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oraccha edited this page Jan 16, 2013 · 2 revisions

680x0 を搭載した日立のワークステーション

OS/omicron V2 が稼動中の HITACHI 2050/32.

HITACHI2050/32

2050/32 は 68020(20MHz),2050/32E は 68030(25MHz) を搭載していた.左側は追記型光ディスクドライブ. 標準 OS は UI-UX らしいが,起動しているところを見たことがなかった.

OD と OD ドライブ

OD

浄書という組版システム(もちろん OS/omicron 上で動いていた)で使っていた LBP. V4 に移行してからは,motop さんと銀さんが ISA のインタフェースボードを作って使っていた.

LBP

URR プロセッサ

URR

タブレット,左にわずかに写っているのは,表示一体型タブレット?

tablet

タブレットはおそらく手書き文字認識の研究に使われていたもの.表示一体型タブレットは V3 で使われていた(V4 では WACOM のタブレットを使った). 2050 自体は落としても壊れなさそうなイメージがありました(実際,今の PC と比較すると圧倒的に頑丈でしょう.重かったけど).一方,表示一体型タブレットは傾けてはいけないなど,扱いが大変そうだった.


一応生き証人としてのコメント.

2050はHITACではないです.HITACは,hitachi transistor automatic calcuratorだかなんだかの略ですね.このころにはHITACブランドはすでにありませんでした.それと日立謹製のはHI-UXです.最初についてきたのはsystem IIIだったような.すぐにフォーマットしていたので,あまり使った覚えがないです.とにかく内部はカスタムチップがいっぱいでした.アーキテクチャとして覚えているのは,日立製のMMU,グラフィックチップがついていたのと,メモリアクセスがあまり速くなかったこと,キーボードのmake/breakが取れなかったことかな.それとコネクタの形状が特殊で,抜き差しするとよく曲がってしまったこともありました.

CRTは解像度がかなりよいものできれいしたけど(仕様は失念),長残光型で焼きつきを起こしたものが結構あったような.追記型光ディスクドライブは日立マクセルが作っていたもので,SCSIで接続していました.アクセスはあまり速くないのと,バスリセットをすると,使用可能になるまでかなり時間がかかるのでした.

  • Sony や Pioneer のODドライブもありましたよね.

とはいえ,この当時は,仕様を公開してもらえたワークステーションはあまりなかったので,これがなければ全然研究開発が進まなかったと思います.--Hayakawa

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