョウはレベル30にも満たないエルフでした。それが私を出し抜いたのです。133は超えているでしょう」

 133ってのはレベルのことだろう。第一級は129からだから中途半端な数字だが、話の腰を折るわけもいかない。  シッコクは第一級だと言いたいんだと解釈する。

 やはりアウラやラウルのクラスだったか。会いたくねえなぁ……。  アイツの考えは正直わからんが、俺の存在を未来永劫気にしないほどお人好しではあるまい。明日いきなり近づいてくる、なんてこともありえる。  ご自慢の兵力でさっさと始末してほしいものだ。

「戦闘の過程で彼の脳を貫くことはできましたが、絶えることなく行動していました。この時点で、ただの変装術を超越した能力――スキルの中でも相当に稀少なものであると言えます」 「そもそも普通の変装術を知らねえんだが」 「普通は魔法なりスキルなり道具なりで変装するものです。レベルを誤魔化すことはできません」

 そうか、そういえばこの人、レベルを判定する手段を持ってるんだよな。  俺も既に二回ほどお願いしている。どっちも断られたけど。

「一方で貴方の《《それ》》は、レベルまでは偽装できていません。しかし、私さえも違和感を感じないほどの精緻さは健在です」

 指示語《それ》という言い方だと、知っている俺としては寄生スライムまでバレているのかと勘ぐってしまう。

 だが、サリアはまだ知らないはずだ。  もっとも知った上で知らないふりをしている可能性もゼロではないが、この二重壁を張ってまで行う意味はないだろう。

 サリアはまだ寄生スライムを知らない。

「《《それ》》はレアスキルであり、非常に繊細な偽装を実現する。たとえば身体の組織を丸ごと改変できる」

 こちらを向いているのだとわかる喋り方をしてきたが、「ノーコメント」俺としては答えるわけにはいかない。

「発現者の全容は不明ですが、少なくともシッコクと貴方には発現しています。そして《《それ》》は制御余地《オプション》が豊富で、たとえばレベルの偽装有無や偽装後の値を自由にコントロールできる――そうですね?」 「ノーコメントで」 「狭量の狭い男」

 ぼそっと呟いた女王がどんな顔をつくったのか見てみたかったが、そんな場合ではない。

(これ、かなり追い詰められてないか……)

 俺達の変装のカラクリ『寄生スライム』が見破られてしまえば、俺が《《今後別人として生きていくことも》》できなくなる。

 俺にはブーガの任務を果たすしか道がない。  王女の婿という立場では成せないし、第一誰かにバレただけでもダメだと言われているのだ。一人でやらねばならない。  もう百回は検討し直しているが、やはり何度考えても変わることはない。

 俺はジーサ・ツシタ・イーゼを捨てて逃走するしかないのだ。

(晴れてお尋ね者だな)

 そうするとシニ・タイヨウだけでなく、ジーサ・ツシタ・イーゼも使い物にならなくなるわけだが、その点は問題ない。  ダンゴとクロさえいれば百人力だ。何たって容姿から体臭まで変幻自在なのだから。獣人もエルフも騙せた。クオリティは疑う余地がない。  忘れがちなのが身体の動かし方や癖だが、これは俺自身が制御できるし、ジーサの時点で既にやってる。

「シッコク・コクシビョウを逃すわけにはいきません。そのレアスキルを打破する術を、私達は開発しなければならないのです」

 逆に俺としては打破されるわけにはいかねえんだよ。

 極端な話、寄生スライムかどうかを判定する方法が確立されでもしたら終わりだ。  サリアには少なくとも森人族《エルフ》に周知できる力があるし、そうでなくとも、今やガートンに提供することでジャース全土に広められてしまう。   「俺のレアスキルを吐けと言いたいのか?」 「そうさせたいところですが、貴方はアルフレッドの要人でもあります」 「ルナの婿じゃなかったらどうなってたんだ俺……」 「聞きたいですか?」 「結構です」

 人の実力を探らないのは冒険者のマナーだが、王ほどの立場に通じる保証はない。

(わかっているようで、わかっていなかった)

 もしルナと結婚させられていなかったら、俺は今頃コイツらに捕まっていたかもしれないのだ。  こういうの、ぞっとするよな。いやバグってるからしないんだけども。

「無茶な真似は致しません。その代わり誠心誠意、可能な限りの協力はしてもらいます」 「教える必要はないが、打破できる程度の情報は与えろってか?」

 矛盾してね?

 俺の無言の疑問を受け取ったサリアが、「珍しいことではありませんよ」さも簡単そうに言う。

「あるレアスキルを持つ人を殺すために、そのスキルを持つ別の人を探して協力をお願いすることはあります」 「自分の首を締めるだけだろ。誰が協力するんだ?」 「そうとも取れますが、自分と同じ切り札を持つ、自分以外の者を始末できる好機とも取れます」 「それで自分の切り札を教えたら本末転倒だ」 「ですから絶妙な方法を模索するのです。自分以外は始末できるが、自分には効かないやり方を」

 相当難しそうだが、サリアの言葉を信じるなら需要があるってことだろう。「断る」無論お断りだ。

「シッコク・コクシビョウは貴方にとっても脅威のはずですよ」 「断る」 「むしろ拒否する理由がありません。何か後ろめたいことでもあるのですか?」 「挑発しても無駄だぜ」

 たしかにシッコクは脅威だが、俺はもはやブーガミッションを遂行するエージェントでしかない。それ以外は受け付けましぇーん。  と、胸中でおどけてみせても事態は変わらない。

 このまま会話が続くとジリ貧だ。  俺は無敵で不死身で前世の知識を持つチート持ちだが、しがない凡人にすぎない。駆け引きで勝てるはずもない。

「……あらあら」

 女王の雰囲気が一変――娘を慈しむものになる。  ずっと正面向いて会話してるから俺にも見えているが、我慢できないヤンデさんがこの二重壁を破ろうとしているところだった。顔怖えな。

 もちろん魔法ゴリ押し勢のヤンデでは無魔子を破れないわけだが、そこはアルフレッドの親衛隊をこき使って何とかするらしい。  不幸にも目をつけられた男は、女王への攻撃を躊躇っているようだったが、口元だけでもわかる「いいから!」の一言で折れたっぽい。こっちに急接近してきてワンパンならぬワンアッパーをかます。  速度だけ見てもスキャーノ以上なのは明らかで、親衛隊は名ばかりではない。

 ラップみたいな第一壁は丸ごと吹き飛んだ。  直後、レーザービームみたいな炎の柱がヤンデから飛んできて、俺とサリアを飲み込む。

(いや割り込んだのはファインプレーだけどさ)

 サリアはどうも水のバリアを張っていたようで、お召し物含めて無傷――  俺はというと、もう何度晒したかわからない裸体と化する他はなく。

 場に居合わせる全員にフルチンを披露するのだった。

第232話 行間

 王都リンゴ中心部にそびえ立つ白き巨塔――ギルド本部。  その上層階の、とある一室では、黒スーツに身を包んだ没個性的な者達が顔を付き合わせていた。

 情報屋ガートンの職員である。  男にしては不自然な膨らみを持つ者も複数在席するが、そんな雑念にとらわれる者などこの場にはいない。  しかし、そのうちの一人――スキャーナに対する視線は例外だった。

「――以上がジーサ・ツシタ・イーゼ向けインタビューで用いる質問項目になります」

 ここまでの議論を、若手の彼女が代表して報告し終えた。

 スキャーナは今回、インタビュアーとして大抜擢されている。  王立学園への潜入任務に続いて今回の抜擢と来ており、ガートンの若手としては異例中の異例と言えた。  これが他の職員には面白くない。傍観に徹する上司がいなければ、ちょっかいの一つや二つはあっただろう。

 とはいえ、この場に集まる者達は私心を自制できないほど愚かでもなかった。  職員全員の視線が、唯一の上座に集中する。「ありがとうございます」丸眼鏡をかけた優男――ウルモスはにこやかに人差し指を立てると、

「私共《わたくしども》から追加したい質問は一つ。ジーサ様の実力を問うものを一つ用意してください」 「冒険者のマナーを軽んじるわけにはいかないかと」 「おい、スキャーナ」

 職員の一人が軽率な回答を責める。

 ウルモスはギルドの長だ。  廃戦協定で一国に成り下がったとはいえ、元々三国を御していた組織の頂点に立つ人物であり、早い話、国王シキや皇帝ブーガよりも上位に位置する。  そんな相手のリクエストを堂々と拒否するなど、真面目な職員には考えられないことだった。

「もちろんそのとおりです。君達の品位を損ねない程度に、ジーサ様を探る質問を何か考えてください――と、そう言っています」 「中々無茶な要求をするようで」 「スキャーナ!」

 声を荒げた者とは別の職員が一人席を立ち、頭を下げる。  ガートンでは副社長級の大物である。室内はスキャーナを責める空気が一気に充満した。

「申し訳ありませんウルモス様。この女は、有能ですが少々飛んでいるところがありまして」 「ひどい言われようですねスキャーナ」 「黙ってニヤニヤしている上司ほどではありません」

 対してスキャーナとその上司――ファインディは呑気なものだった。

「ようやく口を開きましたねファインディ君」 「……」 「なぜ黙るのです? なぜ目を逸らすのです? 久しぶりにあなたと出会えて、私は心が踊っているのですがね」 「ガートンを腐らせているゴミクズと喋る気はないそうです」 「勘弁してほしいようで……」

 スキャーナの声が二回続いたが、最初はファインディによる振動交流《バイブケーション》であった。  逆を言えば、他者の声を再現できるほどの実力を持っているとも取れる。

「相変わらずですねあなたも。《《小突きますよ》》?」 「私《わたくし》、スキャーナがお相手致しましょう」 「だから勘弁してほしいようで……」 「仲が良くて羨ましいですね。それでは追加質問の件、よろしくお願いします」 「……善処します」

 すぐに毅然とした態度を再開したスキャーナを見て、ウルモスは満足そうに頷き、

「スキャーナと仰いましたね。どうですか、この後食事でも――」 「お待たせ致しました」

 そんなウルモスの真後ろにゲートが生まれ、プレートメイルに身を包んだ何者かが登場する。

「エルフ……?」 「鋭いですね。ますます気に入りました」

 これが上司相手であれば遠慮なく嫌悪を向けるスキャーナだったが、さすがにウルモス相手にはできない。しかし平静を維持したまま聞かなかったふりをする程度は朝飯前だった。

「ナタリーと申します」

 全身メイル姿の頭部が解除され、鮮やかな緑髪と長い耳が姿を表した。  わかっていても目が離せない美貌を前に、職員らは一瞬だけ釘付けとなる。全く隙を見せていないのはスキャーナとファインディだけだ。

「それでは報告させていただきます――」

 エルフであるナタリーは、今の今までジーサの演説を聞きに行っていた。  今回のインタビューを組む上でも外せない内容であり、一同は報告を待っていたところだ。

 ナタリーは演説の内容を一字一句復元する。  魔法により声の振動を保持し続ければ不可能ではない。この程度の芸当に感心するほど無知な者は、この場にはいなかった。

 報告を終えた後、ウルモスは何も指摘を出さず、解散となる。  ガートンの仕事は山積みだ。傍観に徹していたファインディもてきぱきと指示を飛ばし始めて、部屋は再び慌ただしくなった。

 同時刻頃――

「あぁ、もふもふしてて気持ち良いわぁ」 「ぺろぺろしたら殺すぞピョン」

 同施設同階の広いロビーでは、ウサギの獣人に顔面を突っ込む第三王女《アキナ》の姿があった。

「ダメだよきゅーちゃん……こう見えても王女だから……」 「王女なら王女らしく振る舞えピョン! 護衛は何してるピョン?」 「あぁん、匂いも好きだわぁ。身体つきも私好みっ――」

 なんだかんだ一線は死守されている。普段は秒でパンチを繰り出すキューピン・ウサギは、拳をぷるぷる震わせる程度で堪えられたようだ。

 たっぷり分単位の満喫を終えて、アキナが顔を上げる。

「チッチちゃんも久しぶり」 「うん。あっきーも変わらず元気だね……」

 普段は裸族のチッチ・チーターだが、ギルド本部となればさすがに服を着る。  といっても胸部と下腹部をベルトブラで留めているだけである。この王女を刺激することはわかっていたが、だからといって服に費やすほどの凝り性ではない。

「一応聞くけど、舐めてもいい?」 「舐めたら絶交するね」 「待って待って! 冗談! 冗談だからっ」 「触るのも禁止!」

 全身チーター柄の獣人女と、場違いに高貴な黒ドレスを来た王女の組み合わせにもかかわらず、目立った様子は無い。  あるいは見て見ぬふりをしているのだろう。  ギルド本部には普段会えない大物が来ることもある。下手に目をつけられないためにも、生存戦略として関わらないのが無難とされている。

「後でしろピョン。早く案内しろピョン」

 キューピンが的確にすねを蹴ってきた。愛くるしい見た目もあって、「やぁん」アキナが嬌声をあげていたが、もう相手にもしていない。

「もう、せっかちねぇ」 「行こう……」 「チッチちゃんも冷たいわぁ」

 チッチは先導して、早足に二人を案内する。

 この会合は彼女からアキナに働きかけたものである。

 チッチは混合区域《ミクション》を――もっと言えば、皇帝ブーガが退けたとされる獣人領侵入者を疑っていた。  しかし皇帝に尋ねるわけにもいかないし、親友のキューピンも全く疑う様子がない。  そこで学者仲間であり、立場上色々知っているであろうアキナ・ジーク・アルフレッドに相談してみることにしたのだ。

 広い廊下を歩く。  縦も、横も、高さも、小さな屋敷が何邸も入るほどに贅沢な空間だ。とても塔の内部とは思えないが、これでもギルド本部内のごく一部でしかないのだから、つくづく規模が違う。  その分、セキュリティも厳重であり、このフロアの会議室は裕福な貴族や冒険者の御用達となっている。

「おや、これはこれは」

 すれ違おうとしていたガートン職員がわざとらしく立ち止まってきた。「うぇ」アキナが素の反応を示す一方、チッチは瞬時に警戒度を引き上げる。

 王族専用護衛《ガーディアン》を忍ばせたアキナが、声を掛けられた後に相手を認識した――

 遅れを取ることは無いはずだ。演技にも見えないし、そもそもする必要がない。  ということは、この職員にそれだけの心得があるのだ。

「情報屋が何の用だピョン。どけピョン」 「ウサギベースとは珍しいですねぇ。どうです、特集を組ませてもらえませんか? 報酬は弾みますよ」 「もう一度言うピョン。どけピョン」 「その誇りの高さは、良い読み物になるんですがねぇ……」

 良く言えば人畜無害、悪く言えば胡散臭い顔つきをした壮年の男は、何一つ匂わせることなく道を空けた。

「二人とも。この男とはつるんじゃダメよぉ」 「変態のあなたほどではないと思いますが」 「いい?」

 有無を言わさないアキナを前に、キューピンが顔を見合わせてくる。  チッチには既にこの男の算定ができていた。わかっていないのはキューピンだけで――直後、彼女は顔を赤くする。ただでさえ可愛らしいウサギベースの照れ顔は、付き合いの古いチッチにも破壊力をもたらすほどだ。

「恥じることはありませんよ。その可愛さですから、舐められないように振る舞うのは自然でしょう。わかっています」

 なのにこの職員には一切の揺らぎがなくて。  感情が死んでいるのか。あるいは情報屋らしくウサギベースを事前に知っていたのか。何にせよ、何も見えないのは恐ろしい。チッチは一瞬たりとも気が抜けなかった。

 当の本人、キューピンは一呼吸置いた後、静観を決め込む。  気性は荒いが無能ではない。まだ見えぬ実力差を弁えた上で、ぐっと堪えることを選んだのだ。せめて情報を与えないように。

 この男もその動きを理解したようで、興味の脱線を戻す。

「いつもの賢者《ナレッジャー》としての集い――ではなさそうですね」 「あなたこそ、こんなところで油を売っている暇はあるのかしら。インタビューがあるのでしょう?」 「状況から考えると、話題は混合区域ですか?」 「あなたに与える情報はないわよぉ」

 正確に見抜かれているが、この程度で外面を取り乱すアキナではない。王女として、下々に語る風を崩さない。

「協力致しますよ? インタビューは部下に任せたので手持ち無沙汰なのです」 「一つ良いことを教えてあげる。私、アキナ・ジーク・アルフレッドは、ガートンのファインディとかいういけ好かないおじさんが嫌いなの。記事にしても良いわよぉ」

 アキナが歩みを再開した。  その背中は以降の対話を拒否している。ファインディの矛先が、チッチに向く。

「きゅーちゃん。行こう」

 無遠慮な視線を無視して、チッチはアキナの後を追った。  刺すような好奇のオーラは、会議室に入るまで絶えることがなかった。

 この後、アキナ、チッチ、キューピン三名による『怪人調査隊』が発足する。

第2章

第233話 定期試験

 ミックスガバメントの演説から半週が過ぎた。

 ひとまずエルフとの敵対は回避できたが、俺の忙しさは変わらない。  やってることは勉強だったり仕事だったり鍛錬だったりするが、時間で言えば早朝から深夜までみっちりだ。どう見てもショートスリーパーな社長の密度であり、バグってなければとうに病んでいる。  そんなこんなで、あっという間に第四週十日目《ヨン・ジュウ》――定期試験が到来。

 Fクラス教室内は閑散としていた。  生徒は俺とヤンデの二人。教員は上裸のアーノルド先生と、俺を補佐するミライア先生。

 人五人分くらい離れたヤンデをチラ見する。  肘をつき、足を組んでいる姿は現代風の考える人といったところか。エルフの素材もあって、芸術と呼んでも差し支えない美しさだ。芸術何も知らんけど。  筆記用具の羽根ペンは生物のように自律している。|日常的な発揮《デフォルト・パフォーマンス》はどうした。

「戦術『チャージ・アンド・ダブルフォロー』における役割をすべて答えよ」

 ミライア先生の読み上げがよく響く。  防音障壁《サウンドバリア》が張られているからだろう。いわゆるカンニング防止である。心配せずともヤンデが許さないっての。

 それはともかく、読み書きできない俺には補佐がつくことになっている。  これもヤンデが図ったもので、その結果、こうして教員が――今回はミライアが読み上げているわけだ。

「えっと、突撃役、回復役、保護役だ」

 宙に浮いた羽根ペンがすらすらと動き、同じく宙に浮いた紙に書き上げていく。相変わらずジャース語の文字は読めん。

「次」 「同戦術における各役割の推奨配分を答えよ」

 は? んなもん教わった記憶がないんですけども……。

「次」 「エルフ領の川および大陸外の海の安全高度《セーフハイト》をそれぞれ答えよ」 「30メートルと1000メートル」

 王立学園の試験って問題の並びが完全にランダムなんだよな。関連する問題が二、三個続くことはあるが、いわゆる大問という概念が無い。

 ミライアの無言が続いたことで、俺はこの補佐の仕組みを思い出す。

「次」

 そう言うと、次の問題が読み上げられる。

 前と言えば一つ前に移れるし、机に置かれた小石を紙に投げれば、そこを読み上げてくれる。  今のミライアは装置と化しており、余計な雑談は一切しない。  しかし、相変わらずの本の虫はこじらせていて、目線はずっと手元の本を向いている。めくるスピードも早い。  ……じゃねえな、俺も集中しなければ。

 ここでサボってFクラスに留まったところで、さして意味はない。  むしろヤンデと離れることになってしまって危ないだろう。どうせ座学の担当はラウルやアウラだ。あの人達と一対一、あるいは二対一で過ごすとボロが出そうで怖い。

(にしても懐かしいな)

 試験の緊張感と焦燥感――前世の受験と資格で散々体験したな。  もう縁は無いと思っていたが、人生わからないものだ。早く終わらせたい。

 俺はおとなしく試験に邁進《まいしん》する。

 昼休憩を八割ほど侵食したところで、ようやく試験が終わった。  元々物量があるため、全部読み上げで解く俺は座学の時間だけでは終われなかったのだ。

 既に終えたヤンデは、少し離れたところで皆と団らんしている。  ルナ、スキャーノ、ガーナのいつメンに加えて、鳥人巨乳ミーシィ、縦ロール健在のハナとそのお付きのツンツン頭ことレコンチャン――勢揃いだな。さっきから見世物になりっぱなしだ。

「採点が終了しました」 「……早いな」

 ミライアの声はよく響く。  防音障壁って前世のどの防音設備よりも優れてるんだよな。あらゆる音域を通さない耳栓があったとしても、まだ勝てない。別の言い方をすると、防音障壁しか勝たん。  ともかく、よく響くからすぐに意識を戻せる。集中には打ってつけだよな、本当に。  前世で欲しかった。百万円、いや千万円でも買ってたかもしれない。

「結論から言うと、合格です」

 Eクラス昇進か。この晒し者校舎ともおさらばだな。

「正解数は?」 「201問でした」

 今回は300問中180問の正解がボーダーだった。100点満点で言えば、60点ボーダーの65点といったところか。割とギリである。

「あの、先生……本当にちゃんと見てます?」

 俺がそう言ったところで、ミライアはようやく顔を上げた。

「魔法で見ていますよ。もしかして、Fクラスに留まりたかったですか?」 「ただの疑問です。なんていうか、人間の処理能力じゃないと思いますが」 「人間の定義によりますが、本質的にはレベルの力を使っています」

 ミライアが羽根ペンを撃ってきた。  時速でいうと100キロメートルはあるが、200は無い。一般人《レベル1》では避けきれない猶予だが、今の俺はレベル10なわけで、その感覚で言うとさほど難しくない。  そうだな、今から落とすよと合図ありで手元から落とした物を足で止めるくらい。

 避けた羽根ペンは教室の端まで飛び、かつんとぶつかった音――は障壁があるので立たない。

「その反応速度も、あなたがレベル10だからこそできることです」 「なるほどな。原始的な認識の速度や密度については、レベルの力に頼れるってことか。たとえば魔法を使って同時に紙に触れれば、その力で同時に認識できる。十枚でも百枚でも」

 問題兼回答用紙は微細な土の粒で印字され、回答は羽根ペンの水インクで記入されている。つまり問題文も回答文も触感が目立つため認識しやすいってことだろうな。  逆に前世のインクのような、ほとんど凹凸のない仕上がりだと認識しづらいに違いない。

「ご名答です。限界はありますけどね」 「認識した刺激の情報処理が追いつかない?」 「はい」

 極端な話、同時に三つの声が聞こえることと、その全ての意味を理解することは別の話だ。  レベルで拡張されるのは前者でしかない。「ジーサさん」なんか先生が改まってきたけど。

「今からでも賢者《ナレッジャー》に変えませんか。あなたともっとお話がしたい」

 前世では大した知識ではないが、感心させてしまったらしい。「遠慮しておきます」俺は席を立って、ヤンデ達と合流する。

「あなたの分よ。喜んで受け取りなさい」

 ヤンデが野菜と肉をはさんだパンみたいなものを押しつけてきた。魔法で口元にねじ込むのはやめてくれい。

「合格した? ぼくとルナはしたよ」 「ちょっと! アタシを無かったことにするんじゃないわよ!」 「ああ。割とギリだったけどな。ルナはCクラスで、スキャーノはDだっけか」 「うん。早く来てね」

 なんかスキャーノと話すの、久しぶりだな。  主に俺のせいで、ガートンとして多忙を極めているそうだが、俺としてはありがたい。何ならこのままフェードアウトしてほしいまである。  今も、さりげなく席を空けてぽんぽんしてくるし。

 俺は気付かないふりをして、ヤンデの隣に座ると「アンタも無視してんじゃないわよ」さっきからスルーされまくってるお色気ムンムンなガーナさん。

「すまんが面倒くさい」 「その割にちゃんと視線はくれたわよね。そういう優しいところ、好きよ」 「……警戒しているだけだ」

 日本人なら一瞬でも気を配るくらいは当たり前だろう。  行動に移すかどうかはさておいて。生粋の空気史上主義民族を舐めるな。

 が、妻二人は納得されていないようで、口を動かしながら無言で睨んでくる。

「ヤンデもルナも。いちいち目くじら立てるなって。王女なんだから泰然と構えてろよ」

 あえて見ないようにしているが、Eクラス以上の校舎からは何百という視線が注がれてる。あまり素を出しすぎて情報を与えすぎるのは良くないと思うぜ。

「見当違いも甚だしいわね。私はあなたを信用できないと言っているのよ」

 言ってねえだろ。

「同感です。放っておくと、どっかのエルフさんのように、また嫁を連れてくるかもしれないですからね」 「偉そうにしているところ悪いけど、あなたは私の後よね?」 「対外的にはそうですね」

 ルナもタイヨウ時代の話が喉元まで出かかってんぞ……。

 ここで「なははっ」と他人事な笑い声が。レコンチャンだ。主のお代わりを用意している様は正確かつ優雅で、何とも器用な奴である。「賑やかでいいじゃん」うるさい。  その主ことハナは、茶色の液体をさも当たり前のように受け取ると、俺には見向きもせず口をつける。

 なんか難しい顔して考え込んでいるが、そうだよ、コイツみたいに無関心でいてくれると静かで助かるんだよ。

 こういう騒がしい日常を好む者も多いようだが、俺は勘弁だ。  基本的に割り込みゼロで常に100パーセントの集中を発揮できる環境が望ましい。人付き合いは、そこから必要最小限を必要な時に足すくらいがちょうどいい。

(でもこっちの世界じゃ、なぁ……)

 リモートを実現できる技術と価値観のあった前世はともかく、ここジャースでは無理な相談というものだろう。  まして俺も相当の立場になってしまったし、そもそも俺の孤独を許してくれないパートナーが二人もいやがる。

 早くここから逃げねば。

 そんな焦りにも似た意思だけが、俺を突き動かす。

「ジーサ様。今夜はよろしくお願いしますね」

 カップ片手の縦ロールが、社交辞令の微笑みで何か言ってんな……。

「シャーロット家として正式に挨拶させていただきます。お聞きになってませんの?」 「聞いてねえな」

 ルナを見ると、ふるふるされた。  首の振り方がユズに似てきてるぞ。

「さすがシキ様ですわね。私がこうして伝えることを見込んでおられたのでしょう」 「いや、単に忘れてるだけだろ」 「あるいは驚かせる魂胆じゃないですか?」 「かもな」 「そこ、イチャイチャしない」 「一言交わしただけだが」 「私とも交わしなさい」 「いつ見てもヤンデは綺麗だグブォッ」

 拳を錯覚するほどの綺麗な左ストレート。その風魔法も含めて、綺麗だと思ったのは本心だけどな。

 十メートルは吹き飛ぶ威力だったが、ふさふさの羽が受け止めてくれていた。

「もう我慢できない」 「は?」

 さっきから妙に黙ってると思ったが、もしかして我慢してただけかなミーシィ氏。  もう午後の職練だし、去ろうとする俺だったが、かぎ爪にがっしりホールドされ――思い切り抱き締められた。  あぁ……ルナ程度では出せないボリューミーな心地が俺を包んでいる。

「んんぅっ! これこれ、これだよぅ……この筋肉が良き良きですなぁ」

 羽が良いアクセントになっている。なんていうか、最高級のベッドと布団に包まれながら、人間離れしたグラマラスなお姉さんに抱かれている気分だ。  断言しよう。人間やエルフでは勝てん。

「ヤンデさん。協力してください」 「もちろんよ」

 直後、俺は十以上の魔法を浴びる羽目になる。

第234話 右腕

 沈みかけた太陽もとい天灯《スカイライト》が、夜へと至るグラデーションを王都に注いでいる。

 ここシャーロット家本邸は、貴族エリアの中でも一際高い場所に位置した。さすがギルド本部――中央の白い巨塔には勝てないが。  ともあれ、貧民エリアから何度も見上げていた、あの断崖絶壁の館の内部というわけだ。

 意匠も凝らしてあり、地面と壁だけでシュールな空間が表現されている。この世界観は、このアーティスト――という職業があるかどうかは知らんが、この作者にしか表現できまい。そう断言できるほど奇抜で、何とも捉えどころがない。  眺望よりもこっちを見ていたいくらいだ。

(ダンゴ。クロ。こういう暮らしには憧れるか?)

 手すりのない、剥き出しの崖から数歩ほど下がって腰を下ろす。  このシュールなテラスをぼんやり眺めていても、後頭部や心臓部には何の打撃も生じない。何か反応してくれよ。

 最近はほぼ就寝時しかコミュニケーションしていないが、コイツらはコイツらで楽しく過ごしているようだ。  なんつか、体内でわんぱくに動いてるのが伝わってくる。どころか活発に戦闘しているようで、たぶんクロが分裂で自分を増やしてお互いに戦わせているっぽい。  ダンゴは無理矢理付き合わされてしごかれているようだ。  おそらくレベルも上がってる。体内を駆け巡る動きが、わずかだが早くなってるからな。

(もっとレベルを上げておきたいところだが……いや、そういう発想が良くないか)

 そもそも高いレベルが要るという前提がおかしいのだ。  今のままで通用する展開だけで済むことを考えるべきである。最初から欲張らないでどうする。

(でもなぁ……どう考えてもキツイだろ。なぁ?)

 俺は今の立場から逃げるつもりでいる。  それだけでもかつてないお尋ね者だろうに、ダグリンの将軍を全員殺しに行くんだぜ?

 必殺《リリース》はそうは使えないし、素の能力もせいぜいスキャーノ級――よくてレベル90といったところか。逃走に限って言えばアウラにも通じたし、もうちょっとあると信じたいが。  そうでなくとも、シニ・タイヨウを覆うコイツらはクロが90で、ダンゴに至っては40でしかない。

 早い話、第一級冒険者の攻撃一発で俺の素顔は晒される。  素の俺では倒せないし逃げられないから、おとなしく捕まるか、リリースぶっ放して騒動にするかしかできない。

(将軍の一人一人はたぶん第一級クラスだよな。あの人が摘み取ろうとするくらいだし)

 つーかブーガさん、もっと細かい情報や便宜を図ってくれてもいいのにな。  が、もはや叶わないことだ。  以前の語らいで、ブーガは丸投げすると言った。何度も強調していたから覆せるはずもない。

 言わば、あの人は俺に|賭けている《ベットしている》。  俺というイレギュラーな存在を最大限発揮させるために、あえて自分からは一切関わらないようにしているのだ。

(もう賽《さい》は投げられてる。でも、俺は考えることをやめたくはない)

 根性論は嫌いだし、今となっては精神的高揚も全く期待できないが、それでも今が正念場だということはわかる。

 どうせ疲れることもないんだから、粘れるだけ粘ればいい。

「ジーサ様。そろそろお時間ですので、御案内致します」

 数十メートルは離れた出入口から、振動交流《バイブケーション》による使用人の声が届いてくる。  早すぎず、大きすぎず、鋭すぎない届き方で普通の会話と遜色無い自然さだ。こういうのもたぶん社交の指標になるのだろう。

「ああ。今行く」

 つかの間の休息もおわりだ。

 ハナは正式に挨拶するとか抜かしてたが、どうなることやら。  国王はこういう休息を差し込んでくれる程度には有能だが、だからこそ、この会合は注意が必要だろう。  あの人でも断り切れない相手ってことだろうからな。

「君がジーサ・ツシタ・イーゼだな。会いたかったぞ!」

 暑苦しそうなおっさんだった。  体格は大男のシキ王と比べると平凡だが、貴族らしい品格と権力者らしいアクの強さが同居している。初対面ながら、この人が理性を崩す光景を全く思い浮かべられない。  格好はかなりラフだ。無地の半袖半パンで、バカンスに来てるベテラン俳優みたいな味。

「シキはなぜか会わせたがらんのよ」 「ジーサ殿はワシの懐刀じゃ。他者に使わせるわけにはいかん」 「何を言う。ワシとお前の仲じゃないか」

 隣に座る国王と強引に肩を組むおっさん。この人こそがマグナス・シャーロット――アルフレッドの双璧を成す大貴族シャーロット家の当主だ。

 シキ王は嘆息しながら、その手をはねのける。  旧知の仲って感じだな。それでも全く気恥ずかしさを匂わせないあたり、さすがというか、カッコいいというか、ずるいというか。大人である。

「本当はしばらくお借りしたいところだが、国王の命には抗えん。せめてもの足掻きってことで、こうして取り付けたわけよ」

 マグナス曰く、俺が|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》になったことが、正式に顔を合わせるために必要な最後のピースになったそうだ。  正論を並べて要求されれば、シキとしても認めざるを得ないとのこと。  まあ細かい部分は知らないし、知りたくもないけどな。そういう社交界の心理戦はどうでもいい。

「こやつは小賢しいからよく覚えておいた方が良いぞい」 「アンタにだけは言われたくないんですが」 「バハハハッ! ずいぶんと親しいじゃないか。羨ましいぞ」

 ちなみに席次の概念は無さそうである。  簡素な丸テーブルに、背もたれのない木製の椅子で取り囲んでいるだけだ。時計回りにシキ王、マグナス、ハナ、俺、ヤンデ、ルナの計六人。  無いと言えばもう一つ。テーブル上にも何もない。

「早く始めてもらえないかしら。私達は忙しいのよ」

 ヤンデが肘をついたままコンコンと指でテーブルを打つ。

「おお、これはこれはヤンデ様。申し訳ない」

 コイツ偉そうだなと俺は思ったが、そうだよな、俺が麻痺してるだけで実際偉いんだよな。  マグナスにも娘のハナにも気分を害する様子がない。いや面の皮が厚いだけかもしれないけど。

「お父様ははしゃいでおりますのよ。美人に目がないから」 「ハナの方が可愛いよ」 「はいはい」

 フレンチキスしようとする父を、ハナがぐいっと押し退ける。  頬を押し込まれて半面が変顔になっているマグナスが「シキもそう思うだろ?」いやらしい笑顔とともに国王に振る。  途端、ハナがもじもじしだして、「き、今日は気合いを入れましたの……国王さま、いかが、でしょうか?」などとすっかり乙女である。

「ほら可愛い! ワシの娘が一番ッ! というわけで、さっさと受け取らんかい」 「そ、そんなお父様……私《わたくし》にはまだ早うございます」

 がたっと立ち上がって娘を示すマグナスと、両手を頬を当てて顔を赤らめるハナ。こいつら仲良いな。もう社交の心理戦始まってるのかもしんないけど。

「ヤンデ殿。こやつらの口、封じてもええぞ」 「そうさせてもらうわ」

 たぶん氷魔法だろう、視覚効果《エフェクト》が一瞬見えていたが、

「そうですわね。そろそろ始めましょう」

 ハナの淑女モードを前に、ヤンデは取り下げたようだ。  コミュ症だからだろうか、俺にはどこまでがネタでどこからがマジなのかわからねえ。

「まずは我がシャーロット家について手短に説明します――」

 ハナによる説明がしばし続いた。

 大まかには既に知っている内容――アルフレッド王国の政治面の大部分を引き受けている家柄という点。  前世でたとえるなら、郵便と鉄道以外にも政治全般が民営化している感じか。いや政治面に対して使う言葉かどうかは怪しいし、前例もないと思うけど、あくまでたとえとして。

 全体的にビジネスライクなシステムだった。  たとえば組織構成は本家の下に分家、分家の下に組となっており、機能ごとに分割された職能主義が敷かれているようだった。

 で、こういうのを説明されてどうしろと?

「おぬしにどうこうしてもらうつもりはないが、概要くらいは押さえておけ」

 目で問うだけで答えてくれるシキ王が頼もしいが、だからこそ手強い。

「甘くないですか? ジーサさんは私と一緒に王国を支えるんですよね?」 「人には向き不向きがある。あまり詰めすぎるとパンクするぞい」 「私はもっと詰め込まれてますよね?」 「ハルナは向いておるからの。もうちょっと増やしてもいいくらいじゃ」 「これ以上増やしたら二度と口聞きませんから」

 ルナをあしらうのも上手い。  俺も見習いたいくらいだ。

「国王さま。でしたら私に詰め込んでくださいまし」

 ぽんとさほどでもない胸を叩くハナ。いや、ドレスの具合から見て、意外とあるかもしれない。どうも盛り具合も変えるタイプっぽくて、いまいちわからねえんだよなぁ。CからEで揺れてる。Fは無いだろう。

「また今度の」 「見ましたかお父様。こうやって子供扱いされますの」 「見たぞ見たぞ。これはイカンなぁ」 「それとジーサ様が胸を見てきました」 「ジーサ?」 「ジーサさん?」

 いや、行けると思ったんだけど、意外と鋭いなコイツも。  マグナスはというと、何やらニヤニヤしている。なんか企んでるよなこれ。

「まあまあ。本題と行きましょうや。あれを」

 やや強引だが、使用人を呼び寄せたことでリセットできたようだ……ってさっき俺を案内した人か。  彼女は立ち去る様子がなく、マグナスの後ろで何やらメモの姿勢。

「質問を用意している。楽しもうじゃないの」

第235話 右腕2

「……質問?」 「インタビューの練習にもなるだろう。なあに、弁えはするさ」

 質問? インタビュー?  いきなり何の話だ、と俺が口を開こうとする前に「何よそれ」ヤンデが突っ込んでくれた。

 ふわわぁとあくびをしていらっしゃる。  ああ、毎夜ルナとユズも交えてはしゃいでるもんな。大してルナは全く眠気を見せない。白夜の森時代からそんな気はしてたが、たぶんショートスリーパーだ。

「ガートンインタビュー――通称『インタビュー』と呼ばれるイベントがありますの。これは新たな要職者に対して、ガートンが公式に行う質問の場です」 「拒否権は?」

 ありませんと断言する金髪縦ロール。一応、上裸にも目で尋ねてみると、「そういえばそうじゃったの」などととぼけやがる。

「なんで俺だけなんだ? ヤンデとルナも十分ネタになるだろ」 「ガートンにお聞き下さいまし。確かな情報源ですわ」 「インタビューっつったが、そういうのは事前に教えてくれるものでは?」 「前日にお知らせするのが慣例ですわね」 「それじゃ準備できねえだろ」 「準備無しに望んで、率直に答えるのがインタビューなのです。何をそんなに狼狽えているのですか?」 「いや、だって、おかしいだろ。要職者にまともな準備をさせずに晒し者にするってことだろ? アンタらはそれでいいのかよ?」

 今回の例では、俺がアルフレッドの代表として受け答えするってことだぞ。  それも情報屋ガートンによる、公式のイベントと来た。全土に知れ渡るに違いない。ノー準備で記者会見するようなもんだろ。無理ゲーだ。  俺は王国のことなんて何も知らないに等しい。いや、そんなことは正直どうでも良くて、異世界人としておかしなことを口にしてしまう可能性が怖い。

 ハナが隣の父と顔を見合わせて、小首を傾《かし》げた。  父マグナスが今度はシキ王と見合わせて同じことを試みるも、王は表情一つ変えない。

「別に繊細な質問は来んぞ。おぬしのどうでもいい情報を尋ねるだけじゃ」 「練習するのよね? さっさとやるわよ」

 ヤンデが割り込んだことで、全員の視線が俺に集まる。「そうだな」俺も了承するしかない。

 何はともあれ、シキ王が問題視しないなら問題無いんだろう。  こういう思考停止は嫌いだが、無知な俺には選択肢がない。

「では雰囲気からつくろう。ルナとハナはこっちに来なさい」

 マグナスの指示で二人が父親の後ろに突っ立つ。

「えー、おほんっ――それでは、史上初のダブルロイヤルとなったジーサ・ツシタ・イーゼ様にお聞きしましょう。なお、今回はついでに|森人族側《エルフサイド》の嫁であるヤンデ・エルドラ様にも同席いただいています」 「この私をついで扱いするとは、良い度胸じゃない」 「ワシも興味あるのう。せっかくじゃから付き合ってやれ」 「……仕方ないわね」

 ヤンデさん、やけに素直じゃねえか。いや、俺のためになるというニュアンスを出して庇護欲を刺激したのか。  有能すぎて怖いんだけど。

「まずは出身をお願いします」

 テーブルに両手を置いてにこにこするマグナス。口調もアナウンサーみたいにかしこまっててノリノリだ。

「ボングレーだ」 「言うまでもないことだけれど、北ダグリンエルフ領よ」 「ボングレー? 聞き慣れない地名ですね。どの辺りですか?」 「お父様? インタビューではそういう深掘りはしないのでは? それにボングレーの名前を公表していいものかどうか……」 「構わぬ」

 シキがバトンを受け取り、やはり両手を置いてから少し身を乗り出す。何これ、圧迫面接?

「ジーサ殿。本番ではただ質問に答えていくだけじゃ。よほど意に沿わない回答でない限り、深掘りされることはない」 「だったらあまり喋りすぎない方がいいな」 「左様。愚か者はここで自分をひけらかして余計なことまで喋るところじゃが、おぬしは問題あるまい。あとは意に沿う回答をするだけじゃが、この練習で雰囲気は掴めよう。いや、一問ごとに批評《レビュー》した方が良いかの」 「そのつもりだったぞ。ハナにやらせるつもりだった」 「初耳ですわ」 「なら良い。続けよ」 「国王さま……不肖ながら、精一杯努めさせていただきます」

 謙遜も恋心もオーバーなハナはさておき。  肩を並べて喋るおっさんズは、暑苦しいが妙に似合っていた。長年の相棒感が滲み出ているというか。暑苦しいけど。

「それでは年齢を教えて下さい。テンユニットで構いません」

 いきなり答えにくいの来たな。禁忌《タブー》じゃなかったか?  ここで詰まって怪しまれるのもだるいし、その謎の言葉が例外を適用していることくらいはわかるので、尋ねるしかない。

「テンユニットとは」 「十年単位で良いという意味ですわ」 「四捨五入はどうする?」 「し、ししゃ? なんですの?」

 マジかよ、四捨五入ってこっちには無いのかよ。

「……たとえば14歳だった場合に10にするか20にするかって話だ。ボングレーでは扱い方が複数あって使い分けるんだよ」 「さすが変態の巣窟ですわね。その場合は10――すべて少ない方に倒しますわ」

 時間稼ぎをしつつ、先にヤンデが答える事を期待する俺だったが、どうやら俺の回答を待っているようだ。  年齢を言えないのはさすがに怪しいし、ここはマナー違反を主張して回避できる場面でもないだろう。

「30」 「20よ」

 誤魔化してもボロが出そうだし、|前世と同じ《アラサー》をそのまま言うことに。  特にリアクションは無かった。いや、ルナは少し顔に出てるな。一文字で表すなら「え?」あたりか。んだよ、老けてるとでも言いたいのか。  それはそうと、コイツもヤンデと大差ない気がする。  たぶんこっちの人も容姿と老化の具合は前世と同じじゃないか。勘だけど。

 だとして、じゃあ王立学園は20代以上が通ってる学校なのかって話になるが、ジャースはそういうものなのかもしれない。  いや、でも30代の容姿の人間、見た覚えがないけどな。基本的にどいつもこいつも若くてイケメンなんだよな。

「趣味はありますか? ない場合は、何に取り組んでみたいですか?」

 パルクール、ピッキング、プログラミング、ペン回し、ポテトチップス食べ比べ――いわゆる趣味のパピプペポだよ、なんてことは言えるはずもない。そもそも俺の造語だし。

「趣味はないし、特に取り組みたいものもない」 「夫とのんびり過ごすこと」

 おうちデートってやつか。悪くないけど、そういう日常に至ってしまう事態は避けたいところだ。

「ジーサ様は回答をひねり出してください。ガートンに突っ込まれると思いますの。ヤンデ様も、漠然としすぎているのでもう少し詳しくほしいですわね。同様に突っ込まれると思います」 「夫とのんびり食べ合いをすること」

 下ネタじゃねえか。  ヤンデが「わかってるわよね?」とでも言いたげな睨みを利かせているが、何もわからないのでスルーして、

「商店街で食べ歩きをすること」

 別に商店街にも食べ歩きにも興味はないが適当に答えると、「問題ないと思いますわ」とハナ。  いや問題あるだろ……。  俺はともかく、ヤンデのは前世で言えば「のんびりセックスすることです」と言ってるようなものだ。  なのに誰も何も突っ込んでくれない。ルナはぐぬぬしてるけど、ただのやっかみだろうし。

「魔法でもスキルでも構わないので、好きなものと嫌いなものを一つずつ教えてください」 「好きな魔法は風魔法全般。嫌いなスキルは無魔子《マトムレス》かしらね」 「マトムレス? それは魔子を扱うスキル、ですの?」 「内緒にした方が良いかしら。お母様のスキルなのだけれど」 「……」

 ハナが苦笑を浮かべてシキの背中に視線を落とす。  博識であろうハナでも知らない、女王の機密をいきなり知らされたとなれば無理もない。  シキは何も答えないが、無言でもわかるものがあるらしい。

「聞かなかったことに致しますわ。軽率な暴露はおやめくださいまし」 「ただの気晴らしよ」 「気晴らしは大事なことですわね。それでジーサ様は?」 「好きなスキルは振動交流《バイブケーション》。嫌いな魔法は風魔法全般だな」 「喧嘩売ってるの?」 「お前がいっつも殴ってくるからすっかり嫌いになったぜ」 「そう? なら今度からは火魔法に変えてあげるわ。服はこげると思うけど仕方ないわよね」

 早速俺の袖を焦がしにかかるヤンデさん。

「風魔法で頼む」

 それからも俺達はひたすら練習――とは名ばかりの質問攻めを食らった。

第236話 右腕3

 前世のネットには100の質問なるものがあった。  SNSが登場する以前の、ブログと掲示板でやり取りしていた時代の話だが、100個用意された質問の回答を全部書いて記事にする。  これを読んだり読ませたりすることで、濃密な自己紹介が出来ていたのだ。

 懐かしいなぁ。古き良きテキストサイト文化だ。  ……なんてことを考える俺は老害に片足突っ込んでるのだろうか。まだアラサーなんだけど。  と、それはさておいて。

 マグナスによるインタビュー練習は、100の質問を思い出させるものだった。  一問ごとにハナが回答の善し悪しを評価してくれたから、だいぶ要領は掴めたはずだ。代わりに、俺の嗜好はだいぶ知られてしまった。  異世界人を匂わせるような回答はしてないはずだし、多少の変わり者感はボングレーという変わり者の山村――もうナツナに滅ぼされたけど――出身の設定で誤魔化せると思いたい。

「ひょっとしてインタビューって娯楽目的なのか?」 「娯楽以外に何がありますの? ジーサ様は先ほどから頭のおかしなことを仰いますのね――ありがとう」

 ハナが使用人からカップを受け取り、ずずっと上品に口をつける。

「ひょっとして俺、けなされてる?」 「ひょっとしなくてもけなしていますわ」

 ハナの印象などどうでもいいが、やはり娯楽目的か。だったらさほど心配する必要もないだろう。

(芸能人のゴシップみたいなものか)

 俺の存在と嗜好が全土に知られてしまうわけだが、別に何とも思わないのは俺がバグってるからか。ジーサという皮を被っているからか。  あるいは逃走する決意を固めているからかもな。

「ハナ・シャーロット。私の夫に対して馴れ馴れしさが目立つようだけれど?」 「婿は王族階級ではありませんわよ」 「一線引くって以前言いませんでしたっけ?」

 ルナが視線で同意を求めてくる。ああ、言ってたな。「ヤンデもちょっと悲しそうにしてたよなブァッ」一瞬で口内に泥を充填するのはやめろ。

「撤回させていただきますわ。国王さまのお許しも出たことですし」

 この時間だけで三人はすっかり仲良くなりやがった。俺は散々ダシにされ、ネタにされてたけども。

「マグナス。おぬしの許可は出しておらんから勘違いするでないぞ」 「わかってるさ。今日の回答を聞いて改めて思ったぜ――この者はワシの手には負えん」

 くつろぐハナとは対称的に、マグナスは腰を上げている。  やれやれ、ようやく終わってくれるか――などと思っていると、ニッと微笑んできた。

「さすが実験村《テスティング・ビレッジ》を考えるだけはある。思考が違いすぎて同じ人間とは思えんわ」

 まあ異世界人ですからね。  ……って、ちょっと待て。

「――お父様。今、何と」

 ハナの手元からカップが落ちる。本来なら盛大にこぼれているところだが、使用人の魔法が介入して不自然にテーブル着地をきめている。

「頑張らないとついていけんぞ」

 マグナスは娘の頭を優しくぽんぽんした後、使用人と共に出て行った。  完全に見えなくなるまでハナはずっと俯いていたが、

「どういうことか説明していただけますか国王さま」 「よし、俺達も帰るか」 「レコンチャン」 「あいよ」

 シュンッと背後に出現した何者かが俺の両肩に手を置く。振り向いてみると、まあツンツン頭だよな。  軌道は見えなかったから、隠密《ステルス》か何かで潜んでいたのだろう。

 ヤンデは特に何をするでもなく「中々やるわね」などと褒めていらっしゃる。  ルナは露骨にびっくりしているようだが、まあレベル低いからな……って違うよな。お前、白夜の森では普通に隠密モンスター殺してたよな。演技だろうか。俺に言えたことじゃないが。

 頼みの綱ってことでシキ王にアイコンタクトを試みるも、「隠してて悪かったのう」こっちを向いてくれない。

「待ってくれシキ王。俺を晒すのか?」 「今さら何を。ミックスガバメントなどという非常識な方針を打ち出したのはおぬしじゃろうが」

 んなことはわかってんだよ。これ以上面倒を増やしてほしくねえんだけど。

「みっくすがばめんと?」 「実験村と混合区域《ミクション》に続く、ジーサ殿の第三の施策じゃ。詳しくは本人から聞け」 「国王さまが発案されたのではなくて?」 「できるのならとうにやっておるわ」 「……」

 ハナのよく整えられた双眸が俺を捉えて離さない。  目元ぱちぱち、口元わなわな。内心がかなり忙しいことになっているのがよくわかるな。

「やっぱアンタだったか。ハナをよろしく頼むぜ」 「何言ってんだ。お前らは良いのかよ。相思相愛だろ?」

 もうなりふり構っていられない。この呑気な付き人をターゲットにしてやる。

「良いも何も、さっき当主様が認めたじゃねえか」 「否定しないのな。俺に盗られる形だが?」

 当てずっぽうだがヒットしてくれた。  ここだ。ここを攻めるしかない。

 レコンチャンの恋心を刺激することで、ハナの意識を逸らす――。  仮に無かったとしても、ムキになってくれればうやむやにできるはずだ。

「盗られる? もしかしてハナの相手が一人だと思ってるのか?」

 作戦その一、秒で死亡。

「は? 一人じゃねえの?」 「ボングレーは変わってんなー。いわゆる『一途』ってやつだろ、それ」

 そういうことか……。  ジャースでは一途な色恋は多数派ではないのか。何となくだが、性に関して大らかであることとも繋がった気がする。

「ハナよ。今一度、誰を求めるかを己が胸に問うが良い」 「はい。そうさせていただきますわ――ジーサ様」

 鈍感でもわかるであろう熱のこもった眼差しに、紅潮した頬。

 高貴な装いと精緻に整えられた縦ロールのフィルターを外してみると、なるほど、一人の少女なのだとわかる。  たぶん年齢もヤンデらと大差ないか、もう少し若い。こんなおっさんは地雷なんだけどなー。

「前から思ってたんだが、俺、お前のこと嫌いなんだよ」 「ふふっ。お二人が仰られた通りですわね。ジーサ様はすぐに照れると」 「いい気味ですね」 「閉口するジーサも見物よね」 「二人ともいいのかよ。嫁が増えるんだぜ?」 「王女でなければ問題ありませんよ」 「うつつを抜かしたら締め上げるけどね」

 机の一部を《《切り取り》》、雑巾のように絞ってみせるヤンデを見ながら、そういうものかと思う。

 たぶんハナは側室のような扱いで、正妻たる二人にとって脅威にはならないってことだろう。  前世の価値観に染まってる俺にはピンと来ねえ。

「ジーサ様。私《わたくし》はあなたをお慕い申し上げておりました。やはり国王さまではなかった……」 「目を覚ませ。この容姿だぞ?」

 ダメだろうなと思いつつも、とりあえず鼻に指を突っ込んだ後、口でねぶっておく。  ダンゴの再現は完璧なのでちゃんと垢もあるし、ハナにも見えたはずだ。何なら飛ばしてもいい。

「実験村についてうかがったとき、その先進性と将来性に感銘を受けました。上からの命令で推し進めるのではなく、実験という形で民の自立性を尊重していく――痺れましたわ」 「雷でも食らったんだろ。安静にした方がいいな」 「全然面白くないです」

 さっきからルナが辛辣なんだけど。王女でなければ、とか言ってたけど、絶対気にしてるよなこれ。  なおハナにもまるで効果がない模様。

「アルフレッド全土を安定させるためには、今の体制では限界がありますの。為政者として数歩先を行かねばなりません。そんなある日、右も左もわからない私は実験村を目の当たりにしたのです。確信しました――この方ならばできると。この方と歩んでいきたいと」 「俺は無知だぞ。ようやくEクラスに昇格したような落ちこぼれだ」 「人には向き不向きがあります。一般常識は私にお任せください」 「俺はヤンデとルナだけを愛している。お前が入る余地はない」 「こじあけて見せますわ」 「股も開いてもらうことになるぞ」 「……構いません」

 一瞬だけ目を見開いたのを俺は見逃さない。

「俺の性欲を満たすだけの奴隷に成り下がるのであれば、認めてやらんこともない」 「そういう遊び方ですわね。娼館では珍しくないと聞いた覚えがあります」

 SMプレイならぬ主人奴隷プレイ、みたいなものがあるのだろうか。どのみちそんな性癖はないが。

「変態《ガーナ》にでも聞いてみればいいんじゃないですか?」 「そうですわね」

 くそっ、全然通じない……。ハナからはもう恥じらいも消えており、淑女の分厚い外面が優雅な微笑を浮かべてやがる。  仮にここでコイツを出し抜こうにも、俺の自虐癖と露悪壁を知る二人がフォローに入るに違いない。

「ハナは中々にやかましいぞ。父親譲りじゃ」

 シキ王が無駄に苦労を滲ませた演技をする。この人、鬱陶しいけど邪険にできなかった娘をこれ幸いと俺に押しつけただけだよな?

「もう、国王さまったら」

 ハナにも未練は無さそうで、ビフォーの無関心が嘘のようにちらちらちらちら俺を見てくる。  全く関係無い話だけど、なるほどな、これで視線が落ちたりしたら、たしかに分かるな。  結論。胸チラはバレる。

「やかましいのは二人で足りてるんだがな」 「ヤンデさんとヤンデさんのことですよね?」 「ルナと小さなお守りさんのことではなくて?」 「あの、ヤンデ様……もしかして王族親衛隊《ガーディアン》を指していらっしゃいますの?」 「軽率だったかしら」 「左様。こやつにも近衛を配備しておる。それだけの人物と共に歩むのだということを今一度噛みしめよ」 「……承知致しました」

 現実逃避気味に全員の胸をチラ見するくらいしかできない。  だってなぁ、そもそもシキ王がいる時点で負けてるようなもんだろ。

 一介のリーマンが駆け引きで権力者に勝つことなどできやしない。  だからこそ、こうしてずるずるとハマっているわけで。

「さて、用事も済んだことじゃし。仕事と行こうかの」 「まあ! 早速拝見できますのね」

 そして現在進行形で振り回されるという……。  これに抗える確かな力を俺はまだ持っていない。

(諦めるつもりはないけどな)

 この点だけは無敵バグに感謝である。  おかげで俺はいくらでも決意できるし、いつでも機をうかがえる。

 闘争心、いや逃走心を携えた俺は、今日もブラックに働く。

第237話 とある新郎の一日

 第五週一日目《ゴ・イチ》の、夜も空けぬ朝五時。

 王宮敷地内に無数と存在する部屋の一室には、王族にしか縁のない寝心地抜群の巨大ベッドが置いてあった。  ここで眠るは一人の同僚と二人の王女、そしてなぜかうつ伏せになっている渦中の人物ジーサ・ツシタ・イーゼ。

 そんな聖域の静寂にゲートが割り込む。  どの種族によるものか瞬時にわかる上品な展開の後、姿を現したのは――第二位位階《ハイエルフ》リンダ・エメラ・ガルフロウ。  無論、この程度で気付かないほど同僚は甘くない。

「三人とも。起床」

 近衛一号ユズによるモーニングファイアーが三人に炸裂する。  一般人《レベル1》が火傷する程度の微火力だが、たとえノーダメージでも温度変化が絶妙なら人は瞬時に覚醒できる。一号《ユズ》はこういう小火力の制御が上手い。

 その器用さは生活魔法全般にも及び、既に自身を含む四人分の身体洗浄、乾燥、着替え、朝食の準備からベッドの撤収まで済んでいた。

「なあ、俺の扱い雑すぎね?」

 いくつかの肉を手づかみしたジーサは、耳を引っ張られて連行されていった。

 行き先はエルフ領の僻地――広大な深森林の中でも第二位しか立ち入れない場所である。

「誰も見当たらないが」 「今日は私がお相手致します」 「……」 「その下品な視線はやめてください。またスパームイーターを入れますよ」 「仕方ねえだろ。人間がエルフに見慣れることはない」

 適当な言い訳をしつつ、中途半端な視姦をやめないのはジーサの悪癖だ。気付かれないとでも思っているのだろうか。  そもそも実力者であれば目で見るよりも魔力やオーラ、あるいは空気の流れを感知した方が正確なのに、なぜいちいち見るのだろうか。  視覚が映す鮮やかさ――特に色が重要だということか。あるいは相手の反応を楽しんでいるか、欲情しているのかもしれない。  他のハイレベルな男性冒険者もやはり見る傾向があるから、男とはそういうものなのだろう。

 無駄を嫌うエルフらしく、戦闘は速やかに始まった。

 ジーサが行っているのは戦闘訓練である。  自身のスキルは使わず、純粋な身体能力による戦闘と回避を鍛えたいらしい。

 対してリンダが行っているのは、ジーサの十八番――変装術の分析である。  エルフは彼の変装術に目をつけており、大罪人シッコク・コクシビョウを探す手がかりを得ようとしている。一方でジーサとしては、武器の一つをおいそれと教えるわけにはいかない。  その落としどころがこれなのであろう。

 すなわちエルフは戦闘をもって調査し、ジーサは戦闘をもって成長する――

「格闘はまだまだ素人ですが、逃げっぷりは腹が立つほどお上手ですね。魔法訓練に切り換えていいですか?」 「無茶言うな。俺は何も使えねえんだよ」 「もーもーがあなたの動きを美しいと漏らしていました。許しがたいことです」 「知らねえよ」

 もーもーことモジャモジャ・ローズ・ガルフロウはリンダの妹であり、昨日の鍛錬相手でもあったが、ジーサには役不足だった。  そのため今日は格上のリンダが対応している。

 わざわざ女王補佐《アシスター》が出る幕でもないだろうに、あえて出ているのは、彼女の本心が妹狂いだからだろう。  単に妹をこの男に近付けたくないのである。

 それでも割り当てとしては悪くない。妹狂いはともかく、ジーサを調査し、またプレッシャーをかける相手としては申し分ない実力者だ。  女王サリアもわかっていて、あえて許可したのだろう。

「最近もーもーが冷たいのも、あなたのせいに違いありません。去勢してもいいですか?」 「やめろ」 「着実にパートナーを増やされているようですね。腹いせに私も加わってよろしいでしょうか」 「絶対にやめてくださいお願いします」 「王女様からのお許しは決して出ないでしょうが、女王様にお願いすれば面白がって承認いただけるでしょう」 「リアルに検討するのやめてマジで」 「もーもーを加えると言ったら?」 「……いや、アンタが許さねえよな」 「何を想像したのでしょうか。あのエルフにしては豊満な膨らみに想いを寄せたのでしょうか。私は妹に劣情を催す者を許しません。催していいのは私だけです」 「なるほどな。客観的に見ると気持ち悪いってのがよくわかる」

 縦横無尽な軌道と乱雑な衝撃波が心地良い。  第一級にすら及ばない可愛い戦闘ではあるものの、二人とも決して下手ではない立ち回りだし、会話する余裕もある。将来性は悪くない。

「ぐっ」

 ジーサの悔しそうな一言とともに、顔面の皮膚が飛び散った。  その規格外に高性能な変装を構成する外皮である。リンダはすかさずそれを回収し、ひとまず口に含めながらも、訓練は続く。

 せっかくの人材配置《アサイン》ではあるが、おそらくリンダ程度では有用な情報は得られまい。  だからこそジーサ・ツシタ・イーゼ――否、シニ・タイヨウは手強いのである。

 ちなみに正体がバレるほど外皮を削られることはない。  詮索はしない、との命《めい》が下っているからだ。このエルフは女王に従わないほど不義ではないし、うっかり削りすぎるほど不器用でもない。

 早朝訓練を終えて帰還したジーサは、書斎でしばし一人の時間を取る。  国政顧問として腰を据えて思考したいからとのこと。孤独な環境の重要性を知らない国王ではなく、この時間は公式に認められている。

 この間、ジーサはひたすら部屋を歩き回る。  本は手をつけるどころか、視界に入れることさえしない。読み書きができないそうだが、レベルにしてはおかしい話である。  そのおかしさのカラクリをこっそり調べるために、おそらく国王はあえてこの場所を与えたのだろう。不審な動きは漏れなく逃すなと。言われずともわかっている。

 ちなみに、この時間はジーサタイムと呼ばれている。王女二名は撤廃を要求しているが、国王は飴と鞭も達者だ。年単位で続くだろう。

 ジーサタイム以降は王立学園一生徒としての日常が始まる。

 朝は座学だ。  ジーサはEクラスであり、ヤンデ王女と肩を並べて受けている。  他のクラスメイトとはろくに会話していない。主に王女が畏れられているためだが、二人とも全く気にしていない。

 授業内容は至って基礎的なものだが、ジーサには難しいらしく、王女はしばしば苛立ちを隠さなかった。その度にクラスメイトが萎縮している。二人とも、もう少し周囲に配慮するべきだろう。  特にジーサが王女を窘《たしな》めなくてはならない。人間族の世界では男が女をリードするものだ。女を御せない男は舐められる。舐められると要らないちょっかいも受けやすい。冒険者ならともかく、貴族や王族としては不利に働くため、今からでも対策が必要だろう。  当の本人はどうも考え事にご執心のようだが、何を企んでいることやら。

 昼休憩をはさむと実技だ。

 今日は飛行訓練とのことだが、ジーサは飛行の術を持たない。  複数の女生徒がサポートを買って出たが、勝ち取ったのはミーシィという鳥人の少女だった。  激しいスキンシップを表面上は拒否しつつも、どこか堪能しているようなジーサを前に、王女の二人とハナ・シャーロットは露骨に悔しがっている。  しかしここは学園――やんごとなきお方であっても、教育内容には従うしかない。

 各ペアが散会する中、ジーサとミーシィも上空へと飛んでいく。  両肩を掴まれて宙吊りになったジーサは、心なしか楽しそうに見える。空に慣れていない子供の反応を彷彿とさせた。

「ジーサちんは飛べないから何もできないよねぇ……」 「こうして飛んでるだけでいいだろ。これでも忙しい身でな。休ませてくれると助かる」 「じゃあバサバサする?」 「……しない。休ませてくれ」 「今ちょっと迷ったでしょー? わたしの下乳も見た」 「下乳って……」 「ほらぁ、また見たっ! やりたいんでしょ?」 「よし、じゃあやるか」 「えっ!? ほんとに?」 「なんでお前がびっくりしてんだよ」

 鳥人は性的に獰猛な種族だが、この少女は珍しく初心らしい。  こういうタイプは過保護な家族がいると生まれやすい。おそらくそう遠くないうちに、ジーサは彼女の家族と対峙することになる。

「気のせいか、鳥人が多くないか? 視界に入って目障りなんだが」

 少しでも印象を下げようと攻撃的な言葉を使うのもジーサの悪癖だ。  この鳥人には通じないだろうに。あるいは素なのかもしれない。

「最近流行ってる小説で王都が出てきたってお姉ちゃんが言ってた。実物を見に来たんじゃないかなぁ」 「聖地巡礼ってやつか」 「小説って何が面白いんだろうねー。ジーサちんは読む?」 「ライ――読まない。つか読めない」 「らい?」 「何でもない。それよりお姉ちゃんって怖いんじゃなかったか? 今さらだがこんなことしてていいのか?」 「見られなきゃへーきへーき」

 空の開放感とミーシィの人柄が、ジーサの気を緩めているのかもしれない。

 せいちじゅんれい。注目対象の一つであるタイヨウ語――彼が使う独特な言葉は見逃せなかった。  それに読み書きはできないはずなのに、答え方に詰まったのも怪しい。

「とりあえず落ち方を練習したいんだが、付き合ってもらえるか?」 「よくわからないけど、たたき落とせばいいの?」 「違えよ。手を放して俺を落とした後、お前も並走してきて、俺が良いと言ったところで止めてほしい」

 一応真面目に鍛える気はあるらしく、ジーサの主導でよくわからない練習が始まっていた。

 もはや彼にジーサタイム以外の安息は無い。

 夕休憩には新米教師であるアウラとラウルが同席して、話に花を咲かせていた。  主な話題はグレーターデーモンの撃破方法について。ジーサから何らかの《《ぼろ》》を出させようと立ち回っているように見える。

 彼の正体がシニ・タイヨウであることにも勘付いているのだろう。  そうでなければ、第一級冒険者に登り詰めるほどの偏執者がこんな温くて退屈な生活に浸る理由などない。133の壁は突破していないから、シニ・タイヨウに突破の糸口を求めているのかもしれない。  いずれにせよ、ジーサとしてはやりづらいに違いない。

 せめてもの救いはヤンデ王女の存在だろう。  彼女の実力ならアウラウルにひけを取ることはまずないし、実際に見事な威嚇もしてみせた。マルチテレポートなどというでたらめな無詠唱は記憶に新しい。

 ジーサもかなり気を許しているように見える。彼女と協調関係を持っているのは間違いなさそうだ。  ということは、相応の情報開示をしているはずだ。少なくともアルフレッドの者達よりも。

 同じく真近くで過ごしているわけで、そんな《《ひいき》》に気付けないハルナ王女ではあるまい。  気付かないほど鈍いのか。あるいは気付いた上で、それでも暗い感情を持たないほどの何かを既に持っているのか――。一号《ユズ》曰く、ジーサが最初に出会ったのが当時ソロ冒険者だったルナらしいから、その間に色々とあったのかもしれない。

 職練として行っている『プレイグラウンド』の運営をこなし、迅速に帰宅させられて半ば詰め込む形で食事を取った後は、すぐに国政顧問として各地を飛び回る――  ジーサ・ツシタ・イーゼは精力的に働いた。

 帰ってきたのは、日をまたいだ後である。

 寝床は交互に使うルールとなっている。  今日はヤンデ王女の番であり、エルフ領だ。

 火魔法による簡素な明かりに照らされた木製小屋の内部が一瞬見えたが、これ以上は近寄れない。  女王による無魔子《マトムレス》の膜――  これは魔法では対処しようがない。  破るなどもってのほかだ。隠密《ステルス》で侵入している事実を与えてしまうわけにはいかない。

「……」

 可能なら就寝後に《《寝たふりをしている》》ジーサの様子も見ておきたかったが、ここまでだ。

 五号《ライム》は王宮に戻り、シキへの報告を済ませた。

第238話 インタビュー

 人は暇だからこそ悩むのだという真理は古今東西、耳にたこができるほど説かれている。  逆を言えば、忙しくしている間は悩まない。否、悩めないというべきか。

 俺は好きじゃない。  そんなものは思考停止の盲信にすぎないからだ。暇を持て余しながら贅沢に悩むのが現代人の特権、いや人権ではなかろうか。  まあ俺は自殺という形で丸ごと捨ててきたけども。

 それはともかく、忙しいとあっという間に過ぎるものだなと久々に痛感した。  ダブルロイヤルとしてあくせくしている間に、もう第五週五日目《ゴ・ゴ》の朝十時前――ガートンインタビューが始まろうとしている。

 王都から東へ数キロメートルほどの場所が会場だ。  普段は冒険者の通り道でしかない、無駄に広い大草原であるが、今は商店街顔負けの人口密度を占めていた。

 遠目には王都を囲む外壁と、ルナと過ごした白夜の森も見えている。隠密《ステルス》モンスター達は元気だろうか。  と、現実逃避してても仕方ない。ピントを手前に戻そう。

(本当に囲むの好きだよな、ジャースの人達)

 俺は360度、全方位を囲まれている。

 先頭に居座るのは黒スーツをビシッと着こなす集団で、鳥人など種族の違いを除けば見分けがつかないほど均一的だ。  ガートンの職員である。  皆、一様に手元で手帳らしきものを浮かせており、記者会見をうかがわせた。既に筆を走らせる者もいやがる。

 後方には雑多な参加者が観客のごとく集まっていた。  俺を視界に収めるためだろう、後ろに行くほど高く浮いていて、最後尾はたぶん百メートルを超えている。  顔ぶれは権力者や実力者に限らないし、人間とも限らなかった。特に鳥人が多……

(いや多くね?)

 二割くらいは腕に羽生えてんだけど。  エルフに負けない女社会も健在で、十人十色、千差万別な膨らみもちらつく。ついでにミーシィに抱きつかれたときの感触を思い出すなどした。

 職員の一人が前に出てきた。  俺の目の前でしれっと正座する。格好は量産型でも、さすがに顔を見ればわかる。男としても女としてもやっていけそうな、中性的で薄い顔立ち――

「スキャーノじゃねえか」 「私が進行を務めさせていただきます。本日はよろしくお願いします」 「……ああ」

 フォーマルな雰囲気全開のスキャーノだが、よく落ち着いている。  その双眸は俺を捉えて離さない。いや俺が見惚《みと》れてるわけじゃなくて、コイツが俺の一挙手一投足を見逃さないレベルで注視してるってのが伝わってくる。

「時間になるまで今しばらくお待ちください」

 そう言って口をつぐみ、ひたすら凝視してくるスキャーノ。  俺としてもやることがないので、とりあえず見つめ返す。

 ……一瞬、いけるかもと思った自分を殴りたい。  俺にそんな指向はない。  それもこれもシッコク達のせいだ。認めたくないが、まだ脳裏に焼き付いている。

 途中、思いつきでにらめっこを仕掛けてみたが、お手本のように吹き出してくれた。まあ誤魔化すのが速すぎて、たぶん正味はミリ秒レベルだったが笑顔も悪くないと思った。だからそんな趣味はないっつーの……。

 これ以上はいけない気がしたので、おとなしく待つ。

 程なくして、スキャーノの左右にも職員――うち一人は鳥人だ――が来たところで、

「それでは開始させていただきます」

 とうとう始まった。  球場のような喧騒も一気に消えて、深夜を錯覚させる静けさが辺りを満たす。

「まずは名前とタイトルを教えてください」 「ジーサ・ツシタ・イーゼだ。タイトルとは?」 「ご自身が抱えている立場のことです」

 いや、これは――振動交流《バイブケーション》と防音障壁《サウンドバリア》の合わせ技か。  外の雑音をカットしつつ、俺達の会話も拡散しているのだろう。早速隣と喋り始める観衆達のノイズが一切聞こえてない。

 さて、立場と言われてもなぁ。どこまで喋ればいいものか。

「タイトルは特にない」 「あるはずです。なければ、今この場で命名してください」

 なるほど、知らされていた通りだな。  ガートン側が期待する答えが得られるまで催促されると。

「王立学園の生徒をしている。卒業までは修練に励む所存だ」

 職員らが高速で筆を走らせている。まるで速記者みたいな忙しさだな。  俺そんなに喋ってねえだろ、などと思っていたら、

「【|記憶の瞬間保存《スナップショット》】」

 隣の鳥人女からカメラのような閃光が。  スナップショットという響きからも、写真のようなものを撮られたのだと確信できる。  ……ああ、思い出した。コイツ、シニ・タイヨウだった時の俺を撮った奴だよな。

「現在のレベルを教えてください」 「ノーコメント」 「【スナップショット】」 「ギルドへの冒険者登録をされていませんが、何か理由があるのでしょうか?」

 ステータスがバグってる可能性があるからだが、そんなことは言えない。

「面倒だからだ」 「【スナップショット】」 「今後される予定はありますか?」 「ない」 「【スナップショット】」

 ああもう、さっきからスナップショットスナップショットうるせえな。別は気は散らないが、明るそうな鳥人のお姉さんが真顔で連呼しているのがシュールである。  思わず睨むと彼女と目が合い、その小ぶりな唇が動いた。

「防音障壁《サウンド・バリア》」

 アナウンサー顔負けの明瞭な声だった。  空気振動でわかる。彼女の口元まわりに展開されたようだ。たしかに、何かぼやいたようだが全く聞こえないな。  それでも露骨だからわかったぞ。俺の拙い読心曰く、細かいなぁ。ほっとけ。

「好きな魔法と嫌いな魔法を教えてください」 「好きなのは水魔法。嫌いなのは風魔法だ」 「水魔法を好む理由は?」 「液体の利便性が高いからだ」 「風魔法を嫌う理由は?」 「痛いからだ」

 インタビューは淡々と続いていく。  スキャーノが能面で喋り、俺が機械的かつ無難に答え、鳥人女がスナップショットを焚きつつ職員達はメモを走らせ、その後ろで大勢の観客が俺を話の種にしている――

 たかが人間一人の、どうでもいい話なのに、誰一人として自らの役割を放棄しない。

(ただの興味、か)

 内心で強がってみせたが、恐ろしいことだ。  特定個人のプロフィールを楽しむという文化は前世でこそ当たり前だったが、ジャースの文明水準では不自然である。このような嗜好は、十二分に発展して安定した文明――もっと言えば暇を持て余せる時代でなければ根付かない。

 このような娯楽を先見し、実現してみせた何者かがいるということだ。

(それがガートンという会社)

 国でも御せないほどの組織は会社と呼ばれる。  実際、こうして王族関係者の俺をこんな場に引きずり込むほどの権力を持っている。  権力――いや、需要なのだろう。  資本主義社会は富によって支配され、情報社会はデータによって支配される。異世界ジャースは、コイツらガートンによって早くも後者に片足を突っ込んでいる。

 思えば平民向け情報紙が始まったのもつい最近のことだ。  その何者かが現在進行で暗躍しているのかもしれない。だとして、俺の脅威にならなければいいのだが。

 そんな感心と警戒を抱きながらも、回答し続けていた俺だったが――

「グレーターデーモンの討伐についてはどうお考えですか?」

 不意を突かれたとは、このことだ。  紛れもなくスキャーノの声だったが、本人も一瞬だけ驚きを顕わにして、カメラ係とは反対に座る男を横目で睨んでいた。  その男はというと、薄気味悪い微笑を浮かべている。

「どう、とは具体的に何が聞きたい?」

 とりあえず時間稼ぎをしつつ、改めて頭をフル回転させる。

 脈絡も無く思いつくネタではあるまい。  スキャーノを見るに、事前に打ち合わせていたものでもないのだろう。言わばガートン自身をも欺いた上での、この質問。

 込められた意味は何だ?  そう自問したところで、思い当たる節など一つしかない。

 |俺の正体《シニ・タイヨウ》に勘付いている?

「王国が――いいえ、人類が苦戦しているモンスターの討伐に本腰を入れるとお聞きしています。貴方様はこの件に絡んでいるのでしょうか?」

 スキャーノの声音のみならず、口元や表情の微細な動かし方まで完璧に再現されていた。  その魔法の精度と制御の解像度は、どう考えても並大抵のレベルではない。  シッコクやグレン、サリア、アウラやラウル――いや、それ以上だろう。ヤンデや近衛、あるいは|あの人《ブーガ》のクラスと言われても納得できる。

 それほどの者が、おそらく俺に仕掛けてきている。  ノーコメントの一言で終わってしまう質問を、あえてぶつけてきている。

 俺に何を期待している?  俺はどう答えればいい?  いや、自問の仕方を変えよう――

 俺は、この質問を無視してもいいのか?

「ああ。《《鋭意取り組む》》つもりだ」

 答えは否だ。

 幸か不幸かもわからないし、コイツの手のひらかどうかもわからない。

 ただ、これだけは言えた。

(グレーターデーモンと接触できれば、俺は逃げられる)

 その青白い巨体を想起させる単語を聞いた時点で、俺の天秤は傾ききっていた。

 事実がどうであれ、俺がこの場で答えてしまえば、事実になるだろう。ガートンが支配する情報社会の下では、国としてもそう動かざるを得ないのだから。  まあシキ王なら容易く軌道修正できるだろうが、それでも、俺がグレーターデーモンと再開できる可能性は明らかに上がる。

 俺はそこまで思い至った上で、悩んだふりをしているだけだったのだ。  といってもせいぜい数秒以内の出来事であり、要は直感だった。

「――以上で終了となります」

 二度も魔法で操られたというのに、スキャーノは何ら取り乱すことなく進行役を再開していた。

 最後にもう一度、閃光が俺を差す。  数えてないけど、たぶん五十枚は撮られたな。

「解散先の希望はありますか? なければ王宮に繋ぎます」

 終わりまであっさりとしている。ここで変に質問しても無駄に情報を与えるだけなので、「希望はない」とだけ答えておく。

「こちらへどうぞ」

 背後からの聞き慣れない女声に振り返ると、もうゲートが開いていた。誰によるものなのかはわからない。

 もう一度だけ、最後の質問を仕掛けてきた奴の顔を見てみたい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。  思わず会釈しそうになるのも抑えながら、俺はゲートをくぐった。

第239話 インタビュー後

 ゲートが完全に閉じたとわかったところで、職員の一人――粗暴だが次期幹部候補の確かな実力者でもある――がスキャーナの隣に詰め寄った。

「ふざけるのもいいかげんにしろ」 「どうしました? これから忙しくなります。怒って消耗するのはおすすめしませんね」 「最後の質問は何なんだよ! ギルドにどう説明する!?」

 今にも胸倉を掴まんとする勢いだが、対する上司はひょうひょうとしている。  薄ら笑いのよく似合う口元が動く。

「ギルドギルドって……あなた達はギルドの下僕ですか?」 「そういう話をしてんじゃねえよ。うちはギルドとの協調で成立してる組織だ。意向には従わなきゃならん」

 ガートンは会社だが、実質ギルドにコントロールされているようなものだった。  先の廃戦協定によりギルドは三国の統括から四国《よんごく》の一つ――つまりは一国に成り下がったが、それでも人材や組織体系が変わったわけではない。暗黙の主従関係は依然として存在していた。

「最終合意した質問項目を忘れたとは言わせねえぞ。最後のアレは、明らかに狙ってやったよな?」 「ウルモスが一番欲しがっているのは、冒険の起爆剤です」

 そのギルドの頂点を呼び捨てる問題社員――ファインディを前に、激昂しかけた男は挙げかけた手を下ろす。

「未攻略のグレーターデーモンに関する知見は、今話題のダブルロイヤルよりもはるかに価値があることなのです」 「……」

 ファインディに突っかかるこの男も、先日の会合に出席していた。  ウルモスがこのいけ好かない男を特別視していることも観測している。だからといってどうというわけでもないのだが、ウルモスという名前は、それでも怯んでしまうほどのものだ。

「あの男が価値をもたらすとも限らないのでは?」

 沈黙をあっさりと破ったのは、唯一の部下スキャーナ。

「いいえ。もたらします。少なくとも今の冒険者では出せなかった視点を、何かしら出すことができるはずです。彼がそれほど特異な人物であるということは、これまでの情報からわかるはず。わからないのなら、今すぐ辞めなさい」 「珍しく饒舌なようで」

 この男が資格の有無を説くなど、らしくもない。わざと演じているようにも見えなかった。「私はこれで」去り際も普段と比べれば微かに性急だ。

 スキャーナがかろうじて気付けるほどである。他の職員が気付けるはずもなく、

「饒舌なのはいつものことだろ。調子に乗りやがって」 「部下のお前がしっかり躾《しつ》けておけよ」 「そのいやらしい胸で色仕掛けすればいいんじゃね?」

 矛先が無くなれば、部下に向かうのは自然なことだ。  今は男装《スキャーノ》だが、正体を知る職員は多い。あの上司の部下であり、高度な変装術が使え、若手の中でも一、二を争う有望株とも評されている。知らない職員を探す方が難しい。

「それ名案!」 「『ファインディさん、お願いを聞いていただけたら、私の自慢の果実をごちそうするようで……』」 「『悪くないですね。実はあなたのそれには前々から注目していたのです。良いでしょう、聞き入れて差し上げます』」 「『や、優しくしてくださいね……』」 「『もちろんです。こう見えても私は娼館の常連なのです。技術はお墨付きですよ。楽しませてあげましょう』」 「ぎゃはははっ」 「似てる似てるっ!」

 スキャーナは困ったような苦笑を浮かべる演技で凌いだ。

 没個性的な格好と振る舞いの強要、身分高き者や不自由無き者が顔をしかめるような地味な仕事の多さ、容赦のない実力主義に流動的な体制――  ガートン職員にかかる負担は大きい。冒険者ほど命は張らないものの、鬱憤を溜めやすいといわれている。

 もちろん溜まったものは発散すればいいのだが、それも難しかった。  会社の顔に泥を塗ることは、時として死罪にもなるほどの重罪だからだ。全土に散らばる職員は監視の目としても機能しており、さらに実態さえ不明な隠密社員《ステルフ》もいると聞く。

 外では晴らせない――  そうなれば必然、内部に向く。

 しかし仕事には協力・協調・協同が重要であった。  上司ほど尖った力があるならさておき、一人でやっていくには基本、無理がある。人間関係を破綻させない程度のバランスは手放せない。  スキャーナにとっては、自分から下手《したて》に出ることで発散させてやるのが無難であった。  大した負担にはならない。この程度でどうにかなるほど柔な過ごし方はしていない。上司の指導や鍛錬、実力者との格差、それにシニ・タイヨウという未知と過ごす恐怖などに比べれば、むしろ休憩の範疇とさえ言えた。

 いじられるルーキーとしての立ち振る舞いを息するように演じながら、スキャーナは先ほどの応酬に目を向ける。

(ファインディさんが少し取り乱したのが気になる。でも、今は……)

 まずファインディが全く予定に無かった質問――グレーターデーモンに関する話題を撃った。

 インタビューは由緒ある恒例行事だ。あんなデリケートな質問が来ることはまずない。アルフレッド側もその前提で対策に望んでいたはず。  にもかかわらず、ジーサは全く取り乱さずに受け止めて。

(おそらく期待通りの回答をした)

 根拠もなく、言語化もできず、直感であることさえ怪しいような何かがそう訴えている。

 二人は意思疎通を図ったのではないか。  あるいは結果的にそうなった――いや、そうなるようにファインディが仕向け、ジーサがつられたのではないかと。

(ファインディさんは何がしたいんだろう。ジーサ君が積極の意思を示したのはなぜ?)

(グレーターデーモンが鍵なのは間違いないけど、情報紙以上のことはわからない……)

 どちらもスキャーナ程度が拝める存在ではない。  ジーサにはまだ望みがあったが、留学実績の加点による昇格でクラスを離れてしまったし、今や彼は|二国の王女に属している《ダブルロイヤル》――直接探りを入れるのは不可能に等しい。

(ファインディさんはシニ・タイヨウを晒し者にしようとしている。ジーサ君がそうだとしたら、ううん、そうだとして、全うにやるなら次はジーサ君を暴くことになると思うけど……)

 観客も含めてぞろぞろと解散する中、スキャーナは突っ立ったまま己に潜ることを選ぶ。

(それを|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》でやろうとしている? でもどうやって? いくらファインディさんでもグレーターを御することはできないと思う。実はできる……? ううん、そんな実力があるならガートンで燻《くすぶ》ってる理由がない)

 視点が上がったことに呼応するように、落としていた視線を上げるスキャーナ。

「燻《くすぶ》ってるんだ……」

 呟いた直後、職員としての自分に向けられる人目を自覚したので、いったん空へ逃げる。  この格好とこの出来事の直後なら制限には引っかからない。スキャーナは王都上空まで加速した後、がむしゃらに旋回を始めた。脳を揺らすかのように。

 あまり知られていないが、ファインディはジャースでも指折りの冒険者である。間近で見てきたからこそ、スキャーナは肌でわかっている。  それほどの男が会社の、たかが一社員として安住しているなど異常であった。

 同様に、これも知られていないが、実力者ほど脅威に対して慎重になるという経験則もある。  特に第一級にもなると病的で、100回中99回成功する程度ではまず手を出さないのが多数派だ。国王シキのように一見すると迅速に動くタイプも、実はそれ以上の勝率を確信していることが多い。

 ましてファインディは、シキなど平凡な第一級よりも頭一つ飛び抜けている。

 何かを窺《うかが》っているに違いないのだ。  しがない社員であることも霞むほどの何かを。

(ジーサ君もそうだとしたら)

 まだ確証は得られてないが、彼の正体はシニ・タイヨウだろう。  すなわち、第一級をも凌駕する力を持っている。

 ファインディと同じなのだ。  彼がガートンをおそらく出し抜けるように、シニ・タイヨウもまたアルフレッドを、あるいはエルフを出し抜ける。  仮にできるとして、あえてそうしないのは。

 やはり窺《うかが》っているからではないのか。

 何を?

(そういえば、ジーサ君の意志は聞いたことがない)

 誰しもが大望を持ち、多かれ少なかれ主張するか無自覚に漏らすものだ。  そうしない者も珍しくはないが、

(ぼくのように持たない人だけだよね。珍しくはない。ぼくと同じで、ジーサ君も持っていないんだ――)

 白々しく思考を進めてみせることで、改めて確信する。

「――そんなはずがない」

 ぴたりと旋回が止まると、辺りを衝撃波が満たした。  多重に通過していく爆音に後押しされながら、まだ底を見せぬ怪物を想う。

「だけど、想像もつかないや……」

 思案顔が脱力し、そのまま自由落下が始まる。

 自然の加速に身を任せながらも、スキャーナは思い返していた。

 ジーサとの出会い。交流。  打算でもなく、尊敬や尊大でもなく、ただただ自分を傾聴してくれた本質と。  露骨に自分から逃げようとする下手な露悪と。

 シニ・タイヨウの衝撃。余波。  それは娘を殺した大罪人を匿わせるほどであり。  変人で奇人な上司を虜にするほどでもあり。

 そんな意味のわからない人物と、仮初めとはいえ一緒に過ごしていたという事実。  しかしそれは今や遠のき、彼の両隣には二人の王女が居座っている。  王家で、冒険者の才能にも溢れていて、容姿も端麗で、なのに、あんなに打ち解けていて――

「ずるい」

 ぽつりと呟いた唇に、思わず手が触れる。  男装していることも忘れて、はにかんでしまう。

「ううん、違う。ぼくは持たない人なんかじゃなかった――」

 冒険者として何と浅はかなことだろう。

 抗う術は知っている。無視する術も知っている。  訓練もしてきたし、実践もしてきた。  今ならまだ間に合う――

 彼女は落下を止めた。

 しかし、手を当てたままの唇に、閉じられる気配はない。  どころか手の方が離れていって。

「欲しいものができた」

 誰も見ていないのに、まるで見せつけるかのようにスキャーナは微笑んだ。

第240話 インタビュー後2

 真っ先に解散した俺はすぐに王立学園に転送された。

 いつも通り学園生活に励むようにとのことだが、そんな気は起こらない。  校舎には戻らず、久々に北部のデイゼブラでも見に行くことに。

(やっぱりここが一番落ち着く)

 呑気に草をむしゃってる光景は、この広さもあってのどかである。

 しばらくのんびりしても、誰も来ない。どうやらお咎めは無いみたいだな。  時間で言えば座学のはずだが、たぶん見逃してもらえている。なら甘えさせてもらおう。

 それで考え事に入ろうとしたが、ふと気になったことがあり、北へ向かうことに。  限界まで北進して、塀も飛び越えると断崖絶壁――だが数メートルほど幅があった。  ピクニックしたら映えそうだな。塀のおかげで校舎からも見えないし。

 とりあえず降りてから、眼下を見下ろす。  商店街、繁華街、ギルド本部、と冒険者で賑わう街は健在だった。  いつもと違うのは、遠目でもわかる黒スーツを着た者が飛行していることか。何やら紙をばらまいている。  よほど衝撃的なことが書かれているらしく、血液のように街を流れる点がどんどん止まっていく。

 号外――  その二文字が思い浮かんだ。

「行動早すぎだろ……」 「だからこそ情報屋は侮れぬ」

 隣に空いた小さな穴からシキの声が聞こえる同時に、ゲート自身がぐわっと広がった。  閉じるまでに出てきたのは三人。その場であぐらを組むシキ王と、目の前に座ってきた婚約者一人目と近衛一号。  ルナは制服だが、ユズはやっぱり裸だ。

「何か企んでますよね?」

 開口一番、ルナは正座したまま顔を突き出してくる。私、気になりますとか言いそうな近さと可愛さ。

「また逃げるつもりかのう?」 「そんな気はとうになくなったけどな」 「《《タイヨウさん》》。何を企んでます?」

 どこかでインタビューを聞いていたのだろう。で、最後の回答に不服だと。  企んでいるのはイエスだし、何ならお前らから金輪際逃げようとしているが、淡々と交わすしかないわな。

「別に企んじゃいねえし、正直あの悪魔には二度と関わりたくもねえ。ただ、あの場では立場上、否定するべきではなかった」 「ノーコメントで良かったじゃないですか」 「|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》の制覇は悲願でもある。現状誰よりも注目を集めている俺が肯定したことに意味があるんだよ。早い話、宣伝と鼓舞だ」

 立場にこき使われたからか、こういう物言いに慣れてきた気がする。

「第一級冒険者でも歯が立たないのに?」 「そう言って無闇にハードルを上げるから盛り下がるんだ」

 我ながら上手く言えているとは思うが、ルナは引き下がってくれなかった。ユズはちょこんと正座して凝視してくるだけだし。

「ワシも同感じゃの」

 ここでシキ王による助け船が来る。  相変わらずこの人も上裸で、寝っ転がってはいるが、真面目な雰囲気ではある。頼むぞ。

「今は中途半端じゃ。やるからには徹底的にやらねばならん。ちょうどてこ入れを考えておった」

 言うまでもなくダンジョン『デーモンズシェルター』攻略の話である。  最深部のお宝は既に俺が頂戴してるけどな。何ならアウラを退けたときにおしゃかにしたまである。

「私は認めません。危険すぎます」 「王女様に同感」

 ユズが膝を交互に動かしてちょこちょこ近づいてくる。何それ可愛いな。狙っているのだとしたら大したものだ。  吐息がかかるところまで近づいてきたかと思えば、俺の膝に頬をすりすりしてきた。

「じゃあユズが守ってくれよ」 「私をスルーしないでください。あとユズは距離近すぎです」

 ルナがユズの首を掴んで引き離す。

「お前じゃ力不足だ」 「無闇に切り捨てるんですか?」 「……それもそうだな」

 じたばたするユズをルナが後ろから抱いて鎮めている。ルナが勝てるはずもないからじゃれ合いだろう。

「ジーサ殿はどう考えておる? 妙案でも持っておるのかの?」

 シキが目で何かを指示した。無論ルナではなくユズに。  一秒もしないうちに、ちょうど俺達の間に水溜まりみたいなゲートが出てくる。間もなく閉じると、一枚の紙が残っていた。

 号外として配られていた情報紙に違いない。  ジーサの顔がばっちり映っている。ジャース語は相変わらず読めないが、レイアウトの分け方と個数から見て、たぶんインタビュー内容は全部入ってる。

「特に案は無い。とりあえず現状を聞いた上で、俺込みのパーティーを編成することを考えてる」 「単身では向かわぬのか?」 「そんな無謀は犯せない。最低でもテレポーターは欲しい」 「ユズの出番」

 ふんすと鼻息で自信を表面するユズ。その頭上から、ルナが厳しい目つきで睨んでくる。

「廃戦協定でうやむやになってましたけど、タイヨウさんはどこまで知ってます? そもそもどうやって脱出したんでしたっけ?」

 痛いところを突いてきやがるな。  ルナはユズと一緒にシニ・タイヨウを探していた時期がある。最深部『|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》』でユズと別れたあたりの話は、本人から既に聞かされているはずだ。  誤魔化すのは厳しそうだが、それでも。

「まずはそちらの情報をもらってからだ。俺の手札に関わる部分だからな、いくらルナにも教えられない」 「むー……」

 ここで引き下がらなかったらどうしようかと思ったが、白夜の森で過ごした経験が効いている。

 俺はお前がお師匠様とやらに鍛えられていた事実に言及しないし、お前も俺の崇拝状態《ワーシップ》――モンスターを従わせる超常的能力には言及しない。  言葉にせずとも、それが暗黙の了解となっていた。

「ユズには教えてほしい。一緒に戦うなら、必須」

 ルナの拘束は秒で解かれ、俺は身体を操作されてユズをすっぽりと収めさせられた。  あぐらの中にユズ。いつものスタイルだ。

 小さな手が俺の太ももに触れる。  親にすがる子供のように、ぎゅっとつねってきた。

「心配するな。俺は死なねえよ。ユズもいるしな」 「なでなでを所望」 「へいへい」

 不信感が伝わらないよう、俺は務めて平静を心がける。といっても、素直にこの可愛らしさと、あと認めたくないがロリへの性的好奇に甘んじればいいだけだ。

(一番厄介なのがユズなんだよなぁ……)

 俺の正体を知り、身体能力も知り、必殺技《リリース》も複数回目の当たりにしているという意味で、ユズは現状最も俺に近しい人物と言える。

 デーモンズ・ネストで別れた後、俺は王都には戻らなかった。  言わばユズを裏切った形になる。また同じことをするのではと疑われるのは自然なことだろう。  俺が耐久力とリリースに頼ったスタイルであることも知っているはずだが、その上で教えてと言ってくる意図は何だろうか。

 まだ切り札を隠し持っているとでも思っているのか。  それとも俺のスタイルを知っていることを疑わせないために、あえて無知のふりをして尋ねているのか。もしそうなら、すまんが俺の頭の回転がたぶん追いつかない。シキ王を出し抜ける気はそもそもしねえし。

「使えるのは近衛とヤンデ殿くらいじゃな」

 しばらく俺達を眺めていたシキ王だったが、飽きたのかそんなことを言ってくる。あくびつき。睡眠不足なんだろうか。

「どういう意味だ?」 「おぬしがそうしておるように、他の冒険者も能力の開示には警戒しておる。ゆえにパーティーは信頼できる者と組むものじゃ。さて、おぬしはその信頼をどうやって手に入れるのかのう。ラウルやアウラとはどう育《はぐく》む?」 「なるほどな。ソロだから気付かなかった」

 一瞬で結論付けたが、俺は信頼を預け合うほど誰かと馴れ合うことにリソースを使うつもりはない。  シキもまた、そんな俺の志向を読んでいるだろう。

「人付き合いは苦手だ。ユズとヤンデで行く。近衛と言ったが、他に使える近衛がいるのか?」 「二人も出せるわけがなかろう」

 ルナとの婚約発表の時は招集してたくせにな。  ということは、グレーター攻略に対してそこまで重要視してないってことだ。あるいは俺を信用していないか。たぶん両方だな。

「出せますよ。私が行きます……ってなんですか?」

 人を小馬鹿にしたような父親の顔に、ルナがジト目で睨み返す。

「さすがに無理ではないかの。近衛の速度だけでバラバラじゃ」 「バラバラルナ」

 ユズがルナそっくりの土人形をつくり、その四肢を爆散させてみせる。  バグってなければ俺は吹き出してたと思うが、ルナは真剣な調子を崩さない。

「近衛はそんなに不器用ではないはずです。普段の移動でもしっかり保護してくれてますよね」 「グレーターデーモンを舐めるでない。保護の分も加速に充てねばならん相手じゃ」 「そうなんですか?」 「俺に聞くなよ」 「デーモンズ・ネストから逃げてきたタイヨウさんなら、実物も見たはずですよね。速かったですか?」 「速いというか、重いな」 「同感」

 ユズも乗ってくれたが、「答えになってないです」ルナはまだ納得いただけないようだ。

「衝撃も衝撃波も桁が違うってことだよ。そういった圧力と向き合うには、圧倒的な防御力で耐えるか、圧倒的なスピードで交わすかしかない」

 ようやく腑に落ちてくれたようで、しばし熟考の後、

「ありがとうございます」

 ふう、何とか速さについて明言するのは回避できたか。実力を悟られたくない俺としては、無知な領域はあまり口にしたくない。  防御力については薄々知られているからセーフ。というか、ここさえも隠してしまうとかえって怪しい。

「のうタイヨウ殿。強情な娘をなだめる方法を教えてくれんか」 「俺にそんな経験があるとでも?」

 ルナが同伴を諦めていないのは、その戦士みたいな顔つきを見れば明らかだ。

「タイヨウ、経験する?」

 ちょいちょいと俺の太ももをなでるユズ。なで方が子供じゃないというか、いやらしいのは気のせいか。

「ん? 子供を演じてくれるってことか? 要らねえけど」 「ユズがタイヨウの子供を生む。その子でタイヨウが練習する」 「いきなりぶっ飛んだこと言いやがる」 「ユズは小さいぞ。入るかのう?」 「そういう話題はいいから」

 初潮を迎えてるかも怪しい見た目だが、そういうことはするのだろうか。いや実年齢わかんないんだけども。

「入る。タイヨウのタイヨウは小さい」 「そうじゃった。弁明の時に披露しておったの」

 エルフ嫁の火柱のせいでな。

 ……って、え? 俺のって小さいの?  タイヨウの、つまり前世の俺と同じサイズでつくってあるんだけど。

「論外です。私の子を使ってください。タイヨウさん、私はいつでも準備できてますから」 「乗らなくていいから」 「今、一瞬だけ胸を見ましたよね?」

 見たらバレるし、バレたら指摘されるとはわかっていたが、それでも制服越しの膨らみには抗いたいものがある。  幸いにも、ルナが普段のジト目を取り戻してくれたのでよしとしよう。

「男だからな」 「ユズの胸も鑑賞を所望」 「……なあ。乳首を眼球に押しつけてくるのはやめてくれない?」 「真面目な話、考えるべき問題じゃぞ」

 斬新すぎる誘惑と眼球に刺さった生々しい感触を脳裏の外に捨てつつ、良い機会なのでシキに問う。

「人のこと言えるのかよ」

 前世では立場を持ってる男はほぼ例外なく妻を持ち、子を成していた。血縁などという大した実利的価値のない慣習は現代でもまだまだ主流ということだ。本能には抗えないってことだろう。  しかし、シキにはその気配がない。

「三人いれば充分じゃ」 「そういえば奥さんを見たことないな。隠してるのか、それとも死んだか?」

 あえて不躾に問うてみたが、シキは欠片も取り乱すことなく立ち上がり、

「二人とも。タイヨウ殿と子を成してもええぞ。国王として許可を出す」

 国王の過去なんぞ別に興味ないが、知れないのも癪なので、後でコイツらに聞いてみるか。しかし、また面倒くさい楔を打ち込んできやがったな。

「言いましたね。言いましたよねユズ?」 「肯定。取得もした――『タイヨウ殿と子を成してもええぞ。国王として許可を出す』」

 魔法なのだろうが、録音と遜色のないクオリティで再生されていてエグすぎる。  この感覚にはついさっき覚えがあった。

(あの男は何者なんだろうか)

 今朝のガートン職員――俺に仕掛けてきた謎の男が頭をよぎる。  仮にユズと同程度の実力者だとして、かつ俺に注目しているとしたら、厄介なことこの上ない。

(まあ俺のやることは変わらないけどな)

 このままダブルロイヤルで居続けるのは論外だし、他にここから脱出する手段も思い浮かばない。  男の思惑がわからずとも、俺は先に進むしかないのだ。

第3章

第241話 ユズvsヤンデ

 座学の終了と昼休憩の到来を示す鐘の音が鳴る――と同時に、ヤンデが上から降ってきた。  曰く、ゲートを使わずとも一瞬で来れるわよ。

 どこで聞き耳立ててたのか、あるいは誰から聞いたのかは知らないが、インタビューの件は既に知っているらしかった。

 ばちんと両頬をホールドされ、目の鼻の先で第一声を食らう。  曰く、連れて行きなさい。

「場所を変更。王女様はキノと交代」

 言いながら、ユズはもう俺とヤンデに触れている。「私も行――」俺達が消える瞬間、髑髏のピンを一つだけ留めたそっくりさんが見えた。二号《キノ》か。

「ここは――|迷宮の大峡谷《ラビリンス・キャニオン》だよな」

 迷路のように入り組んだ峡谷が全方位に広がっている。

 まだ一年も経ってないけど、懐かしいな。  ルナとミノタウロスを殺したり、ユズとミノタウロスを殺したり、ああ、あとギロチンワニも覚えてるぞ。

「ルナはいいのかしら?」 「無問題。むしろ邪魔」

 辛辣なこと言われてるぞルナ。今頃怒ってるだろうな。  ユズに無駄話をする気はないらしく、さっきも見た情報紙をヤンデに提示する。

「ジーサは|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》を攻略する。パーティーはこの三人」 「私は二人きりが良いのだけれど」 「ヤンデは幼い女の子が好き」 「あなたじゃないわよ」

 ヤンデが俺の右腕を引き寄せる。

「ユズも同感。ジーサと二人を所望」

 ユズも左腕を引っ張り、負けず嫌いのヤンデも呼応してきて、俺は左右から引き裂かれる格好に。  最初は膂力だけだったが、次第に魔力が混じってきて、熱とか電気とか風とかやたら視界がカラフルになってきた。  このままだとクロによる外皮が耐えられないので、「俺で遊ぶな」二人とも引き剥がす。

「それで目的は? ヤンデに用があるんだろ?」 「力比べ。パートナーが雑魚だと足手まとい」 「ジーサを二人でなぶるわけね。面白そうじゃない」 「なんで二対一なんだよ」 「無問題」 「問題しかねえだろ」

 人類最強格二人から一方的にフルボッコにされるって? ダメージをチャージできるのは嬉しいが、内心ではこの防御力を晒したくない自分がいる。

「力加減が難しいのよね。うっかり殺してしまうかもしれないじゃない?」

 俺を壊れないおもちゃか何かだと思っているのだろうか。

 ――あなたは硬いのではなく、変わらないのね。

 何かを悟ったようなヤンデの台詞を思い出す。既に知られているようなものか。  ユズもユズで、少なくとも俺自身がリリースでもへっちゃらであることは知っているわけだし。  うん、今さらだな。

「ユズは杞憂。ヤンデの心が先に折れる。心配」 「ずいぶんと舐め腐っているようね? いいわ。先にあなたから思い知らせてあげようじゃないの」 「期待」

 ヤンデが早速どでかい詠唱をし始めたので、「待て待て」とりあえず止めて、それからキスをする。  空気の読めないバカップルでは断じてない。

(同居人が死ぬだろうが) (……そうだったわね)

 俺が口内発話と名付けている、寄生スライムとの会話方法である。

(これ、ユズには聞こえてないよな?) (大丈夫よ。覆いきれてる)

 当のユズはというと、思考の読めない無表情のまま俺達の周囲を飛んだり、俺をツンツンしてきたりしている。  ……本当に大丈夫だよな? いや俺も既に散々使ってるから大丈夫のはずだが。

(これをユズにも教えるつもりはない。二人だけの秘密だ) (当たり前じゃない。私をみくびらないことね)

 ひねくれている性分だから認めたくはないが、俺はコイツを信用している。  というより、コイツにまで裏切られたら為す術がない。ネガティブ思考も過ぎれば毒だ。んなことは考えなくていい。

 コイツは俺に惚れてる。俺もコイツが好き。それでいい。

 ぼっち歴の長い俺は決して認めたくはないし、今も言い訳が何個も浮かんでいるが、それでもだ。少しは信じろ。頼れ。どうせそう長くは続かねえんだから。

(というわけで、離れたところでやってくれ) (却下よ。間近で見ないとわからないわ) (じゃあ聞くが、同居人が傷付かない程度の加減で戦闘できるのか?) (無理ね)

 だろうな。コイツらが強さを検証し合うとなると、第二級程度では骨一本も残るまい。レベル90程度のクロも無事では済まない。

 本音を言えば『シェルター』で避難できるから問題無いんだが、そうなるとシニ・タイヨウの素顔を晒すことになる。周囲にも視界にも生物の気配はないが、屋外で無闇に晒すのは避けたいところだ。  だったらあとはもう、可能な限りの距離から観察するしかないだろう。

 俺はどさくさに紛れて舌を絡めてくるヤンデの心地に抗い、唇ごと離れる。「ユズも」などと言いながら突進してくるユズは止めて、

「ユズ。俺を空に固定してくれ」 「理由を所望」 「《《ジーサの》》耐久力はさほど高くないから、間近では観察できない。でもなるべく近くで見たいんだ」

 小さな両肩を掴まれたユズは、俺とヤンデを交互に見比べている。  とりあえず俺の言いたいこと――シニ・タイヨウを誤魔化すジーサにも耐久力があり、かつそれはさほど高くないという点は伝わったようだ。

 まあ盗み聞き対策もぬかりないとは思うが、こういうデリケートなことは直接口にはしたくない。  なるほど、戦国武将はこういう感じで常時気を張っていたのかもしれないな。

「空で戦う?」

 ユズは空を見上げた後、首を傾げる。口がちょっと開いているのもあって可愛い。

「どっちでもいい。とりあえず俺を空に固定した後、お前らは俺から見える場所で戦ってくれればいい」 「見える範囲も間近の範疇」 「マジかよ」

 わからないでもない。このクラスにもなると音速は軽く凌駕しやがるからなぁ。  数十数百メートルなんて、あってないようなものだ。

「ああもう! じれったいわね!」

 俺の身体が見えない何かに掴まれた。  この上品で、しかしとんでもない硬度と密度を感じさせる掴み方は、もう身体が覚えている――ヤンデのものだ。

「こうして、こうよ!」

 俺は瞬時に打ち上げられ、マグネットのごとく宙に固定された。  高度はざっと500メートル。人間サイズが点になる高さだ。

 首や手足は自由に動くし、身体の向きも変えられる。台詞が最後まで聞こえたところも含めて、なんつーか芸が細かい。「おお」ユズの淡白な感心まで聞こえてくる。

「あれを維持したままやるわよ。まさかできないとは言わないわよね?」 「無問題」

 なるほど、俺を風魔法か何かで保護しつつ、固定しつつ、振動交流《バイブケーション》による実況もつけてくる、と。  至れり尽くせりだが、ハイレベルすぎて意味がわからん。衝撃波と爆音が無い時点でおかしいんだよな。

 そんな二人がこれからバトルするってんだから、男としてワクワクせずにはいられない。  ……まあバグってるから気のせいですけども。知ってた。

「先制させてもらうわね」

 プラチナチケットものの第一ラウンドが、間もなく始まる。

第242話 ユズvsヤンデ2

 高度500メートルから見下ろす眼下で、二つの点が対峙している。

「【ウルトラ・ファイア・ボール】」

 ヤンデの口から、|人間が出せる最高段階《ウルトラ》の詠唱が出る。  ファイアボールは大きくもなければ、多くもなく、ただ小さな一個を生成しただけのようだが、それでも灼熱具合は見て取れた。

 周囲の地面が蒸発して、ぽっかりと大穴が空いたからだ。

「どこまで耐えられるかしらね。危なくなったら、降参しなさいな」

 ファイアボール、ファイアボールと丁寧に重ねていくヤンデ。  その度に穴が広がり、熱気が立ちこめ、なんかマグマのような溜まりも生まれ始めて――

 数分も経たないうち、火口っぽいのが出現した。

 ちょうど自然災害みたいな煙も押し寄せてきて、視界がグレーアウトする。  とりあえず俺を包むバリアが球体上になっているのと、音声を中継する空間が風に揺れる紐《ひも》のように細くてひらひらしているのはわかった。

「煙で何を見えないんだが」 「【クリーニング】」

 と思ったら、ユズの拙い音読みたいな詠唱の後に、シュボッと灰色の世界が丸ごと吸い込まれ、秒で視界が回復した。  あれだけあった噴煙が嘘のようだ。火口からは引き続きもくもく立ち上がろうとしているが、

「【死水槽《デスアリウム》】」

 スコールの密度を千倍にしたような水圧が降ってきた。

 消防車の放水を鼓膜で受けてもここまでうるさくはあるまい。  外も壁にしか見えないし、音だけでみるみるダメージがチャージされる様はもはや笑えてくる。

「人間も侮れないわね。喋るのも一苦労よ」

 嘘つけ。振動交流のクオリティは何一つ落ちてねえぞ。

「種族は無関係。人間でも強い人は強い。エルフでも弱い人は弱い――【サンダー・ストリーム】」

 視界を余すことなく埋め尽くしていた水壁が、一気に発光する。  どこにいても感電必至だろうし、何なら必死――文字通り必ず死ぬに違いないと確信させるほどに痺れそうだな。そして眩しすぎるしうるさすぎる。

 俺にも少なくないダメージが発生していて、就寝時はずっと浴びたいくらいだ。無論、こんな規模を王都で放てば壊滅待ったなしだろうけど。

「一つ学んだわ。こうやって媒介で埋め尽くせば雷魔法は楽に維持できるのね」 「試験に出る。暗記推奨」

 こんなのが出てたまるかよ。お前らしか使えねえだろ。

 しっかし、これほどの魔力があるんだったら、ブーガとももっとやれそうなものだけどな。  あの時、ユズは防戦一方で、こういう魔法攻撃は一切しなかった。

「なあユズ。これくらいの攻撃が出来るんだったら、ブーガやラーモでも倒せるんじゃないか?」 「無理ね」

 現実はそう甘くないのだと、ヤンデの即行な一蹴が物語っている。  実際そうなんだろう。ヤンデもユズも俺を保護したまま会話してるくらいだからな。なら、|あの人《ブーガ》にも通じまい。

「|高レベルな肉体《ランカーフィジカル》と呼ばれることがあるのだけれど、レベルが高い人の肉体は特別なのよ。基本的に同程度以上の肉体をぶつけないと壊せない」 「魔法で威力を高めればいいだろ。圧力とか温度とか密度とか、やりようはいくらでもある」 「だから特別だと言ってるじゃない」 「レベル1がロングソードを使っても、レベル15の肉体には無傷。でも、レベル5の爪なら食い込ませることが可能」 「すまんユズ。よくわからん」 「説明不足よ。純粋な硬さで言えば、レベル5の爪よりもロングソードの方が硬いわ」 「だったらロングソードでも傷が入るだろ。その一般人《レベル1》がひ弱すぎるんじゃ――いや待てわかった」

 やはり言葉にしてみることは大事だ。思考するだけでは使われない部分が刺激されて促される感覚があるというか。

 ともかく、レベルアップを4回重ねた者の身体は、たとえ爪であってもレベル5のフィジカルなのだ。  そしてそれは、ただの硬くて鋭い物体よりも冒険者との相性が良い。

(どういうロジックなんだろうな)

 たとえば自分が受けるダメージの計算式に『相手のレベル』という変数が含まれていた場合、《《その他のパラメータを変えずとも》》、相手のレベルが変わるだけでダメージが変わることになる。

 一時期RPGをつくるツールで遊んでいたことがある。ゲームの攻略本や攻略サイトも漁って、こんな計算式になってるのか、へぇ、と感心した覚えも。  詳しい考察に使えればと少し記憶を辿ってみるも……何も思いつかないな。

 こんなことになるなら、もっと勉強しておけば良かったか。  いや異世界に来るなんて想定できるはずもないんだけど。

「ちなみに、ロングソードに自分の魔法――たとえば風をまとわせたらどうなる? レベルに則《のっと》った威力に近づいてくれるのか?」 「ジーサにしては珍しくまともな回答ね」 「方針変更」

 たぶん俺のためだろう、ユズが次の攻撃を繰り出すための解除を申告すると。

 景色が余韻を残さず拓かれた。

 澄み切っている。俺を包むベール越しでもわかるほどに。  前世のどの山も、湖も、あるいは荒天後でも災害後でも比較になるまい。  都会人が初めて山奥で星空を見た衝撃さえも霞む、この鮮明の暴力――。

 脳裏に浮かぶのは、あの一晩。  上空でブーガと語り合った、あのときだけだ。

 また上空に行きたくなる。  もう一度語らいたくなる。

 そんな月並みな欲求を見なかったことして、俺は考察の背中を押す。

(ブーガのフィジカルに寄せたロングソードでも俺は無傷だった。なのに俺のレベルはたかが知れている。天使がバグだと断定したことを考えれば――)

 俺がレベルに見合わない防御力を持っている説。  俺がブーガも比較にならないレベル、たとえばカンストするくらいのレベルを持っていて、それを観測する手段が|この世界《ジャース》に実装されていない説。

(おそらくこのどちらかのはずだ)

 俺が『段階的な安全装置』と呼ぶ現象は何度も確認している。

 一般人だろうと、ブーガだろうと、根本的な身体は大差ない。  実際にブーガの身体を触らせてもらったときも、ありふれたアスリートのそれでしかなかった。

 前世と異なるのは、防御力があればあるほど耐久の限界が広がるという点。  刃物を刺せばそれに耐える程度に硬くなり、超音速で殴ってもそれに耐える程度に硬くなる――  受ける力に応じた分だけ硬くなるのだ。  まるで観測した時に状態を決める量子のように。

(この現象は俺にも働いているから、俺の無敵バグは防御力によるものであるはずだ)

 まあ必殺のサンダーボルトや倍々毒気《ばいばいどくけ》も平気だったので、防御力以外にも何かありそうだけど。  そもそもなぜかリスニングとスピーキングだけはできたりするしな。  先日デバッグモード仮説を立てたが、やっぱり何らかの機能を有効にする|オンとオフの二値を持つ設定値《フラグ》なるものがある気がする。

 これをどう捉えればいいのか。  どこまでがフラグで、どこからがバグなんだ?  あるいはバグによってフラグが意図せず|立っている《オンになっている》とも考えられる。

 相変わらず可能性がありすぎて何とも言えない。  が、あのクソ天使の嗜好と、この異世界ジャースへの反映具合を考えれば、俺でも辿り着ける程度のロジックである可能性は極めて高い。

「……衝撃がここまで飛んできやがる」

 ユズとヤンデは接近戦に切り換えたようだ。  ブーガのロングソードと同じ原理だろう。何にまとわせているかは遠すぎて見えないが、二点の動きが明らかに音速を何倍も超えていることだけは見て取れる。  一応、俺の見える範囲は死守してくれてるようで、時折彼方に吹っ飛ぶ点がブーメランみたいに戻ってくるのが面白い。

 ふと思う。

 俺もまとわせることはできないだろうか。

 もしできるとしたら最強じゃないか?  自爆よりも使い勝手が良いし、何よりこの無敵であろう防御力を攻撃に乗せることができる。  指先一本でブーガも倒せるだろう。そうすればふざけた任務を遂行する必要もなくなる。まあ情勢が乱れるだろうからしないけど。

 魔法だとしたら習得はできないが、スキルならワンチャンあるかもしれない。  実際に俺はファイアやシェルターといった|スキルの発現《エウレカ》を経験している。底無しの体力と集中力でいくらでも反復はできるから、方法さえわかれば手に入ったも同然。

(やっぱり内省は大事だ)

 忙しすぎて疎かになっていたが、一人きりで深く沈んでみることで見えるものがある。そういうものを大事にできるから、独り者は素晴らしい。  逆に悩みすぎて病む危険もあるが、前世ならさておき、今の俺には関係がない。  もちろん、今さら一人になりたいなど、もはや叶う立場ではないが、んなこと知らねえよ。

 俺は淡々と行動を重ねるだけだ。

「見なさいジーサ。ユズに雷の鎧を着せたわよ」

 だから何も見えないっての。

「見てジーサ。ヤンデを裸にした」 「綺麗な身体してるだろ」 「微妙。エルフの平均くらい」 「殺す」 「ユズって地味に辛辣だよな」

 エルフに優劣とかあるんだろうか。例外なく人間離れしてる印象だけどな。シッコクとかもそうだし――いや、だから思い出さなくていい。シッコクが脳内から離れてくれない件。

「あなたに言ってるのよジーサ」 「なんでだようぉっ!?」 「驚いたふりがイラッとするわね。ユズッ!」 「承知」

 この高度差を秒の一割を待たずに埋めてきたヤンデと、そもそも差を無視するテレポーターユズ。  何をするかと思えば、ユズが背後から俺の首と下腹部を鷲掴みしてきた。おいモミモミすんな。  ヤンデさんはというと、片手に棍棒、もう片手に拳大《こぶしだい》の石というスタイル。原始人ですかね。

「結局単純な暴力が一番強いのよ」

 飽きたのか決着が着かなかったのかは知らないが、第二ラウンドのプレイヤーは俺らしい。

第243話 ジーサvsユズヤンデ

「いちいち保護するのがかったるいわね」 「二人を信用してないわけではないが念のためだ。手は抜くなよ」 「わかってるわよ!」

 ブーガほどではないが、これを表現できる日本語はないだろうというレベルの爆音が俺をつんざく。  棍棒だけでそれだけの威力を出せるなら大したものだ。やはり俺やスキャーノ程度とは格が違う。

「そうカリカリするな。ヤンデが弱いわけじゃない」 「あなたの評価はどうでもいい。私が納得していないのよ」 「意識が高いことで」

 俺のうんざり口調は通用しないらしく、もう一度棍棒が振り下ろされようとしていたが、ユズが止めてくれた。

 これに伴い、俺はユズの支えを失う。  宙には浮けないので落ちるしかない。

「遊び足りない。良い案を所望」 「あなたの珍妙な頭ならできるはずよ。早く思いつきなさい」 「無茶言うな。あと落ちてるんだけど」

 丁寧に音声を届ける余裕があったら止めてほしいんですけども。

「ユズが顔面を包むのはどうかしら?」 「陰部をこすりつける?」 「はしたない真似はやめなさい」

 俺としてはパーティー編成や戦術の話がしたいのだが、格下が二対一で迫られている構図である。まだしばらくは御せそうにない。

 にしても、改めて思うが自由落下って意外と速いんだな。

「ヤンデがする?」 「今はしないわ」 「変態王女」 「夫婦とはそういうものよ」

 主にヤンデがくりぬいた火口跡に墜落した俺は、地面に身体ごとめりこませたままそんな会話を聞いていた。「そうよねジーサ?」同意を求めるな。ついでに言っておくと、顔面騎乗は不衛生で好きじゃない。

 力加減を調整しつつ、何とか地上に上がる。  レベルが高いのか、この大地が脆いのか知らないが、油断すると豆腐の中を這い上がっているかのような感覚になる。

「頑丈な仮面とか無いのか? 装備品とかレアアイテムとかあるだろ」 「無い」 「皆無」

 見事にハモって『ないむ』と聞こえるまである。息ぴったりだな。

「ミスリルは?」 「加工する術が皆無」 「私達も持ち合わせていないわよ」 「魚人に頼む?」 「どこにそんな伝手があ――」

 そこで魚人が出てくる意味がわからず、尋ねようとしたが、超速で目の前に降りてきたヤンデの目――パズルを解いた子供みたいな輝きを見れば、割り込む気もなくなる。

「お母様なら可能だわ!」 「……ああ、無魔子《マトムレス》か」

 当たり前のようにテレポートで背後に回っているユズは、吹き飛びそうになる俺を片手で支えながら小首を傾げていた。

「呼んでくるわね」

 そしてヤンデも当たり前のように無詠唱テレポートで消える……。

 瞬間移動がポンポン飛び出す世界。ここはどこのフィクションなんだろうか。

 否、現実である。  異世界だし、もっというと|天使がつくった世界《ゲーム》なのだが、れっきとしたリアルなのだ。

「……」

 ユズと二人きりになったわけだが、正直言うとやりづらいんだよな。  今までは子供をあしらう感覚でいたが、国王が愛人ポジションを公認しやがったし、ユズも乗り気だし、俺もロリへの好奇心が芽生え始めている。

「なあ。失礼を承知で聞くけど、ユズって何歳だ?」 「まだ教えない」 「レベルは?」 「ユズを抱いたら教える」 「じゃあやめとくわ」 「ヤンデが来るまで数分と予想。数分あれば可能」

 さすがに早漏すぎやしないだろうか。あと俺の股間を見るな手を伸ばすな。

「やる?」 「しない。つーか、そういう性的なノリはやめてほしいんだが」 「ユズは焦っている」 「うぉっ、どうした」

 鼻がひっつく距離でドアップしてくるユズ。へぇ、眼球って本当に鏡みたいに映すんだなぁと思いつつも、とりあえず引き離して、

「タイヨウは高貴。タイヨウは多忙。タイヨウは無関心」

 しかし右手で掴まれ、左手でも掴まれ、ひょいっと腹にしがみつかれる。

「ベタベタするのもやめてほしいんだがなぁ。子供じゃないんだし」 「ユズは子供」 「何歳ですか?」 「まだ教えない」 「子供の年齢なら認めてやる。そうじゃないなら大人とみなす。大人は無闇に人に抱きつくものじゃないよな。どっちだ?」 「愛があれば無問題」

 どっかのラノベみたいなフレーズを言いながらも、がっしりと離さないし情報も漏らしてくれないユズさん。

 観念して、俺も尻を落とした。  尖った石があったようだが、枯れ葉のように砕かれる。もはや何とも気にしなくなった程度には、俺もこっちに馴染んできたということか。

「ところで、ここら一帯の惨状は放置してていいのか?」 「嵐で元通り。話を逸らさない」

 人形みたいに無表情なユズだが、さすがにある程度はわかるようになってきた。  何かを疑いつつも、すがるようなこの眼差しは、俺への執着を示していて。

 同時に、何かを疑っている。

「何を心配してんだ?」 「……」 「ユズ?」 「……」

 こちらを見透かすような凝視と、ミリメートルさえも振動しない集中度が凄まじい。

 逃げ出すこともできないし、誤魔化せる雰囲気でもない。  そんなことをすれば、やましい何かがあると確信されてしまう――  そんな圧があって、俺は平静に見返すことしかできない。

 彼女が何を考えているかはわからないが、見た目に騙されてはいけない。  王国を支えてきたガーディアンなのだから。

「タイヨウを守る。それがユズの仕事」

 そんな存在が自分《ユズ》自身に、そして俺にも言い聞かせるように宣言している。

「頼もしい限りだ。頼んだぞ」

 感情が高低しないと、本当に微塵も罪悪感を抱かないものなんだな。嘘の一つや二つ、いや百や千でも、無限につける気さえしてくる。

 俺はユズを抱き締め、ぽんぽんと頭を撫でた。

 説得に苦戦したのか、ヤンデのゲートが帰ってくるのに二十分を要した。  おかげでユズたんぽを満喫できたことは墓場まで持っていく。

「こっちに頭を突っ込みなさい」 「なんでだよ」 「被り物をつくってくださるそうよ」 「まあ、そうなるか」

 手のひらほどのゲートを介して会話する俺達。  ユズをどかせて、頭を近付けると、パソコンのディスプレイくらいにまで広がってくれた。

 中は真っ暗で何も見えない。  首ごと突っ込むと、

「【無魔子兜《マトムレス・ヘルメット》】」

 大気の流れ方が変わったのがわかった。  顔面全体を何かで覆われている。球体で、唱えられたとおりのヘルメットといった感じか。被ったことないからわかんないけど。

「行けそうかしらユズ」 「確認する」

 ぐいっと音速以上で引っ張られる俺。  視界は全く変わらなかった。つまり真っ暗のままだ。

「無問題」 「待て待て。何も見えん」 「視界なんて要らないわよ」 「お前らと一緒にするな」 「だそうですけど」 「この私をこき使うとは、良い度胸ですねジーサさん」

 当の本人、サリアはなんだか楽しそうだ。  わかっててやってるよなこの人。

「早く頭を再提出してください」

 字面だけ解釈すると猟奇的な響きだ。「承知」ユズが俺の首を掴んで、同程度の速度で再びぶっこむ。  さっきよりずいぶんと速く、たぶんヘルメットにもヒビ入ってる。  ……これだけの重さの物体を超音速で動かすって、冷静に考えておかしいよなぁ。  外皮担当のクロもかなりキツイみたいで、さっきから俺の心臓を切りまくってる。いや、これ不満にかこつけて遊んでるだろ。  別にどこで何しても構わないが、もうちょっと静かにしててほしい。  ここから逃げ出したら、たっぷり構ってやるからさ。

 もう一度、サリアの詠唱が発動し、またユズに引っこ抜かれると、今度は着ぐるみを着たときくらいの視界が戻っていた。  まだ狭いが、あまり目元も晒したくもないし、これでいいか。

「ありがとうございました」 「貸しじゃぞ」 「勘弁してください」

 どかっと机に顎を乗せるような音が届いている。怠けるモードに入りやがったのがありありと浮かぶ。

「ここにいましたか女王様。そろそろ行きましょう。王女様もお気をつけて」

 助かった。女王補佐《アシスター》、リンダのお出ましだ。

「待つのじゃ。せっかく確保した時間じゃし、王族専用護衛《ガーディアン》殿もおる。もてなすべきであろう」 「最高機密じゃ、待機しておけ、すぐ戻る、二分で済む、と仰られたのは女王様ですが」 「事情は刻々と変わるものじゃ。ほれほれ、もてなす場を整えよ」 「何を仰いますか! 混同区域《ミクション》に関する会議が三件続いていますし、一件目は既に待たせています。獣人の方々もすでにお見えです」 「そんなもの待たせればいいのじゃ」 「行きますよ行きますね」 「離すのじゃ! な、ヤンデ、そなたもわらわを貶めるのか!?」 「お母様のそれ、何とかならないの……」 「残念ながら女王様はこちらが素です」 「本当に残念ね」 「痛い、痛いぞリンダ! ヤンデも! 絞めるのはやめるのじゃっ!?」

 何やら荒々しい風圧が届いてくる。

「はぁ……」

 しばらくして、ヤンデが複雑な表情で戻ってきた。  リンダを手伝って駄々こね母を対処してきたといったところか。突っ込んでほしくはなさそうなので見なかったことにして、

「オリハルコンではないみたいだな」

 装着してもらったメットだが、コイツにつけられていた首輪みたいな底無しの硬さは感じない。俺でも砕けそうだ。

「さすがにそこまではねだれないわよ」 「すぐ壊れそうなんだが」 「問題ないわ。無魔子は魔力の宿った力を打ち消すのよ。ほんの少しでもね」

 言いながら、ヤンデが指先から弾丸っぽいものを射出する。  メットに直接撃ったり、かすめたり、俺の肩に打ち込んで衝撃と振動を発生させたりしているが、たしかにびくともしない。

 グリーンスクールでグレンが張った、あの白い壁が思い出される。  エネルギーが瞬時にゼロになっているかのような超常現象――

「私は魔力で|高レベルに見合った身体の硬さ《ランカーフィジカル》をつくっている。だからお母様には勝てないのよ」

 あるいはプレイグラウンドで使ってる植物――レベル2以上のパフォーマンスが絡むと変色する不思議な作用も思い浮かぶ。

(俺のバグを究明する糸口になりそうな気がするんだが……)

 考察できる場面でもないので、いったん頭の隅に戻す。

「かなりの機密だと思うが、ユズに教えて良かったのか?」 「お互い様よ。ガーディアンが私と同系統であることもわかったもの」 「そういうものか。ちなみにそのランカーフィジカル、俺もやりたいんだが、どういうスキルを使えばいい?」

 だいぶ強引だが、早速聞きたいことをぶっ込む俺だった。

「あなたには無理よ」 「魔法を流し込むだけ。かんたん」 「魔力ではなくて?」 「魔力を流し込むって何よ。適性が無い上に無知。救いようがないわね」 「魔法はユズができる。頼ってほしい。愛してほしい」 「堂々とイチャついてんじゃないわよ」

 地形に深い切り込みを入れるほどの水刃が俺達を引き裂いた。まるで地割れである。  ユズは避けたようだが、俺にはクリーンヒット。  あの、クロが結構死んだっぽいんだけど……。

 脳内に流れ込んでくるダメージの量も、さっきまで手加減にすぎなかったのだということを物語っている。  それでもブーガやグレーターデーモン達のパワーには及ばないが――まあどちらにせよ桁外れなのは違いない。

「さあ、やるわよ」 「競い方を定める必要」 「ジーサに判定してもらうわ。今からあなたをめちゃくちゃにするから、どっちが激しかったか後で評しなさい」

 台詞だけ聞くとエロくも取れるけど、これ、純粋に兵器ぶっぱなしていじめますと言ってるようなものなんだよなぁ。

「カウントダウン」

 ユズが無詠唱で引き寄せた瓦礫を放り投げる。この程度なら見るまでもなく振動でわかる。賽は投げられた、というと大げさだが、間もなくサンドバッグが始まるわけだ。

 俺の心臓が忙しかった。  一部をヤンデに殺されたクロが明らかにご立腹で、抗議をあげているのだ。心室の内壁を、かんなのような物で削られている感覚がある。お前も大概器用というか多彩だよな。

「【シェルター】」

 俺が相棒を避難させ、間もなく瓦礫が地に落ちたのを合図に。  眩しい視覚効果《エフェクト》が俺を飲み込んだ。

 二時間ほど続いた二人の攻撃でも、やはり俺は打ち崩れなかった。

 収穫も無かったわけではない。

 バカでもそうだとわかるほどに、彼女達の魔法は広くて。  それはまるで俺達を睥睨する空のようでもあって。  コイツらから逃げるのは不可能に等しいのだ、と改めて思い知ることができた。

第244話 下見

「性交訓練《セクササイズ》の日程が決まったわ――五日後よ」 「忙しいからまた後でな」

 第五週六日目《ゴ・ロク》の昼休憩。  俺達はアウラウルとグレーターデーモンの情報収集にあたっている。  |グレーターデーモンに関する情報《グレーターインフォ》は公開性が重視されているため隠してはいないし、むしろ積極的な意見も期待されているのだが、それでもこのメンツだ。お前よく声かけてこれるな。  ガーナの後ろでは、スキャーノでさえやりづらそうにしているってのに。

「面白そうですね。ラウルはどう思いますか?」 「せっかく集めてもらったところ悪いけど、僕達が話した方が早いと思うよ」

 華麗にスルーして、ただただ俺に喋りかけるラウル。  無視された童顔美人はニコッと目の笑ってない笑顔を浮かべて俺を睨む。なんでだよ。

「アウラ先生も参加するの?」

 ガーナが右隣のルナにもたれる気安さで話しかけている。態度悪いなコイツ。ヤンデと並ぶぞ。  体重をかけられてる当のルナは考え事モードに入っているらしく、微動だにせず俯いててちょっと怖い。私も力になります! って張り切ってたからなぁ。

「ラウル次第です」 「一応言っておくけど、僕はしないよ」

 ヤンデはというと、珍しく俺から離れて、教室の隅っこでハナとくっちゃべっている。  両手を前で畳んだ、何とも楚々とした立ち姿勢で、うふふとか聞こえてきそうな淑女の雰囲気である。

「ガーナちゃん、母親の権限で強制参加にしてもらえる?」 「構わないわ。むしろお母様も喜びそう」 「娼館を真っ二つにされたくなければ、くだらない冗談はやめるんだ」

 指を超速で動かしたっぽいな、机上の資料群をみじん切りにするラウルだった。  せっかく用意したのに何してんだよ。といっても、指示して集めてもらっただけなんだけど。  それにラウルの言う通り、戦闘に役立ちそうな情報はあまりなく、娯楽としてグレーターの生態や習性を深掘りするものばかりだった。

 どうも形に残る情報源で広く流布するものにはそういう傾向があるらしい。  一方、冒険者が使うような専門的かつ実用的な情報は、もっと大口の顧客が買う。ギルドとかギルドとかギルドとか。  アウラウルもまた大口顧客の範疇なのだが、有益な情報は無かったとのこと。

 ルナを見習い、俺もコイツらの雑談は無視して。  もう一度直近の行動予定を考え……るにはノイジーすぎる環境なので、「ラウルさんお願いします」さっさと本筋に戻ることに。

「細かいのも含めると優に一時間はかかるけど、行けるところまで行こうか」 「ラウルは話下手なので私が話します」

 対面に座るアウラが机に胸を載せつつ、上目遣いで誘ってくる。  さっきの笑顔からのこれである。「ね?」その小首傾げはさすがにあざとすぎない? この人も懲りない。いちいち内心で眼福する俺も懲りないけど。

 真面目な話、この二人だったら正直アウラが良いのだが、

「いや、もうちょっと手短に知りたいです」

 俺は欲張りに行く。  なぜか空いてる左隣にスキャーノが座ってきたけど、とりあえず無視して、

「出来るだけ早く潜りたいんですよ。パーティーに守られながら実物を観察した方がはるかに学びになるもので」 「君一人でも十分なのでは?」 「ただのレベル10に無茶言わないでください」

 一応、俺がレベル10の第五級冒険者であることはまだ通っている。  わかりきったことのはずなのに、この二人はちょいちょいこんな罠を仕掛けてくるのだ。アウラもさっきの茶目っ気はどこへやら、鋭い双眸を向けてきてるし。

 効かないと見切りをつけたのか、再び天真爛漫な笑顔つきで、

「やっぱり不安です。ヤンデちゃんもいるし、そのパーティーを疑うつもりはないんですけど、私達もいた方が心強いと思いますよ?」

 控えめに聞こえるが、連れてけという圧力を感じる。  たぶんオーラもちょい出ししている。ルナがビクッとして我に返る程度には。

「逆に尋ねますが、アウラさんは俺に命を預けられますか?」 「慎重なのは好感が持てますけど、考えすぎじゃないかなぁ。様子を見にいくだけよね?」 「アウラさんの主義思想はわかりませんが、俺は慎重を重ねるタイプです」 「良い心がけだ」

 ラウルが得意顔でうんうん頷いている。「アウラも学ぶべきだよ」そして余計な一言を言って、杖で殴られている。  ついでに難なく受け止めていて、さらにアウラを不機嫌にさせていた。  もっともこういう夫婦漫才も演技かもしれないので油断は禁物だ。

「とりあえず一案を出します。ゲートで第89階層の終点に行った後、俺はヤンデに抱えてもらいます。動くのはヤンデです。彼女は深追いをせず、グレーターにちょっかいをかける程度で仕掛けます。俺は間近で観察するだけです――これでどうですかね」 「囲まれたときが危ないね」 「私以上の魔力ですし、大丈夫だと思いますけど」

 やはりそうか。俺の読み通りだ。

(|グレーターデーモン達《アイツら》は明らかに手加減をしている)

 一体殺してレベルアップした後にフルボッコを食らった俺だからこそわかるが、アイツらが本気を出せば第一級でも追いつけない速さとパワーなど朝飯前だ。  だとすると、ヤンデやユズはともかく、その下のアウラクラスでは歯が立たないのではないか。

(手を抜いてる理由もわかる)

 暇なんだろうなぁ。

 あの悪魔どもは賢い。かなり賢い。  強すぎると誰も来なくなるし、かといって弱すぎてもひっきりなしに来てウザい。ちょうどいい塩梅として、第一級冒険者が何とか生存できる程度を設定しているのだ。

「先に下見は済ませた方がいい。テレポートが使えなくても、人が入れる程度のゲートで問題無い」

 何かあったときに逃げれるようにってことだろう。  ダンジョン『デーモンズシェルター』は魔子の層があるため、一気に地上には出られない。特にユズがそうだが、普段持ってるテレポートスポットが使えないわけだ。  そうなると移動先として無難なのはグレーター巣くう90階層の一つ上――最も近い89階層になる。  無論、普段扱ってない場所なので、事前に下見しておく必要はある。

「全員使えるんで問題ないと思いますが」

 そもそもパーティーのメンバーたるヤンデもユズも、俺とは比較にならない魔法のエキスパートだ。言われるまでもあるまい。

「ああ、そうだったね。君もかい?」 「使えたら苦労しませんよ」 「話はついたようね」

 ヤンデの声だ。  見ると、ハナと手を振り合って散会している。マイペースに歩いてきているが、もはや王女なので誰もが無言で待つだけ「早くしてください」ルナは違っていた。  瞬間、シュンッと残像がちらつき、俺の両膝に重みが。

「今日の放課後にでも早速行ってみるわよ」 「行動早えな。もうちょっと練ろうぜ」 「臆病なあなたのためでもあるのよ? そういう及び腰は捨てなさい」

 わかってる。わかってるさ。  わかった上で、あたかも腰が上がらないかのように振る舞っているんだよ俺は。  本当は今すぐ行きたくてたまらないくらいなんだぜ? 騙されてくれて何よりだ。

「やはり私も行きたいです。立場上、現時点の最強生物を見ておきたいので」 「相談してみたら? 私はジーサしか世話しないわよ」 「ヤンデにしては弱気な発言ですねー。さてはグレーターデーモンが怖いんですか?」 「挑発しても無駄だから。ジーサは私が独り占めするのよ」 「動機が不純すぎませんか……」

 俺もルナの言い分に完全に同意する。  が、ヤンデかユズかでいうと、ヤンデの方がマシだからこれでいい。ユズはなんていうか、俺を知りすぎている。  まあヤンデもヤンデで|俺の相棒《ダンゴとクロ》を知っている分、厄介なんだけどな。

(むしろ悪手かもしれん)

 なんたって俺の脱走プランにも欠かせない存在だからな。

「交渉は私からしておきます」 「ああ、頼んだ」

 誰がいつ潜るかは国が管理しているわけだが、ハルナ王女がお願いするわけだ。俺達の都合が負けることはないだろう。

 ルナの離席を皮切りに、解散が始まる。  元々忙しい奴らばかりなのもあり、ぞろぞろといなくなって――残ったのはガーナとスキャーノ。

「ジーサ君は、ぼくにしてほしいこととかある?」 「いきなりどうした? つか全然存在感なかったぞ」 「なんでもするよ。そ、その……性的なことも……」

 おかしなことを言い出す。  ガーナもガーナで「いいじゃないの」とかほざきながらルナが座ってたところ、すなわち俺の右隣に腰を下ろしてくる。なぜ舌なめずりをする。  この金髪には背中を向けて、

「そんな趣味はないんだが」 「でもエルフの男子達とは良い雰囲気だったよね?」 「どこをどう見たらそう見えるんだよ」

 シッコクとはキスしちゃったけど、誰も見てないはずだ。あ、訓練で気絶してたガーナには見られた可能性があるな。

「アタシの出番ね」 「ガーナさんは黙ってて」

 スキャーノがデコピンのジェスチャーをする。  実際に風か何かを飛ばしたようで、「えうっ」こつんと痛そうな音がした。

「心配要らないわよ。アタシはどっちも行けるし、行けるようにしてあげる心得もあるから。何ならジーサと三人でもいいし、むしろ三人がいいわね」

 俺の手に恋人繋ぎで絡んでくるの、やめてもらえませんかね。これでもダブルロイヤルなんですけども。  逆に説得力ないか。要は二股だし、ユズとハナにも立候補されてるしな。

「真面目な話、何でも言ってね。ジーサ君のことは絶対に見捨てない」

 対してコイツはというと。  いつになく真剣で、でもどこか熱っぽくて。先日のインタビュアーと同一人物とは思えない。

 なんとなく女優が思い浮かんだ。さして興味もないので名前と顔は出ない。  演技は凄いけど普段は抜けてる女みたいなちぐはぐ感というか、作りめいた雰囲気というか。

「なら永遠に放っておいてくれ」 「致しかねます」

 用事は済んだみたいで、立ち上がりながら一蹴してくるスキャーノだったが、危ういバランスの微笑を寄越してくれる。

「……」

 カワイケメンとでも言えばいいのか、いやショタが好きそうなロリイケメンじゃなくて、美人のコスプレイヤーが男装した感じとでも言えばいいのか――そう、男にしては美少年すぎる。

 性欲にだらしない俺だからこそわかる。  どうにも対象外《おとこ》の臭いじゃないし、女の起伏も無ければ体運びでもないし、俺が覗いてきたマイノリティの連中とも雰囲気が違う。  性の在り方も多様だし、かなり珍しい嗜好なのかもな。

 と、失礼な品定めを連発しながら適当なリアクションを考えていたが、向こうも期待してないようで、言う暇もなかった。

「二人っきりね」 「……」

 この後、痴女を振り切るのに苦労することになる。

第245話 下見2

 いつものように職練の時間は『プレイグラウンド』でガキ達の指導を済ませた。

 未だに結婚をせがんでくるオリバはしつこいし、俺を目の敵にするダグネスとワスケも鬱陶しかったが、さすがはガキ大将格――他の子供達を仕切れる資質を持っているようで、俺の指導負荷が減る日も近い。

(ここに来ることは二度とないけどな)

 とはいえ子供は些細な変化に敏感である。それでも俺は用心を重ねる。  悟らせないよう、焦らないよう、いつものようになだめて、あしらって。  親御さんとは軽く駄弁り、ランベルトさんとも小言を交わし。

 そうしていつも通りに過ごしてから貧民エリアを後にした。

 学園に戻るとすぐにアウラウルそしてユズと合流して、今日のパーティー編成について聞かされる。  曰く、パーティーは俺とヤンデとユズの三人。アウラとラウルは案内役で、ルナはお留守番だ。  本当はヤンデと二人っきりが良かったが、ルナのおとなしさを見るに決定事項だろう。あまり抗っても怪しいから俺も受け入れることにした。

 着替えと食事を済ませてから、お馴染みのゲートでダンジョン『デーモンズシェルター』へ。  一足での到着は叶わないため、何度かくぐることになる。  各ポイントではスポットキーパーと呼ばれる冒険者達が待機していて、王族にするような仰々しい礼を受けた。ああ、俺もそういう立場なんだよな。

 そして目的地――第89階層を踏む。

「綺麗だな……」

 一言で言えば、宝石の洞窟。  ファンタジーでも見ないような煌びやかな水晶が、これでもかと壁や天井に敷き詰められている。どれもはかったかのように鋭くて、おそらく硬度も相当だろう。  光度も悪くなくて、本くらいなら普通に読める。

「急に飛んでくるから気を付けてくださいね」

 先導するアウラがピンクのボブヘアーを揺らしながら振り返る。

「あれ全部ですか?」 「モンスターが擬態していることがあります。人間では判別がつかないので、事実上出たところ勝負です」 「頼んだぞ二人とも」 「承知」

 ユズは俺と背中合わせで浮いているが、何度も来ているからか、水晶には目もくれない。  対してヤンデは俺と同様、いや俺以上におのぼりさん感丸出しで、さっきから見上げっぱなしだ。「何本か持ち帰りましょう」などと言っている。何なら早速魔法を放って引きちぎっている。

「あなたを刺すのに便利そうね」 「どういう用途だよ」

 近くで見るとカラーコーンより太く、しかし先端は針のように細い。表面には弁がついていて、これはアレだな、侵入者を殺すことしか考えてないやつ。  ダンジョンにも意思があったりするんだろうか。

「遊んでないで、早く来るんだ」

 アウラのさらに前を行くラウルが、大穴の入口に片足をかけている。「聞いてないわよ」ヤンデが言いつつ水晶を放った。  俺にはキャッチはおろか、避けるのも怪しい速度だ。

 それはラウルの頬に着弾し、破裂して――全く効いてないな。  俺には相当硬く見えたが、それでも第一級には傷一つつかないのだろうか。

「君達の戦い方を見る、またとない好機だからね。ダメかな?」 「論外よ。失せなさい」

 向かうのは俺、ヤンデ、ユズの三人だけであり、シニ・タイヨウとして動くことも想定している。  よって正体を知らないアウラウルの同行は許されない。  この裏事情はともかく、三人パーティーで行く旨は、さっきも説明されたわけで、わかっているはず。

「足は引っ張らないよ。何なら見捨てたっていい」 「往生際が悪いわね。既に話し――」 「それとも、見られたら困ることでもあるのかな?」 「……ジーサを探りたいのか、私を探りたいのか知らないけれど、結論は覆らないわよ。退きなさい」

 手のひらをかざすヤンデと、背中の大剣に手をかけるラウル。  アウラは杖を構えていて、ユズは「タイヨウの背中、大きい」今シリアスムードなんですけど。

「仕方ないね」

 金髪剣士は手を下ろし、片足も下ろすと、やれやれと前世でも通じるジェスチャーで戦意の無さを示す。  まだ殺気を収めないヤンデに、

「君達にはわからないだろうけど、僕達は手詰まりなんだよ。高みに至るヒントがあるなら、とりあえず手を伸ばすさ」 「……」

 俺にはさっぱりなので黙っているが、ヤンデは共感できたらしく、ため息をもって脱力した。

「時と場所は考えなさい」 「次からそうするよ」 「可能なら二度としないで欲しいわね。鬱陶しいから」 「そうだね。行こうかアウラ」 「せっかく来たんだし、ミスリルゴーレムでも狩りましょう」

 ピクニックみたいに言ってら。  にしても、息するように仕掛けてきたなぁ。今回はヤンデが全部誤魔化してくれたけども。

「ここからが本番。気を引き締める」

 背中のぬくもりが離れて、ユズが前に出る。ふわふわのふの字もない、不自然な滑らかさだ。  第一級二人に警戒する様子はなく、彼らの悪癖を最初から理解した上でスルーしていたのだと今さらわかる。  俺とヤンデは顔を見合わせた。その見慣れた唇から何が飛び出すか、まあたぶんユズに当たり散らかすだろうなと思っていたら、なぜか頬をビンタされた。なんでだ。

 大穴は真っ暗闇の一本道だったがそこそこ長く、百キロメートルはくだらなかった。  ヤンデの希望――何でもダンジョンにしては珍しい地形構造らしい――でたっぷり数分ほどかけた後に、小部屋に着く。それでも数分なんだから、速度や時間の感覚がおかしくなる。

 さて、終点はというと、少しだけ明かりが漏れている。

 見上げてみて、確信した。

(《《いる》》)

 なぜだろうか。アイツらが心待ちにしているのがわかる。

「……どうした?」

 エルフの双眸が俺を覗き込んでいる。内心を推し量られていると感じるのは、俺がよからぬことを企んでいるからだろうか。

「シェルターは使わないの?」 「人のスキルを喋るな。ただの下見には必要ない」 「小さい男ね。減るものでもないわよ」 「俺は手札が少ねえんだよ。そんなわけで、情けない話だが俺を守ってくれ」 「承知」 「当然……って、何ニヤニヤしてんのよ」 「いや、頼もしいなと思っただけだ」

 この二人に守護される俺ほど安全な人物もそうはいまい。  素直にそう思えた。

 それが伝わったのか、ヤンデも珍しく微笑を寄越す。カメラがあったら収めたいな。  ユズもユズで、ぽかぽかと可愛い嫉妬を向けてくる。カメラがあったら収めたいぜ。

 と、冗談はさておき。

「行くわよ」

 俺達は第90階層に飛び込んだ。

 手加減抜きの加速、からの急停止。  クレーターができるんじゃないかという甚大な衝撃波が拡散して、ダンジョンの内壁を抉る……なんてことはなく、むしろ俺達に跳ね返ってきている。

 ブゥン。

 聞き覚えのある詠唱音の後、俺達を潰す圧力が増した。  見えない鎧に守られている俺だが、視覚だけでも空気が重いのがわかった。|俺の外面《クロ》でもぺしゃんこだろう。

 空気圧縮――ギガホーンからも食らったアレだな、などと思い出す暇もなく、「ファイア」ユズが着火してみせる。  あえて詠唱したのは俺に知らせるためだろう。そうするほどの余裕がまだある。

 武器庫顔負けの大爆発が起きたはずだ。  視覚と聴覚が役に立たない中、一応状況判断に努めようとするが、その前に薄暗いダンジョンの風景が現れた。  言うまでもなくテレポートで、この階層に慣れたユズが別の場所に移ったのだろう。  だが、それはコイツらも使えるもので、次の瞬間――

 青白い巨体が六体、俺達を取り囲んだ。

 五メートルほどの体長に余すことなく敷き詰められた筋肉が、淡く発光している。  漆黒の翼。  邪を体現する二本の角。  殺戮の設計思想しか感じない爪と牙に、慈悲を映さぬライトグリーンの瞳――

 紛れもなくグレーターデーモンだ。

「やるわね」 「油断禁物」

 私語もそれだけで、すぐに強者の様子見が幕を開けた。

 ほこりさえ動かないほどの膠着が場を支配している。  遅れて、ダンジョンの崩壊と思しき音が届いてきた。まるで雷だな。それだけの距離を離れたってことだろう。  もっと言えば、その程度の広さ分はここを開拓できているとも言える。

「……」

 ユズの横顔は俯いている。見ずとも反応できるのだろう。  ヤンデの後ろ姿はうずうずしている。早く戦いたくて仕方がないのだろう。  俺達を見下ろすデーモン達は……わかんね。

 それはともかく、既に何度も攻略を試行しているわけでデータは揃っている。  彼我の実力差は僅差だ。  だからこそ軽率な行動は行わず、まずは見ることから始まる。相手の観察に全リソースを注ぎ、ミリ秒よりも刹那の隙を探して不意を突くために。あるいは突かれないために。

 もっとも、それは本当に僅差だった場合の話にすぎない。

「タ――」

 たぶんタイヨウと言ったのだろう。  ユズか、それともヤンデかはわからないほどの、ほんの音の断片であったが、届かせただけでも大したものだ。

 俺には全く視認できない速度だった。  とりあえず引き剥がされた、いや、剥がしてくれたのはわかった。つっても脳内に流れてる数字で、だけど。

 ともあれ、《《ちゃんと伝わったみたいだな》》。

 四体のグレーターが俺を見下ろしている。  というか、それぞれ両手両足を引っ張っている。どこの拷問だよ。

「早速遊ぶのはやめろ」

 渋々離れてもらった俺は、改めて地面に立ち、コイツらと向き合う。

「久しぶりだな」

 どこまで離れたかはわからないが。  金髪幼女の優美な魔法も、すぐ殴ってくるエルフの華美な魔法も。もう見えないし、聞こえないし、感じることさえ無かった。

第246話 下見2.5

 話は第五週五日目《ゴ・ゴ》の深夜に遡る。

 でかいベッドの上で、俺は両腕に抱きつくヤンデとルナを力尽くで引き剥がし、頭にしがみつくユズは敏感なので優しく剥がして、ようやく一人の時間だ。

 グレーターデーモンに活路に得た俺は、思い浮かんだ戦略を慎重に熟考――  小一時間ほどで確証を得る。

(ダンゴ。クロ。よく聞いてくれ)

 常時賑やかな俺の体内がおとなしくなった。  乱れ放題だった血流も正しく流れ始めて、独特のじんわり感に包まれる。

(明日か、明後日か。そう遠くない日に、俺は|悪魔の巣《デーモンズ・ネスト》に行くことになる。またとない機会だ)

 グレーター達には、俺の身柄を引き取ってもらう。

 ……と発表しても、コイツらはだんまりしたままだった。  最後まで傾聴するつもりだろう。良い心がけだ。だいぶ俺の機微を汲み取れるようになってきたな。

 ふと、そばに横たわる無防備な寝姿に目が行きそうになって、思わず堪える。

「……」

 浮かんでくるものの一切合切を無視して、俺は共有を再開した。

(作戦は単純だ。デーモンズ・ネストに来た俺を、グレーター達が全力で攫《さら》えばいい。アイツらが人と遊ぶために手加減していることは想像に難くない。全力を出せば、ヤンデでもユズでも軽く出し抜ける)

(二人を殺す必要はない。殺せば角が立つから、むしろ殺さずあしらってほしいところだ。そうだな……何が起こったかわからないように演出してくれるのが一番いい。最低でも、この崇拝状態《ワーシップ》のからくりは伏せたい)

(ルナには知られているが、ルナもルナで師匠なる人物との繋がりを隠してるわけだし、喋ることはあるまい)

(グレーター達にはもっと面白い遊び道具を用意してやる。代わりに、冒険者と遊ぶのはおしまいにしてもらうつもりだ。――とりあえずここまでは理解できたか?)

 五月雨式に喋る俺だが、ダンゴとクロは賢い。  案の定、後頭部と心臓部への打撃が肯定の意を示す。

(ここからが本題だが、この俺の意思をグレーター達に伝える必要がある)

 当たり前だが、バカ真面目に声を掛けるわけにはいかない。  当日、俺は二人によって厳重に守護される。話しかける隙なんてないだろうし、できたにしてもすぐに怪しまれて引き離されてしまう。

(方法は一つしかない。ダンゴ。お前が事前に赴いて、直接伝えるんだ)

 寄生スライムは微生物、というには小さすぎるが、意思を持った細胞の集合体と言えた。  早い話、自由に分裂できるのだ。

 極限まで小さく分裂したダンゴが、ヤンデにもユズにも気付かれないようにグレーターのもとまで行けば良い。

(おそらく第89階層まで行って、準備をしてから90階層に潜ることになる。その間にダンゴは俺から分裂して、こっそりと90階層に先回りしてくれ)

(もちろん普通に分裂してもバレるだろう。日常的に落ちる髪の毛や垢を演じるのも悪くはないが、その後の動きでバレる可能性がある)

 俺のレベルでさえも、その程度の微細な物体をはっきりと識別できる。近距離であれば、空気振動経由で不自然に動いたのもわかるだろう。  ましてヤンデとユズである。俺の何倍も鋭敏に違いない。

(一つ考えがある。足元を使うんだ。俺の足裏から地面を削り、分裂したダンゴが潜る。その後、ダンゴの一部が地面を再現して元に戻せばいい。これなら悟られることはない。ダンゴ、このやり方でグレーターの所まで行けるか?)

 もちろん切削のパワーが強すぎれば周辺が揺れてしまい、空気もわずかに揺らしてしまうだろうが、その辺のさじ加減がわからないダンゴではない。  クロもそうだが、寄生スライムは超一流の職人だ。他ならぬ宿主の俺が保証する。

 ガツンと後頭部への単打《イエス》が返ってきた。  この打撃からして一切外に漏れてないんだから大したものだ。

(クロの同行は必要か?)

 今度は頭に打撃二発《ノー》で、心臓の左半分には斬撃一閃《イエス》。  つまりダンゴは嫌がっていて、クロが連れてけと言っている。

(バレないならどっちでもいい。好きにしてくれ)

 俺が言った瞬間、ダンゴが連打を浴びせてきた。  すまんが耐えてくれ。クロを嫌ってるのはわかるが、俺としてもいざってときに言うことを聞かせたいから、普段はあまり干渉したくないんだよ。  特にクロはダンゴ以上に聞き分けが悪いから……。  というわけで放置するしかない。今度何か埋め合わせてやるから。

(さて、チャンスは一度きりだ。グレーター達にはできるだけ早く行動してもらいたい。お前らも出来るだけ早くグレーターへの伝達を済ませてもらいたい)

 そこまで言って、不意に気付く。

(もしかして、第90階に行かずともアイツらとやりとりする術があるか?)

 この問いには両者とも否定してきた。

 ……そう甘くはないか。  白夜の森の隠密《ステルス》モンスターも、深森林のバーモンも。なんとなく優れた情報共有網を持っているように感じられたんだがな。

(じゃあ90階に行ったらどうだ? 距離を問わず、魔法も使わず、物質も伴わないようなやりとりの術はあるか?)

 一応粘ってみたが、これもノーだった。

(素直に足を運ぶしかなさそうだな。二人とも頼んだぜ)

 もう一度、俺は作戦に欠陥が無いかを確認する。

 たとえ根拠なき自信があっても、退屈な作業であっても、俺がやるしかない。  コイツらが俺に何かを言ってくることはないからだ。  崇拝状態《ワーシップ》になったモンスターは、あくまでもイエスかノーかを示すのみ。よって、常に俺が質問を投げかけなければ、情報は何も得られない。

 その後も俺は何度も、何度も繰り返した。  それはもう小説の新人賞応募時でもここまでしないだろうってくらいにチェックを重ねた。

 そもそも地面は削れるのか。  ヤンデやユズが地面の中を探っている可能性はないのか。  俺達より先にグレーターのもとに辿り着けるのか。レベルの高いクロの方が移動力に優れているのではないか。  辿り着けなかったらどうする?  辿り着いても、アイツらに断られたら――

 不思議なもので、粘って繰り返してみるとぽろぽろと出てくる。  最初から全部出れば楽なのに、と考える俺は無粋なのだろう。

 不安定こそが人生を彩らせる。  この原則を拒絶する者は、ただただ苦しむだけだ。  安定という名の幻想を求めているうちはまだマシだが、たまに道を外す者がいる。死こそが唯一の安定だ、とかな。  かく言う俺もその一人なんだけども。

(俺の意思は変わらない)

 気持ちよさそうな吐息も。  艶めかしい衣擦れも。  俺を呼ぶ寝言も。

 そんなものはすべて、踏み台でしかないのだ。

第247話 下見3

 魔法やスキルの発動に繋がらない言葉を高速で発声することを擬似詠唱《フェイント》と呼ぶ。  実力者には通じず、普段の会話で使う機会もないためあえて使われるケースはほぼないが、

「タ――」

 そんなユズの擬似詠唱は、ヤンデにもよく届いた。  彼女自身は何もできなかったため、反応の速さはユズに分があるということだろう。普段なら悔しがったに違いないが、そんな状況でもなく。

「……」 「タイヨウ……」

 二人は第89階層に転送させられていた。  階段の周囲ではなく、付近でもない、この広大な迷宮のどこかに。

「一応聞くけれど、さっきのは擬似詠唱ではないわよね?」

 とっさにタイヨウの名前が出ただけ、ということはヤンデもわかっている。  それでもあえて口にした。しなければならなかった。  平静を取り戻すために。

「タイ、ヨウ……」 「しっかりしなさい!」

 あえて魔法は撃たず、声だけで殴るヤンデ。

 虚空を見つめたまま宙で微動だにしなかった、その幼い身体は――ゆっくりと地面に降りていいった。  ぺたっと小さな素足の足音が響き、「復帰」ユズが再び浮く。

「さすがね。むしろ私が危ないわ……」

 震えるヤンデの手を、今度はユズが握りしめる。

「ヤンデに質問。最後に擬似詠唱を使ったのはいつ?」 「……覚えてないし、おそらく使ってもいないわ。必要が無かったもの」 「ヤンデは昔から強かった?」 「そんな自覚は無かったわね。みんな弱すぎるとは思っていたけれど」

 |意識が悲愴と絶望に引きずり込まれる《ダークサイドにおちる》のを防ぐために、他愛のない質問を投げる――  これができるかどうかは分水嶺であり、パーティーという複数人の在り方が重宝される理由の一つでもある。

「直った?」

 真正面から見つめてくる小さな双眸に、ヤンデは「ええ」微笑を返す。  その証拠とばかりに、背後から迫る十数メートルもの巨体――ミスリルゴーレムを「【ウルトラ・サンダー・スピア】」片手間の雷槍で撃破する。

「雷が有効……。初耳」 「ようやく近衛を出し抜けたわね」

 秘密の弱点を突かれた『動く財宝』は、もう動かない。そのまま仰向けに倒れて周辺を揺らした。  まだ轟音が響く中、

「私も大丈夫よ。状況を確認しましょう」

 完全に平静を取り戻した二人は、とりあえず振り出しを目指す。

 実力も桁違いなら、探索もお手の物だ。  並の遠征隊ではキャンプを張るほどの難易度を、わずか十数分でこなし――再び大穴の前まで来た。

 もっとも同階層であれば魔子の影響も薄く、テレポートが使えただろう。  あえて使わなかったのは体調の再点検と思考の整理、そしてアウラウルや他の冒険者の存在確認のためだ。

「人は皆無。小細工は不要」

 魔法で一瞬なのに、わざわざ両手をぱんぱんと払うユズを見て、ヤンデは微笑ましさをおぼえる。  誰の影響なのか。言うまでもない。

 彼女の想い人は、やたら原始的な身体動作にこだわる男だった。  冒険者として|日常的な動作《デフォルト・パフォーマンス》を心がける気持ちはわからなくもないが、それを考慮しても病的と言える域だ。  まだまだ疑問と好奇は尽きないが、そんな場合ではない。ヤンデが大穴を睨みつけて、

「……あの悪魔は何をしたのかしらね」

 エルフに違わぬ美声が、暗き大穴に呑まれていく。

 この二人をもってしても反応できない速度など、異次元であった。  仮にそんな実力があったとするなら、人類が敵う相手ではない。  なのに攻略は順調だったという。こうして二国合同の少人数パーティも許されるほどに。

「遊ばれていたの?」 「……」 「モンスターにそんな知恵があるというの?」 「……」 「仮にあったとして、このタイミングでそれをやめたのはなぜ?」 「……」

 考えても、考えなくても。  思い当たる原因は一つしか浮かばない。

 だからこそ、ユズの擬似詠唱もああなったのだ。

「これがジーサの――ううん、シニ・タイヨウの目論みだった」

 物音一つしない水晶迷宮の中、幼い横顔が首肯する。

「何か知ってそうね。吐いてもらうわよ」 「ヤンデの情報も所望」 「もちろん。ただし他言無用にさせてもらうわ。シキにもルナにもよ」 「協力は、しない?」 「しない」 「なぜ?」 「約束だからよ。他人の秘密を漏らすのは、人としてどうかと思うわ」 「ユズにはなぜ?」 「おしおきだからよ。私一人ではおそらくジーサ、いえタイヨウを探し出せない。あなたがいたら百人力なのよ。とっ捕まえて懲らしめてやるわ。あなたの許嫁はそんなに甘くない、何だって一緒に抱えてみせる、だからもう逃げるのはやめなさい、受け入れなさい――ってね」 「頼もしい」 「……調子狂うわね」

 タイヨウも落ち着いた男だったが、それ以上に淡々と漏らすユズを前にすると、どうにもばつが悪い。  ヤンデはエルフらしさも王女らしさも捨てて、ガリガリと頭をかく。  そのままどかっと腰を下ろして、「何か無いの?」嗜好品をリクエスト。

「ミスリルならある」 「どんな怪物よ」

 第一級冒険者の武器として使えるほどの超硬物質は、当然ながら食べ物でもないし、噛み砕ける人間などいないだろう。

「実は美味。皇帝ブーガはよく食べている」 「なわけないでしょ」 「ヤンデは博識」 「バカにしてるのかしら?」 「ミネラルウォーターでよければ」 「悪くないわね。私も自信あるわよ」

 ミネラルウォーターとは、水魔法で生成した純度の高い水に、微細な土魔法や雷魔法を加えて味を微調整したものである。  ジャースでは好事家扱いされる代物だが、魔法の上手さや器用さをはかる遊びとして使えたりもする。

 二人とも手元に簡素な器を生成し、ヤンデはユズの方に、ユズはヤンデの方に小さな水流を注いでいく。

 ヤンデは飛び散りもこぼれもあふれも気にせず器を魔法で浮かせ、宙で傾けてから自らの口に流し込む。  一方、ユズは一滴も垂らさないまま素手で掴み、貴族がそうするように上品に嗜んでいく。

「嘘でしょ……」

 からんと器を落とすヤンデ。  そこにコトッと行儀の良い音が重なる。

「ヤンデの水は微妙。有り体に言えば、下手」 「そろそろ話を始めましょうか」

 勝負を無かったことにするヤンデだった。「もう一杯お願いするわ」しかし未だ味わったことのない美味さにも抗えないのだった。

 ユズはおかわりを撃つ――のも面倒と感じたようで、人頭ほどの水球を寄越す。それをヤンデは風魔法ですくって、口元に運ぶ。

 シニ・タイヨウの情報交換会が始まった。

「――どうしても私は魔人が頭をよぎるのだけれど」 「その可能性は皆無。臭いがない」 「隠してるだけかもしれないじゃない」 「ユズはレベルが低かったタイヨウを知っている。最初から臭いはなかった」

 ヤンデは自分が魔人族と森人族《エルフ》の混合種であることも明かしている。人を著しく不快にする体臭、というより作用も、魔人特有の魔素放出体質によるものだ。  最近は立場上必須なこともあり日中押さえ込んでいるが、これは要領を得たヤンデの高度な魔法と豊富な魔力によるところが大きい。

 冒険者歴が浅く、レベルも低かった初々しきタイヨウにそんな芸当ができるとは思えない。

「同居人さん――タイヨウは寄生スライムと呼んでいたけれど、どう説明するのよ? モンスターが人と共生することはありえないわ」 「調教《テイム》の一種と予想」 「そうね。シッコク・コクシビョウが持っている以上、その線で見るのが妥当よね。まだまだ解明できてないみたいだけれど」 「シッコクを捕まえれば、タイヨウにも繋がる」

 だからシッコクに注力しようと言外に告げる。「そこはお母様に任せておけばいいのよ」それをヤンデは一蹴した。

「私達は、私達にできることをやればいい」

 ヤンデには少人数であたるべきとする直感があった。王家や種族の力には頼らず、二人で探すべきだと。  無論、このような感覚を伝えるのは難しい。そもそもユズは王国の人間であり、忠誠を誓う護衛でしかない。  戦略の食い違いが予想されたが――

「承知」

 ユズの反応はあっけなく、そして早かった。

「……何する気?」

 杞憂にほっとする間もなく、ユズは次の行動を起こしている。  小石を生成し、宙に浮かせていた。

「これがタイヨウの速さ」

 それは一般人《レベル1》でも掴める程度の速度で、ゆっくりと旋回している。

 小石がさらに二つ並んだ。  どちらも一つ目のものよりは明らかに速い。

「……そうね。そんなものだと思うわ」

 タイヨウ、ヤンデとユズ、そしてグレーターデーモンの速度を相対化しているのだと理解した。  ヤンデの体感ともさほど乖離していない。

「タイヨウがグレーターデーモンについていくのは不可能」 「でしょうね。認識さえできないのではないかしら」 「でも一度は脱出している。さっきも私達を出し抜いた」 「……」 「仮に調教だとした場合、実力差は相当」 「調教は力で脅すものよね? 他のやり方があるのかしら……」

 あぐらを組み、腕も組んでうんうん唸るヤンデには、もはや王女の威厳も淑女の体裁も無かった。  自覚もあるが、今この場には叱る者は誰もいない。  ユズも無粋に指摘するタイプでもなく、むしろ同類らしくて、裸のまま地べたに寝そべっていた。

 美味の水球を見つめるユズに、ヤンデもつられる。  その球面は本人の実力を示すかのように澄んでいて、吸い込まれそうな錯覚をおぼえてしまう。

 近衛の実力は間近で見てきた。  一目でわかった格の違いにも偽りは無かった。間違いなくアルフレッド王国の屋台骨となっている。  そんな存在を出し抜き、懐柔してみせたのが他ならぬシニ・タイヨウだ。

 底無しの防御力と、それを生かして蓄積したダメージの解放《リリース》――

 珍しいバトルスタイルだが、レアスキルの範疇だろう。突出と呼ぶには心許ない。  ここに独特な思考回路と知識体系も加わるだろうが、やはりまだおぼつかない。

 彼の武器は、切り札は、それだけなのだろうか。

「もう一つ、ある……」

 先にヒントを掴んだのはユズらしい。

「ユズ?」 「モンスターを手懐ける《《第三の》》術の可能性」 「調教の洗練ではなくて?」

 調教《テイム》は廃れた分野だとされているが、シッコクがエルフを騙し通せたことを考えれば見直さざるを得ない。  裏で独自に開拓している勢力があるかもしれない。もしそうだとすると、シッコク以外にも弱者になりきっている者が各地に潜んでいてもおかしくはない。  そんな陰謀説まで想像し始めたヤンデだったが、

「違う。白夜の森」

 ユズは身体を起こし、空中に精巧な地図を描く。

「あの森ね。そんな名前だったの」 「タイヨウが名付けた」

 ルナとシキが始めた出会った日――白夜の森で再開を果たした時のことをユズが話し始める。

 あの時、隠密《ステルス》モンスターがシキやユズを襲わなかったのは、実力を恐れてのことだと考えられた。  モンスターとて無能ではない。実際に強者が並のダンジョンに足を運べば、一匹とも遭遇しないなんてことも起こるのだ。  だから気付けなかった。

「――タイヨウは《《最初から》》モンスターを手懐ける術を持っていた」 「どんな術よ。レアスキルでも説明がつかないわよ? それに、もしそんなものがあるとしたら」

 世界がひっくり返るわね――。

 ジャースは雲の上の強者が支配している。並の者なら絵空事だと笑うだろう。  ユズはそうしなかった。しかし、肯定もしなかった。「同感よ」ヤンデも異は唱えない。

「彼にそういう気は無いと思うわ」

 もしあるのなら、とうにグレーターデーモンを地上に放っているに違いない。  タイヨウは竜人の存在も知っている。ペナルティを課されない程度の制御で暴れさせることもできよう。

「あるとすれば、彼を利用する勢力――」 「無問題。勢力は抑圧すればいいだけ。問題は、タイヨウの気持ち」 「そうね……」 「タイヨウの気持ちは不明」 「そうね」

 忘れもしない、第二週七日目《ニ・ナナ》の夜――

 ヤンデはタイヨウからキスされて。  口内で発話するという奇抜な会話方法をもって、いくつかの衝撃と邂逅した。

「死にたいって言ってたわ」 「……不明」

 ユズもまるでピンと来ないらしく、顔面から地面に倒れていた。机上や寝床でよくやる動作だ。

「本心を語ってくれたと信じたいけど、どうかしらね」

 その辺の家族や冒険者パーティーほど長い時間を過ごしたわけではない。  それでも王立学園で。深森林で。何度も語り合い、見つめ合い、触れ合って――。  濃い時間を過ごしてきたつもりだ。

「死なないために生きてる」 「楽しむために生きてる」 「スローライフしたい」 「死にたい」

 順につぶやいた後、

「……ねぇ、あなたは何がしたいのよ?」

 ヤンデもまた地面に突っ伏すのだった。

第248話 見解

 王都の闇夜に輝くのは、ほぼ貴族エリアである。  力を誇示せんと様々な趣向の光が魔法によって、あるいはアイテムによって放たれている。その明るさに比べれば、深夜でもほどほどに賑わう冒険者エリアさえ見落としそうになる。  国王専用エリア――王立学園の校舎最上階からは、嫌でも目に入る夜景であった。

「……なんとなく、そんな気がしてました」

 ルナは全面ガラス張りのような|スライム製の窓《スライス》から眼下を見下ろしていた。  後方で片膝をつき頭を垂れる近衛《ユズ》と王族親衛隊に向けて、行き場のない心情を吐きそうになるが、堪えて、

「お父様。どうされますか」

 離れた王座に腰掛けて難しい顔をしている国王に丸投げする。  事態は予断を許さないし、ルナにどうこう言える見識はない。だからこそ、頼れる父の次策を期待したが――

「どうもせぬ」

 匙《さじ》を投げたとわかる、無慈悲な応答だった。

「ジーサ殿は学生を一時休業とし、政務と攻略に専念しておる。良いな?」 「承知しました」

 異を唱えぬ親衛隊隊長ガルフォードとほぼ同時にルナも叫ぼうとしたが、ユズの魔法によって封殺された。じたばたすることさえもできない。

「対外向けの各種手配も必要であろう。マグナスにだけ周知して手配させい」 「承知」

 ユズも淡々と応える。

「以上である」

 その解散の言から、秒と待たずに散会が完了し――親子水入らずになる。

 しばらくしんとしていたが、ルナはぎりぎりと拳を握り締め王座に飛び込んだ。

 父親の顔面に拳を叩き込む。  無論、当たるはずもないし、当たったところで傷一つつきやしない。びりびりと風圧でスライスが揺れる中、

「タイヨウ殿は近衛をも突破する火力を持っておる。その時点でワシらが敵う相手ではないのだ」

 茶化すこともなく、労ることもない国王の顔つきを見て、ルナは拳を下ろした。

「スキルの詠唱と聞いておる。詠唱できぬよう封じれば無力化はできるじゃろう。じゃが、ワシはあえてそうしなかった。機会に飛び込まぬ者に未来は無いからだ」 「お父様……」 「現にワシが飛び込んだことで我が国――だけではないのう、他国にも少なからぬ好影響をもたらせた。タイヨウ殿の成せる業じゃ」 「知っておられたのですね。タイヨウさんが逃げるって」 「ワシは引き際の機会だと捉えた」 「き、機会って……そんな、人を……物みたいに!」

 万人が束になっても何も及ぼせないとわかりつつも、ルナは気持ちを鎮められない。いや、だからこそ、遠慮無くぶつけることしかできない。

 それがわからないシキではない。  ルナ会心の回し蹴りは難なく掴まれ――気付けば、地面に叩きつけられていた。

「がっ、はっ……」

 傷には至らないが、むせる程度の攻撃。  目を覚ませと言っている。王女らしく振る舞えと諭している。

 こんなときでも、いや、どんなときであっても。  この人は国王として振る舞う。

「ハルナよ。タイヨウ殿をどうにかしたければ、おぬしがやることだ。そのための学生なんじゃからの」 「お父様も協力してください」 「命令を聞いておらんのか」 「お願いします」

 口元も拭わず頭を下げるルナだったが、「命令は撤回せぬ」届くことはない。

「ワシらは国を統べておる。強大な異物にとらわれ続けるわけにはいかぬのよ」 「わかってます……」 「じゃがおぬしは違う」 「ちが、う……?」

 ルナが恐る恐る顔を上げると、シキの指が微かに動き――目元の涙が吹き飛ぶ。

「王立学園は、自立的に見識を広め経験を積む機会であると同時に、つかの間の休息でもある。何度も言うておるが、王家の者に公私は無い。あるのは公だけじゃ」 「……公だけだと精神が保たないんですよね」 「左様」 「今のうちに遊んでおくべきなんですよね」 「そうじゃ」 「タイヨウさんを探してもいいんですよね?」 「無理のない範囲ではの」

 それは公私の私の範囲内ということである。無論、第一王女としての立場は常につきまとうし、それでありながら実質大した権限は持たされまい。  それでもルナは頷いた。

「充分です」

 水魔法で顔を洗い、立ち上がる。

「私は諦めません」

 肯定も否定もしない父親と向き合う。否、睨み合う。

 と、そこに、はかったかのように一体の気配が出現した。  自分程度では気付けない精度の隠密《ステルス》であったが、ルナにはレアスキル『圧反射《オーラ・エコー》』がある。  ゴルゴキスタのものだとすぐにわかった。

「失礼します」

 部屋を出ると、ユズが膝を抱えて浮いていた。

「作戦会議?」 「いえ。今日は寝ます」 「無難」

 長い戦いになるかもしれない。  だからこそ日々を着実に過ごさねばならない。

 怒りも、呆れも、劣等感も焦燥感も。  すべてを自覚していながらも、それらを呑み込んで。

 ルナは一歩を踏み出した。

      ◆  ◆  ◆

 こつっと窓際に足音が一つ。  白髪白髭の筆頭執事は、スライスに映る国王に問う。

「よろしかったので?」 「心を盗られた者など役に立たんわ」

 王座に腰掛けるシキが右の肘置きに肘をつく。

「ならばなぜユズを充てたのです? まだ完全に諦めてはいないようですな」 「当然じゃろうが」

 シキはタイヨウの逃亡を予見していた。というより、いつまでも従順に従ってくれるとは毛頭考えていなかった。  第一級を凌ぐ火力と体力、革新的な施策、史上初のダブルロイヤル――非常に利用価値の高い男であったが、何事も天秤には載せるべきだ。

 ジーサ・ツシタ・イーゼは急速に目立ってきていた。今後はギルドやオーブルー、ダグリンも絡んでくるに違いない。  一方で、あの男はそういう混沌を好まない。場数もたかが知れている若造にすぎなかった。

「タイヨウ殿が他勢力に懐柔されること。自棄《やけ》を起こして破壊に回ること――この二つだけは回避せねばならん。しかし、放置しておくには惜しい人材でもある」 「タイヨウ様には気分転換を与えつつ、それを若人に調査させて追いかけるわけですな」 「当分は見つからんだろうがな。変装術はともかく、体捌きも相当じゃぞ。おぬしにも勝るのではないか?」

 変装において最も難しいのは、その人本来の身体の癖である。  染みついたパターンは容易には変えられず、自覚さえも難しい。無理矢理変えたところで隠しきれないし、むしろ違和感が取り繕う。平凡な冒険者は騙せても、森人族《エルフ》やハイレベルな冒険者には通用しない。

 彼らの鋭敏な感覚をかいくぐるには、通常のステータスを超えた何かが必要になるといわれている。

「隠しステータスがお高いようですな」 「『基礎』か。プレイグラウンドでまさに鍛えておるようだが、無自覚なのかのう?」 「指導者がいなくなりましたが、いかが致しましょう」 「あとはもう子供らだけで続けられるそうじゃ。後任はハルナとヤンデで良い。基礎の存在は悟らせるでないぞ」 「はっ」

 ゴルゴキスタがスライス越しに承知を示すと、シキは重心を左の肘置きに移した。  会話が終了し、熟考に移ったのだ。

 音も無く執事が消えた後も、まだ音は無く。

 国王シキは、ぽつねんと王座に鎮座していた。

第249話 見解2

 深森林が織り成す豊かな樹海も、夜になれば闇に飲まれる。  代わりに、エルフ各々が発する魔法光が数多浮かび始めるものの、暗き平野が覆ることはない。

 そんな中、とある一画では、王都リンゴの貴族邸にも負けない輝きが拡散していた。

 女王専用施設『クイーン・スパ』。

 六本のストロングローブに囲まれた内部は滝壺になっており、魔法で構築され維持され続けている循環機関によって、絶えず水流を落としている。  火口のごとく湯気が出ているため、外から中はうかがえない。  仮に視界明瞭だとしても、やはり見えなかっただろう。この目映さは雷魔法によるものであり、浸かる者に電気的快楽を与えている。

 音、圧、熱、電気と多角的に身体を解《ほぐ》すための、要は温泉であった。

「はぁ……生き返るわね」

 濁った湯から顔だけを出すヤンデが、ぶくぶくと湯面を揺らしながら目を細める。  湯気こそあるものの、外とは違い、中は程々に明るく視界も良好な空間に仕上がっている。

「髪は上げなさい」 「そんな規則は無いはずよ」 「ずいぶんと自信のある物言いですね」 「日頃の教育のおかげかしら」

 ライトグリーンの髪は無造作に浸かっている。  それをサリアは後ろから掬い上げ、無詠唱の火魔法で乾かした後、ゆったりとした動作で纏《まと》めた。  いわゆるお団子であり、ヤンデはプレイグラウンドの女の子を想起する。撤回させようと口を動かしかけるが、母親の、同じ髪型が視界に入ったので、噤《つぐ》んだ。

「似合う似合わないは品格ですよ」 「何も言ってないけど?」

 ふふっとサリアが笑う。

「……あなた達も入ったら?」

 口元を隠したままのヤンデが振動交流《バイブケーション》を正面に飛ばす――  その先には露出した木の根があり、第二位《ハイエルフ》達が正座している。「ヤンデ様」口を開いたのは、中央に座る女王補佐《アシスター》リンダ。

「そんなことより本題に入ってください」 「誰も見てないのだから問題ないと思うのだけれど。距離の近い付き合いは大事よ。モジャモジャはそう思うわよね?」 「は、はひっ」

 リンダの隣には妹モジャモジャも控えていたが、まだ王族メンツには慣れないらしくかちこちだ。  というより、ヤンデに慣れていない。傍から見れば規格外の実力者であり、すぐ手が出るじゃじゃ馬王女なのだから自然な反応ではあった。

「もーもー可愛い」 「あ、姉上はもう少し遠慮というものを……」

 くだけたやりとりを見て少し羨むヤンデだったが、「そうね」いつまでも休んでいるわけにもいかない。

 ジーサ・ツシタ・イーゼの逃亡について、ヤンデの口から共有が行われた。  彼の正体がかのシニ・タイヨウであることも。

「――な、なんと言いますか、まさか、そんなことが……」 「ジーサを最も罰したのはあなたよね。本当に何も気付かなかったの? 改めて何か気付いたことは?」 「ありません」 「シッコクやグレンとの違いは?」 「わかりません」

 その名が出ると、一段とオーラがキツくなる。  特に堂々と犯されたオルタナは未だに引きずっているらしく、この実力者メンツだからだろう、殺意がはち切れんばかりだった。

 それもすぐに止む。フラストレーションを一時的に発散しただけだ。  これは同時に、結束を深めるためでもあった。普段出さないエルフだからこそ、たまには爆発させてぶつけ合うのである。  決して表に出さないのは女王だけだが、同様に能面を携えたままなのがもう一人いた。リンダだ。

「驚かないのですね」

 ざぶんと湯から上がりつつ、サリアが理由を尋ねる。  リンダは魔法も使わず、しかし甲斐甲斐しく水分を拭き取りローブを着せた。

 すぐそばの隆起した根に、サリアは椅子のごとく腰を下ろす。  それを待ってからリンダも戻り、

「元々アウラ様から聞かされていました」 「リンダ様」 「姉上……」

 同僚と妹の当惑は無視して、以前訓練でしごかれた後に聞かされたことが話される。

 ――この話は他言無用でお願いします。サリアさんにも。

 ――ジーサさんは国家転覆を目論んでいるかもしれない人物です。

 当時のアウラウルは外交上アルフレッドの代表であり、王族にも等しい相手であった。そんな相手との約束をこうして破ってしまっている。

 しかし、事態は変わっているのだ。

 リンダという女王補佐は、独断を許された立場でもあった。  序列で言えば王族に続いてナンバーツーにも等しい。そのリンダがあえて破ったことの意味は、非常に重い。

「鍛錬にも付き合いましたが、やはり異質でした」 「やはり?」

 女王も窘《たしな》めなず、話を進めている。  事実上承認したも同然であり。ジーサ・ツシタ・イーゼの扱いが傾いた瞬間でもあった。

「入国時にスパームイーターを入れた時から薄々感じていたのです。違和感が無さすぎると」 「わかりますよ。男でも女でも|それ以外《アザー》でもない――まるで性そのものが無いかのような感覚が私にはありました」 「性が無いのもアザーよね?」 「そうではありません」

 女王は立ち上がると、惜しげもなくローブを脱いで全裸を晒す。

「我らエルフという種族は性も種族も問わず人を魅了します。だからこそ、この大自然で閉鎖的に暮らし、また恐怖と畏怖の印象をつくりあげてきたのです」 「よくわからないのだけれど、チャームのことかしら? ピンク童顔も持っていたようだけれど」 「チャームとは違い、性欲や愛欲といった根本的な欲求に訴えるものです。貴方には縁の無いことでしょうが、そういうものだと思いなさい」

 魔人族の血を分かつヤンデは、エルフのようでエルフではなかった。  出会い頭に殺されそうになった経験は数知れずだが、惚れられた経験などただの一度もない。もっとも最近では抑えているためそうでもないのだが、タイヨウしか見てないため同じことである。

「要するに、人が私達に惹かれるのは真理なのです。ほんの軽微ではありますが、皇帝ブーガでさえそうなのですよ」 「……」 「だからといって色仕掛けが通じる相手では断じてありません」 「わかってるわよ」

 早速戦略に組み込もうとするヤンデの考えなど、母親にはお見通しであった。

「レベルが高ければ高いほど、意識の切り換えも早いのです。早すぎると気付かないか、せいぜい些細な違和感を持つ程度ではありますが、彼――ジーサ・ツシタ・イーゼはそうじゃない。しがない第二級にすぎません」 「いいから服着なさいよ」

 ばつの悪いヤンデはローブを母親に叩きつけることで発散しつつ、「レベルではないというわけね」要約を述べる。

「そうなのよね。性にだらしない素振りもどこかわざとらしいというか、実感がこもっていないというか、見ていて寂しくなる時があるわ。あの異常な頑丈さと関係しているのかしら――」 「探求は終わりです」

 深掘りのスイッチが入ったヤンデだったが、その引き締まった美声に引き戻される。

「我らに対する二度の狼藉は、決して捨て置くわけにはいきません」 「公表はされますか?」 「いいえ。ここにいる私達だけで内密に行います。シッコク捜索の指揮はオルタナに任せます。他の全員はシニ・タイヨウの捜索に注力――いいですね?」 「はっ」 「対象は殺しますか?」 「生け捕りにしてください。おそらくそうするしかないでしょうが」

 その場が会議が始まり、次々と決定されていく様を、ヤンデは湯に浸かったまま眺めていた。

 ものの数分で解散に至った後、「朝までゆっくりなさい」そう言い残してサリアも湯気の中に消えていく。

「……」

 気丈に振る舞っていたヤンデだが、タイヨウに逃げられたショックはまだ引きずっている。  母親であり女王でもあるサリアの統率感も改めて目の当たりにしたし、最愛の夫に対する辛辣な処遇も確定した。

 ヤンデにできることは、湯に潜ることだけだった。

第250話 見解3

 スキャーナが王都貴族エリアの屋敷に帰宅したのは、第五週七日目《ゴ・ナナ》の0時過ぎ――つまりは日をまたいだ後であった。

「疲れたぁ……」

 衣装室には寄らず、居間に滑り込むように飛び込ぶ。  床に落ちるまでの数瞬でガートンの制服を脱ぎ、いつものネグリジェを引き寄せて着るという横着っぷりである。どんっと仰向けの大の字になったところで、

「胸元が見えていますよ」 「従う義務はないです」

 上司の声が降ってくる。こんな時間にもかかわらず、机を散乱させて仕事にご執心のようだ。

 既に勤務時間は過ぎている上、深夜は回復と睡眠のため業務が振られることもない。  もっとも現場ではあまり守られていないが、この上司はしっかりしている。既にこのだらけたプライベートモードがバレていることもあり、スキャーナは開き直っているのだった。

 実際、ファインディからそれ以上の話が続くこともなく、沈黙が続く。

「寝よ……」

 襲われるという発想はスキャーナには無かった。  この上司は色欲に左右されるほど甘い人間ではないし、部下としてはともかく私生活では一切興味を持ってこないこともわかりきっているし、仮に襲われたとしても為す術がない。  どうにもできないことに費やす思考を潔く捨てるのは、冒険者の資質の一つである。スキャーナは目を閉じた。

 体裁上は貴族枠《ジュエル》の生徒ということもあり、屋敷のつくりはしっかりしている。外の音は一切届かない。そもそも貴族エリアは普段から静寂なものだ。

 紙がめくられ、羽根ペンを走らせる音だけが部屋を満たす。  そこに時折、詠唱が加わる。

「……何をしているようで?」

 気になったスキャーナは机を覗き込んだ。  半分ほどを占有してジャースの地図が構築されている。|国や街や村《パブリックユニット》を示すであろう境界が引かれ、内部には、小さな人型の石が配置されている。

「しばらく多忙が続きます。休みなさい」 「人口、のようで?」 「分布の推移を見ています」

 残り半分に目をやると、大量の書類が隙間無く、しかし無造作に散らばっている。各ユニットの人口情報を示すものだとスキャーナはすぐに気付いた。

「情報紙の配布戦略ですよね。ファインディさんの仕事ではなかったのでは」 「本部は仕事が遅いものですから。それに、これは趣味みたいなものです」 「うわぁ……」

 平民向け情報紙『ニューデリー』が始まったことにより、情報紙の配布先とルートが桁違いに拡大している。  ガートンとて人材は無限ではなく、ジャース大陸もまた少数の実力者でカバーしきれるほど狭くはない。いつ、どこに、誰がどのように配布するかという配布戦略の策定は急務であった。

 書類を弄《まさぐ》り、石人形を置くことを繰り返すファインディ。  書類上のデータを地図に落とし込んでいるようにしか見えず、「報告書を読めば良いようで」思わず口に出してしまう。

「……」 「無視は傷つくようで」 「鬱陶しいですね。残業を命じても構いませんよ?」 「寝ます」 「冗談です」

 どこまでも変わらない上司にある種の安心さえ覚える。  スキャーナは食料庫から果実水とカップを引き寄せ、宙につくったテーブルに置いて、のんびりと味わい始める。上司の一瞥を食らったが気にしない。「ファインディさんも何か飲まれますか?」「……」無視されたが気にしない。

 上司の仕事ぶりを見る機会は意外と無い。  スキャーナは遠慮無く鑑賞することにしたのだった。

 少し胡散臭いが、穏やかで頼れる壮年の雰囲気がある。手先も早く、精神も厚い。ギルドの受付や後方事務にでもいれば、さぞ重宝するに違いなかった。  しかし接客にも事務にもも興味がないので、すぐに思考が脱線する。

(わからない)

 彼が唯一抱えるのはシニ・タイヨウ案件であり、その仕事も自分に丸投げしている。言わば手持ち無沙汰の状態を意図的につくっていたはずだ。  裏で何をしているかは知らないが、昨日インタビュー項目を変えてきたかと思えば、今はこんなつまらない仕事をしている。  何を企んでいるのか、まるでわからない。

 探れないこともなかった。  絡んでくるなとのメッセージは出してきているが、突っ込んだ質問をすれば答えてはくれるだろう。  うぬぼれでなければ信頼もある。思わぬ大役を授かる――あるいは泥沼に巻き込まれると言えるかもしれないが、誘われる可能性も肌で感じている。

(覚悟も出来てる)

 むしろ期待する節すらあった。

 うじうじ悩むのは性分ではない。スキャーナは口を開こうとして――

「お偉い様がいらしたようですね」

 その呑気な呟きとは対照的に、スキャーナは慌てて制服を引き寄せて着るも、間に合わず。

 ぶわっと風圧が室内を満たした。

「でかくなったなぁ、スキャーナ」 「変人上司とよろしくやってんのか」 「『中々の手つきですね。私は好きですよ』」 「ぎゃはははっ」 「――何のようで?」

 下卑《げび》た下っ端が三人と、上司よりも役職の高い二名――五人のガートン職員に取り囲まれている。  ここまでの接近の仕方から、実力の程は見て取れる。珍しいことではない。学園首席のスキャーナも、会社ではせいぜい平均クラスだ。

(二人はいける。頑張ればもう一人……)

「落ち着きなさい」

 いつも通りの上司の声だった。  戦闘の気配を感じた部下に勘付き、窘《たしな》めてくれたのだとスキャーナは理解する。

 もっと言えば、その直感が間違っていないことも。

「相変わらずいけ好かない男ね」 「あなたは相変わらず美人ですよ、シーカ」 「手を止めてこっちを見なさい」 「業務時間外ですし、あなたはもう上司ではありません。むしろ深夜に踏み込んでくる方が無礼では?」

 ザンッとすべての椅子が真っ二つになる。  スキャーノがかろうじて視認できる速度――それでありながら一切の力が漏れておらず、ごとんと倒れた椅子の切断面は不自然に綺麗だった。

 綺麗と言えば、空気椅子を維持するファインディの姿勢もそうである。憎たらしいほどに微動だにせず、仕事だか趣味だか知らないが、手も止めていない。  ぷつんと髪留めの切れる音がした。  一つ結びになっていたシーカの黒髪が広がる。「ひぃ」とは下っ端の悲鳴。

 シーカは幹部である。  八段階から成る役職の第三位にあたり、第六位の部長職であるファインディとは階級が違う。ちなみにスキャーノは主任であり、第七位にすぎない。

「会社の規律を乱す問題社員を罰しろ、とのお達しを受けました」

 怒れるシーカは社内でも有名だ。  森人族《エルフ》や鳥人族《ハーピィ》とは違い、ガートンは男尊女卑である。のし上がるのは容易ではない。  彼女が選んだのは無慈悲と暴力であり、そのエピソードは第一位の社長さえもビビらせる。  しかし、これ以上の存在と向き合ってきたスキャーナには威嚇にもならず、既に発言の考察に入っていた。  結論もすぐに出る。

(そんなはずがない)

 上層部はこの男を疎んでいるだろうが、手放す、まして敵に回すほど愚かではないはずだ。  このファインディという男もまた、会社に罰される愚考をしでかす無能ではない。

「ただの私情のようで」 「……スキャーナ? よく聞こえなかったんだけど、もう一度言ってみて?」

 娼館上がりは伊達じゃないらしく、迫力のある微笑がスキャーナを射竦める。

「ファインディさんを舐めすぎです。あなたごときに敵うはずがない」 「【髪剣《ヘアード》】」

 高速で接近され、硬質化した髪を叩きつけてきたのは見えた。  スキャーナの右腕に斬撃がめり込み、少なくない血が垂れる。

 実力差は分かっている。止めようなどない。  しかしシーカの性格も知っている。最初から致命傷を与えてくることはない。

「処分の内容を聞きましょう」

 ファインディはようやく手を止めたようで、シーカに向き直った。  が、直後、「大丈夫ですか」普段はそんなことしないくせに、心底部下を心配したような表情で語りかけてくる。  それがおかしくて、「大丈夫じゃないです」スキャーナが雑に答えると、「ぐっ」峰打ちのような打撃を腹部に叩き込まれて、飲んだばかりの果実水をすべて戻すこととなった。

「汚いですねぇ……」 「こっちを見て」

 シーカは一瞬でファインディとの間合いを詰め、机に片手を置いて迫る。

「シーカ様。処分の内容をお聞かせください」 「他人行儀な呼び方はやめて」 「私は部長で、あなたは幹部です」 「……」

 娼者《プロスター》時代のシーカを拾い上げたのがファインディだと聞いている。  どんな経緯があったのかは知らないが、両者の熱意は傍目に見ても明らかだった。

「仕置部屋《しおきべや》で一週間の謹慎よ」 「そうですか」 「監視は私は行うの」 「シーカ様も物好きですね」 「久しぶりにいっぱい話そうね」 「シーカ様。公私は分けませんと」 「その呼び方はやめて!」

 ばんっと机が叩かれ、ファインディお手製の人口模型が割れた。  吹き飛んだ欠片が、思い出したかのようにかつんと落ちる。

「もう一度だけ言います。公私は分けなさい」

 スキャーナでも気付くことに気付けない男ではない。  ファインディはこの処遇が正式なものではなく、シーカの職権乱用によるものであることも見抜いている。  その上で言っているのだ。

 今ならまだ間に合う、見逃してやると。

(まだ利用価値があるようで……)

 もし職権乱用を指摘し、シーカが認めた場合、その発言が証拠になる。この中の誰かに逃げられてもしたら彼女の立場は危うい。  遠回しに言ったのは、そうさせないためだ。

 無論この男に温情という概念はない。そうしてまで事態を収拾するほどの価値が、まだシーカにあると見ているのだ。

「もう我慢ならないの。あなたの隣でいちゃついてるこの下品な女も、何度殺したくなったことか。ねぇわかる? わかるでしょ? 私が他の男と遊んでてもイラっとするよね?」 「スキャーナは有能ですよ。あなたとは比べ物にならない」 「他の女の話をしないで!」

 今度は書類が木っ端微塵となった。  塵《ちり》の細かさに確かな狂気と実力を感じさせる。下っ端の一人は腰を抜かして、地面に尻をついている。

 シーカの髪が触覚のようにうねっている。  それがファインディを向き、近づき、愛おしそうにつついている。

「私はあなたを手に入れるの。会社も何も言わないし言わせない。ねぇ?」 「はっ!」 「は、はいっ!」

 既に買収も済んでいるようだ。  恐怖だけで継続できるほど暇ではないだろうから、おそらく娼者としてのテクニックも使ったのだろう。おそらくもっと上にも手を出しているはず。  外で鬱憤を張らせないガートンに、異性の社員という誘惑はあまりに強い。

「スキャーナ。このようになってはいけませんよ」 「だからその名を――」

 片手でシーカの顎を引き、自分の顔を近付けるファインディ。  そういうことに縁の無いスキャーナでも、そうするのだとわかる妖艶な雰囲気が醸し出ていた。

 唇と唇が重なる。

 シーカの瞳が潤む。  既に毒牙にかかってるであろう外野が羨む――

 つまり、場が怯んでいる。

「【歯砲弾《トゥース・キャノン》】」

 その詠唱は唇を重ねているのに明瞭で。  なのにスキャーナでも聞き取りが怪しいほど高速で。

(シーカさんは判断を見誤った)

 魔法やスキルの威力は詠唱の明瞭さに左右される。  スピード重視の詠唱であれば大したダメージはなかっただろう。キスをしているから大した詠唱は込められない――そう彼女は踏んだはずだ。そもそも疑ってもいなかっただろうが。

 しかしファインディは器用にも、しっかりと発音できる口づけの仕方をしたのだ。  もちろん不審がられては怪しまれる。元娼者相手ならなおさらだ。  相当な修練を積み、開発したに違いなかった。

「【爪砲弾《ネイル・キャノン》】」

 あとは散歩にも等しい。

 空いた手から爪を飛ばして、残り四人の脳天を的確に貫いている。  シーカも同様だ。特にレベルが高く防御も硬い彼女を貫くのは容易ではない。体の中でも比較的柔らかい口内から高火力を撃つ戦法だったのだろう。

 爪はすぐに指先に戻った。  歯も同様に口元に帰っているに違いない。

 五体の死体はもはや動かない。貫き方を工夫すれば、たとえ小さな風穴でも人は即座に全く動かなくなるというが、スキャーナには出来ない芸当であった。

「見事なようで……」

 制御を失った死体が次々と倒れ、血しぶきをあげる。

「また忙しくなりますね」

 仕事の心配をしているのだろう。早速地図も再構築しているし、呑気なものである。

「さすがにこれはまずいのでは」 「問題ありませんよ。シーカと関係を持っていたどなたかは、この件を無かったことにするでしょうから」

 どういう理屈に基づいているのかは知らないが、ファインディがそう言うのならそうなのだろう。  さして興味も無いため、追及する気も起きない。

「そろそろ回復をください。お腹がかなり痛いです」 「シーカは容赦無いですからねぇ……」 「ファインディさんにだけは言われたくないようで」

 上司の聖魔法に自分の分も混ぜて速やかに回復した後、スキャーナは寝室へと向かう。  さすがに今から探る度胸は無かったが、せめて思考は途切れさせたくなくて。

(ジーサ君に関係しているのは間違い、ない、はず……)

 ファインディのシニ・タイヨウに対する執着は忘れがたい。  一連の行動はすべて繋がっていると考えるべきだ。

 たっぷり考察するつもりだったが、予想以上に疲れていたのだろう。

 ベッドに飛び込んだスキャーナは数分と保《も》たなかった。

エピローグ

1000

「なあ、もうちょっと静かにしてくんない?」

 鍛錬なのか遊びなのか、青白い悪魔がぶつかり合っている。早すぎてほとんど見えないが、轟音と評しても生ぬるい爆音が起きてて会話もままならん。  それでも俺の声を拾えるのだから大したもので、内耳ごと引っこ抜かれたかのような感覚を覚えた。  たぶん無詠唱で防音障壁《サウンドバリア》を張ったな。

 薄暗いダンジョンの中で、素顔も肉体も全部晒した俺はグレーターの一体と向かい合っていた。というか、でかいので見上げてる。  と、そこに、よじよじと登っていく幼い子供が二人。  ダンゴとクロだ。

 金髪で裸体という見覚えのあるフォルムは、俺に何か言いたいことでもあるのだろうか。ツッコまんぞ俺は。  まだ一般人《レベル1》の動き方としてはほんの少しぎこちないが、鍛錬も兼ねているのだろう。向上心が高いのは良いことだ。

(認めるつもりはねえけどな)

 人外の子守なんて勘弁だし。  と、コイツらをいちいち気にしてては埒が明かないので、早速切り出す。

「あまり時間がない。手短に話すぞ」

 話したいこと、聞きたいこと、頼みたいことは山ほどあった。せっかく自由の身になったのだからとことん利用してやる――と言いたいところだが、そうもいかない。

 俺にはブーガから課されたミッションがある。  そのために|二国の王女の婿《ダブルロイヤル》を捨ててきたのだ。

 当然アルフレッドもエルフも、あとはガートンもだろう、黙っちゃいない。大規模な捜索や検問が敷かれるくらいは想定するべきだ。  動きづらくなる前に、潜入を完了させる必要があった。

「事情があって、俺はダグリンに行かなきゃならない。ダンゴとクロの力を借りて、第三の生を歩むつもりだ。そこで、お前らには俺を無難に送り届けてもらいたい」

 グレーターは何も答えない。  銅像と遜色のない無機質な瞳は、俺を歪めて映しているだけだ。

 視界の端にはダンゴとクロ。角のてっぺんまで登って、何をするかと思えば、下腹部を刺して腰を仰け反らせていた。いや何してんの。

「目障りすぎる」

 俺は飛び上がって二体の幼女を回収し、地面に叩きつける。一般人《レベル1》ならぺしゃんこだが、弱い方のダンゴでもレベル40なので問題はない。ジャース流の加減にもだいぶ慣れてきた。  二体とも懲りないらしく、今度はお互いに絡み始める。熱心なのは良いことだが、さっきから絵面が洒落にならないんだよなぁ……。

 いちいち気にしてしまうあたり、たぶん俺の性癖を突かれているのだろうが、考えたくないので無視無視。

「話を戻すが、以上が俺の要求だ。続いて褒美だが、こうして俺を攫《さら》ってくれた分も含めて、今から払ってやる。そうだな――」

 短すぎると納得してもらえないし、長すぎて現地入りが遅れるのも困る。

「半日。半日だけ、俺の体を好きにしていい」

 俺のこだまが途絶えた瞬間、悪魔の手が動く。

 頭をつまんできた。  一瞬で目の前に引き寄せられ、第一級でも一撃で絶命させるであろう太い指がビシビシと俺を弾く。  激しく振動しているのだろう。視界がモザイクみたいに不明瞭だ。

(さてと)

 交渉は無事成立した。  実験台か、おもちゃか、それともサンドバッグか。どうでもいいが、この間にコイツらに出す要望を考えるとしよう。

(俺はダグリンの国民になる)

 ブーガとサシで話したときに三国の話を聞いたが、ダグリン共和国が一番過ごしやすいと感じた。  国民に時間割を課すような、ある種イカれた国だが、だからこそ溶け込みやすい。他国民でも貧民でも誰でも帰化できるし、ちゃんと努力すれば道も開けるようになっている。

 ただの国民として生きつつ将軍の情報を調べ上げ、隙を見て殺す――  それを二年以内に行う。

 それが俺のブーガミッション攻略プランだった。

(あるいは《《グレーターを使ってブーガを消す》》か)

 が、この悪魔達がどこまで俺に従うかはわからない。  崇拝状態《ワーシップ》とはいえ盲目的な言いなりにはならないのだ。たぶん知能が高いからなんだろうけど。

(それに竜人の存在も気になる)

 グレーターを竜人に消されるだけならいい。問題はその後、グレーターをけしかけたことがブーガにバレた場合だ。

(確実に俺は終わる)

 静かで美しい夜の上空も。  本心のすべてを晒した皇帝の凄みも。  そして何より人類最高の速さと重さも。

 忘れるはずもないが、忘れてはいけない。  あの人は惚れ惚れするほど本気なのだから。

(そもそもブーガがいなくなることによる均衡の崩壊も怖いよな)

 異世界ジャースの、少なくとも人類の部分は、一部の強者によるデリケートなバランスのもとに成立している。  ブーガは間違いなくそのピースに含まれる。まあ学者じゃあるまいし、ブーガ無き後の展開なんて予測できるはずもないし、学者だとしても未来なんて大体当たらないけどな。

 それでもブーガ・バスタードなる英傑の欠如は悪手に違いない――

 そう俺の直感が訴えている。  いや、初めて出来た友人でもあるしな。そう思いたいだけかもしれない。

 変にこじらせそうだったので、これ以上の思考は放棄した。

(とすると、やっぱりダグリンに入るしかないよな。どこに飛ばしてもらえればいいのか。そもそも飛ばせるのか? また検問みたいな出入口を突破するのは御免だぞ……)

 ジーサのときはそれでいきなりバレたわけだからな。  魔法無き俺には大した小細工も持ち得ない。一方で、俺を探す勢力は近衛やヤンデといった魔法のお化けを有している。  どう考えても俺では出し抜けない。  だからこそ、グレーターの力に頼るしかないのだ。

(あとは名前か)

 |死にたいよう《シニ・タイヨウ》。  |自殺したいぜ《ジーサ・ツシタ・イーゼ》。  獣人に成りすましたときに|自殺犬《スーサイ・ドッグ》も使ったか。

 自殺のニュアンスは絶対に外せない。覚えやすさもだ。  ミドルネームやファミリーネームは邪魔だよな。むしろ家柄を詮索されても困る。冒険者や貧民みたいにファーストネームだけでいい。  死ぬ。自殺。スーサイド。他にこのような意味を持つ単語はあったか――  しばらくの間、思わず集中してしまった。  いくつか候補を絞れたところで、

(名前を考えるのは楽しいものだな。……コイツらも楽しんでやがる)

 頭に流れ込んでくるダメージ量がさっきからエグい。  深森林でバーモンに遊ばれたとき以上の密度と重さであり、俺と再会したときに何をするかってのをコイツらが練っていたことがよくわかる。さっきのじゃれ合いもたぶんウォームアップだろうし。

 ナッツも面白いことになりそうだ。  ダブルロイヤルになった時が590ナッツくらいだったが、この調子だとたぶん1000を超える。

(核兵器超えてね?)

 いっそのこと、1000ナッツを放った方が楽なんじゃねえかと安直な自棄が頭をよぎる。  竜人のみならず、大陸を丸ごと滅ぼしてしまえば、もう脅威はないのだから。

 ただ、それはそれで問題である。  ここジャースはクソ天使がつくった世界《ゲーム》であり、おそらくは絶賛稼働中だろう。

 ――この世界は我々の威信をかけた一大プロジェクトなのです。

 メガネスーツ天使もそう言っていた。  もし俺が規格外な解放でめちゃくちゃにしてしまえば、プロジェクトが失敗に終わる恐れがあった。  そうなると成仏――輪廻転生から解放してくれるとの約束もおじゃんになる。俺はまた別の異世界《ゲーム》に飛ばされるだけだ。それじゃ意味がない。  俺は今の世界で死にたいんじゃなくて、文字通り永遠に死にたいんだからな。

(まだ時間はある。じっくりやってこうぜ)

 自分に言い聞かせてから、再び思考の海に潜ろうとして――

「……は?」

 ダメージの嵐が急に収まった。  俺の視界にも第90階層の空間が映っている。  違うと言えば、悪魔達も、ダンゴとクロも平伏していることくらいか。

 俺は何もしていない。  コイツらが向けているのも俺じゃなくて、俺の正面だ。

 薄暗闇の先は何も見えないし、ダンゴの夜目も無いが、それでもすぐにわかった。  わからないはずがなかった。

「……」

 全身が何かを訴えている。

 俺はレベルアップしたはずだ。  ブーガの圧も経験済で、もう慣れた。そもそもバグってる俺にはあらゆる恐怖や威圧が通じない。  いや別に今も怖いとは恐ろしいとかいった感情は感じないんだが、それを抜きにしても、このオーラは今までとは違う。違いすぎる。  別の言い方をすれば、当初と全く変わっていない体感だった。

 意外にも、それは人間みたいな足音を響かせながら歩いてくる。

 やがて見えてきたのは、やはり想像通りの男で。

「テメエには会いたくなかったが仕方ねえ。俺の家族をたぶらかせた件、吐いてもらうぜ」

 理不尽の本体――かの魔王と再び邂逅した。