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oraccha edited this page Jan 14, 2013 · 1 revision

DECのミニコンPDP(Program Data Processor)シリーズ

ミニコンと呼ばれる製品群は,1959年のPDP-1から始まった.PDP-1は,MIT Lincoln Laboratoryで研究されていたTX-0,TX-2がベースになっていた.PDP-1は53台しか製造されなかったが(半分はITTの通話切り替えシステムの制御用に使われた),後の計算機の発展に大きな影響を与えた.ビデオゲームのさきがけであるSpacewar!がPDP-1上で作られたのも有名(CRTディスプレイにライトペンというのはTX由来のはず。その全身のWhirlwindかも?).

  • [http://www.computerhistory.org/pdp-1/ PDP-1 Restoration Project] (Computer History Museum) . 資料が充実している.
  • KenOlsen (>> 究極の起業家)

PDP-1の主要開発者はDECのコンピュータエンジニア1号であるBen Gurley。その次にDECに入社したコンピュータエンジニアが Gordon Bell。この二人もそうだが、初期のDECではMITから多くの人材が流入していた。

PDP-2、3はそれぞれ24bit、36bitマシンとして設計されたが完成に至らなかった。

PDP-4はPDP-1と同じく18bitマシンで、 GordonBell が設計した。PDP-1の半値で5/8の性能を持った計算機だったが、期待に反して54台しか売れなかった。Bellはその後、PDP-5とPDP-6を設計する。PDP-5はミニコンの先駆けとなる12bitマシンで、PDP-6は36bitの大型計算機。PDP-5は1000台近く売れたのに対して、PDP-6は23台しか売れず営業的には失敗だった。その後、BellはCMUに移るが、DECにもコンサルタントとして留まり、1972年に次世代機(VAX)を開発するためにDECに復帰した。

  • Bellは、VAX以外にも、ネットワーキングに注目し、BobMetcalfe と組んで Intel を巻き込み EtherNet の標準化を成し遂げた。

PDP-5の後継機であるPDP-8は15年間で5万台製造された。PDP-8の主要開発者であるEd DeCastroはその後16bitマシンである野心的なPDP-Xを計画するが、KenOlsen との相性が悪く日の目を見なかった。結局、DeCastroは、データゼネラルを興し、Novaシリーズを開発。DECから多くのエンジニアが移籍し、70年代を通してDECとミニコン市場でしのぎを削ることになる(>> 超マシン誕生)。

IBM S/360などの影響もあり、8bitバイトマシンが次世代の潮流とみなされつつあったが、そんなこんなでDECは16bitマシンで出遅れていた。そこで、CMU の GordonBell の助力を得て作られたのが PDP-11。


#include2ref PDP-8 #include2ref PDP-10 #include2ref PDP-11

最近だと PlasmaDisplayPanel の方が通りがいいか.

  • 大型の PDP は Pioneer が強いらしいですね.PDP,DVD,カーナビが Pioneer の主力商品ってニュースをちょっと前にやってました.主力商品のシフト,R&D,中国進出ってのがテーマでしたが.
  • [http://japanese.engadget.com/2008/03/07/pioneer-pdp/ パイオニアのPDP生産撤退、正式発表] (JapaneseEngadget 2008-03-07)

ParallelDistributedProcessing というのもあります。


#include2 PDP-8 ===

#include2 PDP-10 ===

#include2 PDP-11 ===

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