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998
999
1000
[23]
[[改元]]にはいろいろな手続があり、
[DFN[元号の選定]]にはいくつかの基準があります。
[2] [SEE[ 元号一般については[[元号]] ]]
[SEE[ 改元の概観とその実施に伴う様々な事項については[[改元]] ]]
* 元号の制定や選択の権限
[1045]
[[元号]]制度は、国家権力などが新たな[[元号]]を制定し、
移行を繰り返していくことで運用されるものです。
[256] [[元号]]を改めることを[[改元]]といいます。
[SEE[ [[改元]] ]]
[SEE[ 境界の日時の処理、境界を超えた旧元号の扱いなどについては[[改元期日]] ]]
[182] [[元号]]制度内部での通常の[[改元]]の他に、
終了していた元号の再開、
[[元年]]以外の途中年からの開始、
[[元号]]以外の[[紀年法]]への移行のような特殊事情が発生することもあります。
[SEE[ [[改元]] ]]
** 元号制定権
[278] 歴史的には、独立した権力を有する[[東洋]]の各国がそれぞれの[[元号]]を定め、
その領域で並行して使われていました。[[元号]]の制定権は独立した国家権力の象徴であり、
[[元号]]を使うことはその政府を支持する(勢力下にある)ことを意味していました。
[279] 政府が分裂したり、弱体化したりすると、国内でも複数の[[元号]]が使われることがありました。
[EG[
[50] [[日本]]の[[南北朝時代]]には、
[[南朝]]と[[北朝]]がそれぞれの[[元号]]を定めて使っていました。
]EG]
[368] [[日本]]では、[[元号]]は[[天皇]]により定められています。
ただし実際の[[改元]]の判断や新[[元号]]の決定の過程には、
[[幕府]]等その時々の政権が介入しています。
現在は[[国会]]の議決により成立した[[元号法]]に基づき、
[[内閣]]が[[政令]]で定めることになっています。
[[政令]]の[[公布]]は[[天皇の国事行為]]なので、
[[改元手続き]]の最終段階を[[天皇]]が担う制度は[[日本の歴史]]を通じて一貫しています。
[SEE[ [[日本の元号]] ]]
[88]
[[第二次世界大戦]]の[[終戦]]後に[[日本]]の国政に介入した [[GHQ]]
は、
[[改元]]に関する新しい[[法律]]の制定を妨害することで、
[[日本政府]]から[[元号]]制定権を奪おうとしました。
しかしその数十年後、国民的な議論を経て
[CITE[元号法]]が制定され、
[[日本]]が[[独立国]]として[[改元]]権を有することが再度明らかにされました。
[SEE[ [[昭和時代の日時]]、[CITE[元号法]] ]]
[386] [[中国]]の[[属国]]だった[[朝鮮]]は、歴史上のほとんどの期間、
独自の[[元号]]を定めることができませんでした。
というのも[[新羅]]の時代、独自の[[元号]]を用いていたことを[[宗主国]]の[[唐]]に咎められ、
それ以後[[支那の元号]]を用いなければなりませんでした。
[[下関条約]]で独立が承認され、
ようやく[[元号の制定権を得ました][建元]]。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]
[51]
日中両属だった[[琉球王国]]は、[[中国の元号]]を主として使っていました。
[[琉球藩]]時代には[[日本政府]]から[[日本の元号]]だけを使うように要求されながらも拒んでいました。
[[沖縄県]]時代にようやく[[日本の元号]]となりました。
[[米国統治時代][米領琉球]]には[[米軍]]から[[西暦]]の利用を強制されましたが、
日本復帰に伴い再び[[日本の元号]]が使えるようになりました。
[SEE[ [[琉球の元号]] ]]
[91]
[[遼]] ([[契丹]]) の[[保護国]]だった[[北漢]]は、
建国当初旧王朝の[[元号]]「[[乾祐]]」を使い続けましたが、
[TIME[西暦957年][year:957]]に「[[天会]]」に[[改元]]しました。
[[遼]]の[[皇帝]]はこれを批判する書類を送付しました
[SRC[>>40 普及版 p.205 ([CITE[長編]]巻四乾徳元年閏十二月丙子条), >>141]]。
ただし了承を得なかったことで非難されましたが、
独自[[元号]]については問題ではなかったのだろうとされています
[SRC[>>40 普及版 p.205 (>>92 PDF p.11), >>140 PDF p.11 ([CITE[長編]]巻四乾徳元年閏十二月丙子条)]]。
[REFS[
- [141] [CITE@zh-TW[[[續資治通鑑長編]] : 卷四 - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2021-11-23T08:37:54.000Z]] <https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=583486#p171>
- [92] [CITE@ja[冊封する皇帝と冊封される皇帝 : 契丹(遼)皇帝と北漢皇帝の事例から]],
[[毛利英介]], [TIME[2013年4月1日][2013-04-01]]
([TIME[2018-09-07 10:50:23 +09:00]]) <https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/7897>
-- 消滅確認 [TIME[2021-11-23T08:31:13.500Z]]
--
[140] [CITE[kiyo4619.pdf]], [TIME[2013-07-24T04:38:46.000Z]], [TIME[2021-11-23T08:30:52.228Z]] <https://www.kansai-u.ac.jp/Tozaiken/publication/asset/bulletin/46/kiyo4619.pdf>
--
[139]
[TIME[2021-11-23T08:31:05.700Z]]
<https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1940&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1>
]REFS]
-
[148] [CITE[「縁禾」と「延和」のあいだ:『吐魯番出土文書』箚記(五)]],
[[關尾史郎]],
[TIME[1985-12-20]],
[TIME[2021-11-28T02:03:54.000Z]] <https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000009470>
PDF 7頁
[149]
[CITE[[[十六国夏の年号について]]]] PDF p.13
[159] [CITE@ja[「天王」は仏教尊崇の胡族国家の王名:甘懐真「東アジアにおける四~六世紀の「治天下大王」と年号」 - 聖徳太子研究の最前線]], [TIME[2022-03-15T10:33:39.000Z]] <https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/f1a9be46de5dcc132c28ffc969a9364b>
*** 王公による建元
[114]
[[漢]]以来[[建元]] ([[改元]]) は[[皇帝]]が実施していました。
[115]
[[三国時代]]初期の[TIME[魏黄初3(222)年][year:0222]]10月、
[[呉'''王''']]の[[孫権]]は、
[[改元]]して[TIME[黄武元年][year:0222]]としました。
[WEAK[([[皇帝]]即位は[TIME[黄武8(229)年][year:0229]]で、[[改元]]して[TIME[黄龍元年][year:0229]]。)]]
[[王]]位で最初の[[建元]]とみられます。
[116]
[[五胡十六国]]時代最初の
[TIME[304年][year:0304]]10月、
[[漢'''王''']]の[[劉淵]]は、
[[建元]]して[TIME[元熙元年][year:0304]]としました。
[WEAK[([[皇帝]]即位は[TIME[元熙5(308)年][year:0308]]で、[[改元]]して[TIME[永鳳元年][year:0308]]。[[北漢]]。その後[[国号]]を改め[[前趙]]。)]]
[[劉淵]]は[[匈奴]]であり、
非[[漢民族]]王朝の[[元号]]の最初の[[建元]]とみられます。
[[王]]位での[[建元]]の初例とされることもあります [SRC[>>118]]。
[119]
[TIME[趙王10(328)年][year:0328]]2月、
[[後趙]]の[[石勒]]は、
[[趙'''天王''']]を称すとともに、
[TIME[太和元年][year:0328]]と[[建元]]しました。
[WEAK[([[皇帝]]即位は[TIME[太和2(329)年][year:0329]]。)]]
[[天王]]位での[[建元]]の初例とみられます。
[121]
[[北涼]]の前段階に当たる政権の
[[使持節]]・[[大都督]]・[[龍驤大將軍]]・[[涼州牧]]・[[建康'''公''']]の[[段業]]は、
[TIME[397年][year:397]]に[TIME[神璽元年][year:397]]と[[建元]]しました。
[SRC[>>118]]
[120]
[[西涼]]の[[護羌校尉]]・[[秦涼二州牧]]・[[涼'''公''']]の[[李暠]]は、
[TIME[西暦400年庚子][year:400]]、
[TIME[庚子元年][year:400]]と[[建元]]しました。
李は、
[[東晋]]中央政府に対して[[建元]]の理由を説明しました
[SRC[>>118 ([CITE[晋書]]巻87, p.2261)]]。
それによると、
地理的に離れていることもあって[[東晋]]の統治が及んでいなかったが、
日付制度は必要だったため地方政権でありながら[[建元]]したものであり、
周辺の異民族国家と違って[[漢民族]]国家であるために[[元号]]が必要と認識されていたようです。
[130]
[[南明]]では[[監国]]が[[建元]]しました。
[REFS[
- [117] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [118] 3 [CITE[東アジアにおける四~六世紀の「治天下大王」と年号]],
[[甘懐真]],
pp.265-284
]REFS]
** 元号の並立と選択
[82] 元号の制定が独立国の有する権限であるということは、
その実施、つまり国民が国家の元号を利用することが統治の行き届いていることを表しています。
[84] これが顕著にみえるのが戦乱の時代で、
例えば[[支那]]の[[三国時代]]や[[五胡十六国時代]]には勢力の独立の度合いをはかることができますし、
[[日本]]の[[南北朝時代]]には[[南朝]]と[[北朝]]の[[元号]]の切り替え時期によりいつ誰がどちらの勢力に属していたかを知ることができます。
また[[幕末]]に日本各地で[[私年号]]や[[延長年号]]が残されていることで、
中央政府の統治能力が低下していたことを確認できます。
[SEE[ [[日本南北朝時代の元号]]、[[幕末維新期の日時]] ]]
[113]
[[現代日本]]でも、
[[日本政府]]に反対する思想を持つ人は、
[[日本の元号]]の利用を拒否したり、
排斥したりしています。
あるいは独自の[[紀年法]]を使う人もごく少数ですが、確認されています。
[SEE[ [[現代日本の紀年法]]、[[日本の私年号]] ]]
[306] このように[DFN[[[元号]]の選択]]は[[政治的]]で[[宗教的]]な行為であったりします。
しかしこれは実は[[暦法]]全般に言えることでもあります。
[SEE[ [[暦]]、[[日時のプライバシー]] ]]
[234] 元号の分裂にはいくつかのパターンがあるようです。
- [281] 分裂した政府や新たに建国した政府が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [282] 中央政府の[[改元]]に地方勢力が従わず、旧[[元号]]が継続される
- [284] 勢力統合による[[元号]]の廃止に一部勢力が従わず、廃止[[元号]]が継続される
- [283] 中央政府の支配が弱まり、地方勢力が[[新しい元号を制定][建元]]する
- [558] 中央政府の支配が弱まり、民衆の間で新しい[[元号]]が広まる
- [557] [[新興宗教]]が[[独自の元号を制定][建元]]する
[550] 属国が宗主国の[[元号]]を用いるようなケースを別にすると、
外交や貿易を除き、他国の[[元号]]を使うことは基本的にありません。
[SEE[ [[外交文書の紀年法]] ]]
[52] 基本的には自国の[[元号]]を使い、
[[私年号]]も利用者は国内の一部住民にとどまっていたとすると、
世界的に見れば[[元号]]が複数使われていたとしても、
それらが併記されることは多くありません。
例外的には次のような事例があります。
- [53] 歴史の記述で、関係する当時の元号をいくつか併記する場合。
(例えば[[日本]]の[[南北朝時代]]で両朝元号を併記したり、
日支関係の話題で両国元号を併記したりする場合。)
- [123]
外交文書で当事者相互の[[元号]]を併記した場合。
- [89]
[[外交官]]、[[商人]]、[[留学生]]、
その他の[[外人]]が本国の[[紀年法]]と居住地の[[紀年法]]を併記する場合。
- [54] [[日本人]]が多かった[[満州国]]で、
[[満州の元号]]と[[日本の元号]]を便宜上併記した場合。
- [81] [[カレンダー]]や[[新聞]]などの日付欄で周辺諸国の[[元号]]を便宜上併記した場合。
- [122]
新興宗教の信者が宗教の[[紀年法]]と居住地の[[元号]]や[[西暦]]を併記する場合。
[43] 外交の場での事例は[[外交文書の紀年法]]参照。
[152]
[[元号]]を使っていても支配を示さないとされる事例:
[[越南の元号]]
[202]
[[中華王朝]]が他国の建元を非難した例:
[[新羅の元号]],
[[越南の元号]]
[240]
[[キリシタンの日時]]
[241]
[[大韓民国]]初期、[[大韓民国]]では[[檀君紀元]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]]では[[西暦]]と書き分けて出版した事例
[SEE[ [[檀君紀元]] ]]
[242]
21世紀の[[大韓民国]]、[[主体]]の利用が政治問題となった事例
[SEE[ [[主体]] ]]
[64] [CITE[『皇明恩綸録』の一部校注 - jaas081004_ful.pdf]], [TIME[2021-05-02T06:13:02.000Z]] <http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/63357/1/jaas081004_ful.pdf#page=3>
>木氏土司が清朝に帰順するのは,順治16年(1659)(南明の暦では永暦13年)で(『木氏宦譜』: 53),『木氏宦譜』では,それ以前の元号は南明政権のものが用いられている。
[147]
[CITE[huibao_043.pdf]], [TIME[2022-01-09T05:12:50.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78853/huibao_043.pdf#page=3>
-[168]
[CITE@ja-JP[刀剣史料 (46)]], [[南人社]], [TIME[1962-10]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T04:32:53.730Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/8> (要登録)
-[169] [CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (431)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1966-05]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T04:55:15.438Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/20> (要登録)
[170] >>168 >>169 和製の刀で明国輸出のためか[[明の元号]]の銘がある事例
[195] [CITE@ja-JP[今日の歴史]], [[小林鶯里]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-23T14:00:13.483Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1225287/1/28>
歴史上の出来事の年号が並べられている。
欧米の出来事は西暦で、[VAR[何]]年。
日本の出来事は[VAR[元号]][VAR[何]]年。元号のない時代は[VAR[誰々]]帝[VAR[何]]年、
たまに[VAR[誰々]]天皇[VAR[何年]]や紀元[VAR[何]]年 ([[皇紀]])。
海外でも[[西暦紀元前]]は[[皇紀]]になっている。
[[中国]]の出来事は採られていないが、孔子誕生は本朝紀元[VAR[何]]年と[[皇紀]]で書かれている。
稀に[[日本]]なのに[[西暦]]になっている。
[228] [CITE[6_KJ00000133720.pdf]], [TIME[2023-04-25T13:47:08.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/tak/6/4/6_KJ00000133720/_pdf#page=7>
** 私年号
[280] 政府が制定したとされる[[元号]]を[DFN[公年号]]といいます。
それ以外の[[元号]]を[DFN[異年号]]といいます。
[[異年号]]の中でも特に[[公年号]]と関係なく実用されたとみられるものを[DFN[私年号]]といいます。
-*-*-
[90] 安定した政権の[[元号]]であれば制定の記録が残されていることが多く、
正しい表記も明らかです。
しかしそれ以外にも制定者の明らかではない[[元号]]や、
短命政権や反乱軍が使った[[元号]]、
[[公年号]]の表記のバリエーションらしき[[元号]]、
実用目的ではない[[スローガン的元号]]や[[架空の元号]]などが存在しています。
こうしたものの総称が[[異年号]]であり、
その中でも特に ([[公年号]]のバリエーションや非実用ではなく)
私的に実用されたとみられるものが[[私年号]]です。
[68]
[[私年号]]と同義または類義の用語に[[異年号]]、
[[逸年号]]、[[偽年号]]、
[[僭年号]]、
[[古代年号]]、
[[九州年号]]といったものがありました。
これらの用語は[[中世]]以来の[[日本の私年号]]の研究の中で、
ときに主観的、思想的、政治的な判断とともに、
ときに[[古代年号]]と[[日本中世の私年号]]を一緒くたにし、
ときに制定・利用者について特定の学説と結び付いて使われてきました。
それぞれの語によって表される範囲にもばらつきがありました。
[65]
そのなかで、[[日本の私年号]]研究を大成した
[CITE[日本私年号の研究]]
によって[[公年号]]に対する各種の[[異年号]] ([[私年号]]、[[古代年号]]など)
という整理がなされました。
[SEE[ [[日本の私年号]] ]]
以後学術的には[[私年号]]の語が定着しました [SRC[>>93, >>96, >>60]]。
ただ一般の解説などは[[私年号]]を中心としつつも依然として他の用語を並列に示したり、
不明瞭な定義にとどまっていたりします。
[EG[
[95]
例えば[[公年号]]のバリエーションであって[[異年号]]だとしても[[私年号]]とはいえない
([[私年号]]の例には適切ではない) [[白鳳]]を[[私年号]]の代表例に挙げるものがあります。
[[偽年号]]と呼ばれることがあるためか学界から無視されているという根拠のない陰謀論につなげたりするものもあります。
[SEE[ [[白鳳]] ]]
[42]
[[公年号]]たる[[神亀]]の誤記といわれる[[白亀]]が[[私年号]]に分類されることがありますが、
適切とは思えません。[[私年号]]でない[[異年号]]とするべきでしょう。
[SEE[ [[白亀]] ]]
]EG]
[93] [[日本の元号]]研究の権威である[[所功]]らの[CITE[日本年号史大事典]]は、
「異年号 (私年号・偽年号・逸年号)」
を民間で私的に作られた[[年号]]であり、
久保の[CITE[日本私年号の研究]]以来「私年号」という呼称が一般的になったようだ、
としました。以後本文では「私年号」の語を使いました。
[SRC[>>40 普及版 p.338]]
[94] 一方で[[所功]]らのより新しい著書
[CITE[元号―年号から読み解く日本史―]]
は、
[[法興]]を[[私年号]]と紹介する一方で、
「私的であれ該当時期にあったとは認め難い、
かなり後代に作られたとみられるもの」
を[[異年号]]や[[偽年号]]といい、
一部で[[古代年号]]や[[九州年号]]と呼ばれている
[SRC[>>83 p.53]]
としました。
この間[[異年号]]研究にこれといった進展はなく、
なぜ異なる説明となったのか不明です。
[1926]
古代の[[元号]]を研究した[[伴信友]]は、
「[RUBY[妖僞言][オヨヅレゴト]]せる年號」、
「[DFN[妖僞年號]]」
といった表現を使いました
[SRC[>>1731]]。
[44]
[[伴信友]]は[[白鳳]]、[[大長]]などは実在の[[公年号]]とし、
[[法興]]もその類として扱い、
[[古代年号]]、
[WEAK[( [SEE[ 以上[[日本古代の日時]] ]] )]]
4文字[[元号]]の省略形や[[南朝]]、[[後南朝]]の[[元号]]を挙げてから、
それ以外にも[[妖僞年號]]がある、と挙げていました。
[[妖僞年號]]に含まれるものは[[日本の中世私年号]]や[[改元デマ]]の類でした。
説明の量と順序の都合上[[古代年号]]が含まれていません。
[[伴信友]]の評価によればそれらも含めて良さそうなものですが、
真意は不明です。
[46]
具体的には次のようなものを挙げていました。
[SRC[>>1731]]
- [1927] [[泰平]]
- [1928] 応安の頃に文德
- [1929] 延徳の頃に正亨、福德
- [1930] 永正の頃に彌勒
- [1931] 天文の頃に命祿
- [1932] 深久、
天龍、
和勝、
謝德、
寶壽、
善喜、
證明、
元長、
永覺など
- [1933] あまりに煩わしいので出典省略、
社寺の記録、
文書、仏塔、名板、墓碑、器物などにある、
[CITE[逸號年表]]
に補記した。
[48]
[[澤柳大五郎]]は、
論文の表で
「(私)年號」
の銘文として[[法興]]・[[法興元]]、
[[寳元]]、
[[永昌]]を挙げました。
本文で
「私(疑)年號或は外國年號」
であって公年號でないものとしました。
[SRC[>>1939]]
「外国年号」とは[[唐の元号]]たる
[[永昌]]を指します。
残る3例を私年号または[DFN[疑年号]]と呼んだのでしょう。
この論文の文脈上、
[[日本政府]]の制定したものを[[公年号]]と呼んで、
[[唐の元号]]はそれに含めなかったものと思われます。
表では簡略して[[私年号]]に括ったものと思われます。
[98]
歴史研究者の[[前川清一]]は、
[[私年号]]を
- [99] 一、その時代に使用されたものでなく、後世の偽作によるもので、いわゆる架空の年号
- [100] 二、その当時に於いて、公年号が存在しているのもかかわらず創作、使用されたもの
... に大別しました。 [SRC[>>223, >>60]]
前者は[[古代年号]]の類であって、後者は狭義の[[私年号]]に当たるものです。
[102] 更にこの2分類に
- [101] 誤記・誤読によって、一見元号と異なる年号のようにみえるに過ぎない例
... を補い、それが時間経過により一に、
空間的伝播により二が生じたのではないかとする指摘もあります [SRC[>>60]]。
ただこれは成立要因の分析であって、分類の1つとするには適さないかもしれません。
[SEE[ [[日本の中世私年号]] ]]
[186]
[[前川清一]]は[[熊本県]]の[[私年号]]を検討し、[[関東私年号]]とも比較しつつ、
次のような見解を示しました。
[[熊本県]]でも[[私年号]]は混乱期に見られます。
そして[[私年号]]は「案外」、[[福祉元年]]のように共同体の中で人々の一致した願いを表現したもので、
[[征露]]のようにあまり抵抗もなく使用されたきらいがある、
としました。そして、[[私年号]]から教養ある人物の存在が窺われるとしました。
[SRC[>>223]]
[REFS[
- [187] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [223] [CSECTION[[[熊本県の私年号小考]]]]
]REFS]
[103]
[CITE[新版元号事典]]は、
[[私年号]]の[[建元]]事由としてよくいわれるものの他に、
四「曽祖父が生きていた○年頃、祖父の時代の第○年目」という呼び方が固有化したもの、
を挙げました。 [SRC[>>60]]
具体例は不明で、古い時代でこの類型に当たる事例があるのかわかりませんが、
近年では[[戦後][戦後 (紀年法)]]や[[命知]]などが該当するでしょうか。
[[元号]]の定義に関わる境界的現象といえます。
[SEE[ [[元号]] ]]
[125]
[TIME[平成31年][year:2019]]の元号に関する論文で、
「中国内の正統王朝以外が非公式の独自年号、
すなわち「偽号」を用いることがあったが、
偽号、別の表現を用いれば「私年号」は [SNIP[]]」
と書いているものがあります [SRC[>>124]]。
-*-*-
[66]
大陸の[[私年号]]とされるもののほとんどは、
短命政権や反乱軍などの正統王朝とみなされない政府によって制定されたとされています。
[67]
一方で[[日本の私年号]]のほとんどには反政府的要素は見られず、
戦乱などのための社会的混乱や[[改元デマ]]から広まったものとみられています。
[SEE[ [[日本の私年号]] ]]
[639]
[[元号]]を[[公年号]]とするか[[私年号]]とするかには、
政治的な判断も含まれてくることがあります。
複数政権が並立した時、その当時あるいは少し後の時代には一方が他方を偽の元号と扱うことがあります。
短命の反乱軍の[[元号]]などはそうした経緯から[[私年号]]に分類されるのかもしれません。
しかし現在の[[日本政府]]の数える[[日本の元号]]の数に[[北朝]]も[[南朝]]も含まれるように、
和解や時の経過によりどちらも正統な[[公年号]]と扱われる場合もあります。
[97]
[[南朝]]の[[元号]]が[[公年号]]として扱われる一方で、
[[後南朝]]の[[元号]]は[[私年号]]として扱われます。
これを短命の反乱軍の[[元号]]で[[私年号]]と矮小評価している、
と批判することもできますが、
実のところ[[後南朝]]の[[元号]]の記録は二次資料しか見つかっておらず、
制定や実用の様子がはっきりしないようです。 ([SEE[ [[日本の元号]] ]])
同様に[[奥羽越列藩同盟]]の[[元号]]も確実な資料がないため[[私年号]]として扱われています。
([SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]])
敗者の史料は残りにくいという事情もあります。
敗者の「名誉回復」を望むなら、
陰謀論で非難するのではなく、
歴史学的検証を進めなければなりません。
[551] 近年の[[新興宗教]]の中には、国を越えて信者が広がっており、
かつ独自に[[紀年法]]を用いるものも見られます。
そうした[[紀年法]]は、国をまたがって使われる[[元号]]と言える場合もあるかもしれません。
[SEE[ [[統一教会暦]] ]]
[FIG(short list)[ [85] [[異年号]]
- [[私年号]]
-- [[日本の私年号]]
--- [[日本中世の私年号]]
-- [[朝鮮半島の私年号]]
--- [[大韓民国の私年号]]
-- [[支那の私年号]]
--- [[中華人民共和国の私年号]]
-- [[越南の私年号]]
- [[古代年号]]
- [[改元デマ]]
- [[スローガン的元号]]
- [[架空の元号]]
]FIG]
[REFS[
- [1731] [CITE[[[年号の論]]]]
- [1939]
[CITE[御物辛亥年銘金銅像 飛鳥彫刻ノオト其一]],
[[澤柳大五郎]],
[TIME[1947-08-01]]
<https://tobunken.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=7070&file_id=22&file_no=1>
- [96]
[CITE[「私年号」とは何か]],
[[小山田和夫]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp.114-122
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
- [233] [CITE[日本の私年号]]
<http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
- [232] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]] 版)
<http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
-- 消滅確認 [TIME[2019-05-26T09:35:09.000Z]]
-- [6301] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2019-05-26 18:35:44 +09:00]]) <https://web.archive.org/web/20031210085657/http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi12.html>
-- [56] [CITE[私年号一覧表]] ([TIME[2001-01-17 03:06:39 +09:00]]) <http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi12.html>
-[60]
[CITE[「亀光元年」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>
- [83] [CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]]
- [109] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [124] 5 [CITE[難陳―朝廷における改元議論の実態―]],
[[水上雅晴]],
pp. 521-544
]REFS]
[190]
[[久保常晴]]は、
集権体制の崩壊と文字の一般層への普及により、
正しい表現が崩れていき、
「[[公年号]]を軽視する態度」
から
「[[公年号]]無視の傾向」
へと発展し、
[[私年号]]の出現に至ったと考えました。
[[仮名書年号]]等をその[[私年号]]発生に至る前段階としました。
[SRC[>>189 p.[V[一六三]]]]
[235]
[[避諱年号]]は[[公年号]]に含められています。 [SRC[>>1543 p.[V[五六]]]]
[236]
[[僭竊年号]]は[[私年号]]に属するべきものだとされながらも、
章題では区別され、
本文中も分けて説明されています。
[SRC[>>1543 p.[V[五六]]]]
[237]
[CITE[日本私年号の研究]]
は史書にない[[朝鮮半島]]の古代の[[元号]]を一律で[[私年号]]としています。
[SRC[>>1543]]
[[史書から漏れたもの][逸年号]]かもしれず「一応」と留保されていて、
十分検討した上での判断ではありません。
[SEE[ [[永楽]], [[建興]], [[延寿]] ]]
- [189] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [1543] [CSECTION[第四章 朝鮮半島の公年号と僭竊年号・私年号]]
[193]
[CITE[日本私年号の研究]]の私年号的諸資料で挙げられたもの
([[私年号]]と認定していないもの)
- [[泰平]], [[万平]] : [[改元デマ]]
- [[元禾]] : [[元永]]の誤り(誤読)
- [[徳寿]] : [[人名]]
- [[ぐづしく]](一)
- [[永彭]] : [[人名]]
- [[文徳]] : 資料不足
- [[素然]](三) : [[嘉禎]]の誤り(誤読)
- [[応和]] : [[康安]]の誤り(錯簡)
- [[永祖]](十) : [[永禄]]の誤り(誤読)
- [[美禄]](二) : [[弥勒]] 資料不足
- [[歳神]](丁未) : 銘文
- [[長]](元) : [[公年号]]長□のいずれか
- [[好徳]](元) : [[明徳]]の誤り(誤写)
- [[永然]] : [[永治]]の誤りか
- [[治様]] : [[治承]]の誤り(誤伝)
- [[保応]] : [[応保]]の誤り(誤伝)
- [[延禧]] : [[延喜]]の誤り(誤伝)
- [[嘉貞]] : [[嘉禎]]の誤り(誤伝)
- [[暦日]] : [[暦仁]]の誤り(誤伝)
- [[永鎮]] : [[永正]]の誤り(誤伝)
- 延歴 長歴 天歴 正歴 承歴 建歴 歴仁 : 延暦 長暦 天暦 正暦 承暦 建暦 暦仁の誤り
- 宏長 弘安 元宏 宏治 : 弘長 弘安 元弘 弘治
- 佳慶 正喜 : 嘉慶 正嘉
- 宏知 : 弘和の誤り; 宏和 : 弘和の誤り; 宏和とするのは[CITE[日本私年号の研究]]の誤植?
- 乾文 : [[年号銭]]の誤伝
- 建寿 : 誤伝
- [[貞運]] : 誤伝
- [[承運]](第六) : 資料不足
- [[義明]] : 誤伝(人名)
[194]
[[養保]],
[[慶觀]],
[[弘治]]
[183] [CITE@ja-JP[日本及日本人 (玄冬)(1526)]], [[J&Jコーポレーション]], [TIME[1974-11]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T13:14:47.433Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3368301/1/22> (要登録)
北朝元号を私年号と書いている
- [162] [CITE[[L[官民異調:清代臺[ASIS[灣][3点]]的紀󠄆年]]]],
[[[L[李進億]]]],
[L[中[ASIS[華][T]]民國103年9月30日出版]],
[TIME[2022-05-22T09:02:59.000Z]] <https://www.th.gov.tw/new_site/05publish/03publishquery/02journal/01download.php?COLLECNUM=401065302>
[163] [[紀年法]]を官方紀󠄆年と民間紀󠄆年に分類している。
[[清の元号]]が官方紀年なのは当然、
[[永清]]も官方紀年の一環としている [SRC[PDF p.8]]。
その他の反乱の[[元号]]は民間紀年に分類している。
[171] [CITE@ja-JP[最新日本歴史年表]], [[大森金五郎, 高橋昇造 共著]], [TIME[1934]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T05:57:50.264Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1908814/1/12> (要登録)
[167]
[CITE@ja-JP[日本百科大辞典 第5巻]], [[三省堂編輯所]], [TIME[明41-大8][1919]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:21:21.675Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/898069/1/121> (要登録)
[166] [CITE@ja-JP[正朔要覧]], [[宮本和一]], [TIME[昭和5][1930]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T12:49:22.170Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1190088/1/60> (要登録)
[175] [CITE@ja-JP[栗里先生雑著 : 一五巻 下]], [[栗田寛, 栗田勤]], [TIME[明治34][1901]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T13:30:10.606Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1087995/1/212>
[172] [CITE@ja-JP[Museum (88)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1958-07]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:14:48.814Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429480/1/6> (要登録)
[173]
[CITE@ja-JP[国史便覧]], [[重田定一 等編]], [TIME[明31.3][1898]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:35:58.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769393/1/77>
[174] [CITE@ja-JP[国史概説]], [[大森金五郎 述]], [TIME[明43序][1910]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:40:26.447Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769275/1/143>
[176] [CITE@ja-JP[経済史観日本 上巻]], [[中村直勝]], [TIME[昭和23][1948]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T13:33:20.373Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1276238/1/65> (要登録)
[177]
[CITE@ja-JP[新撰日本仏教年表]], [[橋川正]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:18:51.104Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1174324/1/245> (要登録)
[178] [CITE@ja-JP[図書館学研究報告 (15)]], [[東北大学附属図書館]], [TIME[1982-12]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:20:01.370Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1796754/1/3> (要登録)
[179] [CITE@ja-JP[日本の歴史 8]], [[樋口清之]], [TIME[昭和33][1958]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:26:55.903Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1627745/1/83> (要登録)
[180] [CITE@ja-JP[日本建築様式]], [[井上一之]], [TIME[1954]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:37:08.204Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2469974/1/234> (要登録)
[181] [CITE@ja-JP[対照世界美術年表]], [[中村亮平]], [TIME[1938]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:42:30.997Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1902443/1/237> (要登録)
[184] [CITE@ja-JP[Museum (88)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1958-07]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T11:33:01.416Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429480/1/6> (要登録)
[185] [CITE@ja-JP[中国石刻経研究]], [[桐谷征一]], [TIME[1999]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T09:13:32.747Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3148822/1/461> (要登録)
[188] [CITE@ja-JP[豊前国佐田郷土史 上巻]], [[大隈米陽]], [TIME[1952]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-07T13:41:29.620Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989252/1/78> (要登録)
正慶に私年号と説明がある。暦応、応安には何も書かれていない。
[191]
[CITE@ja-JP[香取文書纂 巻之1,2]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T00:15:36.918Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815200/1/10> (要登録)
[196] [CITE[スライド 1 - 560.pdf]], [TIME[2015-03-31T10:24:38.000Z]], [TIME[2023-01-24T10:31:03.012Z]] <http://koshigayahistory.org/560.pdf#page=7>
[197] [CITE[097芸文紀要10巻ブック.indb - p058.pdf]], [TIME[2022-04-18T03:47:16.000Z]], [TIME[2023-01-24T10:34:53.549Z]] <https://www.tad.u-toyama.ac.jp/_wp/wp-content/themes/wp-geibun/assets/images/research/bulletin10/p058.pdf#page=3>
- [200] [CITE@ja[拾萬字鏡さんはTwitterを使っています: 「過去にも尾崎紅葉が「俥(人力車)」と「儚(はかない)」の漢字を作ったとか、北海道大学の学生が「鯳(すけとうだら)」という漢字を作ったという話があるのだが、いずれもすべて虚構であることが判明している。見慣れない漢字をある人が使用している場面を目撃したとき「○○が考案した」といわれがち。」 / Twitter]], [TIME[午後10:48 · 2023年2月1日][2023-02-01T13:48:07.000Z]], [TIME[2023-02-01T13:47:15.000Z]] <https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1620781039432998912>
[201] [[私年号]]と同じ現象が[[和製漢字]]でも起こっている
[199]
令和4年末に[[国立国会図書館]]の全文検索が拡充されてから約1ヶ月のうちに、
[[平成時代]]までに'''報告済み'''の[[異年号]]でこれまでに一覧表等に掲載されてこなかったものが十個くらいみつかってます。
きっとこの先もっとみつかるでしょう。
[153] [[大徳]]
- [229]
[CITE[雜攷 第六輯下卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-20T02:02:57.399Z]]
-- [231] [CSECTION[[[附書年月󠄃日例]]]]
<https://geocol.github.io/zakkou/book-6b.html#184>
[230] [[昭和時代]]初期の[[朝鮮]]研究者[[鮎貝房之進]]の論文では、
歴代[[朝鮮半島]]王朝 ([[高句麗]]、[[新羅]]、[[弓裔]]、[[高麗]])
の[[元号]]をすべて[[私年號]]と呼んでいます。
[[朝鮮]]は[[中華王朝]]の[[属国]]でありながら、
[[中華王朝]]が衰退した時代には[[私年号]]を建てたと説明していました。
[SRC[>>231]]
[239]
「王権の発動とは異なる私的な次元での年号の使用」
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]
** 反乱の性格と元号
[57]
[[新羅]]は独自の[[元号]]を廃し、
[[唐]]への恭順の意を示しました。
[SEE[ [[朝鮮半島の元号]] ]]
[49]
[[平将門の乱]]で[[平将門]]が[[建元]]しなかったため、
独立の意思はなかったと評する説があります。
[SRC[>>617, >>618]]
[58]
[[オウム真理教]]は独自の[[元号]]を定めていました。
建国後に施行する[[憲法]]案にまで記載していました。
にも関わらず、
[[破防法]]適用手続きでは、
[[日本の元号]]ではなく[[西暦]]に[[かわるもの][元号廃止]]で、
国家転覆の意図はなかったと釈明しました。
[SEE[ [[オウム真理教の元号]] ]]
[REFS[
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[617] [CITE[新皇・[[平将門]]は独立国家を望んだか?: 今日は何の日?徒然日記]]
([TIME[2016-10-03 22:55:48 +09:00]])
<http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/12/post-6f9c.html>
]FIGCAPTION]
> 朝廷から100%離れる気持ちなら、すべてを守に任命すれば良いのに、なぜ、慣例通りの介にしたのでしょう?
> そして、何より、天慶二年(939年)12月15日という書状の日づけです。
> ご存知のように、この元号を決めるのは朝廷(11月21日の前半部分参照>>)・・・あの大化元年から、この元号は朝廷のみに決定権があり、後には、有名な南北朝時代(10月5日参照>>)しかり、そして室町幕府に叛旗をひるがえす第4代鎌倉公方の足利持氏(2月10日参照>>)しかり、いずれも、敵方の元号を使用しない事で、その反発度をアピールしていますが、将門には、その気配はありません。
> それどころか、元号をはじめとする暦関係を司る当時の役職であった暦博士のような役職すら設ける事がありませんでした。
]FIG]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[618] [CITE@ja[「新皇』(新しい天皇)と称した[[平将門]] 天慶の乱は新国家建設だったか: りてらセレクト]]
([TIME[2016-10-03 22:57:54 +09:00]])
<http://literaselect.seesaa.net/article/357625220.html>
]FIGCAPTION]
> 新皇と名乗る以上、この時点で日本国には二人の天皇がいたことになる。実効支配に加え、新皇になったのだから、新国家の実質を備えていた訳だが、将門は国号日本を変更せず、行政単位も元号もそのままを使用した。
]FIG]
]REFS]
* 手続き
[72]
[[日本]]では[[大宝]]、[[慶雲]]の頃から[[改元]]の行事が制度化したとみられています。
[SRC[>>71]]
[76]
[[幕末]]までの[[改元]]では、
[[年号勘者]]を定めて案を提出させ、
[[公卿]]の[[難陳]] (審議) を踏まえ[[天皇]]が[[詔書]]で[[公布]]していました。
[SRC[>>73]]
[39]
[[朝廷]]内で様々な案を出して絞り込み最終的に[[天皇]]が決定する方法が[[平安時代]]から[[江戸時代]]まで一貫して採られていました。
最終案を[[天皇]]が承認することもあれば、
数案提出させて[[天皇]]が選ぶこともありました。
[SRC[>>40 p.25-53]]
[47]
[[改元]]があると、
[[朝廷]]では[[政始]]の儀が行われ新元号が通達されました。
[SRC[>>40 普及版 p.415]]
[77]
[[摂関家]]、
[[上皇]]、
[[幕府]]といったその時々の権力者たちも、
[[改元]]や[[元号の選定]]に介入しました。
[[朝廷]]の正式な手続きは[[幕末]]まで続きましたが、
採用案が内定している形骸化した選定手続きも多かったようです。
[SRC[>>40 p.25-53]]
(c.f. >>55)
[61] 特に[[江戸時代]]には、
[[江戸幕府]]が[[改元]]の実施や新元号の決定の実質的な決定権を有していたとみられています。
[78]
[[朝廷]]での[[改元手続き]]に関する文書は
[CITE[続群書類従]]公事部や[CITE[古事類苑]]歳時部に多数収録されています。
[[江戸時代]]初期の[[江戸幕府]]の[[改元]]政策については[[林春斎]]の
[CITE[改元物語]]
に記録されています。
[SRC[>>40 普及版 p.25-53]]
[41]
[[明治]]改元では、
形骸化していた従来の手続きが廃され、
候補案から[[明治天皇]]が籤で選びました。
[79]
[[大正]]と[[昭和]]の[[改元]]では、旧[[皇室典範]]に基づき[[践祚]]時に[[枢密院]]に[[諮詢]]し、
[[天皇]]が勘定して[[勅令]]として[[公布]]していました。
[80]
[[平成改元]]以後、
[[元号法]]に基づき[[内閣]]が選定し、
[[天皇]]が[[政令]]として[[公布]]しています。
[106]
[[所功]]は、
[TIME[平成31年][year:2019]]出版の書籍で、
「年号文字は、どのようにして選ばれ定められたのか。
中国のことは、寡聞にして今のところ明らかでない」
[SRC[>>105]]
しました。
[[日本]]以外の[[元号の選定]]手続きの詳細は研究が進んでいないようです。
[REFS[
- [55] [CITE@ja[[[元号と武家]]]]
- [40] [CITE[日本年号史大事典]]
- [70] [CITE@ja[改元(カイゲン)とは - コトバンク]] ([[デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及]]著, [TIME[2019-03-02 18:18:40 +09:00]]) <https://kotobank.jp/word/%E6%94%B9%E5%85%83-457152>
-- [71] [CITE[世界大百科事典]] 第2版
-- [73] [CITE[日本大百科全書(ニッポニカ)]]
- [104] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [105] [CSECTION[総論―日本年号の来歴と特色―]],
[[所功]],
pp.1-50
]REFS]
[129]
歴史的には、
[[元号名]]が事後的に定められた例もありました。
[SEE[ [[追号元号]] ]]
** 発表
@@
[19]
[[平成]]の発表は[[官房長官]]の[[記者会見]]で行われました。
[SEE[ [[平成改元]] ]]
[18]
[[令和]]の発表は[[官房長官]]と[[内閣総理大臣]]の[[記者会見]]で行われました。
[[手話]]で同時通訳されました。
[[英語]]同時通訳もあったとする説もあります。
[[テレビ]]や[[インターネット]]で[[生配信]]されました。
[SEE[ [[令和改元]] ]]
** 伝達
[45] [[改元]]は[[幕府]]や[[大名]]など各時代の統治組織を通じて各地に伝達されました。
各組織で[[改元]]の儀式があり、
[WEAK[([[朝廷]]の[[改元日]]ではなく)]]
これをもって新元号を利用開始しました。
[SEE[ [[改元伝達]] ]]
** 外国政府への通知
[SEE[ [[外国政府への改暦通知]] ]]
** 法令の措置
[SEE[ [[日本の元号法制]] ]]
[SEE[ 具体的事例は[[平成改元]], [[平成31年新元号]] ]]
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[35] [CITE@ja[参議院法制局]]
([TIME[2018-09-04 09:11:10 +09:00]])
<http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column104.htm>
]FIGCAPTION]
> 改元とそれに伴う法律改正について
]FIG]
[164]
[[日本政府]] ([[行政府]]、[[立法府]])
は[[改元]]による書き換えだけを目的とした[[法令]]の改正は行わない方針を取っていますが、
[[地方自治体]]レベルではそのような改正が行われた例があります。
[165]
[CITE@ja[改元に伴う関係条例の整理に関する条例]], [TIME[2022-06-08T16:11:22.000Z]], [TIME[2022-07-06T03:27:28.193Z]] <https://www2.city.takarazuka.hyogo.jp/reiki_int/reiki_honbun/k316RG00001182.html>
** 工業標準の措置
[SEE[ [[改元]] ]]
* 元号の意味
@@
** 英訳
[17]
[[日本政府]]の[[外務省]]は、
[[令和改元]]で[[令和]]の意味が[[英語]]「beautiful harmony」
であると発表しました
[SEE[ [[令和改元]] ]]。
今後これを前例に英語の短い説明が発表されると期待されます。
** 越南の元号の意味と出典
[205]
[[越南の元号]]のうち、最後の[[阮朝]]は、
[CITE[大南実録]]
など比較的豊富な資料が残っていて[[元号名]]の出典や意味が知られています。
[SRC[>>204]]
- [206] 初代皇帝については諸説あります。
- [207] 前半の[[元号]]は、先代の事業や徳行の継承を表明したものでした。
例えば: [[明命]] (典拠は[CITE[書経]]),
[[紹德]],
[[嗣德]]
- [208] 後半の[[元号]]は、
[[儒教]]経典を出典に選定しました。
例えば:
[[保大]] (典拠は[CITE[易経]], [CITE[左伝]]の「保大定功」)
-- [209]
大臣らにより皇帝が次々と廃立されたため、
先代の遺命をうけて即位するという論理が通用しなくなったためにこちらのパターンに移行しました。
[213]
それ以前の[[元号]]は資料が少ないですが、
[[阮朝]]や他地域の事例を援用する形で建元意図を推測する研究があります。
[SRC[>>211, >>204]]
- [214] 「天」を使った[[元号]]は多いですが、
その多くは簒奪など即位の正統性に疑念のある[[皇帝]]の建てたもので、
[[天命思想]]によりその正当性を主張する意図が推察されます。
[SRC[>>204]]
-- [224] [[天命思想]]の関係については他の[[越南]]の研究者も個々の事例を検討しています。
[SRC[>>222]]
- [215] [[李朝]]の「嗣」元号全2例 ([[竜彰天嗣]], [[天彰宝嗣]])
はいずれも皇子誕生に関係します。
(なお[[天嘉宝祐]]も皇子誕生に関係します。)
[SRC[>>204]]
-- [216] ちなみにそのうち皇帝位を無事継承できたのは[[竜彰天嗣]]だけです。
- [217] その他[[李朝]]には[[祥瑞改元]]がありました。
例えば:
[[天資嘉瑞]],
[[通瑞]]
[SRC[>>204]]
-- [218] [[祥瑞]]を好んだ[[宋]]の影響と考えられています。
[SRC[>>204]]
-- [219] しかし[[李朝]]期に[[亀]]の[[祥瑞]]が33回も献上されているのに、
[[改元]]は1例もありません。
[SRC[>>204]]
- [220]
戦勝記念:
[[神武]],