VZ Editor Version 1.0を世に出したのが1989年のことで、消費税(3%)導入の前でした。 わたしはこの頃33歳でしたから35年前です。隔世の感を禁じ得ません。そして、この文章はclaude.aiの自然言語処理技術を利用して綴っております。35年前、まさかこうした環境になるとは思いもしませんでした。
さて、この度はVZ Editor作者の兵藤嘉彦さんより、著作をフリーウェアとしたい旨を告げられ、諸手を挙げて賛成しました。こうしてGitHubに上げることで、永遠の命を持つことになったと思います。 IT系ニュースメディアで報じられ、嘗ての愛用者たちがダウンロードすることでしょうし、NoteやQiitaで使いこなし術が取り上げられることを願っています。これまでもVZはソースコードを製品に含めておりました。ゆえに様々なVZが世に出ていると思います。この度のフリーウェア化により、Windows PowerShell 環境やLinuxコンソール環境で利用できる…などと、淡い期待をさせていただきます。
思えば、この日を迎えるまでの間に色々なことがありました。 VZと出会う切っ掛けは西田雅昭さんに尽きます。その西田さんにはVersion1.0発売時において、半年間ほど無償で週1回の電話サポートをしていただきました。感謝の念に堪えません。また、サザンパシフィックの片山宏さんにも有り余る助言をいただきました。特に米国カリフォルニア州に連れて行ってもらい、オリンダの自宅で合宿しつつ、The C Users Groupの総帥ロバート・ウォードさん、並びに日野賢二さんと知り合えたことは、人生において大きな出来事でした。また、カンファレンス会場で大声を上げてアップルを非難していたリチャード・ストールマンさんの影響も受けました。
VZはこの後、Version1.5、DOS/V版、Version1.6とアップデートを重ねました。その間、兵藤さんとは意見が食い違うこともありましたが、お互いに素直な言葉を伝えられる、思いやりのある関係を築くことができました。そのおかげで、今では何でも話し合えるようになり、より一層絆が深まったと感じております。 特に思い出すのは羽村の帰り道です。当時、PC-9801の互換機をつくっていたカシオ計算機さんに内密で出掛けました。(もう、30年以上前のことです。秘密保持契約も時効でしょう) その互換機(80386のノートタイプです)には、VZを標準アプリケーションとして搭載していただけるという有難いお話でした。諸般の事情は不明ながら、この話は立ち消えとなりましたが、あの日の夕焼けから薄暗くなった帰りの駅舎前の飲み屋で、夢を語りながら一献傾けたのが昨日のことのように思い起こされます。
長年、お使いいただいた方々からの温かいご支援に、改めて御礼を申し上げますとともに、販売関連で携わっていただいた方々、特にマニュアルの印刷、フロッピーディスクのコピー、製品のアッセンブリ、ユーザ登録の実務、広告制作、広報、流通などでお世話になった方々のお名前を残させていただきます。有難うございました。僭越ながら、所属は当時のもので敬称は省略させていただきました。 石田弘(東京マグネシステム)、吉川太郎(東京マグネシステム)、竹内功(アークテイク)、渡辺秀一(アイスリーサービス)、林憲靖(アイワーク)、岡留安則(噂の眞相)、喜多克尚(朝日新聞社)、高千穂彰(日経BP)、秋山伴道(アスキー)、松本隆之(アスキー)、天明善行(アスキー)、大島伸一(アスキー)、豊永展輔(アスキー)、木原京一(アスキー)、稲葉俊夫(ソフトバンク)、美留町正徳(ソフトバンク)、佐藤理香(ソフトバンク)、住吉比呂樹(ソフトバンク)、金沢修(技術評論社)、松山雅明(技術評論社)、足立幸男(技術評論社)、木山幸人(技術評論社)、相澤直人(技術評論社)、水野賢三(加藤文明社)、指田元紀(サムエンタープライズ)、速水祐(Zob Plus)、黒岩潤司(アドミラルシステム)、前坂昇(メガソフト)、田先政秀(ライフボート)、石田晴久(東京大学)、本多弘男(本多通商)、浅見和司(亜土電子工業)、鹿地陽介(アイツー)、谷井克良(阪神商会)、藤原睦朗(上新電機)、山田広司(カノープス電子)、黒田篤行(東京工業大学)、大野元久、小川清、島川言成、武井一巳、中村正三郎。そして、共に過ごしたビレッジセンターのスタッフ。伊達浩二、見米快介、榎本康治、中村広樹、水野道夫、久保田克昭、木伏幾代、草刈弘志、関和世、大石隆史、相蘇ゆかり、富田記代、直井彩緒、佐藤直之、神田富士晴にも感謝します。
最も感謝を表さなければならないのが、株式会社技術評論社代表取締役の片岡巌さんです。社員だったわたしに、ハウスエージェンシーとして技術評論広告社を担わせていただきましたその僅か2年後に、ビレッジセンター起業の思いをお伝えすると、快く許諾していただきました。このことが人生の分かれ目になったことを実感したのは、50歳で隠居宣言したときです。翌年にビレッジセンターを清算して、以降こうして生きられるのはVZの経験があったからこそだと思っています。 最後に姿勢を正して、兵藤嘉彦さんに深謝申し上げます。
2024/11/22 株式会社ビレッジセンター元社主 中村 満(v.c.)