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[138] [[大日本帝国]]の[[領土]]が拡大した場合、当初は現地の経度に基づく標準時が用いられていましたが、
[[時差]]による混乱も多かったらしく、[[中央標準時]]へと統合されてゆきました。
[FIG(list)[
- 明治45年/1912年 (大正元年) 1月1日 - [[朝鮮]]が[[中央標準時]]に
- 昭和12年/1937年1月1日 - [[関東州]]が[[中央標準時]]に ([[満州国の標準時]]改正と同時)
- 昭和12年/1937年10月1日 - [[先島諸島]]と[[台湾]]・[[澎湖諸島]]が[[中央標準時]]に
- 昭和13年/1938年1月1日 - 旧[[南洋群島東部標準時]]廃止、[[南洋群島西部標準時]]拡大
- 昭和16年/1941年4月1日 - 旧[[南洋群島東部標準時]]廃止、全域が[[中央標準時]]相当に
]FIG]
[6] 昭和前期には、[[交通]]と[[通信]]の発達により国内および周辺国との結び付きが深くなっていた上、
世界的な[[ブロック経済]]化によりますます周辺諸国との経済統合が進んでおり、
[[時差]]がその障害となっていたようです。
[139] [[標準時]]が統一された[[大日本帝国]]と[[満州国]]の領域だけでなく、
[[中華民国南京国民政府]] ([[汪兆銘政権]]) の統治下にあった[[支那大陸]]の海岸部や[[英領香港]]、
[[上海租界]]なども[[夏時刻]]を実施
([[大東亜戦争]]期は[[通年実施][通年夏時刻]]) していました。
更には[[第二次世界大戦]]中の[[南方占領地]]でも[[中央標準時]]が用いられたといいます。
結局、[[西太平洋]]から[[東南アジア]]にかけたかなり広い範囲
(当時でいう[[大東亜]]) で [TZ[+09:00]]
が事実上の[DFN[大東亜の標準時]]として使われることとなりました。
[1] [SEE[ 前後の時代も含めた概要は[[東アジアの標準時]]、[[東南アジアの標準時]] ]]
* 日満時差撤廃
[415] [[滿洲]]では、
日本の勢力下にあった[[南満州]]の [TZ[+08:00]]
とロシアの勢力下にあった[[北満州]]の[[ハルビン鉄道時]]など、
複数の[[時刻]]が混在していました。
[[満州国]]の建国時には、 [TZ[+09:00]] を採用するべきとの提案もありましたが、
[TZ[+08:00]] により国内[[標準時]]の統一がはかられました。
[SEE[ [[満州国の標準時]] ]]
[7] しかしその後日満両国の関係が強化され経済の一体化が進む中で、
[[通信]]や[[交通]]の便宜のため両国間の[[時差]]解消を求める声が高まり、
[TIME[1937年1月1日][1937-01-01]]、
[[日本]]の[[中央標準時]]と同じ [TZ[+09:00]] に移行しました。
[SEE[ [[満州国の標準時]] ]]
[25] [[満州国]]内の[[日本]]の[[租借地]]だった[[関東州]]と[[満鉄附属地]]も、
足並みを揃えて[[西部標準時]] [TZ[+08:00]]
から[[中央標準時]]と同じ [TZ[+09:00]] に移行しました。
[SEE[ [[関東州の標準時]] ]]
-*-*-
[31] [TZ[+09:00]] への統一について、当時の[[新聞]]は[[天文学者]]の[[山本一清]]が提唱した
[SRC[>>23]] と説明していました。
[65]
[TIME[昭和9年8月18日][1934-08-18]]、
山本は[[日本]]の[[倉敷]]で行われた講演会で、
従前の[[満州国の標準時]] [TZ[+08:00]] の制定時に
[TZ[+08:00]] と [TZ[+09:00]] のいずれが適切か照会され、
[TZ[+09:00]] が好ましいと力説したにも関わらず採用されなかったことを紹介しました。
[[満州国]]の対岸である[[ソ連]]が[[通年夏時刻]]を採用したことについて
「感嘆すべき」と称賛しました。 [SRC[>>133]]
;; [66] [[ソ連]]は[TIME[1930年][year:1930]]に[[通年夏時刻]]を採用しました。
[SEE[ [[ロシアの標準時]] ]]
[77]
[TIME[昭和10年7月][1935-07]]の雑誌記事によると、
山本は「さきに」、
保険、経済、国際の各理由から[[満州国の標準時]]を [TZ[+09:00]]
に改正するのが望ましいとする提案を[[満州国]]の主要人物や[[日本]]の識者に送付しました
[SRC[>>76]]。
[78]
[TIME[昭和10年6月10日][1935-06-10]]、
山本は[[満州国の標準時]]を改正するべきことを[[放送]]で述べました [SRC[>>76]]。
[[ラジオ放送]]で主張したということでしょうが、
[[日本]]の放送でしょうか。あるいは[[満州国]]でも放送されたのでしょうか。
山本は「既に多数の人々の共鳴を得つつある」
とし、実現に向けた手応えを感じていたようです。
[64] [TIME[1935年10月25日][1935-05-25]]、
[[山本一清]]は学会誌[CITE[天界]]で[CITE[満州国の標準時を改めよ!]]を発表し、
[[満州国の標準時]]を[[中央標準時]]同じ [TZ[+09:00]]
に改めることを提案しました [SRC[>>218]]。
山本は従前の[[満州国の標準時]] [TZ[+08:00]] の制定時にも、
[[満州国]]首脳に対し、 [TZ[+09:00]] を採用するべきだと提案しましたが、
受け入れられませんでした。山本はその後もこれを改めない[[満州国]]を批判し、
隣国[[ソ連]]でも採用された[[通年夏時刻]]を実施するべきだと主張しました。
[[通年夏時刻]]により経済と健康のメリットがあるのはもちろん、
[[日本]]との経済的な結合が強まることや、
[[沿海州]]との[[時差]]が縮まることの意義を説きました。
[62] [TIME[1935年10月17日][1935-10-17]]、
山本は鉄路で[[朝鮮][日本領朝鮮]]から[[満州国]]へと渡りました。
後日発表した旅行記に山本は「此の地點での時刻變更が愚の至りなのだ!!」と書きました。
[TIME[18日][1935-10-18]]と
[TIME[19日][1935-10-19]]には、
[[満州国]]の[[首都]][[新京]]で国務院、観象部、軍司令部、満鉄を訪問して首脳と会談しました。
「クラブで官廳有志のグループに圍まれて、天文時事を主題とした座談會の催し」
もありました。 [SRC[>>61]]
こうした場で[[満州国]]の[[標準時]]について議論された可能性もありましょう。
[63] [TIME[1935年11月2日][1935-11-02]]、
山本は[[関東州]]の[[大連]]で[[満鉄]]の副総裁の[[大村卓一]]と会談し、
「[[標準時]]問題について健言」しました [SRC[>>61]]。
[105] >>102 は、
[TIME[1936年4月][1936-04]]に[[満洲国]]政府内 ([[松木侠]]
[WEAK[(>>102 は当時[[国務院]][[秘書処長]]とするが [[Wikipedia]] の年表とは一致しない)]],
[[武藤富男]] ([[法制処]][[参事官]]),
[[土佐林]] ([[技正]])) で議題にのぼったとしています。政府内外に意見を照会したところ、
軍部は作戦上都合が良いと賛成したものの、学者や民間からはあまり賛成意見が得られなかったようです。
[185] [TIME[1936年5月15日][1936-05-15]]の[[朝鮮][日本領朝鮮]]の[[新聞記事]]
([TIME[14日][1936-05-14]]付報告) は、
[TIME[翌年][year:1937]]に[[日満標準時]]が統一されると報じ、
[[京大]]の山本氏に言及していました [SRC[>>184]]。
[106] [[満州国]]において[[山本一清]]にどの程度影響力があったのかは定かではありませんが、
[[標準時]]統一派は[[経度]]的に [TZ[+08:00]] より [TZ[+09:00]] の方が適切だと主張したり、
[[通年夏時間]]の利点を示したりしており、主張の内容は山本と共通しています。
[107] 標準時変更を伝える新聞その他の記事は、みなその利点を強調しており、
反対意見の存在に言及したものは見当たりません。
[32] [[関東州]]の[[標準時]]改正に関する説明文書 [SRC[>>30]] では、
日満標準時統一によって経済や交通・通信の両国の一体化が促進されるなどと意義が説明されています。
[18]
[[日本政府]]の[[朝鮮総督府]]の観測所長の[[国富信一]]は、
[[東京]]や[[京城]]でも[[地方時]]と[[標準時]]に[[時差]]はあることを指摘し、
鮮満時差撤廃を「大英断」であると評しました [SRC[>>3]]。
[26]
[[日満時差撤廃]]といっても[[内地]]と[[満州国]]は離れていますから、
最もメリットがあったのは地続きの[[朝鮮][大日本帝国朝鮮]]と[[満州国]]を行き来する両国政府職員や商人達だったのでしょう。
-*-*-
[4]
[[満州国]]の官庁執務時間も同時に改正されました。
基本的には表示上の時刻がそのまま (実質1時間繰り上げ) でしたが、
冬季間のみ表示上の時刻が1時間繰り下げられ (実質無変更とされ) ました。
[[標準時]]改正をまたいだ年末年始で時刻は1時間遅れとなったものの、
執務の時間はそのままとなったようです。
[[標準時]]改正は事実上の[[通年夏時刻]]ですが、
執務時間に着目すれば季節性の[[夏時刻]]に近い変更ということになります。
[SEE[ [[滿洲の標準時]] ]]
[27]
[[満州]]では旧[[標準時]]の20時頃でもまだ明るく、
夕食後に[[野球]]の試合が行われるくらいでした。
[WEAK[(当時[[日本]]では[[ナイター]]は珍しく、[[プロ野球]]の初の[[ナイター]]は[[大東亜戦争]]終戦後でした。)]]
それが1時間繰り上がったのですから、
夜なかなか[[日の入り]]にならず困ったかもしれません。
また、冬は[[日の出]]が遅く、とても辛かったことでしょう。
[SRC[>>248]]
[28]
鉄道ダイヤも表示上1時間繰り下げ (実質無変更とされ) ました。
[SEE[ [[アジア大陸の鉄道標準時]] ]]
[REFS[
- [76] [CITE[天界]] 昭和10年7月号,
[CITE[Kyoto University Research Information Repository: 臺灣も合流せよ!! : 巻頭]]
([[山本一清]],
[TIME[昭和10年6月25日][1935-06-25]],
[TIME[2012-12-25 18:03:36 +09:00]])
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167056>
- [67] [CITE[Kyoto University Research Information Repository: 海外時報]] ([TIME[2018-03-23 14:43:18 +09:00]]) <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167410>
- [3] [CITE[神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 : 京城日報 1937.1.1 (昭和12)]]
([TIME[2018-09-20 20:43:49 +09:00]])
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475115&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&AID=6&HISTORY=null>
- [248] [CITE[照明サロン: 夏時刻をめぐる誌上リレー座談會]],
[CITE[照明學會難誌]] 第32巻第2號,
[TIME[昭和23年6月][1948-06]]
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1917/32/2/32_2_42/_pdf/-char/ja>
]REFS]
* 内台時差撤廃
[379] [[沖縄県]]の[[先島諸島]]では当初[[中央標準時]]が施行されていましたが、
[[標準時]]未実施だった[[台湾]]が[[大日本帝国]]領となった際、
([[県境]]とは無関係に) 新設された[[西部標準時]] [TZ[+08:00]] が実施されました。
[SEE[ [[西部標準時]]、[[台湾の標準時]] ]]
[95] この[[西部標準時]]は、
[TIME[1937年10月1日][1937-10-01]]より[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] に移行しました
([DFN[内臺時差撤廢]])。
[79]
[TIME[昭和10年7月][1935-07]]、
[[山本一清]]は[[満州国の標準時]]改正の提案が受け入れつつあることを踏まえ、
[[臺灣]]は[[通年夏時刻]]のメリットをより多く享受できるとし、
[[臺灣の標準時]]を[[中央標準時]]に改めることを提案しました
[SRC[>>76]]。
[56]
[TIME[1936年][year:1936]]秋には[[臺灣]]で[[中央標準時]]への統一が議論され、
賛否両論があったようです [SRC[>>54]]。
[[満州国]]と[[関東州]]の[[標準時]]改正が報じられてから注目され、
是非が議論された [SRC[>>69]] ようです。
[57] [TIME[1936年][year:1936]]秋には[[フィリピン]]が季節性とはいえ[[中央標準時]]と同じ[[日光節約時]]
[TZ[+09:00]] を実施しました。これは[[臺灣]]にも伝えられており、
[[臺灣]]の[[標準時]]改正案とも関連する事象と捉えられていたようです。
[94]
[[臺北商工會]]も時差撤廃を推進したようです [SRC[>>153]]。
[17]
[TIME[1936年11月18日10時][1936-11-18T10:00]] ([[西部標準時]]?)、
[[台湾総督府]]は[[総務長官]]の[[森岡二朗]]の[[上京]]直前の部局長会議を開催し、
[[内台時差撤廃]]を決定しました。
[[勅令]]の改正を経て[TIME[4月1日][1937-04-01]]実施とみられていました。 [SRC[>>216]]
[87]
[TIME[昭和12年2月][1937-02]]の[[論文]]によると「過般」、
[[上海自然科學研究所]]
[WEAK[([[大日本帝国]]と[[中華民国]]の共同事業として設立された研究所)]]
の所長の[[新城新藏]]博士
[WEAK[(元[[京都帝国大学]]総長で[[宇宙物理学]]・[[天文学]]の権威)]]
が[[渡][渡県]][[臺][臺灣]]し、
[[臺北放送局]]の[[放送]]や[[新聞記者]]との会見談で、
[[時差]]撤廃は「自然に逆らうことであり、日輪を呼び戻すの愚に等しい無謀さ」
と批判しました [SRC[>>84]]。
[[臺灣]]の[[ラジオ放送]]や[[新聞]]で報じられたものと思われます。
;; [[日輪]]云々というのは[[日招き]]のことでしょう。
[83]
[TIME[昭和12年3月1日][1937-03-01]]、
[[台湾総督府中央研究所]]衛生部技師の[[冨士貞吉]]
[WEAK[(後に[[台北帝国大学]]医学部などで[[教授]]を歴任した熱帯衛生学者)]]
は、
[[標準時]]改正は非科学的であり、
健康問題を引き起こすとして反対する論文を発表しました。
次のような内容でした。 [SRC[>>84]]
- [82] 時差撤廃論者は、
內臺航空路や內臺無線電話が開通したにも関わらず[[時差]]のため不便と主張する。
しかし[[臺灣]]の位置は変わっていない。時差撤廃は「非科学的」で「御便宜主義」だ。
-- 一部の人には便利かもしれないが、大多数の日常生活が不便になる。
-- 内地の物理学者や天文学者の意見を聴取するべきだ。
- [86] 時差撤廃して就業時間を繰り下げろとの主張もあるが、おかしい。
- [88] 時差撤廃した場合 (繰り下げなしと仮定)、
-- [89] 学校の授業開始 (7時-8時) が日の出前になることがある。
--- 当然起床、登校はそれ以前。
---- 授業開始が日の出後でも、登校は日の出前になったりする。
--- 周囲の町から台北に通学していると更に悪条件。
-- [91] 教職員の健康状態がよくないのは「周知の事実」。教職員にも悪影響。
-- [92] 学校より始業が早く勤務時間が長い産業工業労業者にも悪影響。
-- [93] 夏の夜の就寝は22時から23時頃。22時頃でも気温は30度。
--- 日の出前の1,2時間が最も気持ちよく寝られる。
--- 最近「青少年の体位低下」が問題となっているが、
日の出前から家事をさせると母性の体位低下が問題となる。
;; [16]
[[臺灣]]は[[内地]]と違って[[熱帯]]で夜遅くまで暑いという指摘でしたが、
その[[内地]]でも10年後に[[昭和のサンマータイム]]で夜蒸し暑く寝られないという問題に直面することになりました。
[SEE[ [[昭和のサンマータイム]] ]]
[9] [TIME[1937年10月1日][1937-10-01]]の[[日本]]の[[西部標準時]]の廃止は、
[[沖縄県]]と[[台湾総督府]]からの申請によるもので、
次のような理由が挙げられていました [SRC[>>378]]。
- [380] 交通網や通信技術の発達で[[時差]]の問題が顕著になってきた
- [381] [[沖縄県]]は管内で[[時差]]があり、生活上や行政上の不便が大きい
- [382] [[台湾][大日本帝国台湾]]は経済上や防衛上、[[内地]]との一体化が進んできており不便が生じている
- [383] 半年前に[[関東州]]と[[満州国]]が [WEAK[([[経度]]差がありながらも)]]
[[中央標準時]]に統一できた
[578] [[八重山諸島]]では[[西部標準時]]廃止の半年以上前の[TIME[昭和11年/1936年12月][1936-12]]に既に
「官民合同の時差撤廃協議会」が開催されました [SRC[>>575]]。
[74] [[臺灣]]では「数年来」改正意見があり、
[[台湾総督府]]が商工会他 [SRC[>>216]] 各界の意見を聴取して改正を決めました
[SRC[>>69]]。「数年」が何年かはわかりませんが、
[[満州国]]の改正で議論が活発になる前からそうした意見はあったのでしょう。
[19]
[TIME[2017年][year:2017]]の[[新聞記事]]によると、
現[[沖縄県]][[石垣市]][[新川]]在住
[WEAK[(当時も同地在住か?)]] の[[山根慶子]]は、
当時の[[尋常高等小学校]]6年の[[担任]]の[[安村トヨ]]に、
[[時計]]がある[[家]]では[[時刻]]を1時間早めるようにと指導されました。
しかし当時[[時計]]のある[[家]]が少なかったためか、
[TIME[1996年][year:1996]]時点で他の同級生の記憶には残っていませんでした。
[SRC[>>53]]
-*-*-
[75]
[[臺灣]]では、[[標準時]]の改正後も、
[[公務員]]を含む多くの業界で就業時間が1時間繰り下げられ、
実質的な時間は元のまま維持されました。
[SEE[ [[臺灣の標準時]] ]]
[REFS[
- [133] [CITE[Kyoto University Research Information Repository: 倉敷天文臺より]]
([TIME[1934-11-25]],
水野, 千里,
[TIME[2012-12-25 18:03:06 +09:00]]) <http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/166918>
-- [236] ([TIME[2018-03-23 14:40:35 +09:00]]) <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/166918/1/tnk000164_075.pdf>
- [218] [CITE[天界]],
[CITE[滿洲國の標準時を改めよ!]]
([[山本一清]],
[TIME[1935-05-25]],
[TIME[2012-12-25 18:03:33 +09:00]]) <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167040/1/tnk000170_281.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[216] [CITE[新聞記事文庫 : 大阪毎日新聞 1936.11.19]]
([TIME[2018-09-20 20:42:37 +09:00]])
<http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00475113&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=null>
]FIGCAPTION]
> 満洲国では来る一月一日から日満時差を撤廃するが、台湾総督府でも商工会はじめ各方面の要望に鑑みかねて調査中、このほど完了したので十八日午前十時から森岡長官の上京を前に部局長会議を開催した結果、内台時差を撤廃することに決定した、勅令の改正を必要とする関係で実施は明年四月一日になるはず(台北発)
]FIG]
- [84] [CITE[臺灣技術協會誌]] 第一輯第二号,
[[臺灣技術協會]],
[TIME[昭和12年3月1日][1937-03-01]]
<http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=BrowseTopic/gipControler.asp&uid=topic_result_detail&cur_do_index=1&xml_id=0001791790&ctNode=213&dtdname=+%3A+%E6%97%A5%E6%96%87%E8%88%8A%E7%B1%8D>
-- [85]
[CITE[保健上より觀たる內臺時差撤廢の可否に就いて]],
[[冨士貞吉]],
[TIME[昭和12年2月8日][1937-02-08]]
画像33ページ-42ページ
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0033-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0034-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0035-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0036-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0037-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0038-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0039-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0040-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0041-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=cca100003-thm-bjna00152v001002-0042-t.jpg&img_size=large>
- [154]
[CITE[猫の髭 續編]],
[[三卷春楓]] ([[三卷俊夫]]),
[TIME[昭和十五年七月二十日][1940-07-20]]
([TIME[2018-08-27 19:34:31 +09:00]]) <http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=BrowseTopic/gipControler.asp&uid=topic_result_detail&cur_do_index=1&xml_id=0001803184&ctNode=213&dtdname=+%3A+%E6%97%A5%E6%96%87%E8%88%8A%E7%B1%8D>
-- [153]
[CITE@zh-TW[國立公共資訊圖書館 數位典藏服務網 ─]] ([TIME[2018-08-27 19:35:09 +09:00]]) <http://das.ntl.gov.tw/sp.asp?xdurl=sp.asp&spurl=xdcm/query_for_front/arch/result_jap_book.jsp?xml_id=0001803184%26chapter_name=%E5%85%AB%2C+%E6%99%82%E5%B7%AE%E5%BE%B9%E5%BB%A2%26ctNode=205>
[CSECTION[八, 時差徹廢]], [TIME[昭和12年10月10日][1937-10-10]]、22ページ-24ページ
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=309190100e-thm-bjn02189v02-00022-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=309190100e-thm-bjn02189v02-00023-t.jpg&img_size=large>
--- <http://das.ntl.gov.tw/xdcm/xml/show_img.jsp?file_name=309190100e-thm-bjn02189v02-00024-t.jpg&img_size=large>
- [61] [CITE[天界]],
[CITE[鮮・滿・支の旅行記(II) : 天界176號の續き]]
([[山本一清]],
[TIME[1938-07-25]],
[TIME[2018-03-23 14:44:02 +09:00]]) <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167694/1/tnk000208_320.pdf>
- [97] [CITE[赤道を横切る]]
-- [54] [CITE@ja[[[赤道を横切る]]:第35章 ダバオ(その1) | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達]] ([TIME[2018-08-28 00:53:29 +09:00]]) <https://ameblo.jp/self-health-check/entry-12270977489.html>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[162] [CITE@ja[[[赤道を横切る]]:第39章 マニラ(その5) | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達]]
([TIME[2018-09-13 23:25:31 +09:00]])
<https://ameblo.jp/self-health-check/entry-12302227571.html>
]FIGCAPTION]
> 午後4時50分マニラ出帆、湾口北水道に向かう。ただし出帆と同時に時計一時間後退、台湾の標準時としたから実際は午後3時50分であった。以後台湾標準時による事、勿論である。台湾においても内台間時差撤廃問題が起こり、現に実行されんとしている。
]FIG]
- [378] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 標題:時間関係雑纂 9.台湾及澎湖列島ニ於ケル標準時改正関係]] ([TIME[2016-01-14 22:58:04 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B04011419200>
- [49] [CITE@ja[農林省・一般文書・昭和12年]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:13:44 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000420287>
- [384] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 標題:西部標準時撤廃に関する件]] ([TIME[2016-01-14 23:05:59 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C01001546800>
- [50] [CITE@ja[農林省・一般文書・昭和12年]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:17:10 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000420291>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[984] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1937年10月02日]] 臺灣附近 標準時變更 ([TIME[2018-02-02 23:43:15 +09:00]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959712/7>
]FIGCAPTION]
>
臺灣附近 標準時變更
>
記事 昭和12年10月1日以降本邦西部標準時
(綠威時ヨリ早キコト8時0分0秒)ヲ廢
シ宮古列島、八重山列島、臺灣及澎湖列島
ニ於テモ東經135°ノ平均太陽時(綠威時
ヨリ早キコト9時0分0秒)ヲ以テ標準時
トシテ使用スルコトトナレリ
>
位置 宮古列島 Lat. 24°45′ N. Long. 125°
00′E. (槪位)
>
八重山列島 Lat. 24° 20′ N. Long. 123°
40′ E. (槪位)
>
臺灣 Lat. 23° 40′ N. Long. 121° 00′ E.
(槪位)
>
澎湖列島 Lat. 23° 30′ N. Long. 119°
32′ E. (槪位)
>
注意 別紙貼附圖(1面)ニ依リ海圖6016號(時
刻帶圖)ヲ改補ス
;; [[官報]]には付図が掲載されていない。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[313] [CITE@ja[戦前、八重山地方に時差があったことがわかる資料を探している。 | レファレンス協同データベース]]
([[国立国会図書館]]著, [TIME[2016-12-16 16:37:42 +09:00]])
<http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000149891>
]FIGCAPTION]
> 4 『官報 昭和12年10月』(内閣印刷局 編・刊、1937年)
> P75~77 昭和12年10月2日 「水路告示第三十八号」の 「12年1073頁 台湾附近 標準時変更」で「昭和12年10月1日以降本邦西部標準時ヲ廃シ宮古列島、八重山列島、台湾及澎湖列島二於テモ東経135度ノ平均太陽時ヲ以テ標準時トシテ使用スルコトトナレリ」とある。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[53] [CITE@ja[時差後日談を。昭和12年、中央標準時との… | 八重山毎日新聞社]]
(2017年07月04日 [TIME[2018-08-27 23:54:28 +09:00]])
<http://www.y-mainichi.co.jp/news/31879>
]FIGCAPTION]
> 昭和12年、中央標準時との時差1時間の消滅を体験し、記憶している方がいらっしゃった▼新川在の山根慶子さん、数え94歳。尋常高等小学校6年の時、担任の安村トヨ先生が「時計のあるおうちは、家族に言って1時間早めてもらいましょう」と言われた。不思議に思いながら家族に柱時計の時刻を修正してもらった▼73歳の生り年のさい、記憶を記録にすべく試みたが、時計がある家が少なかった時代。同級生のどなたに聞いても覚えている人がいなかったそうだ。つてを頼って気象台OBの那覇在、宮良孫好さんにつながった。昭和12年10月1日。勅令第529号▼「台湾及び八重山・宮古列島において政治経済、交通その他諸般の点に鑑み、中央標準時に依る必要がある」これが時差廃止の理由だが、何が何だかわからない。慶子さんは「支那事変の年だからおそらく軍事上の理由でしょう」という
]FIG]
[58]
[TIME[2017年][year:2017]]時点で数え94歳なら、
生年は[TIME[1924年][year:1924]]。
[TIME[昭和12年][year:1937]]には数え13歳で小学6年生。
数え73歳は[TIME[1996年][year:1996]]。
;; [59]
ちなみに[[安村トヨ]]なる人物は[TIME[1937年][year:1937]]以後[[台南]]で勤務している:
[CITE[臺灣總督府職員錄系統]] ([TIME[2018-08-28 11:22:52 +09:00]]) <http://who.ith.sinica.edu.tw/s2g.action?viewer.q_valueStr=%E5%AE%89%E6%9D%91%E3%83%88%E3%83%A8&viewer.q_fieldStr=allIndex&viewer.q_dtdIdStr=000088&viewer.q_authStr=1>。
他にも[[沖縄]]出身らしい[[名字]]が多く見られるし、同一人物か。
;; [60]
[[宮良孫好]]は[[石垣島]]出身で[[先島諸島]]で活動した気象台職員・生物学者。
年齢不明だが当時も在島していたなら[[標準時]]切り替えを体験していたはず。
]REFS]
* 西部標準時廃止と軍部の関係
[40] [[日本]]と[[満州国]]の[[標準時]]統一が軍部の介入によるものだという主張もありますが
[SRC[>>92, >>401]]、
少なくても軍主導で統一されたというわけではなさそうです。
[385] 同様に[[西部標準時]]の廃止を[[軍部]]の都合としたり [SRC[>>141, >>401, >>1050]]、
あるいは[[戦争]]と関連付けて説明したり [SRC[>>416, >>422, >>627, >>429, >>53, >>577, >>1823, >>29, >>196]]
する人もいますが、
少なくても当時の申請 [SRC[>>378]] は、そうした理由付けはされていません。
[[軍]]へ廃止について照会があったようですが [SRC[>>384]] (利害関係者なので当然でしょう)、
[[軍]]として強い主張があるようにはみえません。
当時の[[新聞]]報道も商工会からの要望には触れています [SRC[>>216]] が、
[[軍]]から要求があったとは言っていません。
[73]
通信・交通や経済と並んで軍事上の必要性を理由に挙げた説明は、
当時からありました [SRC[>>69]]。
[[軍]]としても分かれているよりは統一されている方が楽なのは確かでしょう。
[499] [[日本軍]]の[[台湾][大日本帝国台湾]]駐在部隊は[[標準時]]改正に先立つ
[TIME[8月15日][1937-08-15]]に[[中央標準時]]
[TZ[+09:00]] に移行しています。[TIME[9月16日][1937-09-16]]には、
[[陸軍]][[台湾][大日本帝国台湾]]部隊から本省に対し、
陸海軍は移行済みで[[台湾総督府]]は[TIME[10月1日][1937-10-01]]に移行すると決定して主務省に申請しているものの、
進捗が芳しく無いとして、斡旋を依頼しています。 [SRC[>>498]]
検討自体は[TIME[8月][1937-08]]に既に行われていたようですが [SRC[>>378]]、
その後停滞していたのでしょう。
[33] 軍としては民間が移行するかどうかと無関係に独自の判断で先に移行しました。
軍民別より統一されている方が当然楽でしょうし、
先に移行したのも民間が移行すると見込んでのことなのでしょうが、
軍は民間の動向に関わらず独自の時刻を採用できるのですから、
軍の都合で民間の時刻をかえさせる必要などありません。
[68] 斡旋の効果があったのかどうなのか、
[TIME[9月22日][1937-09-22]]に[[閣議決定]]があり [SRC[>>69]]、
ぎりぎり[TIME[9月25日][1937-09-25]]には改正[[勅令]]が[[公布]]されました。
[500] [[台湾][大日本帝国台湾]]側は[[標準時]]統一を強く望んでいたのに対し、
[[東京]]側はそれほど関心を持っていなかったのでしょうか。
[402]
この時期の制度改正はすべて軍のせいだと言っておけばそれらしい説明になるような風潮もあり、
眉唾ものです。
当時の人々が生活を良くするために切望した[[標準時]]改正を、
軍部が無理な要求を通した、[[中央政府]]が現地を無視して統一した [SRC[>>51]]
と根拠も示さず安易に語るのは不誠実です。
[NOTE[
[204] 本当に[[日本軍]]の作戦行動の都合で統一されたというのであれば、
[[満洲]]、[[台湾]]、[[南洋群島]]でばらばらのタイミングで[[中央標準時]]を採用したことや、
[[東京]]が[[標準時]]統一にあまり積極性を見せていないことの説明がつきません。
[80] また、実際に軍は[[臺灣の標準時]]の改正に先立って[[軍用時]]を独自に[[中央標準時]]に改めているのですから、
文民の時刻と一致しているのが理想的とはいえ、
無理にでも全体の[[標準時]]を改正させるほどの動機がありません。
]NOTE]
;; [8] >>92 はこの頃 (詳しい時期不明) に[[満鉄]]への[[時刻供給]]が[[若草山観測所]]から[[関東軍]]に切り替えられたことが[[標準時]]改正への軍部介入を示唆するものと言っていますが、
その因果関係も謎です。
[REFS[
- [69] [CITE[天界]],
[CITE[Kyoto University Research Information Repository: 去十月一日を期し臺灣も「中央標準時制」へ合流]] ([TIME[2018-03-23 14:43:45 +09:00]]) <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167567>
-- [70] [CITE[去十月一日を期し臺灣も「中央標準時制」へ合流]]
([[松本, 武男]]、[TIME[1937-11-25]]、[TIME[2013-01-07 18:03:29 +09:00]])
<http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167567/1/tnk000200_f009.pdf>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29]
[CITE[日本歴史における領域研究総論序説]],
[[塙叡]],
[CITE[東京工芸大学紀要]] Vol. 6, No. 2 (1983)
]FIGCAPTION]
[[PDF]] 11ページ
<https://kougei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=576&item_no=1&attribute_id=21&file_no=1#page=11>
>
[BOX(vertical)[
昭和一二年九月二四日、
国防上の理由から西部標準時は廃止されたが、中央標準時の名称
は残された。
[SUP[[YOKO[45)]]]]
ちなみに一三五度の標準時は朝鮮にも採用されているという。
防衛上からアメリカの要請に従ったのだといわれる。
[SNIP[]]
[YOKO[45)]]
青木信仰『時と暦』、東京大学出版会、二二〇~二二二ページ
]BOX]
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[299] [CITE[守禮之邦便り保存箱2]]
([TIME[2016-11-01 22:21:38 +09:00]])
<http://home.b-star.jp/~deepdive/shurei2.htm>
(消滅確認 [TIME[2019-11-23T01:37:02.200Z]])
]FIGCAPTION]
> 第二次大戦中、宮古・八重山諸島と、当時日本領だった台湾が、日本標準時より1時間遅い「西部標準時(+8H)」だった時期がある。
]FIG]
;; [42]
現在の一般的な解釈によれば、
[[第二次世界大戦]]は、
欧州戦線が
[TIME[1939年][year:1939]]開戦、
[[大東亜戦争]]が
[TIME[1941年][year:1941]]開戦。
一方[[西部標準時]]廃止が
[TIME[1937年][year:1937]]。
[[第二次世界大戦]]中に[[先島諸島]]が [TZ[+08:00]] だった時期はない。
[TIME[1945(昭和20)年9月21日][1945-09-21]]に[[台湾の標準時]]が
[TZ[+08:00]] に改正された。
[TIME[8月15日][1945-08-15]]の終戦の日を過ぎているが、
[[講和]]前なので、[[台湾]]は「時期がある」
といえなくもない (が、そのような説明は適切といえるかどうか)。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[180] [CITE[黙翁日録: 南京戦中の日本(7) 昭和12(1937)年11月3日 「国民奉祝の時間」]],
2009年9月20日日曜日
([TIME[2016-11-15 22:51:27 +09:00]])
<http://mokuou.blogspot.jp/2009/09/7121937113.html>
]FIGCAPTION]
> 時報を正確に知らせるラジオの聴取契約数は、日中戦争勃発とともに急増し、この月、324万に達する。
> この年10月1日、西部標準時が廃止され、「内地」、植民地、「満洲国」が全て中央標準時に統一され、同じ時刻に遥拝することが可能となる。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[577] [CITE[『「昭和天皇実録」を読む』: pata]]
([TIME[2017-01-21 14:48:08 +09:00]])
<http://pata.air-nifty.com/pata/2015/10/post-6e4a.html>
]FIGCAPTION]
> この盧溝橋事件後、昭和天皇の地方行幸は取りやめとなり、君民一体の場は宮城前だけに限定されるが、その代わり、それまで一時間の時差があった宮古・八重山と台湾の時差をなくして時間支配を強める、これによって特定の統一された時間の皇居遥拝が可能になったといいます(p.121)。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1823] [CITE@ja[明日21日は、1年で最も昼が長い夏至。7年前の夏至の日、北海道… | 八重山毎日新聞社]]
([TIME[2017年06月20日][2017-06-20]], [[慶田盛伸]], [TIME[2018-08-28 00:06:46 +09:00]])
<http://www.y-mainichi.co.jp/news/31814/>
]FIGCAPTION]
> 当時の人々は太陽とともにある暮らしで、時差とは何の関わりもなかったに違いない。廃止理由も軍事上か、よくわからないまま
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[196]
[CITE[官暦と民間暦を通してみる伝統と近代の交錯 -日本統治時代の「台湾民暦」と国民党統治時代の「農民暦」を中心に-]],
[[游舒婷]],
[TIME[2017-03-20]],
[TIME[2019-12-31 18:21:13 +09:00]] <https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8302&item_no=1&page_id=13&block_id=21>
]FIGCAPTION]
> 1937(昭和 12)年、日中全面戦争に突入、時間の一体化が要求され、台湾は西部標
準時(東経 120 度)から日本の標準時(東経 135 度)の使用地域に入った。
]FIG]
]REFS]
* 南洋群島時差撤廃
[126] [[日独戦争]]で[[日本]]領となった[[南洋群島]]は、
東西に広大な領域にわたっており、[[標準時]]は3区に分かれていました。
[TIME[1938年1月1日][1938-01-01]]に実施された[[南洋群島の標準時]]の2区制への改正は、
[[内地]]および[[南洋群島]]内各地域の関係が密接になって[[時差]]が不便であることが理由
[SRC[>>55]] とされています。
また、[[台湾][大日本帝国台湾]]で用いられていた[[西部標準時]]の[[廃止]]にも言及があり [SRC[>>55]]、
当時の[[台湾]]や[[関東州]]での[[標準時]]改正の動きが[[南洋群島]]にも波及したと考えられます。
[SEE[ [[南洋群島の標準時]] ]]
* アジア大陸および南方占領地の時刻
[5] [[支那事変]]や[[大東亜戦争]]では、[[日本軍]]は[[中央標準時]] [TZ[+09:00]]
を[[軍用時]]として全世界的に用いました。
[SEE[ [[中央標準時]] ]]
[96] しかしこれは[[日本軍]]部隊の作戦上用いる[[時刻]]で、
[[軍政]]下の[[行政機関]]や[[市民]]が用いた時刻とは必ずしも一致しません。
また[[日本軍]]の影響下にあったとしても、
すべての地域ですべての期間が[[軍政]]下にあったわけではありません。
[98] [[日本軍]]の[[軍政]]下にあった地域では、
現地の[[標準時]]が[[中央標準時]]に改正された場合があるようです。
しかしその詳細な時期や範囲はほとんど明らかになっていません。
-*-*-
[418] [[満州国]]の[[標準時]]を改め[[中央標準時]]と一致させることを主張し続けた[[山本一清]]博士は、
その実現後の1938年、[[中華民国]]の各政府
[WEAK[([[北支]]の[[臨時政権]] = [[北京]]の[[中華民国臨時政府]]および[[中支]]の[[維新政権]] = [[南京]]の[[中華民国維新政府]]。当時は統一政府がありませんでした。)]]
に対しても同様の[[標準時]]改正を呼びかけています [SRC[>>417]]。
山本博士は、[[台湾]]と[[満州]]の新[[標準時]]は[[夏時刻の通年採用][通年夏時刻]]に当たりそのメリットを享受できるとする一方、
[[日本]][[内地]]は[[東アジア]]全体の[[標準時]]統一維持のため[[夏時刻]]採用を断念することを説いています
[SRC[>>417]]。
;; [425] ただし博士は翌月には[[北支事変]]の時局を踏まえて早くもこれを撤回、
[[台湾]]を除く[[日本]]の[[通年夏時刻]]採用を求め、
[[政府]]に建議書を提出しています [SRC[>>426]]。
[TIME[1941年][year:1941]]には[[夏時刻]]採用が世界の趨勢であり、
[[日本]]も「実行が一日遅れれば,一日の損である」 [SRC[>>424]] と述べています。
[423]
[[支那事変]]後[[支那大陸]]の海岸部を統治した[[中華民国]]の各政権や[[地方政府]]は、
[[夏時刻]] [TZ[+09:00]] を実施しました。
[[中華民国]]域内にあった[[治外法権]]地域である[[上海租界]]や[[香港]]でも、
[[夏時刻]] [TZ[+09:00]] が実施されました。
[TIME[1942年][year:1942]]には、[[夏時刻]] [TZ[+09:00]] が[[通年実施][通年夏時刻]]されるに至っています。
[SEE[ [[中国大陸の標準時]] ]]
-*-*-
[52]
[[米領フィリピン準州]]では、
[[日本軍]]の進攻前から現地政府が[[夏時刻]]を実施しており、
[[日本軍]]もそれを引き継いだため、
[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] と現地時刻が一致したようです。
[[中華民国南京国民政府]]も[[夏時刻]]を実施しており、
途中から[[通年化][通年夏時刻]]したため、
[[中央標準時]] [TZ[+09:00]] と現地時刻が一致したようです。
[101]
[[英領マラヤ]]、
[[英領シンガポール]]、
[[蘭領東印度]]では、
[[日本軍]]の進攻後に現地時刻から1,2時間進めた[[通年夏時刻]]に相当する[[中央標準時]]
[TZ[+09:00]] に[[標準時]]が改められました。
[144] [[tzdata]] や [[Wikipedia]] などは[[日本軍]]の統治期間を[[中央標準時]]の時期としていることが多いですが、
統治期間と[[標準時]]改正の時期は実際には一致していなかったと考えられます。
また、[[日本軍]]の統治下にあったというだけで十分な根拠なく[[中央標準時]]に改正されたとして扱っている疑いのある地域もあります。
今後、当時の資料の発掘により正確な状況が判明することが期待されます。
;; [41] 戦時下の各地の軍政の施策や人々の生活を扱った書籍は少なくありませんが、
どこの地域についても当時の[[日時制度]]に言及するものはほとんどなく、
2、3行くらいの説明があれば良い方です。
統制下で同時代の確実な典拠となる文献が不足しているのはやむを得ないとしても、
聞き取り調査などで当時の人々の生活を復元しようとしていながら、
事実関係の確認の基本中の基本である[[日時制度]]への理解が不確かなままで進められているとすると、
その記述内容の全体の信憑性に疑問を持たざるを得ません。
[FIG(table)[ [147] [[大東亜戦争]]期[[大東亜共栄圏]]の[[標準時]]
:area: 地域
:now: 現所属国
:gov: 戦時中の政体
:old: 旧時刻
:changed: [[標準時]]改正
:src: 同時代の文献
:period: 期間
:tzdata: [[tzdata]]
:see: 詳細記事
:area: [[大日本帝国内地]]
:now: [[日本国]]
:see: [[日本の標準時]]
:gov: [[独立国]]
:old: [TZ[+09:00]] [WEAK[([[戦前]]に一部 [TZ[+08:00]] から改正済)]]
:changed: ×
:tzdata: 改正なし
:period: -
:src: -
:area: [[大日本帝国内地]] - [[千島列島]]・[[北方領土]]
:now: [[ロシア連邦]]
:see: [[日本の標準時]]
:gov: [[地方政府]] [WEAK[([[内地]])]]
:old: [TZ[+09:00]]
:changed: ×
:tzdata: N/A
:period: 停戦後に改正
:src: -
:area: [[大日本帝国南樺太]]
:now: [[ロシア連邦]]
:see: [[日本の標準時]]
:gov: [[地方政府]] [WEAK[([[外地]] → [[内地]])]]
:old: [TZ[+09:00]]
:changed: ×
:tzdata: 停戦後に改正
:period: 停戦後に改正
:src: -
:area: [[大日本帝国臺灣]]
:now: [[中華民国]]
:see: [[臺灣の標準時]]
:gov: [[地方政府]] [WEAK[([[外地]])]]
:old: [TZ[+09:00]] [WEAK[([[戦前]]に [TZ[+08:00]] から改正済)]]
:changed: ×
:tzdata: 改正なし
:period: 停戦後に改正
:src: -
:area: [[大日本帝国朝鮮]]
:now: [[朝鮮民主主義人民共和国]]、 [[大韓民国]]
:see: [[朝鮮半島の標準時]]
:gov: [[地方政府]] [WEAK[([[外地]])]]
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:changed: ×
:tzdata: 改正なし
:src: -
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:area: [[大日本帝国南洋群島]]
:now: [[米領北マリアナ諸島]]、
[[パラオ]]、
[[ミクロネシア連邦]]、
[[マーシャル諸島]]
:old: [TZ[+09:00]] [WEAK[([[戦前]]に一部 [TZ[+10:00]], [TZ[+11:00]] から改正済)]]
:changed: ×
:tzdata: 改正なし
:period: 停戦後に改正
:gov: [[地方政府]] [WEAK[([[外地]])]]
:see: [[南洋群島の標準時]]
:period: -
:src: -
:area: [[大日本帝国関東州]]
:now: [[中華人民共和国]]
:old: [TZ[+09:00]] [WEAK[([[戦前]]に [TZ[+08:00]] から改正済)]]
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:gov: [[地方政府]] [WEAK[([[外地]])]]
:period: 停戦後に改正
:see: [[滿洲の標準時]]
:src: -
:area: [[大滿洲帝国]]
:now: [[中華人民共和国]]
:see: [[滿洲の標準時]]
:old: [TZ[+09:00]] [WEAK[([[戦前]]に [TZ[+08:00]] から改正済)]]
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:tzdata: 改正なし
:gov: [[独立国]]
:period: 停戦後に改正
:src: -
:area: [[中華民国南京国民政府]]統治地域
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:gov: [[独立国]]
:changed: ○
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:changed: ○ [WEAK[(通年[[夏時刻]])]]
:see: [[中国大陸の標準時]]
:tzdata: 改正なし
:src: ○
:period: 停戦後に改正
:area: [[英領香港]]
:now: [[中華人民共和国領香港]]
:see: [[中国大陸の標準時]]
:gov: [[軍政]]
:changed: ○
:src: ○
:tzdata: 戦時中
:old: [TZ[+08:30]]
:period: 停戦後も継続
:area: [[ポルトガル領澳門]]
:now: [[中華人民共和国領澳門]]
:see: [[中国大陸の標準時]]
:gov: [[ポルトガル領]] (中立)
:old: [TZ[+08:00]]
:tzdata: 改正なし
:changed: ×
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:now: [[中華人民共和国]]
:see: [[インドシナ標準時]]
:gov: [[軍政]]
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:area: [[米領フィリピン]]
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:see: [[フィリピンの標準時]]
:gov:
[[軍政]] → 独立
:changed: ×
:period: [[日本軍]]進攻前から[[夏時刻]]、
停戦後も継続
:src: ○
:tzdata: 戦時中 [TZ[+09:00]]
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:area: [[仏印]]本部
:now: [[越南]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]
:see: [[インドシナ標準時]]
:gov: [[仏領]] → [[独立国]]
:tzdata: [[仏印処理]]後 [TZ[+09:00]]
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:see: [[マレーシアの標準時]]
:src: ○
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:see: [[マレーシアの標準時]]
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:see: [[豪州の標準時]]
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:now: [[タイ]]
:gov: [[独立国]]
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:see: [[タイの標準時]]
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:tzdata: 改正なし
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:now: [[ミャンマー]]
:see: [[ビルマの標準時]]
:gov: [[軍政]] → [[独立国]]
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:now: [[インド]]
:see: [[南アジアの標準時]]
:gov: [[軍政]] [WEAK[(独立準備中)]]
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:gov: [[軍政]] → [[独立国]]
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:src: ○
:see: [[インドネシアの標準時]]
:area: [[蘭占領地旧ポルトガル領チモル]]
:now: [[東ティモール]]
:gov: [[軍政]]
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:see: [[東ティモールの標準時]]
:area: [[米領大宮島]]
:now: [[米領大宮島]]
:gov: [[軍政]]
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:tzdata: 改正なし
:see: [[南洋群島の標準時]]
:area: [[米領大鳥島]]
:now: [[米領大鳥島]]
:gov: [[基地]]
:old: [TZ[+12:00]]
:changed: ○?
:tzdata: 改正なし
:see: [[南洋群島の標準時]]
:area: [[英領ナウル]]
:now: [[ナウル]]
:gov: [[軍政]]
:old: [TZ[+11:30]]
:changed: ?
:tzdata: 戦時中 [TZ[+09:00]]
:see: [[大洋州の標準時]]
:area: [[英領ギルバート諸島]]
:now: [[キリバス]]
:gov: [[軍政]]
:old: [TZ[+12:00]]
:changed: ?
:tzdata: 改正なし
:see: [[大洋州の標準時]]
:area: [[英領ニューギニア]]の一部
:now: [[パプアニューギニア]]
:gov: [[軍政]]
:old: [TZ[+10:00]]
:changed: ?
:tzdata: 戦時中 [TZ[+09:00]]
:see: [[大洋州の標準時]]
:area: [[英領ソロモン諸島]]の一部
:now: [[ソロモン諸島]]