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[13] [CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T08:22:31.359Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/389> (要登録)
享正[LINES[二][二]]年4月13日 板碑
室町後期 私年号
[8] [CITE@ja-JP[埼玉県史 第四巻]], [[埼玉県]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T07:02:13.798Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309> (要登録)
入間郡大家村 塔婆 享正4年4月13日 私年号 後北条氏の頃
[12] [CITE@ja-JP[仏教考古学講座 第五卷]], [[雄山閣]], [TIME[1936-1937][1937]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T08:08:03.381Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82> (要登録)
享正4年4月13日 私年号 室町時代
[14] [CITE@ja-JP[坂戸市史 中世史料編 2]], [[坂戸市教育委員会]], [TIME[1980.4][1980]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-08T03:51:33.049Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642035/1/107> (要登録)
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/32 /107 /250 /271
享正4年4月13日 私年号 1457か
様式および比企郡玉川村一ト市の享正3年丙子4月24日板碑の干支による
[11] [CITE@ja[実物資料(1)館有資料 - 埼玉県立嵐山史跡の博物館]], [[埼玉県教育局]], [TIME[2022-12-26T12:33:49.000Z]] <https://ranzan-shiseki.spec.ed.jp/%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%83%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6/%E8%B3%87%E6%96%99%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E5%AE%9F%E7%89%A9%E8%B3%87%E6%96%99-1-%E9%A4%A8%E6%9C%89%E8%B3%87%E6%96%99>
>
,SHI1978-044-25 ,享正四年銘阿弥陀一尊種子板碑 ,旧大徳家所蔵板石塔婆 ,享正4年(私年号)・(1457)・室町時代 , ,大徳家 ,《注2》26-94-25
[9]
[CITE[日本私年号の研究]]
[1] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]], [TIME[2021-01-28T09:01:15.000Z]] <https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1144205100/1144205100100010/ht200510>
> 宮代町付近では、下総の古河に移動し、幕府に敵対した足利成氏が使用した「享正」「延徳」の私年号をみることができる。
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,享正 ,- ,康正元年(1455年) ,不明 ,埼玉県ときがわ町発見板碑、『旧案主家文書』(『香取文書』)など
-[2] [CITE@ja[太田資正と中世太田領の研究(資正研)さんはTwitterを使っています 「古河公方は「享徳」を使い続けたことで有名ですが、金石文については私年号「寛正」等を使わせた? と読める記述に出会いました。 https://t.co/Gkzstvtv51 情報量が足りない。 久保常晴(1967)『日本私年号の研究』か? これを読めばいいのか?! https://t.co/YT86gxJKPd」 / Twitter]], 午後6:36 · 2020年8月2日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T08:47:30.000Z]] <https://twitter.com/medieval_oota/status/1289857528369541120>
-- [3] [CITE@ja[太田資正と中世太田領の研究(資正研)さんはTwitterを使っています 「すみません。 寛正でなく、享正でした!」 / Twitter]], 午後6:59 · 2020年8月2日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T08:47:30.000Z]] <https://twitter.com/medieval_oota/status/1289863369709588480>
- [4] [CITE@ja[太田資正と中世太田領の研究(資正研)さんはTwitterを使っています 「肝心の古河市域には、私年号「享正」を用いた板碑は確認されず。 “ところが、古河の板碑を調査してみると、長禄年板碑、寛正四年板碑、応仁二年板碑、文明二年板碑など、古河公方足利氏が使用を拒んだはずの年紀銘をもっとものがみられ、注目される” 古河市史資料中世編 757頁」 / Twitter]], 午前8:16 · 2020年8月3日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:55:24.000Z]] <https://twitter.com/medieval_oota/status/1290063877208588289>
-- [5] [CITE@ja[太田資正と中世太田領の研究(資正研)さんはTwitterを使っています 「宮代町史通史編には、 “宮代町付近では、下総の古河に移動し、幕府に敵対した足利成氏が使用した「享正」「延徳」の私年号をみることができる。” とあるけれど、古河公方の本拠古河ではこれがみられない。 なんとも不思議。」 / Twitter]], 午前8:19 · 2020年8月3日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:55:24.000Z]] <https://twitter.com/medieval_oota/status/1290064657445564416>
-- [7] [CITE@ja[東行斎さんはTwitterを使っています 「@medieval_oota 二つ考えられます。一つは、成氏自身の独断専行で、成氏のみ私年号を用いていて、その他は公用年号を用いていたのか、二つめは、この板碑は元々古河にあったのではなく、別のところから移動して、古河にあり、私年号の板碑は埋没してしまい、災害等で失われて存在しないのかが考えられます。」 / Twitter]], 午前9:23 · 2020年8月3日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T09:02:16.000Z]] <https://twitter.com/5X4nBy3lIDmBLSZ/status/1290080775828672519>
- [6] [CITE@ja[太田資正と中世太田領の研究(資正研)さんはTwitterを使っています 「久保常晴『日本私年号の研究』が少し残念なのは、私年号「享正」「延徳」について、板碑の調査がないこと。 宮代町の私年号「享正」「延徳」を銘した板碑の情報は得られません。 そこは残念。」 / Twitter]], 午後1:13 · 2020年8月4日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:55:33.000Z]] <https://twitter.com/medieval_oota/status/1290501035954298881>
[15] [CITE@ja-JP[川越市史 第2巻 別巻 (中世編 板碑)]], [[川越市'''['''総務部''']'''庶務課市史編纂室]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T09:52:07.584Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643550/1/60> (要登録)
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