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993
994
995
996
997
998
999
1000
[76]
[DFN[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]]]]
([TIME[y~1148]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。
* 呼称
[77]
[[読み][元号の読み方]]は「せいろ」とされます.
[SRC[>>1]]
* 紀年法
[84]
[[元年]]は、
[TIME[日本明治37(1904)年][1904]]です。
[SRC[>>1]]
[85]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
期間を[[元年]] ([TIME[西暦1904年][1904]]) から2年 ([TIME[西暦1905年][1905]])
としました。
[SRC[>>1]]
* 用法
[78]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
「日露戦争での対露戦争の戦勝を記念して使用された。」
と説明しました。
[SRC[>>1]]
[86]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
出典として
[CITE[読史の趣味]]より
[CITE[征露二年]], [[萩野由之]]を挙げました。
[SRC[>>1]]
[87]
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
出典として
「栃木県小山市天翁院縁台墨書銘」
を挙げました。
[SRC[>>1]]
-*-*-
[102]
[[平成時代]]に[[日本国]][[石川県]][[金沢市]]の旧家・松岡家から[[東京学芸大学]]に寄贈された文書コレクション中に、
「征露2年8月15日」
付の「状」がありました。
[SRC[>>5]]
[103]
宛先は
「松岡清兵衛」
とされ [SRC[>>5]]、
松岡家の第5代当主[[松岡清兵衛]]と思われます。
5代松岡清兵衛は[TIME[西暦1906年][1906]]まで当主の座にありました
[SRC[>>5 p.4]]。
受け取り地は目録に書かれていませんが
[WEAK[(現物が[[葉書]]だとすると、そこには書かれているでしょう)]]。
[[金沢]]と考えるのが自然でしょう。
[104]
送り主は
「東三次郎」
とされます [SRC[>>5]]
が、その素性や松岡家との関係はわかりません。
[105]
「両家子」
にてとありました [SRC[>>5]] が、
[[清国]][[内満州]]の[[長春]]郊外の[[両家子]]という地に[[日露戦争]]時に[[日本軍]]の拠点が置かれたようですから、
その地で執筆されたものと推測できます。
内容の詳細は不明ですが、
表題に
「師団ノ予備隊ニ罷在ニ付」
とあります [SRC[>>5]]
から、
[[出征]]中の東三次郎が[[満州]]の地から本国に連絡したものと見て良いでしょう。
[106]
時期が
「征露2年8月15日」
とされており [SRC[>>5]]、
目録掲載時に[[漢数字]]から[[欧州数字]]に置き換えられた可能性が高いものの、
現物にそのような[[日付]]が明記されていたのでしょう。
目録は
「明治38年カ」
と断定を避けていますが [SRC[>>5]]、
[[征露]]の[[私年号]]の通説に従い[TIME[明治38(1905)年][1905]]と断定して構わないでしょう。
[TIME[1905-08-15]]は講和条約の交渉が開始された後で
(9月に[[ポーツマス条約]]に[[調印]])、
終戦前とはいえ[[日本軍]]が[[南満州]]を安定して支配できていたと推測され、
このような書状が送付された時期として最も適切です。
[107]
以上の推測に誤りがないとすると、本史料は[[満州]]の地で従軍中の日本兵の間で
「征露」
の[[私年号]]が広まっていた可能性を示す貴重なものといえます。
;; [124]
ただし、
可能性は低いかもしれませんが、
もし日付または「征露2年」部分が別筆なら、
受け取り地で書き入れられたかもしれないことになります。
現物で確認したいところです。
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE[[[東京学芸大学]]大石学研究室所蔵「加賀国金沢尾張町松岡 家文書目録」および解題]],
[[大石学]],
2007年8月31日受理,
2008-01-00,
[TIME[2016-05-24 01:29:51 +09:00]]
<https://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/87648/2/18804322-59-05.pdf#page=13>
]FIGCAPTION]
>
,資料番号 ,年月日 ,表題 ,作成・差出 ,宛所 ,形・数 ,備考 ,西暦 ,整理番号
,79 ,征露2年8月15日 ,謹啓(師団ノ予備隊ニ罷在ニ付),両家子ニテ 東三次郎 ,松岡清兵衛様 ,状1 ,明治38年カ ,95990815 ,2‐2‐1
]FIG]
]REFS]
[NOTE[
[108]
この目録は資料の日付を[[欧州数字]]8桁の「西暦」で表しています [SRC[>>5]]
が、その[[形式][日時形式]]がいかなるものかの説明を欠いています。
本目録掲載の「年月日」と「西暦」から推測すると、
次のようなものです。
- [109] 年4桁、月2桁、日2桁で構成されます。
- [110] 月、日は
-- [111]
記載があればそれを2桁の[[欧州数字]]で表したものです。
---
[113]
[[暦]]の区別はなく、そのままの[[月番号]]、[[日番号]]を使います。
---
[114]
[[閏月]]であっても、[[月番号]]だけを表します
(5番、6番)。
-- [112]
記載がないか「[L[盆後ヨリ]]」 (60番) のように特定できない場合は
[N[99]] です。
- [115] 年は
-- [116] [[西暦年]]に換算できるなら、それを[[欧州数字]]で表したものです。
-- [117] [[元号年]]は、そのまま換算します。
-- [118] [[十二支年]]は、
[[元号年]]が推測できる場合、
「年月日」に括弧書きで記載し [SRC[>>5 p.10]] た上で、
換算します。
-- [119]
[[十二支年]]で[[年]]を特定できない場合、
子を [N[9901]]、
亥を [N[9912]]
とする数値で表します。
-- [120]
[[干支年]]は、[N[9999]] とします。
-- [122]
「征露2年」
は、
[N[9599]]
とします。
-- [121]
記載がない場合は、
[N[9999]]
とします。
[123]
ここで
「征露」
は他の不明年とは区別されているようですが、
どのような法則性で
[N[9599]]
が割り当てられたのか定かではありません。
]NOTE]
-*-*-
[79]
[[絵葉書]]で利用されました。
[SRC[>>1]]
[132]
[TIME[西暦1905年][1905]]の[[年賀状]]に
「征露二年・元旦」
と書いたものがあったようです。
出典は[[浅羽通明]]の[[著書]]とされます。
[SRC[>>7]]
[100]
[[平成時代]]後期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサービス]]に
「日露戦争 明治実逓便 海軍大勝利 征露2年」
と題した商品が出品されていました。
[SRC[>>4]]
[101]
[[令和時代]]時点で既に商品情報は削除されており、
[[Internet Archive]] 等にも現存しないため詳細不明ですが、
[[征露]]の[[私年号]]を使った[[絵葉書]]の現物と推測されます。
使用済みかは不明ですが、[[日本本土]]で保管されていたものでしょう。
[REFS[
- [1] [CITE@ja[征露 - [[Wikipedia]]]],
[TIME[2016-04-23 01:24:34 +09:00]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9C%B2>
-
[4] [CITE[戦前絵葉書■日露戦争 明治実逓便 海軍大勝利 征露2年 - [[ヤフオク!]]]],
[TIME[2016-05-24 01:28:42 +09:00]]
<http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u98609762>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-01T09:04:14.000Z]]
- [7] [CITE@ja[[[浅羽通明]] memoさんのツイート: "私年号は明治期に入っても発生している。それは日露戦争という近代日本最大の困難を乗り切った明治三十七年(一九〇四)を「征露元年」として、一般庶民の間で、これを翌年に年賀状に「征露二年・元旦」などと用いたり、碑文に残したりした例が見られるのだ。"]],
午後7:56 · 2016年5月22日,
[TIME[2016-05-24 01:33:11 +09:00]]
<https://twitter.com/asaba_memo/status/734337102867927040>
]REFS]
-*-*-
[50]
[CITE[Twitter]]への投稿に、[[郵便はがき]]の表面の写真がありました。
[SRC[>>51]]
(残念ながら投稿・写真とも削除済で現存しません。)
[314]
当該葉書は[[軍事郵便]]で、
「[V[遼東守備軍]]」 ([[行書]])
から[[日本国]][[三重県]][[津市]]に送られたものでした。
[SRC[>>51]]
送受信者の[[姓]]が一致しており、
家族宛と推測されます。
[315]
葉書には
「[L[征露元年十二月二十日発]]」 ([[行書]])
とありました。
[[消印]]は[[日付]]不鮮明ながら、
[[年]]は「[L[37]]」と読み取れ、
[[月日]]の欄には12月20日以降の数字と考えて矛盾しないかすかな線があります。
[SRC[>>51]]
日付は送受信者欄と同筆とみて構わないでしょう。
発信者が投函前に書いたと考えて良さそうです。
[REFS[
-
[51] [CITE@ja[からしさんは[[Twitter]]を使っています 「エモポイント 年が元号じゃなくて「征露元年」なところ https://t.co/3lw0JC1DpW」 / Twitter]]
(午前0:27 · 2019年8月17日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:18:54.000Z]])
<https://twitter.com/powanokiwami/status/1162385301790056448/photo/1>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-16T09:27:44.300Z]]
--- [[Internet Archive]] 等にも所蔵なし
]REFS]
-*-*-
[189]
[[横浜開港資料館]]に[[寄託]]されている[[佐藤安弘家文書]]中に、
「[R[征露三年一月元旦]]」
([[行書]][[筆文字]])
と書かれた[[年賀状]]があります。
[SRC[>>15, >>187]]
[190]
この[[日付]]の行は各文字の上下位置がやや不揃いで、
[[1行1字縦書き]]から[[右横書き]]への過渡期的形態かとも思われます。
[191]
これは[TIME[1906-01-01]]を表す[[私年号]]と説明されています [SRC[>>15]]。
[[Webページ]]に掲載の[[裏面]]画像には、
それを裏付ける記述は特にありません。
[[征露]]の[[私年号]]の一般的な解釈に従ったものでしょうか。
あるいは表面に[[消印]]などがあるのでしょうか。
[193]
この[[年賀状]]は、
[[中華人民共和国]][[奉天省]][[新民市]]に出征した兵士から送られたものだとされます。
[SRC[>>15]]
[WEAK[(この[[市]]は[TIME[公元1993年][1993]]設置。当時の[[内満州]]の[[新民府]]下なのか、その郊外なのかは不明。)]]
表面には差出人の名前や送付地も書かれていたのでしょうか。
[192]
[[佐藤安弘家文書]]は、
[[日本国]][[神奈川県]]下[[久良岐郡]][[本牧本郷村]]
(現・[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]][[中区]])
の[[名主]]家に伝わったもので、
[[日露戦争]]時に村から出征した者の手紙が多数含まれるといいます。
[SRC[>>188]]
この[[年賀状]]もその1つでしょうか。
この[[年賀状]]の差出人が村出身の従軍者だとすると、
終戦後もそのまま大陸に駐留していた部隊に属して新年を迎えたのでしょうか。
[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE@ja[What's New!「特別資料コーナー」2010年度 [[横浜開港資料館]]]]
[TIME[2016-05-19 07:32:31 +09:00]]
<http://www.kaikou.city.yokohama.jp/news/event-guide_2010.html>
]FIGCAPTION]
> この年賀状は、現在の中国・奉天省の新民市に出征していた兵士からのものです。「征露」とは、日露戦争の勝利を記念して民間で使用されていた私年号で、征露三年は明治39年に当たります。
]FIG]
--
[187]
[CITE[101123-1_l.jpg (JPEG 画像, 346 × 550 px)]], [TIME[2017-12-12T16:07:06.000Z]], [TIME[2022-03-07T09:54:58.603Z]] <http://www.kaikou.city.yokohama.jp/news/images/event-guide/101123-1_l.jpg>
-
[188]
[CITE@ja[閲覧室でご覧になれる資料 [[横浜開港資料館]]]], [TIME[2020-04-01T01:28:36.000Z]], [TIME[2022-03-07T09:55:12.561Z]] <http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/shokemonjo/sa_02.html>
]REFS]
-*-*-
[32]
[[平成時代]]末期か[[令和時代]]初期頃に[CITE[Instagram]]に投稿された[[写真]]に、
第1行「謹賀新年征露二年」、
第2行「正月」
と右上から左下へ[[斜め書き]]
([[行書]])
された[[年賀状]]が写っていました。
[SRC[>>31]]
[260]
[[消印]]に「[R[丗八年一月]]」とあり [SRC[>>259]]、
投稿者は[TIME[明治38(1905)年1月][1905-01]]頃のものと推測しました。
[SRC[>>31]]
[261]
[[消印]]の[[郵便局]]名はやや判読し辛いですが、
「[R[渡島]][BR[]][R[宿野邊]]」
でしょうか。
[TIME[明治35(1902)年][1902]]まで[[日本国]][[北海道]][[渡島国]][[亀田郡]][[宿野辺村]]があり、
[TIME[明治38年][1905]]当時は[[茅部郡]][[森村]]に属していました。現在は[[森町]]となっています。
[262]
送受信者は不明ですが、投稿者は[[日本人]]のように思われますから、
[[北海道]]居住の民間人から[[日本]]のどこかに送付され、
[[日本国]]内で保管されていた (あるいはその後流通していた) ものでしょうか。
[REFS[
- [31] [CITE@en[@yoshiy_777 Instagram post (carousel) 古いはがき征露2年とある おそらく消印から明治38年1月ころのもの。😁 . . #古い絵はがき #明治時代 #軍人#戦地写真#デザイン #征露2年#明治三十八年#消印 #軍事#綺麗 #時代もの #かわいい #古い #古いはかき #ビンテージ #レトロ #あんてぃーく #歴史的 #風景 #鉱物ではない #色 #絵 #コレクション#写真好き#景色 #[[明治維新]] #古い切手#カラー#古いもの好き - Gramhir.com]], [TIME[2022-03-09T12:18:39.000Z]] <https://gramhir.com/media/1907018470302773522>
--
[258]
<https://cdn1.gramhir.com/hosted-by-instagram/q=0exhNuNYnjBcaS3SYdxKjf8R3+JwWgxSZ60STLepjSVmIR1vLHOapZA0mpCj4yRwKwVlASuRYztl4IMpUVtWZFN9OkzaT72OTz1Q56iRVoCg0TVv9Z9inbkxKnYabHCn98crOzjYMTIfQeoEH||bx7a8Koru5A2MGoyX9auctwCIPosCrVrZwxIVt9aOQ0Qa0pYc1KjRE4X8gI1spr5PZpTdMY||rzDc11sfwmFu9KtckG1ODmmHieSVoHaFZNQQLMk6r5x8hToRLjMjA89jyGd5YNfhw7o3Saljd3sY8s1dLvYMti0aNo4Z||2eCssVXZ4ogc8saCYgRTuMHf70W5XmzPQw4ugYqsNvKD4CPKcR||bF7QjtWJPZUrRJACxdU6yEcQmFZsq4BPdKn48SSP4dgAuw>
--
[259]
<https://cdn1.gramhir.com/hosted-by-instagram/q=0exhNuNYnjBcaS3SYdxKjf8R3+JwWgxSZ60STLepjSVmIR1vLHOapZA0mpCj4yRwKwVlASuRYztj5IgpWVVUZFF9P0zaQLGOTD9V6qqeUYCl1DZi9pRmnbs2KHcaYXau9MosOzjYMTIfQeoEH||bx7a8Koru5A2MGoyX9auctwCIPosCrVrZwxIVt9aOQ0Qa0pYc1KjRE4X8gI1spr5PZpTdMY||rzDc11sfwmFuZKtckG1ODmmHjpN24tczZqOCKbrar5xvk2sACwMjA89jyGd5YNfhw7o3Saljd3sY8s1dLvYMti0aNo4Z||2eD82ezpU9UJR3b6etRbLOXqzj2tT2U7||1rmyIv0hsYzPF8WOR43AnxTURpz||UrRJACxdUtnyBgz6Zsq4BPdKn48SSP4dgAuw>
--[33] [CITE[@yoshiy_777 Instagram post (carousel) 古いはがき征露2年とある おそらく消印から明治38年1月ころのもの。😁 . . #古い絵はがき #明治時代 #軍人#戦地写真#デザイン #征露2年#明治三十八年#消印 #軍事#綺麗 #時代もの #かわいい #古い #古いはかき #ビンテージ #レトロ #あんてぃーく #歴史的 #風景 #鉱物ではない #色 #絵 #コレクション#写真好き#景色 #[[明治維新]] #古い切手#カラー#古いもの好き - Gramho.com]]
([TIME[2020-09-08T09:13:52.000Z]])
<https://archive.is/pzaw5>
]REFS]
-*-*-
[38]
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[絵葉書]]に、
「[V[征露二年󠄂九月廿二日]]」
([[楷書]])
とありました。
[SRC[>>34]]
[40]
[[絵葉書]]は[[夏家堡子]]から[[日本国]][[福島県]]に送付されたものでした。
[SRC[>>34]]
[[夏家堡子]]は[[満鮮国境]]の[[内満洲]]側の村で、
現在は[[中華人民共和国]][[遼寧省]]に属します。
[263]
送信者は出征中の[[日本軍]]人でした。
送受信者の[[姓]]が同じなので、家族に宛てたものだったのでしょう。
受信者の元で保管された後、何らかの事情で[[日本国]]内で流通しているものと推測されます。
[REFS[
- [34] [CITE@ja[[[ヤフオク!]] - 満洲絵葉書 戦前 手彩色 満洲の初霜 征露二年九...]]
([TIME[2020-09-08T09:15:34.000Z]])
<https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t746932231>
]REFS]
-*-*-
[223]
[[日本国]][[山形県]]の[[医師]][RUBYB[[[黒羽根洋司]]][[TIME[1947]]-]]が[[平成時代]]に医師会機関誌に寄稿した記事によると、
[[日露戦争]]に従軍した将校の[[日記]]に、
「明治37年(征露元年)」
とありました。
[SRC[>>23]]
[224]
具体的にどこの誰の日記かは不明です。[[黒羽根洋司]]が直接確認したのか、
それとも書籍等からの孫引きなのかも定かではありません。
表記もどれだけ原形を留めているかは疑わしいでしょう。
[REFS[
- [23]
[CITE[山形県医師会会報]] 第691号,
平成21年3月,
[TIME[2013-07-22T12:10:40.000Z]], [TIME[2020-09-08T08:24:46.337Z]]
<http://www.yamagata.med.or.jp/uploads/report/203-83cfea3c9d69ffe87c09e6dda23746bc.pdf#page=21>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[222]
[CITE[征露丸と田中胃酸]],
庄内の[BR[]] 医人たち 第11回,
[[黒羽根洋司]]
]FIGCAPTION]
>ところが、特異な薬臭のため服用され難いこと[BR[]]を危惧した軍当局は、これに戦争名にちなみ「征[BR[]]露丸」と命名する。これが、その名称の起源であ[BR[]]る。当時のこの言葉は特別なものではなく、ほか[BR[]]でも頻繁に使用されていた。日露戦争に従軍した、[BR[]]とある将校の日記には、年号の部分が「明治37年[BR[]](征露元年)」と記されている。そのほかにも『征[BR[]]露画報』『征露軍歌集』『征露図会』『征露戦線』な[BR[]]どの出版物もあったという。したがって、丸薬の[BR[]]名前として征露丸とつけたのは、当時の風潮とし[BR[]]てはごく自然のことともいえよう。士気と愛国心[BR[]]に訴える見事な販売戦術である。
]FIG]
]REFS]
-*-*-
[127]
[[高友三]] ([[高会文]]) は、
[[清国]]の[[内満州]]に居住していた[[清国人]]でした。
[SRC[>>6, >>125]]
[[高友三]]の[[書]]とされるものが、
[[日本]]や[[中華人民共和国]]の[[オークション]][[Webサービス]]等に十数点確認できます。
それ以外の情報は[[Web]]上ではほとんど発見できず、
どんな人物だったかは不明なことばかりです。
[165]
[[高友三]]の[[生没年]]は、
[TIME[西暦1875年][1875]] - [TIME[西暦1911年][1911]]とされます
[SRC[>>140]]。
その出典は不明です。
これに従うと[[日露戦争]]開戦の[TIME[西暦1904年][1904]]時点で[[数え][数え年]]30歳となります。
37歳で死去しました。
;; [148]
[[生没年]]を[TIME[西暦1896年][1896]] - [TIME[西暦1980年][1980]]とする
[SRC[>>144, >>146]]
のは同名の別人です。この生没年だとすると開戦当時[[数え][数え年]]9歳で若すぎます。
芸術家ですが、書家ではなさそうです。
[161]
[[高友三]]の[[書]]とされるものの多く (すべてではない) には[[紀年]]があります。
それらを一覧にすると次のとおりです。
- [137]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[明治甲辰年之冬]]」
[SRC[>>136]]
- [145]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[明治甲辰年[ASIS[□][孟カ]]冬月]]」
[SRC[>>144]]
-
[139]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[明治乙巳年三月]]」
[SRC[>>138]]
- [130]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年乙巳六月書[BR[]]於金州城内]]」
[SRC[>>6, >>128]]
- [152]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年七月]]」
[SRC[>>151]]
- [131]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年乙巳八月]]」
[SRC[>>129]]
- [134]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年乙巳八月]]」
[SRC[>>133]]
- [150]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年八月]]」
(2点とも同紀年)
[SRC[>>149]]
- [143]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年九月]]」
[SRC[>>142]]
- [154]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年九月]]」
[SRC[>>153]]
- [147]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露三年]]」
[SRC[>>146]]
- [160]
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[光緒丁未之夏]]」
[SRC[>>156]]
[162]
[[オークション]]サイトの情報は期限が過ぎると削除されることが多く、
ここに挙げたのは本項を執筆している[TIME[令和4(2022)年][2022]]時点でたまたま発見できたものです
(中には長期掲載されているものもあります)。
従ってこれら以外にもかつて古物市場に流通していたものや一般人が所蔵しているものが少なからず現存していると推測できます。
[163]
現在知られている紀年を整理すると、次の通りです。
- [TIME[西暦1904年甲辰][1904]]: 2点
- [TIME[西暦1905年乙巳][1905]]: 9点
- [TIME[西暦1906年丙午][1906]]: 1点
- [TIME[西暦1907年丁未][1907]]: 1点
[164]
[[日露戦争]]の開戦前の紀年を持つものは未だ確認されていません。
戦時下の2年間は毎月数点のペースで制作されていたと思われますが、
終戦後にまた減少しています。
これが偶然これまでに知られている書がこの時期に集中しているだけなのか
(例えば「征露」の紀年が珍しいためよく保存されていたとか)、
制作理由や創作意欲と戦争が関係しているのか、
検討を要するでしょう。
[167]
これらの最初のものから最後のものまで、[[落款]]には
「[V[清國金州]]」
([[草書]])
と書かれていました
[SRC[>>136, >>156]]。
[[高友三]]の居住地を示すと思われ、
この期間に同じ位置に留まっていたことが知られます。
[[金州]]は[[遼東半島]]の都市[[大連]]の近郊で、
現在は[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[大連市]]に属します。
開戦前は[[ロシア帝国]]の[[関東州租借地]]、
終戦後は[[大日本帝国]]の[[関東州租借地]]に属していたはずです。
「清国」の表記は、
当地が[[清国]]に属する地であるとの[[高友三]]の認識を表しているのでしょう。
「清国」は直後の[[地名]]だけでなく次の[[署名]]にもかかっているとも取れ、
自身は[[清国人]]であるとの認識も暗示しているのでしょう。
なお、
[[高友三]]がどの[[民族]]かは不明ですが、
[[名前]]から[[漢民族]]と推測するべきでしょうか。
[166]
[[紀年]]には[[月]]を伴うものとそうでないものがあります。
[[月]]は[TIME[西暦1904年][1904]]12月から[TIME[西暦1905年][1905]]9月までに亘ります。
これが当時の[[清国人]]が普通に用いていた[[清国暦]] ([[農暦]]) のものなのか、
[[日本]]が用いていた[[グレゴリオ暦]]のものなのかは定かではありません。
戦況からはどちらもあり得そうです。
([[ロシア暦]] [WEAK[(この時代は[[ユリウス暦]])]] の可能性は低いでしょう。)
[168]
[[高友三]]はまず[[日本の元号]]である[[明治]]を使いました。
[[清国人]]と自認していたであろう[[高友三]]が自国の[[正朔を奉じ]]なかったのは、
いかなる理由によったものでしょうか。
[[日本]]側から何らかの圧力があったとも考えられますが、
その場合「征露」のような怪しげな[[私年号]]に切り替えられるものか疑問です。
それよりは[[書]]を[[日本人]]に買ってもらいやすくするためとの実利的な判断の可能性の方が高いかもしれません。
開戦前は[[清の元号]]を使っていたのか、
[[ロシア暦]] [WEAK[(この時代は[[キリスト紀元]])]] を使っていたのか、
気になるところです。
[169]
[[高友三]]は[TIME[西暦1905年][1905]]3月まで[[明治]]を使っていましたが、
6月から[[征露]]を使い始めました。
この時期に[[征露]]を知ったのでしょうか。
周囲の[[日本人]]はみなそれを使っていたのでしょうか。
他の[[清国人]]にもこれを使った者がいたのでしょうか。
[[日本人]]相手に商売するためとの説に従えば、
より[[日本人]]受けの良い[[征露]]を使い始めたとも思われます。
[[ロシア帝国]]を破った[[日本]]に[[アジア人]]として共感したもの
[SRC[>>6, >>125]]
との解釈もあります。
交友関係や思想的背景の記録は残っていないものでしょうか。
[170]
[[明治]]と[[光緒]]は[[元号名干支年表記]]なのに対し、
[[征露]]は[[元号年]]が表記されているのは、
興味深い点です。
[[元号名干支年表記]]はこの時代の[[清国]] [WEAK[(や[[近世]]の[[日本]])]]
では非常によく用いられていましたから、そのこと自体は不思議ではありません。
[WEAK[([[明治]]の[[干支年]]表記は、[[明治改暦]]以後の[[日本]]では下火になっていたので、[[日本語]]文中だとやや不自然に感じられます。)]]
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
しかし[[征露]]年は違った表記にしたのは、なぜでしょうか。
周囲で「征露二年」のように表記されることが多く、それに従ったものでしょうか。
あるいは本来の[[元号]]とは違うという認識があったのでしょうか。
初期のものには[[元号年]]と[[干支年]]が併記され、
後期のものは[[元号年]]だけしか書かれていないのは、
新元号に慣れるまで[[干支年]]がないとわかりにくい、
のような意識か何かがあったのでしょうか。
[171]
[[征露]]は3年まで確認できますが、
その翌年は[[清の元号]]である[[光緒]]に切り替わっています。
現存数が少ないためその切り替わりの時期は不明ですし、
動機も不明です。
[[征露]]の[[私年号]]が3年目には徐々に使われなくなっていたでしょうから、
時勢に従った結果でしょうか。
[[大日本帝国関東州]]の行政や[[日本人]]居住者は[[明治]]を使っていましたが、
[[明治]]ではなく[[光緒]]を採用したのは、
どのような判断によるものでしょうか。
[REFS[
-
[140]
[CITE[[[高會文]]、行書七律]], [TIME[2004-10-21T09:34:53.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:30:50.166Z]] <http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-205.html>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE[日露戦争の中国人烈士 高友三・二行書]],
[TIME[2014-10-07 11:43:08 +09:00]]
<http://syumisen.blogspot.jp/2012/03/blog-post_11.html>
]FIGCAPTION]
> 高友三は、名は会文。中国清代の金州(現遼寧省大連市金州区)の烈士でした。
> 落款の年号の「征露」は日露戦争に勝利した当時つけられた歴史的に特別な年号です。征露二年は1905年にあたります。日露戦争時、旅順をはじめとする厳しい戦いに勝利しヨーロッパ列強の一角を崩した日本に、同じアジア人として強く共感したのでしょう。
> 本作にはそのような高友三の思いが込められている歴史的な作であると同時に、日中友好の証しの一つでもあるのです。
> この作から2月後に書かれた書(下図)が、中国の中貿聖佳拍売2011年春オークションにて35840元(約44万円)で落札されています。高友三の思いは中国人にも共感されているのです。
> 軸装紫檀軸、絖本墨書
> 題詩「大海波明月照営,誰知万里遠征情。孤眠未結還家夢,遙聞中宵喇叭声。」
> 落款「征露二年乙巳六月書於金州城内。清国金州高友三。」、
> 「高会文」白文印、「友三」朱文印、他1印
]FIG]
--
消滅確認 [TIME[2022-03-03T09:07:54.200Z]]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[45] [CITE@ja[日露戦争の中国人烈士 [[高友三]]・二行書 | 須弥山美術ブログ]],
[TIME[2020-02-29T06:22:58.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:24:15.790Z]]
<http://syumisen.blogspot.com/2012/03/blog-post_11.html?view=sidebar>
]FIGCAPTION]
> 高友三は、名は会文。中国清代の金州(現遼寧省大連市金州区)の烈士でした。
> 落款の年号の「征露」は日露戦争に勝利した当時つけられた歴史的に特別な年号です。征露二年は1905年にあたります。日露戦争時、旅順をはじめとする厳しい戦いに勝利しヨーロッパ列強の一角を崩した日本に、同じアジア人として強く共感したのでしょう。
> 本作にはそのような高友三の思いが込められている歴史的な作であると同時に、日中友好の証しの一つでもあるのです。
]FIG]
-- 消滅確認
[TIME[2022-03-10T12:24:02.400Z]]
-
[125]
[CITE@ja[[[日露戦争]]の中国人烈士 高友三・二行書 | 骨董・美術品の高価買取なら北友倶楽部]],
2012年03月11日,
[TIME[2022-03-03T09:08:01.000Z]] <https://www.hokuyu-club.com/blog/1713/>
--
[126]
記事内容と URL に見える日付より、 >>6 と同じもの (移転先) と推測されます。
--
[128]
[CITE[gaoyousan3.JPG (JPEG 画像, 497 × 1580 px)]], [TIME[2021-01-20T09:14:17.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:12:00.809Z]] <https://www.hokuyu-club.com//wp2/wp-content/themes/hokuyu/common/img/blog_img/101/gaoyousan3.JPG>
-- [129] [CITE[gaoyousan4.jpg (JPEG 画像, 458 × 1600 px)]], [TIME[2021-01-20T09:14:25.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:12:12.187Z]] <https://www.hokuyu-club.com//wp2/wp-content/themes/hokuyu/common/img/blog_img/101/gaoyousan4.jpg>
-
[141]
[CITE@en[[[高会文]][清] 行书 七言诗_绍兴2016年春季拍卖会_西泠拍卖_拍品价格_图片_拍卖专场_拍卖会预展_拍卖会结果_卓克拍卖频道]], [TIME[2022-03-03T09:33:41.000Z]] <http://auction.zhuokearts.com/art/29154481.shtml>
--
[142]
[CITE[zc-17833-1283.jpg (JPEG 画像, 344 × 1200 px) — 表示倍率 (51%)]], [TIME[2018-10-19T11:07:50.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:34:17.473Z]] <http://3img.zhuokearts.com/auction.pics/2016/3/31/zc-17833-1283.jpg>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE[[[高会文]][清] 行书 七言诗-中国书画古代作品专场 古籍碑帖专题- 西泠印社拍卖有限公司官方网站(西泠拍卖网)]],
[TIME[2016-05-24 01:38:52 +09:00]]
<http://www.xlysauc.com/auction5_det.php?id=113941&ccid=835&n=1283>
]FIGCAPTION]
> 款识:征露二年九月,清国金州高友三。
]FIG]
-
[135]
[CITE@ja[「掛軸 馬翼伏所望有千里 清国高友三墨跡」1幅 / 光和書房 / 古本、中古本、古書籍の通販は「[[日本の古本屋]]」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2022-03-03T09:25:01.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=306484447>
--
[136]
[CITE[SG520.JPG (JPEG 画像, 1600 × 20848 px)]], [TIME[2020-03-03T10:48:22.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:25:21.005Z]] <http://www.tokyo-wahon.com/photo/db/nihonfuruhonya/W200303/SG520.JPG>
-
[146]
[CITE@zh-CN[【拍卖价格】 [[高友三]](1896~1980) 1179 行书 立轴 水墨纸本 -拍卖价格|市场价格-高清图片-值多少钱 - 艺连网]], [TIME[2022-03-02T10:10:58.000Z]], [TIME[2022-03-03T10:16:11.503Z]] <https://www.artlnk.com/367151.html>
-
[144]
[CITE@ja[ヤフオク! - 【模写】【一灯】pt4953〈[[高友三]]〉書「忠」中国画]], [TIME[2022-03-03T09:36:38.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p847143552>
-
[149]
[CITE@en[高友三 书法单片_高友三 书法单片估价_[[高友三]] 书法单片高清大图_易拍全球上海大众香港同一藏家旧藏书画专题拍品介绍]], [TIME[2022-03-03T10:21:25.000Z]] <https://www.epailive.com/goods/11151877?buriedPoint=zc_01>
-
[151]
[CITE[[[高友三]] 书法 单片-【Deal Price Picture】]], [TIME[2022-03-03T10:23:17.000Z]] <https://www.artfoxlive.com/product/2103858.html>
-
[153]
[CITE[[[高友三]] 书法 立轴-【Deal Price Picture】]], [TIME[2022-03-03T10:24:38.000Z]] <https://www.artfoxlive.com/product/3480537.html>
-
[138]
[CITE[【古】111 清国[[高友三]]筆 書法 肉筆 中国 掛軸 (画心:L135cmW33cm 全体:L192cmW50cm) の落札情報詳細| ヤフオク落札価格情報 オークフリー]], [TIME[2022-03-03T09:27:37.000Z]] <https://aucfree.com/items/h530482679>
- [133]
[CITE@ja[ヤフオク! - [[日露戦争]]の中国人清国烈士 高友三 垂れ幕 1209P4r]], [TIME[2022-03-03T09:23:10.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s558855799>
- [156] [CITE[i-img1200x1200-1643876222zhfvtd333032.jpg (JPEG 画像, 1200 × 1200 px) — 表示倍率 (51%)]], [TIME[2022-03-03T10:30:59.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0302/users/ca6a32d919a489aad6eab3380a4c76a4a9bc0296/i-img1200x1200-1643876222zhfvtd333032.jpg>
-- [155]
[CITE[i-img720x480-1643876185hizyra326890.jpg (JPEG 画像, 720 × 480 px)]], [TIME[2022-03-03T10:29:39.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0302/users/ca6a32d919a489aad6eab3380a4c76a4a9bc0296/i-img720x480-1643876185hizyra326890.jpg>
-- [157] [CITE[i-img720x480-1643876222vacj6p333032.jpg (JPEG 画像, 720 × 480 px)]], [TIME[2022-03-03T10:31:11.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0302/users/ca6a32d919a489aad6eab3380a4c76a4a9bc0296/i-img720x480-1643876222vacj6p333032.jpg>
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-- [159]
[[Google検索]]結果より:
「CS151 清光緒 落款 棉布 墨書 日露戦争「清国金州高友三 二行書」捲り 縦135cm・墨彩二行書捲. 現在44,000円. 入札 -. 残り 3日 · 書道具 中国唐墨 七美人図 御墨古墨 ...」
[TIME[2022-03-03T10:33:03.800Z]]
]REFS]
-*-*-
[243]
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[書]]で、
晩清の書家[[劉聲山]]による[TIME[征露2(1905)年][1905]]のものとされるものがありました。
[SRC[>>28, >>241]]
[244]
[[劉聲山]]がどのような素性の人物か、[[Web検索]]では情報が全くなく不明です。
写真によると[[書]]には[[満洲]]で書いたとあり [SRC[>>242]]、
[[名前]]から[[清国人]]の[[漢民族]]の可能性が高いでしょうか。
[246]
[[日本]]で[[オークション]]に出品されたということは、
[[日露戦争]]に出征した[[日本軍]]人または関係者が[[満洲]]で購入し本国に持ち帰り、
保管されていた可能性が高いでしょうか。
[245]
写真によると[[書]]には
「[V[征露第弐年霜月]]」 ([[草書]])
とありました。
[SRC[>>242]]
[TIME[西暦1905年][1905]]とするのは出品者が通説により推定したと思われます。
[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28] [CITE[落札されました - [[ヤフオク!]]落札相場,落札品検索]]
([TIME[2020-09-08T08:57:23.000Z]])
<http://ochisatsu.com/search/?id=x668593090&202001=1&img=1>
]FIGCAPTION]
> 【宝屋】晩清書家 劉聲山「書」肉筆掛軸★征露2年(1905年)作★中国画・中国美術・中国書法★
]FIG]
-
[241] [CITE@ja[宝屋 晩清書家 劉聲山 書 肉筆掛軸 征露2年 1905年 作 中国画 中国美術 中国書法(掛軸)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-03-09T09:26:34.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/x668593090/>
--
[242]
[CITE[x668593090.1.jpg (JPEG 画像, 1127 × 1200 px)]], [TIME[2020-01-29T05:17:57.000Z]], [TIME[2022-03-09T09:26:50.892Z]] <https://auctions.afimg.jp/x668593090/ya/image/x668593090.1.jpg>
]REFS]
-*-*-
[248]
[[平成時代]]に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[書]]で、
[[孟昭孔]]によるものとされるものがありました。
[SRC[>>29]]
[249]
[[孟昭孔]]は[[清国]]で[[孟子]]の71代子孫を称していたことが、
[[書]]自体に書かれています。
[SRC[>>29]]
[250]
[[書]]には「[V[征露二年秋]]」 ([[草書]]) とありました。
[SRC[>>29, >>247]]
[251]
[[オークション]]出品者は[[日露戦争]]の勝利が[TIME[明治38(1905)年][1905]]なので、
征露2年は[TIME[明治40(1907)年][1907]]に当たると解していました。
[SRC[>>29]]
勝利を以て[[翌年改元]]して第2年とは面白い解釈ですが、
その根拠は何も示されていません。
どこからこの発想に至ったのでしょうか。
通説通り征露2年は[TIME[西暦1905年][1905]]と解して問題ないでしょう。
[253]
なお、
他にも[[孟昭孔]]の[[書]]とされるものがいくつか発見できますが、
「[V[光緒乙巳年八月]]」 ([[草書]], [[中華人民共和国]]の[[オークション]]サイト)
[SRC[>>252]]、
「[V[光緒乙巳年冬]]」 ([[草書]], [[日本]]の[[オークション]]サイト)
[SRC[>>254]]
のように前後の時期に[[清の元号]]の[[光緒]]を使っていたようです。
[[日本人]]向けのものにだけ[[征露]]を使ったのでしょうか。
あるいは終戦前後の短期間だけ使ったのでしょうか。
[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29] [CITE[【中古】中国・清時代・書・孟子71代、孟昭・掛け軸・為書きあり・征露記念・日露戦争・明治40年・真筆保証 の落札情報詳細| [[ヤフオク]]落札価格情報 オークフリー]]
([TIME[2020-09-08T08:58:54.000Z]])
<https://aucfree.com/items/r247782675>
]FIGCAPTION]
>状態は綺麗です。為書きがあります。真筆保証です。
日露戦争で勝利したのが明治38年なので征露2年とあるのは明治40年。
]FIG]
--
[247]
[CITE[r247782675.3.jpg (JPEG 画像, 675 × 1200 px) — 表示倍率 (47%)]], [TIME[2018-06-09T20:37:12.000Z]], [TIME[2022-03-09T09:57:50.292Z]] <https://img.aucfree.com/r247782675.3.jpg>
-
[252]
[CITE@zh-Hans[[[孟昭孔]](清光绪时期文人书家,孟子七十一代孙)光绪乙巳年(1905)行书《自作诗》日俄战争文献史料_孟昭孔_孔夫子旧书网]], [TIME[2022-03-09T10:05:00.000Z]] <https://book.kongfz.com/257223/3324292656/>
-
[254]
[CITE@ja[[[ヤフオク!]] - 天香楼 【真作】孟昭孔 書法 清代光緒年 掛軸 ...]], [TIME[2022-03-09T10:09:04.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u384170251>
]REFS]
-*-*-
[305]
[[日本国]][[山形県]][[上山市]]の[[上山市立図書館]]所蔵[[山田家文書]]中に、
「征露二年夏七月」
と書かれたものがあります。
[SRC[>>47, >>303]]
[306]
その存在は目録 [SRC[>>47, >>303]] により知られます。
[[山田家文書]]は電子化されて公開されていますが [SRC[>>303]]、
個人情報のため非公開のものがあるようで、
その関係なのか本資料も表示されません [SRC[>>304]]。
送受信者と要旨まで公開しておきながら、
いったい誰の何を守ろうとしているのか謎です。
何よりも不可思議なのは、目録によると本資料は
[[CCライセンス]]で自由に利用可能とされている [SRC[>>303]] ことです。
[307]
さて、目録によると本資料は[[山田恒次郎]]に贈られたものであり、
「早坂」の求めで「助市」が撰じたものです。
そしてその内容は[[清国]][[内満洲]]の孟子73代の征露2年の書であるようです。
[SRC[>>47, >>303]]
この各登場人物の関係性が目録だけでは読み取れません。
[308]
「孟子七十三代慶新録」
とある
[SRC[>>47, >>303]]
のは、
[[孟子]]の子孫の73代目を称する人物の自署でしょうか。
「孟慶新」という名または号でしょうか。
[[Web検索]]によると孟子の73代目を称する「孟慶○」型の[[人名]]が少なくても3人おり、
そのうち2人は21世紀の[[中華人民共和国]]ないし[[中華民国]]の人物で、
もう1人は[[日本]]のオークションサイトに書が出品されています。
しかしそのいずれも
「孟慶新」
またはそれに近い[[文字]]ではありません。
[[孟子]]の子孫71代目を称する[[孟昭孔]]
(>>249)
との関係も不明です。
;; [309] どの人物も孟子の子孫の家の当主だとは称していないので、
複数居ても不思議ではないですし、
時代に広がりがあってもおかしくはないですし、
71代目と73代目が同時代に活動していることも不審とは言えませんが。
[310]
目録では本資料の作成が[TIME[1901-08-02]]とされています。
その根拠は不明です。
「征露2年夏7月」以外にその[[日付]]が書かれているのでしょうか。
明治34年時点で「征露2年」を使ったとは考えにくく、
作成後に追記されたと考えられているのでしょうか。
[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47]
[CITE[062073_yamada_family_document]],
[TIME[2022-03-15T12:22:14.800Z]]
<https://www.city.kaminoyama.yamagata.jp/uploaded/attachment/11724.xlsx>
]FIGCAPTION]
>
,*所蔵館 ,*資料番号 ,*分類 ,*分類 ,*資料名 ,*作成者 ,*作成年月日 ,*点数 ,*単位 ,*サイズ ,*記述されている主な内容
,上山市立図書館 ,00005-118 ,山田家文書 ,山田恒次郎(藩政~資料) ,為 山田大人寄書 ,應早坂大人求撰 助市 ,明治34(1901)年8月2日 ,1 ,枚 ,15.6×16.5×0.4 ,「惟有黄花晚節香」 征露二年夏七月亜聖孟子七十三代慶新録 世居奉天省鐵嶺西宋[BR[]]家荒地 と記載されている。
]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[303]
[CITE@ja[山形県[[上山市図書館]]所蔵山田家文書]], [TIME[2022-01-08T00:47:00.000Z]], [TIME[2022-03-15T12:28:38.558Z]] <https://www.kaminoyama-lib.jp/opendata/kaminoyama.html>
]FIGCAPTION]
>
,*画像 ,*資料群名 ,*資料番号 ,*分類 ,*資料名 ,*作成者 ,*作成年月日 ,*西暦 ,*点数 ,*サイズ ,*記述されている主な内容 ,*歴博・khirinへのリンク ,*所蔵機関 ,*ライセンス
, ,山田家文書 ,00005-118 ,山田恒次郎(藩政~資料) ,為 山田大人寄書 ,應早坂大人求撰 助市 ,明治34年8月2日 ,1901 ,1枚 ,15.6 × 16.5 × 0.4 ,「惟有黄花晚節香」 征露二年夏七月亜聖孟子七十三代慶新録 世居奉天省鐵嶺西宋家荒地 と記載されている。 , ,上山市立図書館 ,"[ASIS[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス][[[CC-BY]] 画像, リンク先 4.0]]"
]FIG]
- [304] [CITE@ja[為 山田大人寄書 | [[国立歴史民俗博物館]] khirin a]], [TIME[2022-03-15T12:34:01.000Z]] <https://khirin-a.rekihaku.ac.jp/kaminoyamayamadake/00005-118>
]REFS]
-*-*-
[271]
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[書]]で、
「[V[征露二年又月]]」 ([[行書]])
と書かれたものがありました。
[SRC[>>36]]
[272]
[[落款]]には、[[清国]]の[[進士]]の[[賈杏九]]なる名前がありました。
[SRC[>>36]]
[[Web検索]]では他に情報がなく、どのような人物か不明です。
[273]
[[満洲]]で[[清国人]]が[[日本人]]のために書き、
[[日本国]]内に伝わったものでしょうか。
書かれているのが「[R[凱旋記念]]」 ([[行書]]) であるのは、
[[日本軍]]の[[凱旋]]を指すのでしょうが、
どこからどこへの「凱旋」を意味していたのでしょうか。
[REFS[
-
[36] [CITE[征露二年 凱旋記念 大清 書家 肉筆 まくり 日露戦争 中国人書道家 明治38年 光緖30年 31年 の落札情報詳細| [[ヤフオク]]落札価格情報 オークフリー]]
([TIME[2020-09-08T09:17:29.000Z]])