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721
722
723
[4]
[DFN[天命]]は、[[後金]]の初代[[ヌルハチ]]の[[元号]]です。
* 用例
[60]
[[日本国]][[東京都]][[調布市郷土博物館]]所蔵[[東京城]]天祐門門額は、
[[無圏点老満文]]で書かれています。
[SRC[>>39]]
- [62] [[日本国]][[徳島県]][[鳴門市]]の[[県立鳥居記念博物館]]に拓本があります。
[SRC[>>39]]
- [61] [[今西春秋]]は、写真から解読を試みました。
[SRC[>>43]]
-- [63] 中央「Abkai Usiha Duka」 (天星門)
[SRC[>>43]]
-- [64] 両傍小字
「Aisin Gurun i Abkai Fulingga sahaliyan
indahūn aniya juwari biyade ilibuha」
[SRC[>>43]]
- [65] [[松村潤]]は、
[TIME[平成6(1994)年][1994]]に拓本と現物を実見しました。
[SRC[>>39]]
-- [67] 中央「Abkai Gosiha Duka」 (天祐門)
[SRC[>>39]]
--- [68] 現物、拓本とも「Abkai Gosiha」は剥落し判読不能。
[SRC[>>39]]
-- [69] 小字は[[今西春秋]]と同解釈。
--- [66] 「sahaliyan indahūn」 (壬戌)
[SRC[>>39]]
[46]
[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[瀋陽市]]の[[故宮博物院]]石刻館所蔵[CITE[海州牛荘城老満文徳盛門門額]]は、
[TIME[西暦1623年[LINES[癸][亥]]][1623]]再建の[[牛荘城]]の[[徳盛門]]の門額で、
[[老満文]]で書かれています。
[SRC[>>39]]
- [47] [[満州国]]在住の日本人研究者[[山下泰蔵]]は、
[[Walter Fuchs]] に拓本を贈りました。
[SRC[>>39]]
- [48] 満支在住のドイツ人東洋史研究者 [RUBYB[[[Walter Fuchs]]][1902-1979]] は、
[CITE[Beitrčge zur Mandjurischen Bibliographie und Literatur]]
[WEAK[([TIME[1936]])]]
に附図として拓本の写真を掲載し、
解読を試みました。
[SRC[>>39]]
-- [51] 「Tondo erdemude uwesimbuhe duka」 [SRC[>>39]]
-- [52] 左右小字「Aisin gurun-i abkai fulingga ningguci(?) aniya ....... ilibuha.」 [SRC[>>39]]
- [49] [[日本]]の[[昭和時代]]の東洋史研究者[RUBYB[[[今西春秋]]][[TIME[1907]]-[TIME[1979]]]]は、
[[Walter Fuchs]]
の写真から解読を試みました。
[SRC[>>43]]
-- [53] 左小字「Aisin Gurun i Abkai Fulingga ……… aniya」 (金国天命………年)
[SRC[>>43]]
--- [55] ningguci (第六) とは読めず、強いて言えば jakūci (第八) ではないか、
としました。[SRC[>>39]]
-- [54] 右小字「sahahūn ulgiyan aniya uyun biyade ilibuha」 (癸亥年九月建)
[SRC[>>43]]
- [50] [[日本]]の[[昭和時代]]・[[平成時代]]の東洋史研究者[RUBYB[[[松村潤]]][[TIME[1924]]-]]は、
[TIME[平成6(1994)年][1994]]夏に瀋陽で実見し解読を試みました。
[SRC[>>39]]
-- [56] 中央「Tondo Erdemude Uwe-
simbuhe Duka」
[SRC[>>39]]
-- [58] 左小字「Aisin Gurun i Abkai Fulingga sahahūn」 (金国天命癸)
[SRC[>>39]]
-- [59] 右小字「ulgiyan aniya juwari biyade ilibuha」 (亥年夏月建)
[SRC[>>39]]
-- [57] 左右小字は判読困難。東京城天祐門門額、牛荘城雲版とあわせて推測。
[SRC[>>39]]
- [70]
[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[瀋陽市]]の[[故宮博物院]]陳列館所蔵牛荘城雲版裏側銘
-- [71] 右「大金天命癸」
[SRC[>>39]]
-- [72] 左「亥年鑄牛莊城」
[SRC[>>39]]
-- [73]
陳列館解説「大金天命八年鑄造的報警器。[SNIP[]]」
[SRC[>>39]]
- [91] [TIME[西暦1618年][1618]]に[[明]]から[[清]]に降った[RUBYB[[[李永芳]]][-[TIME[1634]]]]から朝鮮人への文書
「天命辛酉五月十八日」
[SRC[>>74]]
- [95]
[CITE[満洲金石志]]卷六所収[CITE[勅賜大金喇嘛法師寶記]]
「[SNIP[]]至天命辛酉年八月二十一日[SNIP[]]旹大金天聰四年歳次庚午孟夏吉旦[SNIP[]]」
[SRC[>>74]]
- [97]
[[中華民国台湾]]の[[中央研究院]]歷史語言研究所所蔵[[故宮]]満文老档コレクション中の[[劉学成]]奏本
「天命辛酉年拾貳月日」
([[満文]])
[SRC[>>74]]
- [96]
[[中華民国台湾]]の支那史研究者[RUBYB[[[李光濤]]][[TIME[1897]]-[TIME[1984]]]]は、
[[北平]]で天命丙寅年暦書を見たといいます。
[SRC[>>74]]
- [92] [CITE[乱中雜錄續錄]]卷一所収[[大金国]]皇帝から[[明]]人[RUBYB[[[毛文龍]]][[TIME[1576]]-[TIME[1629]]]]への文書
「天命丙寅五月日」
[SRC[>>74]]
- [93]
[CITE[内庫大庫档案存真初集]] p.62 所収[CITE[天命丙寅年閏六月老満文誥命]]
「天命丙寅年閏六月」 ([[漢文]]、本文は[[老満文]]) [SRC[>>74]]
- [94] [CITE[明清史料甲編]]第一本[CITE[内閣档案之由来及其整理]]所収[[北平図書館]]蔵内閣旧蔵書目
「天命丙寅年封佟延一件」
[SRC[>>74]]
* 成立
[12]
[[清国]]の歴史書では、
[TIME[西暦1616年[LINES[丙][辰]]][1616]]に[[後金]]が建国され[[天命]]と[[建元]]された、
としていました。
これが現在も通説となっています。
近現代の研究や解説で天命[VAR[何]]年と書かれる場合、
基本的にはこの数え方に従うようです。
[18]
その一方で建国と建元の時期、当時の国号について、
近現代の[[日本]]や[[支那]]の研究者が諸説を提示してきました
[SRC[>>10, >>6]]。
-*-*-
[20]
[[武皇帝実録]]本[CITE[清太祖実録]]
[WEAK[([RUBYB[後金[[天聰]]年間][[TIME[1627]]-[TIME[1636]]]]に編纂され[TIME[清崇徳元(1636)年][1636]]11月15日に完成した[CITE[太祖太后実録]]の改訂、[TIME[清順治12(1655)年][1655]]2月完成)]]
は、
[TIME[丙辰(1616)年][1616]]1月1日に即位、[[天命]]と[[建元]]したと書いていました。
[SRC[>>10, >>39]]
[40]
本書が現在につながる[TIME[西暦1616年][1616]]建元説の根本とされています
[SRC[>>39]]。
[15]
[CITE[清太祖実録]]の元になったとされる[CITE[満文老档]]
[WEAK[([CITE[満文原档]] ([CITE[旧満州档]]) を[TIME[乾隆40(1775)年][1775]]頃整理したもの)]]
では、
[[ヌルハチ]]の時代は丙辰年の前後とも[[干支年]]だけで書いていました。
例えば[TIME[西暦1617年][1617]]は falahūn (丁) meihe (巳) amiya (年)
と ([[満州文字]]で) 書かれていました。
一方次の[[天聡]]年間は、
sure (天聡) han (汗) i (の) sučungga (元) aniya (年), jai (二) aniya (年)
のように ([[満州文字]]で) 書かれていました。
[SRC[>>11]]
[31]
これより実録の[[天命]]建元記事は[[潤色]]の疑いが持たれています [SRC[>>11]]。
[42]
[[三田村泰助]] (>>16) [SRC[>>11]] や[[今西春秋]] [SRC[>>43]] は、
[[漢]]化が進む前の[[満州人]]の生活上は従前の[[干支年]]が使われ続けたと考えました。
[CITE[満文老档]]が[[元号]]を使わないのはその反映と考えました。
[[三田村泰助]]は[CITE[満文老档]]に[[建元]]記事がないのはその事実が無かったからと考えましたが、
[[今西春秋]]は[[崇德]]改元の記事もないことを指摘し、
著者が関心を払わなかったに過ぎないと考えました。
;; [99]
[[黃彰健]] (>>77) は、
[CITE[満文老档]]和訳本 p.1234
などに[[十二支年]]を使った例も見えるとしました [SRC[>>74]]。
しかし([[日本]])[[国立国会図書館]]本同頁には[[日干支]]と[[十二支時刻]]はありますが、
[[十二支年]]は見当たりません
[SRC[>>98]]。
-*-*-
[9]
[[満州語]]の
abkai fulingga
と[[漢語]]の[[天命]]の語は、
[[漢語]]、[[満州語]]とも、
[[天命]]年間や次の[[天聡]]年間によく用いられていました [SRC[>>8, >>11]]。
建国を正当化するスローガン的な意味合いから生じた言葉だったのでしょう。
[30]
年の表記と関係していない用法は、
[[元号]]が確立した時代なら[[元号名]]に因んだといえますが、
そうと確定できない時代には、
必ずしも[[元号]]の徴証とはいえません。
また、
両言語で使われており、併記されたものもあることから、
例えば[[元号名]]が[[漢語]]にのみあったということもいえません [SRC[>>11]]。
-*-*-
[13]
[[李氏朝鮮]]と[[清]]の記録では、
[TIME[西暦1619年[LINES[己][未]]][1619]]に[[後金]]から[[朝鮮]]に国書が送られました。
-
[24]
太白山本[CITE[李朝実録]][CSECTION[光海君日記]]
[TIME[己未(1619)年][1619]]4月9日条に、
[[後金]]から「天命二年」と称した[[国書]]が届けられたとありました。
[SRC[>>10]]
-
[14]
この国書は[[李氏朝鮮]]側に[[漢文]]
([CITE[大東野乗]]本[CITE[乱中雑録]] [WEAK[([RUBYB[[[趙慶男]]][[TIME[1570]]-[TIME[1641]]]])]] 所収 [SRC[>>36, >>10]])、
[[清]]側に[[満洲語]]、[[漢文]]等が残ります
[SRC[>>10]]。
([CITE[満文老档]]の[[日本語]]訳本 [SRC[>>29]])
-- [37]
[CITE[朝鮮群書大系]]所収[CITE[大東野乗]]本[CITE[乱中雑録]]所収国書には、
末尾に
「[V[天命三十六年。[LINES[萬曆十二年甲申、彼賊稱帝][改元潜懷犯上之志而中原]]]]
[V[[LINES[我國皆不知之][而知亦無益矣]]]]」
とありました。
[SRC[>>36]]
-- [75]
[TIME[1964年][1964]]大韓民国石印本[CITE[亂中雜錄續錄]]卷一己未年4月初4条所収国書には、
末尾に
「[V[天命三十六年月日]]」
とありました。
[SRC[>>74, >>39]]
--
[27]
[CITE[満文老档]][[満州語]]版所収国書には、
本文直後に発出日が
ilan (三) biyai (月) orin (廿) emu (一) de (日)
とありました。
この部分は[CITE[清太祖実録]][[満州語]]版にはありませんでした。
[SRC[>>10]]
--
[28]
[[三田村泰助]]は、
[CITE[満文老档]][[満州語]]版所収の国書が[[朝鮮]]に送られたものの原稿としました。
[SRC[>>10]]
-- [76]
[[黃彰健]]は、
当時[[大金]]と[[朝鮮]]のやり取りは[[漢文]]で成されたもの故、
[CITE[乱中雑録]]本が国書原文に近いものとしました。
[SRC[>>74]]
[23]
[[明]]の朝廷は、
[TIME[明万暦47(1619)年][1619]]に[[朝鮮]]経由で[[天命]]建元を知ったとされます。
[SRC[>>10]]
-
[21]
[[京師図書館]]本[CITE[皇明実録]]
[TIME[万暦47(1619)年][1619]]6月庚午条に、
[[朝鮮]]からの情報で、
建国と改元があったと書かれていました。
[SRC[>>10]]
-- [41] [CITE[神宗実録]]
[TIME[万暦47(1619)年][1619]]6月庚午条 [SRC[>>39]]
-
[22]
[CITE[三朝遼時実録]]
[WEAK[([RUBYB[[[王在晋]]][[TIME[1567]]-[TIME[1643]]]], [TIME[明崇禎11(1638)年][1638]])]]
[TIME[万暦47(1619)年][1619]]5月条に、
[[朝鮮]]からの情報で、
[[天命]]と建元されたと書かれていました。
[SRC[>>10]]
[86]
しかし[[明]]の官僚が[TIME[明万暦46(1618)年][1618]]時点で記録に残していました。
- [84]
[CITE[籌遼碩畫]]所収万暦46年9月[RUBYB[[[方従哲]]][-[TIME[1628]]]]
[WEAK[(大学士)]]
題本に、
[RUBYB[[[楊鎬]]][-[TIME[1629]]]]が入手し[[孫弘祖]]が提出した情報によると、
[[建元]]したとありました [SRC[>>83, >>74]]。
-- [85] [CITE[神宗実録]]万暦46年9月壬辰条にも記載有り。
[SRC[>>74]]
- [80]
[CITE[籌遼碩畫]]所収万暦46年9月[RUBYB[[[黄嘉善]]][[TIME[1549]]-[TIME[1624]]]]
[WEAK[(兵部尚書)]]
題本に、
[[建元]]したとありました [SRC[>>78, >>74]]。
- [82]
[CITE[籌遼碩畫]]所収万暦46年10月[[薛鳳翔]]
[WEAK[(兵科給事)]]
題本に、
天命元年と建元したとありました [SRC[>>81, >>74]]。
[45]
その他これに関係すると思われる記録がいくつかあります。
-
[33]
[[李氏朝鮮]]の[RUBYB[[[羅萬甲]]][[TIME[1592]]-[TIME[1642]]]]の[CITE[丙子錄]]に、
「この歳」の5月に[[後金]]が[[天命]]建元した、
とありました。
[SRC[>>11]]
「この歳」とは[TIME[西暦1619年[LINES[己][未]]][1619]]の[[サルフの戦い]]を指していましたが、
本書は誤って[TIME[西暦1618年][1618]]に掛けていました。
[SRC[>>43]]
-
[34]
[[イタリア]]人修道士で[TIME[西暦1643年][1643]]から[[明]]、[[清]]に滞在した
[RUBYB[[[Martino Martin]] ([[衛匡国]])][[TIME[1614]]-[TIME[1661]]]]
の
[CITE[韃靼戦記]]
[WEAK[([CITE[Histoire de la guerre des tartares contre la Chine]], 原本[[ラテン語]])]]
は、
[TIME[西暦1618年][1618]]に
[[Thienmin]]
と[[建元]]したと書いていました
[SRC[>>11 (仏語版 p.17)]]。
-
[44]
[[日本]]の[[天理図書館]]所蔵[CITE[大清建国考]]
[WEAK[([RUBYB[[[伊藤仁齋]]][[TIME[1627]]-[TIME[1705]]]])]]
所引[CITE[皇明実紀]], [CITE[明紀全載]]に,
[TIME[明万暦46(1618)年][1618]]に[[天命]]と建元したとありました。
[SRC[>>42]]
[19]
[[日本]]の[[昭和時代]]の朝鮮史研究者[RUBYB[[[田川孝三]]][[TIME[1909]]-[TIME[1988]]]]は、
[CITE[光海君日記]]巻138[TIME[己未(1619)年][1619]]4月9日条の
「天命二年」
より、[[清]]の記録との2年のずれを指摘しました
[SRC[>>26 DjVu 6ページ, >>25, >>39 (>>26)]]。
この史料の発掘により、従来史料不足で放置されていた[[天命]]建元の研究が進展しました
[SRC[>>10]]。
[16]
[[日本]]の[[昭和時代]]の東洋史研究者[RUBYB[[[三田村泰助]]][[TIME[1909]]-[TIME[1989]]]]は、
各国の記録の比較検討から、
[TIME[西暦1619年[LINES[己][未]]][1619]]に[[国書]]としての体裁を整えるため考案され、
[[明]]から独立した国家が成立した[TIME[西暦1618年[LINES[戊][午]]][1618]]に遡って[[元期]]に設定したものと考えました。
[SRC[>>10, >>11]]
[87]
[[黃彰健]] (>>77) は、
建元しているという情報が[[明]]でその年 (万曆46年) 建元したと誤って広まったものとし、
[CITE[光海君日記]]の「天命二年」もその影響下で生じたと考えました。
[SRC[>>74]]
[17]
[TIME[西暦1618年[LINES[戊][午]]][1618]]は、
[[ヌルハチ]]が[CITE[七大恨]]で[[明]]からの独立を宣言した年でした。
従って[[元年]]に相応しい年と考えられます [SRC[>>11]]。
[32]
[[三田村泰助]]が2年 ([TIME[西暦1619年[LINES[己][未]]][1619]])
に考案されたと推測したのは、
それ以前の記録がなく、
[[明]]が直接ではなく[[朝鮮]]を介して[[建元]]を知ったことからでした
[SRC[>>11]]。
-*-*-
[77]
[[中華民国台湾]]の東洋史研究者[RUBYB[[[黃彰健]]][[TIME[1919]]-[TIME[2009]]]]は、
[CITE[光海君日記]]の内容と成立過程の分析から、
「天命二年」は編纂官が国書原本を実見できずに書いたものと考えました。
国書原本にあったのは「天命三十六年」だったとしました。
[SRC[>>74]]
[88] 逆算すると[[元年]]は[TIME[明万暦12(1584)年[LINES[甲][申]]][1584]]となります。
[89]
[[ヌルハチ]]は同族争いで[TIME[明万暦11(1583)年][1583]]に挙兵しましたから、
その翌年は元年とするに相応しい年と考えられます [SRC[>>74]]。
[90]
しかし当時の[[ヌルハチ]]はまだ小勢力に過ぎず、
[[建元]]したとは考えにくいです。
[[黃彰健]]は天命36年国書の頃に遡って[[元年]]を定めたと考えました
[SRC[>>74]]。
国書以後は天命[VAR[年数]]年の年数表記が見当たらず、
天命[VAR[干支]]年の[[干支年]]表記のみであることから、
即位に起算する[[支那]]式の慣例に馴染まないことに気づいて年数を使わないことにしたと推測しました
[SRC[>>74]]。
-*-*-
[35]
[[李氏朝鮮]]時代の[CITE[家世集遺補]][CSECTION[丙丁志]]に、
[TIME[明天啓辛酉(1621)年][1621]]に[[天命]]改元されたとありました。
[SRC[>>11 ([RUBYB[[[稲葉岩吉]]][[TIME[1876]]-[TIME[1840]]]])]]
[38] 天啓辛酉年が天啓元年であることを思えば、
天啓と天命の改元情報が混乱して記録された可能性もあるでしょうか。
[FIG(table)[
:西暦:[[西暦]]
:干支:[[干支年]]
:明:[[明]]
:天命:清実録
:光海君:光海君日記
:乱中:乱中雑録
:乱中:1
:西暦:1584
:明:万暦12
:干支:甲申
:乱中:2
:西暦:1585
:明:万暦13
:干支:乙酉
:乱中:3
:西暦:1586
:明:万暦14
:干支:丙戌
:乱中:4
:西暦:1587
:明:万暦15
:干支:丁亥
:乱中:5
:西暦:1588
:明:万暦16
:干支:戊子
:乱中:6
:西暦:1589
:明:万暦17
:干支:己丑
:乱中:7
:西暦:1590
:明:万暦18
:干支:庚寅
:乱中:8
:西暦:1591
:明:万暦19
:干支:辛卯
:乱中:9
:西暦:1592
:明:万暦20
:干支:壬辰
:乱中:10
:西暦:1593
:明:万暦21
:干支:癸巳
:乱中:11
:西暦:1594
:明:万暦22
:干支:甲午
:乱中:12
:西暦:1595
:明:万暦23
:干支:乙未
:乱中:13
:西暦:1596
:明:万暦24
:干支:丙申
:乱中:14
:西暦:1597
:明:万暦25
:干支:丁酉
:乱中:15
:西暦:1598
:明:万暦26
:干支:戊戌
:乱中:16
:西暦:1599
:明:万暦27
:干支:己亥
:乱中:17
:西暦:1600
:明:万暦28
:干支:庚子
:乱中:18
:西暦:1601
:明:万暦29
:干支:辛丑
:乱中:19
:西暦:1602
:明:万暦30
:干支:壬寅
:乱中:20
:西暦:1603
:明:万暦31
:干支:癸卯
:乱中:21
:西暦:1604
:明:万暦32
:干支:甲辰
:乱中:22
:西暦:1605
:明:万暦33
:干支:乙巳
:乱中:23
:西暦:1606
:明:万暦34
:干支:丙午
:乱中:24
:西暦:1607
:明:万暦35
:干支:丁未
:乱中:25
:西暦:1608
:明:万暦36
:干支:戊申
:乱中:26
:西暦:1609
:明:万暦37
:干支:己酉
:乱中:27
:西暦:1610
:明:万暦38
:干支:庚戌
:乱中:28
:西暦:1611
:明:万暦39
:干支:辛亥
:乱中:29
:西暦:1612
:明:万暦40
:干支:壬子
:乱中:30
:西暦:1613
:明:万暦41
:干支:癸丑
:乱中:31
:西暦:1614
:明:万暦42
:干支:甲寅
:乱中:32
:西暦:1615
:明:万暦43
:干支:乙卯
:天命:1
:乱中:33
:干支:丙辰
:西暦:1616
:明:万暦44
:天命:2
:乱中:34
:干支:丁巳
:西暦:1617
:明:万暦45
:天命:3
:乱中:35
:干支:戊午
:西暦:1618
:明:万暦46
:光海君:1
:天命:4
:乱中:36
:干支:己未
:西暦:1619
:明:万暦47
:光海君:2
:天命:5
:干支:庚申
:西暦:1620
:明:万暦48, 泰昌1
:天命:6
:干支:辛酉
:西暦:1621
:明:天啓1
:天命:7
:干支:壬戌
:西暦:1622
:明:天啓2
:天命:8
:干支:癸亥
:西暦:1623
:明:天啓3
:天命:9
:干支:甲子
:西暦:1624
:明:天啓4
:天命:10
:干支:乙丑
:西暦:1625
:明:天啓5
:天命:11
:干支:丙寅
:西暦:1626
:明:天啓6
]FIG]
[REFS[
- [79] [CITE[籌遼碩畫]]
-- [83] [CITE@zh-TW[[[籌遼碩畫]]10 第21頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2020-12-01T08:24:34.000Z]], [TIME[2021-05-01T07:18:37.695Z]] <https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=100995&page=21>
-- [78] [CITE@zh-TW[[[籌遼碩畫]]10 第97頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2020-12-01T08:24:34.000Z]], [TIME[2021-05-01T06:19:02.046Z]] <https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=100995&page=97>
-- [81] [CITE@zh-TW[[[籌遼碩畫]]11 第32頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2020-12-01T08:24:34.000Z]], [TIME[2021-05-01T06:25:27.885Z]] <https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=100996&page=32>
- [36] [CITE@ja[[[朝鮮群書大系]] : '''['''正''']'''24輯続24輯続々24輯別集7輯. 〔正 第8〕 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[朝鮮古書刊行会]], [TIME[1909-1916][year:1916]], [TIME[2021-05-01T01:19:28.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1914733/210>
- [26] [CITE@ja[[[毛文龍]]と朝鮮との関係について]],
[[田川孝三]],
昭和7年2月,
[TIME[2014-01-27T07:10:33.000Z]], [TIME[2021-04-30T11:25:15.326Z]] <https://repository.tku.ac.jp/dspace/handle/11150/1637>
- [10] [CITE[天命建元の年次に就て : 太祖滿文老檔の一考察]],
[[三田村泰助]],
[TIME[1935-12-10]],
[TIME[2015-11-02T04:58:05.000Z]], [TIME[2021-04-30T07:04:56.214Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/138683/1/jor001_002_117.pdf>
-- [25]
引用:
[CITE[光海君時代に於る毛文龍と朝鮮との關係]],
[[田川孝三]]
-- [11]
[CITE[天命建元の年次に就て(續) : 太祖滿文老档の一考察]],
[[三田村泰助]],
[TIME[1936-02-28]],
[TIME[2015-11-02T04:58:06.000Z]], [TIME[2021-04-30T07:05:41.648Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/142942/1/jor001_3_226.pdf>
- [29] [CITE@ja[[[満文老档]]. 太祖の巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[藤岡勝二 訳小倉進平 等編]], [TIME[1939][year:1939]], [TIME[2021-04-30T12:00:43.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1162411/69>
- [98] [CITE@ja[[[満文老档]]. 太宗天聡の巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[藤岡勝二 訳小倉進平 等編]], [TIME[1939][year:1939]], [TIME[2021-05-01T09:52:09.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1162434/180>
- [74]
[CITE[淸太祖天命建󠄁元考]],
[[黃彰健]],
民國五十五年三月三十一日改定,
民國五十五年十月四日補記,
[TIME[2020-03-05T07:54:12.000Z]], [TIME[2021-05-01T04:56:45.435Z]] <http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/4013mAGwvcj.pdf>
- [6]
[CITE[大清国建号前的国号、族名与纪年]],
[[蔡美彪]],
[TIME[1987年][1987]],
[TIME[2021-01-18T01:38:50.000Z]], [TIME[2021-04-30T05:23:53.166Z]] <http://hrc.cssn.cn/rmtj/202101/W020210118369589241511.pdf>
-- [7] [CITE[大清国建号前的国号、族名与纪年_[[中国历史研究网]]]],
[[蔡美彪]],
[TIME[1987年][1987]]
2021.01.18, [TIME[2021-04-30T05:24:02.000Z]] <http://hrc.cssn.cn/rmtj/202101/t20210118_5245375.shtml>
- [39] [CITE[牛荘城老満文門額について]],
[[松村潤]],
[TIME[1994]]
<https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/download/863>
-- [43] 引用:
[CITE[天命建元考]], [[今西春秋]], 昭和34年10月
- [8] [CITE[rek12_02after.pdf]], [TIME[2015-04-27T09:00:13.000Z]], [TIME[2021-04-30T05:28:47.185Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/197412/3/rek12_02after.pdf#page=4>
]REFS]
* 終了
- [100]
[CITE[国朝史料零拾]]所収[CITE[衆貝勒擁戴太宗誓辞]]
「天聰丙寅年九月初一日」
[SRC[>>74]]
-- [102] 内容より、当時の原稿そのままの文面ではない [SRC[>>74]]。
[101]
天命丙寅年に[[ヌルハチ]]が没し、
9月に[[太宗]]が即位しました。
9月から12月に[[天命]]が使われ続けたのかどうか、
同時代の史料がなく不明です。
[SRC[>>74]]
[103]
当時は[[天命]]から[[天聰]]に切り替えられたものの、
[[漢]]化後の史書で即位翌年を[[天聰]]の[[元年]]に再設定したとも考えられます
[SRC[>>74]]。
* 天命汗銭 (天命皇宝)
[5]
[CITE@en[File:Nurhachi Coin, Aphai fulingga han chiha.jpg - Wikimedia Commons]], [TIME[2021-04-16T05:21:51.000Z]], [TIME[2021-04-30T05:22:01.138Z]] <https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nurhachi_Coin,_Aphai_fulingga_han_chiha.jpg>
[2] [CITE@ja[満洲文字を知る5]], [TIME[2010-06-15T06:05:50.000Z]], [TIME[2021-04-30T03:07:54.943Z]] <http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/manju/manju5.html>
* 関連
[3] 次: [[天聡]]
* メモ
[1] [CITE@zh[天命 (后金) - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2021-04-15T02:27:42.000Z]], [TIME[2021-04-29T02:35:35.960Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%91%BD_(%E5%90%8E%E9%87%91)>