-
Notifications
You must be signed in to change notification settings - Fork 4
/
883.txt
170 lines (114 loc) · 9.36 KB
/
883.txt
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
44
45
46
47
48
49
50
51
52
53
54
55
56
57
58
59
60
61
62
63
64
65
66
67
68
69
70
71
72
73
74
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
100
101
102
103
104
105
106
107
108
109
110
111
112
113
114
115
116
117
118
119
120
121
122
123
124
125
126
127
128
129
130
131
132
133
134
135
136
137
138
139
140
141
142
143
144
145
146
147
148
149
150
151
152
153
154
155
156
157
158
159
160
161
162
163
164
165
166
167
168
169
170
* 後南朝明応
[SEE[ [[日本南北朝時代の元号]] ]]
[5]
[[応仁の乱]]の頃、
西暦1469年11月に明応と改元したとされます。
[29]
[TIME[応仁3(1469)年4月28日][kyuureki:1469-04-28]] [SRC[>>31]]、
[[東軍]] ([[後土御門天皇]], [[足利義政]][[将軍]])
は[[兵革]]を理由に[[文明]]と[[改元]]しました。
[SRC[>>440]]
[27]
[CITE[經覺私要鈔]]
[TIME[文明元(1469)年5月4日丁亥][kyuureki:1469-05-04]]条
[SRC[>>31, >>440 ([CITE[経覚私要抄]] 応仁3年5月4日条)]]
所引
[CITE[伯書記]]
は、
[TIME[文明元年4月28日][kyuureki:1469-04-28]]に[[文明]]と[[改元]]があったこと、
西方にも[[年号]]があるらしいが文字が「不分明」であることを書いていました。
[SRC[>>31, >>33]]
[30]
[[西軍]]は一時、[[後南朝]]の通称[[西陣南帝]]を擁立していたとされます。
[28]
しかし[[西軍]]の[[山名氏]]は、
応仁3年6月時点では「応仁三年」を使っており、
応仁4年4月までには「文明」を使うようになっています。
[SRC[>>440 ([CITE[[[大日本古文書]] 山内首藤家文書]]所収応仁3年6月10日山名持豊感状、[CITE[離宮八幡宮文書]]所収文明2年4月21日室町幕府奉行人連署奉書)]]
;; [32] 地理的には近くても情報の混乱が大きかったようなので、
意図的に[[応仁]]を使ったのか[[改元]]の連絡がなくて使い続けたのかわかりませんね。
[[延長年号]]も参照。
[REFS[
- [31]
[CITE@ja-JP[[[大日本史料]] 第8編之2]], [[東京大学史料編纂所]], [TIME[大正4][1915]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-11T05:03:52.955Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450584/1/433>
- [33]
[CITE@ja-JP[室町時代の研究]], [[史学地理学同攷会]], [TIME[1923]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-11T05:15:34.138Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918379/1/182> (要登録)
右
- [440] [CITE[[[中世の元号]]]]
]REFS]
[6] [CITE@ja[[[大乗院寺社雑事記]]. 第4巻 尋尊大僧正記 31-50 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[辻善之助]], [TIME[1931-1936][year:1936]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1155190/181>
右下
[7] [CITE@ja[[[西陣南帝]] - Wikipedia]], [TIME[2020-06-06 10:19:17 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%99%A3%E5%8D%97%E5%B8%9D>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[45] [CITE[西陣南帝(後南朝最期の光芒)]]
([TIME[2015-06-06 00:16:27 +09:00]] 版)
<http://www5f.biglobe.ne.jp/syake-assi/newpage1253.html>
]FIGCAPTION]
> 文明元(1469)年11月に
南方蜂起が伝えられた。それによると、その者たちは兄弟で蜂起の
場所は吉野奥と熊野であり、十方に宣言し年号を明応元年として
いるというものであった。その実態については不明であるが、年号を
定めたとの情報も入っていることもあり、これまでにない実態を備えた
蜂起であった可能性が高い。
]FIG]
[8]
[[応仁の乱]]の西軍に迎え入れられ上洛したのに、
西軍の文書で使われた形跡がないということは、
それまでに廃されたのでしょうか。
あるいは後南朝関係者以外の西軍関係者には受けいられれなかったのでしょうか。
[22]
[[勝山記の日時]]
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
>
,*私年号 ,*異説 ,*元年相当公年号(西暦) ,*継続年数 ,*典拠・備考
,(明応) ,- ,文明元年(1469年) ,不明 ,『大乗院寺社雑事記』文明元年11月21日条。後南朝改元の風説。
[1] [CITE@ja[可怜さんはTwitterを使っています 「天川村には南朝発給の綸旨・令旨など13通を伝えるが、同村を調査した宮本常一は『吉野西奥民俗採訪録』(1942年)で他に以下の奇妙な「綸旨」の存在を紹介している。上半分が破損して文意も十分に通らず、綸旨にあるべき奉者の署名も宛所もない。しかも、明応3年は甲寅(1494年)であって干支も一致しない https://t.co/LEpQdXOXp4」 / Twitter]]
([TIME[2020-05-23 21:14:42 +09:00]])
<https://twitter.com/iokhicjnoakn/status/1263117512884932609>
[2] [CITE@ja[可怜さんはTwitterを使っています 「この「綸旨」は、吉野史談会『吉野風土記』第15号(1960年)で「後南朝天皇の綸旨」として紹介され、にわかに注目を集めた(宮本とは若干翻刻が異なり明応6年とする)。「明応」を後南朝の年号と解釈して1472年壬辰に比定した訳だが、後南朝の明応元年は1469年なので、3年でも6年でも整合しないことになる」 / Twitter]]
([TIME[2020-05-24 12:02:43 +09:00]])
<https://twitter.com/iokhicjnoakn/status/1263139337480187904>
[3] [CITE@ja[可怜さんはTwitterを使っています 「「後南朝の綸旨」と紹介した天河社家の井頭孝行は、中村直勝に写真を示し「綸旨に相違ない」と確かめたと述べる。ただ、宮本や井頭が見た「綸旨」の現物は当時既に所在を失っていたらしく、史料集などに収録されたとの話も聞かない。遺っていれば、忠義王文書と並んで検討する価値のある文書のはずだが」 / Twitter]]
([TIME[2020-05-24 12:03:10 +09:00]])
<https://twitter.com/iokhicjnoakn/status/1263156696727183360>
[4] [CITE@ja[可怜さんはTwitterを使っています 「無論偽文書の可能性を排除できないが、天川郷ならば書式の整った立派な綸旨の偽作が可能だったろう。1472年当時、在洛の西陣宮が殊更に天川郷の忠節を嘉する動機はない。「明応」を掲げ吉野・熊野で蜂起した南主兄弟の発した「綸旨」と仮定すれば、彼らは西陣宮とは別系統の後南朝勢力だったとみられる」 / Twitter]]
([TIME[2020-05-24 12:03:21 +09:00]])
<https://twitter.com/iokhicjnoakn/status/1263501675483951104>
[11] [CITE@ja[〈国史研究〉応仁・文明の乱における旧南朝(後南朝)皇族の動向 - 台湾建国応援団]], [TIME[2023-01-24T10:26:18.000Z]] <http://ilha-formosa.org/?p=33267>
[12] [CITE[舞!組曲 <日本! 115 南朝( 義仁王、義有王、尊雅王、信雅王 )>]], [TIME[2023-01-24T10:27:09.000Z]] <http://www.photoland-aris.com/myanmar/near/n115/>
[14] [CITE[【新田楠木】後南朝スレ★4【西陣南帝】]], [TIME[2019-11-04T16:40:24.000Z]], [TIME[2023-01-24T11:53:28.762Z]] <http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1549373880>
[15] [CITE[後醍醐天皇]], [TIME[2011-06-23T11:34:11.000Z]], [TIME[2023-01-24T11:54:01.275Z]] <http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html>
[16] [CITE[闇の歴史、後南朝: 後醍醐流の抵抗と終焉 - 森茂暁 - Google ブックス]], [TIME[2023-01-24T11:54:53.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=jA-0i5qTjyYC&pg=PA234&lpg=PA234#v=onepage&q&f=false>
* 日本政府明応
[131] [[Wikipedia]] は延徳4年7月19日
([[ユリウス暦]]1492年8月12日) を[[改元日]]としています。
「ただし室町幕府は改元吉書始を7月28日(8月21日)に行い、この日から新元号を採用している。」
ともあります。
[9]
[[後南朝]]の[[明応]]が噂になっていたのに、
それが[[公年号]]として採用されてしまったのは、
この頃には既に忘れられていたのでしょうか。
それとも取るに足らないとされたのでしょうか。
[23]
噂の記録が残るのは[[奈良]]。[[京都]]の元号考案者らは知らなかったのですかね。
[19] [CITE@ja-JP[千葉県史料 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T07:38:09.757Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/248> (要登録)
左下
[20] >>19
癸丑年とだけありますが、
目次によると明応2年癸丑と推測されています。
[21] 前後の同地域、同時代の文書と比較すると、なぜかこれ1通だけ[[干支年]]で浮いています。
[25]
[CITE@ja-JP[信濃史料 第9巻 (応仁2年正月-明応2年11月)]], [[信濃史料刊行会]], [TIME[1957]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-07T12:46:05.772Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3013099/1/288> (要登録)
[26] >>25 延徳4年壬子12月15日、16日を訂正して明応元年。いつ訂正されたのかはわからないが、
[[改元伝達]]タイミングがこの頃だったということか。
** 1年ずれ
[24] [[勝山記の日時]]
* 明悳
[SEE[ [[明徳]] ]]
* メモ
[13] [CITE@ja[明応 - Wikipedia]], [TIME[2023-01-10T11:50:57.000Z]], [TIME[2023-01-24T11:50:59.936Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%BF%9C>
[17] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:24:44.226Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/317> (要登録)
[[遡及年号]]
[18] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:26:15.045Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/320> (要登録)
干支ずれ