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996
997
998
999
1000
[23]
[[改元]]にはいろいろな手続があり、
[DFN[元号の選定]]にはいくつかの基準があります。
[2] [SEE[ 元号一般については[[元号]] ]]
[SEE[ 改元の概観とその実施に伴う様々な事項については[[改元]] ]]
* 元号の制定や選択の権限
[1045]
[[元号]]制度は、国家権力などが新たな[[元号]]を制定し、
移行を繰り返していくことで運用されるものです。
[256] [[元号]]を改めることを[[改元]]といいます。
[SEE[ [[改元]] ]]
[SEE[ 境界の日時の処理、境界を超えた旧元号の扱いなどについては[[改元期日]] ]]
[182] [[元号]]制度内部での通常の[[改元]]の他に、
終了していた元号の再開、
[[元年]]以外の途中年からの開始、
[[元号]]以外の[[紀年法]]への移行のような特殊事情が発生することもあります。
[SEE[ [[改元]] ]]
** 元号制定権
[278] 歴史的には、独立した権力を有する[[東洋]]の各国がそれぞれの[[元号]]を定め、
その領域で並行して使われていました。[[元号]]の制定権は独立した国家権力の象徴であり、
[[元号]]を使うことはその政府を支持する(勢力下にある)ことを意味していました。
[279] 政府が分裂したり、弱体化したりすると、国内でも複数の[[元号]]が使われることがありました。
[EG[
[50] [[日本]]の[[南北朝時代]]には、
[[南朝]]と[[北朝]]がそれぞれの[[元号]]を定めて使っていました。
]EG]
[368] [[日本]]では、[[元号]]は[[天皇]]により定められています。
ただし実際の[[改元]]の判断や新[[元号]]の決定の過程には、
[[幕府]]等その時々の政権が介入しています。
現在は[[国会]]の議決により成立した[[元号法]]に基づき、
[[内閣]]が[[政令]]で定めることになっています。
[[政令]]の[[公布]]は[[天皇の国事行為]]なので、
[[改元手続き]]の最終段階を[[天皇]]が担う制度は[[日本の歴史]]を通じて一貫しています。
[SEE[ [[日本の元号]] ]]
[88]
[[第二次世界大戦]]の[[終戦]]後に[[日本]]の国政に介入した [[GHQ]]
は、
[[改元]]に関する新しい[[法律]]の制定を妨害することで、
[[日本政府]]から[[元号]]制定権を奪おうとしました。
しかしその数十年後、国民的な議論を経て
[CITE[元号法]]が制定され、
[[日本]]が[[独立国]]として[[改元]]権を有することが再度明らかにされました。
[SEE[ [[昭和時代の日時]]、[CITE[元号法]] ]]
[386] [[中国]]の[[属国]]だった[[朝鮮]]は、歴史上のほとんどの期間、
独自の[[元号]]を定めることができませんでした。
というのも[[新羅]]の時代、独自の[[元号]]を用いていたことを[[宗主国]]の[[唐]]に咎められ、
それ以後[[支那の元号]]を用いなければなりませんでした。
[[下関条約]]で独立が承認され、
ようやく[[元号の制定権を得ました][建元]]。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]
[51]
日中両属だった[[琉球王国]]は、[[中国の元号]]を主として使っていました。
[[琉球藩]]時代には[[日本政府]]から[[日本の元号]]だけを使うように要求されながらも拒んでいました。
[[沖縄県]]時代にようやく[[日本の元号]]となりました。
[[米国統治時代][米領琉球]]には[[米軍]]から[[西暦]]の利用を強制されましたが、
日本復帰に伴い再び[[日本の元号]]が使えるようになりました。
[SEE[ [[琉球の元号]] ]]
[91]
[[遼]] ([[契丹]]) の[[保護国]]だった[[北漢]]は、
建国当初旧王朝の[[元号]]「[[乾祐]]」を使い続けましたが、
[TIME[西暦957年][year:957]]に「[[天会]]」に[[改元]]しました。
[[遼]]の[[皇帝]]はこれを批判する書類を送付しました
[SRC[>>40 普及版 p.205 ([CITE[長編]]巻四乾徳元年閏十二月丙子条)]]。
ただし了承を得なかったことで非難されましたが、
独自[[元号]]については問題ではなかったのだろうとされています
[SRC[>>40 普及版 p.205 (>>92 PDF p.11)]]。
*** 王公による建元
[114]
[[漢]]以来[[建元]] ([[改元]]) は[[皇帝]]が実施していました。
[115]
[[三国時代]]初期の[TIME[魏黄初3(222)年][year:0222]]10月、
[[呉'''王''']]の[[孫権]]は、
[[改元]]して[TIME[黄武元年][year:0222]]としました。
[WEAK[([[皇帝]]即位は[TIME[黄武8(229)年][year:0229]]で、[[改元]]して[TIME[黄龍元年][year:0229]]。)]]
[[王]]位で最初の[[建元]]とみられます。
[116]
[[五胡十六国]]時代最初の
[TIME[304年][year:0304]]10月、
[[漢'''王''']]の[[劉淵]]は、
[[建元]]して[TIME[元熙元年][year:0304]]としました。
[WEAK[([[皇帝]]即位は[TIME[元熙5(308)年][year:0308]]で、[[改元]]して[TIME[永鳳元年][year:0308]]。[[北漢]]。その後[[国号]]を改め[[前趙]]。)]]
[[劉淵]]は[[匈奴]]であり、
非[[漢民族]]王朝の[[元号]]の最初の[[建元]]とみられます。
[[王]]位での[[建元]]の初例とされることもあります [SRC[>>118]]。
[119]
[TIME[趙王10(328)年][year:0328]]2月、
[[後趙]]の[[石勒]]は、
[[趙'''天王''']]を称すとともに、
[TIME[太和元年][year:0328]]と[[建元]]しました。
[WEAK[([[皇帝]]即位は[TIME[太和2(329)年][year:0329]]。)]]
[[天王]]位での[[建元]]の初例とみられます。
[121]
[[北涼]]の前段階に当たる政権の
[[使持節]]・[[大都督]]・[[龍驤大將軍]]・[[涼州牧]]・[[建康'''公''']]の[[段業]]は、
[TIME[397年][year:397]]に[TIME[神璽元年][year:397]]と[[建元]]しました。
[SRC[>>118]]
[120]
[[西涼]]の[[護羌校尉]]・[[秦涼二州牧]]・[[涼'''公''']]の[[李暠]]は、
[TIME[西暦400年庚子][year:400]]、
[TIME[庚子元年][year:400]]と[[建元]]しました。
李は、
[[東晋]]中央政府に対して[[建元]]の理由を説明しました
[SRC[>>118 ([CITE[晋書]]巻87, p.2261)]]。
それによると、
地理的に離れていることもあって[[東晋]]の統治が及んでいなかったが、
日付制度は必要だったため地方政権でありながら[[建元]]したものであり、
周辺の異民族国家と違って[[漢民族]]国家であるために[[元号]]が必要と認識されていたようです。
[REFS[
- [117] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [118] 3 [CITE[東アジアにおける四~六世紀の「治天下大王」と年号]],
[[甘懐真]],
pp.265-284
]REFS]
** 元号の並立と選択
[82] 元号の制定が独立国の有する権限であるということは、
その実施、つまり国民が国家の元号を利用することが統治の行き届いていることを表しています。
[84] これが顕著にみえるのが戦乱の時代で、
例えば[[支那]]の[[三国時代]]や[[五胡十六国時代]]には勢力の独立の度合いをはかることができますし、
[[日本]]の[[南北朝時代]]には[[南朝]]と[[北朝]]の[[元号]]の切り替え時期によりいつ誰がどちらの勢力に属していたかを知ることができます。
また[[幕末]]に日本各地で[[私年号]]や[[延長年号]]が残されていることで、
中央政府の統治能力が低下していたことを確認できます。
[SEE[ [[日本の元号]]、[[幕末維新期の日時]] ]]
[113]
[[現代日本]]でも、
[[日本政府]]に反対する思想を持つ人は、
[[日本の元号]]の利用を拒否したり、
排斥したりしています。
あるいは独自の[[紀年法]]を使う人もごく少数ですが、確認されています。
[SEE[ [[現代日本の紀年法]]、[[日本の私年号]] ]]
[306] このように[DFN[[[元号]]の選択]]は[[政治的]]で[[宗教的]]な行為であったりします。
しかしこれは実は[[暦法]]全般に言えることでもあります。
[SEE[ [[暦]]、[[日時のプライバシー]] ]]
[234] 元号の分裂にはいくつかのパターンがあるようです。
- [281] 分裂した政府や新たに建国した政府が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [282] 中央政府の[[改元]]に地方勢力が従わず、旧[[元号]]が継続される
- [284] 勢力統合による[[元号]]の廃止に一部勢力が従わず、廃止[[元号]]が継続される
- [283] 中央政府の支配が弱まり、地方勢力が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [558] 中央政府の支配が弱まり、民衆の間で新しい[[元号]]が広まる
- [557] [[新興宗教]]が[[独自の元号を制定][建元]]する
[550] 属国が宗主国の[[元号]]を用いるようなケースを別にすると、
外交や貿易を除き、他国の[[元号]]を使うことは基本的にありません。
[52] 基本的には自国の[[元号]]を使い、
[[私年号]]も利用者は国内の一部住民にとどまっていたとすると、
世界的に見れば[[元号]]が複数使われていたとしても、
それらが併記されることは多くありません。
例外的には次のような事例があります。
- [53] 歴史の記述で、関係する当時の元号をいくつか併記する場合。
(例えば[[日本]]の[[南北朝時代]]で両朝元号を併記したり、
日支関係の話題で両国元号を併記したりする場合。)
- [123]
外交文書で当事者相互の[[元号]]を併記した場合。
- [89]
[[外交官]]、[[商人]]、[[留学生]]、
その他の[[外人]]が本国の[[紀年法]]と居住地の[[紀年法]]を併記する場合。
- [54] [[日本人]]が多かった[[満州国]]で、
[[満州の元号]]と[[日本の元号]]を便宜上併記した場合。
- [81] [[カレンダー]]や[[新聞]]などの日付欄で周辺諸国の[[元号]]を便宜上併記した場合。
- [122]
新興宗教の信者が宗教の[[紀年法]]と居住地の[[元号]]や[[西暦]]を併記する場合。
-*-*-
[129]
[[日本]]の僧侶で[[唐]]に留学した[[最澄]]が書き[[唐]]の役人に提示した入唐牒には、
「貞元卄一年二月 日日本國僧㝡澄」
とありました [SRC[>>130]]。
[TIME[唐貞元21年は西暦805年、日本延暦24年][year:805]]です。
[NOTE[
- 卄 は <http://glyphwiki.org/wiki/u5efe-itaiji-002> に近い4画の字形
- 年 は <https://glyphwiki.org/wiki/zihai-018927> に近い、
点の向きは <https://glyphwiki.org/wiki/u5e74-var-002> の字形
- 國は
<https://glyphwiki.org/wiki/zihai-043405> とみられる字形
]NOTE]
[74]
[[日本]]の[[征夷大将軍]]の[[足利義満]]が[[明]]の[[建文帝]]に送った国書では、
「応永八年五月一三日」と[[日本の元号]]が使われました。
その後[[靖難の変]]の結果が不確かなときに送られた国書は、
[[建文帝]]宛の「建文」元号と[[永楽帝]]宛の「永楽」元号の2種が用意されました。
[SRC[>>75]]
[110]
[[江戸時代]]初期の[[李氏朝鮮]]に対する[[日本]]の[[江戸幕府]]の[[元号]]の使用については、
[[ロナルドトビ]]の研究があります。
[SRC[>>108]]
[111]
[[日本]]の[[江戸幕府]]は、[[李氏朝鮮]]に対して次のような[[日付]]を用いました。
[SRC[>>108 ([CITE[通航一覧]], [[林復斎]]ほか, [TIME[嘉永3(1850)年][year:1850]])]]
- 龍輯丁巳秋九月日 日本国源秀忠
- 龍集甲子冬十ニ月日 日本国源家光
- 寛永二十年八月三日 日本国源監国
- 明暦元年乙未十月日 日本国源家綱
- 正徳辛卯十一月日 日本国王源家宣
- 亨保四年己亥月日 日本国源吉宗
- 延享五年戊辰六月日 日本国源家重
[112]
[[李氏朝鮮]]から[[日本]]の[[江戸幕府]]に対しては[[干支年]]が用いられていました。
[SRC[>>108 ([CITE[通航一覧]] ([CITE[異本朝鮮物語]]))]]
[SEE[ 近現代の欧米との交流や日支日朝関係での紀年法選択については、[[幕末維新期の日時]]、[[南西諸島の日時]]、[[李氏朝鮮の日時]]、[[現代日本の紀年法]] ]]
[REFS[
- [130]
[CITE[[[解説字体辞典]]]], 普及版 p.345
- [75] [CITE[足利義満「建文」年国書事件の真相]],
[[関周一]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月号][2008-01]] 特集 日本の年号,
pp. 96-101
- [92] [CITE@ja[冊封する皇帝と冊封される皇帝 : 契丹(遼)皇帝と北漢皇帝の事例から]],
[[毛利英介]], [TIME[2013年4月1日][2013-04-01]]
([TIME[2018-09-07 10:50:23 +09:00]]) <https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/7897>
- [109] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [108] 4 [CITE[近世日本における一世一元論]],
[[大川真]],
pp. 393-409
-- [124] 5 [CITE[難陳―朝廷における改元議論の実態―]],
[[水上雅晴]],
pp. 521-544
]REFS]
** 私年号
[280] 政府が制定したとされる[[元号]]を[DFN[公年号]]といいます。
それ以外の[[元号]]を[DFN[異年号]]といいます。
[[異年号]]の中でも特に[[公年号]]と関係なく実用されたとみられるものを[DFN[私年号]]といいます。
-*-*-
[90] 安定した政権の[[元号]]であれば制定の記録が残されていることが多く、
正しい表記も明らかです。
しかしそれ以外にも制定者の明らかではない[[元号]]や、
短命政権や反乱軍が使った[[元号]]、
[[公年号]]の表記のバリエーションらしき[[元号]]、
実用目的ではない[[スローガン的元号]]や[[架空の元号]]などが存在しています。
こうしたものの総称が[[異年号]]であり、
その中でも特に ([[公年号]]のバリエーションや非実用ではなく)
私的に実用されたとみられるものが[[私年号]]です。
[68]
[[私年号]]と同義または類義の用語に[[異年号]]、
[[逸年号]]、[[偽年号]]、
[[僭年号]]、
[[古代年号]]、
[[九州年号]]といったものがありました。
これらの用語は[[中世]]以来の[[日本の私年号]]の研究の中で、
ときに主観的、思想的、政治的な判断とともに、
ときに[[古代年号]]と[[日本中世の私年号]]を一緒くたにし、
ときに制定・利用者について特定の学説と結び付いて使われてきました。
それぞれの語によって表される範囲にもばらつきがありました。
[65]
そのなかで、[[日本の私年号]]研究を大成した
[CITE[日本私年号の研究]]
によって[[公年号]]に対する各種の[[異年号]] ([[私年号]]、[[古代年号]]など)
という整理がなされました。
[SEE[ [[日本の私年号]] ]]
以後学術的には[[私年号]]の語が定着しました [SRC[>>93, >>96, >>60]]。
ただ一般の解説などは[[私年号]]を中心としつつも依然として他の用語を並列に示したり、
不明瞭な定義にとどまっていたりします。
[EG[
[95]
例えば[[公年号]]のバリエーションであって[[異年号]]だとしても[[私年号]]とはいえない
([[私年号]]の例には適切ではない) [[白鳳]]を[[私年号]]の代表例に挙げるものがあります。
[[偽年号]]と呼ばれることがあるためか学界から無視されているという根拠のない陰謀論につなげたりするものもあります。
]EG]
[93] [[日本の元号]]研究の権威である[[所功]]らの[CITE[日本年号史大事典]]は、
「異年号 (私年号・偽年号・逸年号)」
を民間で私的に作られた[[年号]]であり、
久保の[CITE[日本私年号の研究]]以来「私年号」という呼称が一般的になったようだ、
としました。以後本文では「私年号」の語を使いました。
[SRC[>>40 普及版 p.338]]
[94] 一方で[[所功]]らのより新しい著書
[CITE[元号―年号から読み解く日本史―]]
は、
[[法興]]を[[私年号]]と紹介する一方で、
「私的であれ該当時期にあったとは認め難い、
かなり後代に作られたとみられるもの」
を[[異年号]]や[[偽年号]]といい、
一部で[[古代年号]]や[[九州年号]]と呼ばれている
[SRC[>>83 p.53]]
としました。
この間[[異年号]]研究にこれといった進展はなく、
なぜ異なる説明となったのか不明です。
[98]
歴史研究者の[[前川清一]]は、
[[私年号]]を
- [99] 一、その時代に使用されたものでなく、後世の偽作によるもので、いわゆる架空の年号
- [100] 二、その当時に於いて、公年号が存在しているのもかかわらず創作、使用されたもの
... に大別しました。 [SRC[>>60]]
前者は[[古代年号]]の類であって、後者は狭義の[[私年号]]に当たるものです。
[102] 更にこの2分類に
- [101] 誤記・誤読によって、一見元号と異なる年号のようにみえるに過ぎない例
... を補い、それが時間経過により一に、
空間的伝播により二が生じたのではないかとする指摘もあります [SRC[>>60]]。
ただこれは成立要因の分析であって、分類の1つとするには適さないかもしれません。
[SEE[ [[日本の中世私年号]] ]]
[103]
[CITE[新版元号事典]]は、
[[私年号]]の[[建元]]事由としてよくいわれるものの他に、
四「曽祖父が生きていた○年頃、祖父の時代の第○年目」という呼び方が固有化したもの、
を挙げました。 [SRC[>>60]]
具体例は不明で、古い時代でこの類型に当たる事例があるのかわかりませんが、
近年では[[戦後][戦後 (紀年法)]]や[[命知]]などが該当するでしょうか。
[[元号]]の定義に関わる境界的現象といえます。
[SEE[ [[元号]] ]]
[125]
[TIME[平成31年][year:2019]]の元号に関する論文で、
「中国内の正統王朝以外が非公式の独自年号、
すなわち「偽号」を用いることがあったが、
偽号、別の表現を用いれば「私年号」は [SNIP[]]」
と書いているものがあります [SRC[>>124]]。
-*-*-
[66]
大陸の[[私年号]]とされるもののほとんどは、
短命政権や反乱軍などの正統王朝とみなされない政府によって制定されたとされています。
[67]
一方で[[日本の私年号]]のほとんどには反政府的要素は見られず、
戦乱などのための社会的混乱や[[改元デマ]]から広まったものとみられています。
[SEE[ [[日本の私年号]] ]]
[639]
[[元号]]を[[公年号]]とするか[[私年号]]とするかには、
政治的な判断も含まれてくることがあります。
複数政権が並立した時、その当時あるいは少し後の時代には一方が他方を偽の元号と扱うことがあります。
短命の反乱軍の[[元号]]などはそうした経緯から[[私年号]]に分類されるのかもしれません。
しかし現在の[[日本政府]]の数える[[日本の元号]]の数に[[北朝]]も[[南朝]]も含まれるように、
和解や時の経過によりどちらも正統な[[公年号]]と扱われる場合もあります。
[97]
[[南朝]]の[[元号]]が[[公年号]]として扱われる一方で、
[[後南朝]]の[[元号]]は[[私年号]]として扱われます。
これを短命の反乱軍の[[元号]]で[[私年号]]と矮小評価している、
と批判することもできますが、
実のところ[[後南朝]]の[[元号]]の記録は二次資料しか見つかっておらず、
制定や実用の様子がはっきりしないようです。 ([SEE[ [[日本の元号]] ]])
同様に[[奥羽越列藩同盟]]の[[元号]]も確実な資料がないため[[私年号]]として扱われています。
([SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]])
敗者の史料は残りにくいという事情もあります。
敗者の「名誉回復」を望むなら、
陰謀論で非難するのではなく、
歴史学的検証を進めなければなりません。
[551] 近年の[[新興宗教]]の中には、国を越えて信者が広がっており、
かつ独自に[[紀年法]]を用いるものも見られます。
そうした[[紀年法]]は、国をまたがって使われる[[元号]]と言える場合もあるかもしれません。
[SEE[ [[統一教会暦]] ]]
[FIG(short list)[ [85] [[異年号]]
- [[私年号]]
-- [[日本の私年号]]
--- [[日本中世の私年号]]
-- [[朝鮮半島の私年号]]
-- [[支那の私年号]]
- [[古代年号]]
- [[改元デマ]]
- [[スローガン的元号]]
- [[架空の元号]]
]FIG]
[REFS[
- [96]
[CITE[「私年号」とは何か]],
[[小山田和夫]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp.114-122
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
- [233] [CITE[日本の私年号]]
<http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
- [232] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
-- 消滅確認 [TIME[2019-05-26T09:35:09.000Z]]
-- [6301] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2019-05-26 18:35:44 +09:00]]) <https://web.archive.org/web/20031210085657/http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
-- [56] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]]) <http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi12.html>
-[60]
[CITE[「亀光元年」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>
]REFS]
* 手続き
[72]
[[日本]]では[[大宝]]、[[慶雲]]の頃から[[改元]]の行事が制度化したとみられています。
[SRC[>>71]]
[76]
[[幕末]]までの[[改元]]では、
[[年号勘者]]を定めて案を提出させ、
[[公卿]]の[[難陳]] (審議) を踏まえ[[天皇]]が[[詔書]]で[[公布]]していました。
[SRC[>>73]]
[39]
[[朝廷]]内で様々な案を出して絞り込み最終的に[[天皇]]が決定する方法が[[平安時代]]から[[江戸時代]]まで一貫して採られていました。
最終案を[[天皇]]が承認することもあれば、
数案提出させて[[天皇]]が選ぶこともありました。
[SRC[>>40 p.25-53]]
[47]
[[改元]]があると、
[[朝廷]]では[[政始]]の儀が行われ新元号が通達されました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[77]
[[摂関家]]、
[[上皇]]、
[[幕府]]といったその時々の権力者たちも、
[[改元]]や[[元号の選定]]に介入しました。
[[朝廷]]の正式な手続きは[[幕末]]まで続きましたが、
採用案が内定している形骸化した選定手続きも多かったようです。
[SRC[>>40 p.25-53]]
(c.f. >>55)
[61] 特に[[江戸時代]]には、
[[江戸幕府]]が[[改元]]の実施や新元号の決定の実質的な決定権を有していたとみられています。
[78]
[[朝廷]]での[[改元手続き]]に関する文書は
[CITE[続群書類従]]公事部や[CITE[古事類苑]]歳時部に多数収録されています。
[[江戸時代]]初期の[[江戸幕府]]の[[改元]]政策については[[林春斎]]の
[CITE[改元物語]]
に記録されています。
[SRC[>>40 普及版 p.25-53]]
[41]
[[明治]]改元では、
形骸化していた従来の手続きが廃され、
候補案から[[明治天皇]]が籤で選びました。
[79]
[[大正]]と[[昭和]]の[[改元]]では、旧[[皇室典範]]に基づき[[践祚]]時に[[枢密院]]に[[諮詢]]し、
[[天皇]]が勘定して[[勅令]]として[[公布]]していました。
[80]
[[平成改元]]以後、
[[元号法]]に基づき[[内閣]]が選定し、
[[天皇]]が[[政令]]として[[公布]]しています。
[106]
[[所功]]は、
[TIME[平成31年][year:2019]]出版の書籍で、
「年号文字は、どのようにして選ばれ定められたのか。
中国のことは、寡聞にして今のところ明らかでない」
[SRC[>>105]]
しました。
[[日本]]以外の[[元号の選定]]手続きの詳細は研究が進んでいないようです。
[REFS[
- [40] [CITE[日本年号史大事典]]
- [70] [CITE@ja[改元(カイゲン)とは - コトバンク]] ([[デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及]]著, [TIME[2019-03-02 18:18:40 +09:00]]) <https://kotobank.jp/word/%E6%94%B9%E5%85%83-457152>
-- [71] [CITE[世界大百科事典]] 第2版
-- [73] [CITE[日本大百科全書(ニッポニカ)]]
- [104] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [105] [CSECTION[総論―日本年号の来歴と特色―]],
[[所功]],
pp.1-50
]REFS]
** 発表
@@
[19]
[[平成]]の発表は[[官房長官]]の[[記者会見]]で行われました。
[SEE[ [[平成改元]] ]]
[18]
[[令和]]の発表は[[官房長官]]と[[内閣総理大臣]]の[[記者会見]]で行われました。
[[手話]]で同時通訳されました。
[[英語]]同時通訳もあったとする説もあります。
[[テレビ]]や[[インターネット]]で[[生配信]]されました。
[SEE[ [[令和改元]] ]]
** 伝達
[SEE[ [[改元時期]] ]]
[45]
[[律令制]]下では[[朝廷]]から[[国衙]]を介して各地に通達されていました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[69]
[[平安京]]の役所は[[覆奏]]より前から新元号を使っていました。
諸国は[[太政官符]]が到着してから新元号を使いました。
[SRC[>>83 pp.118-119 ([CITE[江家次第]])]]
[42]
[[菅原道真]]は、
[[讃岐国]]や[[太宰府]]で[[寛平]]や[[延喜]]の[[改元]]の詔書を受け取ったことについての詩を残しました。
当時中央から地方への[[改元]]の伝達が確かに行われていたことを伝えています。
[SRC[>>40 普及版 p.185]]
-*-*-
[46]
[[鎌倉時代]]半ば頃から、
[[六波羅探題]]から[[鎌倉幕府]]に通達されるようになりました。
[[鎌倉幕府]]は[[政所]]で[[吉書始]]の儀を行いました。
おそらく[[守護]]や[[寺社]]を介して各地に通達されました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[43]
[CITE[吾妻鏡]]にある[[京都]]の[[六波羅探題]]から[[鎌倉]]への[[改元]]の詔書の伝達記事などから、
[[改元日]]から[[鎌倉]]まで約10日、
そこから一般で通用するまで約1ヶ月かかったとされています。
[SRC[>>40 普及版 p.395 (千々和到 1995、峰岸純夫 1979)]]
(c.f. >>55。>>40 の各元号の項にも[CITE[吾妻鏡]]の伝達記事の日付の記載あり。)
[44]
[[鎌倉時代]]の[[九州]]の文書 5507通の分析から、
改元後約2ヶ月で[[九州]]全域に新元号が広がったことが確認されています。
[SRC[>>40 普及版 p.395 (瀬野精一郎 1968)]]
[[文永の役]]の蒙古襲来が[[博多]]から[[京都]]まで約12日で伝わったのと比較すると、
かなりの速度で広がっており地域社会も[[改元]]に敏感だった
[SRC[>>40 普及版 p.395]]
と評されています。
[48]
[[室町幕府]]も[[鎌倉府]]へ通達を行っており、
[[鎌倉時代]]同様に伝達されたと考えられています。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[49]
一方[[南朝]]は[[綸旨]]により直接諸国に伝達しました。
[SRC[>>40 普及版 p.415 (峰岸純夫 1979、千々和到 1990)]]
[86]
中世の庶民に[[改元]]がどう伝わったかは十分明らかではありません。
[[鎌倉時代]]以後東国などの[[板碑]]に[[元号年]]が記されていることから、
ある程度普及していたことはわかっています。
[SRC[>>83 pp.130-131]]
[87]
[CITE[[[紀伊国阿弖河荘百姓訴状]]]]
には
「ケンチカン子ン十月廿八日」
とあり (4月25日[[改元]])
[SRC[>>83 pp.130-131]]、
[[農民]]も[[元号]]を使うことができ、しかも[[改元]]が数ヶ月以内に伝わっていたことがうかがえます。
-*-*-
[57]
[[江戸時代]]、
[[朝廷]]では[[改元]]の日から新元号が用いられましたが、
[[京都]]町内では[[幕府]]からの通達があってから用いられたため、
平均で10日ほどかかっていました。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[58]
[[朝廷]]が[[改元]]すると、
[[京都所司代]]を通じて[[江戸幕府]]に伝達されました。
[[江戸幕府]]は諸[[大名]]を[[江戸城]]に集め、これを披露しました。
[[幕府]]の正式な[[改元日]]は披露の日とされ、
全国にもこの日が伝えられました。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[59]
[[藩]]によっては、
[[家臣]]を集めて[[改元]]を披露しました。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
[60]
[[松前]]、[[対馬]]、[[薩摩]]なども含め、
全国に1ヶ月から2ヶ月程度で新元号が伝達されました。
[[伊豆大島]]に4ヶ月後に伝達されたというのが現在確認された最も遅い事例です。
全国各地にかなりのスピードで伝達されたと評されています。
[SRC[>>40 普及版 p.543]]
;; [107]
一方で[[大正]]や[[昭和]]の[[改元]]が[[伊豆諸島]]の[[青ヶ島]]に伝わるまで
1年近くかかったとされています。
[SEE[ [[延長年号]] ]]
離島で記録が残っていない、より伝達に時間がかかったケースはありそうです。
[62]
[[農村]]に対しても、
少なくとも[[名主]]や[[庄屋]]などには確実に伝えられたようです。
古文書では[[干支年]]もみられますが、
[[借用書]]など証文類では[[元号年]]のことが多く、
[[過去帳]]や[[石碑]]では[[干支年]]よりもむしろ[[元号年]]の場合が多いです。
争論の経緯の文書でも[[元号年]]が使われる例があります。
[SRC[>>40 普及版 p.579]]
[63]
あるいは[[暦本]]にも[[元号]]が明記され、各地に頒布されました。
従って[[農村]]でもほとんどの人が[[元号]]を知っていたと考えられています。
[SRC[>>40 普及版 p.579]]
[64]
[[江戸]]では、(正式な伝達経路以外に)
[[改元]]直後に新元号を紙に書いて売り歩く者がいました
([SEE[ [[改元]] ]])。
[[改元]]直前に[[偽の新元号が流布][改元デマ]]されたことも何度か記録されています。
正式発表前にも[[改元]]情報がある程度出回っていたのでしょうか。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]
[REFS[
- [55] [CITE@ja[元号と武家]],
[[北爪真佐夫]],
[TIME[2000-09]]
([TIME[2019-07-17 17:38:51 +09:00]]) <https://ci.nii.ac.jp/naid/110000471225>
- [83] [CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]]
]REFS]
** 外国政府への通知
[SEE[ [[外国政府への改暦通知]] ]]
** 法令の措置
[SEE[ [[日本の元号法制]] ]]
[SEE[ 具体的事例は[[平成改元]], [[平成31年新元号]] ]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE@ja[参議院法制局]]
([TIME[2018-09-04 09:11:10 +09:00]])
<http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column104.htm>
]FIGCAPTION]
> 改元とそれに伴う法律改正について
]FIG]
** 工業標準の措置
[SEE[ [[改元]] ]]
* 元号の意味
@@
** 英訳
[17]
[[日本政府]]の[[外務省]]は、
[[令和改元]]で[[令和]]の意味が[[英語]]「beautiful harmony」
であると発表しました
[SEE[ [[令和改元]] ]]。
今後これを前例に英語の短い説明が発表されると期待されます。
* 元号らしさ
[24]
[[元号の選定]]の基準はありますが、
これだけでは元号を元号たらしめている「元号らしさ」
は見えてきません。
[26]
それでも過去の[[元号]]のほか、
[[私年号]]、
[[改元デマ]]、
[[架空の元号]]の事例をみても、
何らか「元号らしさ」
というものはあって、庶民を含むいろいろな人々の間で共有されていようことがうかがえます。
[25]
[[令和改元]]では新元号発表まで多くの人が予想を楽しんでいました。
どうにも元号らしくないものも (ネタで) 挙げられましたが、
本気の予想の多くは元号らしがが感じられるものでした。
[27]
一方で[[スローガン的元号]]は元号らしさがないものがほとんどです。
初期は漢字2文字など元号らしさがまだ残っていましたが、
時代が下るに連れてかけ離れていったようです。
[SEE[ [[スローガン的元号]] ]]
[REFS[
- [3] [CITE[平成の次の元号を、AIだけで決めさせる物語 - Qiita]] ([TIME[2019-03-20 10:36:40 +09:00]]) <https://qiita.com/youwht/items/0b204c3575c94fc786b8>
- [4] [CITE[エイプリルフールに発表される新元号が、偽物かどうかAIだけで判別する物語 - Qiita]] ([TIME[2019-03-20 10:37:06 +09:00]]) <https://qiita.com/Wisteria30/items/ba6ced1d55d12ce79943>
]REFS]
[5]
>>3, >>4
タイトルだけみると、くだらない[[元号]]予想合戦に[[バズワード]]を足した低俗な釣り記事のように感じるのですが、
実際読んでみると、
われわれの感じる「元号らしさ」の正体を探る企ての端緒として興味深くおもわれます。
[6] (その点 >>3 の続編の[CITE[【続】平成の次の元号を、AIだけで決めさせる物語(@テレビ取材) - Qiita]] ([TIME[2019-03-20 10:51:31 +09:00]]) <https://qiita.com/youwht/items/7b1118ecd91bd2e232bb>
は残念ながらただの予想記事です。)
;; [7] >>6 の記事は過去の[[元号]]の[[画数]]を現在の[[字体]]で議論しているっぽいのがちょっと・・・
[11]
>>5 「[[令和]]」は最初に見せられた時ちょっと[[元号]]っぽくないかも?と思ってしまった。
よく見ているとだんだん[[元号]]っぽさを感じてくるから不思議。
[TIME[2019-04-01T13:15:24.900Z]]
[12]
「元号っぽさ」も当然時代が進むに連れて変わっていってるのだろう。
[[平成]]も[[改元][平成改元]]当初はぴんとこなかったと言っている人が多い。
[[令和]]も年を重ねていくことで意味が積み重なり折り重なり、
「元号らしさ」を染めていくのだろう。
[13]
そうだとしたとき過去の[[元号]]から学習した「元号っぽさ」
がまだ見ぬ将来の[[元号]]にどれだけ適用できるのか、というのも興味深い。
[14] [CITE@ja[ある理系院生による新元号予想の軌跡 (2ページ目) - Togetter]]
([TIME[2019-04-01 22:19:56 +09:00]])
<https://togetter.com/li/1333815?page=2>
[28] [[文明]]や[[治安]]など、同字の[[一般名詞]]が生じて現代では元号らしさが消失したものもあります。
[29]
ネタ枠代表扱いの「タピオカ元年」も音の響きは案外漢字2文字4音の漢語にありそう。
[[タピオカ]]流行を[[祥瑞][祥瑞改元]]といえなくもない。
伝統と新鮮味を適度にミックスするという近年の元号選定事例にのっとっているともいえる。
[30] 「俗用されていない」という現在の[[元号の選定]]の基準は満たさないけど、
[[奈良時代]]くらいに[[遣唐使]]が持ち帰った[[タピオカ]]を[[孝謙上皇]]がいたく気に入り[[改元]]した、
的な並行世界はあり得るのではなかろうかw
[31] [[タピオカ]]は[[平成]]の30年で大流行したのだから、[[追号]]するなら[[平成]]時代にかもな。
[32]
[[元号の選定]]の規則は後付けで、
1000年以上の歴史の中で日本人に刷り込まれた
「元号らしさ」
を最低限書き表しただけのものだから、
候補を絞り込むための条件として検査には使えても、
そこから元号候補を発見するのは難しいかも。
[131]
「創業令和元年」は重みを感じる、「創業平成何年」はそれほどでもない、
という話が令和元年秋頃には出ていました。
[SEE[ [[令和改元]] ]]
* 研究史
[SEE[ 日本の元号の研究については[[日本の元号]] ]]
* メモ
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[520] [CITE[元号 Q&A-4]]
([TIME[2012-12-04 13:13:29 +09:00]] 版)
<http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gengou_5.htm>
]FIGCAPTION]
> 猪瀬直樹の「天皇の影法師」(参考資料2)は天皇制の暗部に光をあてた、なかなか面白い本です。これには「光文スクープ事件」、「森鴎外-元号考」の話に関係して、元号が満たすべき条件として、かつて一木宮内大臣(いまの宮内庁長官に相当するものでしょうかね)があげたものが紹介されています。
> 元号は、本邦はもとより言うを俟たず、支那、朝鮮、南詔、交趾などの年号、その帝王、后妃、人臣の謚号、名字等及び宮殿、土地の名称等と重複せざるものなるべきこと。
> 元号は、国家の一大理想を表徴するに足るものとなるべきこと。
> 元号は、古典に出拠を有し、その字面は雅馴にして、その意義は深長なるべきこと。
> 元号は、呼称上、音階調和を要すべきこと。
> 元号は、その字面簡単平易なるべきこと。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[521] [CITE[元号 Q&A-4]]
([TIME[2012-12-04 13:13:29 +09:00]] 版)
<http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/gengou/gengou_5.htm>
]FIGCAPTION]
> 「年号の歴史」(参考資料1)の第9章には、現在の制定手続きと選定条件に関する規定(閣議申合せ事項)が紹介されています。それによると、選定条件は、
> (ア) 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
> (イ) 漢字二字であること。
> (ウ) 書きやすいこと。
> (エ) 読みやすいこと。
> (オ) これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
> (カ) 俗用されているものでないこと。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[527] [CITE@ja[書経 - Wikipedia]]
([TIME[2016-02-05 04:33:35 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E7%B5%8C>
]FIGCAPTION]
> 昭和や平成を始め35個の日本の元号は、この書が由来になっている。ただし、平成については出典箇所が偽古文尚書であるため、一部の専門家からは典拠としてはふさわしくないと指摘された。
> 森鴎外は最晩年、候補・典拠の一覧になった『元号考』(『鴎外全集 第20巻』岩波書店、所収)を作成したが、「平成」も既に江戸末期に「明治」等と並んで候補に上っている。鴎外は没した際『元号考』は未完だったので、親友吉田増蔵が、本人から依託され完成させた。なお吉田が改元に際し候補として「昭和」を勘申している。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[348] [CITE@ja[「年号」の背後にあるもの:研究:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]]
([TIME[2017-11-24 20:32:47 +09:00]])
<http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20171116.html>
]FIGCAPTION]
> 漢籍の出典を持つ年号がいつから出現したかを正確に見定めることは難しく、「仁寿」(851-854)まではさかのぼれそうですが、それ以後も典拠不明の年号が続き、漢籍の利用が常態化するのは、正暦(990-995)以後のようです。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[382] [CITE@ja[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]
([TIME[2017-12-23 12:50:08 +09:00]])
<http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/viewContents?lawId=429AC0000000063_20200616>
]FIGCAPTION]
> 附則
> [SNIP[]]
> (意見公募手続等の適用除外)
> 第八条 次に掲げる政令を定める行為については、行政手続法(平成五年法律第八十八号)第六章の規定は、適用しない。
> 一 第二条の規定による皇位の継承に伴う元号法(昭和五十四年法律第四十三号)第一項の規定に基づく政令
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[383] [CITE@ja[新元号、少ない画数に…1文字15画上限の方針 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)]]
([TIME[2018-01-03 13:05:50 +09:00]])
<http://www.yomiuri.co.jp/politics/20180102-OYT1T50071.html>
]FIGCAPTION]
> 政府は、皇太子さまの即位に伴う2019年5月1日の改元を巡り、新たな元号は画数ができるだけ少なく、なじみやすい漢字を用いる方針だ。
> 国民の「元号離れ」を防ぐ狙いがある。新元号は最終的に3案に絞り込んだ上で、有識者や衆参両院議長らの意見を踏まえて決定し、18年中に事前公表する見通しだ。
> [SNIP[]]
> これを踏まえ、1文字15画を上限とし、できる限り画数の少ない漢字を選ぶ方針だ。
]FIG]
[328] [CITE@ja[元号選定手続について]]
(内閣公文・国政一般・一般・暦時・A04-1・第1巻 [[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-04-23 23:46:06 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001159113>
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE[新元号 過去と重複判明しても「違法とはならない」 | NHKニュース]]
([[日本放送協会]]著, [TIME[2019-03-13 15:49:26 +09:00]])
<https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190309/k10011841251000.html>
]FIGCAPTION]
> 昭和から平成への改元に先立って、内閣法制局が、改元の法的な問題点などを整理した際、新元号を定めた後、過去に用いられた元号や地名、それに会社の商号などと重複していることが判明しても、「違法とはならない」とする見解をまとめていたことが、NHKが行った情報公開請求でわかりました。
> また、見解では、当時、改元の事務を担当していた内閣内政審議室が、情報管理を徹底するため法制局による事前審査にも候補名を示さない姿勢を取ったことから、「重複の防止は内政審議室の責任に帰す」として、その旨を担当者に告知したとしています。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[新元号、予想ランク上位は回避方針 1日昼前めど発表へ - ライブドアニュース]]
([TIME[2019-03-29 12:06:08 +09:00]])
<http://news.livedoor.com/article/detail/16233114/>
]FIGCAPTION]
> 民間で流行している元号予想で取り沙汰されている「安久」などの案について、政府関係者は「俗用の一種に当たるので、なるべく避ける」と語る。よくある人名や大企業名などは使わない方針だが、中小企業や小さな商店などの名前と重複することはあり得るという。政府高官は「俗用されていても、よい意味であれば総合評価で選ばれることもある」と話している。
]FIG]
[9] [CITE@ja[いよいよ新元号発表、有識者会議はじまる『新元号の有識者懇談会のメンバーに選ばれるのは国民の意向・意識を反映できる人物って解説していたがそこにNHK会長が入っているのはなにかのギャグですか?(笑)』とネットユーザのツッコミ - Togetter]]
([TIME[2019-04-01 10:10:55 +09:00]])
<https://togetter.com/li/1333657>
[10] [CITE@ja[左大臣・藤原頼長の言い分とは? 白熱の元号論議「難陳」が続いた1000年(日経BizGate) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-04-01 10:17:14 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190325-00010000-nkbizgate-bus_all>
[15] ([TIME[2009-01-21 20:51:20 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/contents/pdf/lossy/H11B0001720000/069509831435.pdf>
[16] [CITE@ja[日本の年号候補・未採用文字案 | ミカド文庫]]
([TIME[2019-04-18 13:46:48 +09:00]])
<http://mikado-bunko.jp/?p=842>
[22]
[CITE@ja[新元号「政府の最有力案」葬儀社名に使われ断念 : 令和・新時代 : 読売新聞オンライン]] ([TIME[2019-05-18 12:21:14 +09:00]]) <https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20190501-OYT1T50036/>
[33] >>22 この記事に書かれていることが正しいと仮定すると、
- [34] 大正時代の「T」とのイニシャル衝突が直ちに不適切とはされなかった。
- [36] [[常用漢字]]ではない ([[人名漢字]]ではある) 「翔」が不適切とはされなかった。
前者は明治生まれの日本人が2000人前後在命と推測されているため回避されてよかったと思われます。
[37]
[[JIS X 0301]] で元号を表すために「N」、年を表すために「Y」が使われているので、
これが先頭に来る元号は好ましくないという意見があります。
[[JIS X 0301]] のような正式なものではありませんが、「G」や「X」
が使われることもあります。
[38]
といってもこれらはいずれも書式の記述に使うこともあるという程度のもので、
元号の選択を縛るほど深刻な影響をもたらすとは思えません。
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[126] [CITE@ja[朱鳥(アカミトリ)とは - コトバンク]]
([[デジタル大辞泉,大辞林 第三版,日本の元号がわかる事典,精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及]]著, [TIME[2019-10-19 14:45:52 +09:00]])
<https://kotobank.jp/word/%E6%9C%B1%E9%B3%A5-422849>
]FIGCAPTION]
> しゅ‐ちょう ‥テウ【朱鳥】
> [SNIP[]]
> '''['''一''']''' 天武天皇の代の最後の年にたてられた年号。天武一五年(六八六)七月二〇日に改元、同年九月に天皇が没し、以後しばらくして用いられなくなった。私年号として、天武、持統両天皇の代に使用されたことがある。「書紀‐二九」に「朱鳥此云二阿訶美苫利一」とある。すちょう。あかみとり。
> [SNIP[]]
> 出典 精選版 日本国語大辞典
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[127] [CITE[古事類苑]]
([CSECTION[歳時部三]], [CSECTION[年號上]], 第 1 巻 155 頁, [TIME[2011-10-22 21:36:20 +09:00]])
<http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000155.html>
]FIGCAPTION]
> 改元定ハ朝廷ノ重事ニシテ、其式ハ略【G々】一定シタリ、即チ改元ノ前數日ニ、年號勘者宣下アリテ、式部大輔、文章博士、及ビ其任ニ勝ヘタル公卿等ヲシテ勘文ヲ獻ラシム、勘文ハ經史ニ據リテ、好字ヲ擇ブモノナリ、旣ニシテ諸卿ヲ召シ集メテ仗議セシメ、互ニ其優劣ヲ論爭ス、之ヲ難陳ト謂フ、難陳ノ語ハ、藏人ニ付シテ奏聞シ、聖旨ヲ待チテ之ヲ決ス、改元定ノ前ニ、必ズ條事定ノ式アリ、又改元定ノ後ニ、吉書ノ奏アリ、此等ノ事、本ト改元定ニハ關係セザルコトナレドモ、中世以後ハ、全ク恆例トシテ之ヲ行ヘリ、