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[1] [CITE@ja-JP[古事類苑 歳時部2]], [[神宮司庁古事類苑出版事務所]], [TIME[明29-大3][1914]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T03:42:56.347Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/108>
[[法隆寺文書]]
[2] [CITE@ja-JP[大日本史料 第4編之6]], [[東京帝国大学文学部史料編纂所]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T03:43:45.243Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/782833/1/219>
[[法隆寺文書]]
迎雲元年1月24日
[3]
[CITE[日本私年号の研究]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[373] [CITE@ja[迎雲(げいうん)とは - コトバンク]]
([[,世界大百科事典内言及]] 著, [TIME[2016-01-23 22:33:14 +09:00]] 版)
<https://kotobank.jp/word/%E8%BF%8E%E9%9B%B2-1308471>
]FIGCAPTION]
> まず1167年(仁安2)に当たる保寿の年号は,平清盛の全盛時,平氏と藤原氏の対立を背景に,藤原氏の息災を願う者の使用するところ,また90年(建久1)に当たる和勝・迎雲の年号は,ともに源平争乱の終結(和勝にはより明示的に源氏の勝利の含意がある)による平和の再来をことほぐ者の使用するところであって,いずれも個別特定の願意や祝意を,正年号を拒否する政治的態度をもって表明したもので,異年号のもつ基本的性格の一つを示している。 南北朝時代に入ると,1345年(興国6∥貞和1)能登に白鹿,駿河に応治の年号が現れ,いずれもそれぞれの地方における反北朝(南朝系)の人々の使用と考えられている。
]FIG]
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,迎雲 ,- ,正治元年(1199年) ,不明 ,『法隆寺文書』9